なんかムズムズ
論理的に動く。
こう言われてみるとアジャイルはOODAっぽい思想なのにスクラムはPDCAっぽいのがミスマッチに感じるのかもしれん
いわんとすることはわからなくもないけど特定の能力セットを持って(いる|いない)ことはどうやって検証するんでしょうね? もっとダイナミックなものではないですかね
10年以上前に出てるのにまだ定着してないのって見直すべきなのではって思う
属人化を全肯定する開発手法なのでメンバー変更に弱い側面がある。コミュニケーションの記録や決定のドキュメント化も軽視されることが多い。結果チームの開発力が持続的に安定しないから定着しきらないのでは。
そんな素晴らしい人材だけでチーム組めるならヲーターホールでもそこそこ回るんちゃうんか
平易な言い方をすると「一般人はやめておけ」という事になりそう。関係者間で真実を共有できるのであれば開発手法は問わずともうまくいきそうな気はする。
アジャイルについて思うことは、内製以外の話もするのであれば、「契約」に関する話はまったく足りていないということくらいです
AIのせいで、一般人をかき集めたウォーターフォール型開発が最適となる領域が狭まった気がする。アジャイルがマネージャーやチームの能力的に困難な場合は、そもそも動くソフトウェアを提供し続けられないのでは
定着してないのはアジャイルと相性が最悪な多重下請け構造が染み付いた日本だけであって世界的にWFはレガシーって近所の犬が言ってた
"つまりアジャイルとは「優秀な人が成功する方式」ではなく、「特定の能力セットを持つ人たちだけで成立する方式」です。" ブコメですらここ読めてない人いるな。
狭義のアジャイルというか最初のアイデアは自動テストで変更リスクを下げると変化に強いということで、広義に応用する場合も自動テストに相当する指標や仕組みが必須で、それが難しい案件とは相性が悪いと理解してる
論理的ふうで論理的でない文章の流れ。ぺろり、これは生成AIによる文章ですね
アジャイル宣言にそんなことは書いてない気がするんだけど、どこがソースなんだろう。とりま気になってるのはアジャイルとスクラムが変にセットで語られがちなところかな。
スクラムの文脈で言うと能力、準備、意思が無いものはその役割から退くべきである。重要なのは意思で、最初から持っていなくても、この能力を身につける意思を持って訓練していけばいい
「アジャイルが他の開発方式と決定的に異なるのは、根幹に「真実を操作しない」という前提が置かれている」それだと他の開発方式は常に真実を操作する、が真でないといかんがそんなことあるんか?どうもおかしい。
「事実の共有」のためにペアプログラミングとかコードレビューや朝会が組み込まれていると思うんだけど、AI中心の開発スタイルではコードレベルの事実の共有は無意味になる。モブでAIに書かせるとか意味わからんし。
アジャイルが論理的で邪悪じゃない人だけでチームが構成されることによって成立するという話。それはそうなんだよな...。メンバーが非論理的で邪悪であるという前提に立つとそりゃ別な開発手法になると思いますね…。
やっぱり本質って人それぞれあるよなぁ。おもろい
「アジャイルとは何か」を問うより、「自分達に必要なのは何か」を問うほうが大事
不誠実な態度や非論理的な行動が許されるとしたらアジャイル以前にビジネスか怪しい。しかし実態はその気が無くてもそういう状態な人もいる(自分含む)のは事実として受け止めないといけない。
「実存は本質に先立つ」プロダクトを手の届くところから作り始めて動作を確かめながら育てるように作る、という基本的な実践を通して本文で述べられているような資質を持つようにメンバーを育てていくべきかと。
そろそろ大学に人文学部アジャイル哲学科作ればいいと思う
アホか。というか構成する人や材料に着目するのは日本人の悪い癖だ。例えば橋は橋桁と橋脚から構成されているがどこにも掛かっていない橋は橋ではない。アジャイルはプロセスだから誰でも良い。適切に行動さえすれば
ジェネリックなものとしてはアジャイルソフトウェア開発宣言しかないのでは...?
アジャイルとはそもそも何なのか?
なんかムズムズ
論理的に動く。
こう言われてみるとアジャイルはOODAっぽい思想なのにスクラムはPDCAっぽいのがミスマッチに感じるのかもしれん
いわんとすることはわからなくもないけど特定の能力セットを持って(いる|いない)ことはどうやって検証するんでしょうね? もっとダイナミックなものではないですかね
10年以上前に出てるのにまだ定着してないのって見直すべきなのではって思う
属人化を全肯定する開発手法なのでメンバー変更に弱い側面がある。コミュニケーションの記録や決定のドキュメント化も軽視されることが多い。結果チームの開発力が持続的に安定しないから定着しきらないのでは。
そんな素晴らしい人材だけでチーム組めるならヲーターホールでもそこそこ回るんちゃうんか
平易な言い方をすると「一般人はやめておけ」という事になりそう。関係者間で真実を共有できるのであれば開発手法は問わずともうまくいきそうな気はする。
アジャイルについて思うことは、内製以外の話もするのであれば、「契約」に関する話はまったく足りていないということくらいです
AIのせいで、一般人をかき集めたウォーターフォール型開発が最適となる領域が狭まった気がする。アジャイルがマネージャーやチームの能力的に困難な場合は、そもそも動くソフトウェアを提供し続けられないのでは
定着してないのはアジャイルと相性が最悪な多重下請け構造が染み付いた日本だけであって世界的にWFはレガシーって近所の犬が言ってた
"つまりアジャイルとは「優秀な人が成功する方式」ではなく、「特定の能力セットを持つ人たちだけで成立する方式」です。" ブコメですらここ読めてない人いるな。
狭義のアジャイルというか最初のアイデアは自動テストで変更リスクを下げると変化に強いということで、広義に応用する場合も自動テストに相当する指標や仕組みが必須で、それが難しい案件とは相性が悪いと理解してる
論理的ふうで論理的でない文章の流れ。ぺろり、これは生成AIによる文章ですね
アジャイル宣言にそんなことは書いてない気がするんだけど、どこがソースなんだろう。とりま気になってるのはアジャイルとスクラムが変にセットで語られがちなところかな。
スクラムの文脈で言うと能力、準備、意思が無いものはその役割から退くべきである。重要なのは意思で、最初から持っていなくても、この能力を身につける意思を持って訓練していけばいい
「アジャイルが他の開発方式と決定的に異なるのは、根幹に「真実を操作しない」という前提が置かれている」それだと他の開発方式は常に真実を操作する、が真でないといかんがそんなことあるんか?どうもおかしい。
「事実の共有」のためにペアプログラミングとかコードレビューや朝会が組み込まれていると思うんだけど、AI中心の開発スタイルではコードレベルの事実の共有は無意味になる。モブでAIに書かせるとか意味わからんし。
アジャイルが論理的で邪悪じゃない人だけでチームが構成されることによって成立するという話。それはそうなんだよな...。メンバーが非論理的で邪悪であるという前提に立つとそりゃ別な開発手法になると思いますね…。
やっぱり本質って人それぞれあるよなぁ。おもろい
「アジャイルとは何か」を問うより、「自分達に必要なのは何か」を問うほうが大事
不誠実な態度や非論理的な行動が許されるとしたらアジャイル以前にビジネスか怪しい。しかし実態はその気が無くてもそういう状態な人もいる(自分含む)のは事実として受け止めないといけない。
「実存は本質に先立つ」プロダクトを手の届くところから作り始めて動作を確かめながら育てるように作る、という基本的な実践を通して本文で述べられているような資質を持つようにメンバーを育てていくべきかと。
そろそろ大学に人文学部アジャイル哲学科作ればいいと思う
アホか。というか構成する人や材料に着目するのは日本人の悪い癖だ。例えば橋は橋桁と橋脚から構成されているがどこにも掛かっていない橋は橋ではない。アジャイルはプロセスだから誰でも良い。適切に行動さえすれば
ジェネリックなものとしてはアジャイルソフトウェア開発宣言しかないのでは...?