“同時に、私たちは“リミナル・ゾーン(境界域)”にいたとも言えます。ここでいうリミナルとは、時間的にも、人間関係においても、場所においても、何かと何かの“あい”
独特の言い回しがいい。フリップ翁の邦訳はですます調がしっくりくる。英文ソースも参照したい。
「(Robert Frippの代わりに)彼のライヴ・ギタリストを務めた人のほうが、私がやるよりもはるかに良い仕事をしたと思います」というのは、後にKing Crimsonを組むAdrian Belewだよね。
曲名目にしただけにひょーーーーーんとあのロングトーンが流れてくるくらいに印象的
“私がデヴィッドのライヴ・ギタリストとして適任だったか? それは分かりません。ただ、彼のライヴ・ギタリストを務めた人のほうが、私がやるよりもはるかに良い仕事をしたと思います” 言いそうw
今更だけどルーリードと曲調が似てるなあ、と思ったら、『Im waiting for the man』の影響受けてるのね。
1978年のころのLIVEが一番カッコいいよね
もう半世紀近く前になるのか...
“当時の私は、自分が現役のプレイヤーだとは思っていませんでした。10か月間、隠遁生活のような状態で過ごしていて、そういう世界に戻るつもりもなかったんです”
少年の時プレスリーの熱狂的ファンだったボウイだが、ソロで売るためにデビュー時はフォーク歌手。ミック・ロンソンとの邂逅で英式ロックに活路を見出し、以来彼の音作りの最重要テーマはギタリスト選びとなった。
ダリル・ホールの『Sacred Songs』(1977レコーディング)と勘違いした。フリップ周辺、人脈が濃すぎて脳内でアルバムが混線。
“リミナル・ゾーン(境界域)”「ブライアン・イーノについても〜今私たちが知るブライアンにはまだ至っておらず、その“あいだ”にいたと思います。」イーノはその翌1978年Ambient 1: Music for Airportsを発表する。
ロバート・フリップ、デヴィッド・ボウイ「Heroes」のレコーディングを回想 ボウイもフリップもイーノも「リミナル・ゾーン」にいた - amass
“同時に、私たちは“リミナル・ゾーン(境界域)”にいたとも言えます。ここでいうリミナルとは、時間的にも、人間関係においても、場所においても、何かと何かの“あい”
独特の言い回しがいい。フリップ翁の邦訳はですます調がしっくりくる。英文ソースも参照したい。
「(Robert Frippの代わりに)彼のライヴ・ギタリストを務めた人のほうが、私がやるよりもはるかに良い仕事をしたと思います」というのは、後にKing Crimsonを組むAdrian Belewだよね。
曲名目にしただけにひょーーーーーんとあのロングトーンが流れてくるくらいに印象的
“私がデヴィッドのライヴ・ギタリストとして適任だったか? それは分かりません。ただ、彼のライヴ・ギタリストを務めた人のほうが、私がやるよりもはるかに良い仕事をしたと思います” 言いそうw
今更だけどルーリードと曲調が似てるなあ、と思ったら、『Im waiting for the man』の影響受けてるのね。
1978年のころのLIVEが一番カッコいいよね
もう半世紀近く前になるのか...
“当時の私は、自分が現役のプレイヤーだとは思っていませんでした。10か月間、隠遁生活のような状態で過ごしていて、そういう世界に戻るつもりもなかったんです”
少年の時プレスリーの熱狂的ファンだったボウイだが、ソロで売るためにデビュー時はフォーク歌手。ミック・ロンソンとの邂逅で英式ロックに活路を見出し、以来彼の音作りの最重要テーマはギタリスト選びとなった。
ダリル・ホールの『Sacred Songs』(1977レコーディング)と勘違いした。フリップ周辺、人脈が濃すぎて脳内でアルバムが混線。
“リミナル・ゾーン(境界域)”「ブライアン・イーノについても〜今私たちが知るブライアンにはまだ至っておらず、その“あいだ”にいたと思います。」イーノはその翌1978年Ambient 1: Music for Airportsを発表する。