給食メーカーの某氏とぶつけたらどう言う音色を奏でるか(もしくは不協和音が出るか)試してみたい気もする。
『インターネットの、特に2000年代までのテキスト中心の空間は(中略)顔も声も体温もノリも関係なく、テキストと論理だけで殴り合える場所』……そうかな? 当時のインターネットもひどかったと思いますよ。
なにこの最後の地獄みたいな本 / お金って結局人からもらうものなので、理屈よりゾスのほうが納得される場なら悲しいかなそれが正解なんだよな
はてな文化圏においてゾスは蔑称だと思うけど、昨今ゾスという言葉が市民権を得るにつれて、ゾスは『ゾス』という蔑称すらも利用してパワハラやブラック労働を『許される行為』にしてしまうのではないかと危惧してる
"生き死にを考えているときに、隣でイッツ・ア・スモールワールドをエンドレスで流されているような感覚だ" 言語化が秀逸。
日本が製造業や金融業で世界一の座から降りたからといって、なぜ「必要とされていない」まで飛躍するのか。一番じゃなければ無意味っていう、ゾス系と本質的に近い思考回路なのだろうな
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々
別に日本が負け気味だろうが、敗戦して被占領国になりましたレベルじゃなければ、難易度は上がるにせよ個人レベルで勝ち組になることは可能だし。「ゾス」の人達はそういう個人レベルの勝利を目指してるのでは。
ゾス系の明るさ、時に眩しすぎて目が痛いですわね。でも、彼らも一種のサバイバーですの。
頭が良いが、認知は歪んだ人のポエムのように感じた。
鬱体質の個体しか最後まで読まない美文ゾスな。で、俺は沁みたと樹上から歯をむき出し枝を揺らすなどして威嚇したいゾス。
「テンションの高い無」で練り込み不足が。バシーンとハマる名前つけてこそテキスト文化だろうが。
いくらなんでも悲観的すぎるかも〜
たぶん巷で言われてる「ゾス系」とはちょっとズレてると思います
01思考とかゼロリスク思考とか完璧主義みたいな考え方を内面化してるせいで他人や自分に対して無限に厳しくなってるけど、本音は「私を救って」という他力本願が透けてみえている
結論はその通り。ゾス系(陽キャ)と陰キャの違いはセックスできるかできないかくらいの違いしか無い。わたしのような陰キャはそういう世界認識をするところから人生が始まるといっていい。
『ネットの、特に2000年代までのテキスト中心の空間は、ゾス系のコートシップがほとんど無効化される特殊な場所 / 失われたのは、インターネットがリアルの延長線になったからだけではない。問題は「数が全てになった
冷めた目で見続けることに実利はない。船が沈みかけているとき、頼りになるのはそういう人間ではない。わずかな希望を信じて救命ボートを探し続けるほうが、少なくとも実際的だ。ゾス系がそうかどうかはわからないが
「イッツ・ア・スモールワールド」に救われてる人間もいるんですよ。
はっきり批判したいんだけど、この作文のどこに論理がある?ただ負や陰の感情だけが溢れていて、自身の感情と連想ゲーム以外なにもないじゃん
賃労働というものはほんの僅かであれゾスが含まれていなくては成り立たないと思っているので、おれはゾスを完全否定できない。その上で自分は非ゾス的人間だと自認する。ところでゾスってなんだ?
この「論理」に従うなら選択肢は自死しかないとすら思える文章。自分に正直に厭世観を振りまいているのかもしれないが、この文章を世に放つことのどこかに甘えがあるのでは、という気がする。正直論理を感じない。
先般の『ザ・ノンフィクション』、私あれ観たらシンプルに頭にきたなあ。最後の本の山本氏、あそこの社長だよね
いんだよ! 俺はmegamouthの兄貴の歪みと感情を読みに来てんだよ!
大地転がし系文
2chあたりはノリと数の暴力に溢れてなかったっけ?匿名の論理が勝つ場所も、ネットのどこかにはあったのかもしれないけど。/「明るく無神経」と「暗くて(厭世的で)繊細」の間に、いろんな振る舞い方があると思う
ゾスっていつの時代も存在していて、一時期のリクルート、一時期の光通信がそうだったんじゃないかなと思うよ。若者のやり甲斐を搾取するモデルを経る会社がどの時代にもあるんじゃないかなと。
労働は基本的に被搾取。明確な社会的成果(自己実現)を感じにくい時代ではやりがい搾取も機能せず、モチベ管理までさせられる管理職無理ゲー論もむべなるかな。/俺がゾス系苦手なのは「無自覚なスト破り」だから
これは無能なゾス。ゾスは気合と根性だけじゃないから。PPTの構成、指定フォント、スライド毎の適切な情報量、文字は限りなく少なく、かつプレゼン内容との一体感がすべてしっかり完成されてないとやり直しだから。
叩き上げの有能ゾスも今や経営者かインフルエンサー。
昔と今のネットが本当に違うのかは、最後に貼られているゾス山本の共著相手がネット右翼インフルエンサーの古参・岩田温なのが全てでは
大地、いま話題の「不屈」に深く通じるものがある。船長がギリギリをせめてたのは自身も精神的に限界で(でもやめるに止めれず)「もうどうにでもなぁ〜れ」感があった(死して船長は初めて救われた。天国へいった)から
マッチョとウィンプ論とか、はてなで?流行りましたね。一緒かどうかはわからん/このブログの「RE:最終出社日について」はこの時期、2日に一回は読んでいます。名文だぞ
ゾスってそんなに有名な言葉なのか…
作り話くせえw
“私はしばらく「大地」という二文字を頭の中で転がした。こいつ薬でもやってんのか、と思った。” ちょっと笑った
頭からっぽのほうが夢詰め込める
「オタク」がそうであるように他称を反転して自称するのはよくあることだと思う
こういう人もいればそういう人(ゾス系?)もいる、という話だと思う。そして往々にしてそういう人の方がなんだかんだ他の人を巻き込んだり引っ張ったりするので、場を支配する側に回りやすいというのもあると思う。
大風呂敷を広げる人が運と能力があれば、すべてが完全にうまくいく可能性がある。騙されることを選択するかどうか
救命ボートを見つけたら、それを使って「救う」人間の選別始めるだけだよ。良くある「孤島デスゲーム」系で、「俺の王国」を作るタイプ
ゾスか……
いつもよりエモに耽溺してるような文章に思えるな。
失われた30年はこういうゾスと諦め族で作られたんだなって感じ
嘘つきゾス - megamouthの葬列
給食メーカーの某氏とぶつけたらどう言う音色を奏でるか(もしくは不協和音が出るか)試してみたい気もする。
『インターネットの、特に2000年代までのテキスト中心の空間は(中略)顔も声も体温もノリも関係なく、テキストと論理だけで殴り合える場所』……そうかな? 当時のインターネットもひどかったと思いますよ。
なにこの最後の地獄みたいな本 / お金って結局人からもらうものなので、理屈よりゾスのほうが納得される場なら悲しいかなそれが正解なんだよな
はてな文化圏においてゾスは蔑称だと思うけど、昨今ゾスという言葉が市民権を得るにつれて、ゾスは『ゾス』という蔑称すらも利用してパワハラやブラック労働を『許される行為』にしてしまうのではないかと危惧してる
"生き死にを考えているときに、隣でイッツ・ア・スモールワールドをエンドレスで流されているような感覚だ" 言語化が秀逸。
日本が製造業や金融業で世界一の座から降りたからといって、なぜ「必要とされていない」まで飛躍するのか。一番じゃなければ無意味っていう、ゾス系と本質的に近い思考回路なのだろうな
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々
別に日本が負け気味だろうが、敗戦して被占領国になりましたレベルじゃなければ、難易度は上がるにせよ個人レベルで勝ち組になることは可能だし。「ゾス」の人達はそういう個人レベルの勝利を目指してるのでは。
ゾス系の明るさ、時に眩しすぎて目が痛いですわね。でも、彼らも一種のサバイバーですの。
頭が良いが、認知は歪んだ人のポエムのように感じた。
鬱体質の個体しか最後まで読まない美文ゾスな。で、俺は沁みたと樹上から歯をむき出し枝を揺らすなどして威嚇したいゾス。
「テンションの高い無」で練り込み不足が。バシーンとハマる名前つけてこそテキスト文化だろうが。
いくらなんでも悲観的すぎるかも〜
たぶん巷で言われてる「ゾス系」とはちょっとズレてると思います
01思考とかゼロリスク思考とか完璧主義みたいな考え方を内面化してるせいで他人や自分に対して無限に厳しくなってるけど、本音は「私を救って」という他力本願が透けてみえている
結論はその通り。ゾス系(陽キャ)と陰キャの違いはセックスできるかできないかくらいの違いしか無い。わたしのような陰キャはそういう世界認識をするところから人生が始まるといっていい。
『ネットの、特に2000年代までのテキスト中心の空間は、ゾス系のコートシップがほとんど無効化される特殊な場所 / 失われたのは、インターネットがリアルの延長線になったからだけではない。問題は「数が全てになった
冷めた目で見続けることに実利はない。船が沈みかけているとき、頼りになるのはそういう人間ではない。わずかな希望を信じて救命ボートを探し続けるほうが、少なくとも実際的だ。ゾス系がそうかどうかはわからないが
「イッツ・ア・スモールワールド」に救われてる人間もいるんですよ。
はっきり批判したいんだけど、この作文のどこに論理がある?ただ負や陰の感情だけが溢れていて、自身の感情と連想ゲーム以外なにもないじゃん
賃労働というものはほんの僅かであれゾスが含まれていなくては成り立たないと思っているので、おれはゾスを完全否定できない。その上で自分は非ゾス的人間だと自認する。ところでゾスってなんだ?
この「論理」に従うなら選択肢は自死しかないとすら思える文章。自分に正直に厭世観を振りまいているのかもしれないが、この文章を世に放つことのどこかに甘えがあるのでは、という気がする。正直論理を感じない。
先般の『ザ・ノンフィクション』、私あれ観たらシンプルに頭にきたなあ。最後の本の山本氏、あそこの社長だよね
いんだよ! 俺はmegamouthの兄貴の歪みと感情を読みに来てんだよ!
大地転がし系文
2chあたりはノリと数の暴力に溢れてなかったっけ?匿名の論理が勝つ場所も、ネットのどこかにはあったのかもしれないけど。/「明るく無神経」と「暗くて(厭世的で)繊細」の間に、いろんな振る舞い方があると思う
ゾスっていつの時代も存在していて、一時期のリクルート、一時期の光通信がそうだったんじゃないかなと思うよ。若者のやり甲斐を搾取するモデルを経る会社がどの時代にもあるんじゃないかなと。
労働は基本的に被搾取。明確な社会的成果(自己実現)を感じにくい時代ではやりがい搾取も機能せず、モチベ管理までさせられる管理職無理ゲー論もむべなるかな。/俺がゾス系苦手なのは「無自覚なスト破り」だから
これは無能なゾス。ゾスは気合と根性だけじゃないから。PPTの構成、指定フォント、スライド毎の適切な情報量、文字は限りなく少なく、かつプレゼン内容との一体感がすべてしっかり完成されてないとやり直しだから。
叩き上げの有能ゾスも今や経営者かインフルエンサー。
昔と今のネットが本当に違うのかは、最後に貼られているゾス山本の共著相手がネット右翼インフルエンサーの古参・岩田温なのが全てでは
大地、いま話題の「不屈」に深く通じるものがある。船長がギリギリをせめてたのは自身も精神的に限界で(でもやめるに止めれず)「もうどうにでもなぁ〜れ」感があった(死して船長は初めて救われた。天国へいった)から
マッチョとウィンプ論とか、はてなで?流行りましたね。一緒かどうかはわからん/このブログの「RE:最終出社日について」はこの時期、2日に一回は読んでいます。名文だぞ
ゾスってそんなに有名な言葉なのか…
作り話くせえw
“私はしばらく「大地」という二文字を頭の中で転がした。こいつ薬でもやってんのか、と思った。” ちょっと笑った
頭からっぽのほうが夢詰め込める
「オタク」がそうであるように他称を反転して自称するのはよくあることだと思う
こういう人もいればそういう人(ゾス系?)もいる、という話だと思う。そして往々にしてそういう人の方がなんだかんだ他の人を巻き込んだり引っ張ったりするので、場を支配する側に回りやすいというのもあると思う。
大風呂敷を広げる人が運と能力があれば、すべてが完全にうまくいく可能性がある。騙されることを選択するかどうか
救命ボートを見つけたら、それを使って「救う」人間の選別始めるだけだよ。良くある「孤島デスゲーム」系で、「俺の王国」を作るタイプ
ゾスか……
いつもよりエモに耽溺してるような文章に思えるな。
失われた30年はこういうゾスと諦め族で作られたんだなって感じ