“ベーマガのDr.Dとして執筆されていたうちの一人”
投稿プログラムが短ければ短いほど良かった理由に納得。ナイコン族への配慮か
つぐ美さんかと思ったらDrだった
こんにちはマイコンで入門して、MSX→MSX2と持ってた自分にとっては大事な原点の一つ。プログラムポシェットとかMAS-FANとかも。
おお、ベーマガ。OFコーナー好きだったなぁ。ウチのMZ-1500用のゲームはあんまり載ってなかったけど
「軍団」が台頭して私は離れてしまいましたが本当に好きな雑誌だったな
懐かしい。
“マイコンBASICマガジンは、1982年に電波新聞社から創刊。初代編集長。掲載するプログラムは短ければ短いほどいい、と決めた。読者の6割が自分専用のパソコンを持っていなかったから。”
いろいろ懐かしい
ベーマガのコンセプト発案はハドソン工藤氏なのか
ベーマがで育った私も小学生当時、打ち込んだプログラムが動かなくて編集部に電話したことがある。切り際に「もしかして Dr. D ですか」と聞いたら「そうじゃよ」と。いまの業界を作り上げた、素晴らしい雑誌だった。
ハドソンの工藤裕司さん"に「少年少女向けの雑誌を作るにはどうすればいい?」と聞いたら、答えはシンプルでした。「ゲーム。それも、作った人のプログラムを募集して集めればいい。テープを送ってもらうんだよ」"
ハイスコアランキング、パックランド1位の人って多分そうだよな、神奈川県だし
ベーマガチルドレン、氷河期世代と重なる部分があり、悲しみがある
「『マイコンBASICマガジン(ベーマガ)』は、1982年に電波新聞社から創刊され、80年代のマイコンブームを牽引したプログラム投稿雑誌です。初代編集長の大橋太郎さんにその心の内を語っていただきました!」
当時ナイコン族だったけど、電気屋に通ったり友達にMSX借りたりして打ったなぁ。スーパーソフトマガジンが始めて付いてきたときはびっくりしたけどすごくタイムリーだったよね。
「読者がパソコンを持っていないことを前提に誌面を作っていた」「演歌テープを上書きして、自分のプログラムを入れて送ってくる」「動かないんだけど!という電話が毎晩かかってきました」
”月に3,000本、下手すると5,000本届きました” 今で言うところのGitHub的な。
DEBUG博士って女性だったの?
ベーマガ読者の6割がナイコン族だったとは衝撃の事実だな。僕もみんなと一緒だったんだ!
全てが懐かしい。
“当時の電波新聞社のビル、その1階と2階には富士通さんの電算機センター「コンピュータ・サロン」が入っていた" "どこのメーカーの人が来ても、富士通のコンピュータを使って計算ができる”
ベーマガ時々買ってたけど、当時は中学生で親から買ってもらえたのはポケコンだけだった。パソコンに憧れたなあ。
ベーマガでcopilot keyboardがちゃんと変換してくなかった・・・ youtubeでベーマガイベント見ると山下章とかつぐ美さんを見れるぞ
お、高橋ぴょん太さんがどんどんおーぼのパーカー着てる / 実売部数が載ってる媒体資料すごいな…流石に広告料はふせられてるにしても
中学校から帰ったらベーマガのリスト打ち込んでたなあ。うちのFM-7以外のパソコンのゲームがやりたくて友達の家で打ち込んだこともあった
【特別インタビュー】大橋太郎さんが語る『マイコンBASICマガジン』の歴史 - RetroPC NEWS
“ベーマガのDr.Dとして執筆されていたうちの一人”
投稿プログラムが短ければ短いほど良かった理由に納得。ナイコン族への配慮か
つぐ美さんかと思ったらDrだった
こんにちはマイコンで入門して、MSX→MSX2と持ってた自分にとっては大事な原点の一つ。プログラムポシェットとかMAS-FANとかも。
おお、ベーマガ。OFコーナー好きだったなぁ。ウチのMZ-1500用のゲームはあんまり載ってなかったけど
「軍団」が台頭して私は離れてしまいましたが本当に好きな雑誌だったな
懐かしい。
“マイコンBASICマガジンは、1982年に電波新聞社から創刊。初代編集長。掲載するプログラムは短ければ短いほどいい、と決めた。読者の6割が自分専用のパソコンを持っていなかったから。”
いろいろ懐かしい
ベーマガのコンセプト発案はハドソン工藤氏なのか
ベーマがで育った私も小学生当時、打ち込んだプログラムが動かなくて編集部に電話したことがある。切り際に「もしかして Dr. D ですか」と聞いたら「そうじゃよ」と。いまの業界を作り上げた、素晴らしい雑誌だった。
ハドソンの工藤裕司さん"に「少年少女向けの雑誌を作るにはどうすればいい?」と聞いたら、答えはシンプルでした。「ゲーム。それも、作った人のプログラムを募集して集めればいい。テープを送ってもらうんだよ」"
ハイスコアランキング、パックランド1位の人って多分そうだよな、神奈川県だし
ベーマガチルドレン、氷河期世代と重なる部分があり、悲しみがある
「『マイコンBASICマガジン(ベーマガ)』は、1982年に電波新聞社から創刊され、80年代のマイコンブームを牽引したプログラム投稿雑誌です。初代編集長の大橋太郎さんにその心の内を語っていただきました!」
当時ナイコン族だったけど、電気屋に通ったり友達にMSX借りたりして打ったなぁ。スーパーソフトマガジンが始めて付いてきたときはびっくりしたけどすごくタイムリーだったよね。
「読者がパソコンを持っていないことを前提に誌面を作っていた」「演歌テープを上書きして、自分のプログラムを入れて送ってくる」「動かないんだけど!という電話が毎晩かかってきました」
”月に3,000本、下手すると5,000本届きました” 今で言うところのGitHub的な。
DEBUG博士って女性だったの?
ベーマガ読者の6割がナイコン族だったとは衝撃の事実だな。僕もみんなと一緒だったんだ!
全てが懐かしい。
“当時の電波新聞社のビル、その1階と2階には富士通さんの電算機センター「コンピュータ・サロン」が入っていた" "どこのメーカーの人が来ても、富士通のコンピュータを使って計算ができる”
ベーマガ時々買ってたけど、当時は中学生で親から買ってもらえたのはポケコンだけだった。パソコンに憧れたなあ。
ベーマガでcopilot keyboardがちゃんと変換してくなかった・・・ youtubeでベーマガイベント見ると山下章とかつぐ美さんを見れるぞ
お、高橋ぴょん太さんがどんどんおーぼのパーカー着てる / 実売部数が載ってる媒体資料すごいな…流石に広告料はふせられてるにしても
中学校から帰ったらベーマガのリスト打ち込んでたなあ。うちのFM-7以外のパソコンのゲームがやりたくて友達の家で打ち込んだこともあった