「絶対真似しちゃいけません」のやつだ オウムも他も 元々は普通の人ばかりとか断れないとか
資本主義的社会生活から離れられるやつかな?一般論として、宗教団体には、社会に優しい人が集まりやすいのだろうね。
オウムに限らず、これまで会ったことがある有名どころの新興宗教の信者ってたいてい親切でいい人。PTAとか町内会でめちゃくちゃ利他的に活躍してたりする。
実際に潜入取材した人の言葉は貴重だけど、まあヤクザだって身内には優しいだろうしなあ。集団全体の狂気が個人のそれを吸収するとか、鉄砲玉に使うための馴致手法とか、色々ありそう。
後継団体の信者がいい人だからといって、オウム信者がいい人かは分からんだろ。オウムと後継団体の実態が同一なら成立するが、この人は後継団体の実態からオウムの実態を推察している訳で、理論が循環している。
教組や幹部にとっては、さぞかし使いやすかっただろうなと。だからこそ、教組や幹部の罪は重い。
ロシア人も良い奴多いよ、日本人なら半分くらいは余裕でロシアのファンになるんじゃないかな。基本、人は皆、良い奴だよ
例えばリフォーム詐欺師とかも、おじいちゃんおばあちゃんに「むっちゃ優し」かったりするのでな。営業の優しさほど怖いものはない
〇〇さん意外に良い人だった笑、みたいな能天気な投稿とか見るとコイツ平気か?ってなるやつね
身近な某学会信者も優しくて良い人ばかり。地域活動とかにも熱心。でも選挙になると人が変わったようになる。何も考えず教団の言うままに動いてる感じで、見てて悲しくなる。いらん世話だけど。
オウムに限らずヒトはその習性として「悪」と認定した相手には冷たい態度や苛烈な態度が取れるしね。仲間に厳しいのが珍しいくらいだよ
それは間違いない。みんな優しいしいい人で怒りの感情がなくまめな人が多い。が、すごく弱さがありどこか不自然。
家の近所にいたヤクザだって普段はめっちゃ優しかった。
“オウム真理教の後継団体に潜入して信者になった”サリン作って撒きたかったんだったね
昔侍商法の詐欺会社に数か月だけ働いてたことあったけど、全員後ろ暗い商売なこと知ってるせいかベテランの身内同士の結束は固かったし、全員新人には優しかったよ。
駅前で宗教勧誘している人も満ち足りた顔してるもんな。羨ましく思う時もあるけど、それに染まり切らなかったら辛いよなあとも思う。
まあそんな事を言い出したら、ナチスドイツも大日本帝国も良い人だらけだったと思うぞ
30年前杉並に住んでたけどオウム幸福の科学マスコミの三つ巴で無茶苦茶だったぞ。この人場合は年数的に一番狂気が抜けてた時代でしょ。今もそんなもんだと思ったら痛い目に遭うのでこれ読んで真に受けないように。
俺はこんなにお前に優しくしてるのお前らと来たら、ということでああいうことになる。
新しくメンバーになった人に優しくするのは、カルトはもちろん大抵の「集団ぽいもの」についてそうだと思うんだよな。シゴキ主義の部活とかでも、部員を増やしたい団体なら本入部の前は優しいよ。
優しい人が「宗教やってそう」と陰口叩かれるまである
まぁ、宗教ハマる様な人はそうやろうね…とは。
宗教の「優しさ」は「営業」の優しさとはちょっと違うんだよね。信者は本気でやってるから。某団体の友だちから誘われて集まりに出たことあるけど、みんないい人で居心地良すぎてかゆくなってきたもん。
そりゃ事件後だし、普通ならつとめて危険じゃないようにふるまう時期だろう。
カルトには純粋に組織維持の為に黙って働く養分の階層が必要だという事ではないか。組織運営側の狡猾さ攻撃性と信者の羊のような従順性はセットであると考えるべき。
その「優しい」人達が弁護士一家を殺害したり、松本でサリン撒いて大勢殺したり、地下鉄でサリン撒いて大勢殺したりした。「優しい」って何なんですかね、人命を軽視すること?
むしろ会ったばかりで親しくもないのに優しいって時点で警戒度マックスブレイカーだよね
それだけ渡る世間は鬼ばかりということですわ、とはいえ何の関係もない他人に優しくする理由も無いからな。 ある程度の利害が一致している人同士は優しくなれる、その利害の方向性が問題になることはある。
"テロ事件の時もそうだったんだろうなーと。だからこそ怖いし、「良い人」とか「優しい」って大した指標にならないですよな"カルトの人々は自分たちが良いことをしてると思ってるからタチが悪い.
正直、ここ数年、人生踏んだり蹴ったりすぎて(何らかのコミュニティに属するという意味でも)宗教に縋るのも一つの手かなと思わなくもないが、正常な判断能力だけは常に持っていないとな、と思いました。
「龍はみな優しいよ。優しくて愚かだ」
北朝鮮に行って「素朴な良い国でした」って言う奴くらい無意味…
優しいというか従順で主体性が薄いというだけでは
初対面の方に対応する時はカルトに限らず誰でも親切だよ。騙されてはいけない。だね。
真光信者の伯父は詐欺同然の訪問販売も「わざわざ来てくれたのに断ると悪いから」と契約してしまうほど、不自然なまでに優しい。意思決定を避けたい性質の表れが優しさであり、それ故に指針となる宗教に頼るのか
山村工作隊が好感持たれた活動は医師の診察だったという話があったな。新宗教が社会奉仕活動をするというのは珍しくはない。
「良い人」「優しい」と評価される自分、虚無であることが発覚/まあ優しくないよりはいいか
人は基本的にみんな優しいねん
別にその出会った優しい人がサリン撒いたわけとちゃうやろ
地獄への道は善意で舗装されているってやつかな…。コミュニティ単位で間違ってたらどうしようもないんだよね。
つーても、サリン事件なんかに関わってた信者はごく一部で、一般信者はその辺何にも知らなかったんだけどな。この人は潜入取材までしといて、こんな事書くんだ?
優しかろうが何だろうが、無差別殺人事件を起こした組織の後継と知らない訳もないだろうに、信者になる時点で人間としては終わってる。
あとカルトの入り口は対象者を「誉めまくる」か「貶しまくるか」なのに。
そんな詐欺の常套句にかかるのはなあ。距離が近い&無条件の優しさなんて怪しすぎる
ブクマカだって大抵は良い人で優しいと思うよ
方向性は少し違うのだが、前の職場で炎上させまくるプロマネがいた。かなり良い人だった。四方八方良くしようとして、優先順位がバグってる感じがあった。僕は下っ端の癖に上に指示を出すので相性良かったよ。
優しくされたい時は献血に行くといいんやで
オウム真理教は「今、死なせてあげることが、その人の魂にとっての救済になる」って理屈で信者に殺人させてた。「優しい人」のための方便ではあるよね。/殺される側からすれば、何を勝手なことを、でしかないけども
悩みや不安を抱えてる人に優しく声をかけて引き込んでくるのだ。そりゃ優しく見えないとやってられない。金や自分の力でなんともならない問題を抱えた心に寄り添われると学歴や金あってもコロンだぞ。
不勉強で疑うことを知らない「善人」は、それを利用する悪魔の手下に適任だろう。オウム構成員の犯した事件の数々を勉強していれば、後継団体といえども一切のかかわりを持とうと普通は思わない。
そりゃサリンやポアやってた原理主義者や過激派がムショにぶち込まれて、穏健派しか残ってないんだから必然的にそうなる。森達也氏のドキュメンタリーも穏健派の代表である荒木氏ばかりしか撮ってないし。
え?良い人で優しいの重要じゃん
あー、いいですよね「優しい」。強いとか賢いとか何々が得意とかは、努力だったり才能だったりが必要ですけど、優しいだけは何も要らない、誰でも自称した瞬間に獲得できる、実質ただの「無」ですもんね!
そもそも善意から縁なき衆生をポアしてあげようってんだから「優しい」んだよ。だから大変なんだよ。
優しいことは普通にプラスの要素で誇るべき美点なんだけど、優しいに無知や無能が加わると、プラスとマイナスの乗算でマイナス要素が爆上がりするイメージ。社会にとっての無能な働き者というか。
新興宗教でそれっぽい教義守ってなくて殺伐としてたら終わりなんだわ。 宗教組織のテロだって、軍人のクーデターだって、やってる本人達は正義のためにやってるって信じきってるからタチが悪いんよ。
逆に、誰にも優しくしない人ってかなりレアでは…?
熱心な信者の優しさは営業的な優しさや身内に対する優しさじゃなくて、博愛的で献身的な優しさなんだよな。すごく一途で。
物質社会や人間関係に悩み疎外感や孤独を感じた心優しい人を宗教が優しく受け入れてくれる。それを組織拡大や金儲けに利用するのが教祖や幹部。善意で布教活動をし叩かれると組織を守ろうと仲間意識が高まり攻撃的に
全共闘の時に公安が穏健派を序盤で逮捕して過激派だけ残して自然崩壊に近い形で組織壊滅まで追いやってたのと逆パターンな感じだよね。
別にオウムに限らず、キリスト教にしろ仏教にしろ大多数は普通にいい人だと思うよ。問題は教祖が敵認定した相手を容易に殺し得ること。
カラシニコフを作ってた人、サリンを作った人に話を聞いてみたい。名乗り出ることはないだろうけど
表面上優しい人って今まで何人も会ってきたが、すぐわかるんだよなぁ。価値基準が常に自分の利益だから。普通の人は時と場合によって使い分けてるんだよね。
優しさ故にとか勧誘目的や仲間故のそれではなく凡庸な悪の水割り版というかそこにいたのは普通の人だったというだけじゃないかね。また前科のある団体・人への警戒はあって当然だが果たして…俺の頭じゃ分からんが
不幸にも浅薄で稚拙、学力学歴と無関係に自分の頭で考える能力が欠損する人が洗脳され易いのさ。残念ながら、そうした類の人間は何時の時代にも一定数存在する。ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」とは、その事だ。
だからこそ、自分が弱ってたり、正常な判断できないときに近づいちゃダメなやつ
宗教信仰している人は、そうでない人に比べ日々それなりに充実しているので、人に優しくする余裕があるのは当たり前。キリスト教仏教の信仰者含めて/無宗教という名の宗教への偏見ばかりの平均的日本人こそ異質かも
共産党員が「あの人は真面目でいい人なんだけどね」と地域社会で評されがちのを思い出した。大学の時、教授から「きみは子供と高齢者に好かれるだろう」「はい」「だから駄目なんだよ!」と叱られたのも思い出した。
「この世には様々な人がいる、正直者も嘘吐きも情けない奴も勇敢な奴も。さらに驚きなのが一人の人間に全ての要素が入っていることもざらにあるし、それが日々変化したりする。」
そら獲物囲いたくて範囲内に来てるのだからひたすら優しくする。そのうち自立でもさせる気ならそれなりに厳しくする。概念は違えどタダより高い物はない。
これも昔からネットメディアが拡散してる言説で、「優しい人間は有害だ!」ってやつ。チェリーピッキングで無理やりこじつけてる
いまだと「教祖は悪くない、事件は捏造」みたいな動画や切り抜き動画をYouTubeやSNSで大量に拡散させることで新規信者を獲得できそう。オウムは選挙で全員落選したけど、今はSNSで信者を獲得すれば当選できるもんなあ
「優しい大人」が普通なんですよ。「優しくない大人」はその時点で異常者なの。で、「優しい大人」の中にも普通に異常者はいるの。「優しさ」は標準装備なの。パワーウインドウなの。
21年くらい前にオウム真理教の後継団体に潜入して信者になったけどみんな良い人だったし優しかった「『優しい』って大した指標にならない」
「絶対真似しちゃいけません」のやつだ オウムも他も 元々は普通の人ばかりとか断れないとか
資本主義的社会生活から離れられるやつかな?一般論として、宗教団体には、社会に優しい人が集まりやすいのだろうね。
オウムに限らず、これまで会ったことがある有名どころの新興宗教の信者ってたいてい親切でいい人。PTAとか町内会でめちゃくちゃ利他的に活躍してたりする。
実際に潜入取材した人の言葉は貴重だけど、まあヤクザだって身内には優しいだろうしなあ。集団全体の狂気が個人のそれを吸収するとか、鉄砲玉に使うための馴致手法とか、色々ありそう。
後継団体の信者がいい人だからといって、オウム信者がいい人かは分からんだろ。オウムと後継団体の実態が同一なら成立するが、この人は後継団体の実態からオウムの実態を推察している訳で、理論が循環している。
教組や幹部にとっては、さぞかし使いやすかっただろうなと。だからこそ、教組や幹部の罪は重い。
ロシア人も良い奴多いよ、日本人なら半分くらいは余裕でロシアのファンになるんじゃないかな。基本、人は皆、良い奴だよ
例えばリフォーム詐欺師とかも、おじいちゃんおばあちゃんに「むっちゃ優し」かったりするのでな。営業の優しさほど怖いものはない
〇〇さん意外に良い人だった笑、みたいな能天気な投稿とか見るとコイツ平気か?ってなるやつね
身近な某学会信者も優しくて良い人ばかり。地域活動とかにも熱心。でも選挙になると人が変わったようになる。何も考えず教団の言うままに動いてる感じで、見てて悲しくなる。いらん世話だけど。
オウムに限らずヒトはその習性として「悪」と認定した相手には冷たい態度や苛烈な態度が取れるしね。仲間に厳しいのが珍しいくらいだよ
それは間違いない。みんな優しいしいい人で怒りの感情がなくまめな人が多い。が、すごく弱さがありどこか不自然。
家の近所にいたヤクザだって普段はめっちゃ優しかった。
“オウム真理教の後継団体に潜入して信者になった”サリン作って撒きたかったんだったね
昔侍商法の詐欺会社に数か月だけ働いてたことあったけど、全員後ろ暗い商売なこと知ってるせいかベテランの身内同士の結束は固かったし、全員新人には優しかったよ。
駅前で宗教勧誘している人も満ち足りた顔してるもんな。羨ましく思う時もあるけど、それに染まり切らなかったら辛いよなあとも思う。
まあそんな事を言い出したら、ナチスドイツも大日本帝国も良い人だらけだったと思うぞ
30年前杉並に住んでたけどオウム幸福の科学マスコミの三つ巴で無茶苦茶だったぞ。この人場合は年数的に一番狂気が抜けてた時代でしょ。今もそんなもんだと思ったら痛い目に遭うのでこれ読んで真に受けないように。
俺はこんなにお前に優しくしてるのお前らと来たら、ということでああいうことになる。
新しくメンバーになった人に優しくするのは、カルトはもちろん大抵の「集団ぽいもの」についてそうだと思うんだよな。シゴキ主義の部活とかでも、部員を増やしたい団体なら本入部の前は優しいよ。
優しい人が「宗教やってそう」と陰口叩かれるまである
まぁ、宗教ハマる様な人はそうやろうね…とは。
宗教の「優しさ」は「営業」の優しさとはちょっと違うんだよね。信者は本気でやってるから。某団体の友だちから誘われて集まりに出たことあるけど、みんないい人で居心地良すぎてかゆくなってきたもん。
そりゃ事件後だし、普通ならつとめて危険じゃないようにふるまう時期だろう。
カルトには純粋に組織維持の為に黙って働く養分の階層が必要だという事ではないか。組織運営側の狡猾さ攻撃性と信者の羊のような従順性はセットであると考えるべき。
その「優しい」人達が弁護士一家を殺害したり、松本でサリン撒いて大勢殺したり、地下鉄でサリン撒いて大勢殺したりした。「優しい」って何なんですかね、人命を軽視すること?
むしろ会ったばかりで親しくもないのに優しいって時点で警戒度マックスブレイカーだよね
それだけ渡る世間は鬼ばかりということですわ、とはいえ何の関係もない他人に優しくする理由も無いからな。 ある程度の利害が一致している人同士は優しくなれる、その利害の方向性が問題になることはある。
"テロ事件の時もそうだったんだろうなーと。だからこそ怖いし、「良い人」とか「優しい」って大した指標にならないですよな"カルトの人々は自分たちが良いことをしてると思ってるからタチが悪い.
正直、ここ数年、人生踏んだり蹴ったりすぎて(何らかのコミュニティに属するという意味でも)宗教に縋るのも一つの手かなと思わなくもないが、正常な判断能力だけは常に持っていないとな、と思いました。
「龍はみな優しいよ。優しくて愚かだ」
北朝鮮に行って「素朴な良い国でした」って言う奴くらい無意味…
優しいというか従順で主体性が薄いというだけでは
初対面の方に対応する時はカルトに限らず誰でも親切だよ。騙されてはいけない。だね。
真光信者の伯父は詐欺同然の訪問販売も「わざわざ来てくれたのに断ると悪いから」と契約してしまうほど、不自然なまでに優しい。意思決定を避けたい性質の表れが優しさであり、それ故に指針となる宗教に頼るのか
山村工作隊が好感持たれた活動は医師の診察だったという話があったな。新宗教が社会奉仕活動をするというのは珍しくはない。
「良い人」「優しい」と評価される自分、虚無であることが発覚/まあ優しくないよりはいいか
人は基本的にみんな優しいねん
別にその出会った優しい人がサリン撒いたわけとちゃうやろ
地獄への道は善意で舗装されているってやつかな…。コミュニティ単位で間違ってたらどうしようもないんだよね。
つーても、サリン事件なんかに関わってた信者はごく一部で、一般信者はその辺何にも知らなかったんだけどな。この人は潜入取材までしといて、こんな事書くんだ?
優しかろうが何だろうが、無差別殺人事件を起こした組織の後継と知らない訳もないだろうに、信者になる時点で人間としては終わってる。
あとカルトの入り口は対象者を「誉めまくる」か「貶しまくるか」なのに。
そんな詐欺の常套句にかかるのはなあ。距離が近い&無条件の優しさなんて怪しすぎる
ブクマカだって大抵は良い人で優しいと思うよ
方向性は少し違うのだが、前の職場で炎上させまくるプロマネがいた。かなり良い人だった。四方八方良くしようとして、優先順位がバグってる感じがあった。僕は下っ端の癖に上に指示を出すので相性良かったよ。
優しくされたい時は献血に行くといいんやで
オウム真理教は「今、死なせてあげることが、その人の魂にとっての救済になる」って理屈で信者に殺人させてた。「優しい人」のための方便ではあるよね。/殺される側からすれば、何を勝手なことを、でしかないけども
悩みや不安を抱えてる人に優しく声をかけて引き込んでくるのだ。そりゃ優しく見えないとやってられない。金や自分の力でなんともならない問題を抱えた心に寄り添われると学歴や金あってもコロンだぞ。
不勉強で疑うことを知らない「善人」は、それを利用する悪魔の手下に適任だろう。オウム構成員の犯した事件の数々を勉強していれば、後継団体といえども一切のかかわりを持とうと普通は思わない。
そりゃサリンやポアやってた原理主義者や過激派がムショにぶち込まれて、穏健派しか残ってないんだから必然的にそうなる。森達也氏のドキュメンタリーも穏健派の代表である荒木氏ばかりしか撮ってないし。
え?良い人で優しいの重要じゃん
あー、いいですよね「優しい」。強いとか賢いとか何々が得意とかは、努力だったり才能だったりが必要ですけど、優しいだけは何も要らない、誰でも自称した瞬間に獲得できる、実質ただの「無」ですもんね!
そもそも善意から縁なき衆生をポアしてあげようってんだから「優しい」んだよ。だから大変なんだよ。
優しいことは普通にプラスの要素で誇るべき美点なんだけど、優しいに無知や無能が加わると、プラスとマイナスの乗算でマイナス要素が爆上がりするイメージ。社会にとっての無能な働き者というか。
新興宗教でそれっぽい教義守ってなくて殺伐としてたら終わりなんだわ。 宗教組織のテロだって、軍人のクーデターだって、やってる本人達は正義のためにやってるって信じきってるからタチが悪いんよ。
逆に、誰にも優しくしない人ってかなりレアでは…?
熱心な信者の優しさは営業的な優しさや身内に対する優しさじゃなくて、博愛的で献身的な優しさなんだよな。すごく一途で。
物質社会や人間関係に悩み疎外感や孤独を感じた心優しい人を宗教が優しく受け入れてくれる。それを組織拡大や金儲けに利用するのが教祖や幹部。善意で布教活動をし叩かれると組織を守ろうと仲間意識が高まり攻撃的に
全共闘の時に公安が穏健派を序盤で逮捕して過激派だけ残して自然崩壊に近い形で組織壊滅まで追いやってたのと逆パターンな感じだよね。
別にオウムに限らず、キリスト教にしろ仏教にしろ大多数は普通にいい人だと思うよ。問題は教祖が敵認定した相手を容易に殺し得ること。
カラシニコフを作ってた人、サリンを作った人に話を聞いてみたい。名乗り出ることはないだろうけど
表面上優しい人って今まで何人も会ってきたが、すぐわかるんだよなぁ。価値基準が常に自分の利益だから。普通の人は時と場合によって使い分けてるんだよね。
優しさ故にとか勧誘目的や仲間故のそれではなく凡庸な悪の水割り版というかそこにいたのは普通の人だったというだけじゃないかね。また前科のある団体・人への警戒はあって当然だが果たして…俺の頭じゃ分からんが
不幸にも浅薄で稚拙、学力学歴と無関係に自分の頭で考える能力が欠損する人が洗脳され易いのさ。残念ながら、そうした類の人間は何時の時代にも一定数存在する。ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」とは、その事だ。
だからこそ、自分が弱ってたり、正常な判断できないときに近づいちゃダメなやつ
宗教信仰している人は、そうでない人に比べ日々それなりに充実しているので、人に優しくする余裕があるのは当たり前。キリスト教仏教の信仰者含めて/無宗教という名の宗教への偏見ばかりの平均的日本人こそ異質かも
共産党員が「あの人は真面目でいい人なんだけどね」と地域社会で評されがちのを思い出した。大学の時、教授から「きみは子供と高齢者に好かれるだろう」「はい」「だから駄目なんだよ!」と叱られたのも思い出した。
「この世には様々な人がいる、正直者も嘘吐きも情けない奴も勇敢な奴も。さらに驚きなのが一人の人間に全ての要素が入っていることもざらにあるし、それが日々変化したりする。」
そら獲物囲いたくて範囲内に来てるのだからひたすら優しくする。そのうち自立でもさせる気ならそれなりに厳しくする。概念は違えどタダより高い物はない。
これも昔からネットメディアが拡散してる言説で、「優しい人間は有害だ!」ってやつ。チェリーピッキングで無理やりこじつけてる
いまだと「教祖は悪くない、事件は捏造」みたいな動画や切り抜き動画をYouTubeやSNSで大量に拡散させることで新規信者を獲得できそう。オウムは選挙で全員落選したけど、今はSNSで信者を獲得すれば当選できるもんなあ
「優しい大人」が普通なんですよ。「優しくない大人」はその時点で異常者なの。で、「優しい大人」の中にも普通に異常者はいるの。「優しさ」は標準装備なの。パワーウインドウなの。