褒められるのも褒めるのも苦手ってすごく分かる
「褒める」にまつわる忌避感、違和感、警戒感の言語化すごい…!
褒めるのを評価やコントロールとして捉えすぎると身構えるから観察した事実だけを伝えるポジションになるのは職場マネジメントでも活きる視点だな
“相手をコントロールする手段として「褒める」ことに対する忌避感 ”(タイミングや拒絶への警戒はさておき、褒め言葉にかぎらず会話で相手への影響は避けられないんじゃないか。でも娘さんの責任感はなかなか)
AI使おう。
出だししか見てないけど、褒めって訓練だと思ってるから賛同できない。試行回数ゲームだぜ
褒められる側も慣れてないヒト多くて「そんなところまで観ててくれてたの、ありがとう」で済まずに「そう、それでね」と自分語りに突入するケースが多いから、そっち方面の啓蒙も大事かと思う。
最近はSNSでも、手放しに褒めてくれる人を訝しむ傾向ある。ストレートに「素敵だ」と伝えても「裏に何か企みがあるんじゃないか」「そもそもこの人は私の未来に責任を持ってくれない」など。自縄自縛と思ってる。
中学生でその意識はすごいな。うちの高校生の息子なんて庭でアリの巣を水責めにして遊んでるぞ。
趣味は人間観察(笑)
私の趣味のフットサル、草サッカーで得た経験則でもありますが、結果よりも行為を褒めると良いやつです。そのためには観察は欠かせなく、トライした心意義を褒めるのは相手を承認しているよと安心感も与える。
変に褒めると貴様を監視しているぞみたいなプレッシャーになりかねないのよな
しんざき。相手が努力したり得意で見て欲しいポイントも褒めないと、細かく見てるって思われなくて言葉が刺さらないんだよな
ここもそうだが、肯定的なアクションはいいねとかはてなスターとかで気軽に出来るのに対して、否定的なアクションはちゃんと文字表現する必要があるから後者ばっかり達者になる弊害がネットにはあると思う。
>「気付いたよ」と伝えるだけで、相手からすればちゃんと「見てくれていた」|これに尽きるよな、私が親から欲しかったものってこれだわ(親は褒めてはくれるけど見てない、カラ褒めが多かった)
そういう語彙や文化が少ないって悲しい現実がありますね。この辺は海外の方が充実していそうです
“褒めることで相手を動かす意図を「不純」と思えるなら、そんなものは目指さなくていい。目指すのは、相手をよく観察する → 気付いたことを具体的に伝える「見てたよ」 → 相手がどう受け取るかは任せる”
『「ちゃんと見てたよ」という、観察の結果だけを相手に伝えればいい』他人が知らないはずのことを知ってるホラー展開
タイトルでしんざきさんかなと思ったらしんざきさんだった。
立場が言わせてると勘違いされるのは嫌だよね。私も誉め言葉は思わず「そんなことないですよー」と言ってしまうので。見てたよは良いと思う。/ごめんなさいは言えないがありがとうございましたなら言えるみたいな
中学生の頃なんて自分のことばっかりで、他人のことを褒めようなんて考える余裕なかったなー。器の違いを感じるぜー
タイトルしんざきさん余裕
アメリカ人の褒め力を日本人に少しだけ分けて欲しい
ワイはそこまでじゃないが素直に「すごいな」と思ったことを口にしたらそれが相手を不快にした、という経験のある発達障害者は結構いて、難しい話だなといつも思うのだ
褒めるとおだてるは違うからね〜。後輩もその辺は敏感だから迂闊に出来ない。普段から雑談して距離を縮めておくのが良いのかも。
マネジメントでも一緒ですね。よく観察して、考えてフィードバックを伝える。
すぐに褒められなくても、注意しなければいけない時に「前は良かった」と伝える時のクッションになる。
褒めるのが苦手な人って、褒められるのが苦手って人も多いよね。 相手の言葉を額面通りに受けれないから、相手にも同じ思いをさせちゃうんじゃないかって。 まずは自己肯定感を高めるのがいい。私への提言
「相手をよく観察する → 気付いたことを具体的に伝える → 相手がどう受け取るかは任せる」 / 大事なのは「観察」
後で読みたい。「部活で褒めるのが苦手」と言う次女に「観察上手になればいい」と話した - レバテ
助言の量を加減できるのすごい。褒めなどの文章を頭の中で完成させてから話し始めると会話のテンポに追いつけないので、「よく頑張ってたね」など観察した事実から話し始めて、動的に生成するのがよいんですよね。
「部活で褒めるのが苦手」と言う次女に「観察上手になればいい」と話した - レバテックLAB
褒められるのも褒めるのも苦手ってすごく分かる
「褒める」にまつわる忌避感、違和感、警戒感の言語化すごい…!
褒めるのを評価やコントロールとして捉えすぎると身構えるから観察した事実だけを伝えるポジションになるのは職場マネジメントでも活きる視点だな
“相手をコントロールする手段として「褒める」ことに対する忌避感 ”(タイミングや拒絶への警戒はさておき、褒め言葉にかぎらず会話で相手への影響は避けられないんじゃないか。でも娘さんの責任感はなかなか)
AI使おう。
出だししか見てないけど、褒めって訓練だと思ってるから賛同できない。試行回数ゲームだぜ
褒められる側も慣れてないヒト多くて「そんなところまで観ててくれてたの、ありがとう」で済まずに「そう、それでね」と自分語りに突入するケースが多いから、そっち方面の啓蒙も大事かと思う。
最近はSNSでも、手放しに褒めてくれる人を訝しむ傾向ある。ストレートに「素敵だ」と伝えても「裏に何か企みがあるんじゃないか」「そもそもこの人は私の未来に責任を持ってくれない」など。自縄自縛と思ってる。
中学生でその意識はすごいな。うちの高校生の息子なんて庭でアリの巣を水責めにして遊んでるぞ。
趣味は人間観察(笑)
私の趣味のフットサル、草サッカーで得た経験則でもありますが、結果よりも行為を褒めると良いやつです。そのためには観察は欠かせなく、トライした心意義を褒めるのは相手を承認しているよと安心感も与える。
変に褒めると貴様を監視しているぞみたいなプレッシャーになりかねないのよな
しんざき。相手が努力したり得意で見て欲しいポイントも褒めないと、細かく見てるって思われなくて言葉が刺さらないんだよな
ここもそうだが、肯定的なアクションはいいねとかはてなスターとかで気軽に出来るのに対して、否定的なアクションはちゃんと文字表現する必要があるから後者ばっかり達者になる弊害がネットにはあると思う。
>「気付いたよ」と伝えるだけで、相手からすればちゃんと「見てくれていた」|これに尽きるよな、私が親から欲しかったものってこれだわ(親は褒めてはくれるけど見てない、カラ褒めが多かった)
そういう語彙や文化が少ないって悲しい現実がありますね。この辺は海外の方が充実していそうです
“褒めることで相手を動かす意図を「不純」と思えるなら、そんなものは目指さなくていい。目指すのは、相手をよく観察する → 気付いたことを具体的に伝える「見てたよ」 → 相手がどう受け取るかは任せる”
『「ちゃんと見てたよ」という、観察の結果だけを相手に伝えればいい』他人が知らないはずのことを知ってるホラー展開
タイトルでしんざきさんかなと思ったらしんざきさんだった。
立場が言わせてると勘違いされるのは嫌だよね。私も誉め言葉は思わず「そんなことないですよー」と言ってしまうので。見てたよは良いと思う。/ごめんなさいは言えないがありがとうございましたなら言えるみたいな
中学生の頃なんて自分のことばっかりで、他人のことを褒めようなんて考える余裕なかったなー。器の違いを感じるぜー
タイトルしんざきさん余裕
アメリカ人の褒め力を日本人に少しだけ分けて欲しい
ワイはそこまでじゃないが素直に「すごいな」と思ったことを口にしたらそれが相手を不快にした、という経験のある発達障害者は結構いて、難しい話だなといつも思うのだ
褒めるとおだてるは違うからね〜。後輩もその辺は敏感だから迂闊に出来ない。普段から雑談して距離を縮めておくのが良いのかも。
マネジメントでも一緒ですね。よく観察して、考えてフィードバックを伝える。
すぐに褒められなくても、注意しなければいけない時に「前は良かった」と伝える時のクッションになる。
褒めるのが苦手な人って、褒められるのが苦手って人も多いよね。 相手の言葉を額面通りに受けれないから、相手にも同じ思いをさせちゃうんじゃないかって。 まずは自己肯定感を高めるのがいい。私への提言
「相手をよく観察する → 気付いたことを具体的に伝える → 相手がどう受け取るかは任せる」 / 大事なのは「観察」
後で読みたい。「部活で褒めるのが苦手」と言う次女に「観察上手になればいい」と話した - レバテ
助言の量を加減できるのすごい。褒めなどの文章を頭の中で完成させてから話し始めると会話のテンポに追いつけないので、「よく頑張ってたね」など観察した事実から話し始めて、動的に生成するのがよいんですよね。