「怒ることは悪」という道徳的な価値観が刷り込まれてるから怒られると防衛的になっちゃうという指摘は腑に落ちる。でも実際怒りのぶつけ合いは疲れる
差別は個人ではなく構造の問題だという理解は本当に大切。一方、"トンポリ駄目"とか"皆んな怒ろう"で済む楽な問題でもないよね。世の中には内容への批判まで一緒くたにトンポリ扱いして対話を拒む悪い人も多いから
未だに、『トンポリはポンコツ概念』という認識すらないの、周回遅れの駄論すぎる https://b.hatena.ne.jp/entry/4674986333475676706/comment/rag_en 。というか、全くの逆だよね https://b.hatena.ne.jp/entry/4750846943734779136/comment/rag_en 。
「感情の表出の仕方がよろしくない相手でも、その主張の理路は汲むようにしよう」という話なら同意するが、ただ同時に「そっちが口汚く主張すんなら、こっちも口汚く反論するぜボケコラおぉん!?」とも思うんだよな。
好きにすれば良いけど、まさか怒るのが自分だけに許された権利なんて思ってないよね?
特に若い世代は本当に強い物言いや批判的な様式の発言を嫌うから伝わらないと思う。そのへんの機微は活動家がどう言葉遊びしたところで絶対に変わらんし、怒れば怒っただけ嫌われる
怒りを表出しながらも理論整然と主張することも出来るはずだが。ただただ感情的に喚き散らすのは犯罪行為に近い何かだと思うがなあ。市民的不服従で捕まるのも辞さない覚悟というならまた話も変わってくるが
“私たちの多くは「怒ることはよくない」という価値観を深く植え付けられ、内面化してきています(…)目の前で今踏まれている足を「どけて」と伝えることと、そもそも足を踏まれない社会にしていくことの、両方が必要
自分の怒りは正しいから怒りを表明しても当然みたいな「態度」が受け入れられづらいのだと思う。そりゃ怒ってもしょうがないよな、という状況があるならばその怒りは誰も咎めないと思うがおそらくそうではない。
トーンポリシングって言い方警察だったのか
「多様性」と「包摂」を声高に唱える人々が、多くの集団を、アイデンティティという名の牢獄に閉じ込め、主体性を備えた「人間」になることを妨げる。邪悪な部族主義。https://ganot.hatenadiary.com/entry/2026/06/19/123135
論理性があっての怒りなら理解もされようが、被害者意識で怒ってばかりだから対話もままならず理解されないのだろ。
とは言うが、変わらず裕福な地位に居る者の「サヨク」に対する怒りの言葉の蔓延と、弱者に対する報復同然の格差拡大政策は、とめどなく繰り返され続けてんだよね。この、尽きぬ逆恨みと八つ当たりの四半世紀…。
日本語に訳されずカタカナのままで流通していることが失敗
怒りの表明は自動的に他者への抑圧の機能を含むので正当化・無謬化は無理です。要は暴力と同じで、「暴力反対」は原則正しい。抑圧者がソレを言う場合や、暴力が効果的な場合もある、というだけ。
誰もが「怒り」に不快感を覚えなくなった世界で、果たして「怒り」は衆目を集める手段として機能するのだろうか?
まだ読んでいないが、発生源への想像が行えないことに起因する問題なのか?とコメントを見て思った。自分の感情(不快)を優先させ、他者への共感を後回しにする、とも言える。いずれにせよ、ケア/被害軸の話のようだ。
威圧や恫喝と隣り合わせになったら誰が一番不利益被ることになると思ってるんだろうか。大きく振りかぶって、での体格で威圧してくる話を思い出した。対立相手にほにゃほにゃしていい事は無い。悪用の方が多いだろ。
『日本では差別を構造的な視点で捉えず、道徳教育で解決しようと』『「差別をしてしまう私たち」と「それを生み出す構造」という文脈が大事』『差別が道徳的に扱われてきたことで、「差別をする人は悪である」と』
伊是名は無茶言うた末のゴネまくりで目的地に着いてるのに乗車拒否で騒いでる、それを「気持ちは分かるが」程度に抑えてたやつは優しく寄り添ってた側やろ そいつらにさえトンポリ呼ばわりで殴ってきた話やぞあれ
トーンポリシングと言われようと不快なものは不快なわけで「怒り」の表明の自由があるならばそれに対する「批判」や「不快感」の自由もあるというだけだけど世間を敵に回してでも闘うというなら好きにすればとしか。
そろそろ、その概念作った国の人に、「お国ではうまくいってますか」と聞いてきてください、のターンになってると思う。少なくとも、成功事例をもとにあなたも是非採用を、という話にはなってない。米国見てる限り。
トーンポリシング
「言い方が悪い」「怒り過ぎ」のほとんどは「説得力ない」という意味。それに対して「怒っちゃダメというのかっ!!!」と返すと、どんどん説得力なくなる(ことが多い)
怒りにまかせて主張してくる相手の意見をあなた自身は聞く気がありますか?と問うてみたい
トーンポリシングが、弱者の生の声を聞け、という主張なのだとしたら、強弱の関係をそこで塗り固めていることになる。差別は許されないが、自らを弱者と定義するのも、上策とは言えないのではないかと思う。
対話できそうにない相手に怒るのはまだ分からないでもないけど、まだ対話できそうな人にも初手で怒っているのをしばしば見る。仲間内で盛り上がりたいだけならさておき、支持者を増やしたいなら悪手だと思うがなぁ。
マルコムX、キング牧師「まだそんなところで消耗しているの?」
トーンポリシングの見本市会場はこちらですね
威嚇や暴言をやめるよう求めるのは「正当な指摘」であり「トーンポリシング」ではない/内容への反論を避けるために「感情的だ」とだけ言うようなのがトーンポリシング
それトンポリだよって唱えれば相手が黙る呪文。他者を黙らせ自分をゴリ押しするクズしか使ってない。
"子どものときに大人に真剣に話を聞いてもらえなかったことはなかった?" / 左利き権利運動?と思って調べたら70年代からあったようだ。90年代生まれなのに家族にぎっちょと呼ばれ半矯正されたので複雑な気持ち
ここでトーンポリシングという概念を批判し、冷静な言論なら聞いてやるみたいな上から目線のブクマカすら少数派なんだよ。女性参政権の経緯など見ても、バズらないと注目されない。統一教会の件とか典型的。
トーンポリシングってなんだろう? 野口晃菜さんと考える「怒り」と「対話」のあいだ | こここ
「怒ることは悪」という道徳的な価値観が刷り込まれてるから怒られると防衛的になっちゃうという指摘は腑に落ちる。でも実際怒りのぶつけ合いは疲れる
差別は個人ではなく構造の問題だという理解は本当に大切。一方、"トンポリ駄目"とか"皆んな怒ろう"で済む楽な問題でもないよね。世の中には内容への批判まで一緒くたにトンポリ扱いして対話を拒む悪い人も多いから
未だに、『トンポリはポンコツ概念』という認識すらないの、周回遅れの駄論すぎる https://b.hatena.ne.jp/entry/4674986333475676706/comment/rag_en 。というか、全くの逆だよね https://b.hatena.ne.jp/entry/4750846943734779136/comment/rag_en 。
「感情の表出の仕方がよろしくない相手でも、その主張の理路は汲むようにしよう」という話なら同意するが、ただ同時に「そっちが口汚く主張すんなら、こっちも口汚く反論するぜボケコラおぉん!?」とも思うんだよな。
好きにすれば良いけど、まさか怒るのが自分だけに許された権利なんて思ってないよね?
特に若い世代は本当に強い物言いや批判的な様式の発言を嫌うから伝わらないと思う。そのへんの機微は活動家がどう言葉遊びしたところで絶対に変わらんし、怒れば怒っただけ嫌われる
怒りを表出しながらも理論整然と主張することも出来るはずだが。ただただ感情的に喚き散らすのは犯罪行為に近い何かだと思うがなあ。市民的不服従で捕まるのも辞さない覚悟というならまた話も変わってくるが
“私たちの多くは「怒ることはよくない」という価値観を深く植え付けられ、内面化してきています(…)目の前で今踏まれている足を「どけて」と伝えることと、そもそも足を踏まれない社会にしていくことの、両方が必要
自分の怒りは正しいから怒りを表明しても当然みたいな「態度」が受け入れられづらいのだと思う。そりゃ怒ってもしょうがないよな、という状況があるならばその怒りは誰も咎めないと思うがおそらくそうではない。
トーンポリシングって言い方警察だったのか
「多様性」と「包摂」を声高に唱える人々が、多くの集団を、アイデンティティという名の牢獄に閉じ込め、主体性を備えた「人間」になることを妨げる。邪悪な部族主義。https://ganot.hatenadiary.com/entry/2026/06/19/123135
論理性があっての怒りなら理解もされようが、被害者意識で怒ってばかりだから対話もままならず理解されないのだろ。
とは言うが、変わらず裕福な地位に居る者の「サヨク」に対する怒りの言葉の蔓延と、弱者に対する報復同然の格差拡大政策は、とめどなく繰り返され続けてんだよね。この、尽きぬ逆恨みと八つ当たりの四半世紀…。
日本語に訳されずカタカナのままで流通していることが失敗
怒りの表明は自動的に他者への抑圧の機能を含むので正当化・無謬化は無理です。要は暴力と同じで、「暴力反対」は原則正しい。抑圧者がソレを言う場合や、暴力が効果的な場合もある、というだけ。
誰もが「怒り」に不快感を覚えなくなった世界で、果たして「怒り」は衆目を集める手段として機能するのだろうか?
まだ読んでいないが、発生源への想像が行えないことに起因する問題なのか?とコメントを見て思った。自分の感情(不快)を優先させ、他者への共感を後回しにする、とも言える。いずれにせよ、ケア/被害軸の話のようだ。
威圧や恫喝と隣り合わせになったら誰が一番不利益被ることになると思ってるんだろうか。大きく振りかぶって、での体格で威圧してくる話を思い出した。対立相手にほにゃほにゃしていい事は無い。悪用の方が多いだろ。
『日本では差別を構造的な視点で捉えず、道徳教育で解決しようと』『「差別をしてしまう私たち」と「それを生み出す構造」という文脈が大事』『差別が道徳的に扱われてきたことで、「差別をする人は悪である」と』
伊是名は無茶言うた末のゴネまくりで目的地に着いてるのに乗車拒否で騒いでる、それを「気持ちは分かるが」程度に抑えてたやつは優しく寄り添ってた側やろ そいつらにさえトンポリ呼ばわりで殴ってきた話やぞあれ
トーンポリシングと言われようと不快なものは不快なわけで「怒り」の表明の自由があるならばそれに対する「批判」や「不快感」の自由もあるというだけだけど世間を敵に回してでも闘うというなら好きにすればとしか。
そろそろ、その概念作った国の人に、「お国ではうまくいってますか」と聞いてきてください、のターンになってると思う。少なくとも、成功事例をもとにあなたも是非採用を、という話にはなってない。米国見てる限り。
トーンポリシング
「言い方が悪い」「怒り過ぎ」のほとんどは「説得力ない」という意味。それに対して「怒っちゃダメというのかっ!!!」と返すと、どんどん説得力なくなる(ことが多い)
怒りにまかせて主張してくる相手の意見をあなた自身は聞く気がありますか?と問うてみたい
トーンポリシングが、弱者の生の声を聞け、という主張なのだとしたら、強弱の関係をそこで塗り固めていることになる。差別は許されないが、自らを弱者と定義するのも、上策とは言えないのではないかと思う。
対話できそうにない相手に怒るのはまだ分からないでもないけど、まだ対話できそうな人にも初手で怒っているのをしばしば見る。仲間内で盛り上がりたいだけならさておき、支持者を増やしたいなら悪手だと思うがなぁ。
マルコムX、キング牧師「まだそんなところで消耗しているの?」
トーンポリシングの見本市会場はこちらですね
威嚇や暴言をやめるよう求めるのは「正当な指摘」であり「トーンポリシング」ではない/内容への反論を避けるために「感情的だ」とだけ言うようなのがトーンポリシング
それトンポリだよって唱えれば相手が黙る呪文。他者を黙らせ自分をゴリ押しするクズしか使ってない。
"子どものときに大人に真剣に話を聞いてもらえなかったことはなかった?" / 左利き権利運動?と思って調べたら70年代からあったようだ。90年代生まれなのに家族にぎっちょと呼ばれ半矯正されたので複雑な気持ち
ここでトーンポリシングという概念を批判し、冷静な言論なら聞いてやるみたいな上から目線のブクマカすら少数派なんだよ。女性参政権の経緯など見ても、バズらないと注目されない。統一教会の件とか典型的。