凄い人だ。
アンパンマンのやなせたかし氏も、空腹の人へ自分の食べ物を分け与えられる人こそが正義の人だと言ってた。飢えてる人にお腹いっぱい食べさせたいというのは、戦争体験者の、重く悲痛な正義だ
凄いなぁ
へえええ、ポン菓子機の発明者ってまだご存命だったのか。少ない米と燃料でどうにか腹を満たすための発明だったんだなあ
"焼い弾" いらんところの漢字を開くな! ルビ振って書け! 逆に読めなくなるわ
枝雀さんの「代書屋」にも出てくるポン。もっともっと昔のものかと思った。
えー凄い!子供の頃はポン菓子屋さんが勝手に地面に陣取ってお米を持っていくと作ってくれた。
教員やってた若い姉ちゃんがやせ衰えた子どもたちのために家族の反対を押し切って単身北九州に行き、自動車部品の工場を営みながら金を貯めてポン菓子製造機を作るなんて本当に凄すぎる。
こういう人たちの存在が、アンパンマンが生まれたきっかけなんだろうなぁ……
にんじん
偉人
かさ増しして量食べた気にはなってたろうが、お腹いっぱいにはなっていたのかね…煎り大豆のように胃で膨れる訳でもないし。消化は良いだろうが、胡麻菓子系の食品なカテゴリ。腹より心を満たしてた感
今でも縁日で実演販売してるけど凄い豪快な音がするんだよね、しかし開発したのが女性だったのは知らなかった
国民栄誉賞もんやないかい
偉人だ
すごすぎる。最後のメッセージも泣いたぁ。
日本で最初にポン菓子機を作った人って特定できてるんだ⁉︎ この人を主人公のモデルにした小説もあるらしい。https://mainichi.jp/articles/20200820/k00/00m/040/075000c
こ、こういう人をもっと讃えて伝えていくべきだよ……
作り方が分からないから取り敢えず北九州行こう!なんのあてもないけど!という行動力が無駄に凄いし、そこから何とかなったのも凄い
アレクサンダー・ピアース・アンダーソンがアメリカで1901年に発見、1904年の万国博覧会で注目を集める。煮炊きする他にシリアルとしての選択肢があるのはいいことだ
『みんなで仲良く何でも教えてあげてね』 『人のことを考えてみんなの幸せを考えられるよう努力してほしいです』
18歳で教員になって戦争を経験し、子供たちに消化のいいものをお腹いっぱい食べさせるために単身「鉄の町」に渡って工場を立ち上げて、ポン菓子機を発明、全国に普及させる。/いずれNHK朝ドラのモチーフになりそう。
こういう経緯で開発されたものとは知らなかった。たまーに町の商店にポン菓子屋さんが来てて(当時バクダンと言った)米と100円持って行ったわ。
小さい頃近所にポン菓子のおじさんがやってきたとか言ってると年がバレる
父実家は満州引揚でド貧乏だったので内職としてポン菓子を家で作ってたらしい。小~中学生だった父が主に作業してて「自分が作ったのにひとつも食べられない、腹一杯ポン菓子食べてえなあ」といつも思ってたそうだ。
吉村さん、ポン菓子での子どもたちの笑顔、食の魔法使いですわね。
本当の偉人だ
そんな切実な想いから生まれたものだったのか……。
ポン菓子、出来たてがうめえんだよなぁ…
もっと牧歌的なイメージだったのだが、そんな開発経緯とは。
ポン菓子の口になっちゃった。このまま朝ドラに出来そう
救国の英雄です。
すごいな。全然知らなかった。数年後に朝ドラになってそう。/爆発から食べられるまで結構時間がかかるのが予想外だったな
感動した……。2019年の記事「「ポン菓子機」の進化は止まらない」https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/yoshinari-baba/19-00149#bbuttonこちらの吉村さんは息子さんかな。
行動力の化身!
「かさ増しして量食べた気になってる」というブコメ、昔は穀物を食べられる状態まで煮炊きするのも燃料と手間が必要だったという事を知らないんだろうな。ポン菓子なら小麦を製粉する必要も無いし
かさ増しといえばそうなんだけど、消化しやすい状態に、少ない燃料でたどり着ける、というのが特徴だね
子供の頃、近所に来たなぁ。子供からするとあの爆発が一大イベントなんだよね。できたポン菓子をでっかい袋にいっぱい持ち帰ったな。ありがとう。
女性が開発してたとは知らなかった。
すごい
この作る機械を見たのは小さい頃に数度きりだけど味もポップコーンやクッキーやキャラメルより好きだったな。よく素朴な味といわれるのも、ひもじい頃を通らず、原価高い方が有難いとも知らん頃なのでそれも感じず。
ポンでぇ~す
九州っていま話題のさす◯な?? 終戦直後。引き上げ者も多かっただろうに。。朝ドラにして欲しい。ヒロインはずっと独身なの??
みんなに反対されながら20で夜逃げのように単身北九州に行き車の部品作りながらポン菓子機製造?!朝ドラヒロインより強い。99歳だけど字もきれいだしお話もちゃんとできるし本当にすごい方だ。
その辺の起業家よりチャレンジ精神がある..
調理は消化吸収に必要なカロリーを外だしして効率を上げるってことなので、調理すらままならない当時では理にかなってるんだよね。 https://togetter.com/li/2097578
そんなに新しかったのか。/この動機だと「ムギ(お菓子の名前)」の系統が一番正しいポン菓子か。/「米や雑穀を生煮えの状態で食べ、腹を壊す子ども」「少ない米と燃料で」わりと燃料の部分が要点。
大人の戦争のツケを払う為、自らの命も財産も厭わない、飢えや欠乏に対しての最大限の挑戦。朝から勇気を貰ったぜ❤️🔥
すごい人だ。ちばてつやにしてもやなせたかしにしても、戦争と飢えの恐ろしさを語っているけれど。“子どもたちが飢えに苦しむ世界ではなく、おなかいっぱいに食べられる平和な世の中を”
おむすびじゃなくてポン菓子を朝ドラにすべきだったね
こう言う時代があったので食べ物を残すことの罪は計り知れないものがあったのよね。それを忘れられるのは「いいこと」なんだけどね。
うーむ
60年近く前、子供の頃、団地にポン菓子作りのおじさんが来るのが楽しみだったなあ。
子供の頃、少しのお米で袋いっぱいのポン菓子作ってくれるの大好きだった。今でもスーパーでたまに見かけて買ったりする。サラサラしててほんのり甘くて好きな味。本当にありがとうございます。
もう朝の連続テレビ小説じゃんか
人に歴史あり。大人になってもポン菓子好きなので興味深く読んだ。
飢えた人に自分の食糧を分け与える精神は素晴らしいけれど、では当時列強がブロック経済を形成する中、日本が自国内に閉じこもっていれば国民が豊かに暮らせた訳もなく。/平和裏に国を富ませるのはかくも難しい。
ポン菓子食べたくなった
さす九
地元の人で割と有名というかよく話題に上がります
あの時代に女性が工場経営するのだけでもすごいと思う。
https://support.google.com/edu/classroom/thread/334854433?hl=en&sjid=17662913014049274826-NC
ポン菓子にそんな歴史があったとは。。これの小さいやつはショート動画とかでよく見るよね
【戦後80年】「おなかいっぱい食べさせたい」国産ポン菓子機を開発した女性は99歳に いま子どもたちに伝えたいこと(FBS福岡放送) - Yahoo!ニュース
凄い人だ。
アンパンマンのやなせたかし氏も、空腹の人へ自分の食べ物を分け与えられる人こそが正義の人だと言ってた。飢えてる人にお腹いっぱい食べさせたいというのは、戦争体験者の、重く悲痛な正義だ
凄いなぁ
へえええ、ポン菓子機の発明者ってまだご存命だったのか。少ない米と燃料でどうにか腹を満たすための発明だったんだなあ
"焼い弾" いらんところの漢字を開くな! ルビ振って書け! 逆に読めなくなるわ
枝雀さんの「代書屋」にも出てくるポン。もっともっと昔のものかと思った。
えー凄い!子供の頃はポン菓子屋さんが勝手に地面に陣取ってお米を持っていくと作ってくれた。
教員やってた若い姉ちゃんがやせ衰えた子どもたちのために家族の反対を押し切って単身北九州に行き、自動車部品の工場を営みながら金を貯めてポン菓子製造機を作るなんて本当に凄すぎる。
こういう人たちの存在が、アンパンマンが生まれたきっかけなんだろうなぁ……
にんじん
偉人
かさ増しして量食べた気にはなってたろうが、お腹いっぱいにはなっていたのかね…煎り大豆のように胃で膨れる訳でもないし。消化は良いだろうが、胡麻菓子系の食品なカテゴリ。腹より心を満たしてた感
今でも縁日で実演販売してるけど凄い豪快な音がするんだよね、しかし開発したのが女性だったのは知らなかった
国民栄誉賞もんやないかい
偉人だ
すごすぎる。最後のメッセージも泣いたぁ。
日本で最初にポン菓子機を作った人って特定できてるんだ⁉︎ この人を主人公のモデルにした小説もあるらしい。https://mainichi.jp/articles/20200820/k00/00m/040/075000c
こ、こういう人をもっと讃えて伝えていくべきだよ……
作り方が分からないから取り敢えず北九州行こう!なんのあてもないけど!という行動力が無駄に凄いし、そこから何とかなったのも凄い
アレクサンダー・ピアース・アンダーソンがアメリカで1901年に発見、1904年の万国博覧会で注目を集める。煮炊きする他にシリアルとしての選択肢があるのはいいことだ
『みんなで仲良く何でも教えてあげてね』 『人のことを考えてみんなの幸せを考えられるよう努力してほしいです』
18歳で教員になって戦争を経験し、子供たちに消化のいいものをお腹いっぱい食べさせるために単身「鉄の町」に渡って工場を立ち上げて、ポン菓子機を発明、全国に普及させる。/いずれNHK朝ドラのモチーフになりそう。
こういう経緯で開発されたものとは知らなかった。たまーに町の商店にポン菓子屋さんが来てて(当時バクダンと言った)米と100円持って行ったわ。
小さい頃近所にポン菓子のおじさんがやってきたとか言ってると年がバレる
父実家は満州引揚でド貧乏だったので内職としてポン菓子を家で作ってたらしい。小~中学生だった父が主に作業してて「自分が作ったのにひとつも食べられない、腹一杯ポン菓子食べてえなあ」といつも思ってたそうだ。
吉村さん、ポン菓子での子どもたちの笑顔、食の魔法使いですわね。
本当の偉人だ
そんな切実な想いから生まれたものだったのか……。
ポン菓子、出来たてがうめえんだよなぁ…
もっと牧歌的なイメージだったのだが、そんな開発経緯とは。
ポン菓子の口になっちゃった。このまま朝ドラに出来そう
救国の英雄です。
すごいな。全然知らなかった。数年後に朝ドラになってそう。/爆発から食べられるまで結構時間がかかるのが予想外だったな
感動した……。2019年の記事「「ポン菓子機」の進化は止まらない」https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/yoshinari-baba/19-00149#bbuttonこちらの吉村さんは息子さんかな。
行動力の化身!
「かさ増しして量食べた気になってる」というブコメ、昔は穀物を食べられる状態まで煮炊きするのも燃料と手間が必要だったという事を知らないんだろうな。ポン菓子なら小麦を製粉する必要も無いし
かさ増しといえばそうなんだけど、消化しやすい状態に、少ない燃料でたどり着ける、というのが特徴だね
子供の頃、近所に来たなぁ。子供からするとあの爆発が一大イベントなんだよね。できたポン菓子をでっかい袋にいっぱい持ち帰ったな。ありがとう。
女性が開発してたとは知らなかった。
すごい
この作る機械を見たのは小さい頃に数度きりだけど味もポップコーンやクッキーやキャラメルより好きだったな。よく素朴な味といわれるのも、ひもじい頃を通らず、原価高い方が有難いとも知らん頃なのでそれも感じず。
ポンでぇ~す
九州っていま話題のさす◯な?? 終戦直後。引き上げ者も多かっただろうに。。朝ドラにして欲しい。ヒロインはずっと独身なの??
みんなに反対されながら20で夜逃げのように単身北九州に行き車の部品作りながらポン菓子機製造?!朝ドラヒロインより強い。99歳だけど字もきれいだしお話もちゃんとできるし本当にすごい方だ。
その辺の起業家よりチャレンジ精神がある..
調理は消化吸収に必要なカロリーを外だしして効率を上げるってことなので、調理すらままならない当時では理にかなってるんだよね。 https://togetter.com/li/2097578
そんなに新しかったのか。/この動機だと「ムギ(お菓子の名前)」の系統が一番正しいポン菓子か。/「米や雑穀を生煮えの状態で食べ、腹を壊す子ども」「少ない米と燃料で」わりと燃料の部分が要点。
大人の戦争のツケを払う為、自らの命も財産も厭わない、飢えや欠乏に対しての最大限の挑戦。朝から勇気を貰ったぜ❤️🔥
すごい人だ。ちばてつやにしてもやなせたかしにしても、戦争と飢えの恐ろしさを語っているけれど。“子どもたちが飢えに苦しむ世界ではなく、おなかいっぱいに食べられる平和な世の中を”
おむすびじゃなくてポン菓子を朝ドラにすべきだったね
こう言う時代があったので食べ物を残すことの罪は計り知れないものがあったのよね。それを忘れられるのは「いいこと」なんだけどね。
うーむ
60年近く前、子供の頃、団地にポン菓子作りのおじさんが来るのが楽しみだったなあ。
子供の頃、少しのお米で袋いっぱいのポン菓子作ってくれるの大好きだった。今でもスーパーでたまに見かけて買ったりする。サラサラしててほんのり甘くて好きな味。本当にありがとうございます。
もう朝の連続テレビ小説じゃんか
人に歴史あり。大人になってもポン菓子好きなので興味深く読んだ。
飢えた人に自分の食糧を分け与える精神は素晴らしいけれど、では当時列強がブロック経済を形成する中、日本が自国内に閉じこもっていれば国民が豊かに暮らせた訳もなく。/平和裏に国を富ませるのはかくも難しい。
ポン菓子食べたくなった
さす九
地元の人で割と有名というかよく話題に上がります
あの時代に女性が工場経営するのだけでもすごいと思う。
https://support.google.com/edu/classroom/thread/334854433?hl=en&sjid=17662913014049274826-NC
ポン菓子にそんな歴史があったとは。。これの小さいやつはショート動画とかでよく見るよね