友達のみんなには積極的にはてなブックマークをやってほしいと思っています。過去作もいくつか読んでもらって良いと思ったものにははてなブックマークをしてください。読者登録もしてほしいです。褒めて下さい。
共感出来る部分が多くて興味深かった。最近自分の感覚的な行動を言語化頑張っているが、出来る部分と出来ない部分があり、理解が浅いだけとも感じつつ、実はできないことではないかという視点も持ちたいと感じた。
言葉にできない部分について「美意識みたいなもの」と表現した知人がいて、流石と思った。彼の職業はアーティスト。
書いてあることは全く同意で、多分主観としても似ているのだが、世の多くの人は言葉にすることを物凄く蔑ろにしがちなので、もっと手前の段階で「言葉にしてくれ」と言うことが多い。僕はキミじゃない、という前提。
“これは、相転移に似ている。水を冷やしていく。99度、98度、97度。温度は下がっているが、水は水のままだ。でも、0度で、突然、氷になる”
最近は言語化できないような事柄でも動画で伝えられることも増えてない?
誰かが言語化してくれたものも必ずフィルターがかかっているし、受け取る自分もまた同様だと言うことは忘れないようにしている。
良かった。現実に表現する手法として言語が最も汎用で強力なんたけど、とはいっても言語化できない領域はさらにさらにさらに広く、言語化の解像度はたかが知れている。でも言語化しか使える手段がないんだ
なんかすごく車輪の再発明感のある文章。山奥の頭の良い少年が自分自身でピタゴラスの定理を発見する感じ。ページ内検索:暗黙知 ヒット数ゼロ。
おい、スマホ対応しろ
(本文読んでない)言語化しろって言う人は嫌い。対話する同士お互いに歩み寄ればいいのにね。なんでお前は歩み寄らねーんだよ、しょーがねーからお前の言語に歩み寄って俺が説明してやるよ、と思いながら言語化する
「抽象化する。「この感覚は、不安だ」」。違う。抽象化とは、「この状況でこの操作をすれば誰がやってもこうなる」だ。抽象化が再現性と、私と貴方の議論の成立と合意を生む。それを文章にすれば論文。
できるイコール体系的に理解している、ではないので、言語化できないという事はまだ極めてない、で間違いない。体育会系の精神論的が非合理的だけど効果的という具体例であり、量が質をカバーできるとも言える。
もっともらしく書いているが自転車に乗ることと仕事を一緒にしちゃ駄目でしょう。我々は雰囲気で仕事をしてるわけじゃぁないんだよ。
プログラミング自体がふわっとした要件の言語化だとも思うけどね。身体化?を先にやった方がいいのは同意。ただ、その後、 言語化や抽象化がやれないと作業員にしかなれないよねえ。
本文には全面的に同意、その上で、テンソルで表現すればかなり行けると証明したのがLLMだ、という話からがこんにちのトピックになるよな(-_-;)
言語哲学へようこそ。言語化できないものがあることを言語のみで説明するゲームを強いられた、人間という生物について。
リズム的なもの(ここで「タイミング」と扱われているもの)を語る語彙ややり方が私たちに何千年も不足し続けているということは私も思います。でもそれは不可能なことかというとそうかなあとも感じ続けてる。
攻殻機動隊の「ゴーストが囁く」ってやつ。/まさに言語化が難しいんだけれど、身体性の濃い薄いに個人差があって、濃い人は自転車の例えが腑に落ちて薄い人は納得いかない、という分かれ目があると見ている。
名付けられるまでは存在するけど認識されてなかった概念ってあるじゃん、毒親とかさ。今は言語化出来ないコードレビューのコツも上手い言葉が出来たら急に言語化されてしまうかもしれないぜ。
言語化しろ、なんて難しいこと言わないでほしいにゃ〜!ボク、甘えん坊だから、優しくしてほしいにゃ〜!
自前アプリで聞く/面白かった、聞きかじりだけでは何もできないのを綺麗に解説してくれた記事。
言語化によって失われる情報がある。しかし情報は少し形を変えて相手の身体に浸透し、その差異が人間の進化を生む。この考え方は勇気付けられる。すべてを完璧に伝えることはできない。だがそれでいい、それがいい
言葉のみで全く同じ認知を複数の人間が持つのは難しい。言語以外だと、特に図やグラフは有効。言葉では伝えづらいけど自分の認識を図で共有したら理解してもらえたりするので色んな手段があるという認識も大事
言葉は流通インフラみたいなもので便利だよね。しょせん言葉は圧縮コーデックなんだよ。すべてが言葉なのは非構造化された情報のキャッチでしかない。ただ、言葉はインフラなんだよね。
言語で表現できるものが必ずしも伝えて受け手で同じことを指してるとも限らない。でも人がノンバーバル含めコミュニケーションをしようとしたら、言葉が必要。LLMが受けているのも言葉がベースだから
申し訳ないんだけど、「言語化しても長文だと伝わらない」という感想を抱いてしまった。「言語化すること」と「伝わること」は全く別。相手に共感し、共感されることばをいかに選び抜くか。
このテーマは、プログラマーの能力を絡めて語るには、相性悪い。プログラミングは肉体依存の伝統芸能、工芸品職人などと比較してほとんど言語化(理論化)できる。だからAIに置換可能。プロデュース力をテーマにすべき
言語化以前の課題の一つとして、ある事象がある一つの理由のみによって発生しているわけではなく、実際には複数個の要因の相互作用によって起こっていると認知的に捉えることが難しいことにあると思う。
書いてあることはまぁそうだよねではある。/自転車のバランス取りはプログラマなら言語化してプログマムに落とせてほしい。
わかる(理解する)、実践できる、説明できる、教えられる、これらは全部まったく別のことだと感じている/「説明したからといって伝わるとは限らない」とも。学生時代にそう言ったら泣いちゃった後輩がいたなあ。
コードの良し悪しについては工学の話なので、究極的には説明可能になりうるものだと思う。そのコストはいま現実的でないけれど。
言語化っていうのは、将棋aiの手で入れる評価関数みたいなものなのよ
なっげーって思ったけど読んで良かったし、また読み返す。
人から教わったりドキュメントから学んだことを自分なりに咀嚼し、部下に対して言語化し説明し、少し形を変えて部下に伝わっていく。
言語化できない感覚もあるよと。どんな仕事でもそうだよなぁ。 と思ってたら、iPhoneの磨き技術みたいに解析されて、外に持っていかれる可能性もあったり。 AI登場で、プログラミングはどっちになるだろうな。
人それぞれ抽象度が違うのがまた新しい視点をくれたりする
“AIを使っても、学習の本質的なプロセスは変わらない。 言語化された知識 → 実践 → 振り返り → パターン抽出 → 身体化された知識 ...AIは、このサイクルの速度を上げる。でも、サイクルを飛ばすことはできない。”
長い。説明しすぎなのでは。
語り得ぬものは黙ってろ、みたいな言葉があった気がする
「結局試行回数は大事なので試行回数を積み重ねよう」「振り返りは大事だね」「お前は俺じゃないのでちゃんと言葉にして説明してくれ」で済みそうな話にこれだけ長い文章を書けるのは、ある意味才能な気がした。
毎日食べているお米もたまには炊飯器ではなく土鍋で炊いてみようか、と思いついてみたり。
1on1で最も良い効果を与えたのって、全然理解できない後輩を肯定したことじゃないかな。じゃなきゃ困ったときに思い出さないもの。
解像度を高め、目的意識を持って振り返りパターン化して行かないと言語化できない。言語化すると情報が欠落し、細粒度を扱いながら抽象化する過程で痛みが伴う。言語化したところで身体化がないと学びにならない
"言語化は、常に不完全だ。身体化された知識を言語化する時、必ず何かが失われる。それは、言語化の欠陥ではない。言語化の本質だ。そして、それでいいのだと思う。言語化しきれないからこそ、共同作業に意味がある"
この文章には「世界への謙虚さ」がない。 内面だけを精密に語っていて、世界の大きさや構造に対して自分がどこに立っているかを見ていない。 だから視点がどうしても自分中心になる。
おい、言語化しろ - じゃあ、おうちで学べる
友達のみんなには積極的にはてなブックマークをやってほしいと思っています。過去作もいくつか読んでもらって良いと思ったものにははてなブックマークをしてください。読者登録もしてほしいです。褒めて下さい。
共感出来る部分が多くて興味深かった。最近自分の感覚的な行動を言語化頑張っているが、出来る部分と出来ない部分があり、理解が浅いだけとも感じつつ、実はできないことではないかという視点も持ちたいと感じた。
言葉にできない部分について「美意識みたいなもの」と表現した知人がいて、流石と思った。彼の職業はアーティスト。
書いてあることは全く同意で、多分主観としても似ているのだが、世の多くの人は言葉にすることを物凄く蔑ろにしがちなので、もっと手前の段階で「言葉にしてくれ」と言うことが多い。僕はキミじゃない、という前提。
“これは、相転移に似ている。水を冷やしていく。99度、98度、97度。温度は下がっているが、水は水のままだ。でも、0度で、突然、氷になる”
最近は言語化できないような事柄でも動画で伝えられることも増えてない?
誰かが言語化してくれたものも必ずフィルターがかかっているし、受け取る自分もまた同様だと言うことは忘れないようにしている。
良かった。現実に表現する手法として言語が最も汎用で強力なんたけど、とはいっても言語化できない領域はさらにさらにさらに広く、言語化の解像度はたかが知れている。でも言語化しか使える手段がないんだ
なんかすごく車輪の再発明感のある文章。山奥の頭の良い少年が自分自身でピタゴラスの定理を発見する感じ。ページ内検索:暗黙知 ヒット数ゼロ。
おい、スマホ対応しろ
(本文読んでない)言語化しろって言う人は嫌い。対話する同士お互いに歩み寄ればいいのにね。なんでお前は歩み寄らねーんだよ、しょーがねーからお前の言語に歩み寄って俺が説明してやるよ、と思いながら言語化する
「抽象化する。「この感覚は、不安だ」」。違う。抽象化とは、「この状況でこの操作をすれば誰がやってもこうなる」だ。抽象化が再現性と、私と貴方の議論の成立と合意を生む。それを文章にすれば論文。
できるイコール体系的に理解している、ではないので、言語化できないという事はまだ極めてない、で間違いない。体育会系の精神論的が非合理的だけど効果的という具体例であり、量が質をカバーできるとも言える。
もっともらしく書いているが自転車に乗ることと仕事を一緒にしちゃ駄目でしょう。我々は雰囲気で仕事をしてるわけじゃぁないんだよ。
プログラミング自体がふわっとした要件の言語化だとも思うけどね。身体化?を先にやった方がいいのは同意。ただ、その後、 言語化や抽象化がやれないと作業員にしかなれないよねえ。
本文には全面的に同意、その上で、テンソルで表現すればかなり行けると証明したのがLLMだ、という話からがこんにちのトピックになるよな(-_-;)
言語哲学へようこそ。言語化できないものがあることを言語のみで説明するゲームを強いられた、人間という生物について。
リズム的なもの(ここで「タイミング」と扱われているもの)を語る語彙ややり方が私たちに何千年も不足し続けているということは私も思います。でもそれは不可能なことかというとそうかなあとも感じ続けてる。
攻殻機動隊の「ゴーストが囁く」ってやつ。/まさに言語化が難しいんだけれど、身体性の濃い薄いに個人差があって、濃い人は自転車の例えが腑に落ちて薄い人は納得いかない、という分かれ目があると見ている。
名付けられるまでは存在するけど認識されてなかった概念ってあるじゃん、毒親とかさ。今は言語化出来ないコードレビューのコツも上手い言葉が出来たら急に言語化されてしまうかもしれないぜ。
言語化しろ、なんて難しいこと言わないでほしいにゃ〜!ボク、甘えん坊だから、優しくしてほしいにゃ〜!
自前アプリで聞く/面白かった、聞きかじりだけでは何もできないのを綺麗に解説してくれた記事。
言語化によって失われる情報がある。しかし情報は少し形を変えて相手の身体に浸透し、その差異が人間の進化を生む。この考え方は勇気付けられる。すべてを完璧に伝えることはできない。だがそれでいい、それがいい
言葉のみで全く同じ認知を複数の人間が持つのは難しい。言語以外だと、特に図やグラフは有効。言葉では伝えづらいけど自分の認識を図で共有したら理解してもらえたりするので色んな手段があるという認識も大事
言葉は流通インフラみたいなもので便利だよね。しょせん言葉は圧縮コーデックなんだよ。すべてが言葉なのは非構造化された情報のキャッチでしかない。ただ、言葉はインフラなんだよね。
言語で表現できるものが必ずしも伝えて受け手で同じことを指してるとも限らない。でも人がノンバーバル含めコミュニケーションをしようとしたら、言葉が必要。LLMが受けているのも言葉がベースだから
申し訳ないんだけど、「言語化しても長文だと伝わらない」という感想を抱いてしまった。「言語化すること」と「伝わること」は全く別。相手に共感し、共感されることばをいかに選び抜くか。
このテーマは、プログラマーの能力を絡めて語るには、相性悪い。プログラミングは肉体依存の伝統芸能、工芸品職人などと比較してほとんど言語化(理論化)できる。だからAIに置換可能。プロデュース力をテーマにすべき
言語化以前の課題の一つとして、ある事象がある一つの理由のみによって発生しているわけではなく、実際には複数個の要因の相互作用によって起こっていると認知的に捉えることが難しいことにあると思う。
書いてあることはまぁそうだよねではある。/自転車のバランス取りはプログラマなら言語化してプログマムに落とせてほしい。
わかる(理解する)、実践できる、説明できる、教えられる、これらは全部まったく別のことだと感じている/「説明したからといって伝わるとは限らない」とも。学生時代にそう言ったら泣いちゃった後輩がいたなあ。
コードの良し悪しについては工学の話なので、究極的には説明可能になりうるものだと思う。そのコストはいま現実的でないけれど。
言語化っていうのは、将棋aiの手で入れる評価関数みたいなものなのよ
なっげーって思ったけど読んで良かったし、また読み返す。
人から教わったりドキュメントから学んだことを自分なりに咀嚼し、部下に対して言語化し説明し、少し形を変えて部下に伝わっていく。
言語化できない感覚もあるよと。どんな仕事でもそうだよなぁ。 と思ってたら、iPhoneの磨き技術みたいに解析されて、外に持っていかれる可能性もあったり。 AI登場で、プログラミングはどっちになるだろうな。
人それぞれ抽象度が違うのがまた新しい視点をくれたりする
“AIを使っても、学習の本質的なプロセスは変わらない。 言語化された知識 → 実践 → 振り返り → パターン抽出 → 身体化された知識 ...AIは、このサイクルの速度を上げる。でも、サイクルを飛ばすことはできない。”
長い。説明しすぎなのでは。
語り得ぬものは黙ってろ、みたいな言葉があった気がする
「結局試行回数は大事なので試行回数を積み重ねよう」「振り返りは大事だね」「お前は俺じゃないのでちゃんと言葉にして説明してくれ」で済みそうな話にこれだけ長い文章を書けるのは、ある意味才能な気がした。
毎日食べているお米もたまには炊飯器ではなく土鍋で炊いてみようか、と思いついてみたり。
1on1で最も良い効果を与えたのって、全然理解できない後輩を肯定したことじゃないかな。じゃなきゃ困ったときに思い出さないもの。
解像度を高め、目的意識を持って振り返りパターン化して行かないと言語化できない。言語化すると情報が欠落し、細粒度を扱いながら抽象化する過程で痛みが伴う。言語化したところで身体化がないと学びにならない
"言語化は、常に不完全だ。身体化された知識を言語化する時、必ず何かが失われる。それは、言語化の欠陥ではない。言語化の本質だ。そして、それでいいのだと思う。言語化しきれないからこそ、共同作業に意味がある"
この文章には「世界への謙虚さ」がない。 内面だけを精密に語っていて、世界の大きさや構造に対して自分がどこに立っているかを見ていない。 だから視点がどうしても自分中心になる。