法律の根源は「殴られたくない」、「盗まれたくない」、「殺されたくない」とかいうお気持ちやと思うのだけれど、法の起源について学ぶまで手が回らない
さっき、科学主義と古典的自由主義の関係を調べてたら、「互いに影響を与え合い、近代社会の発展に貢献(…)。科学主義は、客観的な知識と合理的な思考を重視し、自由主義は、個人の自由と選択を尊重」とあったよ。
法律になったお気持ちとなっていないお気持ちがある。
過半数取ってから言えよ
特許法ですら思想だって言ってるしな。お気持ちとプラスアルファなそれっぽい根拠がある(´・_・`)“自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度なもの”
「まだ捕まってない詐欺師」みたいな言い方
「集合体」というより「ぶつかり合い」の結果なんじゃないかね?集合体になるのは無理でしょう
『法が人を守るんじゃない。人が法を守るんです。これまで悪を憎んで正しい生き方を探し求めてきた人々の思いが、その積み重ねが法なんです。』/大事なのは「みんなの思い」であって「あなたのお気持ち」ではない
ニーチェが言ってた「正義なんてのは政治」という言葉が真実になるのは、飲酒運転で人が死んだから厳罰を!が日本でも実際その方向で法律改正があったことからも明らか。そして民主主義はお気持ちをより加速しちゃう
継続性(歴史とお気持ち)と論理性と普遍性(笑)の妥協やからね ( ˘ω˘ )
それがいやだから思想が著しく偏ってて他者へ慮ることができなく想像力がなくて声が大きくてそこそこ権力を持ってて行動力がある阿呆が怖い。
それが英米法で、同性愛はキモいというお気持ちを反映して近年まで同性愛は犯罪だった。大陸法では保護法益という概念が生まれて保護法益を侵害しなければ規制すべきではないということになっている。
そうだよ。裁判員制度なんて、極端に言うと、庶民のお気持ちと法曹(エリート)のお気持ちが乖離する不都合を解消しましょうっていう趣旨で出来てるからね。法はコミュニティを潤滑に運営するためにあるから仕方ない。
明文化されたお気持ちってこと?
基本的人権も
集合体と単独のものは明らかに違うだろ。お米粒とおにぎり。ひき肉のかけらとハンバーグ。たけしとたけし軍団。
かの国には国民情緒法というのがあってだな
法が対象とするのは人間であって、なら人間のお気持ち以外に一体なにがあると思うのか? 法など生まれる前から人間は存在しており、つまり自然的・自然科学的な根拠などないよ。
誰か権力を持った個人の「お気持ち」で物事の是非が決まってしまう社会は危ないので、みんなの「お気持ち」の集合体を形にしたのが法律、という意味では合ってる。
概ねそうなんだけど、だからこそ憲法で制約してみたり、表現の自由に支えられた熟議(少数派の意見もしっかりと聞いて議論する必要)が求められたり。2次エロも、反ワクチンも、宗教的信念も。
アホか。“2次エロ絵がダメだーってお気持ち人が~過半数になったら多分法律になるよな…?”じゃなくて、「それをしちゃだめだよ」ってのが「表現の自由」やろが。後、正道な「お気持ち」の集合は「市場」のほう。
正確には上級国民のお気持ちの集合体かな。
あくまで自分が規制を「する側」にいるって発想なんだよな。
法律というものは、社会のお気持ちが形を成したものとも言えますわね。時代と共に変わるその姿、季節の移ろいのようですわ。
違法にするかどうかには理論とか理念も入ってるけど、量刑に関してはお気持ち成分多めな感じではある。尊属殺重罰規定があったのもなくなったのもお気持ちがベースだし。
平等・比例なき法律は信頼性が喪失するため『憲法』が存在する。もっとも、日本国憲法は『本来善良な日本人は悪い軍国主義者の暴走で戦争しちゃった。言論、宗教及思想の自由がないせいやな』というGHQのお気持ち製
この世のあらゆるルールは集団や個人のお気持ちの摺り合わせだっつの
そうして多数のお気持ちのみによって立法していくと、少数者の権利が容易に侵害されてしまうので、人権概念が必要なわけですね。
お気持ちバトルで負け確のマイノリティだからこそ『お気持ち』を否定せなアカンって話なんちゃうの? マジョリティのお気持ちなんか違憲のカスでーすって、左派がめちゃくちゃ頑張って裁判やってるやん。
ある種、立法や運用の過程で「お気持ちとしてのブレ」を除去していく感じかもね。俺たちは人間だが、人間の集合体が個人を表しはしない。トランプの現アメリカが「全アメリカ個人」を意味するわけではないのと同じ。
部分的にそう
大陸法でもその「保護法益」はどうやって決まるのか、という話だよね? 成文法根幹となる文章はそれを決める機関の人々の「お気持ち」が入ってるだろう
制度になる前に気持ちが介入するプロセスを削ぎ落としてくことに価値があるわかる?
まあある程度そうではあるが暴論とか私刑とか差別とかをいいよ、とはならん様に作ってあるので。もしお気持ち多数決ならマイノリティは黙って虐げられるしかなくなるよ
お気持ちじゃねぇ!って屁理屈こねるのが近代法制なんだけど、本質的にはお気持ちだよね。人権とかも結局は突き詰めれば主観的な価値観でしかなく、要はお気持ちだしね。
そもそもネットで言う「お気持ち」がよくわからん。この言葉を使う人は信用できない。
そうだよ。私はオタクとしてロリエロマンガの表現も当然守られるべきだと思ってるけど、じゃあ実名顔出しでそれを主張できるか?と言われれば無理だし、めちゃくちゃ不利な戦いなんよね……どうしたもんかね
飲酒運転の厳罰化もお気持ちですしな。
2005年の郵政解散からの小泉劇場圧勝、そして郵政改革法案の成立と、まさに有権者の「お気持ち」で法律が出来た最たるものだった。
まぁ、それが嫌すぎてケルゼンが純粋法学をぶち上げてから二十世紀の法理論は始まって、ハート・フラー論争にハート・ドウォーキン論争、さらに各種批判からポストモダン的な法学を目論んできたりしたわけですが……
お気持ちを集合させても合意は形成されない🤔お気持ちは、マナー講師や◯◯ハラスメント、正義マンのことでは?🤔
お気持ちって、人によっても時と場合によっても変わるものであり、法的安定性がそもそも観念しえない、ひいては自由が確保できないわけで、そんなもんを各自が適当にわめいている状況は困ったものですなぁという話
そやな/特に盗撮関係な。別に撮影したって何かが減るもんじゃ無し、特に他人に見せない撮影するだけでも有罪になってる理由が分からん/まあ1億総ボディカメラ時代が来たら若干緩和されると思うけど。映画館とかで
https://wizardofvegas.com/forum/off-topic/general/41387-11-ways-to-call-expedia-usa-contact-numbers-a-full-detailed-guidehttps://wizardofvegas.com/forum/off-topic/general/41387-11-ways-to-call-expedia-usa-contact-numbers-a-full-detailed-guide
同質性の高いはてな村の中ですら、コメントを眺めると「お気持ち」の含意に大きなズレが見られる。歴史上、社会の維持/発展のためには倫理学と法学の体系化に向けた不断の努力が不可欠だったことが伺える
国民の理解はありますね。
そもそもお気持ちの定義が非自明なので出発から破綻してる。トンデモ理論
ん、トランプ政権の話?
「お気持ち」って法律を無視しようとする試みだと思っていたが違うのか
ここまであからさまに多数派の専制を肯定しなくとも、「世間」「常識」「良識」といった自らを多数派に置いて抑圧を肯定する連中は居たよね。笑えるのは何故かそういう奴らが政治的少数派を支持してることですが。
お気持ちの集合はお気持ちと呼ばないことにしてる。少なくとも個々の要素と集合要素が、同じ性質を持つわけではないので。ミクロとマクロみたいな感じ。
違法かそうでないかは「社会通念上相当と考えられる範囲を著しく逸脱していると認められる」とかなんよね
憲法21条の表現の自由があるから立法出来ても違憲だとなる可能性がけっこうある。最高裁判事のお気持ち次第だ
そもそも論の話をすると諸説あるのでは?
成文化した「お気持ち」は仮に悪法でも法的安定性をもたらすので、ただの「お気持ち」よりもマシなんだよ。
同じ軽犯罪だけどキモい奴らだけ極刑でいいや、とかやってたら「法の下の平等」のタテマエが崩れるから
そうだよ。お気持ちの共通部分を文書化して合理的に整理したもんだよ。でも「お気持ち表明乙」には「それはお前だけのお気持ちで世間一般のお気持ちは違うんだよなあ」ってお気持ちが隠れてるんだよ。
そうだよ。人権派エリートや政治家たちがお気持ちで作ったもので、民主的に作られたものではないよ。僕ら庶民は選挙でお気持ち表明できるが、法律そのものに対して直接投票できないから、あまり意味がないよ。
追記前に入ったブコメが多いんだろうけど見比べるとブコメのほう「権力者に駄目って言われない限り横暴に行くぞヒャッハー」っていう残念なサイコの集合に見えるな。
そりゃ期限は感情から発してる思うけど、法学には法理論とか体系があると思うよ。
論理的な筋道が無ければ多数が思っても法律にならない、お気持ちの域を脱しない。 というより不愉快だムカツクみたいな中身のない話を聞くのがなんかヤダ時間の無駄というお気持ちを理解したらどうなのかと。
法律はお気持ちだが、かなり広範に色んな人の立場を踏まえて慎重なお気持ちを出してるので、一人ひとりの気ままなお気持ちより妥当性が高いし説得力もある。
あたかも客観的に判断しましたみたいな顔してるけど、自分が嫌いな事をもっともらしい理由つけてワガママ言ってるだけだからな!が「お気持ち」の本質だと思う
法とは国家がその国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだってキングダムで李斯が言ってた
市民感情を考慮に入れるのは重要だが法理の上の正しさも権利も何もかも放り投げたらただのシバキあい対決が残るだけでしょうよ。自主規制は勝手だが配慮したら許してもらえるとか期待するのは大間違いです
アニメとか漫画を見下してたのはそういう世間だけどな。どたばたコメディだったのを手塚治虫がストーリーを表現したんだけど。
まさに明治民法で1898年に定められた夫婦同氏制も「西洋風の制度をまねした方が(たぶん不平等条約改正の都合から)よいと思う」という薩摩長州元勲らのお気持ちの産物。伝統的家制度がどうのとか後付けの理屈
> 「法とは何か」(法の定義)という問題について古来いくたの提案がなされてきたが、いまだに帰一するところを知らないありさまである。 五十嵐 清「法学入門」
はてな民が立法というものの存在を知ったトロフィー取得。次は強行採決と国民投票の危険性に気づこう
これまで「女の話は感情的、ぜんぜんロジカルじゃない」と言ってきた男のウソがバレバレになってきて、とうとう「男が感情で語って何が悪い」と開き直るまでの縮図がここにある。
お気持ちという個人の意思は尊重するが、それを他人及び社会に押しつけた場合、他者のお気持ちを侵害することになる。そこでどちらかが(強者が弱者に)潰されないように公平を保つのが法律の意義の一つではないか。
「正しくあろうとした人類の努力の積み重ねが法律だ」
社会に抑圧されているマイノリティを名乗りながらお気持ち多数決バトルに勝てると思っている謎の勢力。なおアンケート結果
国民のお気持ちの最小公約数である憲法を守らせるために余計なお気持ちを縛る仕組みだよ。大抵の場合、お気持ちは自己優先の考えで、法は他者とのあり方を説いているので、どちらかと言えば対極にあるよ。
市民の付託を受けた議会を通して立法すればそれは民意であってお気持ちとは呼ばれないよ。
自身に感情がないかのように振る舞う不誠実な態度(あるいは厨二病)が「科学的」と勘違いしているアホが多すぎる。「客観的態度」というのは、自身にも「お気持ち」が存在することを認めるところから始まるのだが
一応立法事実という概念があるで。まあ法もお気持ち派と選択的夫婦別姓派はかぶってそうなんでやっぱ選択的夫婦別姓には立法事実なさそうじゃん。
法律まで行くとどうだかわからんけど、バスの車内ルールみたいなものだったら十分「お気持ち」でできてるよなぁ。携帯電話での通話禁止とか、あれお気持ちの集合でしょ。ペースメーカーの話とは別で。
物理的被害や金銭的被害等があるものは気持ちとは切り離せるのでは?
その「お気持ち」で作られた「非実在児童ポルノ」規制や、児童を有害情報から守るという名目のネット規制の法律を、ACLUやFSCのような「表現の自由戦士」が訴えた結果、違憲となりました。20世紀末のアメリカの話です。
法学はとても大事。法学を壊そうとするやつは本当にヤバいよ、有力者にありがちだし日本もそうだけど。
なのでマイノリティが声を上げることや社会運動が意味を持つ。社会の意識が変われば、法律も(いずれ)変わる。/「女さんのお気持ち」と一部にバカにされながらも社会や法が変わった例としては、やっぱ性犯罪系かな。
人間はお気持ちドリブンな生き物である利害対立=→お気持ち対決にルールを作ろう→法律できた→法律をお気持ちの上位に置こう、みたいな流れはあるように思う。
脊髄反射的なお気持ちによって駆動される社会、衆愚そのものではないかと思った
立法を駆動するメカニズムはそうだとしても、施行されたら法文に書かれたままが絶対やからな。馬鹿なお気持ち政治家が自分の首を絞める法律をそうとは知らず賛同するなんて事も多々ある。霞ヶ関文学てやつな。
まさにその通りなのだが、間接民主制はきちんと機能しており、単純な世論の多数決で法律は通らない。表現の自由も、信教の自由も、国会は世論に抗して、よく守り続けていると思う。
お気持ちや法の前に人間という存在がいるんだよ
気持ちじゃなく実害、実利があるかどうかで立法しないと崩壊するよ
法益とは………? お気持ちも入るけど、全部が全部お気持ちって訳でもないよね。全部お気持ちでいいなら詐欺や霊感商法でも人の財産を全部むしりとるようなのは無期懲役にしろとかなるし。
多くの人の合意で法律ができている、という意味ではその通り。ただし合憲であることが求められます。
違うと思う。一人一人の「お気持ち」が一致することはまず無いので、その妥協の産物として「法律」というものが存在している思ってるんだけど…
お気持ち、とはちょっと違うのが重要で、建前部分が大きい。私はこれが正しいと思う、ではなく、みんながこれで納得するのでは、という部分。コミニュケーションが大前提。だからマジョリティの感覚が優先になる。
殺人や強盗などお気持ちですむわけがないだろ。損害や脅威から守るために法律はあるのではないの。時代の風潮や趨勢によって法律は変わることがあるが、客観的、数量的な損害を基準にしないと猛威の危険が増す。
違う。「お気持ち」の際限ない拡大を防ぐために法律を作るというのが元々の理念。デモとかで圧力がかかると見直す流れはそりゃ強まるが、それだけ。そもそも法律ってそんなに民意優先で決まってないでしょ。
殺されるのも奪われるのも嫌だもんなぁ。
ちがいます。「お気持ち」はたんなる心情の表明にとどまるけど、「法律」はキックオフミーティングで決める程度かもう少し先まではやります。 参考: 参議院法制局-法律の構成 https://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column044.htm
じゃあ集合体じゃないからじゃないの。口喧嘩で出てくる単語について辞書上の意味だけ見ててもしゃーないやろ
「みんなのお気持ち」の集合体だと思う。性犯罪とか、夫婦別姓の違憲裁判とか、女性が裁判官にいると判決や意見が変わったりするから、「みんな」の中に女性が少なかったのがこれまでなんだろう
個人の「お気持ち」に過ぎないことを自覚して意見を表明すること自体は否定しないよ。他人の行動を制限しようとしない限りはね。お気持ち司法は容易に人民裁判になりうるので気を付けようって話
人々の社会常識や社会の前提条件は時代につれて変わるのだから、ある程度は仕方ないことじゃないの? 本邦だって、「姦通罪」が制定されたり廃止されたりしてるわけで。
お気持ちと言われるのは少数派だからもある。二次絵規制なんかネットで声がでかいだけでだいたいの人はどうでもいいと思っている。法律は多くの人が妥当だと思うから守られるわけで。そうでないものは政治家の怠慢。
法律は具体的なとこまで示してなくて、政令/省令まで見ないとよくわらんことが多々…みたいな話 ではなさそうね。
法律には「社会通念上」という言葉があって、その時代の人々のお気持によって変わるし、絶対的なモノではない。「お気持ち」が反論になると思っていて、見下している人は下らないと思っている。
合理性に憲法的制約をかけたモノでしょ
嫌なものを制限しようって怖くないの?
集合的お気持ち
「お気持ち」が批判されてるのは、NHKキズナアイなんかのとき、フェミの発言が「お気持ち」であることを隠して荒唐無稽な理屈で主張を通そうとしたからでしょ。「理屈」ではなく「お気持ち」との批判
ならないよ。法律は憲法の細則みたいな物だし、憲法は極論基本的人権を守るとはどういうことかを定義したもの。その人権に思想信条の自由がある限り他者の思想信条の自由を犯すことはできない。
運用や裁判も「普通人」「社会通念」、わいせつなら「羞恥」みたいな概念で判断されるしね。法律って全然デジタルなものではないのに一部の人はそれを理解しないよなあとずっと思ってる。
そんなに「お気持ち」が大事なら生活保護なんてさっさと減額か現物支給にしちまえよ。
「お気持ち」と言って揶揄したがるのはそれで優位に立てると錯覚してるからだよね。あと身体や財産と比べれば精神的な害は取るに足らないという観念もあると思う。
人間がやることなんて全部動機の根本はお気持ちだろう。
法律は上位に憲法があるのでそうとは限らない部分もおるが、コンセンサスという意味ではそう。コンセンサスを得ていないものを説得の努力もせずに騒ぐから「お気持ち」と揶揄される
そこら辺は「社会通念」と言う感じで組み込まれている事が多いよね
おおむねそう。
だからこそ法律以前の単なる誰かの「お気持ち」で実質的に規制をかけてしまうのは危険だ、規制すべきだと思うなら先ず立法化の努力をすべき、という理屈ならわかる。「お気持ち」ドリブンがイコール悪ではないよね。
お気持ちというか納得感の集合体というか歴史的積み重ねみたいなやつ。昔は労働に年齢制限はなかったけど、資本主義下になって労働搾取が児童にまで及んだので年齢制限がつくようになった。
過半数取って立法化しても、憲法ってベースに違反してたら違憲立法で国賠できるから。
法律化のプロセスを経ているか否かの違いであり、経ていないもので人を裁こうとすれば、それは批判されて当然だろう。例えばその”お気持ち”を主張して議員に立候補するとか国会に請願を送る、なら非常に正当だろう
よく気付いたな、その通りだ。人殺しがいけないのもお気持ちだからな
これは素敵な意見ですね。私は法律の専門家ではないからあれだけど、だいたい合ってるような気がする。
お気持ちは社会推進エンジンなので大事だけど、それだけで他に何の思慮もなく他者の行動を縛ろうとしてくるならそれはライン越え
法律は権力を持ったおじいちゃん達が自分らの都合で決めたルールに過ぎないので。自らの倫理観をそんなものに委ねてはいけない。
「みんなの思い」と「あなたのお気持ち」て、いうて声のでかさ(炎上含む)とか団体の強さ(市民団体なら弱いし企業団体なら強いし大企業なら尚更)とか献金の違いだよなーと思うことはある。弱けりゃお気持ち
法律の起源は知らんけど運用上はむしろ感情的になりがちな人間の暴走を抑制するように機能してない?ネット民なんて何についても厳罰化しか叫ばないからな。刑罰に軽重の差をつける重要性を全然理解していない
時代に合わせて環境も変わりお気持ちも変わるのでそれを反映していくことも大事だし、一方お気持ちだけ重視してそれによる被害者が増えないようにアップデートを重ねていくことが大事なんだよなあ〜と思う。
お気持ちはお気持ちだけどその上で精査したラインというか決まりごとだから言葉としては全然ちがうんじゃない?
「目には目を 歯には歯を」が、オキモチ主義では、最も理にかなってるってことか。 で、大多数の権利とマイノリティの権利が衝突したとき、ってのは、多数決じゃだめだよね っていう主張が嘲笑されると、もう、
「お気持ち」を擦る連中が「メルカリはゲーム機転売を止めろ」とか言ってるのマジで馬鹿なんだなと思います。法律の条文示してメルカリに要求するか国会議員にロビー活動してなきゃただの「お気持ち」なのにねー(嘲
態度云々のフレーズあるけどクソツイフェミの態度が一番クソ
お前、参政党信者と同レベル
感情を感情のまま振り回そうとするから「お気持ち」と言われるわけで、あれもこれも「お気持ち」だろぉ!とか騒ぐのが正にお気持ちって感じ
お気持ちを理にして法治しようというコンセプトと、お気持ちのままとにかく嫌なものを裁こう、は大きな違いでしょ。子供のわがままに全部付き合ってやるのかってのと似てて、軽くあしらうこともあるでしょうよ
法律は憲法の理念を達成するためのルールだからお気持ちではないよ。憲法こそが「お気持ち」なんだよ。そしてそれが国のアイデンティティになる。ころころ変わると人格破綻的なことになるので変更にはハードルがある
そらそう。人間のあらゆる営みがお気持ちでしかない。そもそも論理自体がお気持ちの上に成り立ってるんだしね。憲法もフランス革命に賛同するお気持ちの集大成なんだからフランス革命嫌ってる人らが持ち出してもね。
「現行法に抵触、常識から逸脱、社会的問題かのように吹聴してるけど、そんな実態はなくてそれお前のお気持ちでしかないやん」の意味やで 卑怯な擬態のことを指しとる 増田の言うてることはまた別の話
つまるところは殺し合いです
お気持ちが原液のままでは味が尖りすぎて本人たち以外には飲めたものではないので、お気持ちに線引きをして万人向けのルール化することで法律が作られる。
行き過ぎて疎まれれば規制されうる、どちらの立場でもね。ただたまに石をひっくり返して、うわっダンゴムシがいっぱいで不快!みたいなことをしてる人は何がしたいんと思ったりはする。
法律はお気持ちをコントロールするための理性の集合体だよ。お気持ちだけで法律を作ると悪法にしかならない。
たしかにそのとおりなんだけど、増田の文面から法令の構造や歴史を踏まえてない感じがある。
法律も広義にはお気持ちだと言う言葉遊びをしたところで、個人のお気持ちを社会に押し付けたいキモいお前が正当化されたりしないよ? 同性愛違法化やらハンセン病差別やらお気持ちがもたらした被害を見よ
そういう民衆のお気持ちをエリートたちが汲んで立法していったのが法で、為政者にとっては社会を円滑に回すためのツール。全てのお気持ちを拾い過ぎると現代日本みたいに誰もが生きづらい世の中に。
社会を円滑に回すための合意事項…という解釈だから言葉的にはそうなのでは?でも、だからそれって絶対的な正義でも無いし、逆に、目的からしたら少数派は一定の我慢をするのは構造上しゃーないし、難しいね、法。
こういう釣りタイトル好きじゃないが、「お気持ち」の定義というか意味がみんなそれぞれ違うこと多いので、俺は比べる事は出来ないな。
お気持ちベースから、様々な過程を経て法律化されたものなら、法律として守らなければならないが、それ抜きで排除行為等をするというは、また別のものなのでは
人間って自然状態ではお気持ち一本槍でとんでもないことをしでかすと歴史が証明してきたからこそ、人権やら法治主義やらで安易なお気持ちを戒めてきたわけ。今更「でもお気持ちがー」と原始人に戻るのやめなよ
実際死刑廃止も死刑存続もどっちもお気持ちだなあという印象はある
プリミティブなお気持ちと、「お気持ちだけではダメかも」というお気持ち、その両方のバランスをとって最終的に「納得感」というお気持ちを得るためのルールが法律だからな。正しい。
「法律だってお気持ちだから私のお気持ちにも価値が」という主張、たとえるなら「銀行券が使えるから私のこども銀行券にも価値が」並に飛躍してる。皆が認めれば通る可能性は0ではないが実質0の与太話という点も
お気持ちであっても根拠と効果を提示し皆で議論した結果として法令で規定すればいいんだけどね。現状は個人の根拠のないその場限りの無責任なお気持ち表明だけで他人の自由を制限しようとしてるから批判されるわけで
結構ロジックがしっかりしてるよ。最近興味を持ったけど、なぜ「両性の合意のみ」と書いているのに選択的夫婦別姓で違憲判決が出なくて同性婚で違憲判決が出るのか、一連のそれなりに納得できるロジックがある
枠組みである国民国家も「お気持ち」の集合体では。 国民の条件である一体感は「お気持ち」そのもの。
ぜんぜん違うよ。お気持ち同士は衝突するので、合意の上で間に引いた線が法律。
この理屈だと宗教ってお気持ちだよねとか文化ってお気持ちだよねとか人類の活動を矮小化してしまうだけ。人は概念を作り社会を発展させてきた。その概念を否定する考えは結局「詭弁」としかいいようがない。
多分増田の言ってる「「お気持ち」の集合体」を、議論の末に合意に至った内容に対して使うのが納得できないという事じゃないかな。現状「お気持ち」は非論理的な内容に使用されがちなので合意内容にはそぐわないかも
だから時代によって法も変わってくんだよね
あくまで根源的には種の繁栄と継続をベースに考えるべき。でもそうはなってないよなぁ。国家の繁栄がベースだ
こういう素朴な発想ってevilさを多分に含んでるなと思う。人質司法や死刑存置などが続くのもこういう民意を取り入れてしまってるせいかね
「お気持ち」を定義しようか。人類にとって法の始まりって何だろうね。
お気持ちで決まってしまうことの危険性を認識しているから、「倫理は法源にならない」という原則を掲げて少しでもマシな制定と運用を目指しているわけです/日本の最高裁は本当にダメ。すぐ善良な道義観念とか言う
お気持ちは大事だよ。でも利害対立では相手にも大事なお気持ちがあるわけ。自分たちのお気持ちだけを大事にしろと主張した人たちのせいでバカにされるようになったんだよ。
これもワイのお気持ちだが…私が嫌だから~→検討の余地がないお気持ち。データを示して〇〇というデメリット、△△というメリットがあるから私はこう思う→検討の余地があるお気持ち
発端はそうだったかもしれないけど現代でそれは罷り通らない
増田自身が追記で言ってるように「元は」お気持ちだろうけど、法律をお気持ちだと思ってたらやばい。
追追記見て笑った。私も増田に近く「お気持ち否定派はクソ」派だけど、増田のとこまで遡るのはお気持ち原理主義では。法哲学とか法制史とかの関連の新書辺りを読み漁ってみると面白いかもね。
人権を守ろうとか倫理的であろうとか法理を守ろう、というのも「お気持ち」だから、増田の言っていることは正しいと思います
お気持ちの集合体がスタート地点になってるのは正しいと思うが、流石にお気持ちだけで法律はできない。曖昧に決められて解釈が裁判に委ねられる部分も勿論あるが、基本的に合理性や普遍性はちゃんと考慮されてる。
中野剛志「例えば民主主義が『憲法で保障された言論の自由を無視する議決』をしようとしたら憲法違反として×がつく」「憲法は多数派による法改正を制限する法の支配の装置(立憲主義)」https://youtu.be/T5G995ipOEg?t=1911
一定の理がありますよ、増田の気持ちは最近分かる人増えてそうよね
増田が「お気持ち」を定義してくれないと、議論にならんのよ。
「お気持ち」っていう言葉自体、snsヘビーにやってる人にしかニュアンスが伝わらない蔑称だよね。「弱者男性」みたいなもんで。曖昧で恣意的で、その言葉で議論すること自体が不毛
それはそう
そう、お気持ちは大事です。だからこそ法律にお気持ちを安易に組み込んではいけない。それは、そのお気持ちと対立するお気持ちを踏み躙ることになるから。 https://chatgpt.com/share/68673b86-82b4-8007-9eb4-5ef24644d5f3
「お気持ちだから議論に値しない」お気持ちを法律のごとく、あるいは私のお気持ちをみんなのお気持ちとして扱って問題に思わない人がいて、そういう人の自分のお気持ちに対する考え方が批判されているのでは。
確かになぁ、これは気をつけないといけないなって思う
その通りなんだけど、何故わざわざお気持ちを法律にするかって全員が全員のお気持ちでバトルしてたら何も議論にならないからなんだよね。なので法を逸脱したお気持ちは無視するのが正しい。
「お気持ち」の集積として、実際にチケット転売などは規制された。だから「お気持ち」の一言で何かを否定した気になるのはおかしい。しかし、全てのお気持ちが肯定されるわけでもなく、個別に議論されるのは当然。
衝突するお気持ち同士を交通整理するための取り決めが法律なので
それはその通り。公的に定められた手続きに従って制定・改正・執行されるか、そうでないか(私刑=Lynch)の違い。 / なお、科学的な正しさ重視、は割と危険。ソ連共産党政治局のメンバーは88%理系エンジニアだった。
「法律って「お気持ち」の集合体みたいなもんじゃないの…?」違うよ?/少しでも同意してるブコメは何をどう考えてんの?
太古の同害報復法の時点でもうお気持ちではないのよね。自然な感情に任せたら倍返しとかになってしまうので。
お気持ちで税収がゼロになった世界
特に刑法では「要件定義」ってのが必須なんだが…。単に『キモいから拘禁◎年』とかはダメで「この法律で『キモい』とは~」と冒頭でキチンと定義が無いと、現場で捜査機関の横暴がまかり通るから。
結局お気持ちに堕している人がチラホラいてウケる。/ 今は反対のこと言うの簡単だからなかなか根絶はできないと思うよ。日本はいい国だよな。
「お気持ち同士の戦い」だけではなくて、「お気持ちVS科学的根拠」という場合もありますね/お気持ちは、トランス差別や排外主義・HPVワクチン勧奨中止に繋がったりするので、時には踏みにじる必要もある
ここでjury nullificationのような厄介なモデルを持ち出してみる
少なくとも個人のお気持ちではないだろう。誰にもわかるようできるだけ明文化されたものじゃないとダメなのに、個人の解釈で都合よく解釈して使うことをお気持ちって言ってるんじゃない
英米法は元々貴族の争い調停用なのでめちゃ実務的で、妙なものも出てくるけど判例や議論でいくらでも変わるって言うお気持ち完全無視な面もある。大陸法は要は一神教で神の意思。お気持ちはめちゃ日本的感覚。
迷子になったお気持ち達の道しるべ、それが法律
「お気持ち」が立法事実になることはままある事ですからね、馬鹿にするもんじゃないよ
民法はお気持ち要素が強い感じはする。刑法はわからんけど。
( 外山恒一を思い出した「我々少数派にとって、選挙ほど馬鹿馬鹿しいものは無い。 多数決で決めれば、多数派が勝つに決まっているじゃないか!」)
その通りだと思うしもっと言うとその「お気持ち」も各々の体力に帰着するみたいなところがあるのでゴチャゴチャ言ってくる人には筋トレを勧めてあげるのが最適解な気がしてきた
ハンムラビ法典がお気持ちによる過剰な復習を防止するための「目には目を、歯には歯を(適度な罰)」だったところが画期的だから教科書になってたと記憶しているが今の教科書にどう書いてるかは知らない。
ざっくり言うとお気持ち同士が衝突した際の処理を定めたプロトコルが法律。何かを規制したい人達はお気持ちを馬鹿にされているというより他者より自分の意向を優先しろと根拠も示さず迫る姿勢が馬鹿にされてるのでは
お気持ちがバカにされるのは、言ってる本人すら具体的客観的に説明が出来ず、主張がコロコロ変わるからだよw。
法律って「お気持ち」の集合体みたいなもんじゃないの…?
法律の根源は「殴られたくない」、「盗まれたくない」、「殺されたくない」とかいうお気持ちやと思うのだけれど、法の起源について学ぶまで手が回らない
さっき、科学主義と古典的自由主義の関係を調べてたら、「互いに影響を与え合い、近代社会の発展に貢献(…)。科学主義は、客観的な知識と合理的な思考を重視し、自由主義は、個人の自由と選択を尊重」とあったよ。
法律になったお気持ちとなっていないお気持ちがある。
過半数取ってから言えよ
特許法ですら思想だって言ってるしな。お気持ちとプラスアルファなそれっぽい根拠がある(´・_・`)“自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度なもの”
「まだ捕まってない詐欺師」みたいな言い方
「集合体」というより「ぶつかり合い」の結果なんじゃないかね?集合体になるのは無理でしょう
『法が人を守るんじゃない。人が法を守るんです。これまで悪を憎んで正しい生き方を探し求めてきた人々の思いが、その積み重ねが法なんです。』/大事なのは「みんなの思い」であって「あなたのお気持ち」ではない
ニーチェが言ってた「正義なんてのは政治」という言葉が真実になるのは、飲酒運転で人が死んだから厳罰を!が日本でも実際その方向で法律改正があったことからも明らか。そして民主主義はお気持ちをより加速しちゃう
継続性(歴史とお気持ち)と論理性と普遍性(笑)の妥協やからね ( ˘ω˘ )
それがいやだから思想が著しく偏ってて他者へ慮ることができなく想像力がなくて声が大きくてそこそこ権力を持ってて行動力がある阿呆が怖い。
それが英米法で、同性愛はキモいというお気持ちを反映して近年まで同性愛は犯罪だった。大陸法では保護法益という概念が生まれて保護法益を侵害しなければ規制すべきではないということになっている。
そうだよ。裁判員制度なんて、極端に言うと、庶民のお気持ちと法曹(エリート)のお気持ちが乖離する不都合を解消しましょうっていう趣旨で出来てるからね。法はコミュニティを潤滑に運営するためにあるから仕方ない。
明文化されたお気持ちってこと?
基本的人権も
集合体と単独のものは明らかに違うだろ。お米粒とおにぎり。ひき肉のかけらとハンバーグ。たけしとたけし軍団。
かの国には国民情緒法というのがあってだな
法が対象とするのは人間であって、なら人間のお気持ち以外に一体なにがあると思うのか? 法など生まれる前から人間は存在しており、つまり自然的・自然科学的な根拠などないよ。
誰か権力を持った個人の「お気持ち」で物事の是非が決まってしまう社会は危ないので、みんなの「お気持ち」の集合体を形にしたのが法律、という意味では合ってる。
概ねそうなんだけど、だからこそ憲法で制約してみたり、表現の自由に支えられた熟議(少数派の意見もしっかりと聞いて議論する必要)が求められたり。2次エロも、反ワクチンも、宗教的信念も。
アホか。“2次エロ絵がダメだーってお気持ち人が~過半数になったら多分法律になるよな…?”じゃなくて、「それをしちゃだめだよ」ってのが「表現の自由」やろが。後、正道な「お気持ち」の集合は「市場」のほう。
正確には上級国民のお気持ちの集合体かな。
あくまで自分が規制を「する側」にいるって発想なんだよな。
法律というものは、社会のお気持ちが形を成したものとも言えますわね。時代と共に変わるその姿、季節の移ろいのようですわ。
違法にするかどうかには理論とか理念も入ってるけど、量刑に関してはお気持ち成分多めな感じではある。尊属殺重罰規定があったのもなくなったのもお気持ちがベースだし。
平等・比例なき法律は信頼性が喪失するため『憲法』が存在する。もっとも、日本国憲法は『本来善良な日本人は悪い軍国主義者の暴走で戦争しちゃった。言論、宗教及思想の自由がないせいやな』というGHQのお気持ち製
この世のあらゆるルールは集団や個人のお気持ちの摺り合わせだっつの
そうして多数のお気持ちのみによって立法していくと、少数者の権利が容易に侵害されてしまうので、人権概念が必要なわけですね。
お気持ちバトルで負け確のマイノリティだからこそ『お気持ち』を否定せなアカンって話なんちゃうの? マジョリティのお気持ちなんか違憲のカスでーすって、左派がめちゃくちゃ頑張って裁判やってるやん。
ある種、立法や運用の過程で「お気持ちとしてのブレ」を除去していく感じかもね。俺たちは人間だが、人間の集合体が個人を表しはしない。トランプの現アメリカが「全アメリカ個人」を意味するわけではないのと同じ。
部分的にそう
大陸法でもその「保護法益」はどうやって決まるのか、という話だよね? 成文法根幹となる文章はそれを決める機関の人々の「お気持ち」が入ってるだろう
制度になる前に気持ちが介入するプロセスを削ぎ落としてくことに価値があるわかる?
まあある程度そうではあるが暴論とか私刑とか差別とかをいいよ、とはならん様に作ってあるので。もしお気持ち多数決ならマイノリティは黙って虐げられるしかなくなるよ
お気持ちじゃねぇ!って屁理屈こねるのが近代法制なんだけど、本質的にはお気持ちだよね。人権とかも結局は突き詰めれば主観的な価値観でしかなく、要はお気持ちだしね。
そもそもネットで言う「お気持ち」がよくわからん。この言葉を使う人は信用できない。
そうだよ。私はオタクとしてロリエロマンガの表現も当然守られるべきだと思ってるけど、じゃあ実名顔出しでそれを主張できるか?と言われれば無理だし、めちゃくちゃ不利な戦いなんよね……どうしたもんかね
飲酒運転の厳罰化もお気持ちですしな。
2005年の郵政解散からの小泉劇場圧勝、そして郵政改革法案の成立と、まさに有権者の「お気持ち」で法律が出来た最たるものだった。
まぁ、それが嫌すぎてケルゼンが純粋法学をぶち上げてから二十世紀の法理論は始まって、ハート・フラー論争にハート・ドウォーキン論争、さらに各種批判からポストモダン的な法学を目論んできたりしたわけですが……
お気持ちを集合させても合意は形成されない🤔お気持ちは、マナー講師や◯◯ハラスメント、正義マンのことでは?🤔
お気持ちって、人によっても時と場合によっても変わるものであり、法的安定性がそもそも観念しえない、ひいては自由が確保できないわけで、そんなもんを各自が適当にわめいている状況は困ったものですなぁという話
そやな/特に盗撮関係な。別に撮影したって何かが減るもんじゃ無し、特に他人に見せない撮影するだけでも有罪になってる理由が分からん/まあ1億総ボディカメラ時代が来たら若干緩和されると思うけど。映画館とかで
https://wizardofvegas.com/forum/off-topic/general/41387-11-ways-to-call-expedia-usa-contact-numbers-a-full-detailed-guidehttps://wizardofvegas.com/forum/off-topic/general/41387-11-ways-to-call-expedia-usa-contact-numbers-a-full-detailed-guide
同質性の高いはてな村の中ですら、コメントを眺めると「お気持ち」の含意に大きなズレが見られる。歴史上、社会の維持/発展のためには倫理学と法学の体系化に向けた不断の努力が不可欠だったことが伺える
国民の理解はありますね。
そもそもお気持ちの定義が非自明なので出発から破綻してる。トンデモ理論
ん、トランプ政権の話?
「お気持ち」って法律を無視しようとする試みだと思っていたが違うのか
ここまであからさまに多数派の専制を肯定しなくとも、「世間」「常識」「良識」といった自らを多数派に置いて抑圧を肯定する連中は居たよね。笑えるのは何故かそういう奴らが政治的少数派を支持してることですが。
お気持ちの集合はお気持ちと呼ばないことにしてる。少なくとも個々の要素と集合要素が、同じ性質を持つわけではないので。ミクロとマクロみたいな感じ。
違法かそうでないかは「社会通念上相当と考えられる範囲を著しく逸脱していると認められる」とかなんよね
憲法21条の表現の自由があるから立法出来ても違憲だとなる可能性がけっこうある。最高裁判事のお気持ち次第だ
そもそも論の話をすると諸説あるのでは?
成文化した「お気持ち」は仮に悪法でも法的安定性をもたらすので、ただの「お気持ち」よりもマシなんだよ。
同じ軽犯罪だけどキモい奴らだけ極刑でいいや、とかやってたら「法の下の平等」のタテマエが崩れるから
そうだよ。お気持ちの共通部分を文書化して合理的に整理したもんだよ。でも「お気持ち表明乙」には「それはお前だけのお気持ちで世間一般のお気持ちは違うんだよなあ」ってお気持ちが隠れてるんだよ。
そうだよ。人権派エリートや政治家たちがお気持ちで作ったもので、民主的に作られたものではないよ。僕ら庶民は選挙でお気持ち表明できるが、法律そのものに対して直接投票できないから、あまり意味がないよ。
追記前に入ったブコメが多いんだろうけど見比べるとブコメのほう「権力者に駄目って言われない限り横暴に行くぞヒャッハー」っていう残念なサイコの集合に見えるな。
そりゃ期限は感情から発してる思うけど、法学には法理論とか体系があると思うよ。
論理的な筋道が無ければ多数が思っても法律にならない、お気持ちの域を脱しない。 というより不愉快だムカツクみたいな中身のない話を聞くのがなんかヤダ時間の無駄というお気持ちを理解したらどうなのかと。
法律はお気持ちだが、かなり広範に色んな人の立場を踏まえて慎重なお気持ちを出してるので、一人ひとりの気ままなお気持ちより妥当性が高いし説得力もある。
あたかも客観的に判断しましたみたいな顔してるけど、自分が嫌いな事をもっともらしい理由つけてワガママ言ってるだけだからな!が「お気持ち」の本質だと思う
法とは国家がその国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだってキングダムで李斯が言ってた
市民感情を考慮に入れるのは重要だが法理の上の正しさも権利も何もかも放り投げたらただのシバキあい対決が残るだけでしょうよ。自主規制は勝手だが配慮したら許してもらえるとか期待するのは大間違いです
アニメとか漫画を見下してたのはそういう世間だけどな。どたばたコメディだったのを手塚治虫がストーリーを表現したんだけど。
まさに明治民法で1898年に定められた夫婦同氏制も「西洋風の制度をまねした方が(たぶん不平等条約改正の都合から)よいと思う」という薩摩長州元勲らのお気持ちの産物。伝統的家制度がどうのとか後付けの理屈
> 「法とは何か」(法の定義)という問題について古来いくたの提案がなされてきたが、いまだに帰一するところを知らないありさまである。 五十嵐 清「法学入門」
はてな民が立法というものの存在を知ったトロフィー取得。次は強行採決と国民投票の危険性に気づこう
これまで「女の話は感情的、ぜんぜんロジカルじゃない」と言ってきた男のウソがバレバレになってきて、とうとう「男が感情で語って何が悪い」と開き直るまでの縮図がここにある。
お気持ちという個人の意思は尊重するが、それを他人及び社会に押しつけた場合、他者のお気持ちを侵害することになる。そこでどちらかが(強者が弱者に)潰されないように公平を保つのが法律の意義の一つではないか。
「正しくあろうとした人類の努力の積み重ねが法律だ」
社会に抑圧されているマイノリティを名乗りながらお気持ち多数決バトルに勝てると思っている謎の勢力。なおアンケート結果
国民のお気持ちの最小公約数である憲法を守らせるために余計なお気持ちを縛る仕組みだよ。大抵の場合、お気持ちは自己優先の考えで、法は他者とのあり方を説いているので、どちらかと言えば対極にあるよ。
市民の付託を受けた議会を通して立法すればそれは民意であってお気持ちとは呼ばれないよ。
自身に感情がないかのように振る舞う不誠実な態度(あるいは厨二病)が「科学的」と勘違いしているアホが多すぎる。「客観的態度」というのは、自身にも「お気持ち」が存在することを認めるところから始まるのだが
一応立法事実という概念があるで。まあ法もお気持ち派と選択的夫婦別姓派はかぶってそうなんでやっぱ選択的夫婦別姓には立法事実なさそうじゃん。
法律まで行くとどうだかわからんけど、バスの車内ルールみたいなものだったら十分「お気持ち」でできてるよなぁ。携帯電話での通話禁止とか、あれお気持ちの集合でしょ。ペースメーカーの話とは別で。
物理的被害や金銭的被害等があるものは気持ちとは切り離せるのでは?
その「お気持ち」で作られた「非実在児童ポルノ」規制や、児童を有害情報から守るという名目のネット規制の法律を、ACLUやFSCのような「表現の自由戦士」が訴えた結果、違憲となりました。20世紀末のアメリカの話です。
法学はとても大事。法学を壊そうとするやつは本当にヤバいよ、有力者にありがちだし日本もそうだけど。
なのでマイノリティが声を上げることや社会運動が意味を持つ。社会の意識が変われば、法律も(いずれ)変わる。/「女さんのお気持ち」と一部にバカにされながらも社会や法が変わった例としては、やっぱ性犯罪系かな。
人間はお気持ちドリブンな生き物である利害対立=→お気持ち対決にルールを作ろう→法律できた→法律をお気持ちの上位に置こう、みたいな流れはあるように思う。
脊髄反射的なお気持ちによって駆動される社会、衆愚そのものではないかと思った
立法を駆動するメカニズムはそうだとしても、施行されたら法文に書かれたままが絶対やからな。馬鹿なお気持ち政治家が自分の首を絞める法律をそうとは知らず賛同するなんて事も多々ある。霞ヶ関文学てやつな。
まさにその通りなのだが、間接民主制はきちんと機能しており、単純な世論の多数決で法律は通らない。表現の自由も、信教の自由も、国会は世論に抗して、よく守り続けていると思う。
お気持ちや法の前に人間という存在がいるんだよ
気持ちじゃなく実害、実利があるかどうかで立法しないと崩壊するよ
法益とは………? お気持ちも入るけど、全部が全部お気持ちって訳でもないよね。全部お気持ちでいいなら詐欺や霊感商法でも人の財産を全部むしりとるようなのは無期懲役にしろとかなるし。
多くの人の合意で法律ができている、という意味ではその通り。ただし合憲であることが求められます。
違うと思う。一人一人の「お気持ち」が一致することはまず無いので、その妥協の産物として「法律」というものが存在している思ってるんだけど…
お気持ち、とはちょっと違うのが重要で、建前部分が大きい。私はこれが正しいと思う、ではなく、みんながこれで納得するのでは、という部分。コミニュケーションが大前提。だからマジョリティの感覚が優先になる。
殺人や強盗などお気持ちですむわけがないだろ。損害や脅威から守るために法律はあるのではないの。時代の風潮や趨勢によって法律は変わることがあるが、客観的、数量的な損害を基準にしないと猛威の危険が増す。
違う。「お気持ち」の際限ない拡大を防ぐために法律を作るというのが元々の理念。デモとかで圧力がかかると見直す流れはそりゃ強まるが、それだけ。そもそも法律ってそんなに民意優先で決まってないでしょ。
殺されるのも奪われるのも嫌だもんなぁ。
ちがいます。「お気持ち」はたんなる心情の表明にとどまるけど、「法律」はキックオフミーティングで決める程度かもう少し先まではやります。 参考: 参議院法制局-法律の構成 https://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column044.htm
じゃあ集合体じゃないからじゃないの。口喧嘩で出てくる単語について辞書上の意味だけ見ててもしゃーないやろ
「みんなのお気持ち」の集合体だと思う。性犯罪とか、夫婦別姓の違憲裁判とか、女性が裁判官にいると判決や意見が変わったりするから、「みんな」の中に女性が少なかったのがこれまでなんだろう
個人の「お気持ち」に過ぎないことを自覚して意見を表明すること自体は否定しないよ。他人の行動を制限しようとしない限りはね。お気持ち司法は容易に人民裁判になりうるので気を付けようって話
人々の社会常識や社会の前提条件は時代につれて変わるのだから、ある程度は仕方ないことじゃないの? 本邦だって、「姦通罪」が制定されたり廃止されたりしてるわけで。
お気持ちと言われるのは少数派だからもある。二次絵規制なんかネットで声がでかいだけでだいたいの人はどうでもいいと思っている。法律は多くの人が妥当だと思うから守られるわけで。そうでないものは政治家の怠慢。
法律は具体的なとこまで示してなくて、政令/省令まで見ないとよくわらんことが多々…みたいな話 ではなさそうね。
法律には「社会通念上」という言葉があって、その時代の人々のお気持によって変わるし、絶対的なモノではない。「お気持ち」が反論になると思っていて、見下している人は下らないと思っている。
合理性に憲法的制約をかけたモノでしょ
嫌なものを制限しようって怖くないの?
集合的お気持ち
「お気持ち」が批判されてるのは、NHKキズナアイなんかのとき、フェミの発言が「お気持ち」であることを隠して荒唐無稽な理屈で主張を通そうとしたからでしょ。「理屈」ではなく「お気持ち」との批判
ならないよ。法律は憲法の細則みたいな物だし、憲法は極論基本的人権を守るとはどういうことかを定義したもの。その人権に思想信条の自由がある限り他者の思想信条の自由を犯すことはできない。
運用や裁判も「普通人」「社会通念」、わいせつなら「羞恥」みたいな概念で判断されるしね。法律って全然デジタルなものではないのに一部の人はそれを理解しないよなあとずっと思ってる。
そんなに「お気持ち」が大事なら生活保護なんてさっさと減額か現物支給にしちまえよ。
「お気持ち」と言って揶揄したがるのはそれで優位に立てると錯覚してるからだよね。あと身体や財産と比べれば精神的な害は取るに足らないという観念もあると思う。
人間がやることなんて全部動機の根本はお気持ちだろう。
法律は上位に憲法があるのでそうとは限らない部分もおるが、コンセンサスという意味ではそう。コンセンサスを得ていないものを説得の努力もせずに騒ぐから「お気持ち」と揶揄される
そこら辺は「社会通念」と言う感じで組み込まれている事が多いよね
おおむねそう。
だからこそ法律以前の単なる誰かの「お気持ち」で実質的に規制をかけてしまうのは危険だ、規制すべきだと思うなら先ず立法化の努力をすべき、という理屈ならわかる。「お気持ち」ドリブンがイコール悪ではないよね。
お気持ちというか納得感の集合体というか歴史的積み重ねみたいなやつ。昔は労働に年齢制限はなかったけど、資本主義下になって労働搾取が児童にまで及んだので年齢制限がつくようになった。
過半数取って立法化しても、憲法ってベースに違反してたら違憲立法で国賠できるから。
法律化のプロセスを経ているか否かの違いであり、経ていないもので人を裁こうとすれば、それは批判されて当然だろう。例えばその”お気持ち”を主張して議員に立候補するとか国会に請願を送る、なら非常に正当だろう
よく気付いたな、その通りだ。人殺しがいけないのもお気持ちだからな
これは素敵な意見ですね。私は法律の専門家ではないからあれだけど、だいたい合ってるような気がする。
お気持ちは社会推進エンジンなので大事だけど、それだけで他に何の思慮もなく他者の行動を縛ろうとしてくるならそれはライン越え
法律は権力を持ったおじいちゃん達が自分らの都合で決めたルールに過ぎないので。自らの倫理観をそんなものに委ねてはいけない。
「みんなの思い」と「あなたのお気持ち」て、いうて声のでかさ(炎上含む)とか団体の強さ(市民団体なら弱いし企業団体なら強いし大企業なら尚更)とか献金の違いだよなーと思うことはある。弱けりゃお気持ち
法律の起源は知らんけど運用上はむしろ感情的になりがちな人間の暴走を抑制するように機能してない?ネット民なんて何についても厳罰化しか叫ばないからな。刑罰に軽重の差をつける重要性を全然理解していない
時代に合わせて環境も変わりお気持ちも変わるのでそれを反映していくことも大事だし、一方お気持ちだけ重視してそれによる被害者が増えないようにアップデートを重ねていくことが大事なんだよなあ〜と思う。
お気持ちはお気持ちだけどその上で精査したラインというか決まりごとだから言葉としては全然ちがうんじゃない?
「目には目を 歯には歯を」が、オキモチ主義では、最も理にかなってるってことか。 で、大多数の権利とマイノリティの権利が衝突したとき、ってのは、多数決じゃだめだよね っていう主張が嘲笑されると、もう、
「お気持ち」を擦る連中が「メルカリはゲーム機転売を止めろ」とか言ってるのマジで馬鹿なんだなと思います。法律の条文示してメルカリに要求するか国会議員にロビー活動してなきゃただの「お気持ち」なのにねー(嘲
態度云々のフレーズあるけどクソツイフェミの態度が一番クソ
お前、参政党信者と同レベル
感情を感情のまま振り回そうとするから「お気持ち」と言われるわけで、あれもこれも「お気持ち」だろぉ!とか騒ぐのが正にお気持ちって感じ
お気持ちを理にして法治しようというコンセプトと、お気持ちのままとにかく嫌なものを裁こう、は大きな違いでしょ。子供のわがままに全部付き合ってやるのかってのと似てて、軽くあしらうこともあるでしょうよ
法律は憲法の理念を達成するためのルールだからお気持ちではないよ。憲法こそが「お気持ち」なんだよ。そしてそれが国のアイデンティティになる。ころころ変わると人格破綻的なことになるので変更にはハードルがある
そらそう。人間のあらゆる営みがお気持ちでしかない。そもそも論理自体がお気持ちの上に成り立ってるんだしね。憲法もフランス革命に賛同するお気持ちの集大成なんだからフランス革命嫌ってる人らが持ち出してもね。
「現行法に抵触、常識から逸脱、社会的問題かのように吹聴してるけど、そんな実態はなくてそれお前のお気持ちでしかないやん」の意味やで 卑怯な擬態のことを指しとる 増田の言うてることはまた別の話
つまるところは殺し合いです
お気持ちが原液のままでは味が尖りすぎて本人たち以外には飲めたものではないので、お気持ちに線引きをして万人向けのルール化することで法律が作られる。
行き過ぎて疎まれれば規制されうる、どちらの立場でもね。ただたまに石をひっくり返して、うわっダンゴムシがいっぱいで不快!みたいなことをしてる人は何がしたいんと思ったりはする。
法律はお気持ちをコントロールするための理性の集合体だよ。お気持ちだけで法律を作ると悪法にしかならない。
たしかにそのとおりなんだけど、増田の文面から法令の構造や歴史を踏まえてない感じがある。
法律も広義にはお気持ちだと言う言葉遊びをしたところで、個人のお気持ちを社会に押し付けたいキモいお前が正当化されたりしないよ? 同性愛違法化やらハンセン病差別やらお気持ちがもたらした被害を見よ
そういう民衆のお気持ちをエリートたちが汲んで立法していったのが法で、為政者にとっては社会を円滑に回すためのツール。全てのお気持ちを拾い過ぎると現代日本みたいに誰もが生きづらい世の中に。
社会を円滑に回すための合意事項…という解釈だから言葉的にはそうなのでは?でも、だからそれって絶対的な正義でも無いし、逆に、目的からしたら少数派は一定の我慢をするのは構造上しゃーないし、難しいね、法。
こういう釣りタイトル好きじゃないが、「お気持ち」の定義というか意味がみんなそれぞれ違うこと多いので、俺は比べる事は出来ないな。
お気持ちベースから、様々な過程を経て法律化されたものなら、法律として守らなければならないが、それ抜きで排除行為等をするというは、また別のものなのでは
人間って自然状態ではお気持ち一本槍でとんでもないことをしでかすと歴史が証明してきたからこそ、人権やら法治主義やらで安易なお気持ちを戒めてきたわけ。今更「でもお気持ちがー」と原始人に戻るのやめなよ
実際死刑廃止も死刑存続もどっちもお気持ちだなあという印象はある
プリミティブなお気持ちと、「お気持ちだけではダメかも」というお気持ち、その両方のバランスをとって最終的に「納得感」というお気持ちを得るためのルールが法律だからな。正しい。
「法律だってお気持ちだから私のお気持ちにも価値が」という主張、たとえるなら「銀行券が使えるから私のこども銀行券にも価値が」並に飛躍してる。皆が認めれば通る可能性は0ではないが実質0の与太話という点も
お気持ちであっても根拠と効果を提示し皆で議論した結果として法令で規定すればいいんだけどね。現状は個人の根拠のないその場限りの無責任なお気持ち表明だけで他人の自由を制限しようとしてるから批判されるわけで
結構ロジックがしっかりしてるよ。最近興味を持ったけど、なぜ「両性の合意のみ」と書いているのに選択的夫婦別姓で違憲判決が出なくて同性婚で違憲判決が出るのか、一連のそれなりに納得できるロジックがある
枠組みである国民国家も「お気持ち」の集合体では。 国民の条件である一体感は「お気持ち」そのもの。
ぜんぜん違うよ。お気持ち同士は衝突するので、合意の上で間に引いた線が法律。
この理屈だと宗教ってお気持ちだよねとか文化ってお気持ちだよねとか人類の活動を矮小化してしまうだけ。人は概念を作り社会を発展させてきた。その概念を否定する考えは結局「詭弁」としかいいようがない。
多分増田の言ってる「「お気持ち」の集合体」を、議論の末に合意に至った内容に対して使うのが納得できないという事じゃないかな。現状「お気持ち」は非論理的な内容に使用されがちなので合意内容にはそぐわないかも
だから時代によって法も変わってくんだよね
あくまで根源的には種の繁栄と継続をベースに考えるべき。でもそうはなってないよなぁ。国家の繁栄がベースだ
こういう素朴な発想ってevilさを多分に含んでるなと思う。人質司法や死刑存置などが続くのもこういう民意を取り入れてしまってるせいかね
「お気持ち」を定義しようか。人類にとって法の始まりって何だろうね。
お気持ちで決まってしまうことの危険性を認識しているから、「倫理は法源にならない」という原則を掲げて少しでもマシな制定と運用を目指しているわけです/日本の最高裁は本当にダメ。すぐ善良な道義観念とか言う
お気持ちは大事だよ。でも利害対立では相手にも大事なお気持ちがあるわけ。自分たちのお気持ちだけを大事にしろと主張した人たちのせいでバカにされるようになったんだよ。
これもワイのお気持ちだが…私が嫌だから~→検討の余地がないお気持ち。データを示して〇〇というデメリット、△△というメリットがあるから私はこう思う→検討の余地があるお気持ち
発端はそうだったかもしれないけど現代でそれは罷り通らない
増田自身が追記で言ってるように「元は」お気持ちだろうけど、法律をお気持ちだと思ってたらやばい。
追追記見て笑った。私も増田に近く「お気持ち否定派はクソ」派だけど、増田のとこまで遡るのはお気持ち原理主義では。法哲学とか法制史とかの関連の新書辺りを読み漁ってみると面白いかもね。
人権を守ろうとか倫理的であろうとか法理を守ろう、というのも「お気持ち」だから、増田の言っていることは正しいと思います
お気持ちの集合体がスタート地点になってるのは正しいと思うが、流石にお気持ちだけで法律はできない。曖昧に決められて解釈が裁判に委ねられる部分も勿論あるが、基本的に合理性や普遍性はちゃんと考慮されてる。
中野剛志「例えば民主主義が『憲法で保障された言論の自由を無視する議決』をしようとしたら憲法違反として×がつく」「憲法は多数派による法改正を制限する法の支配の装置(立憲主義)」https://youtu.be/T5G995ipOEg?t=1911
一定の理がありますよ、増田の気持ちは最近分かる人増えてそうよね
増田が「お気持ち」を定義してくれないと、議論にならんのよ。
「お気持ち」っていう言葉自体、snsヘビーにやってる人にしかニュアンスが伝わらない蔑称だよね。「弱者男性」みたいなもんで。曖昧で恣意的で、その言葉で議論すること自体が不毛
それはそう
そう、お気持ちは大事です。だからこそ法律にお気持ちを安易に組み込んではいけない。それは、そのお気持ちと対立するお気持ちを踏み躙ることになるから。 https://chatgpt.com/share/68673b86-82b4-8007-9eb4-5ef24644d5f3
「お気持ちだから議論に値しない」お気持ちを法律のごとく、あるいは私のお気持ちをみんなのお気持ちとして扱って問題に思わない人がいて、そういう人の自分のお気持ちに対する考え方が批判されているのでは。
確かになぁ、これは気をつけないといけないなって思う
その通りなんだけど、何故わざわざお気持ちを法律にするかって全員が全員のお気持ちでバトルしてたら何も議論にならないからなんだよね。なので法を逸脱したお気持ちは無視するのが正しい。
「お気持ち」の集積として、実際にチケット転売などは規制された。だから「お気持ち」の一言で何かを否定した気になるのはおかしい。しかし、全てのお気持ちが肯定されるわけでもなく、個別に議論されるのは当然。
衝突するお気持ち同士を交通整理するための取り決めが法律なので
それはその通り。公的に定められた手続きに従って制定・改正・執行されるか、そうでないか(私刑=Lynch)の違い。 / なお、科学的な正しさ重視、は割と危険。ソ連共産党政治局のメンバーは88%理系エンジニアだった。
「法律って「お気持ち」の集合体みたいなもんじゃないの…?」違うよ?/少しでも同意してるブコメは何をどう考えてんの?
太古の同害報復法の時点でもうお気持ちではないのよね。自然な感情に任せたら倍返しとかになってしまうので。
お気持ちで税収がゼロになった世界
特に刑法では「要件定義」ってのが必須なんだが…。単に『キモいから拘禁◎年』とかはダメで「この法律で『キモい』とは~」と冒頭でキチンと定義が無いと、現場で捜査機関の横暴がまかり通るから。
結局お気持ちに堕している人がチラホラいてウケる。/ 今は反対のこと言うの簡単だからなかなか根絶はできないと思うよ。日本はいい国だよな。
「お気持ち同士の戦い」だけではなくて、「お気持ちVS科学的根拠」という場合もありますね/お気持ちは、トランス差別や排外主義・HPVワクチン勧奨中止に繋がったりするので、時には踏みにじる必要もある
ここでjury nullificationのような厄介なモデルを持ち出してみる
少なくとも個人のお気持ちではないだろう。誰にもわかるようできるだけ明文化されたものじゃないとダメなのに、個人の解釈で都合よく解釈して使うことをお気持ちって言ってるんじゃない
英米法は元々貴族の争い調停用なのでめちゃ実務的で、妙なものも出てくるけど判例や議論でいくらでも変わるって言うお気持ち完全無視な面もある。大陸法は要は一神教で神の意思。お気持ちはめちゃ日本的感覚。
迷子になったお気持ち達の道しるべ、それが法律
「お気持ち」が立法事実になることはままある事ですからね、馬鹿にするもんじゃないよ
民法はお気持ち要素が強い感じはする。刑法はわからんけど。
( 外山恒一を思い出した「我々少数派にとって、選挙ほど馬鹿馬鹿しいものは無い。 多数決で決めれば、多数派が勝つに決まっているじゃないか!」)
その通りだと思うしもっと言うとその「お気持ち」も各々の体力に帰着するみたいなところがあるのでゴチャゴチャ言ってくる人には筋トレを勧めてあげるのが最適解な気がしてきた
ハンムラビ法典がお気持ちによる過剰な復習を防止するための「目には目を、歯には歯を(適度な罰)」だったところが画期的だから教科書になってたと記憶しているが今の教科書にどう書いてるかは知らない。
ざっくり言うとお気持ち同士が衝突した際の処理を定めたプロトコルが法律。何かを規制したい人達はお気持ちを馬鹿にされているというより他者より自分の意向を優先しろと根拠も示さず迫る姿勢が馬鹿にされてるのでは
お気持ちがバカにされるのは、言ってる本人すら具体的客観的に説明が出来ず、主張がコロコロ変わるからだよw。