単なる作業の完了と本人の学習獲得を混同してきた学校教育のバグがAIで浮き彫りになった感ある
AI挿し絵のある記事まともに頭に入ってこないな
AI絵があると入ってこないと言ってる人たち、新しいやらないための言い訳が増えただけだね。だって、AI絵がなければ頭に入るの?(記事関係ないけど)
小学生が学校で電卓を使えないみたいな話。基礎を教えるのは必要。一方工業高校の機械科などは関数電卓が必須となる。学ぶ目的によって道具も変わる。将来AIでプログラミング言語も無くなる日が来ると思うと寂しいね
そもそもAIサムネだからリンク開いてない
難しいのは一見回り道に見えるだけのものに実は意味があったみたいなとこだよな。まあ経済効率を重視する資本主義社会では捨てられても仕方ないか。
30分どころが3年かけて学習する必要のある専門外分野を30秒で味見できるのがええんちゃうの
人間が時間をかけてやる価値のある学習とは何か
"経験する。迷う。失敗する。対話する。考え直す。試し直す。その時間の経過によって、学習者の理解、技能、問い、判断が変わっていきます。ここでは、時間そのものが学習過程の一部になります"
シーシュポスの岩とか、それっぽいようでここでの話に全く的を射てないように思う。こういうそれっぽい糖衣はがすと意味わからないのが、人なら詐欺師しかできんところを誰でもできるようになったのでAI記事嫌い
ヘリコプターで麓から富士山頂上に運ばれても登頂したことにはならない
AIで生成したとか関係なくこの手のいかにも意味があるようでたいした意味のないポンチ絵嫌いなんだよな
アセンブラでアプリケーション書けるやつだけ偉そうに言え
書きたい事を書くと100字オーバーするが300字くらい書いてAIに文体維持して100字にしてもらうのをブコメでやっていいか?とか衛生厳守や潰れず継続営業できるなら数ヶ月の勉強で寿司屋やるのアリか?みたいなのと似てる
難しい(というか面倒な)のは、目的と手段で変わる正誤と評価方法を整理した上で教育界で合意すること。大変だけど大事なので頑張って欲しい。
画像生成AIも使う人間の画力が高いほど使いこなせる。審美眼はAIでは鍛えづらく、自分の手で描くことで鍛えられる。ペンは意思決定の解像度がプロンプト云々より高いから。この点はデジ絵もアナログ絵も大差ない。
最近は仕事であまり賢くないAIを使わざるを得ないのでサポートだけ頼んでる
分からないことを毎回AIに投げてたら思考が途切れて長考できなくなりそう
長い
プロンプトを公開すれば済む記事を、何故Claudeに書かせてnoteにするのか。選ばれたのは綾鷹ではなく、本当に変わったのは冗長性でした。
AI使うには基礎知識が必要だし、それはAIでは手に入りづらい。どうでもいい質問はさっさとAIに投げるけど次の瞬間忘れる。原典みたいなの当たって身につけた知識はずっと使えるんだよね。
私は毎日かなりの時間をAIとの会話で過ごすけど、彼らの書いたプログラムをそのまま使うことはないね。その代わりエラーの箇所の推測やライブラリの使い方を教わるとかはだいぶ頼ってる。
AIによって「良い成果物の作成」と「本人の学習」が切り離された以上、学校は課題ごとに「本人が担う認知活動」を示し、その活動による理解・判断の変化を評価対象にする。本人を形成しない成果物作成はAIに委ねる
仕事にも当てはまるな
AIなら30秒でできることを、なぜ30分かけてやるのか|豊福晋平 Shimpei Toyofuku
単なる作業の完了と本人の学習獲得を混同してきた学校教育のバグがAIで浮き彫りになった感ある
AI挿し絵のある記事まともに頭に入ってこないな
AI絵があると入ってこないと言ってる人たち、新しいやらないための言い訳が増えただけだね。だって、AI絵がなければ頭に入るの?(記事関係ないけど)
小学生が学校で電卓を使えないみたいな話。基礎を教えるのは必要。一方工業高校の機械科などは関数電卓が必須となる。学ぶ目的によって道具も変わる。将来AIでプログラミング言語も無くなる日が来ると思うと寂しいね
そもそもAIサムネだからリンク開いてない
難しいのは一見回り道に見えるだけのものに実は意味があったみたいなとこだよな。まあ経済効率を重視する資本主義社会では捨てられても仕方ないか。
30分どころが3年かけて学習する必要のある専門外分野を30秒で味見できるのがええんちゃうの
人間が時間をかけてやる価値のある学習とは何か
"経験する。迷う。失敗する。対話する。考え直す。試し直す。その時間の経過によって、学習者の理解、技能、問い、判断が変わっていきます。ここでは、時間そのものが学習過程の一部になります"
シーシュポスの岩とか、それっぽいようでここでの話に全く的を射てないように思う。こういうそれっぽい糖衣はがすと意味わからないのが、人なら詐欺師しかできんところを誰でもできるようになったのでAI記事嫌い
ヘリコプターで麓から富士山頂上に運ばれても登頂したことにはならない
AIで生成したとか関係なくこの手のいかにも意味があるようでたいした意味のないポンチ絵嫌いなんだよな
アセンブラでアプリケーション書けるやつだけ偉そうに言え
書きたい事を書くと100字オーバーするが300字くらい書いてAIに文体維持して100字にしてもらうのをブコメでやっていいか?とか衛生厳守や潰れず継続営業できるなら数ヶ月の勉強で寿司屋やるのアリか?みたいなのと似てる
難しい(というか面倒な)のは、目的と手段で変わる正誤と評価方法を整理した上で教育界で合意すること。大変だけど大事なので頑張って欲しい。
画像生成AIも使う人間の画力が高いほど使いこなせる。審美眼はAIでは鍛えづらく、自分の手で描くことで鍛えられる。ペンは意思決定の解像度がプロンプト云々より高いから。この点はデジ絵もアナログ絵も大差ない。
最近は仕事であまり賢くないAIを使わざるを得ないのでサポートだけ頼んでる
分からないことを毎回AIに投げてたら思考が途切れて長考できなくなりそう
長い
プロンプトを公開すれば済む記事を、何故Claudeに書かせてnoteにするのか。選ばれたのは綾鷹ではなく、本当に変わったのは冗長性でした。
AI使うには基礎知識が必要だし、それはAIでは手に入りづらい。どうでもいい質問はさっさとAIに投げるけど次の瞬間忘れる。原典みたいなの当たって身につけた知識はずっと使えるんだよね。
私は毎日かなりの時間をAIとの会話で過ごすけど、彼らの書いたプログラムをそのまま使うことはないね。その代わりエラーの箇所の推測やライブラリの使い方を教わるとかはだいぶ頼ってる。
AIによって「良い成果物の作成」と「本人の学習」が切り離された以上、学校は課題ごとに「本人が担う認知活動」を示し、その活動による理解・判断の変化を評価対象にする。本人を形成しない成果物作成はAIに委ねる
仕事にも当てはまるな