朝日新聞社主催の一大イベント「朝日地球会議2024」について。真っ当な批判
“朝日新聞は、いったい誰と、何と共生するつもりなんだろう。 ……クマ?”
“輝かしい理念に続いて紹介される70人近い登壇者はすべて元気そうな人ばかり。障害当事者や家族あるいは支援者の立場の人すら一人もいないのです”この人の言葉は貴重だな.いい人に芥川賞を与えたと今でも思ってる.
結構グサグサくる。優しい、聞こえのいい言葉が包括する現実にはいつも血が流れている。取り扱う以上、その覚悟は問われるべき。
“「共生」の語を身体的弱者への想像力なしに、無思考に、ただの意識高いwokeのためのキラキラワードに貶(おとし)めてしまう「朝日地球会議2024」のセッション構成はありえなかったのではないですか?”
自社イベントに対するこの貴重な文章を自社新聞に全て無料で公開する朝日は良いと思う。高校野球といい自社内とも闘え。批判しろ。それが出来なきゃ自由な言論などと言えんだろう
これは「朝日ザマァw」ではなく私自身に向けられてる文章だと認識している。市川さんの言葉はいつも重く鋭い。
ぐうの音も出ないわ。ここまでまっとうにフルボッコ状態の批判ってなかなかないのでは。この人が芥川賞とってよかった。載せた朝日も(少し)偉い。
“クローズドな健常者ファーストの場を作っておいて、あたかもサポートのニーズが存在しないように見せかける、それのどこが「対話でさぐる 共生の未来」なのでしょうか。”
厳しいどころか具体的なアクセシビリティを求めていてめちゃくちゃ優しい提言だった。ここまで言わないとわかってもらえない、という苦労が見える。
おっしゃる通り。何にも付け足すことはなく恥じ入るのみ。
正論。障害者含めた共生のためには、社会全体で負担できる余剰資金、余剰労働力が必要だが、それが無くなってきているのが、今の日本。はてぶで評判の悪い無償労働(やりがい搾取)のような犠牲が無いと成立しない。
これを掲載したこと「だけ」は偉いと思ふけれども。リンク先の「朝日地球会議をより開かれたものにするための取り組み」とやらを見て暗澹となつた。これを目にした市川氏の心情は怖いから聞きたくない。
特に響いていないようだが https://www.asahi.com/articles/AST9B34Z8T9BULZU002M.html
れいわ支持はしないけどれいわがALS罹患者の候補を立てたのは大きな功績だと思う。
マスコミにクマが紛れ込んでいる疑いが一層濃くなった
ぐうの音も出ないな。言葉に力がある。
完封された感じ/載せた朝日はほんのほんの少し変化してる感じも…外から崩したいと願う記者がいるのかな等想像/地球環境とか言って我々に据わりよく見せないとイベントスポンサーが集まらんという我々の問題
残念ながら嗜好品の選択肢の問題は「矮小化」ではなく最も切実かつ重要な点(もはや付加価値の創造を続けれなければ社会そのものが持続不可能)なので。必要不可欠ではなく嗜好品が社会を支えてる
コロナ禍はいろんな面で大きな影響があったようですが、この記事を読むまで、障碍者がどんなつらい目にあったかは知らされていなかった。朝日は市川沙央を呼べばよかったのに、リモートででも話を聞けただろうに。
言葉もございません。ハンディキャップを持つ人はただ出掛けるだけで何回事前に問合せして何回ありがとうごめんなさいって頼み事しないといけないのか…そんなん疲れるし擦り切れるわ。
すごい、言葉の力
痛烈だけど、具体的で相手のことをを考えた批判に見えた。
さすが芥川賞作家。言葉のプロで読みやすい。教科書に載せたい。
植松聖死刑囚「社会保障に多額のお金をかけてる現実をあなたはどう思うんですか?日本の借金だってこれ以上もう無理ですよ。そもそも借金で何かをするということ自体、考えられないですよ」https://maga9.jp/181017-2/
Wokeはジェンダーや人種概念で編まれた専制でそれが勝手にやってる弱者の選択と集中には何の普遍性もないが、にしても障害者ですら排除されるのはなんなんだろうね。/「乗っ取り」は確かにどこかで起きたんだろうなぁ
この切れ味よ。読んで真っ先に「この人は信用できる」という不思議な感覚になった。そして善し悪しはさておき朝日がこれを掲載したという事実も記憶しておきたい…と思ったが最後に2025年度の告知をぶっこんでるやん
俺の記憶における範囲でいうと「朝日はこの手の批判は載せる」方向、だけどなぜか結局は改善されないし改善されてもすぐ戻る。朝日新聞が首脳陣に女性を入れていないのは有名(最後の社主が女性で対立していた)
”誤解のないように言っておきます。私は障害者への配慮の不足を批判しているのではない。「共生」という語をめぐる思考の不徹底を問うているのです。”
これはあらゆるイベントに通じる。朝日新聞だけじゃない。自己満足に陥ってないか。
いま日本で いちばん影響力のある障害者の ひとり。すでに読書バリアフリーの分野では かなり波及効果があった。
しかしよく市川さんに寄稿を依頼したな。どの面下げてと言われてもまったく不思議じゃない。社内にも問題意識を持っていた人がいて恥を忍んで…なんだろうか。
正直なところ朝日以外がこの手の催し物をすると思えないので(やるとしたらNHK)他よりマシとも思える反面その朝日がコレかよという台無し感が酷くて。
「朝日新聞は、いったい誰と、何と共生するつもりなんだろう。……クマ?」面白すぎるw
「朝日地球会議2025」では、共生の単語を削除しましたってこと?https://www.asahi.com/eco/awf/program/
2025をこれからやるタイミングで2024の痛烈な批判を掲載するんだ。2025では改善されてるから?と思いきやコメントある通りテーマから共生の言葉自体なくなってる。「多様性」にも障害者出てきてない。
「とは言っても生産性のない人たちを養い続ける余裕など今の日本にはないよ」みたいな気持ちの人は多いのではないでしょうか?先の選挙の結果からしても。僕はいずれ野垂れ死ぬでしょうが爪痕くらいは残したいですね
“障害者を対話から排除し、人手不足が及ぼす今日明日の生活の不安、生存権すらおぼつかないかもしれない未来への危機感を、健常者の感覚で嗜好品の選択肢の問題に矮小化してしまうとは、あまりにも恥ずべき簒奪”
「市川沙央さんからいただいたご指摘への朝日新聞社の受け止めと、朝日地球会議をより開かれたものにするための取り組みを説明します」
面白いギャグ飛ばしてるのに社会問題に関心が低いはてなではあんまうけなかったか。
批判を掲載しつつ、対応策も別ページで載せているので「対話」が成り立っている希望がある。間違うことはあるけれど、声をあげ、声を受け止めれば少しずつ世界は良くなるのではないか。声をあげるのも大変だが。
真剣にクマや不法滞在者と共生しようとしている人もいるというのに
まっとうな批判。リベラル・人権派を辞任する社風なら、障害者の知る権利にも配慮して、アクセシビリティーきちんと担保しろよ。
「朝日地球会議2025」を来月に控えたこの時期にこの寄稿は実に辛辣。朝日は色々やると言っているが、パネラーや内容の大幅変更は多分不可能だろう。これは是が非でも視聴したいとの出歯亀根性が抑えられない。
“何と共生するつもりなんだろう。……クマ?”
熊森協会さ〜ん、朝日と作家がお前らばかにしてますよ〜
非常に説得力がある 文章も読みやすいが力強く!ぐいぐい読んでしまう
「朝日新聞は、いったい誰と、何と共生するつもりなんだろう。……クマ?」から始まる苦言
対応策とかかいてあるけど、結局セッションのテーマにはなってないし登壇者に障害当事者もいないし、合理的配慮については掲載するんじゃなくて問い合わせてって感じ?
山本党は偉いという人気コメに☆をつけたが、偉かったが正しい。先の選挙では、木村さんへの票が先ず伊勢崎の肥やしになる比例名簿に激怒した人も多かったのでは。/"日本は「相模原障害者施設殺傷事件」という…"
“「共生」への取り組み強化 市川沙央さんの朝日地球会議への指摘受け”のリンク先を読んで、すごくがっかりした。市川氏のこの熱量、この搾り出すような切実さと比べ、なんと薄くて軽いのだろう…。
“関心は、生産力とサービスが縮小して服装や嗜好(しこう)品の選択肢が減ってしまう未来を受け入れて楽しめるかどうか、ということにあるらしい。”
"あの日、2016年7月26日に、何人が殺され、何人が傷を負ったか"。19人が刺されて亡くなり、26人が重軽傷を負った。
このOp-Edへのリプライがコレならば朝日新聞は終了だ https://archive.md/OjfDb 「共生」イベントの8かけ社会がこれでは単なるミニマリストだ https://archive.md/lY83J 「だれ一人とり残さない」も薄ら寒い、どういう意味なんだろね。
掲載してネットで全文公開した朝日新聞の矜持を今回は讃えたいと思う。批判や異論に対峙することは今リベラル側に一番欠けている精神だと思っているので/せめてZ武でもねじ込んでおけばよかったのにね
市川さんの言葉ではないけど、響いたわ。「社会はすでに、私たちを切り捨てることを選んで、そうしても痛まない心をコロナ禍という非常時の経験から手に入れたのではないか、と。」
“ただでさえ障害者はどこへ行こうとしても下調べと事前連絡を課され〈問い合わせ疲れ〉をしています。そもそもドアが開いているかどうか分からない場所に、必要もないのにわざわざ行ってみようとは思わないでしょう
共生を考えるはずの場で、「いないこと」にされている絶望。いろんな局面でいろんな当事者にありそう
この人の皮肉はパンチが効いていて良い
わりと真面目に熊との共生考えるセッションあってもよくない?
東京都心の障害者の率って周りと比べてどうなんでしょね(日常的に見かける・見かけない)/当事者から「ただの意識高いwokeのためのキラキラワード」と言われておる。。
凄い。徹頭徹尾、隙のない文章。
“マイノリティの訴える困難や課題が、マジョリティの関心事にいつのまにかすり替えられ、小さく弱い声がかき消されてしまうのは、非常によくあることです。マイノリティの運動の簒奪(さんだつ)”
〈「共生」という語をめぐる思考の不徹底〉耳が痛い。見ようとしなければ見えない、見ようとしてもなお思考を徹底しなければこぼれ落ちてしまう。
染みる。
“誤解のないように言っておきます。私は障害者への配慮の不足を批判しているのではない。 「共生」という語をめぐる思考の不徹底を問うているのです。”
自分に都合のいい「共生」は共生たりえるのだろうか https://bunshun.jp/articles/-/73450
“聴衆に聞こえや認知のアクセシビリティを保障する意志も感じられない「対話でさぐる 共生の未来」。朝日新聞は、いったい誰と、何と共生するつもりなんだろう。 ……クマ? ”皮肉のホームランや……
とはいえ自分には朝日新聞を強く批判できない。自戒すべきことも多い。
めちゃめちゃ嫌味が効いててこれはひどい(褒)。それと、こういう自社批判もきちんと載せます朝日新聞、の文脈に乗せられることも分かって書いてるのが強い。|アクセシビリティレベルの怒られは主催者の見識問題
正しさの化け物?
流石は小説家。文章でボコしに来るストロングスタイルカッコ良過ぎる
ALTテキストちゃんとつけようと思った…
読むだけで自分の手が目が口が血にまみれていることに自覚させられる文章。弱ってる方は読まないほうがいい、それこそ健常者向けのテキストだと感じた。
>>マイノリティの訴える困難や課題が、マジョリティの関心事にいつのまにかすり替えられ、小さく弱い声がかき消されてしまうのは、非常によくあることです。
この痛烈なパンチを自分のとこに載せるってことは、少しはマトモな人たちがまだ中にいるってこと?
これ読んでスカッとしてるだけじゃダメなんやないの。私らも。
本来は障害者が対象だった「共生」というキーワードを、障害者が排除されたキラキラWOKEなイベントに使う朝日新聞の構図はグロい。そりゃリベラルとしても耳に痛いド正論パンチでしょうね、これは……
100%賛同するわけではないが、さすが作家。文書が上手い。
共生だの弱者支援だのが「いいことしてるアテクシ」や何かを糾弾するための棍棒的要素があったりすると軸がブレるんじゃないかとか。
“あのクオリティーペーパー朝日新聞”正面からのDIS。剣よりも強い物でぶん殴るなぁ。
「健常な身体を持った人だけを76人も集めて、聴衆に聞こえや認知のアクセシビリティを保障する意志も感じられない「対話でさぐる 共生の未来」。朝日新聞は、いったい誰と、何と共生するつもり」
『ただでさえ障害者はどこへ行こうとしても下調べと事前連絡を課され〈問い合わせ疲れ〉をしています。』など数々の指摘を受けての朝日新聞社の対応がまた……
健常者の目線だけではわからないよね。読んで、申し訳なくなった。
“私は障害者への配慮の不足を批判しているのではない。「共生」という語をめぐる思考の不徹底を問うているのです。”俺が主催者側だったらふとした時にこの批判を思い出してうわーってなるのが一生続くだろうなあ
重要な指摘なのですが、朝日新聞がただアリバイ作りのために掲載しただけではなく、ちゃんと変わっていくことが大事かと思います。
“私自身は楽天家のうえ日本社会をどこか堅固に信頼しているので今まであまりそういうふうには考えなかったのですが、” (中略) "私にはもう、未来に期待する気力が残っていません。"
久々の単行本が月末に。→https://www.amazon.co.jp/dp/B0FQMWN84J?ref_=ast_author_dp&dib=eyJ2IjoiMSJ9.fLDujyuhoXaMrkPagqE7Iy4O5rFaw64XqfNWOwBJxZnGjHj071QN20LucGBJIEps.yrBCAodXYqdkuY5A4BvDbTbvNeMBAXCvXYtNqXdMy9c&dib_tag=AUTHOR
そうです、おっしゃる通りです。多くの人にとって、人ごとなのです。マスコミも例に違わないでしょう。どうしたら、いいんでしょうか。
「しかしよりによって〈共生〉という言葉を(略)生存権すらおぼつかないかもしれない未来への危機感を(略)嗜好品の選択肢の問題に矮小化してしまうとは、あまりにも恥ずべき簒奪だと思いませんか」・・あああ。
噴飯モノ。障害者も健常者と同じ国全体の場で対話する機会を唯一設けたのがれいわ新選組。本当に共生を議論したいなら障害者は全員れいわを支持すべきだったが結果はご覧の通り。障害者も結局優遇されたいだけの欲深
“自分と同じ属性、似た経験、自分が共感できる課題、聞きやすい声、話しやすい人。すべてその逆にある障害者はいつものように、いないことにされ、「共生」の輪からも消された。
https://x.gd/zo3MP https://x.gd/Qqws9 本当に怖いのはこういう包摂を訴える右翼>軟弱を気取る文化系の皆さんが蛇蝎の如く憎むスポーツ界のほうが、よっぽどその一隅に障害者の活躍の場を用意しているじゃないですか
奪われた「共生」の言葉 障害者なき対話に市川沙央さんは思う:朝日新聞
朝日新聞社主催の一大イベント「朝日地球会議2024」について。真っ当な批判
“朝日新聞は、いったい誰と、何と共生するつもりなんだろう。 ……クマ?”
“輝かしい理念に続いて紹介される70人近い登壇者はすべて元気そうな人ばかり。障害当事者や家族あるいは支援者の立場の人すら一人もいないのです”この人の言葉は貴重だな.いい人に芥川賞を与えたと今でも思ってる.
結構グサグサくる。優しい、聞こえのいい言葉が包括する現実にはいつも血が流れている。取り扱う以上、その覚悟は問われるべき。
“「共生」の語を身体的弱者への想像力なしに、無思考に、ただの意識高いwokeのためのキラキラワードに貶(おとし)めてしまう「朝日地球会議2024」のセッション構成はありえなかったのではないですか?”
自社イベントに対するこの貴重な文章を自社新聞に全て無料で公開する朝日は良いと思う。高校野球といい自社内とも闘え。批判しろ。それが出来なきゃ自由な言論などと言えんだろう
これは「朝日ザマァw」ではなく私自身に向けられてる文章だと認識している。市川さんの言葉はいつも重く鋭い。
ぐうの音も出ないわ。ここまでまっとうにフルボッコ状態の批判ってなかなかないのでは。この人が芥川賞とってよかった。載せた朝日も(少し)偉い。
“クローズドな健常者ファーストの場を作っておいて、あたかもサポートのニーズが存在しないように見せかける、それのどこが「対話でさぐる 共生の未来」なのでしょうか。”
厳しいどころか具体的なアクセシビリティを求めていてめちゃくちゃ優しい提言だった。ここまで言わないとわかってもらえない、という苦労が見える。
おっしゃる通り。何にも付け足すことはなく恥じ入るのみ。
正論。障害者含めた共生のためには、社会全体で負担できる余剰資金、余剰労働力が必要だが、それが無くなってきているのが、今の日本。はてぶで評判の悪い無償労働(やりがい搾取)のような犠牲が無いと成立しない。
これを掲載したこと「だけ」は偉いと思ふけれども。リンク先の「朝日地球会議をより開かれたものにするための取り組み」とやらを見て暗澹となつた。これを目にした市川氏の心情は怖いから聞きたくない。
特に響いていないようだが https://www.asahi.com/articles/AST9B34Z8T9BULZU002M.html
れいわ支持はしないけどれいわがALS罹患者の候補を立てたのは大きな功績だと思う。
マスコミにクマが紛れ込んでいる疑いが一層濃くなった
ぐうの音も出ないな。言葉に力がある。
完封された感じ/載せた朝日はほんのほんの少し変化してる感じも…外から崩したいと願う記者がいるのかな等想像/地球環境とか言って我々に据わりよく見せないとイベントスポンサーが集まらんという我々の問題
残念ながら嗜好品の選択肢の問題は「矮小化」ではなく最も切実かつ重要な点(もはや付加価値の創造を続けれなければ社会そのものが持続不可能)なので。必要不可欠ではなく嗜好品が社会を支えてる
コロナ禍はいろんな面で大きな影響があったようですが、この記事を読むまで、障碍者がどんなつらい目にあったかは知らされていなかった。朝日は市川沙央を呼べばよかったのに、リモートででも話を聞けただろうに。
言葉もございません。ハンディキャップを持つ人はただ出掛けるだけで何回事前に問合せして何回ありがとうごめんなさいって頼み事しないといけないのか…そんなん疲れるし擦り切れるわ。
すごい、言葉の力
痛烈だけど、具体的で相手のことをを考えた批判に見えた。
さすが芥川賞作家。言葉のプロで読みやすい。教科書に載せたい。
植松聖死刑囚「社会保障に多額のお金をかけてる現実をあなたはどう思うんですか?日本の借金だってこれ以上もう無理ですよ。そもそも借金で何かをするということ自体、考えられないですよ」https://maga9.jp/181017-2/
Wokeはジェンダーや人種概念で編まれた専制でそれが勝手にやってる弱者の選択と集中には何の普遍性もないが、にしても障害者ですら排除されるのはなんなんだろうね。/「乗っ取り」は確かにどこかで起きたんだろうなぁ
この切れ味よ。読んで真っ先に「この人は信用できる」という不思議な感覚になった。そして善し悪しはさておき朝日がこれを掲載したという事実も記憶しておきたい…と思ったが最後に2025年度の告知をぶっこんでるやん
俺の記憶における範囲でいうと「朝日はこの手の批判は載せる」方向、だけどなぜか結局は改善されないし改善されてもすぐ戻る。朝日新聞が首脳陣に女性を入れていないのは有名(最後の社主が女性で対立していた)
”誤解のないように言っておきます。私は障害者への配慮の不足を批判しているのではない。「共生」という語をめぐる思考の不徹底を問うているのです。”
これはあらゆるイベントに通じる。朝日新聞だけじゃない。自己満足に陥ってないか。
いま日本で いちばん影響力のある障害者の ひとり。すでに読書バリアフリーの分野では かなり波及効果があった。
しかしよく市川さんに寄稿を依頼したな。どの面下げてと言われてもまったく不思議じゃない。社内にも問題意識を持っていた人がいて恥を忍んで…なんだろうか。
正直なところ朝日以外がこの手の催し物をすると思えないので(やるとしたらNHK)他よりマシとも思える反面その朝日がコレかよという台無し感が酷くて。
「朝日新聞は、いったい誰と、何と共生するつもりなんだろう。……クマ?」面白すぎるw
「朝日地球会議2025」では、共生の単語を削除しましたってこと?https://www.asahi.com/eco/awf/program/
2025をこれからやるタイミングで2024の痛烈な批判を掲載するんだ。2025では改善されてるから?と思いきやコメントある通りテーマから共生の言葉自体なくなってる。「多様性」にも障害者出てきてない。
「とは言っても生産性のない人たちを養い続ける余裕など今の日本にはないよ」みたいな気持ちの人は多いのではないでしょうか?先の選挙の結果からしても。僕はいずれ野垂れ死ぬでしょうが爪痕くらいは残したいですね
“障害者を対話から排除し、人手不足が及ぼす今日明日の生活の不安、生存権すらおぼつかないかもしれない未来への危機感を、健常者の感覚で嗜好品の選択肢の問題に矮小化してしまうとは、あまりにも恥ずべき簒奪”
「市川沙央さんからいただいたご指摘への朝日新聞社の受け止めと、朝日地球会議をより開かれたものにするための取り組みを説明します」
面白いギャグ飛ばしてるのに社会問題に関心が低いはてなではあんまうけなかったか。
批判を掲載しつつ、対応策も別ページで載せているので「対話」が成り立っている希望がある。間違うことはあるけれど、声をあげ、声を受け止めれば少しずつ世界は良くなるのではないか。声をあげるのも大変だが。
真剣にクマや不法滞在者と共生しようとしている人もいるというのに
まっとうな批判。リベラル・人権派を辞任する社風なら、障害者の知る権利にも配慮して、アクセシビリティーきちんと担保しろよ。
「朝日地球会議2025」を来月に控えたこの時期にこの寄稿は実に辛辣。朝日は色々やると言っているが、パネラーや内容の大幅変更は多分不可能だろう。これは是が非でも視聴したいとの出歯亀根性が抑えられない。
“何と共生するつもりなんだろう。……クマ?”
熊森協会さ〜ん、朝日と作家がお前らばかにしてますよ〜
非常に説得力がある 文章も読みやすいが力強く!ぐいぐい読んでしまう
「朝日新聞は、いったい誰と、何と共生するつもりなんだろう。……クマ?」から始まる苦言
対応策とかかいてあるけど、結局セッションのテーマにはなってないし登壇者に障害当事者もいないし、合理的配慮については掲載するんじゃなくて問い合わせてって感じ?
山本党は偉いという人気コメに☆をつけたが、偉かったが正しい。先の選挙では、木村さんへの票が先ず伊勢崎の肥やしになる比例名簿に激怒した人も多かったのでは。/"日本は「相模原障害者施設殺傷事件」という…"
“「共生」への取り組み強化 市川沙央さんの朝日地球会議への指摘受け”のリンク先を読んで、すごくがっかりした。市川氏のこの熱量、この搾り出すような切実さと比べ、なんと薄くて軽いのだろう…。
“関心は、生産力とサービスが縮小して服装や嗜好(しこう)品の選択肢が減ってしまう未来を受け入れて楽しめるかどうか、ということにあるらしい。”
"あの日、2016年7月26日に、何人が殺され、何人が傷を負ったか"。19人が刺されて亡くなり、26人が重軽傷を負った。
このOp-Edへのリプライがコレならば朝日新聞は終了だ https://archive.md/OjfDb 「共生」イベントの8かけ社会がこれでは単なるミニマリストだ https://archive.md/lY83J 「だれ一人とり残さない」も薄ら寒い、どういう意味なんだろね。
掲載してネットで全文公開した朝日新聞の矜持を今回は讃えたいと思う。批判や異論に対峙することは今リベラル側に一番欠けている精神だと思っているので/せめてZ武でもねじ込んでおけばよかったのにね
市川さんの言葉ではないけど、響いたわ。「社会はすでに、私たちを切り捨てることを選んで、そうしても痛まない心をコロナ禍という非常時の経験から手に入れたのではないか、と。」
“ただでさえ障害者はどこへ行こうとしても下調べと事前連絡を課され〈問い合わせ疲れ〉をしています。そもそもドアが開いているかどうか分からない場所に、必要もないのにわざわざ行ってみようとは思わないでしょう
共生を考えるはずの場で、「いないこと」にされている絶望。いろんな局面でいろんな当事者にありそう
この人の皮肉はパンチが効いていて良い
わりと真面目に熊との共生考えるセッションあってもよくない?
東京都心の障害者の率って周りと比べてどうなんでしょね(日常的に見かける・見かけない)/当事者から「ただの意識高いwokeのためのキラキラワード」と言われておる。。
凄い。徹頭徹尾、隙のない文章。
“マイノリティの訴える困難や課題が、マジョリティの関心事にいつのまにかすり替えられ、小さく弱い声がかき消されてしまうのは、非常によくあることです。マイノリティの運動の簒奪(さんだつ)”
〈「共生」という語をめぐる思考の不徹底〉耳が痛い。見ようとしなければ見えない、見ようとしてもなお思考を徹底しなければこぼれ落ちてしまう。
染みる。
“誤解のないように言っておきます。私は障害者への配慮の不足を批判しているのではない。 「共生」という語をめぐる思考の不徹底を問うているのです。”
自分に都合のいい「共生」は共生たりえるのだろうか https://bunshun.jp/articles/-/73450
“聴衆に聞こえや認知のアクセシビリティを保障する意志も感じられない「対話でさぐる 共生の未来」。朝日新聞は、いったい誰と、何と共生するつもりなんだろう。 ……クマ? ”皮肉のホームランや……
とはいえ自分には朝日新聞を強く批判できない。自戒すべきことも多い。
めちゃめちゃ嫌味が効いててこれはひどい(褒)。それと、こういう自社批判もきちんと載せます朝日新聞、の文脈に乗せられることも分かって書いてるのが強い。|アクセシビリティレベルの怒られは主催者の見識問題
正しさの化け物?
流石は小説家。文章でボコしに来るストロングスタイルカッコ良過ぎる
ALTテキストちゃんとつけようと思った…
読むだけで自分の手が目が口が血にまみれていることに自覚させられる文章。弱ってる方は読まないほうがいい、それこそ健常者向けのテキストだと感じた。
>>マイノリティの訴える困難や課題が、マジョリティの関心事にいつのまにかすり替えられ、小さく弱い声がかき消されてしまうのは、非常によくあることです。
この痛烈なパンチを自分のとこに載せるってことは、少しはマトモな人たちがまだ中にいるってこと?
これ読んでスカッとしてるだけじゃダメなんやないの。私らも。
本来は障害者が対象だった「共生」というキーワードを、障害者が排除されたキラキラWOKEなイベントに使う朝日新聞の構図はグロい。そりゃリベラルとしても耳に痛いド正論パンチでしょうね、これは……
100%賛同するわけではないが、さすが作家。文書が上手い。
共生だの弱者支援だのが「いいことしてるアテクシ」や何かを糾弾するための棍棒的要素があったりすると軸がブレるんじゃないかとか。
“あのクオリティーペーパー朝日新聞”正面からのDIS。剣よりも強い物でぶん殴るなぁ。
「健常な身体を持った人だけを76人も集めて、聴衆に聞こえや認知のアクセシビリティを保障する意志も感じられない「対話でさぐる 共生の未来」。朝日新聞は、いったい誰と、何と共生するつもり」
『ただでさえ障害者はどこへ行こうとしても下調べと事前連絡を課され〈問い合わせ疲れ〉をしています。』など数々の指摘を受けての朝日新聞社の対応がまた……
健常者の目線だけではわからないよね。読んで、申し訳なくなった。
“私は障害者への配慮の不足を批判しているのではない。「共生」という語をめぐる思考の不徹底を問うているのです。”俺が主催者側だったらふとした時にこの批判を思い出してうわーってなるのが一生続くだろうなあ
重要な指摘なのですが、朝日新聞がただアリバイ作りのために掲載しただけではなく、ちゃんと変わっていくことが大事かと思います。
“私自身は楽天家のうえ日本社会をどこか堅固に信頼しているので今まであまりそういうふうには考えなかったのですが、” (中略) "私にはもう、未来に期待する気力が残っていません。"
久々の単行本が月末に。→https://www.amazon.co.jp/dp/B0FQMWN84J?ref_=ast_author_dp&dib=eyJ2IjoiMSJ9.fLDujyuhoXaMrkPagqE7Iy4O5rFaw64XqfNWOwBJxZnGjHj071QN20LucGBJIEps.yrBCAodXYqdkuY5A4BvDbTbvNeMBAXCvXYtNqXdMy9c&dib_tag=AUTHOR
そうです、おっしゃる通りです。多くの人にとって、人ごとなのです。マスコミも例に違わないでしょう。どうしたら、いいんでしょうか。
「しかしよりによって〈共生〉という言葉を(略)生存権すらおぼつかないかもしれない未来への危機感を(略)嗜好品の選択肢の問題に矮小化してしまうとは、あまりにも恥ずべき簒奪だと思いませんか」・・あああ。
噴飯モノ。障害者も健常者と同じ国全体の場で対話する機会を唯一設けたのがれいわ新選組。本当に共生を議論したいなら障害者は全員れいわを支持すべきだったが結果はご覧の通り。障害者も結局優遇されたいだけの欲深
“自分と同じ属性、似た経験、自分が共感できる課題、聞きやすい声、話しやすい人。すべてその逆にある障害者はいつものように、いないことにされ、「共生」の輪からも消された。
https://x.gd/zo3MP https://x.gd/Qqws9 本当に怖いのはこういう包摂を訴える右翼>軟弱を気取る文化系の皆さんが蛇蝎の如く憎むスポーツ界のほうが、よっぽどその一隅に障害者の活躍の場を用意しているじゃないですか