この手の問題って実際は「文章をちゃんと読めているか」を確認したいだけだから、こういう疑問が出てくる時点でほぼ「読めている」と思う。(読めていない人は本当に信じられない解釈をする)
そんなもの作者しかわかりません でいいよな
だったら現国を選択科目にして論国を必須にしろよ。
現国は問題文に答えが全部書かれているので、この手の疑問を持ったことはない。
「書かれていないことを読み取るな」という前提さえきちんとしてれば、かなり簡単に点数取れる科目だったな、現国って
ツイートに書いてないことを勝手に読み取りクソリプするのを防ぐ効果もある教えでは、
出題者が作者の気持ちと考えている事柄を選択肢から選べ(または引用文の記述を元に述べよ)、ただし出題者の考え方は設問から導出できるはずである、というのが国語の問題の構造なので
よく揶揄されてるけど作者の気持ちを想像して書けなんて問題ほぼないしな。作問者の意図も何も問題文を読んで聞かれていることを答えるだけよ。たまに何を聞きたいのかよくわからん問題が出てくることはある。
国語の問題の答えは本文中にあるなんて常識だと思ってたけど
いやそれこそ出題の行間読んでることになるでしょ納得いかないな
自分の意見を「私達は」という人に対する違和感
実在しないテストを題材にして教師や学校をバカにすることで溜飲を下げ偽りの優越感を得る低能向けエピソード。掛算順序問題も構造は同じ。 cf. https://finders.me/kqFQozU2Mg
なお、その発想に凝り固まったまま研究者になって文献研究に足を踏み入れると、まさに「書いた作者本人の気持ち」を類推して仮説立てるの世界なので「書いてないから分かりません」だとたいへんポンコツなことになる
現代国語や現代文は高校からで、中学ではたんに「国語」では?(枝葉)/「主人公の気持ちに当てはまるものはどれか」という問題はあっても「作者の気持ちを述べよ」ていうのは見たことがないなあ
実際に「作者の気持ちを述べよ」という設問を解いてみるとわかるが、大半は「このとき」と書かれた少し前に書かれた文を抜粋する問題でしかなく、行間は関係ない。単に文章の関連性を理解できてるか試しているだけ。
「作者の気持ちを述べよ」なんて作らないよ、国語のテストをけなすのに使われてるだけ。基本は「設問で聞かれたことに、本文から根拠をさがして、それを踏まえて答える」
「作者の気持ちを述べよ」という言い方が引っかかるんだよなあ。
そもそも最近の入試などで、「作者の気持ちを述べよ」と問うような漠とした設問ってよくあるものなの?問題の投げ方が変わったりしてないで。
気持ち→解釈、想定 「作者の」を省く 「文章から読み取れる」をつける はいると思う 気持ちだの用語が読書感想文などのクリエイティブ方面と重なっているのでロジカルに見る現代文では不親切に思えるな
登場人物の気持ちは文中から読み取れるとして、説明文での文章の意図を聞くのがせいぜいではないだろうか?
極端な場合として続編であの場面はウソだったとかなることだってありえるけど、問題文で提示してる範囲だけで考える。
そんな問題ほぼないし、こいつら作問者より自分の方が作者の気持ちがわかったつもりでいるの?自惚れも大概にしろ。書いてないこと勝手に想像して作者の意図を誤解しとるやろ。
「作者の気持ちを述べよ」系の問題、トゥギャッたんはけっこう得意だな〜!無意識に「作問者の求めている回答」を予想してるから…??
現代の小中学校の先生は、多様性に溢れるクラスでこの手の問題をどう指導しているのだろう
一周回って当たり前のことを言っている ⇒ 「設問を理解することが大事」
作中人物の気持ち問題は先生自作のテストにはよく出てきたな
自分が20年以上前に受験で使った予備校講師が書いた本にも同趣旨のことが書いてあったけど意外と知られてないのかしら?
「国語」の読解は本文を正確に書かれているままに読み取る技術であり書かれてもいない「作者の気持ち」なんぞを想像するとかいうファンタジーな問題はない。いつまでこういう国語を馬鹿にした嘘がはびこるのか。
なら学習指導要領とかで作者の意図を汲ませるような外面した問題は不適切とすべき。誰かわからない第三者に忖度する教科ならいらん、英語か数学させとけ
その手の設問って小説や随筆などの多様な解釈を許容する文章は使われないと教わって、それから気を付けてみると確かに評論や論説文が使われることが大半だったので、文句言ってるのはアホな子なんよね…
行間行間って言ってる人たち圏論大好きそう。対象と射に直接向き合えばいいのにすぐに関手関手言って対象と向き合う事しなさそう
作者の気持ちを述べよ、っていう問題はむか~しはあったらしいけど今はもうなくて、あるという人は記憶違いか都市伝説だと思うんよね 単に書かれていることを(常識の範囲内で)正確に読み取れるかどうか
作問者の気持ちを述べよ、て書けよ
凄いヒートアップしてる人が何人かいるけど、どの辺が逆鱗に触れたのかな。長文読解は勉強しなくても解けるんで大好き。
それで納得いく程度のことだったのかよ
この話題の時、大体セットで「書かれていないことを読み取るな」と言い出す人も現れるけど、特に公立小中学校の「学校の授業で」これが出てくることあったっけ?
こうした気持ちや言いたいことを推察する問題文、『書かれている文章の中から』行う必要があるという前提が無視されがち。文章内にまったく書かれていない感情を推察させるなら、それはただの悪問。
論文が入試の国語長文問題に使われたことあるけど、自分でこれ系が解けませんでした。そして、それこそが作者の手を離れた思わぬ発展で面白かった!
そんな問題が出ることがほんとに頻繁にあるかは別問題として、研究者になるにしても社会人になるにしても相手から得た資料の範囲から考えるのは重要な技術ですよ。「顧客が本当に欲しかったもの」の本質もこれですよ
本を読むの好きだけどこればっかりは野坂昭如が残した言葉が全てでしかない。
まぁ、でも「お前に作者のなにがわかってる!」って言いたくはなるよな
現国の問題は「根拠を探して書けゲーム」でしかなく、この時の登場人物や作者の気持ちが作中の別の箇所に別の表現で書いてあるから探せでしかない。人の気持ちの推察ゲームとかと勘違いしてる人多いよね
想像などではなく、本文中のどこかに作者(or登場人物)の感情が表現された部分が根気よく探せば必ずある。古文漢文と違って勉強しなくても解けるから現国は大好きだった
物理、数学なら「あの法則、公式覚えてますか?」だし、英語なら「あの単語、構文覚えてますか?」って問いかけに気付くかってことなんだよな。
機能性識字力を身につけるのが国語。機能性非識字かどうかを確認するのがテスト。
「わたしの最近の研究テーマは何か簡潔に記せ」って問題を出した教授が居た。授業に出てる学生が耳タコになってるくらい言及していれば出席点の代わりになるかもだが、授業としては低質。文系ならばぜんぜんアリ?
作者の気持ちを述べよってめちゃあった気がするけど、時代なのかな?
先生は正しい。この設問は「通常解釈された場合の作者の意図」をテキストから抽出させる訓練のテスト。世の中の標準的な想像(時には陳腐でも)を読み解くものですな
設問を理解できないので誤認してる可能性あるよな
気持ちを聞いてると誤読してるところから躓いてるよね | ライター岸田奈美さんの文章が入試問題になったって記事良かった。文章に書いてあることをしっかり解釈すること、そのための編集者の仕事についてのやつ
「作者の気持ちを述べよ」なんて問題文に出会った記憶がないんだが、ここ数十年の間、ネタで消費されるうちにマジでそういう問題を出す先生が現れるようになった、ってことなのかな?(自分の解釈を書けならわかる)
他の教科でも基本的には作問者の意図を理解して解答にするんだよ。普段のテストは基本的には学習したことが定着してるかを測定してるんだから。
まぁ聞かれたことに答えてくださいというのは至極当たり前のことよね。
「最近の小学校の運動会では徒競走の順位をつけずにお手手繋いでゴールさせるらしい!」程度の都市伝説と考えている→作者の気持ちを述べよ問題。皆無とまでは言えないだろうけど一般化できるほどじゃないでしょ。
行間(はっきり書かれてないが正常な言語能力があれば誰でも同じ認識になるもの)は読み取らないといけない。自分の感想や妄想はきちんと区別しなくてはいけない。そして、そもそも「作者の気持ち」など聞かれない。
「作者の気持ちを述べよ」なんて問題はないっていうのが、メタ的に国語力というものを表している
ドラゴン桜で国語教師がこの問題を取り上げていて、作者の気持ちを勝手に代弁したり断定したいしない曖昧さを残した選択肢こそがマルになると説明していたのはなるほどと思った。設問者も間違えられない。
なら、「作問者の考える作者の気持ちを述べよ」って問題にしてほしいなと思ってしまう
作者も解けなかった、みたいなネタがあるけど、現実にはほぼ100%解けるんだということを、ちゃんと言った方がいいと思う
国語が苦手だった俺もそうだった。代ゼミの酒井先生ありがとう。
気持ちを答えなさい問題、問題の文章を読めば答えが書いてあるはず、なんだけど、答えを見ても文章からどうにもその気持ちが読み取れない問題があって、あれは問題が悪いんだ、と思おうとしている。
雨が降っていれば登場人物像の心も雨、みたいなロジックで小説も評論文もかわりない
実際に出題されるのは、作者の気持ちではなくて登場人物の気持ちだと思われる。
“作者の気持ち」じゃなくて「出題者が考える作者の気持ち」と明記してもらわないと…(重箱の隅”
登場人物の気持ちを考えてみようは、教科書に書いてあったような。
一般的なモラルからズレる選択肢はまず外せという風には教えてもらった。
情緒の話は道徳でやって(そのために時間を増やしてもいい)、国語では文法のロジックとか文字そのものの話に振り切ったほうがよくない?とは思う
暗記しなくても解けるから楽
「行間読め」っていう教師がいたら「それはお前の妄想や」って無視すればいいんよ。ただ簡単とか勉強不要とか言ってるのはまるで分かってない。語彙力とか一定サイズの文から構造読みとく訓練は必要。
普通に選択肢をつくると正答率が高くなるから、あえて行間を読んだ微妙に外した答えを選択肢に入れたりするよね。作成者の気持ちはちょうどいい正答率になるか。
自分の著作が大学入試に使われたのでバカにしてやろうと解いてみたら正解の選択肢に続いて本文の次の章の論旨が書かれてさらに次の選択肢には参考文献の論旨が書かれてて思わず唸ったと。確か村上陽一郎だった記憶
変わった表現が「作者の意図を考えろ」っていう問題になってたとき、「これ作者の日本語間違いなんですよね。この動詞にこの修飾語はつけられません。嫌味な設問ですね〜」って解説してもらったの面白かったな…
現文のテストは答えが全部そこにあるから楽。古典と漢文はごめん。文法分かってないといかん。
作者の気持ちは文章中のどこかにきっと隠れてる。
じゃあ、「作者の気持ちを述べよ。」じゃなくて、「この文章は何を書いてあるか要約せよ」にせいよ。
原文を正しく理解するのは悪手。理解より点数。設問者が曲解している方向性をうまく推測して、設問者の望む回答を書くと得点できる。設問者の心理を優先するべき。模範解答を推定した上で、模範解答に合わせて書く。
まとめ読んでないけど、問題集一個で試験の解答の仕方を学んでそれ以降点数稼ぎに使えた。もう覚えてないけど、あの問題集には感謝しかない。横長で特殊な製本だったから今は無さそうだけど本当にありがとう
ごく最近、小学生の子どもの日本語のテストで見かけたのだが、そんな問題ないって言っている人たちはどういう情報源を基に言っているの?
「作者の気持ちを述べよ」なんて問題は出ないので、この手の話に賛同してる人は国語教育の記憶をなくしてるか、問題文の意図すら読めない人なんだろうなと思う。行間を読む以前にまず書かれていることを読め。
“(文章から読み取れる)作者の気持ち”を答えよと問うてるのだから、もし作者の気持ちが正解と異なっているとしたら、それは作者の文章力の問題で、読者に気持ちが伝わるように書けてないってことでは。
受験生時代に知りたかったやつ… 解答と全く異なる奇天烈な解釈を面白いと思ってた時代が懐かしい
国語の試験はその日本語を受信者としてどう解釈すべきか?しか問われないのに発信者の真意を問われていると思ってる人が多いのは端的に言って国語教育の失敗だと思うの。
文章から論理的に読み解けない設問、嫌い。雰囲気で想像できるやろって設問を易化しようとしてそういう設問になってるケースが多いと思うけど、「そんなん人それぞれやんけ」的なことにこだわってしまう
読者がどう感じたかは存在する、作者がどのような印象を与えたいかという筆致の後も存在する、テストでは出題者(テスト答案作成者)がどう読み取ってほしいかが書かれているので答え付きの問題集を買うこと。
作者の気持ちを述べよ、は問としておかしいんだよ この文章はどういう意図であるか要約せよって問題だったらみんなちゃんと答え出せると思う 作者の気持ちなんて曖昧に取れるモノを問題にするなって言ってんだよ
「作者の気持ちを述べよ」って問題がある場合、文中に作者の気持ちを解釈できる文が入っているよ。入ってないと問題作れないし、まして試験やら受験やらで使えないでしょ…。元々そんな曖昧なもんじゃないんだよ。
30過ぎて久しぶりにテストなんかやったらこういうミスやらかしちゃって散々だったの思い出した。そういやテストってのは教えられたことを教えられたとおりに書くゲームだった、と思い出してからは点数取れた。
「このときの作者の気持ちを述べよ」、本文中に書かれていることから探すのではなく、書かれてないとこを類推して書こうとして「わかるか!」ってなってるってこと?それはわかるわけないし正解になりようがない
「作者の気持ちを述べよ」という設問にあったことが無いし、実際の問題文を画像で上げてる人も見たことが無い。表現の解説や文章の解釈を問う設問を「作者の気持ちを述べよ」と理解する自他境界のない人が原因では。
あとほぼすべての文章には意図があるのでそれを読解させてるだけだろ。エッセイなら作者の気持ち答えさせるのはあると思うけど出題範囲で答えでるよね。あと締め切りやぶるのは作家より編集者のが多いです
受験国語は既にハックされつくして解法がロジカルに体系化されている。あとはそこから外れた微妙な問題を捨てる技術で合格点には届くのでそういうルールの競技をやっていると割り切れるかどうか。
で、そういう設問がいったい国語という教育の何を測ってるのかよくわからんのだよなぁ。「そのこと」とは何か、文中から抜き出して答えよ、くらいならわかるんだけど。
“私も行間を読んではいけないと分かってから現国の点数は爆上がりした ”→問題文が全てで、逆にいうとそれに必要なだけの答えこそが正答なんだよな。この理屈は小学6年の間に絶えず教えたほうがいいよな。
随筆や短歌のたぐいなら「作者の気持ちを答えよ」もあるんじゃないかな。
国語は文章が普通に理解できてるかを問うもの。「悲しい」と書いてあるのに「本当に悲しいかはわからん」とか言ってたらコミュニケーションとれないでしょ。それじゃ日常生活すらなりたたないよ。
聞かれたこと以外のことを答える人間いるからな。ワイも2通りの意味があるときトンチンカンに答えてしまうときあるし。
この話題がいつまでも続くのは、ほとんどの人は筆者と主張を分離できないってことなのかもしれないな。
「作者の気持ちを述べよ」系問題は、リプの国語教師の言う通り設問や文脈に沿って回答するもの。教育関係者には面倒がらずにそう発信し続けてもらいたい。
作者の気持ちではなくて、太郎はなぜ(ア)のような行動を取ったのか?みたいなのが多くない?基本的には、探せば文中にあるはずよ。
国語の問題の答えは全て文中に書いてある。行間を読んで考えなきゃと思ってしまう人は、文章をちゃんと読めてない、あるいは理解していないんだと思う。
だいたいは地の文に書いてあることを合成してそれっぽい答え作れってだけの問題だし、何が難しいのかわからん
これ実生活でも言えるよね。相手が求めてることを答えるのではなく、自分が喋りたいことを喋るやつ。いわゆる空気読めてないってやつ。
僕も中学の時同じ気持ちで教師に相談して「とても良い考え方だ」と褒められたが、試験の答え方は教えてくれなかったので成績は上がりませんでした
懐かしい、大学受験で出口先生の本に「答えは文章に書いてある」というような説明を見てから現国の点数伸びた記憶
"問題の対象の文章が、どのベクトルに向いている単語を使っているのか?(肯定か否定か?前向きか後ろ向きか?賛成か反対か?等)をドライに判断して、同じベクトルを向いている単語を使っている選択肢を選べ"
国語のテストは問題文を読んでから文章を読むんだよ。そうするとその場面を抜けばいいかわかる。国語は全て答えが書いてある。
書いてあること(言われたこと)をそのまま受け取り、答える練習だと教えている。書いてない言ってないことを勝手に想像して決めつけてキレることのなんと多いことか。
昔の国語は、授業では作者の気持ちを考えさせたり、情操教育みたいなことをしてて、入試になると論理的に解くことを要求されるミスマッチがあったからね。今の国語の教科書は論理的だよ。
この手の問題結構あった気がするけどなー。自分の記憶違いか?
実際にこの問題見た事ないんよね。
作者の気持ちを述べよではなくて、作中の登場人物の気持ちはどれか、みたいなのはあったような気がする。ブコメにもあるように答えは問題文の中にあるんだけどね
行間ていうか空欄。クイズや算数でおなじみの型にはめて作問しちゃうのね。「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」は 無鉄砲 ≒ 損 だのに、無鉄砲 × 子供の時から(現在) = 損(害規模)は?なの。解けんがな。
邪馬台国インドネシア説は異端すぎるw
NotebookLM思考という事だな
そもそも、作者の気持ちを述べよって問題あまりないような。この文書に書かれているのはどういう心情か、なのでは?両者は微妙に違う。
学習理解度を測るためではなく、試験のための設問感があってあまり好きじゃない(ブコメ作者の気持ち
基本的に論理的文章読解なんですよね。なのでもっと明示的に論理文章(マニュアルや法律文書等)の読解・作成に振り切ればいいのに、と思うんですが、それはそれで反対派がいそうな気も…笑
でもさ、おそらく行間を読んで失敗してる人は行間に書いてないことを読み取ってるのよ。
大学受験したの20年くらい前だけど、作者の気持ちを答えよという設問を見た記憶が無いな… もしや小説での登場人物の気持ちとか評論での作者の考え(意図)とかと混同してる?
試験テクニックとかの話ではなく、単にエスパー解釈はダメというだけの話と思っている
そんな悪問には出会ったこと無い。みんな国語嫌いなんだな。行間は読んではいけない。書かれている範囲外は出題されないので全て論理で解決できる。 作者の気持ちが出題者に代わったところで同じだろ
行間や前後を考えずに、書かれてあることを読んで答えろってことなんだろうし、リプつけてる人も行間を読むなと言っているんだけど、そんなことは元ポストは言っていないので忘れることにする。
論説文で「作者の考え」を尋ねることはあるし別に不当でもなんでもない。でも小説で「作者の気持ち」を尋ねる設問は、少なくとも自分は一度も見たことはない。これ藁人形の典型例だよ。
国語が苦手な人が言う「作者の気持ちを答えよ」なんて問題みたことないんだよな。地の文の「私」の心境とかは問題に出るけど、大抵その前の会話とか地の文に書かれてるので答えに窮することとかないし…
中高の頃は読書が好き(濫読と言ってもいいほど)だったけど国語のテストは苦手でした。1浪した時に予備校の国語の受験対策で同じ事を言われて成程そういう国語のパズルなんだと思ったら一気に点が良くなった。
テストの「作者の気持ちを述べよ」系の問題に疑問を抱いていたが、現国の先生のおかげで考え方が変わった「行間を読まずに設問を理解することが大事」
この手の問題って実際は「文章をちゃんと読めているか」を確認したいだけだから、こういう疑問が出てくる時点でほぼ「読めている」と思う。(読めていない人は本当に信じられない解釈をする)
そんなもの作者しかわかりません でいいよな
だったら現国を選択科目にして論国を必須にしろよ。
現国は問題文に答えが全部書かれているので、この手の疑問を持ったことはない。
「書かれていないことを読み取るな」という前提さえきちんとしてれば、かなり簡単に点数取れる科目だったな、現国って
ツイートに書いてないことを勝手に読み取りクソリプするのを防ぐ効果もある教えでは、
出題者が作者の気持ちと考えている事柄を選択肢から選べ(または引用文の記述を元に述べよ)、ただし出題者の考え方は設問から導出できるはずである、というのが国語の問題の構造なので
よく揶揄されてるけど作者の気持ちを想像して書けなんて問題ほぼないしな。作問者の意図も何も問題文を読んで聞かれていることを答えるだけよ。たまに何を聞きたいのかよくわからん問題が出てくることはある。
国語の問題の答えは本文中にあるなんて常識だと思ってたけど
いやそれこそ出題の行間読んでることになるでしょ納得いかないな
自分の意見を「私達は」という人に対する違和感
実在しないテストを題材にして教師や学校をバカにすることで溜飲を下げ偽りの優越感を得る低能向けエピソード。掛算順序問題も構造は同じ。 cf. https://finders.me/kqFQozU2Mg
なお、その発想に凝り固まったまま研究者になって文献研究に足を踏み入れると、まさに「書いた作者本人の気持ち」を類推して仮説立てるの世界なので「書いてないから分かりません」だとたいへんポンコツなことになる
現代国語や現代文は高校からで、中学ではたんに「国語」では?(枝葉)/「主人公の気持ちに当てはまるものはどれか」という問題はあっても「作者の気持ちを述べよ」ていうのは見たことがないなあ
実際に「作者の気持ちを述べよ」という設問を解いてみるとわかるが、大半は「このとき」と書かれた少し前に書かれた文を抜粋する問題でしかなく、行間は関係ない。単に文章の関連性を理解できてるか試しているだけ。
「作者の気持ちを述べよ」なんて作らないよ、国語のテストをけなすのに使われてるだけ。基本は「設問で聞かれたことに、本文から根拠をさがして、それを踏まえて答える」
「作者の気持ちを述べよ」という言い方が引っかかるんだよなあ。
そもそも最近の入試などで、「作者の気持ちを述べよ」と問うような漠とした設問ってよくあるものなの?問題の投げ方が変わったりしてないで。
気持ち→解釈、想定 「作者の」を省く 「文章から読み取れる」をつける はいると思う 気持ちだの用語が読書感想文などのクリエイティブ方面と重なっているのでロジカルに見る現代文では不親切に思えるな
登場人物の気持ちは文中から読み取れるとして、説明文での文章の意図を聞くのがせいぜいではないだろうか?
極端な場合として続編であの場面はウソだったとかなることだってありえるけど、問題文で提示してる範囲だけで考える。
そんな問題ほぼないし、こいつら作問者より自分の方が作者の気持ちがわかったつもりでいるの?自惚れも大概にしろ。書いてないこと勝手に想像して作者の意図を誤解しとるやろ。
「作者の気持ちを述べよ」系の問題、トゥギャッたんはけっこう得意だな〜!無意識に「作問者の求めている回答」を予想してるから…??
現代の小中学校の先生は、多様性に溢れるクラスでこの手の問題をどう指導しているのだろう
一周回って当たり前のことを言っている ⇒ 「設問を理解することが大事」
作中人物の気持ち問題は先生自作のテストにはよく出てきたな
自分が20年以上前に受験で使った予備校講師が書いた本にも同趣旨のことが書いてあったけど意外と知られてないのかしら?
「国語」の読解は本文を正確に書かれているままに読み取る技術であり書かれてもいない「作者の気持ち」なんぞを想像するとかいうファンタジーな問題はない。いつまでこういう国語を馬鹿にした嘘がはびこるのか。
なら学習指導要領とかで作者の意図を汲ませるような外面した問題は不適切とすべき。誰かわからない第三者に忖度する教科ならいらん、英語か数学させとけ
その手の設問って小説や随筆などの多様な解釈を許容する文章は使われないと教わって、それから気を付けてみると確かに評論や論説文が使われることが大半だったので、文句言ってるのはアホな子なんよね…
行間行間って言ってる人たち圏論大好きそう。対象と射に直接向き合えばいいのにすぐに関手関手言って対象と向き合う事しなさそう
作者の気持ちを述べよ、っていう問題はむか~しはあったらしいけど今はもうなくて、あるという人は記憶違いか都市伝説だと思うんよね 単に書かれていることを(常識の範囲内で)正確に読み取れるかどうか
作問者の気持ちを述べよ、て書けよ
凄いヒートアップしてる人が何人かいるけど、どの辺が逆鱗に触れたのかな。長文読解は勉強しなくても解けるんで大好き。
それで納得いく程度のことだったのかよ
この話題の時、大体セットで「書かれていないことを読み取るな」と言い出す人も現れるけど、特に公立小中学校の「学校の授業で」これが出てくることあったっけ?
こうした気持ちや言いたいことを推察する問題文、『書かれている文章の中から』行う必要があるという前提が無視されがち。文章内にまったく書かれていない感情を推察させるなら、それはただの悪問。
論文が入試の国語長文問題に使われたことあるけど、自分でこれ系が解けませんでした。そして、それこそが作者の手を離れた思わぬ発展で面白かった!
そんな問題が出ることがほんとに頻繁にあるかは別問題として、研究者になるにしても社会人になるにしても相手から得た資料の範囲から考えるのは重要な技術ですよ。「顧客が本当に欲しかったもの」の本質もこれですよ
本を読むの好きだけどこればっかりは野坂昭如が残した言葉が全てでしかない。
まぁ、でも「お前に作者のなにがわかってる!」って言いたくはなるよな
現国の問題は「根拠を探して書けゲーム」でしかなく、この時の登場人物や作者の気持ちが作中の別の箇所に別の表現で書いてあるから探せでしかない。人の気持ちの推察ゲームとかと勘違いしてる人多いよね
想像などではなく、本文中のどこかに作者(or登場人物)の感情が表現された部分が根気よく探せば必ずある。古文漢文と違って勉強しなくても解けるから現国は大好きだった
物理、数学なら「あの法則、公式覚えてますか?」だし、英語なら「あの単語、構文覚えてますか?」って問いかけに気付くかってことなんだよな。
機能性識字力を身につけるのが国語。機能性非識字かどうかを確認するのがテスト。
「わたしの最近の研究テーマは何か簡潔に記せ」って問題を出した教授が居た。授業に出てる学生が耳タコになってるくらい言及していれば出席点の代わりになるかもだが、授業としては低質。文系ならばぜんぜんアリ?
作者の気持ちを述べよってめちゃあった気がするけど、時代なのかな?
先生は正しい。この設問は「通常解釈された場合の作者の意図」をテキストから抽出させる訓練のテスト。世の中の標準的な想像(時には陳腐でも)を読み解くものですな
設問を理解できないので誤認してる可能性あるよな
気持ちを聞いてると誤読してるところから躓いてるよね | ライター岸田奈美さんの文章が入試問題になったって記事良かった。文章に書いてあることをしっかり解釈すること、そのための編集者の仕事についてのやつ
「作者の気持ちを述べよ」なんて問題文に出会った記憶がないんだが、ここ数十年の間、ネタで消費されるうちにマジでそういう問題を出す先生が現れるようになった、ってことなのかな?(自分の解釈を書けならわかる)
他の教科でも基本的には作問者の意図を理解して解答にするんだよ。普段のテストは基本的には学習したことが定着してるかを測定してるんだから。
まぁ聞かれたことに答えてくださいというのは至極当たり前のことよね。
「最近の小学校の運動会では徒競走の順位をつけずにお手手繋いでゴールさせるらしい!」程度の都市伝説と考えている→作者の気持ちを述べよ問題。皆無とまでは言えないだろうけど一般化できるほどじゃないでしょ。
行間(はっきり書かれてないが正常な言語能力があれば誰でも同じ認識になるもの)は読み取らないといけない。自分の感想や妄想はきちんと区別しなくてはいけない。そして、そもそも「作者の気持ち」など聞かれない。
「作者の気持ちを述べよ」なんて問題はないっていうのが、メタ的に国語力というものを表している
ドラゴン桜で国語教師がこの問題を取り上げていて、作者の気持ちを勝手に代弁したり断定したいしない曖昧さを残した選択肢こそがマルになると説明していたのはなるほどと思った。設問者も間違えられない。
なら、「作問者の考える作者の気持ちを述べよ」って問題にしてほしいなと思ってしまう
作者も解けなかった、みたいなネタがあるけど、現実にはほぼ100%解けるんだということを、ちゃんと言った方がいいと思う
国語が苦手だった俺もそうだった。代ゼミの酒井先生ありがとう。
気持ちを答えなさい問題、問題の文章を読めば答えが書いてあるはず、なんだけど、答えを見ても文章からどうにもその気持ちが読み取れない問題があって、あれは問題が悪いんだ、と思おうとしている。
雨が降っていれば登場人物像の心も雨、みたいなロジックで小説も評論文もかわりない
実際に出題されるのは、作者の気持ちではなくて登場人物の気持ちだと思われる。
“作者の気持ち」じゃなくて「出題者が考える作者の気持ち」と明記してもらわないと…(重箱の隅”
登場人物の気持ちを考えてみようは、教科書に書いてあったような。
一般的なモラルからズレる選択肢はまず外せという風には教えてもらった。
情緒の話は道徳でやって(そのために時間を増やしてもいい)、国語では文法のロジックとか文字そのものの話に振り切ったほうがよくない?とは思う
暗記しなくても解けるから楽
「行間読め」っていう教師がいたら「それはお前の妄想や」って無視すればいいんよ。ただ簡単とか勉強不要とか言ってるのはまるで分かってない。語彙力とか一定サイズの文から構造読みとく訓練は必要。
普通に選択肢をつくると正答率が高くなるから、あえて行間を読んだ微妙に外した答えを選択肢に入れたりするよね。作成者の気持ちはちょうどいい正答率になるか。
自分の著作が大学入試に使われたのでバカにしてやろうと解いてみたら正解の選択肢に続いて本文の次の章の論旨が書かれてさらに次の選択肢には参考文献の論旨が書かれてて思わず唸ったと。確か村上陽一郎だった記憶
変わった表現が「作者の意図を考えろ」っていう問題になってたとき、「これ作者の日本語間違いなんですよね。この動詞にこの修飾語はつけられません。嫌味な設問ですね〜」って解説してもらったの面白かったな…
現文のテストは答えが全部そこにあるから楽。古典と漢文はごめん。文法分かってないといかん。
作者の気持ちは文章中のどこかにきっと隠れてる。
じゃあ、「作者の気持ちを述べよ。」じゃなくて、「この文章は何を書いてあるか要約せよ」にせいよ。
原文を正しく理解するのは悪手。理解より点数。設問者が曲解している方向性をうまく推測して、設問者の望む回答を書くと得点できる。設問者の心理を優先するべき。模範解答を推定した上で、模範解答に合わせて書く。
まとめ読んでないけど、問題集一個で試験の解答の仕方を学んでそれ以降点数稼ぎに使えた。もう覚えてないけど、あの問題集には感謝しかない。横長で特殊な製本だったから今は無さそうだけど本当にありがとう
ごく最近、小学生の子どもの日本語のテストで見かけたのだが、そんな問題ないって言っている人たちはどういう情報源を基に言っているの?
「作者の気持ちを述べよ」なんて問題は出ないので、この手の話に賛同してる人は国語教育の記憶をなくしてるか、問題文の意図すら読めない人なんだろうなと思う。行間を読む以前にまず書かれていることを読め。
“(文章から読み取れる)作者の気持ち”を答えよと問うてるのだから、もし作者の気持ちが正解と異なっているとしたら、それは作者の文章力の問題で、読者に気持ちが伝わるように書けてないってことでは。
受験生時代に知りたかったやつ… 解答と全く異なる奇天烈な解釈を面白いと思ってた時代が懐かしい
国語の試験はその日本語を受信者としてどう解釈すべきか?しか問われないのに発信者の真意を問われていると思ってる人が多いのは端的に言って国語教育の失敗だと思うの。
文章から論理的に読み解けない設問、嫌い。雰囲気で想像できるやろって設問を易化しようとしてそういう設問になってるケースが多いと思うけど、「そんなん人それぞれやんけ」的なことにこだわってしまう
読者がどう感じたかは存在する、作者がどのような印象を与えたいかという筆致の後も存在する、テストでは出題者(テスト答案作成者)がどう読み取ってほしいかが書かれているので答え付きの問題集を買うこと。
作者の気持ちを述べよ、は問としておかしいんだよ この文章はどういう意図であるか要約せよって問題だったらみんなちゃんと答え出せると思う 作者の気持ちなんて曖昧に取れるモノを問題にするなって言ってんだよ
「作者の気持ちを述べよ」って問題がある場合、文中に作者の気持ちを解釈できる文が入っているよ。入ってないと問題作れないし、まして試験やら受験やらで使えないでしょ…。元々そんな曖昧なもんじゃないんだよ。
30過ぎて久しぶりにテストなんかやったらこういうミスやらかしちゃって散々だったの思い出した。そういやテストってのは教えられたことを教えられたとおりに書くゲームだった、と思い出してからは点数取れた。
「このときの作者の気持ちを述べよ」、本文中に書かれていることから探すのではなく、書かれてないとこを類推して書こうとして「わかるか!」ってなってるってこと?それはわかるわけないし正解になりようがない
「作者の気持ちを述べよ」という設問にあったことが無いし、実際の問題文を画像で上げてる人も見たことが無い。表現の解説や文章の解釈を問う設問を「作者の気持ちを述べよ」と理解する自他境界のない人が原因では。
あとほぼすべての文章には意図があるのでそれを読解させてるだけだろ。エッセイなら作者の気持ち答えさせるのはあると思うけど出題範囲で答えでるよね。あと締め切りやぶるのは作家より編集者のが多いです
受験国語は既にハックされつくして解法がロジカルに体系化されている。あとはそこから外れた微妙な問題を捨てる技術で合格点には届くのでそういうルールの競技をやっていると割り切れるかどうか。
で、そういう設問がいったい国語という教育の何を測ってるのかよくわからんのだよなぁ。「そのこと」とは何か、文中から抜き出して答えよ、くらいならわかるんだけど。
“私も行間を読んではいけないと分かってから現国の点数は爆上がりした ”→問題文が全てで、逆にいうとそれに必要なだけの答えこそが正答なんだよな。この理屈は小学6年の間に絶えず教えたほうがいいよな。
随筆や短歌のたぐいなら「作者の気持ちを答えよ」もあるんじゃないかな。
国語は文章が普通に理解できてるかを問うもの。「悲しい」と書いてあるのに「本当に悲しいかはわからん」とか言ってたらコミュニケーションとれないでしょ。それじゃ日常生活すらなりたたないよ。
聞かれたこと以外のことを答える人間いるからな。ワイも2通りの意味があるときトンチンカンに答えてしまうときあるし。
この話題がいつまでも続くのは、ほとんどの人は筆者と主張を分離できないってことなのかもしれないな。
「作者の気持ちを述べよ」系問題は、リプの国語教師の言う通り設問や文脈に沿って回答するもの。教育関係者には面倒がらずにそう発信し続けてもらいたい。
作者の気持ちではなくて、太郎はなぜ(ア)のような行動を取ったのか?みたいなのが多くない?基本的には、探せば文中にあるはずよ。
国語の問題の答えは全て文中に書いてある。行間を読んで考えなきゃと思ってしまう人は、文章をちゃんと読めてない、あるいは理解していないんだと思う。
だいたいは地の文に書いてあることを合成してそれっぽい答え作れってだけの問題だし、何が難しいのかわからん
これ実生活でも言えるよね。相手が求めてることを答えるのではなく、自分が喋りたいことを喋るやつ。いわゆる空気読めてないってやつ。
僕も中学の時同じ気持ちで教師に相談して「とても良い考え方だ」と褒められたが、試験の答え方は教えてくれなかったので成績は上がりませんでした
懐かしい、大学受験で出口先生の本に「答えは文章に書いてある」というような説明を見てから現国の点数伸びた記憶
"問題の対象の文章が、どのベクトルに向いている単語を使っているのか?(肯定か否定か?前向きか後ろ向きか?賛成か反対か?等)をドライに判断して、同じベクトルを向いている単語を使っている選択肢を選べ"
国語のテストは問題文を読んでから文章を読むんだよ。そうするとその場面を抜けばいいかわかる。国語は全て答えが書いてある。
書いてあること(言われたこと)をそのまま受け取り、答える練習だと教えている。書いてない言ってないことを勝手に想像して決めつけてキレることのなんと多いことか。
昔の国語は、授業では作者の気持ちを考えさせたり、情操教育みたいなことをしてて、入試になると論理的に解くことを要求されるミスマッチがあったからね。今の国語の教科書は論理的だよ。
この手の問題結構あった気がするけどなー。自分の記憶違いか?
実際にこの問題見た事ないんよね。
作者の気持ちを述べよではなくて、作中の登場人物の気持ちはどれか、みたいなのはあったような気がする。ブコメにもあるように答えは問題文の中にあるんだけどね
行間ていうか空欄。クイズや算数でおなじみの型にはめて作問しちゃうのね。「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」は 無鉄砲 ≒ 損 だのに、無鉄砲 × 子供の時から(現在) = 損(害規模)は?なの。解けんがな。
邪馬台国インドネシア説は異端すぎるw
NotebookLM思考という事だな
そもそも、作者の気持ちを述べよって問題あまりないような。この文書に書かれているのはどういう心情か、なのでは?両者は微妙に違う。
学習理解度を測るためではなく、試験のための設問感があってあまり好きじゃない(ブコメ作者の気持ち
基本的に論理的文章読解なんですよね。なのでもっと明示的に論理文章(マニュアルや法律文書等)の読解・作成に振り切ればいいのに、と思うんですが、それはそれで反対派がいそうな気も…笑
でもさ、おそらく行間を読んで失敗してる人は行間に書いてないことを読み取ってるのよ。
大学受験したの20年くらい前だけど、作者の気持ちを答えよという設問を見た記憶が無いな… もしや小説での登場人物の気持ちとか評論での作者の考え(意図)とかと混同してる?
試験テクニックとかの話ではなく、単にエスパー解釈はダメというだけの話と思っている
そんな悪問には出会ったこと無い。みんな国語嫌いなんだな。行間は読んではいけない。書かれている範囲外は出題されないので全て論理で解決できる。 作者の気持ちが出題者に代わったところで同じだろ
行間や前後を考えずに、書かれてあることを読んで答えろってことなんだろうし、リプつけてる人も行間を読むなと言っているんだけど、そんなことは元ポストは言っていないので忘れることにする。
論説文で「作者の考え」を尋ねることはあるし別に不当でもなんでもない。でも小説で「作者の気持ち」を尋ねる設問は、少なくとも自分は一度も見たことはない。これ藁人形の典型例だよ。
国語が苦手な人が言う「作者の気持ちを答えよ」なんて問題みたことないんだよな。地の文の「私」の心境とかは問題に出るけど、大抵その前の会話とか地の文に書かれてるので答えに窮することとかないし…
中高の頃は読書が好き(濫読と言ってもいいほど)だったけど国語のテストは苦手でした。1浪した時に予備校の国語の受験対策で同じ事を言われて成程そういう国語のパズルなんだと思ったら一気に点が良くなった。