「ねとらぼ別館」で新しい連載が始まりました。良ければ読んでみてくださいましい。第一回は『カウンセリングとは何か』という心理学の本をサカナにアニメを語っています。
「いかに生きるか」から「いかに生き延びるか」に課題が変わってることが数々の作品の傾向から読み取れるよね、という記事。まあたぶん心の時代から筋肉の時代になっていくわけよなあ
「いかに生きるか」って「どう死ぬか」に近いんかねぇ。
社会的な背景とヒット作の関連は大きいですね。
結局経済成長と人口動態に尽きるんじゃね。今後は「いかに安らかに死ぬか」に変わるかもわからん
“70年代から90年代にかけての日本は経済的に豊か” というより生活水準というか基準が今より低かった。風呂なし→家風呂→家シャワー→毎日洗髪、とか。今は賃金は上がらず基準が上がる。だから苦しい。
on your mark
そんななかで「君たちはどう生きるか」
臨床心理は介入前後の治療効果の検証を拒否する所が欠点だと思っている。検証しないまま当たらない予言で稼ぐ「一部」経済専門家が嫌いな理由と同じ。社会への責任として実証の努力をしなさい。
さっぱりわからんが日本が貧しくなったって話じゃね
冒頭のほうにテーマっぽく書かれてる部分に反応するわけですけど、それは「心を扱わなかったから」ではないでしょうか。流行りとかバズワードって往々にしてそういうとこがよくありますけれども。
西洋と比べて日本は精神的に豊かって言い張ってた時代があって、蓋を開けてみたら貧すれば鈍する。日本は経済的にも精神的にも貧しくなった。心の時代はオウムとか新興宗教がやりたい放題やった時代で終演だと思う。
アニメだけかな?日本やアメリカの映画やドラマもやたら過去の生育歴みたいなのを取り上げるのやめたような
またミュートが必要なサイトが増えた。。。。。。
終わりなき日常を生きろとか、平坦な戦場で僕らが生き延びることとか、ああいう90年代日本の実存第一主義や自分探しの極北みたいな空気感、マジで綺麗さっぱり無くなってしまったな。
心技体
臨床心理界隈として、東畑本はほんとそれ。見方を変えれば、情報の入手しやすさや多様性の理解促進から、作戦会議する価値があるまでに生き延びられる材料が集まりやすくなったのかもしれない。知らんけど。
いやいや、タコピーは違うだろ!!
90年代が繁栄の頂点、00年代に経済的豊かさの残滓が消えた後、日本は貧乏くさくなったという結論かな……悲しいね
ああそうか。近年席巻する「異世界に転生してスローライフ!」系のコンテンツから感じていたのは「生きるために生きよう。それでいいじゃん」というメッセージだったのか。
ちょっと前、時々Twitterで流れてきてた「海燕」さんとは別人?なんかアイコンが西洋人中年男性の絵画だったような記憶で、冒頭の中華美人と落差 / 東畑開人『カウンセリングとは何か』
大学の卒論みたいで良い
ピングドラムが最後まで出てこなかった。
“「カウンセリングには二つのゴールがある」”“「生存と実存」” ある程度大人になって、子育てとかしてると生活≒生存に必死になるんだよね。すると若者が実存に苦悩してるのが甘く見えるけど確かにどっちも大事
今日も元気にガン無視されるファフナー。大人がちゃんとしてるエヴァとか言われてたのに。
社会の変化に呼応する形でのバトルロワイヤル/サヴァイヴ(ゼロ年代的な)にとどまってるように読めちゃったけど、本当に重要なのはスマホ・SNS以降の感情の資産化やタイパ/倍速視聴などの変化な気がしている。
関係ないけどねとらぼ最近見てないな…って思って確認したら、RSSが止まってる感じ。
君は生き延びることはできるか、がキャッチコピーで実際どのように生きるかなんてまるで示してない(少なくとも帰る場所はある、が辛うじての答え)機動戦士ガンダムがそっち側に置かれてて驚きました。
自分探しは見つかるかどうかもわからないしタイパ悪いから、とりあえずいま楽しいことやろ〜!って流れになったよね
みんなが思う(覚えてる)「普通に生きる」ことが「真ん中じゃなくて理想に近い」どころか本当に手の届かない理想になりつつある
つまり現代は、生存の問題に気を取られ、実存の問題が蔑ろにされがちであるということかな。確かにそれはそう。
“カウンセリングには二つのゴールがある。生存(困難な状況の中で、いかに生き延びるか。2000年代以降『鬼滅の刃』『チェンソーマン』)と実存(その人独自の生き方を追求。1970-90年代に主流『旧エヴァ』)”
心の問題も実存の問題も終わったわけではないと思う。当時は新しい問題だったが、今では数ある問題の一つになったのではなかろうか。スポーツにおいてメンタルがコントロールすべき要素の一つになったようなもの
90年代2000年代の変化
もはや戦後ではない、戦時中だ、みたいな/それでも魔法少女達(まどマギの)よりは切羽詰まって無い日常が送れていると思うが
思春期向けじゃなくなったから
いかに生きるかについて10年以上も考え続けた結果、大人になって、そんなことはどうでもいいことだと気付いちゃったのではないか。そこに価値がなかったからこそ生き延びるのが難しくなっているのではないか。
10年代に流行った生存の問題も終わりを迎えつつある。ポップカルチャーの現場で起きているのは自殺と精神疾患であり、それは資本主義の受容も出来なければ反抗も無意味であることの弁証法的統合を示している。
うーん、むしろエヴァの庵野はオタクを叱責してきた側だと思うし、小鼠以降は搾取社会からの脱却を訴えかけてた作品が多かったように思うけどそれは視聴者に響かなかったから、今主体性をメインとする作品が多い印象
カウンセリング無理やりシャットダウンしないと終わらんとこやったで
なぜ〈心の時代〉は終わりを迎えたのか? アニメとカウンセリングの不思議な関係|ねとらぼ別館
「ねとらぼ別館」で新しい連載が始まりました。良ければ読んでみてくださいましい。第一回は『カウンセリングとは何か』という心理学の本をサカナにアニメを語っています。
「いかに生きるか」から「いかに生き延びるか」に課題が変わってることが数々の作品の傾向から読み取れるよね、という記事。まあたぶん心の時代から筋肉の時代になっていくわけよなあ
「いかに生きるか」って「どう死ぬか」に近いんかねぇ。
社会的な背景とヒット作の関連は大きいですね。
結局経済成長と人口動態に尽きるんじゃね。今後は「いかに安らかに死ぬか」に変わるかもわからん
“70年代から90年代にかけての日本は経済的に豊か” というより生活水準というか基準が今より低かった。風呂なし→家風呂→家シャワー→毎日洗髪、とか。今は賃金は上がらず基準が上がる。だから苦しい。
on your mark
そんななかで「君たちはどう生きるか」
臨床心理は介入前後の治療効果の検証を拒否する所が欠点だと思っている。検証しないまま当たらない予言で稼ぐ「一部」経済専門家が嫌いな理由と同じ。社会への責任として実証の努力をしなさい。
さっぱりわからんが日本が貧しくなったって話じゃね
冒頭のほうにテーマっぽく書かれてる部分に反応するわけですけど、それは「心を扱わなかったから」ではないでしょうか。流行りとかバズワードって往々にしてそういうとこがよくありますけれども。
西洋と比べて日本は精神的に豊かって言い張ってた時代があって、蓋を開けてみたら貧すれば鈍する。日本は経済的にも精神的にも貧しくなった。心の時代はオウムとか新興宗教がやりたい放題やった時代で終演だと思う。
アニメだけかな?日本やアメリカの映画やドラマもやたら過去の生育歴みたいなのを取り上げるのやめたような
またミュートが必要なサイトが増えた。。。。。。
終わりなき日常を生きろとか、平坦な戦場で僕らが生き延びることとか、ああいう90年代日本の実存第一主義や自分探しの極北みたいな空気感、マジで綺麗さっぱり無くなってしまったな。
心技体
臨床心理界隈として、東畑本はほんとそれ。見方を変えれば、情報の入手しやすさや多様性の理解促進から、作戦会議する価値があるまでに生き延びられる材料が集まりやすくなったのかもしれない。知らんけど。
いやいや、タコピーは違うだろ!!
90年代が繁栄の頂点、00年代に経済的豊かさの残滓が消えた後、日本は貧乏くさくなったという結論かな……悲しいね
ああそうか。近年席巻する「異世界に転生してスローライフ!」系のコンテンツから感じていたのは「生きるために生きよう。それでいいじゃん」というメッセージだったのか。
ちょっと前、時々Twitterで流れてきてた「海燕」さんとは別人?なんかアイコンが西洋人中年男性の絵画だったような記憶で、冒頭の中華美人と落差 / 東畑開人『カウンセリングとは何か』
大学の卒論みたいで良い
ピングドラムが最後まで出てこなかった。
“「カウンセリングには二つのゴールがある」”“「生存と実存」” ある程度大人になって、子育てとかしてると生活≒生存に必死になるんだよね。すると若者が実存に苦悩してるのが甘く見えるけど確かにどっちも大事
今日も元気にガン無視されるファフナー。大人がちゃんとしてるエヴァとか言われてたのに。
社会の変化に呼応する形でのバトルロワイヤル/サヴァイヴ(ゼロ年代的な)にとどまってるように読めちゃったけど、本当に重要なのはスマホ・SNS以降の感情の資産化やタイパ/倍速視聴などの変化な気がしている。
関係ないけどねとらぼ最近見てないな…って思って確認したら、RSSが止まってる感じ。
君は生き延びることはできるか、がキャッチコピーで実際どのように生きるかなんてまるで示してない(少なくとも帰る場所はある、が辛うじての答え)機動戦士ガンダムがそっち側に置かれてて驚きました。
自分探しは見つかるかどうかもわからないしタイパ悪いから、とりあえずいま楽しいことやろ〜!って流れになったよね
みんなが思う(覚えてる)「普通に生きる」ことが「真ん中じゃなくて理想に近い」どころか本当に手の届かない理想になりつつある
つまり現代は、生存の問題に気を取られ、実存の問題が蔑ろにされがちであるということかな。確かにそれはそう。
“カウンセリングには二つのゴールがある。生存(困難な状況の中で、いかに生き延びるか。2000年代以降『鬼滅の刃』『チェンソーマン』)と実存(その人独自の生き方を追求。1970-90年代に主流『旧エヴァ』)”
心の問題も実存の問題も終わったわけではないと思う。当時は新しい問題だったが、今では数ある問題の一つになったのではなかろうか。スポーツにおいてメンタルがコントロールすべき要素の一つになったようなもの
90年代2000年代の変化
もはや戦後ではない、戦時中だ、みたいな/それでも魔法少女達(まどマギの)よりは切羽詰まって無い日常が送れていると思うが
思春期向けじゃなくなったから
いかに生きるかについて10年以上も考え続けた結果、大人になって、そんなことはどうでもいいことだと気付いちゃったのではないか。そこに価値がなかったからこそ生き延びるのが難しくなっているのではないか。
10年代に流行った生存の問題も終わりを迎えつつある。ポップカルチャーの現場で起きているのは自殺と精神疾患であり、それは資本主義の受容も出来なければ反抗も無意味であることの弁証法的統合を示している。
うーん、むしろエヴァの庵野はオタクを叱責してきた側だと思うし、小鼠以降は搾取社会からの脱却を訴えかけてた作品が多かったように思うけどそれは視聴者に響かなかったから、今主体性をメインとする作品が多い印象
カウンセリング無理やりシャットダウンしないと終わらんとこやったで