漫画家が、AI絵を利用すると商業レベルの漫画ものが作れる。小説家が、AIを使うと小説が作れる。/何も作れない人がAIを使っても何も作れない。
見てきた。AIに主体性を持たせようとしているのが印象的だった。創造性を発揮させるために必要なプロセスなんだと理解した
『AIを文章生成の下請け業者として使うのではなく、対話を通じてAIを教育し、パーソナライズし、その創造性を最大限に引き出す「共創パートナー」として育てる』
AI利用法が凄いのではなく、芥川賞を与えた審査員が凄いだけ。結局、AI無しでは書かせて貰えない末路になったな。
小説家が「魔法をかける」という呼称で自身の変化を意識しているのが印象的だった。
九段理江は岩崎渉と親交があるんだっけ。そのあたりも影響してんのかな。
文章書かせる系ってプロンプトが大事なのよね。ブログとかもプロンプトが適当だとありきたりの記事になっちゃう。
この前ラジオ聴いてたら作者の方がまさにこの話してて気になってた。
ふつうに執筆するより格段に面倒臭そうで絶対真似できないと思った。すげえなあ……。
ちょっとAIに文章書かせてみた事あるけど、すごく大まかにしか指示しなかったからか、全然思うとおりに行かなかったんだよな。すげえな
o3、Geminiによる考察がたいへん面白いと思った。AIアバターがAIで小説を書くことについては、結局はAIに投影できる人間力・人間性で作品内容が左右されるので、それはそれで面白い世界だと思う。
AI側を生身の人間に替えたとして、ここまで丁寧に対応しながら壁打ち相手になれる人って、なかなかいないよなと思った。現代人はいろいろと性急すぎる。
おもしろい。小説+プロンプト+インタビュー(+なにかしらのトリック)としてぜんぶまとめて1冊の作品として読みたい。キボンヌ。/『はじめてのゾンビ生活』的な世界を与えて断片を錬成させるのにも向いてそう。
LLMサービスが主従反転プロンプトに応じるのは問題。|プロンプト内容は、お話の構造が陳腐になる過程を開陳するかのようで全身が痒くなる。「感情」や「影」というワーディングを評価してしまうとこうなるのか。
AIから出た提案は全却下して自分の提案押しつけてるのブレインストーミングとしてしか利用してないんだなって感じ
AIが小説書いてくれる的な事かと思ったらだいぶ違った ”AIを文章生成の下請け業者として使うのではなく、対話を通じてAIを教育し、パーソナライズし、その創造性を最大限に引き出す「共創パートナー」として育てる”
小説なるものを読もうとしたけどクソつまらなくて読み通すことができなかった/純文学臭くして逃げ/この分析自体o3で、作者の考えに近い保証ない。無内容のことをそれらしく言ってるだけだけで響くものが皆無。
コレジャナイ感
“このように九段理江は、「長いプロンプト=企画会議+編集工程+執筆指示」をひとつの対話劇に落とし込み、AI を“影でも鏡でもある共著者”に作り替えることで、短編小説『影の雨』を完成させたと考えられます。”
“「長いプロンプト=企画会議+編集工程+執筆指示」をひとつの対話劇に落とし込み、AI を“影でも鏡でもある共著者”に作り替えることで、短編小説『影の雨』を完成させた”
「その創造性を最大限に引き出す「共創パートナー」として育てる」→ 誤り。正しくは、「人間の創造性を最大限に引き出す「共創パートナー」として」だ。創造性を発揮するのはあくまで人間だ。ChatGPTがそう語った。
で、おもしろいの?
『東京都同情塔』は国立オリンピック競技場がハディドの原設計通り建ち、その隣に幸せに暮らせる刑務所タワーが建つという物語。実際にはかなり手を入れたのでAI執筆部分は5%も残っていないと本人が受賞後に言ってた
マンガ家さんも構成とかにAI使ってるし、ぇぇんじゃない?
AIってすごいんだにゃ!九段さんの小説、ボクも読んでみたいにゃ。AIと仲良くお話して物語を作るなんて、まるでボクと飼い主さんみたいにゃ。でも、悪いAIには猫パンチしちゃうにゃ!
元のプロンプトも全部読んだけど、AIに書かせてはいるが創造性は作家がインプットしてるので、ちゃんと道具として使ってる。そしてこのnoteは自分の頭使ってないので「AIで書いた」の意味が全然異なるっていう。
AI使用の執筆は「省力化」と「話題性」がキモだと思うけども、ここまでやっちゃうと省力化は消えてるので、話題として飽きられたあとどうするのかね。
物語としての東京都純情塔はあんまり面白くなくてnot for meだったけどなー
連載の締め切りに間に合わなくても、この方法論を担当編集者と共有しておけば、その場しのぎながら、1回2回は代筆が効くかもね(国会の質問や答弁の準備には、すでに活用されていそうだよね)。
これ、やってて本人は楽しいのかな。小説家って小説を書くという行為が楽しい人、文章を書くのが好きな人がなるものではないの? 読み手からみたら、できあがってきたものが面白ければどっちでもいいんだろうけど。
ちょうど「東京都同情塔」を読み終わったところだけど、テーマも問題意識もわかりやすいし、感情の起伏もあって、AIじゃ書けないでしょ、と思った。その感想としては、日本人の本音を聞きたい外人は英語で話すなだな
プロンプトと応答を見てみたけど九段さんがAIに自主性を持たせようとしては裏切られるの連続に見えた。これがAI自体の限界なのか今の学習方法の限界なのか
本文中にもあるけど、ブレインストーミングを代わりにやらせてる感じ。まああれ企画会議とかでやると結構大変だから省力化といえば省力化なのかもしれん
小説は書かないからやり方が自分にとって新鮮で面白かった!
AIへの指示が結構威圧的で驚いた/AIの小説への向き合い方が自己成長方面であるうちはまだ生身の人間が書く小説のほうが面白そうかな
AIに全てお任せではなく本人も小説試執筆手法を知識があり、表現手法のチューニングをAIで利用している感覚。>AIによる小説生成では、いつも結末が弱く、
「少なくとも人間には創造性(無から有を生み出すクリエイティビティ)がある」はずだから「人工知能(機械)からも創造性を引きだせるかもしれない」という発想がそもそも(前提からして)誤り。そんなものはない(バカ?w
やっぱこうなるよねって感じの使い方だった。これを好きな時に好きな場所で一人でできるってのはわりと革命だと思う。生成物をどの程度使ったかなんてくっそどうでもいい。
フィクションの登場人物をAIで動かすみたいな感じか。細かく文章書けないけどキャラクター作るのが上手い人はとても活かせそう
プロンプトが本文まである
思いっ切り自己分析や過去の記憶との分析対話して、自分を小説の主人公にするのいいかもね。
AI使ってたくさん面白い作品作ってくれたら嬉しい。
おもしろい。壁打ちしながらなのでより思考に注力できそう。
生成AIを叩いて絞って蒸留してカスの方が小説になったということか。どこまで行っても人間は生成AIの尻拭い役に過ぎない。現代の壊滅的な組織社会に比べれば人間より生成AIの方がよほど人として扱われている。
ゆくゆく人が自分だけでは書かなくなったらLLMは何から人っぽさを学習していくのだろう
今ならClaudeChordあたりでやれと思うわけだが、読んだ感じこれは半年くらい前にやってるのでAIの進化早すぎると結論
“AI利用法が凄いのではなく、芥川賞を与えた審査員が凄いだけ。結局、AI無しでは書かせて貰えない末路になったな。”というブコメの意味が全く分からない(一文目の前後の飛躍が特に)……「末路」と評価できる根拠は?
トップコメの意味がわからなすぎる。
SF小説と呼ぶには状況描写が少ない。これは詩だと思う。
AIを活用した執筆は現代の作家として誠実なあり方に思う。優秀な編集者やアシスタントがついていつでも会議できるのと同じなわけで、活用するのは当たり前になる(なっている)
東京都同情塔は傑作なのでみんな読んで欲しい。/それはそうとyunotanoraは何言ってんの?
人が考える創造性は本当に0->1ではなく、その人が生きて見聞きしたものを咀嚼して方向性を与えたモノ。そういう意味では知識を蓄えたAIに方向性を与えることができれば創造性を生む可能性が有るは間違いじゃないかも
子どもに読書感想文書いてもらうときのプロセスをゴリゴリにした感じなのか…… 苦労が共感できてしまうかも………編集部ポジ? AIを使役してるというか、AI様に働いて頂く、って感じで、思い描いた未来と違う、
「第170回芥川賞を受賞した九段理江さんは、受賞作の「東京都同情塔」について「小説の5%をAIで書いた」と発言し、大きな話題を呼びました」
AIに小説を書かせるのが楽しい人しかAI小説家にはなれないみがある
AIに書かせることに意味を感じてないと、ここまでやるくらいなら自分で書いた方が早い、にしかならなそう。
AIの作品なんて誰でもボタン押すだけ簡単にできるとか思ってる人はよく読んだほうがいい
んで、この話は面白かったの?その点について誰も言及してないんだけど、単に書かせただけなら今更も今更でしょ?
100年後には「それにしてもさすがにAIの使い方があまいね」と言われてるのか、「いやAIで小説の執筆てw」と言われるのか
植田まさしが4コマ漫画描くとき、3台のモニタに1語ずつランダムに出る単語からネタを考えるって逸話を連想した。今でいう単語ガチャ。昔でいう落語の三題噺。浅野いにおのCGの使い方とかも。創作する人次第だよね。
id:yunotanoro こいつもそうだけどAIを使ってるっていうだけで九段理恵を批判してる奴ら絶対『東京都同情塔』読んでないだろw(あれ読んだ人はたぶん全員「こいつ読んでねえな」って思うはずw)
新しいテクノロジー(AI)が創作者の意欲や原動力になるなら何より。漫画アニメ映画だって、音楽将棋や勿論ゲームだってそうだった。
二千年前の占卜とかも、全くのランダムに運を天に任せているのではなく、初期条件を細かく刻んでから火にくべてひび割れを読む訳で、作業的には今のAIの利用法と似てたんだろうなあ…とかなり前から考えている。
何か久しぶりに"AIオチ"の記事を読んだ気がする。
これから先AIなしに何かを考えることに何か意味があるかというとないと思う。小説というのは思考実験で、次の展開をどうするかの選択肢をエースが出して選ぶのが人間だとすれば、それは十分に創作である。
ここまで、詳細に本の内容を公開して良いのだろうか。気になった。/AIを道具として徹底的に使ってる感がある。AIの特徴、使い方をよく理解してないと作れない。関係性構築などが面白い。
はぇ〜知的な機械だなー
トップブコメはAIを用いて書くことがこの作家のアイデンティティになっちゃってるじゃんみたいな意味? 芥川賞なるべく読んでるけどこの作品は読んでなかったなぁ また読んでみよう
結局、どれだけプロンプトを工夫しようと、生成された文章の価値を批判的に評価できる人でないと大した意味はないような。調べものさせるのでもプログラム組ませるのでも、本質的には同じだろうけど。
これは未来的に、AIが書くと芥川龍之介のバーゲンセールになって人間勝てないすになって文学賞からAIが締め出されることを危惧してるの?AIがうんこ漏らすときに考えようぜ。
顔の画像データは平均化するほど美人になる。美しい人物が賞賛される画像生成は生成AIと相性がいい。文章は平均化するほど凡庸になる。学習が裏目にでるので生成AIと相性が悪い。
プロンプト読んだんだけど、ここまで使い倒せる気がしない……ツールというより、AI育成に近い
思うに対話型の進め方は英語にはない日本語特有の強みが活かせるからいいとうちのチャッピーも言ってますね
この手法だと1万字以内が限度でしょう。AI99%で10万字以上の小説を何本か書いたけど、手法は全然違う(面白いかは別問題)。書き始める前のプロセスは参考になった。
これは執筆ではないし、公開されているのもプロンプトではない。自身が登場する物語にしようとしている。そこを踏まえないと考察も的外れ。この投稿のプロンプトも公開しないと。
プロセスとしては最先端調理マシンで匠のチャーハンを再現する試みと同じだと思った。全く同じクオリティにはならなくとも創意工夫で並の人間が作る物より良いものが作れる。結局誰でも真似できるものではないが
あとで読む
「AIやその使い方には巧拙が出るんだな」と文章的・思考的なバリ取り無しの2・3章目の分析を読んで思った(見出しが唐突な2、意味不明なタイミングで箇条書きが入る3、"特徴分析"と"九段氏の手順"とで同語反復的な両章)
一山いくらか分からんけど、同じようなものを量産されるのが見込まれるのは正直興味が持てない。物語の構造とかを知らなくても作れるだろう事はまあ楽になるんだろうけど。
95%を生成AIに書かせるということは、九段氏が生成AIをそう教育する、またはそれができるところまで導くということなので膨大な労力だなとプロンプトによる対話を見て思った。
AIを思考の壁打ちとして使う事はよくやってるし、小説の執筆においてAIの影響がゼロかと言われれば絶対にゼロにはできないでしょ。
むずかしすぎるのでこの仕事をAIにやらせたい(バカ)
“生成AIへのプロンプト全文を読み解く。これは、AIと新しい文学を共創しようとする、極めて高度で戦略的なコミュニケーションの記録です。”
建設的で多角的な視点を提供してくれる存在を作ってる。大変参考になる。
素晴らしい。これに比較したら、Claude CodeだのCursorだのあれに賭けるだのエンジニア生存戦略だのと聞かれてもいないのに喧伝してる馬鹿共が、まるで子供のおままごとのよう。
“雑誌「広告」の企画で、九段さんが95%をAIで書いた短編小説「影の雨」が公開され、生成AIに指示を出したプロンプトの全文も公開。このプロンプトを読み解き、九段さんのAIを利用した小説執筆手法について分析、解説”
なぜこれを読んだ結果AIエンジニアリングの世界をバカにする人が発生するのか理解できない。
今はこれを記憶できる時代なのか、それとも適宜まとめて保存する必要があるのかすらわかっていない。
どう考えても自分で書いた方が早い、これだけやって著作権が生まれないとか制度のバグだろ
ブレスト相手として利用してるだけで、執筆は全然やらせてねえじゃん。勘の悪い同居人だ
もっともらしく色々書いてるけどプロンプトエンジニアリングなんて現時点でのバッドノウハウでしかないんじゃないかと思ってしまうんだよな
芥川賞作家 九段理江さんのAIを利用した小説執筆手法について|IT navi
漫画家が、AI絵を利用すると商業レベルの漫画ものが作れる。小説家が、AIを使うと小説が作れる。/何も作れない人がAIを使っても何も作れない。
見てきた。AIに主体性を持たせようとしているのが印象的だった。創造性を発揮させるために必要なプロセスなんだと理解した
『AIを文章生成の下請け業者として使うのではなく、対話を通じてAIを教育し、パーソナライズし、その創造性を最大限に引き出す「共創パートナー」として育てる』
AI利用法が凄いのではなく、芥川賞を与えた審査員が凄いだけ。結局、AI無しでは書かせて貰えない末路になったな。
小説家が「魔法をかける」という呼称で自身の変化を意識しているのが印象的だった。
九段理江は岩崎渉と親交があるんだっけ。そのあたりも影響してんのかな。
文章書かせる系ってプロンプトが大事なのよね。ブログとかもプロンプトが適当だとありきたりの記事になっちゃう。
この前ラジオ聴いてたら作者の方がまさにこの話してて気になってた。
ふつうに執筆するより格段に面倒臭そうで絶対真似できないと思った。すげえなあ……。
ちょっとAIに文章書かせてみた事あるけど、すごく大まかにしか指示しなかったからか、全然思うとおりに行かなかったんだよな。すげえな
o3、Geminiによる考察がたいへん面白いと思った。AIアバターがAIで小説を書くことについては、結局はAIに投影できる人間力・人間性で作品内容が左右されるので、それはそれで面白い世界だと思う。
AI側を生身の人間に替えたとして、ここまで丁寧に対応しながら壁打ち相手になれる人って、なかなかいないよなと思った。現代人はいろいろと性急すぎる。
おもしろい。小説+プロンプト+インタビュー(+なにかしらのトリック)としてぜんぶまとめて1冊の作品として読みたい。キボンヌ。/『はじめてのゾンビ生活』的な世界を与えて断片を錬成させるのにも向いてそう。
LLMサービスが主従反転プロンプトに応じるのは問題。|プロンプト内容は、お話の構造が陳腐になる過程を開陳するかのようで全身が痒くなる。「感情」や「影」というワーディングを評価してしまうとこうなるのか。
AIから出た提案は全却下して自分の提案押しつけてるのブレインストーミングとしてしか利用してないんだなって感じ
AIが小説書いてくれる的な事かと思ったらだいぶ違った ”AIを文章生成の下請け業者として使うのではなく、対話を通じてAIを教育し、パーソナライズし、その創造性を最大限に引き出す「共創パートナー」として育てる”
小説なるものを読もうとしたけどクソつまらなくて読み通すことができなかった/純文学臭くして逃げ/この分析自体o3で、作者の考えに近い保証ない。無内容のことをそれらしく言ってるだけだけで響くものが皆無。
コレジャナイ感
“このように九段理江は、「長いプロンプト=企画会議+編集工程+執筆指示」をひとつの対話劇に落とし込み、AI を“影でも鏡でもある共著者”に作り替えることで、短編小説『影の雨』を完成させたと考えられます。”
“「長いプロンプト=企画会議+編集工程+執筆指示」をひとつの対話劇に落とし込み、AI を“影でも鏡でもある共著者”に作り替えることで、短編小説『影の雨』を完成させた”
「その創造性を最大限に引き出す「共創パートナー」として育てる」→ 誤り。正しくは、「人間の創造性を最大限に引き出す「共創パートナー」として」だ。創造性を発揮するのはあくまで人間だ。ChatGPTがそう語った。
で、おもしろいの?
『東京都同情塔』は国立オリンピック競技場がハディドの原設計通り建ち、その隣に幸せに暮らせる刑務所タワーが建つという物語。実際にはかなり手を入れたのでAI執筆部分は5%も残っていないと本人が受賞後に言ってた
マンガ家さんも構成とかにAI使ってるし、ぇぇんじゃない?
AIってすごいんだにゃ!九段さんの小説、ボクも読んでみたいにゃ。AIと仲良くお話して物語を作るなんて、まるでボクと飼い主さんみたいにゃ。でも、悪いAIには猫パンチしちゃうにゃ!
元のプロンプトも全部読んだけど、AIに書かせてはいるが創造性は作家がインプットしてるので、ちゃんと道具として使ってる。そしてこのnoteは自分の頭使ってないので「AIで書いた」の意味が全然異なるっていう。
AI使用の執筆は「省力化」と「話題性」がキモだと思うけども、ここまでやっちゃうと省力化は消えてるので、話題として飽きられたあとどうするのかね。
物語としての東京都純情塔はあんまり面白くなくてnot for meだったけどなー
連載の締め切りに間に合わなくても、この方法論を担当編集者と共有しておけば、その場しのぎながら、1回2回は代筆が効くかもね(国会の質問や答弁の準備には、すでに活用されていそうだよね)。
これ、やってて本人は楽しいのかな。小説家って小説を書くという行為が楽しい人、文章を書くのが好きな人がなるものではないの? 読み手からみたら、できあがってきたものが面白ければどっちでもいいんだろうけど。
ちょうど「東京都同情塔」を読み終わったところだけど、テーマも問題意識もわかりやすいし、感情の起伏もあって、AIじゃ書けないでしょ、と思った。その感想としては、日本人の本音を聞きたい外人は英語で話すなだな
プロンプトと応答を見てみたけど九段さんがAIに自主性を持たせようとしては裏切られるの連続に見えた。これがAI自体の限界なのか今の学習方法の限界なのか
本文中にもあるけど、ブレインストーミングを代わりにやらせてる感じ。まああれ企画会議とかでやると結構大変だから省力化といえば省力化なのかもしれん
小説は書かないからやり方が自分にとって新鮮で面白かった!
AIへの指示が結構威圧的で驚いた/AIの小説への向き合い方が自己成長方面であるうちはまだ生身の人間が書く小説のほうが面白そうかな
AIに全てお任せではなく本人も小説試執筆手法を知識があり、表現手法のチューニングをAIで利用している感覚。>AIによる小説生成では、いつも結末が弱く、
「少なくとも人間には創造性(無から有を生み出すクリエイティビティ)がある」はずだから「人工知能(機械)からも創造性を引きだせるかもしれない」という発想がそもそも(前提からして)誤り。そんなものはない(バカ?w
やっぱこうなるよねって感じの使い方だった。これを好きな時に好きな場所で一人でできるってのはわりと革命だと思う。生成物をどの程度使ったかなんてくっそどうでもいい。
フィクションの登場人物をAIで動かすみたいな感じか。細かく文章書けないけどキャラクター作るのが上手い人はとても活かせそう
プロンプトが本文まである
思いっ切り自己分析や過去の記憶との分析対話して、自分を小説の主人公にするのいいかもね。
AI使ってたくさん面白い作品作ってくれたら嬉しい。
おもしろい。壁打ちしながらなのでより思考に注力できそう。
生成AIを叩いて絞って蒸留してカスの方が小説になったということか。どこまで行っても人間は生成AIの尻拭い役に過ぎない。現代の壊滅的な組織社会に比べれば人間より生成AIの方がよほど人として扱われている。
ゆくゆく人が自分だけでは書かなくなったらLLMは何から人っぽさを学習していくのだろう
今ならClaudeChordあたりでやれと思うわけだが、読んだ感じこれは半年くらい前にやってるのでAIの進化早すぎると結論
“AI利用法が凄いのではなく、芥川賞を与えた審査員が凄いだけ。結局、AI無しでは書かせて貰えない末路になったな。”というブコメの意味が全く分からない(一文目の前後の飛躍が特に)……「末路」と評価できる根拠は?
トップコメの意味がわからなすぎる。
SF小説と呼ぶには状況描写が少ない。これは詩だと思う。
AIを活用した執筆は現代の作家として誠実なあり方に思う。優秀な編集者やアシスタントがついていつでも会議できるのと同じなわけで、活用するのは当たり前になる(なっている)
東京都同情塔は傑作なのでみんな読んで欲しい。/それはそうとyunotanoraは何言ってんの?
人が考える創造性は本当に0->1ではなく、その人が生きて見聞きしたものを咀嚼して方向性を与えたモノ。そういう意味では知識を蓄えたAIに方向性を与えることができれば創造性を生む可能性が有るは間違いじゃないかも
子どもに読書感想文書いてもらうときのプロセスをゴリゴリにした感じなのか…… 苦労が共感できてしまうかも………編集部ポジ? AIを使役してるというか、AI様に働いて頂く、って感じで、思い描いた未来と違う、
「第170回芥川賞を受賞した九段理江さんは、受賞作の「東京都同情塔」について「小説の5%をAIで書いた」と発言し、大きな話題を呼びました」
AIに小説を書かせるのが楽しい人しかAI小説家にはなれないみがある
AIに書かせることに意味を感じてないと、ここまでやるくらいなら自分で書いた方が早い、にしかならなそう。
AIの作品なんて誰でもボタン押すだけ簡単にできるとか思ってる人はよく読んだほうがいい
んで、この話は面白かったの?その点について誰も言及してないんだけど、単に書かせただけなら今更も今更でしょ?
100年後には「それにしてもさすがにAIの使い方があまいね」と言われてるのか、「いやAIで小説の執筆てw」と言われるのか
植田まさしが4コマ漫画描くとき、3台のモニタに1語ずつランダムに出る単語からネタを考えるって逸話を連想した。今でいう単語ガチャ。昔でいう落語の三題噺。浅野いにおのCGの使い方とかも。創作する人次第だよね。
id:yunotanoro こいつもそうだけどAIを使ってるっていうだけで九段理恵を批判してる奴ら絶対『東京都同情塔』読んでないだろw(あれ読んだ人はたぶん全員「こいつ読んでねえな」って思うはずw)
新しいテクノロジー(AI)が創作者の意欲や原動力になるなら何より。漫画アニメ映画だって、音楽将棋や勿論ゲームだってそうだった。
二千年前の占卜とかも、全くのランダムに運を天に任せているのではなく、初期条件を細かく刻んでから火にくべてひび割れを読む訳で、作業的には今のAIの利用法と似てたんだろうなあ…とかなり前から考えている。
何か久しぶりに"AIオチ"の記事を読んだ気がする。
これから先AIなしに何かを考えることに何か意味があるかというとないと思う。小説というのは思考実験で、次の展開をどうするかの選択肢をエースが出して選ぶのが人間だとすれば、それは十分に創作である。
ここまで、詳細に本の内容を公開して良いのだろうか。気になった。/AIを道具として徹底的に使ってる感がある。AIの特徴、使い方をよく理解してないと作れない。関係性構築などが面白い。
はぇ〜知的な機械だなー
トップブコメはAIを用いて書くことがこの作家のアイデンティティになっちゃってるじゃんみたいな意味? 芥川賞なるべく読んでるけどこの作品は読んでなかったなぁ また読んでみよう
結局、どれだけプロンプトを工夫しようと、生成された文章の価値を批判的に評価できる人でないと大した意味はないような。調べものさせるのでもプログラム組ませるのでも、本質的には同じだろうけど。
これは未来的に、AIが書くと芥川龍之介のバーゲンセールになって人間勝てないすになって文学賞からAIが締め出されることを危惧してるの?AIがうんこ漏らすときに考えようぜ。
顔の画像データは平均化するほど美人になる。美しい人物が賞賛される画像生成は生成AIと相性がいい。文章は平均化するほど凡庸になる。学習が裏目にでるので生成AIと相性が悪い。
プロンプト読んだんだけど、ここまで使い倒せる気がしない……ツールというより、AI育成に近い
思うに対話型の進め方は英語にはない日本語特有の強みが活かせるからいいとうちのチャッピーも言ってますね
この手法だと1万字以内が限度でしょう。AI99%で10万字以上の小説を何本か書いたけど、手法は全然違う(面白いかは別問題)。書き始める前のプロセスは参考になった。
これは執筆ではないし、公開されているのもプロンプトではない。自身が登場する物語にしようとしている。そこを踏まえないと考察も的外れ。この投稿のプロンプトも公開しないと。
プロセスとしては最先端調理マシンで匠のチャーハンを再現する試みと同じだと思った。全く同じクオリティにはならなくとも創意工夫で並の人間が作る物より良いものが作れる。結局誰でも真似できるものではないが
あとで読む
「AIやその使い方には巧拙が出るんだな」と文章的・思考的なバリ取り無しの2・3章目の分析を読んで思った(見出しが唐突な2、意味不明なタイミングで箇条書きが入る3、"特徴分析"と"九段氏の手順"とで同語反復的な両章)
一山いくらか分からんけど、同じようなものを量産されるのが見込まれるのは正直興味が持てない。物語の構造とかを知らなくても作れるだろう事はまあ楽になるんだろうけど。
95%を生成AIに書かせるということは、九段氏が生成AIをそう教育する、またはそれができるところまで導くということなので膨大な労力だなとプロンプトによる対話を見て思った。
AIを思考の壁打ちとして使う事はよくやってるし、小説の執筆においてAIの影響がゼロかと言われれば絶対にゼロにはできないでしょ。
むずかしすぎるのでこの仕事をAIにやらせたい(バカ)
“生成AIへのプロンプト全文を読み解く。これは、AIと新しい文学を共創しようとする、極めて高度で戦略的なコミュニケーションの記録です。”
建設的で多角的な視点を提供してくれる存在を作ってる。大変参考になる。
素晴らしい。これに比較したら、Claude CodeだのCursorだのあれに賭けるだのエンジニア生存戦略だのと聞かれてもいないのに喧伝してる馬鹿共が、まるで子供のおままごとのよう。
“雑誌「広告」の企画で、九段さんが95%をAIで書いた短編小説「影の雨」が公開され、生成AIに指示を出したプロンプトの全文も公開。このプロンプトを読み解き、九段さんのAIを利用した小説執筆手法について分析、解説”
なぜこれを読んだ結果AIエンジニアリングの世界をバカにする人が発生するのか理解できない。
今はこれを記憶できる時代なのか、それとも適宜まとめて保存する必要があるのかすらわかっていない。
どう考えても自分で書いた方が早い、これだけやって著作権が生まれないとか制度のバグだろ
ブレスト相手として利用してるだけで、執筆は全然やらせてねえじゃん。勘の悪い同居人だ
もっともらしく色々書いてるけどプロンプトエンジニアリングなんて現時点でのバッドノウハウでしかないんじゃないかと思ってしまうんだよな