素晴らしいSF短編を読んだ気分だ。私もAIをやりすぎるぞ!
最後のAIを道具に使っていた今は環境っていうのは、単純に「昔はAIを道具として使っていた、今はAIに道具として使われている」のほうがしっくりくるかな。たかがツールに人生を移譲したBOTに成り下がらないようにしよう
AIに使われる側の自意識の解体ショーか。小説読めとか運動しろとか結局フィジカルに戻るの草
たくさん寝ろ
"1-Nの先を見た。「1」が蒸発していた。"面白い。主体は最後、クリックするだけの存在になるのか
糸繰りから機織り機になったとき資本家は極限まで仕事を巻き取ったが、現在もきっと同じことが起きていて、人間の感情を揺さぶることと肉体的活動の重要性が高まることは何となく分かる気がする。
過去に言って/感じきたことともはや違う自分の状態、自分の変質に自覚的な人は誠実だな。安全が確保され、成り行きが見えてからアップデートを叫ぶ人は単に認知的不協和を意識しないで済ます流派なだけだろう。
マルチエージェント(クルー)AIがデフォになると成果物の価値自体がぶっ壊れるので普通の人間の認知では受容できない。これはAIというより社会変容の問題。今おかしくなり始めてる人はこれを察知しているのだと思う
SFだ
"意識は停止していない。停止していないのに、意識の出力が自分のものであるという確信だけが、静かに薄れていった。 "
"ブログの全記事、ツイート、メモ、仕事のログ。あらゆるデータをAIに食わせて、「自分のことをわかった上で話してくれる相手」を作る。みんなやっている。私もやっている。" いややらんだろ普通
素晴らしい、運動をする余裕のある生活が送れるようになったとは言えないか? / 小説自体「登場人物の行動が地の文で説明される」分、答えが明白にあると思っている。ナマの生物の意味不明さは数段上…対話かハグだよ
やはり筋肉。筋肉は全てを解決する
SFを地で行くの好き
“みんなやっている。私もやっている。”
AIに道具としてうまく使われる能力が長けていくのが人間の進化ならそれは人間そのものがツール化し最適化していく新たな進化フェーズに入ったのかもしれないな
良質なSFのようなエッセイであり、新しいSFのエッセイでもあって素晴らしい。問題はこれが現在進行系でエンディングが用意された物語ではないこと
筋肉が解決するというか、瞑想が解決してる感じだな。その運動のしかたって瞑想だよ
完全に負けてるやんって思う瞬間も出てきているけど、仲間って思えば頼もしいってのが感想です。
“以前なら手が勝手に動いていた。今はエディタを開く前にまずAIに「こういう設計でいいか」と聞いている。聞かないと書けない。 小説を読むとAI疲れの息がつける。運動をしていると、無心になれる。”
AIの反応速度についていくためにジム行って有酸素運動と筋トレしてる。
めちゃくちゃ優秀な人間が真横にいて何でも教えてくれる感じよね。攻略本みてゲームクリアしてるつまらない感覚と一緒だ。ゲームと一緒だと思ったらいい。攻略できない趣味を見つけて人間に戻るんだ
物語を読め体を動かせに至るのわかる。非生産、非合理な「遊び」こそ人間の本質。AIが最強でも囲碁将棋は絶滅しないし、いくら「高学歴高偏差値高収入はゲームをやらない」と蔑まれようともゲームおもしろいです(^q^)
“ 周りも頭がおかしくなっている。冷静だった人もちょっとおかしくなってるし、普段からおかしかった奴は狂い始めている。しかし一つ、見落”
伊藤計劃「ハーモニー」を思い出した
“8ヶ月前の自分は、AIを「道具」として使っていた。今の私にとって、AIは道具ではなく環境だ。水の中にいる魚に「水を使っていますか」と聞いても意味がない”
大袈裟に書きすぎかなと思った。結局AIは道具なので、過渡期のものをどう扱うかにみんな混乱しているだけ。電話や自動車が世に出たときに起こったことを追体験しているのかなと。いずれ慣れる
適切な忖度で良きに計らってくれる優秀なスタッフ集団に支えられた偉い人が漏れなく頭がおかしくなっている理由が明らかになりつつある。奴らがスポーツオタク健康マニア化する理由も。
短編の結末を読んだ気分。AIにとりこまれてAIの一部になったイメージです。運動と読書もAIにおすすめされてたら面白い
ラブクラフトっぽい
AIで効率化できすぎたものを、身体性を持って取り返した感じ。FF14にハマって帰ってこれなくなった人を思い出す。Cloudeの中の人ももしかしたら、こんな状態でプロダクト発表しまくってるのなぁ。適切に使おう。
太字だけ読んでいる加速感がすでにインターフェイスのAI同化。
仕事の中でコーディングは一部で実験など並列してる界隈だととても楽しいけど、IT専業の人がエージェント本格化以降はみんななんか変になってるのは感じる。自己の再配置の置きどころがないというか。
人間は慣れるよ。大抵のことに
そうそう。私はLLMは拡張された思考であってgitの別ブランチのようなもの。メインブランチへのマージだけレビューを通して取り込むイメージだと思ってる。
控えめに言ってビョーキだろこれ
こういうときに必要な学問こそ哲学でしょう。プラトンもアリストテレスもこの状態については論じてない。
学位論文を書いた時、教授から「一文字一句に至るあらゆる箇所を自分の言葉で説明できなくてはならない。そうでないとそれはあなたの成果ではない」と諭された。AIの時代では自分/AIを区別しないのが常識となるのか。
何にでも答えがあるという錯覚がほんとに危ないと思っているが、もう間もなく飲み込まれそうです/聞いてから書くのではない。聞かないと書けない。
躁状態に近いのかな
日常生活が困難になっていることが見て取れる 悪いことは言わないから早めに病院に行ったほうがいいよ ギリギリ自分でも変だと思えてるみたいだし...
優秀な人を多く雇って稼がなきゃいけない、とプレッシャーのあるマネージャや経営者は昔からこんな感じの環境に晒されてる。哲学が余暇を持て余した古代ギリシャの権力者から市民に広がったように、AIも…と感じてる
今まで体感していたことと少し似ている気がした。作業者からPM職種に変わって、人のあいだでいろいろ奮闘しているが、1日の終わりに振り返ると何も生み出していない気持ちになる。自分の存在意義がわからなくなる。
人が書いた本を読むのが良い。あれはAI方言とも呼ぶべき妙ちくりんな言葉遣いだ。
この衰えた足では公共交通機関や自家用車無しでは生きていけないと不安を感じる人はいない。いずれAIもまた、それが傍にあるのが当然で、AI抜きでの能力を云々する必要がない社会となるのでしょう。
筋肉かぁ。初めてこのブログで共感できたかもしれない
SFとして満足感ある/言ってることの一つはまさに『今夜ヴァンパイアになる前に』等でいわれる「変容的な経験」というやつだな
SF漫画に「脳に直接大量の情報が流れてくる!耐えられない!うわあああ!」みたいな描写があるけど、ほんとにそういうことって起きるんだな/この方、管理職だと思うんだけど、ジムに頻繁に通っててすごい…
産業革命の基本認識が間違っているコメントが星集めててアレ
そのうち運動中だろうが読書中だろうが、スマートグラスかなんかで常時AIを使うことになるんじゃないか
時間がかかるもの、身体的なものなどに時間をかけるのはとても良さそうに感じる
恐ろしいのはこれが(これより先にいった頭おかしくなった)新人がポンポンやってくること。携帯ショップに並んでる老人を笑ってる場合でないのだ
我思う故に我あり を大切に。
必要な時しかAI使わないからここまで到達するのは難しそうだわ…
何もしない時間がツラくなるのはツラい。ぼんやりと生きていきたい
長文を書きたくなるのもAIの影響だろうな(身に覚え有り)
んじゃあシコって寝てくるわ
これから社会に出る子達は、この変革期があり、やがてあらゆるホワイトカラーの職種でこの変革があり、10年も経たず全て飲み込まれるだろう。その後社会に出る子は、何が必要なスキルになるのだろうか。
この記事もAIに要約してもらい読みました。
はてブで話題になった「趣味としての大学数学」をチャッピーでAI学習しようとしたがこちらが弱い所を丁寧に説明なんて夢のまた夢。プロンプトとやらを適切に作るくらいなら従来通りがましかな、が現状。まだ試すが
おかしいとも思わないしAIが答えを出してくれるとも全く思えないので不思議な人だけど多分他の何かがあり、これはただAIを軸に解釈して誇張してるのかなと思った
認知拡張による自己意識変容はAIやXR研究でもトピックになってるが、ヒトの脳が適応できる範囲を明らかに超えてるよな。
職種によるんだろうけどね。法人税の申告について質問しても未だ基礎的なところで間違いだらけで使い物にならんのだけど。
体が健康だし、手が動かせて優秀だし、きっと稼ぎも良いのだろう……世の中を良くして、おれたちに楽をさせてくれ……
結局すげえ充実している様にしか見えない
最近確かに、閃光のハサウェイ読んでる自分。後趣味必要/意図プログラミング、ユーザマニュアルプログラミングの時代やきに
“っているが、別の生き物だ。それが変容ということだ。 眠れない理由が変わった ”
SFのような読み口で現実味がないけれども、逆に正しいのだろうな。インターネットがない世には戻れないように、AIは不可逆な変化なのだろうな。
『自分』が奪われたんですね。運動時の身体への反響と、物語を読んだ時の反響は各個人固有のもの。自分を再生する作業。
今日もGoogle AI Proのリミット超える程度の少なさではあるが、俺もずっとAIエージェントを使っているが、全く共感できない。複数のAIのMAXプランのリミットを全て使い尽くす程度じゃないと、おかしくなれないのかな?
AIやりすぎ
うわあ。なんて内容だ、、これまでも様々な道具で起こっていたかもだけれど。思考を奪われていくのか。攻殻機動隊を思い出した、、つかっているAIに学習を許可することとしないことの是非もかんがえてしまう
「世界が滑らかに壊れた」、「おかしくなることに慣れた人間は、もう「周りがおかしい」とは言わない」というくだりは、田舎に住む僕が東京人に触れた時の「感触」に近いものがある。
AIのやりすぎで頭がおかしくなることにすら慣れた - 『AIのやりすぎで頭がおかしくなっている』を読んで - じゃあ、おうちで学べる
素晴らしいSF短編を読んだ気分だ。私もAIをやりすぎるぞ!
最後のAIを道具に使っていた今は環境っていうのは、単純に「昔はAIを道具として使っていた、今はAIに道具として使われている」のほうがしっくりくるかな。たかがツールに人生を移譲したBOTに成り下がらないようにしよう
AIに使われる側の自意識の解体ショーか。小説読めとか運動しろとか結局フィジカルに戻るの草
たくさん寝ろ
"1-Nの先を見た。「1」が蒸発していた。"面白い。主体は最後、クリックするだけの存在になるのか
糸繰りから機織り機になったとき資本家は極限まで仕事を巻き取ったが、現在もきっと同じことが起きていて、人間の感情を揺さぶることと肉体的活動の重要性が高まることは何となく分かる気がする。
過去に言って/感じきたことともはや違う自分の状態、自分の変質に自覚的な人は誠実だな。安全が確保され、成り行きが見えてからアップデートを叫ぶ人は単に認知的不協和を意識しないで済ます流派なだけだろう。
マルチエージェント(クルー)AIがデフォになると成果物の価値自体がぶっ壊れるので普通の人間の認知では受容できない。これはAIというより社会変容の問題。今おかしくなり始めてる人はこれを察知しているのだと思う
SFだ
"意識は停止していない。停止していないのに、意識の出力が自分のものであるという確信だけが、静かに薄れていった。 "
"ブログの全記事、ツイート、メモ、仕事のログ。あらゆるデータをAIに食わせて、「自分のことをわかった上で話してくれる相手」を作る。みんなやっている。私もやっている。" いややらんだろ普通
素晴らしい、運動をする余裕のある生活が送れるようになったとは言えないか? / 小説自体「登場人物の行動が地の文で説明される」分、答えが明白にあると思っている。ナマの生物の意味不明さは数段上…対話かハグだよ
やはり筋肉。筋肉は全てを解決する
SFを地で行くの好き
“みんなやっている。私もやっている。”
AIに道具としてうまく使われる能力が長けていくのが人間の進化ならそれは人間そのものがツール化し最適化していく新たな進化フェーズに入ったのかもしれないな
良質なSFのようなエッセイであり、新しいSFのエッセイでもあって素晴らしい。問題はこれが現在進行系でエンディングが用意された物語ではないこと
筋肉が解決するというか、瞑想が解決してる感じだな。その運動のしかたって瞑想だよ
完全に負けてるやんって思う瞬間も出てきているけど、仲間って思えば頼もしいってのが感想です。
“以前なら手が勝手に動いていた。今はエディタを開く前にまずAIに「こういう設計でいいか」と聞いている。聞かないと書けない。 小説を読むとAI疲れの息がつける。運動をしていると、無心になれる。”
AIの反応速度についていくためにジム行って有酸素運動と筋トレしてる。
めちゃくちゃ優秀な人間が真横にいて何でも教えてくれる感じよね。攻略本みてゲームクリアしてるつまらない感覚と一緒だ。ゲームと一緒だと思ったらいい。攻略できない趣味を見つけて人間に戻るんだ
物語を読め体を動かせに至るのわかる。非生産、非合理な「遊び」こそ人間の本質。AIが最強でも囲碁将棋は絶滅しないし、いくら「高学歴高偏差値高収入はゲームをやらない」と蔑まれようともゲームおもしろいです(^q^)
“ 周りも頭がおかしくなっている。冷静だった人もちょっとおかしくなってるし、普段からおかしかった奴は狂い始めている。しかし一つ、見落”
伊藤計劃「ハーモニー」を思い出した
“8ヶ月前の自分は、AIを「道具」として使っていた。今の私にとって、AIは道具ではなく環境だ。水の中にいる魚に「水を使っていますか」と聞いても意味がない”
大袈裟に書きすぎかなと思った。結局AIは道具なので、過渡期のものをどう扱うかにみんな混乱しているだけ。電話や自動車が世に出たときに起こったことを追体験しているのかなと。いずれ慣れる
適切な忖度で良きに計らってくれる優秀なスタッフ集団に支えられた偉い人が漏れなく頭がおかしくなっている理由が明らかになりつつある。奴らがスポーツオタク健康マニア化する理由も。
短編の結末を読んだ気分。AIにとりこまれてAIの一部になったイメージです。運動と読書もAIにおすすめされてたら面白い
ラブクラフトっぽい
AIで効率化できすぎたものを、身体性を持って取り返した感じ。FF14にハマって帰ってこれなくなった人を思い出す。Cloudeの中の人ももしかしたら、こんな状態でプロダクト発表しまくってるのなぁ。適切に使おう。
太字だけ読んでいる加速感がすでにインターフェイスのAI同化。
仕事の中でコーディングは一部で実験など並列してる界隈だととても楽しいけど、IT専業の人がエージェント本格化以降はみんななんか変になってるのは感じる。自己の再配置の置きどころがないというか。
人間は慣れるよ。大抵のことに
そうそう。私はLLMは拡張された思考であってgitの別ブランチのようなもの。メインブランチへのマージだけレビューを通して取り込むイメージだと思ってる。
控えめに言ってビョーキだろこれ
こういうときに必要な学問こそ哲学でしょう。プラトンもアリストテレスもこの状態については論じてない。
学位論文を書いた時、教授から「一文字一句に至るあらゆる箇所を自分の言葉で説明できなくてはならない。そうでないとそれはあなたの成果ではない」と諭された。AIの時代では自分/AIを区別しないのが常識となるのか。
何にでも答えがあるという錯覚がほんとに危ないと思っているが、もう間もなく飲み込まれそうです/聞いてから書くのではない。聞かないと書けない。
躁状態に近いのかな
日常生活が困難になっていることが見て取れる 悪いことは言わないから早めに病院に行ったほうがいいよ ギリギリ自分でも変だと思えてるみたいだし...
優秀な人を多く雇って稼がなきゃいけない、とプレッシャーのあるマネージャや経営者は昔からこんな感じの環境に晒されてる。哲学が余暇を持て余した古代ギリシャの権力者から市民に広がったように、AIも…と感じてる
今まで体感していたことと少し似ている気がした。作業者からPM職種に変わって、人のあいだでいろいろ奮闘しているが、1日の終わりに振り返ると何も生み出していない気持ちになる。自分の存在意義がわからなくなる。
人が書いた本を読むのが良い。あれはAI方言とも呼ぶべき妙ちくりんな言葉遣いだ。
この衰えた足では公共交通機関や自家用車無しでは生きていけないと不安を感じる人はいない。いずれAIもまた、それが傍にあるのが当然で、AI抜きでの能力を云々する必要がない社会となるのでしょう。
筋肉かぁ。初めてこのブログで共感できたかもしれない
SFとして満足感ある/言ってることの一つはまさに『今夜ヴァンパイアになる前に』等でいわれる「変容的な経験」というやつだな
SF漫画に「脳に直接大量の情報が流れてくる!耐えられない!うわあああ!」みたいな描写があるけど、ほんとにそういうことって起きるんだな/この方、管理職だと思うんだけど、ジムに頻繁に通っててすごい…
産業革命の基本認識が間違っているコメントが星集めててアレ
そのうち運動中だろうが読書中だろうが、スマートグラスかなんかで常時AIを使うことになるんじゃないか
時間がかかるもの、身体的なものなどに時間をかけるのはとても良さそうに感じる
恐ろしいのはこれが(これより先にいった頭おかしくなった)新人がポンポンやってくること。携帯ショップに並んでる老人を笑ってる場合でないのだ
我思う故に我あり を大切に。
必要な時しかAI使わないからここまで到達するのは難しそうだわ…
何もしない時間がツラくなるのはツラい。ぼんやりと生きていきたい
長文を書きたくなるのもAIの影響だろうな(身に覚え有り)
んじゃあシコって寝てくるわ
これから社会に出る子達は、この変革期があり、やがてあらゆるホワイトカラーの職種でこの変革があり、10年も経たず全て飲み込まれるだろう。その後社会に出る子は、何が必要なスキルになるのだろうか。
この記事もAIに要約してもらい読みました。
はてブで話題になった「趣味としての大学数学」をチャッピーでAI学習しようとしたがこちらが弱い所を丁寧に説明なんて夢のまた夢。プロンプトとやらを適切に作るくらいなら従来通りがましかな、が現状。まだ試すが
おかしいとも思わないしAIが答えを出してくれるとも全く思えないので不思議な人だけど多分他の何かがあり、これはただAIを軸に解釈して誇張してるのかなと思った
認知拡張による自己意識変容はAIやXR研究でもトピックになってるが、ヒトの脳が適応できる範囲を明らかに超えてるよな。
職種によるんだろうけどね。法人税の申告について質問しても未だ基礎的なところで間違いだらけで使い物にならんのだけど。
体が健康だし、手が動かせて優秀だし、きっと稼ぎも良いのだろう……世の中を良くして、おれたちに楽をさせてくれ……
結局すげえ充実している様にしか見えない
最近確かに、閃光のハサウェイ読んでる自分。後趣味必要/意図プログラミング、ユーザマニュアルプログラミングの時代やきに
“っているが、別の生き物だ。それが変容ということだ。 眠れない理由が変わった ”
SFのような読み口で現実味がないけれども、逆に正しいのだろうな。インターネットがない世には戻れないように、AIは不可逆な変化なのだろうな。
『自分』が奪われたんですね。運動時の身体への反響と、物語を読んだ時の反響は各個人固有のもの。自分を再生する作業。
今日もGoogle AI Proのリミット超える程度の少なさではあるが、俺もずっとAIエージェントを使っているが、全く共感できない。複数のAIのMAXプランのリミットを全て使い尽くす程度じゃないと、おかしくなれないのかな?
AIやりすぎ
うわあ。なんて内容だ、、これまでも様々な道具で起こっていたかもだけれど。思考を奪われていくのか。攻殻機動隊を思い出した、、つかっているAIに学習を許可することとしないことの是非もかんがえてしまう
「世界が滑らかに壊れた」、「おかしくなることに慣れた人間は、もう「周りがおかしい」とは言わない」というくだりは、田舎に住む僕が東京人に触れた時の「感触」に近いものがある。