大人がやっていて現場にいれば、マウントをとっているのかとっていないのかわかる気がしますが、それもある種のひっかけかもしれないし、難しいですね。おっしゃるように、純粋にしゃべりたいだけかもしれないし。
そういう人いるよねえ。「おもしろさがわからないのは敗北」と思ってるのでこういう感覚はわからないけど。いまいちな作品を気に入ってるやつがいたら同傾向のもっとおもしろいやつ見せてやって欲しい
『「相手が好むもの」「相手が好む要素」を低レベルなものだと断じることで、自分の方が立ち位置が上なんだ、と示すようなマウント』
「それつまんなかった」ならまだいいけど「これを楽しめるやつは頭おかしい」まで言うやついるからな
「つまらなかった」でマウンティングするのは安易で、つまらなさをいかに賢しく説明しても、その言葉も大体ありふれたもので糞つまらない。「この良さがなぜわからないんだ」という熱量の方が面白いし好感度高いよね
おもしろいだけ語る場の気持ち悪さはつまんないしか言わないのとは違う気もする。
「ではあなたは何の作品が面白いと思いますか」がカウンターになるかな。マウントのために否定しているのであれば否定し返されるリスクに直面するし、そうでなければ返答から話題を広げられる
相手の価値判断に合わせるだけ合わせても、「そう、そうなの。それでね」と遠慮なく自分語りを続ける幼児性を維持したままの大人も男女問わず多数。否定しないのもそれはそれで疲れる。話の腰の折り方も大事な技術。
いつも否定から入る人との友人関係を見直したいって話はわかるけど、私は友人同士であってもその作品に対する評価は率直に伝え合う関係の方が気持ちいいと感じるタイプだ。ケースバイケースであり、言い方による。
面白いどうこうに限らず、会話をまず否定から入るタイプは一定数いるね。「いや」がクセになっている人。自戒も込めて。
すまんな、本当につまんなかったんや
「○○の面白さを教えて欲しい」もこれの派生ではないかと邪推している
俺ははてブとか増田を面白い!と思ってやってる人は頭おかしいと思うけどな…
なにものにも面白さを見出すのもある種能力が必要だよな。自分の価値観からだけでなく多面的にみるとか。まあ子どもがやってるなら寛容にできるけど、大人がやってるのは教養足りてないんじゃないの、としか…
「あっそ」って言って、放っておけばいいんじゃない?つまんないと言う人を否定する必要もないし、同調する必要もないよ、そう言う人もいるんだなー今後関わらないようにしようで終わりでしょ
その子が『面白い』と感じるものが何なのか気になる。中学生のときって、こういう人間関係で疲れてた記憶がある。
言うタイミングとnot for me はあってもいい気はするけど。
“子どもと会話して思ったことをそのまま書きます。” この行を見て、そんな返しするやつは子供と一緒なんだよというマウントを予測した。あとで揉む
こんなん最初は肯定してから「でもね…」って続ければいいだけの話なんだけど、いきなりつまんないとか言うから相手は不快になるって話なんだよね。いきなり否定する人はマウント取りたいだけの人だと認識される。
おもしろいもつまらないもそこで止まっちゃったら自分以外には意味がないじゃん。つまらないなら“趣味が合わなかった?嫌いなところがあった?”とか聞けば話が広がるし具体性が出てこなければそれまでの話だ。
マウント取ってくる相手は普通にムカつくけど自分の好きを否定されたら自分自身が否定されたとイコールにする人も相当に鬱陶しい 一人で勝手に嫌っていればいいように一人で勝手に好いていればいい
別の視点として、自分が仲間に入れない会話を嫌ってるのかもしれない。子供だとありがち。
こういうのって「それを面白いと思った自分」が主題なので、作品そのものについての評価じゃないのよね。だからこそ欠点でも盛り上がれる。作品そもののを語っちゃうとそれ違う話ってなる。
TPOが大事だと思う
個人の純粋な感想をマウントだなんて言うほうがマウントじゃね
こういうコミュニケーションのいざこざが始まるのは中学生ぐらいだろうけど、自分自身「つまらない」と言われたことをいなせるようになったのは30過ぎてからだったなあ。あまり気にしないことだと思う。
わたしはその場で親らしく明確なアドバイスをせねばと思いがちなうえ、一旦保留したらずっと忘れてしまいそうなところ、「別段深く悩んでる様子でもないし一旦ゆるく同意するだけに」なんて判断できるの尊敬する。
マウントを取りたいだけなのか否かの判別は確かに難しいし相手と違うところがあるから会話が盛り上がる場合もあるというのもよく分かる 否定的な言葉は言い方とタイミングに気をつけましょう、ぐらいしか言えない…
場の空気を読めって話でもあるし、伝え方の話でもある。
聞かれて答えるならまあわかるけど聞かれてもないのにつまんないだの興味ないだの知らないだの言い出すやつは性格が悪いのは間違いないと思う ネットでたくさん見る
相手の感想の否定だけで、「自分は何を面白いと感じるのか」を提示しない> つまらん表明を柔らかく言いたいなら、〇〇は面白いけど✕✕はイマイチだった…と良い所と悪い所いうことやな。
いちいち被せるように言うのはわりと強い動機を感じる/はてブも大喜利とかはたのしいでしょ😠
拗らせたオタクの心性として「自分が面白さを見いだせなかった作品に対する有意義な感想・批評に勝手に劣等感を抱いて傷つく」というのがある。主観としてはマウント取ってるのではなく正当防衛なのだ。面倒臭いね!
頼まれてもいないのにご意見番気取り
わざわざこっちに来て「これつまらない!」って言い始めるのはネットでよく見かける光景
往々にしてポジティブな感想よりネガティブな感想のほうが面白いことが多い(昔のシネマハスラーとか)ので、自分なら「どこがつまんなかった?」「じゃあ面白かったのは何?」って根掘り葉掘り聞いちゃう鴨
興味というのは人それぞれw
むか~~~~し、TLが艦これ一色で嫌気がさして「単純作業の繰り返しや、攻略班の情報を真似して追加検証する作業の何が楽しいんだ」ってTwitterにつぶやいたら、仲良かった箱◯信者にブロックされたの思い出した
精神的な未成熟さとか心理的技巧とかの話だと思う。子供と大人で意味合いが違う。ネット上だと10代の意見や50代の意見が混在してカオスだね。大人は⚪︎が面白かった、とか⚪︎が好き、というタイミングも計るよね。
「つまらない」と言うことで優位に立てると判断してる人がいるてことか。「あなたの物差し(審美眼)だとその程度でおもしろいと感じるのね」的なニュアンスか、“違い”なだけで優劣じゃないのに悩ましいね
実際にどう感じているかは別として、そういう種類の手法しかコミュニケーションの手札を持っていないタイプ、というのも居る。大人なら厄介だけど子供の場合は経験値不足かな。
日本語や文脈がわかんなくて何も面白くないって人もいるからなぁ……… 現実にいたのは「エルフ」がなんなのか分からない人がフリーレンで初遭遇で、エルフってなに?って躓いてた……
最近自分が面白いと思っているコンテンツを頭から否定してくる大物編集者の方がいるのですが、ああやって他人に精神的ダメージを与える人は、イエスマンとだけ関わっていればいいのに。
はてブにいっぱいいるやん 自覚なさそうだけど
リアル人間関係なら、とりあえず心中で「ハンロンの剃刀」と唱えて様子見るかなあ。
「何が面白いのかわかんない」では「つまんない」の熱量も解像度も低過ぎて相手にするに値しない。ディスる時こそ理論武装を。
面白いということに対して私はそうじゃないはディベートにならないのが日本っぽいのかな
犯罪とか迷惑じゃないなら、趣味のものなんでねと思うようにしてる
「どこがつまらなかった」の深掘りにすることで深い考えのもとなのか、浅い気分での否定なのかが引き出せる。 / が、否定的な推定空気悪くする人間を接待するのも嫌だなあという気持ちも出なくはない。
自分の作品をけなされるより、自分の好きな作品(自分の審美眼)をけなされるほうが傷つく……というのをなにかの創作者が書いていて、そういうものだろうとは思ったことがある
過剰な賞賛(当人らはそうではないと主張しがち)は虚偽広告の虞犯行為でもあるので、それを「否定するな」と主張することには謙抑的であるべき
内容はうんうんって思うけどブルーロックはマガジン…/否定する行為ってネガティブ要素が必ず含まれるからマウント以外のコミュニケーションに使うときはある程度気遣いとか技術とかが求められると思う
いつも否定から入るのはアレだが一切ネガティブ情報受け付けないのもディストピア感あるので難しい
そういう人と結婚しちゃうとマジ地獄よ。
PS版のドラクエ7が好きなやつは頭がおかしいって話ですよね
即否定する人いるね。私も割とやるから反省。文脈次第では価値観のすり合わせや親密さゆえの率直さの場合もあるから、一概にマウント取ってるとは思わないけどね。
実生活では言わないようにしてるからこういう場で書いたりしてるのはあるな。
あー。ジャンプ作品を面白いと言ったら負けみたいな病気を拗らせてる人は居るよ。ジャンプ作品なら問答無用で初手「つまらない」で語れ、みたいな。一昔前なら「漫画読み」とか自称してた界隈のオマエラだよ!
私はいつも母親から常に否定され、嘲笑されてた笑笑
これはうちの息子もあったから話したな〜。全否定は良くないと言ったな。
は?有名人気作品のファンって、いっっつも自分が作ったわけでもない作品の人気でマウント取ってんじゃん。その癖ちょっとでもそれに不満をいうと「人の好きを否定するなー」の嵐。
相手への嫉妬や対抗心が無意識に出ちゃってるんでしょう。幼稚ですね。(人の面白いを否定する人を否定してマウントを取ろうとするブコメ)
マウントとは限らんよね。あれもこれも面白いだと面白いのしきい値低すぎてイラッとしてるのかもしれんね。本当に面白いものだけ言えよと。
私も否定から入ってしまうことがあるので意識して止めるようにしてます。基本的に肯定する、「ありがとう」から始めるなど。でも難しいですよね、普段から微妙だと思ってたり明らかにアラが見える話だと特に…
はてブだと「長い読まない」とか「誰?」とか、初手から拒否するパターンが多いような…/鬼滅関係はよく「どこが受けたのかわからん」と書かれてるよねぇ
40過ぎてもやってくる人が近くにいる めっちゃ距離置いてる
「そんなものでありがたがってるの?w(私はもっと高尚なものをしっている)」というのはどこにでもいるからな。最近ドラクエ7の話題でも大量に沸いていたし。
「お前は何でもすぐ否定から入るよな」「いやそんなことはない」
どのへんが面白くないのか訊くのは難しいだろうから、何を面白いと思うのか訊くだろうな、自分は。それを自分が知らないならふれてみるかもしれん。マウント関係なく、単に感性が違う人な可能性もあるし。
どんな食べ物も「まずい」って否定する人もいるよね。給食はまずい、あの店はまずいと(文中にも類似の例として挙げられてるが)そういう時になるべく「そう?自分はおいしいと思うな」と言うようにして生きてきた
娘がそういう話ばかりするのが嫌だから言ってるのかも
“ある作品に「つまらない」という感想を持つことは自由ですし、そこを起点に楽しい議論が盛り上がることもあるので、「つまらない」自体を否定して欲しくもありません ・楽しくて建設的な議論とマウント合戦の線引
否定的な主観的評価を批判か中傷か判断するのは難しい、という記事を以前書きました。マウント的要素がどの程度含まれるか、なんてのも入ってくると、より難しくなりますね。https://ikasuke.hatenablog.com/entry/20120421/p1
自分が評価しない物を周囲が賞賛してると自分が否定されてると感じて、反撃したくなるらしいよ。マウントというより防御の反応じゃないかな
マウンティング欲は人類の基本的な欲求。マウンティング行為を「こいつは腹が減ってるから飯を食ってるのだ」くらいの感覚で見れるような社会にしよう
このブログを娘さんの友人が読む可能性は無いのかしら…?名字がフェイクならバレないと思うけど、どーなん?
マウントというのも受け手の印象に過ぎない話のようだし、子どもの話であれば、面白いつまらないの軸は一旦横に置いて他人の意見に賛同できない時どういう対応をした方がいいと思うかから入る方がいいと思うけどな
相撲やマラソンなどをテレビで見ながら、観客が映ると、よう見に行くなーと毎回言うので本当に嫌になる。OSが他人の行為の否定の人。そのためにわざわざ見てる
何で〇〇なんか応援してるの?弱いのに。 ←これもな
いや、俺はこれを30年前に気が付いていた。(マウント
作品がつまらないんじゃなくて、話が…つまらない可能性もあるんじゃないかな。
「これ知らんやつ人生の半分損してる」系の過剰広告が嫌いなので、たまに腰を折りたくなる気持ちも分からんでもない。友達と同じものを好きじゃなくても友達でいられるのだ、が分かるのは結構先のことだとも思う
マイナー作品の「面白さがわかる自分」というマウントもあるし、メジャー作品をなんの屈託もなく楽しめる=クラスの一軍に所属(オタク・陰キャじゃない)というマウントもあるから難しいですよね?
「参政党の排外主義コンテンツ面白い!」「批判ばかりで精神的マウントを取るサヨクリベラルは嫌われて当然!」黙って眺めて考えてるだけのエリートさん達が一番質が悪い。
その時の集団の空気で良し悪しが変わるイメージ。 (集団内での「面白い」の否定はダメージになるけど、 集団内での「面白くない」の空気は乗っからないと逆に叩かれる)
人の面白い、はむしろとても面白いのにな。好きなものを語っているのを聞くのが好きまである。
面白いかどうかと言うより他人の意見を尊重するかしないかの話では。内容に関わらず人の話に被せて自己主張してくる時点で話にならないでしょ
自分はつまんなかったと言われても平気で、逆に相手に「どのへんがつまんなかった?」「もっとどうだったら良かったとかある?」とか聞いてしまう。それがきちんと説明できる人なら、つまんない論も聞いてて面白い
"つまらない" で話をぶった切るとそうなるけど、ここがこういう風につまらないんだよね、とかこういう展開は僕は嫌いなんだよねとか、具体的な話を相手がしてくれれば全体的な会話としては楽しくなる可能性があるかも
他人が「好き」「面白い」「楽しい」と盛り上がってるところに“わざわざ介入して”否定する輩は間違いなくマウント行為でしかないので生温く無視でいい/「それの何が面白いの?」と思っても口に出さんことだ。
面白くないの否定の仕方が面白くないってのは、相手の語彙力と相性の悪さの表れなので付き合うにしても消極的に付き合うようにすると良いよ。
男児女児が遊んでるところを眺めていると、よくわからないマウント合戦で場を冷めさせてスンッてなって、バラバラに遊び始めて、でも数分後にはまた一緒に遊んでいたりする。そうやって会話術を学んでいくのだろう。
「『私は』面白いとは思わなかった」は言うことあるけど、もうその話題を振らないでほしいぐらいの気持ち。この面白さがわからないなんて、と逆にマウント取られてるなぁと思うこともある。
ハイキューが嫌いな女子って存在するのか。女子は全員ハイキュー好きだと思ってたわ。主人公勢があまり強くないからかな。
否定マウントの人は、相手が面食らったりしょんぼりするのを見て楽しんでることが多い。笑顔で「そうなんだ!どこがつまらなかったのか教えて!」と会話を始めれば、面倒&手応えなくて他のターゲットへ移っていく
娘の友達とかに多いけど、世界が狭いとやりがちなのかなって気はする。お手軽に広い見識アピールできるから
否定的な話が苦手な人って結構いるんだよね。否定は物事の楽しみ方に味わいを加えるが、それほど仲良くない相手には、すげー気を使う必要はある。自戒を込めて。
ネットならまぁええやんって思う
え、つまらないならつまらないで仕方なくない?否定してるの?
仲の良い友達であるほど、楽しさ面白さを共有できないときに疎外感があるんだよね。酸っぱいブドウのきつねのように居心地の悪さを悪口に変換してしまう人間の習性
プレステのゲームでルフィが「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!」って言ってた。
完全にホールデン・コールフィールドだわ
どんなものでも楽しめる人が一番の勝者なんだけどな。どんな国にも行けるし何でも食べられる。こだわりを持ってる人ほど実は人生を楽しめてない。
“2004年からブログでこの漫画ゲーム面白いと主張。相手の「面白い」を否定して、自分が精神的優位に立とうとするコメントは100件のうち大体2,3件。好きなコンテンツの不満について話すと超盛り上がるオタク談義”
相手に気持ちよくマウントを取らせることも時には大事よね
あーやった事あるなぁ。 反省
マウント目的じゃなくてめちゃくちゃ苦手な作品があって、それの話するのしんどいからやめてくれ…、のパターンもあるにはある(倫理観が相容れないとか) とはいえそれならもっと柔らかい言い方するだろうけど…
話が噛み合わなくて嫌な気持ちになったときに相手をマウント呼ばわりするのはあまり良い習慣ではないと思う。相手を悪者サイドに置ける無敵ワードなので。
否定する事ばかりの人なら付き合いしていく価値ないと思うんだよなー仕事じゃないんだから否定より共感してくれたり興味持ってもらえる人の方がいいよね友達って。
はてなーなんか自分たちが嫌いなコンテンツ(ディズニーとか)は見もせずに罵詈雑言クサしてるのその中学生以下だよね。
相手の気持ちよりも自分の気持ち(「つまらない」と評価する冷静な自分をアピールしたい)が優先されてる時点で、自己中心的な性格なんだろうね。相手を傷つけてまでいう必要ない言葉なのに。
困ったことに、悪口大会はエンタメになるんですよね。けちょんけちょんにけなす、キツイ言葉でけなす、みたいなのは超楽しい。だからウチでやれ、という話なんだけどウチソトの境目は人によって異なるので難しい
私は他人が好きなもの面白いものについて語っている時のちょっと高揚した様子とか真剣な目などを見ているのが好きなので、マウントゴリラは山奥に帰って人目につかないところで勝手にウッホウッホしててください
その後の話し方次第じゃないかな。あと個人的にはSNSはその後のフォローが後回しになる事も多いのでこういう表現に向いて無さそうだとは思っている。
否定された人が強い人だと、「こんな面白いのが理解できないなんてお前の頭がおかしいんじゃねえのか?」って戦争になるよ。
それぞれが自分の中に「面白い」「つまらない」をしっかり持ってればいいだけなんだけど、世間には自他の境界が曖昧な人間が多いので「面白い」「つまらない」が一致してないだけで戦争になるんだよな 人類の限界
本文にあるけどいわゆるオタクムーブってやつかな。そういうものとして許容できる間柄であるならいいのでは。
オンラインブックマーク?どういうこと?人の書いたページにみんなで腕組みして偉そうなコメントを書いて星を贈りあって悦に浸る??いや、それ楽しめる人頭おかしいでしょ!?
マイナーモノ好きだと、メジャーなコンテンツに対して「何でみんなこれが好きなの?頭おかしーんじゃねーの」(置いて行かれて不安)という気持ちが湧く。攻撃は不安から。
ブクマかそのものだよなw
ついこの間も、あるコメント欄で、人の好きなものに対して、ゴミ呼ばわりしてた人を見かけました。誰も幸せにならないコメント。/話を発展させたいときは「私には良さが分からなかった」といった方が良いでしょう。
ブコメとかでネガティブなの溢れてると、逆にそこまで悪くもないのではと思う。逆張りの亜種みたいな感じやろか。
他人にこういうマウントの取り方をやられても「面白さの前提とする知識や感性を持っていないんだね、かわいそう」くらいに思ってるけど。
少年漫画ばかり読む女性はLGBTなのか?
一方的な面白いの押し付けも同様にうざくはあるんだけど、共通して言えるのはこういうコミュニケーションの仕方してると嫌われるし損するってことだけは自覚しないと不味いよね
タイトルおかしくね?「人の面白いを否定してもマウントを取ってるとは限らないから、そこから会話を楽しんでみたら?」って話ですよね。
“「面白い」と「つまらない」を語り合い、戦わせることで楽しい議論になること、何か新しいものが産まれる場合もある、”自分はこれが好きなので好きなものだけ語る場は物足りなさを感じる派
母がそういう愚痴に対してよく言ってくれたのは「されて嫌なことは自分はやらない。反面教師にしなさい」だったなぁ
話してる時は「うんうん、あれいいよね」とニコニコで聞いてくれた人が実はそれを嫌いだった、と後から知るパターンも気まずいのよね。距離感って難しい
マウントどうこう以前に「他人が好きなものが嫌い」という人間がいるように思える。こういう奴はだいたい自分が好きなものは教えない/はてブおもしれえやろうが!
マウント要素が嫌われるだけであって、「なぜつまらないと感じるか」自体はけっこうおもしろい話題だと思う。自分が好きなコンテンツについて、つまらない理由を詳しく説明してくれる人の話はかなり聞いてみたいよ
人がおもしろがっているものを楽しめないって、どちらかといえば劣っている(わからない)側だと思うので、明確な理由なしに自分からは口に出せないが
だからそれってあなたの感想ですよねが流行るんだよ
これが元祖「中二病」のひとつだと思う。否定することがカッコいいと感じる時期。こういう相手は淡々と受け流す方がいい。この議論はもう少し先じゃないかな→“語り合うことで、楽しい議論ができることもある”
人がつまんないと言ってるのに「面白い」と否定して精神的マウント取るのはいいの?
聖書は凄く面白いのだが、当時の時代背景や価値観を知らないと書いてあることの面白さや奥深さが一切心に響かないみたいな箇所があり、作品の面白さを理解するには一定レベルの教養が必須だったりする問題あるよね
ディベートしたいから敢えて否定側にまわる、というのもある気がする
お題となるコンテンツに対してポジティブな意見が集まる場には、首を突っ込んで否定的な意見を言わないよう心掛けている。例えば鬼滅の話題とか……と結局我慢できないこともしばしばである💦
芸能人の訃報に「誰それ?知らん」「俺が知らん程度の有名じゃない奴の死を悲しく思う奴は馬鹿」という荒らしいるけど、自分が子供の頃、老俳優の訃報に全く関心持てなかったことを思い出す。荒らしは、子供なんだよ
じゃ、お前何が好きなの? と聞くと、大体答えずにジャンルごと否定してくる。「マンガ自体見ない」とか。そこで更に「へー、じゃあ何なら見るの?」と聞くとキレる。
https://a810-dobnow.nyc.gov/Publish/DocumentStage/Licensing/Requests/09a60760-588d-f011-a48e-005056b0fc6c/P00079392/P00079392_ca3bfb0e34.pdf?V=20
漫画・アニメ・ゲームにはまった人間って、その話題ばかり押し付けてくるし、あわよくば布教しようとしがちなのでウザいという気持ちはわかる。そういう奴って、大抵こっちの趣味は拒否してくるし…。
人の「面白い≒好き」はかなり強い情動なので、それを否定するには相応の覚悟が必要ってことですね。
ボケる「あ、今のはマニア向けのネタだったかも(笑)」素直に返す「そうなんだね。自分と少し違うみたいだね」乗っかる「そうなんだ!どういうところが違うの? / おもしくなかったの? 」
淫夢とか恒心教とか国際信州学院大学ではしゃいだり、特定の人物や集団をネタにして嘲笑したりするバカは否定するよ。
自分が面白いと思わない事で他人が盛り上がっている場所に居るのもストレスではある。そのパターンかどうかは知らないが。
肯定に否定をぶつけるのも否定に肯定をぶつけるのも同じ。発言内容ではなくて「断言する」「嘲弄する」という発話姿勢の問題ですよね。お互いの能力を認めて反論を許し、対話すれば建設的だし面白さを深堀りできる。
自分は逆パターンの公的に批評されうるものを私的領域に引っ張り込む手合いが苦手なんだよなぁ〜。職業病かも。
それはまあそうなんだけど自分が面白くなかったと思った作品の話を続けられてもなおさら面白くないってのもあるからな~ 話し方が上手かったら乗りようもあるんだけど、下手な話は本当に苦痛だもの
人格とは別にブランドやキャラクターとしての人や名前はあり、だから著者はこの記事を書けるのだろうけど、その人の接する物語や感想に悲しさを得ることはあるわけ
肯定は正直テキトーにやってもあまり問題にならないことが多いけど否定をあんまりテキトーにやるとよくないことや問題が発生しやすいので否定はそういうパワーがあるよね 気をつけなきゃ
といっても、最近は、特に面白くない作品を、売れてるからと、あれ面白いんだってとかいう伝聞で上から来る奴もいるのでさ。not4meならつまらんて言うわ。
要約: 人の好きを否定するのは敵を作りやすい。一方で「つまらない」という感想も自由で議論の起点になり得る。建設的議論とマウントの線引きは難しい
長女ポジションのコメントばかりだけど、年代的には親世代の方が多いはずだよね…?
心にしまっておくものだろ…
なろう作家、だいたいこのパターンに遭遇しまくってて、そうだよね、としか言いようがなかった。
議論が好きだがやり方がへたくそなので派手にポジション(好き側でもわからん側でも)とって嫌がられることもあるし色々自戒。バランス
まぁ、小中学生ぐらいなら成長の一過程とも言えるけど、大人になってもやってる人が多いからねぇ。
話がずれるけど、ここで話題になっている「つまんない」と、話題には出てこないけど私が勝手に連想した「嫌い!」は別で、「つまんない」は聞いててあまり面白くないけど「嫌い!」はとても面白いなぁ、と思ったり。
「相手が示した論点の粗探しをすることって、論点それ自体を設定することよりは簡単なので、「否定をする」だけで気持ちよくなっちゃう人にとっては格好のエサ場でもある」は、あらゆることに真理かも。
これ面白い以外にも大抵当てはまる。普通にコンビニに売ってる飲み物や食べ物とか、「〇〇美味しいよ」って言葉に「それ嫌い」って返すやつと会話したくなる?(いやしたくない)
https://jerrywilsone86-cloud.github.io/Coinbase-/
自戒……。 やってしまいがち……。 名作ほどフォロワー作品が多いから後世からはテンプレに見えがちだし。全ての作品は料理と同じで、受け入れる時に適切なタイミングと量と濃さがあるんですよね。
昔はゲームも漫画もネットもこうだった。何かを叩いてる人たちは見る目がないだけ。興味がない、わからないならシカトしておくのが一番いい
その年代だといわゆる中二病の一種な気がしないでもない。世間に流されない自分、みたいな
批判も意見の内だし、「熱中しながら同時に冷めている」くらいが自分を客観視できてて丁度よい塩梅では
自分は『覇権』とか『爆死』とか、他人の評価で作品を語るオタクのことは馬鹿にしている。オタクならどこが面白いか、どこが好きか、どこがクソかを自分の言葉で作品を語れよ。
わからんけどぶくまかの悪口ならいっちょかみしよ(そういうとこやぞ)
世の中で流行ってる物の何が面白がられてるのか、要素を分解してみれば理解はできるもんだ。それに乗れるか乗れないかだけの話で。流行り物について本気で何が面白いのか分からない人は物事の分析能力が低いだけだよ
マウント取るためであれば品位を欠くとは思うが、結局言うか言わないかの問題で、人の面白いに賛同できない事があるのは当然だよね。それが問題になるのは、お互いの仲の良さの認識に乖離がある気がする。
ワンピース何度チャレンジしても数巻で限界な自分にとってはマウントというより拒絶されてる感覚に近いかな。
相手を選んでこれやる人は本質的にはいじめっ子なんだと思う。恥ずかしながら自分も割とそう。
https://a810-dobnow.nyc.gov/Publish/DocumentStage/Licensing/Requests/ddf15b23-ff8d-f011-a489-005056b04135/P00080083/P00080083_247fb244fd.pdf?V=27
「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!」とはツギハギ漂流作家の主人公・吉備真備の台詞
"「面白い」と「つまらない」を語り合うことで、楽しい議論ができることもある" "その線引きをちょっと会話しただけで伝える自信はないので、おいおい伝えていこう" ここが大切で難しい。正逆マウント人格攻撃に堕すな
Xとかに大量に居る不機嫌押し売りゾンビ。この一点だけでも、Xなんざやる価値ないなと思ったりする。よって当方ほぼROM専。コミュニケーションしにきておいて、コミュニケーションを破壊するクズども。
「それを好きな人を否定する必要はないじゃん」と思いつつも、共感と称賛しか許されないコミュニケーションもまたつまらないとは思う。その作品がいかに面白くないかについて理路整然とまくしたてる人がいても良い。
"今、一からDBを読んで「古くさいし全然面白くなかった」と主張する人がいてもそれは仕方ない" 半分くらいから読み始めたら糞つまらんことは保証できる。あ、マウント取りに行っちゃったw /取られた側の心の問題
学生の頃まではいたなぁ〜こういう子。悔しい・羨ましい・単に私ちゃんはこう思う!と表明したいだけなどの子供らしい感情だと思う。大人では見かけなくなるけど、SNSでやってるのかもな。
ダウンタウンの何が面白いかわかんないという人は一定数いるが、経験上その本人自体は全く面白くない。否定する人はマウントというより、想像力が無さすぎて理解できてないと思う。コントを真に受けたりそういうの。
https://a810-dobnow.nyc.gov/Publish/DocumentStage/Licensing/Requests/ddf15b23-ff8d-f011-a489-005056b04135/P00080083/P00080083_9f38c5ec9b.pdf?V=78
青年誌漫画とか読んでるとそう思っちゃうのはわかる。言ってたこともある。でも言わなくなった。まだ思ってる節はあるから成長はしたけど自分もその級友側の人間な気がする。
オタクくんの漫画やアニメ叩いてるはてなの人のこと?
まあ要するに、みんなが面白い面白いって盛り上がってる状況が俺には面白くないのである。
マウント取るくらいならむしろマシ、なんなら牧歌的な部類で、「あの作品のファンは政治的に正しくない」「加害や差別に加担してる」「性犯罪者予備軍だ」みたいなのすら普通に横行してるからな。
作品の批判ならまだしも「○○を好む人は××」は滅びてほしい。たとえば、異世界転生を好む人は現実で上手くいってない人だとか、追放ものを好む人は自分が評価されないのは上司が悪いと思ってるとか
人の面白いを否定することでマウントをとりたがる人はどこにでもいるそうだが、正直あったことがない。
率直な感想を言う人、と思っていた友人が徐々にマウントを取りたいだけの否定を繰り出してくるようになり、気付いて別れた。つまらないと口に出してもいい。どうしてそう感じるのか聞きたい派。
はてなブックマーク面白い!
前にも書いたが人の自慢話とかも聴くの面白くて好きなのよ。
これが同調圧力か
へー、音楽性の違いだね、で済むんだけどね。お前の萎えより萌えを語れよ、って昔の人は言ったもんですよ。
https://forms.flvs.net/data/form_37335/files/element_7_84d62d1e57393758c78be43e2b02605d-coinbase-live.pdf.tmp
自分に自信が無いから他人を否定する。否定的意見も中身が伴っていれば会話のしがいがあるが、大抵は何も考えていないだろう。マウントを取りたいだけ。
仰る通りで、人の「面白い」も「つまらない」も否定するのには慎重になるべきだよな。どちらかといえば、「つまらない」を否定したがる人の方が多いように思うが。
少しずれるが、いじめる人の考えは理解できないって表明をよく見るのだが、いじめなんて動物でも起こる自然現象なのにお前こそ何考えてんだと思っていたが、あれは精神的な防衛反応なんやなと思いました。
しんざきさんはいつも丁寧で、自分を振り返って反省すること多々
わざわざ言わなくてもいいのになと思うことは多い。ネット上の見ず知らずならともかく、知人友人家族だったら相手はお前のことが嫌いってことだと思ってる。俺なら伝えない。
安直に他人の面白いを否定するのは精神的マウントと近接してるので人としての評判を落としがち、とか日常よく見る風景だが、そういえばアメリカンニューシネマをつまらなかったと書いて炎上した事例とか見た気が・・
面白いでマウント取ってるから、否定されるとマウント取られるとか言い出すんだろ。下らないマッチポンプですよ
考える時点でもう無駄。
子どもが大事にしていることを否定することでマウントを取ってくるうちの親
特定表現を忌避せず、特定表現を好む人に石を投げてない人だけがブログ主に共感しなさい。条件を満たさないものは、人の「面白い」を否定することで精神的マウントを取る人なので自覚してください。
人の「面白い」を否定することで精神的マウントを取る人。ノイズとか言ってるあの売れっ子脚本家かな?
チラ裏に書いて捨てるかアンチスレ行けという人はいる
そういう人はいるけどマウント取られてる感覚はなかった。ただ何事も「楽しむには一定の知性や金銭、努力が必要だから、それをクリア出来ない人には難しいかもね」と思う事はある。
今まさにラブブやノイズを除去した女子高生漫画を面白いと思ってる人を批判してる限界集落がこれを言ってるのが面白い
面白くなかったとしても感情を抑えて「どの辺りが面白かったのか」を興味深く聞けるようになった。マジでクソなコンテンツ(思想が相容れない)の誉めは、苦笑いしかできんけど。
ファンコミュニティでそういう事をする人はコミュニケーションが苦手なんだろうな思う。ただ1対1の時は「それに興味が無い事を明確に伝えないとずっとその話をされそう」っていうアラートが自分の中で鳴る事はある。
頭の良い奴らがマーケティングからマスに向けて売れるようにこさえただけの血肉の入らないクソみたいな作品だって事が自分にはわかってて、でもそれを楽しんでる友達を見た時にどう考えたらいいのか未だに悩んでる
ニコニコしながら推しについて語ってる人を見ると、幸せをお裾分けしてもらった感じがあって好きなんだけどなー。
その友人は素直に意見を表明しているだけで別にマウントを取るつもりは一切ないと思う。
でもネット評論が死んだのほぼコレが理由だよね?
仕事上で自分が優位を保てない領域に関する会話を「興味ない」でバッサリ切り捨てるマウント気質な人を思い出した
面白い、好きだというのを否定されるのは単純に気分が悪いこと。それをわかりつつ、否定するのはよほどそうすることにポジティブな意義があり、そのことを相手に伝えることができるときに限定するのが無難では
否定的な発言も含めて自由に発言できる雰囲気のことを心理的安全性と呼ぶが、日本てマジに子供の頃から同調圧力で場を制御する習慣をインストールされるんだなぁ。
「つまんなかった」とわざわざいうのってマウントなんだろうか 幼稚な人であることは間違いないので、「私にわかんない話しないでよ」ということなんじゃないのか どちらにせよ扱いに困るが
マウントするやつは同じことされたらどういう反応をするんだろう?w大抵怒り狂うよねw
でも、これもそういうマウントっちゃマウントだよね。(このコメントも)。無視するしか無いんじゃない?
小学校高学年から中学くらいまでの女子はほんと良くも悪くもハイコンテクストなやり取りをしてると思う
面白いとか言って他人に勧めてくるのに、その理由や構造を言語化できないやつは、おまえの面白いがつまらない、と否定しても問題ないと思う
自分が面白いと思ってるものなのに、つまらないって言われたら反発したくならない?単にその心理と同じだけだと思うけど。マウント取るとかうがち過ぎ
そういうときは「最近おもしろかった映画とかドラマとか本(マンガ)とかある?」とか「どういうのが好きなの?」と相手の趣味嗜好を聞いてみるとよいのかも?
はてブじゃん。ジャンプラの漫画とかtogatterの漫画まとめでつまんないって言ってる人たくさん見るぞ
はてぶでも「not for me」とかすぐ言う奴を結構みたな。
大人ならリスペクトが双方あるかどうかが大前提。マウント目的の人とは時間無駄なので関わらない。子供はそう切り捨てる経験値まだないから、なんで面白くないのか聞いてみたり、相手の面白いものが何か聞くといい
つまらないならまだマシで、人の面白いを、加害性、性的搾取、ノイズと否定することで場の空気を汚してマウント取る人の方が多いよね。当人は知識人ぶって啓蒙してやってると本気で思っているバカだからタチが悪い。
逆張りしか能がないだけなのにマウント取れたと思ってる態度がキモい
学生時代たまに経験あったけど、大人の世界ではあまりない印象…あったらその人はヤバイと認識すべき
マウントというか、大前提、本当につまらないと思ってないと出てこない発言である事を忘れてないか? 大人でもギャンブル、酒、女、etc 興味の無い事の友達の面白いは否定するよ。知人なら話合わせるかもしらんが。
つまらないという意見もあるし、それを否定されたくない、共感してもらいたいという気持ちもある。だからアンチスレが盛り上がるわけで
しんざき。陰口や悪口で繋がる快感。
「面白い」を絶対肯定することでマウントを取る宗教的なやつ(推し関連全部そう)のほうが最近は目立つし実は歴史的には害をもたらしてるんよね。マウントを取ることはほどほどにねって(本能由来なので無くせない)
どちらかというと学校のグループでは同じ趣味の同調圧力が働きやすいほうではない? 否定するものは自分の自然を守ろうとしているのかもしれない。それで敵をつくって、人の趣味に同調したり、尊重を学ぶ。
“「コンテンツに対する批判」「自分の感想や批評の表明」と、「相手を否定することによるマウント」は簡単に切り分けられるようなものではなく、ファールラインが揺れ動く問題でもある、という話があります。”
中学生なんてそんなもんやろ.../面白い物は面白いと言うしつまらない物はつまらないという。褒めるだけの奴もけなすだけの奴も信用ならん
“「好きなコンテンツのちょっとした不満について話すと超盛り上がる」という傾向があります。(略)ネガティブな意見って色んな思考のトリガーになるんですよね。”
ディスタンクシオン
そういうのでご飯が食えた上に大学の先生になった人もいるからなあ。谷沢永一とか。
人の「面白い」を否定することで精神的マウントを取る人について考えたこと
大人がやっていて現場にいれば、マウントをとっているのかとっていないのかわかる気がしますが、それもある種のひっかけかもしれないし、難しいですね。おっしゃるように、純粋にしゃべりたいだけかもしれないし。
そういう人いるよねえ。「おもしろさがわからないのは敗北」と思ってるのでこういう感覚はわからないけど。いまいちな作品を気に入ってるやつがいたら同傾向のもっとおもしろいやつ見せてやって欲しい
『「相手が好むもの」「相手が好む要素」を低レベルなものだと断じることで、自分の方が立ち位置が上なんだ、と示すようなマウント』
「それつまんなかった」ならまだいいけど「これを楽しめるやつは頭おかしい」まで言うやついるからな
「つまらなかった」でマウンティングするのは安易で、つまらなさをいかに賢しく説明しても、その言葉も大体ありふれたもので糞つまらない。「この良さがなぜわからないんだ」という熱量の方が面白いし好感度高いよね
おもしろいだけ語る場の気持ち悪さはつまんないしか言わないのとは違う気もする。
「ではあなたは何の作品が面白いと思いますか」がカウンターになるかな。マウントのために否定しているのであれば否定し返されるリスクに直面するし、そうでなければ返答から話題を広げられる
相手の価値判断に合わせるだけ合わせても、「そう、そうなの。それでね」と遠慮なく自分語りを続ける幼児性を維持したままの大人も男女問わず多数。否定しないのもそれはそれで疲れる。話の腰の折り方も大事な技術。
いつも否定から入る人との友人関係を見直したいって話はわかるけど、私は友人同士であってもその作品に対する評価は率直に伝え合う関係の方が気持ちいいと感じるタイプだ。ケースバイケースであり、言い方による。
面白いどうこうに限らず、会話をまず否定から入るタイプは一定数いるね。「いや」がクセになっている人。自戒も込めて。
すまんな、本当につまんなかったんや
「○○の面白さを教えて欲しい」もこれの派生ではないかと邪推している
俺ははてブとか増田を面白い!と思ってやってる人は頭おかしいと思うけどな…
なにものにも面白さを見出すのもある種能力が必要だよな。自分の価値観からだけでなく多面的にみるとか。まあ子どもがやってるなら寛容にできるけど、大人がやってるのは教養足りてないんじゃないの、としか…
「あっそ」って言って、放っておけばいいんじゃない?つまんないと言う人を否定する必要もないし、同調する必要もないよ、そう言う人もいるんだなー今後関わらないようにしようで終わりでしょ
その子が『面白い』と感じるものが何なのか気になる。中学生のときって、こういう人間関係で疲れてた記憶がある。
言うタイミングとnot for me はあってもいい気はするけど。
“子どもと会話して思ったことをそのまま書きます。” この行を見て、そんな返しするやつは子供と一緒なんだよというマウントを予測した。あとで揉む
こんなん最初は肯定してから「でもね…」って続ければいいだけの話なんだけど、いきなりつまんないとか言うから相手は不快になるって話なんだよね。いきなり否定する人はマウント取りたいだけの人だと認識される。
おもしろいもつまらないもそこで止まっちゃったら自分以外には意味がないじゃん。つまらないなら“趣味が合わなかった?嫌いなところがあった?”とか聞けば話が広がるし具体性が出てこなければそれまでの話だ。
マウント取ってくる相手は普通にムカつくけど自分の好きを否定されたら自分自身が否定されたとイコールにする人も相当に鬱陶しい 一人で勝手に嫌っていればいいように一人で勝手に好いていればいい
別の視点として、自分が仲間に入れない会話を嫌ってるのかもしれない。子供だとありがち。
こういうのって「それを面白いと思った自分」が主題なので、作品そのものについての評価じゃないのよね。だからこそ欠点でも盛り上がれる。作品そもののを語っちゃうとそれ違う話ってなる。
TPOが大事だと思う
個人の純粋な感想をマウントだなんて言うほうがマウントじゃね
こういうコミュニケーションのいざこざが始まるのは中学生ぐらいだろうけど、自分自身「つまらない」と言われたことをいなせるようになったのは30過ぎてからだったなあ。あまり気にしないことだと思う。
わたしはその場で親らしく明確なアドバイスをせねばと思いがちなうえ、一旦保留したらずっと忘れてしまいそうなところ、「別段深く悩んでる様子でもないし一旦ゆるく同意するだけに」なんて判断できるの尊敬する。
マウントを取りたいだけなのか否かの判別は確かに難しいし相手と違うところがあるから会話が盛り上がる場合もあるというのもよく分かる 否定的な言葉は言い方とタイミングに気をつけましょう、ぐらいしか言えない…
場の空気を読めって話でもあるし、伝え方の話でもある。
聞かれて答えるならまあわかるけど聞かれてもないのにつまんないだの興味ないだの知らないだの言い出すやつは性格が悪いのは間違いないと思う ネットでたくさん見る
相手の感想の否定だけで、「自分は何を面白いと感じるのか」を提示しない> つまらん表明を柔らかく言いたいなら、〇〇は面白いけど✕✕はイマイチだった…と良い所と悪い所いうことやな。
いちいち被せるように言うのはわりと強い動機を感じる/はてブも大喜利とかはたのしいでしょ😠
拗らせたオタクの心性として「自分が面白さを見いだせなかった作品に対する有意義な感想・批評に勝手に劣等感を抱いて傷つく」というのがある。主観としてはマウント取ってるのではなく正当防衛なのだ。面倒臭いね!
頼まれてもいないのにご意見番気取り
わざわざこっちに来て「これつまらない!」って言い始めるのはネットでよく見かける光景
往々にしてポジティブな感想よりネガティブな感想のほうが面白いことが多い(昔のシネマハスラーとか)ので、自分なら「どこがつまんなかった?」「じゃあ面白かったのは何?」って根掘り葉掘り聞いちゃう鴨
興味というのは人それぞれw
むか~~~~し、TLが艦これ一色で嫌気がさして「単純作業の繰り返しや、攻略班の情報を真似して追加検証する作業の何が楽しいんだ」ってTwitterにつぶやいたら、仲良かった箱◯信者にブロックされたの思い出した
精神的な未成熟さとか心理的技巧とかの話だと思う。子供と大人で意味合いが違う。ネット上だと10代の意見や50代の意見が混在してカオスだね。大人は⚪︎が面白かった、とか⚪︎が好き、というタイミングも計るよね。
「つまらない」と言うことで優位に立てると判断してる人がいるてことか。「あなたの物差し(審美眼)だとその程度でおもしろいと感じるのね」的なニュアンスか、“違い”なだけで優劣じゃないのに悩ましいね
実際にどう感じているかは別として、そういう種類の手法しかコミュニケーションの手札を持っていないタイプ、というのも居る。大人なら厄介だけど子供の場合は経験値不足かな。
日本語や文脈がわかんなくて何も面白くないって人もいるからなぁ……… 現実にいたのは「エルフ」がなんなのか分からない人がフリーレンで初遭遇で、エルフってなに?って躓いてた……
最近自分が面白いと思っているコンテンツを頭から否定してくる大物編集者の方がいるのですが、ああやって他人に精神的ダメージを与える人は、イエスマンとだけ関わっていればいいのに。
はてブにいっぱいいるやん 自覚なさそうだけど
リアル人間関係なら、とりあえず心中で「ハンロンの剃刀」と唱えて様子見るかなあ。
「何が面白いのかわかんない」では「つまんない」の熱量も解像度も低過ぎて相手にするに値しない。ディスる時こそ理論武装を。
面白いということに対して私はそうじゃないはディベートにならないのが日本っぽいのかな
犯罪とか迷惑じゃないなら、趣味のものなんでねと思うようにしてる
「どこがつまらなかった」の深掘りにすることで深い考えのもとなのか、浅い気分での否定なのかが引き出せる。 / が、否定的な推定空気悪くする人間を接待するのも嫌だなあという気持ちも出なくはない。
自分の作品をけなされるより、自分の好きな作品(自分の審美眼)をけなされるほうが傷つく……というのをなにかの創作者が書いていて、そういうものだろうとは思ったことがある
過剰な賞賛(当人らはそうではないと主張しがち)は虚偽広告の虞犯行為でもあるので、それを「否定するな」と主張することには謙抑的であるべき
内容はうんうんって思うけどブルーロックはマガジン…/否定する行為ってネガティブ要素が必ず含まれるからマウント以外のコミュニケーションに使うときはある程度気遣いとか技術とかが求められると思う
いつも否定から入るのはアレだが一切ネガティブ情報受け付けないのもディストピア感あるので難しい
そういう人と結婚しちゃうとマジ地獄よ。
PS版のドラクエ7が好きなやつは頭がおかしいって話ですよね
即否定する人いるね。私も割とやるから反省。文脈次第では価値観のすり合わせや親密さゆえの率直さの場合もあるから、一概にマウント取ってるとは思わないけどね。
実生活では言わないようにしてるからこういう場で書いたりしてるのはあるな。
あー。ジャンプ作品を面白いと言ったら負けみたいな病気を拗らせてる人は居るよ。ジャンプ作品なら問答無用で初手「つまらない」で語れ、みたいな。一昔前なら「漫画読み」とか自称してた界隈のオマエラだよ!
私はいつも母親から常に否定され、嘲笑されてた笑笑
これはうちの息子もあったから話したな〜。全否定は良くないと言ったな。
は?有名人気作品のファンって、いっっつも自分が作ったわけでもない作品の人気でマウント取ってんじゃん。その癖ちょっとでもそれに不満をいうと「人の好きを否定するなー」の嵐。
相手への嫉妬や対抗心が無意識に出ちゃってるんでしょう。幼稚ですね。(人の面白いを否定する人を否定してマウントを取ろうとするブコメ)
マウントとは限らんよね。あれもこれも面白いだと面白いのしきい値低すぎてイラッとしてるのかもしれんね。本当に面白いものだけ言えよと。
私も否定から入ってしまうことがあるので意識して止めるようにしてます。基本的に肯定する、「ありがとう」から始めるなど。でも難しいですよね、普段から微妙だと思ってたり明らかにアラが見える話だと特に…
はてブだと「長い読まない」とか「誰?」とか、初手から拒否するパターンが多いような…/鬼滅関係はよく「どこが受けたのかわからん」と書かれてるよねぇ
40過ぎてもやってくる人が近くにいる めっちゃ距離置いてる
「そんなものでありがたがってるの?w(私はもっと高尚なものをしっている)」というのはどこにでもいるからな。最近ドラクエ7の話題でも大量に沸いていたし。
「お前は何でもすぐ否定から入るよな」「いやそんなことはない」
どのへんが面白くないのか訊くのは難しいだろうから、何を面白いと思うのか訊くだろうな、自分は。それを自分が知らないならふれてみるかもしれん。マウント関係なく、単に感性が違う人な可能性もあるし。
どんな食べ物も「まずい」って否定する人もいるよね。給食はまずい、あの店はまずいと(文中にも類似の例として挙げられてるが)そういう時になるべく「そう?自分はおいしいと思うな」と言うようにして生きてきた
娘がそういう話ばかりするのが嫌だから言ってるのかも
“ある作品に「つまらない」という感想を持つことは自由ですし、そこを起点に楽しい議論が盛り上がることもあるので、「つまらない」自体を否定して欲しくもありません ・楽しくて建設的な議論とマウント合戦の線引
否定的な主観的評価を批判か中傷か判断するのは難しい、という記事を以前書きました。マウント的要素がどの程度含まれるか、なんてのも入ってくると、より難しくなりますね。https://ikasuke.hatenablog.com/entry/20120421/p1
自分が評価しない物を周囲が賞賛してると自分が否定されてると感じて、反撃したくなるらしいよ。マウントというより防御の反応じゃないかな
マウンティング欲は人類の基本的な欲求。マウンティング行為を「こいつは腹が減ってるから飯を食ってるのだ」くらいの感覚で見れるような社会にしよう
このブログを娘さんの友人が読む可能性は無いのかしら…?名字がフェイクならバレないと思うけど、どーなん?
マウントというのも受け手の印象に過ぎない話のようだし、子どもの話であれば、面白いつまらないの軸は一旦横に置いて他人の意見に賛同できない時どういう対応をした方がいいと思うかから入る方がいいと思うけどな
相撲やマラソンなどをテレビで見ながら、観客が映ると、よう見に行くなーと毎回言うので本当に嫌になる。OSが他人の行為の否定の人。そのためにわざわざ見てる
何で〇〇なんか応援してるの?弱いのに。 ←これもな
いや、俺はこれを30年前に気が付いていた。(マウント
作品がつまらないんじゃなくて、話が…つまらない可能性もあるんじゃないかな。
「これ知らんやつ人生の半分損してる」系の過剰広告が嫌いなので、たまに腰を折りたくなる気持ちも分からんでもない。友達と同じものを好きじゃなくても友達でいられるのだ、が分かるのは結構先のことだとも思う
マイナー作品の「面白さがわかる自分」というマウントもあるし、メジャー作品をなんの屈託もなく楽しめる=クラスの一軍に所属(オタク・陰キャじゃない)というマウントもあるから難しいですよね?
「参政党の排外主義コンテンツ面白い!」「批判ばかりで精神的マウントを取るサヨクリベラルは嫌われて当然!」黙って眺めて考えてるだけのエリートさん達が一番質が悪い。
その時の集団の空気で良し悪しが変わるイメージ。 (集団内での「面白い」の否定はダメージになるけど、 集団内での「面白くない」の空気は乗っからないと逆に叩かれる)
人の面白い、はむしろとても面白いのにな。好きなものを語っているのを聞くのが好きまである。
面白いかどうかと言うより他人の意見を尊重するかしないかの話では。内容に関わらず人の話に被せて自己主張してくる時点で話にならないでしょ
自分はつまんなかったと言われても平気で、逆に相手に「どのへんがつまんなかった?」「もっとどうだったら良かったとかある?」とか聞いてしまう。それがきちんと説明できる人なら、つまんない論も聞いてて面白い
"つまらない" で話をぶった切るとそうなるけど、ここがこういう風につまらないんだよね、とかこういう展開は僕は嫌いなんだよねとか、具体的な話を相手がしてくれれば全体的な会話としては楽しくなる可能性があるかも
他人が「好き」「面白い」「楽しい」と盛り上がってるところに“わざわざ介入して”否定する輩は間違いなくマウント行為でしかないので生温く無視でいい/「それの何が面白いの?」と思っても口に出さんことだ。
面白くないの否定の仕方が面白くないってのは、相手の語彙力と相性の悪さの表れなので付き合うにしても消極的に付き合うようにすると良いよ。
男児女児が遊んでるところを眺めていると、よくわからないマウント合戦で場を冷めさせてスンッてなって、バラバラに遊び始めて、でも数分後にはまた一緒に遊んでいたりする。そうやって会話術を学んでいくのだろう。
「『私は』面白いとは思わなかった」は言うことあるけど、もうその話題を振らないでほしいぐらいの気持ち。この面白さがわからないなんて、と逆にマウント取られてるなぁと思うこともある。
ハイキューが嫌いな女子って存在するのか。女子は全員ハイキュー好きだと思ってたわ。主人公勢があまり強くないからかな。
否定マウントの人は、相手が面食らったりしょんぼりするのを見て楽しんでることが多い。笑顔で「そうなんだ!どこがつまらなかったのか教えて!」と会話を始めれば、面倒&手応えなくて他のターゲットへ移っていく
娘の友達とかに多いけど、世界が狭いとやりがちなのかなって気はする。お手軽に広い見識アピールできるから
否定的な話が苦手な人って結構いるんだよね。否定は物事の楽しみ方に味わいを加えるが、それほど仲良くない相手には、すげー気を使う必要はある。自戒を込めて。
ネットならまぁええやんって思う
え、つまらないならつまらないで仕方なくない?否定してるの?
仲の良い友達であるほど、楽しさ面白さを共有できないときに疎外感があるんだよね。酸っぱいブドウのきつねのように居心地の悪さを悪口に変換してしまう人間の習性
プレステのゲームでルフィが「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!」って言ってた。
完全にホールデン・コールフィールドだわ
どんなものでも楽しめる人が一番の勝者なんだけどな。どんな国にも行けるし何でも食べられる。こだわりを持ってる人ほど実は人生を楽しめてない。
“2004年からブログでこの漫画ゲーム面白いと主張。相手の「面白い」を否定して、自分が精神的優位に立とうとするコメントは100件のうち大体2,3件。好きなコンテンツの不満について話すと超盛り上がるオタク談義”
相手に気持ちよくマウントを取らせることも時には大事よね
あーやった事あるなぁ。 反省
マウント目的じゃなくてめちゃくちゃ苦手な作品があって、それの話するのしんどいからやめてくれ…、のパターンもあるにはある(倫理観が相容れないとか) とはいえそれならもっと柔らかい言い方するだろうけど…
話が噛み合わなくて嫌な気持ちになったときに相手をマウント呼ばわりするのはあまり良い習慣ではないと思う。相手を悪者サイドに置ける無敵ワードなので。
否定する事ばかりの人なら付き合いしていく価値ないと思うんだよなー仕事じゃないんだから否定より共感してくれたり興味持ってもらえる人の方がいいよね友達って。
はてなーなんか自分たちが嫌いなコンテンツ(ディズニーとか)は見もせずに罵詈雑言クサしてるのその中学生以下だよね。
相手の気持ちよりも自分の気持ち(「つまらない」と評価する冷静な自分をアピールしたい)が優先されてる時点で、自己中心的な性格なんだろうね。相手を傷つけてまでいう必要ない言葉なのに。
困ったことに、悪口大会はエンタメになるんですよね。けちょんけちょんにけなす、キツイ言葉でけなす、みたいなのは超楽しい。だからウチでやれ、という話なんだけどウチソトの境目は人によって異なるので難しい
私は他人が好きなもの面白いものについて語っている時のちょっと高揚した様子とか真剣な目などを見ているのが好きなので、マウントゴリラは山奥に帰って人目につかないところで勝手にウッホウッホしててください
その後の話し方次第じゃないかな。あと個人的にはSNSはその後のフォローが後回しになる事も多いのでこういう表現に向いて無さそうだとは思っている。
否定された人が強い人だと、「こんな面白いのが理解できないなんてお前の頭がおかしいんじゃねえのか?」って戦争になるよ。
それぞれが自分の中に「面白い」「つまらない」をしっかり持ってればいいだけなんだけど、世間には自他の境界が曖昧な人間が多いので「面白い」「つまらない」が一致してないだけで戦争になるんだよな 人類の限界
本文にあるけどいわゆるオタクムーブってやつかな。そういうものとして許容できる間柄であるならいいのでは。
オンラインブックマーク?どういうこと?人の書いたページにみんなで腕組みして偉そうなコメントを書いて星を贈りあって悦に浸る??いや、それ楽しめる人頭おかしいでしょ!?
マイナーモノ好きだと、メジャーなコンテンツに対して「何でみんなこれが好きなの?頭おかしーんじゃねーの」(置いて行かれて不安)という気持ちが湧く。攻撃は不安から。
ブクマかそのものだよなw
ついこの間も、あるコメント欄で、人の好きなものに対して、ゴミ呼ばわりしてた人を見かけました。誰も幸せにならないコメント。/話を発展させたいときは「私には良さが分からなかった」といった方が良いでしょう。
ブコメとかでネガティブなの溢れてると、逆にそこまで悪くもないのではと思う。逆張りの亜種みたいな感じやろか。
他人にこういうマウントの取り方をやられても「面白さの前提とする知識や感性を持っていないんだね、かわいそう」くらいに思ってるけど。
少年漫画ばかり読む女性はLGBTなのか?
一方的な面白いの押し付けも同様にうざくはあるんだけど、共通して言えるのはこういうコミュニケーションの仕方してると嫌われるし損するってことだけは自覚しないと不味いよね
タイトルおかしくね?「人の面白いを否定してもマウントを取ってるとは限らないから、そこから会話を楽しんでみたら?」って話ですよね。
“「面白い」と「つまらない」を語り合い、戦わせることで楽しい議論になること、何か新しいものが産まれる場合もある、”自分はこれが好きなので好きなものだけ語る場は物足りなさを感じる派
母がそういう愚痴に対してよく言ってくれたのは「されて嫌なことは自分はやらない。反面教師にしなさい」だったなぁ
話してる時は「うんうん、あれいいよね」とニコニコで聞いてくれた人が実はそれを嫌いだった、と後から知るパターンも気まずいのよね。距離感って難しい
マウントどうこう以前に「他人が好きなものが嫌い」という人間がいるように思える。こういう奴はだいたい自分が好きなものは教えない/はてブおもしれえやろうが!
マウント要素が嫌われるだけであって、「なぜつまらないと感じるか」自体はけっこうおもしろい話題だと思う。自分が好きなコンテンツについて、つまらない理由を詳しく説明してくれる人の話はかなり聞いてみたいよ
人がおもしろがっているものを楽しめないって、どちらかといえば劣っている(わからない)側だと思うので、明確な理由なしに自分からは口に出せないが
だからそれってあなたの感想ですよねが流行るんだよ
これが元祖「中二病」のひとつだと思う。否定することがカッコいいと感じる時期。こういう相手は淡々と受け流す方がいい。この議論はもう少し先じゃないかな→“語り合うことで、楽しい議論ができることもある”
人がつまんないと言ってるのに「面白い」と否定して精神的マウント取るのはいいの?
聖書は凄く面白いのだが、当時の時代背景や価値観を知らないと書いてあることの面白さや奥深さが一切心に響かないみたいな箇所があり、作品の面白さを理解するには一定レベルの教養が必須だったりする問題あるよね
ディベートしたいから敢えて否定側にまわる、というのもある気がする
お題となるコンテンツに対してポジティブな意見が集まる場には、首を突っ込んで否定的な意見を言わないよう心掛けている。例えば鬼滅の話題とか……と結局我慢できないこともしばしばである💦
芸能人の訃報に「誰それ?知らん」「俺が知らん程度の有名じゃない奴の死を悲しく思う奴は馬鹿」という荒らしいるけど、自分が子供の頃、老俳優の訃報に全く関心持てなかったことを思い出す。荒らしは、子供なんだよ
じゃ、お前何が好きなの? と聞くと、大体答えずにジャンルごと否定してくる。「マンガ自体見ない」とか。そこで更に「へー、じゃあ何なら見るの?」と聞くとキレる。
https://a810-dobnow.nyc.gov/Publish/DocumentStage/Licensing/Requests/09a60760-588d-f011-a48e-005056b0fc6c/P00079392/P00079392_ca3bfb0e34.pdf?V=20
漫画・アニメ・ゲームにはまった人間って、その話題ばかり押し付けてくるし、あわよくば布教しようとしがちなのでウザいという気持ちはわかる。そういう奴って、大抵こっちの趣味は拒否してくるし…。
人の「面白い≒好き」はかなり強い情動なので、それを否定するには相応の覚悟が必要ってことですね。
ボケる「あ、今のはマニア向けのネタだったかも(笑)」素直に返す「そうなんだね。自分と少し違うみたいだね」乗っかる「そうなんだ!どういうところが違うの? / おもしくなかったの? 」
https://a810-dobnow.nyc.gov/Publish/DocumentStage/Licensing/Requests/09a60760-588d-f011-a48e-005056b0fc6c/P00079392/P00079392_ca3bfb0e34.pdf?V=20
淫夢とか恒心教とか国際信州学院大学ではしゃいだり、特定の人物や集団をネタにして嘲笑したりするバカは否定するよ。
自分が面白いと思わない事で他人が盛り上がっている場所に居るのもストレスではある。そのパターンかどうかは知らないが。
肯定に否定をぶつけるのも否定に肯定をぶつけるのも同じ。発言内容ではなくて「断言する」「嘲弄する」という発話姿勢の問題ですよね。お互いの能力を認めて反論を許し、対話すれば建設的だし面白さを深堀りできる。
自分は逆パターンの公的に批評されうるものを私的領域に引っ張り込む手合いが苦手なんだよなぁ〜。職業病かも。
それはまあそうなんだけど自分が面白くなかったと思った作品の話を続けられてもなおさら面白くないってのもあるからな~ 話し方が上手かったら乗りようもあるんだけど、下手な話は本当に苦痛だもの
人格とは別にブランドやキャラクターとしての人や名前はあり、だから著者はこの記事を書けるのだろうけど、その人の接する物語や感想に悲しさを得ることはあるわけ
肯定は正直テキトーにやってもあまり問題にならないことが多いけど否定をあんまりテキトーにやるとよくないことや問題が発生しやすいので否定はそういうパワーがあるよね 気をつけなきゃ
といっても、最近は、特に面白くない作品を、売れてるからと、あれ面白いんだってとかいう伝聞で上から来る奴もいるのでさ。not4meならつまらんて言うわ。
要約: 人の好きを否定するのは敵を作りやすい。一方で「つまらない」という感想も自由で議論の起点になり得る。建設的議論とマウントの線引きは難しい
長女ポジションのコメントばかりだけど、年代的には親世代の方が多いはずだよね…?
心にしまっておくものだろ…
なろう作家、だいたいこのパターンに遭遇しまくってて、そうだよね、としか言いようがなかった。
議論が好きだがやり方がへたくそなので派手にポジション(好き側でもわからん側でも)とって嫌がられることもあるし色々自戒。バランス
まぁ、小中学生ぐらいなら成長の一過程とも言えるけど、大人になってもやってる人が多いからねぇ。
話がずれるけど、ここで話題になっている「つまんない」と、話題には出てこないけど私が勝手に連想した「嫌い!」は別で、「つまんない」は聞いててあまり面白くないけど「嫌い!」はとても面白いなぁ、と思ったり。
「相手が示した論点の粗探しをすることって、論点それ自体を設定することよりは簡単なので、「否定をする」だけで気持ちよくなっちゃう人にとっては格好のエサ場でもある」は、あらゆることに真理かも。
これ面白い以外にも大抵当てはまる。普通にコンビニに売ってる飲み物や食べ物とか、「〇〇美味しいよ」って言葉に「それ嫌い」って返すやつと会話したくなる?(いやしたくない)
https://jerrywilsone86-cloud.github.io/Coinbase-/
自戒……。 やってしまいがち……。 名作ほどフォロワー作品が多いから後世からはテンプレに見えがちだし。全ての作品は料理と同じで、受け入れる時に適切なタイミングと量と濃さがあるんですよね。
昔はゲームも漫画もネットもこうだった。何かを叩いてる人たちは見る目がないだけ。興味がない、わからないならシカトしておくのが一番いい
その年代だといわゆる中二病の一種な気がしないでもない。世間に流されない自分、みたいな
批判も意見の内だし、「熱中しながら同時に冷めている」くらいが自分を客観視できてて丁度よい塩梅では
自分は『覇権』とか『爆死』とか、他人の評価で作品を語るオタクのことは馬鹿にしている。オタクならどこが面白いか、どこが好きか、どこがクソかを自分の言葉で作品を語れよ。
わからんけどぶくまかの悪口ならいっちょかみしよ(そういうとこやぞ)
世の中で流行ってる物の何が面白がられてるのか、要素を分解してみれば理解はできるもんだ。それに乗れるか乗れないかだけの話で。流行り物について本気で何が面白いのか分からない人は物事の分析能力が低いだけだよ
マウント取るためであれば品位を欠くとは思うが、結局言うか言わないかの問題で、人の面白いに賛同できない事があるのは当然だよね。それが問題になるのは、お互いの仲の良さの認識に乖離がある気がする。
ワンピース何度チャレンジしても数巻で限界な自分にとってはマウントというより拒絶されてる感覚に近いかな。
相手を選んでこれやる人は本質的にはいじめっ子なんだと思う。恥ずかしながら自分も割とそう。
https://a810-dobnow.nyc.gov/Publish/DocumentStage/Licensing/Requests/ddf15b23-ff8d-f011-a489-005056b04135/P00080083/P00080083_247fb244fd.pdf?V=27
「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!」とはツギハギ漂流作家の主人公・吉備真備の台詞
"「面白い」と「つまらない」を語り合うことで、楽しい議論ができることもある" "その線引きをちょっと会話しただけで伝える自信はないので、おいおい伝えていこう" ここが大切で難しい。正逆マウント人格攻撃に堕すな
Xとかに大量に居る不機嫌押し売りゾンビ。この一点だけでも、Xなんざやる価値ないなと思ったりする。よって当方ほぼROM専。コミュニケーションしにきておいて、コミュニケーションを破壊するクズども。
「それを好きな人を否定する必要はないじゃん」と思いつつも、共感と称賛しか許されないコミュニケーションもまたつまらないとは思う。その作品がいかに面白くないかについて理路整然とまくしたてる人がいても良い。
"今、一からDBを読んで「古くさいし全然面白くなかった」と主張する人がいてもそれは仕方ない" 半分くらいから読み始めたら糞つまらんことは保証できる。あ、マウント取りに行っちゃったw /取られた側の心の問題
学生の頃まではいたなぁ〜こういう子。悔しい・羨ましい・単に私ちゃんはこう思う!と表明したいだけなどの子供らしい感情だと思う。大人では見かけなくなるけど、SNSでやってるのかもな。
ダウンタウンの何が面白いかわかんないという人は一定数いるが、経験上その本人自体は全く面白くない。否定する人はマウントというより、想像力が無さすぎて理解できてないと思う。コントを真に受けたりそういうの。
https://a810-dobnow.nyc.gov/Publish/DocumentStage/Licensing/Requests/ddf15b23-ff8d-f011-a489-005056b04135/P00080083/P00080083_9f38c5ec9b.pdf?V=78
青年誌漫画とか読んでるとそう思っちゃうのはわかる。言ってたこともある。でも言わなくなった。まだ思ってる節はあるから成長はしたけど自分もその級友側の人間な気がする。
オタクくんの漫画やアニメ叩いてるはてなの人のこと?
まあ要するに、みんなが面白い面白いって盛り上がってる状況が俺には面白くないのである。
マウント取るくらいならむしろマシ、なんなら牧歌的な部類で、「あの作品のファンは政治的に正しくない」「加害や差別に加担してる」「性犯罪者予備軍だ」みたいなのすら普通に横行してるからな。
作品の批判ならまだしも「○○を好む人は××」は滅びてほしい。たとえば、異世界転生を好む人は現実で上手くいってない人だとか、追放ものを好む人は自分が評価されないのは上司が悪いと思ってるとか
人の面白いを否定することでマウントをとりたがる人はどこにでもいるそうだが、正直あったことがない。
率直な感想を言う人、と思っていた友人が徐々にマウントを取りたいだけの否定を繰り出してくるようになり、気付いて別れた。つまらないと口に出してもいい。どうしてそう感じるのか聞きたい派。
はてなブックマーク面白い!
前にも書いたが人の自慢話とかも聴くの面白くて好きなのよ。
これが同調圧力か
へー、音楽性の違いだね、で済むんだけどね。お前の萎えより萌えを語れよ、って昔の人は言ったもんですよ。
https://forms.flvs.net/data/form_37335/files/element_7_84d62d1e57393758c78be43e2b02605d-coinbase-live.pdf.tmp
自分に自信が無いから他人を否定する。否定的意見も中身が伴っていれば会話のしがいがあるが、大抵は何も考えていないだろう。マウントを取りたいだけ。
仰る通りで、人の「面白い」も「つまらない」も否定するのには慎重になるべきだよな。どちらかといえば、「つまらない」を否定したがる人の方が多いように思うが。
少しずれるが、いじめる人の考えは理解できないって表明をよく見るのだが、いじめなんて動物でも起こる自然現象なのにお前こそ何考えてんだと思っていたが、あれは精神的な防衛反応なんやなと思いました。
しんざきさんはいつも丁寧で、自分を振り返って反省すること多々
わざわざ言わなくてもいいのになと思うことは多い。ネット上の見ず知らずならともかく、知人友人家族だったら相手はお前のことが嫌いってことだと思ってる。俺なら伝えない。
安直に他人の面白いを否定するのは精神的マウントと近接してるので人としての評判を落としがち、とか日常よく見る風景だが、そういえばアメリカンニューシネマをつまらなかったと書いて炎上した事例とか見た気が・・
面白いでマウント取ってるから、否定されるとマウント取られるとか言い出すんだろ。下らないマッチポンプですよ
考える時点でもう無駄。
子どもが大事にしていることを否定することでマウントを取ってくるうちの親
特定表現を忌避せず、特定表現を好む人に石を投げてない人だけがブログ主に共感しなさい。条件を満たさないものは、人の「面白い」を否定することで精神的マウントを取る人なので自覚してください。
人の「面白い」を否定することで精神的マウントを取る人。ノイズとか言ってるあの売れっ子脚本家かな?
チラ裏に書いて捨てるかアンチスレ行けという人はいる
そういう人はいるけどマウント取られてる感覚はなかった。ただ何事も「楽しむには一定の知性や金銭、努力が必要だから、それをクリア出来ない人には難しいかもね」と思う事はある。
今まさにラブブやノイズを除去した女子高生漫画を面白いと思ってる人を批判してる限界集落がこれを言ってるのが面白い
面白くなかったとしても感情を抑えて「どの辺りが面白かったのか」を興味深く聞けるようになった。マジでクソなコンテンツ(思想が相容れない)の誉めは、苦笑いしかできんけど。
ファンコミュニティでそういう事をする人はコミュニケーションが苦手なんだろうな思う。ただ1対1の時は「それに興味が無い事を明確に伝えないとずっとその話をされそう」っていうアラートが自分の中で鳴る事はある。
頭の良い奴らがマーケティングからマスに向けて売れるようにこさえただけの血肉の入らないクソみたいな作品だって事が自分にはわかってて、でもそれを楽しんでる友達を見た時にどう考えたらいいのか未だに悩んでる
ニコニコしながら推しについて語ってる人を見ると、幸せをお裾分けしてもらった感じがあって好きなんだけどなー。
その友人は素直に意見を表明しているだけで別にマウントを取るつもりは一切ないと思う。
でもネット評論が死んだのほぼコレが理由だよね?
仕事上で自分が優位を保てない領域に関する会話を「興味ない」でバッサリ切り捨てるマウント気質な人を思い出した
面白い、好きだというのを否定されるのは単純に気分が悪いこと。それをわかりつつ、否定するのはよほどそうすることにポジティブな意義があり、そのことを相手に伝えることができるときに限定するのが無難では
否定的な発言も含めて自由に発言できる雰囲気のことを心理的安全性と呼ぶが、日本てマジに子供の頃から同調圧力で場を制御する習慣をインストールされるんだなぁ。
「つまんなかった」とわざわざいうのってマウントなんだろうか 幼稚な人であることは間違いないので、「私にわかんない話しないでよ」ということなんじゃないのか どちらにせよ扱いに困るが
マウントするやつは同じことされたらどういう反応をするんだろう?w大抵怒り狂うよねw
でも、これもそういうマウントっちゃマウントだよね。(このコメントも)。無視するしか無いんじゃない?
小学校高学年から中学くらいまでの女子はほんと良くも悪くもハイコンテクストなやり取りをしてると思う
面白いとか言って他人に勧めてくるのに、その理由や構造を言語化できないやつは、おまえの面白いがつまらない、と否定しても問題ないと思う
自分が面白いと思ってるものなのに、つまらないって言われたら反発したくならない?単にその心理と同じだけだと思うけど。マウント取るとかうがち過ぎ
そういうときは「最近おもしろかった映画とかドラマとか本(マンガ)とかある?」とか「どういうのが好きなの?」と相手の趣味嗜好を聞いてみるとよいのかも?
はてブじゃん。ジャンプラの漫画とかtogatterの漫画まとめでつまんないって言ってる人たくさん見るぞ
はてぶでも「not for me」とかすぐ言う奴を結構みたな。
大人ならリスペクトが双方あるかどうかが大前提。マウント目的の人とは時間無駄なので関わらない。子供はそう切り捨てる経験値まだないから、なんで面白くないのか聞いてみたり、相手の面白いものが何か聞くといい
つまらないならまだマシで、人の面白いを、加害性、性的搾取、ノイズと否定することで場の空気を汚してマウント取る人の方が多いよね。当人は知識人ぶって啓蒙してやってると本気で思っているバカだからタチが悪い。
逆張りしか能がないだけなのにマウント取れたと思ってる態度がキモい
学生時代たまに経験あったけど、大人の世界ではあまりない印象…あったらその人はヤバイと認識すべき
マウントというか、大前提、本当につまらないと思ってないと出てこない発言である事を忘れてないか? 大人でもギャンブル、酒、女、etc 興味の無い事の友達の面白いは否定するよ。知人なら話合わせるかもしらんが。
つまらないという意見もあるし、それを否定されたくない、共感してもらいたいという気持ちもある。だからアンチスレが盛り上がるわけで
しんざき。陰口や悪口で繋がる快感。
「面白い」を絶対肯定することでマウントを取る宗教的なやつ(推し関連全部そう)のほうが最近は目立つし実は歴史的には害をもたらしてるんよね。マウントを取ることはほどほどにねって(本能由来なので無くせない)
どちらかというと学校のグループでは同じ趣味の同調圧力が働きやすいほうではない? 否定するものは自分の自然を守ろうとしているのかもしれない。それで敵をつくって、人の趣味に同調したり、尊重を学ぶ。
“「コンテンツに対する批判」「自分の感想や批評の表明」と、「相手を否定することによるマウント」は簡単に切り分けられるようなものではなく、ファールラインが揺れ動く問題でもある、という話があります。”
中学生なんてそんなもんやろ.../面白い物は面白いと言うしつまらない物はつまらないという。褒めるだけの奴もけなすだけの奴も信用ならん
“「好きなコンテンツのちょっとした不満について話すと超盛り上がる」という傾向があります。(略)ネガティブな意見って色んな思考のトリガーになるんですよね。”
ディスタンクシオン
そういうのでご飯が食えた上に大学の先生になった人もいるからなあ。谷沢永一とか。