「時間を割いて読んだのに中身が薄かったときの損した感」が不快の正体という指摘は腑に落ちる。文章の量産は容易になったのに読む側のコストと期待値だけ上がってるな
文体の問題ではなく内容無いのが問題。
AI臭くないAI アシストのテキストが日常の風景になると、いずれその反動で養殖物ではない野趣の歯ごたえを求めてAI以前のテキスト発掘に光が当たるが、それも養殖物のエサになって行くんだろう。
自分はAIが生成する文章の大げさで冗長な表現に,テレビのバラエティ番組でよく行われてる笑い声や驚く声の合成に似た空虚さを感じる。
ああ中華街の食べ放題の店の看板な。ちょっとわかる
「人が書いたものと誤認させたい」という後ろめたい理由以外にAI臭さを消したい理由なんてないと思うな。本心がラクだからという理由であれ、AIっぽいと見てもらえないという理由であれ。
あと数年でなくなるよこの考え方。今を楽しもう
得意げに「心理学的テクニック」使ってくるガキみたいで鼻につくから
人間が書いた大げさなで冗長な表現は、感情がべっとり乗った未校閲の生々しさがあり、人間性の躍動と息遣いを感じるよね。たしかに人間のキモい文章も、AIのパリピな文章も、相応しくない場面では脱臭したいのはそう
「まだ"AI生成文章=手抜き、低品質"という先入観が読み手にある」という先入観が書き手にあるのでは?手抜き仕事と思われたくない。手作り弁当感を出したい。もはや冷凍食品の方が美味しかったりするのに。
日本のOSS界隈版の山本一郎みたいな人の記事が先日ブクマに入っていたけど、まあ読みにくいというか何が言いたいのかさっぱり理解できない文章で時間返せと思ったわ。
まあ各社のAIの回答画面で「AIは不正確な情報を表示することがあるため〜」みたいな文章が出てるレベルであるうちはAIであることは隠したがるんじゃないかな
AIが出力する文章はコンテキスト範囲内でしかなく、自分の意図と違うものが出てきてるのに自信満々な成果物をレビューして修整するという過度なストレスが想起されるから。
仕事で使ってる時でも AI のおせっかいすぎる文章は読むのが面倒なので「過剰な強調禁止」とか「詳細な説明は省いてソースへのポインタだけ示せ」と CLAUDE.md に書いてるし誤認させたいだけの話でもないかな。
なぜならばAI臭さは文章が低品質である確率が高いことを示すシグナルだからだ。
とにかく無内容なのに冗長。主張がないのに文章は書きたい、その手段と目的の転倒がクソなんであってAI云々は関係ない
結局何が言いたいの?っていう文章を長々と読まされる徒労感よな。AIでもなんでも納得感のある文章なら別にそれでもいいとは思ってるんだけど。
ちょっと誤字入れるだけで人間だと思われる事実がマジでアホらしい/スライドにいらすとや使ってる=中身もAIじゃないはず と同レベル
“繁華街にできた目立つ店” AIに作らせた文章は肉寿司文学だったのか
うちのAIたちには水曜どうでしょうの藤村D風に喋らせてるのであまりこういう悩みがない。文章なら自分の文体を学習させてマネさせるだけで済むのでは?
素晴らしい着眼点です。もしよければもっと深掘りできるよ、どうする? ←最近あまり聞かないなこのトーン
"多少AIっぽい癖が残っていても別にいいんじゃないの、と思ってしまっていた"同じこと思う人多そう。AI感消す作業に生産性ないだろ。レビューは怠らない前提でAI感許容してアウトプット増やした方が結果皆が得なんでは
読んでて生成AIっぽいなと思った時点で文章の信憑性や信頼度がが下がるからね。どんなにレビューされてても一段下に見ちゃう。
職場で上司からAI使ってパパっと書けと言われ、書いたら書いたでAI臭いものを持ってくるなと言われるなら、同情できなくもない。一方でブログの水増し指南みたいなのは、見ていて本当に情けない。
AI生成したコンテンツ = (手書きより)価値が薄い(故に読まない)、という一般的な観念があるうちは、人に読まれるためにはAIっぽさを消すインセンティブが働くのでは
大体AI驚き屋がマネタイズの為に粗製乱造したせい、今頃は自己啓発セミナーで荒稼ぎしてるよ
シンプルに出力される文章が求めるクオリティに達していないからなんだが。
主に先人のやらかしでAI製の文章に信用が無い。個人的にはAIが書こうと人間が書こうとああいうAIが書いたような冗長な文章は否定した方がいいと思うが
AI臭くてもシンプルに整理されていればいいけど、丸投げされたのまま冗長な文章だとハルシネーションを探さないといけないのが単純に面倒くさい。みんなどうしてAIを使って文字数を減らさず増やそうとするんだろう。
ちょっと前の最適化なしのAI記事は、人間が書く昔ながらのコンサル・驚き屋的な中身のない文章に似てるから拒否反応が出るんだと思う。最近はモデルごとに個性が出てAI臭さの定義も難しくなってきたよね。
「効く」が出てくると流石にAIかなと思うようになったけど、AIなしで直接読んでいる時も文章の味わいとかどうでもいい。書き手の立場だと、本質ではなく味わいを評価する人がいると気にする必要があるんだろう。
最近リリースノートを書く時は、自分は簡単な箇条書きだけ出して「AI slop版はこちら」としてgit logの差分から生成させたリリースノートを併せて出すようにしている
なぜAI臭さを消したいのか?|laiso
「時間を割いて読んだのに中身が薄かったときの損した感」が不快の正体という指摘は腑に落ちる。文章の量産は容易になったのに読む側のコストと期待値だけ上がってるな
文体の問題ではなく内容無いのが問題。
AI臭くないAI アシストのテキストが日常の風景になると、いずれその反動で養殖物ではない野趣の歯ごたえを求めてAI以前のテキスト発掘に光が当たるが、それも養殖物のエサになって行くんだろう。
自分はAIが生成する文章の大げさで冗長な表現に,テレビのバラエティ番組でよく行われてる笑い声や驚く声の合成に似た空虚さを感じる。
ああ中華街の食べ放題の店の看板な。ちょっとわかる
「人が書いたものと誤認させたい」という後ろめたい理由以外にAI臭さを消したい理由なんてないと思うな。本心がラクだからという理由であれ、AIっぽいと見てもらえないという理由であれ。
あと数年でなくなるよこの考え方。今を楽しもう
得意げに「心理学的テクニック」使ってくるガキみたいで鼻につくから
人間が書いた大げさなで冗長な表現は、感情がべっとり乗った未校閲の生々しさがあり、人間性の躍動と息遣いを感じるよね。たしかに人間のキモい文章も、AIのパリピな文章も、相応しくない場面では脱臭したいのはそう
「まだ"AI生成文章=手抜き、低品質"という先入観が読み手にある」という先入観が書き手にあるのでは?手抜き仕事と思われたくない。手作り弁当感を出したい。もはや冷凍食品の方が美味しかったりするのに。
日本のOSS界隈版の山本一郎みたいな人の記事が先日ブクマに入っていたけど、まあ読みにくいというか何が言いたいのかさっぱり理解できない文章で時間返せと思ったわ。
まあ各社のAIの回答画面で「AIは不正確な情報を表示することがあるため〜」みたいな文章が出てるレベルであるうちはAIであることは隠したがるんじゃないかな
AIが出力する文章はコンテキスト範囲内でしかなく、自分の意図と違うものが出てきてるのに自信満々な成果物をレビューして修整するという過度なストレスが想起されるから。
仕事で使ってる時でも AI のおせっかいすぎる文章は読むのが面倒なので「過剰な強調禁止」とか「詳細な説明は省いてソースへのポインタだけ示せ」と CLAUDE.md に書いてるし誤認させたいだけの話でもないかな。
なぜならばAI臭さは文章が低品質である確率が高いことを示すシグナルだからだ。
とにかく無内容なのに冗長。主張がないのに文章は書きたい、その手段と目的の転倒がクソなんであってAI云々は関係ない
結局何が言いたいの?っていう文章を長々と読まされる徒労感よな。AIでもなんでも納得感のある文章なら別にそれでもいいとは思ってるんだけど。
ちょっと誤字入れるだけで人間だと思われる事実がマジでアホらしい/スライドにいらすとや使ってる=中身もAIじゃないはず と同レベル
“繁華街にできた目立つ店” AIに作らせた文章は肉寿司文学だったのか
うちのAIたちには水曜どうでしょうの藤村D風に喋らせてるのであまりこういう悩みがない。文章なら自分の文体を学習させてマネさせるだけで済むのでは?
素晴らしい着眼点です。もしよければもっと深掘りできるよ、どうする? ←最近あまり聞かないなこのトーン
"多少AIっぽい癖が残っていても別にいいんじゃないの、と思ってしまっていた"同じこと思う人多そう。AI感消す作業に生産性ないだろ。レビューは怠らない前提でAI感許容してアウトプット増やした方が結果皆が得なんでは
読んでて生成AIっぽいなと思った時点で文章の信憑性や信頼度がが下がるからね。どんなにレビューされてても一段下に見ちゃう。
職場で上司からAI使ってパパっと書けと言われ、書いたら書いたでAI臭いものを持ってくるなと言われるなら、同情できなくもない。一方でブログの水増し指南みたいなのは、見ていて本当に情けない。
AI生成したコンテンツ = (手書きより)価値が薄い(故に読まない)、という一般的な観念があるうちは、人に読まれるためにはAIっぽさを消すインセンティブが働くのでは
大体AI驚き屋がマネタイズの為に粗製乱造したせい、今頃は自己啓発セミナーで荒稼ぎしてるよ
シンプルに出力される文章が求めるクオリティに達していないからなんだが。
主に先人のやらかしでAI製の文章に信用が無い。個人的にはAIが書こうと人間が書こうとああいうAIが書いたような冗長な文章は否定した方がいいと思うが
AI臭くてもシンプルに整理されていればいいけど、丸投げされたのまま冗長な文章だとハルシネーションを探さないといけないのが単純に面倒くさい。みんなどうしてAIを使って文字数を減らさず増やそうとするんだろう。
ちょっと前の最適化なしのAI記事は、人間が書く昔ながらのコンサル・驚き屋的な中身のない文章に似てるから拒否反応が出るんだと思う。最近はモデルごとに個性が出てAI臭さの定義も難しくなってきたよね。
「効く」が出てくると流石にAIかなと思うようになったけど、AIなしで直接読んでいる時も文章の味わいとかどうでもいい。書き手の立場だと、本質ではなく味わいを評価する人がいると気にする必要があるんだろう。
最近リリースノートを書く時は、自分は簡単な箇条書きだけ出して「AI slop版はこちら」としてgit logの差分から生成させたリリースノートを併せて出すようにしている