まあねえ>人間には「どこまで落ちていくかを見たい欲求」がどこかしらにある人が多いのではないかと思う
『「ゾーニング」は表現規制である』という事すら理解できていない時点でダメすぎるし、“責任”とかいう雑概念を持ち出してるあたりもダメすぎる。何の問題もないヤンマガ編集発言や、公開日についても無理筋難癖。
みいちゃんという言葉が既に蔑称として使われる現状も鑑みれば、アニメ化しないという選択こそがギリ許容できるゾーニングである
"原作の持つテーマ性"てなんなんだろね?ヤンマガ編集の動画で言ってたようなことかな
やはり知的障害の要素をなくすのが最善
そもそも、どんな内容のマンガ、アニメも一切の配慮無く完全自由に表現されてるわけもなく、常にレーティング、ゾーニングされており、「表現の自由」は規制されている。特に配慮が必要な場合は個別に配慮された対応
そもそも一般に自由民主主義社会における自由というのは際限のない自由ではなく、他社との利害の調整(公共の福祉)のもと一定の制限を受けるものであるので、制限に厳格さは求められるが表現の自由もその例外ではない
深夜枠ならアニメいいんじゃない? 炎上してるのもへんなミーム流行らせてるのもXの一部だけ。Xに毒されていない人に観てもらえるほうがよくないか
経緯と見解についてはよくまとまっていると思う。ところで一歩引いて見ると「冒頭で主役の死が確定する」のは相当強力なギミックらしい。火垂るの墓、100ワニ、みい山。いずれも観客から強い反応を引き出す力を得た。
『みい山』排除派の言うことも一理くらいはあるが、ふんわりした悪影響や責任論は一度許せばあらゆる表現・言論に飛び火するぞという意識の方が俺は強い。//ゾーニングなら深夜放送にする程度で十分としか思えんね。
TV放映無しで配信オンリーになるんじゃないかな、地元最高もそうだし
どんなに悪趣味な内容だろうが適切にゾーニングされていれば問題ないだろ。そもそも全ての創作物が品行方正で公明正大でなければ叩かれる世界の方が怖いしそんなのディストピアだろ。
放火マーケティングを仕掛けたら逆に火達磨になったというくだらないネットの日常というだけのはなし。
お、前回みい山について書いた時は「みいちゃんとむうちゃんを混同にしてる」とか「文章に熱量がない」とかつっこまれてたロマン優光さん、またいっちょ噛みしたいんですねhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunkaonline.jp/archives/8012
なーにが「エクスプロイテーション作品」だっつうの。意識高い奴らが大好きな障害者、しかも女性がメインだから不快感に耐えられず弾圧する屁理屈こねてるだけじゃねえか/娯楽なんてのは、馬鹿や白痴が出てなんぼ
公共の福祉とは「他者の人権を侵害する者の人権は制限される」で、判り易い例が現行犯逮捕だが、逆説的にその位でないと「無闇に制限されるべきではない」って法理なのに、勘違いしてる人ほど表現の自由を軽んじる。
ロマン優光の冷静な分析だな 確かに専門家監修入れて慎重に描いたら作品の根幹が崩れそう
"インパクトを出していくことしか動画制作の担当が考えていない感じが出ていて、それは燃えるだろう"
こういう作品を世に出して物議を醸した場合は「政治利用」が避けられないものだが、作者はともかく、版元と編集部は多少ともその可能性を懸念しなかったのか?という点は不可解。
「憲法第21条第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する。22 条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」公共の福祉とは、社会全体の幸福と利益
公権力による表現規制と私人間の利害調整は分けて考えないと。何で前者に該当する国旗損壊処罰法には賛成して、後者であるレーティング、ゾーニングには反対するの
多分DMMやニコ動あたりで放映されて1年後くらいには誰も関心を持ってなさそうな気がする
社会の底辺というのは自然と敬意を持つんだけどな。フェリーニとかボブ・ディランでもそれに憧れるような年代だけど。
編集部が売り出し方を露悪に誘導して炎上ってのは作品内で弱者であるみいちゃんを利用した風俗店やその客と全く同じ構造なんだよね。それはみい山に限らず作家と出版社、テレビ局などで見られた問題と同じだよね。
アニメ化の是非についてではなく、作者や版元の倫理的な問題や、インシデント対応のまずさについてまとめられた文章。ほぼ同感
みいちゃん本番シーン付け加えるといいよ
TVは放送法4条で「善良な風俗を害しない」「意見対立のある問題は多角的に論点を明らかにする」などが定められている。 Netflix等は公衆放送ではないので公共の福祉を害さない範囲なら問題ないと思う(そこが怪しいが)
「タテマエ」や「きれいごと」がないと社会全体への信用が失われて社会が機能しなくなる。この場合、出版大手の講談社であったことも悪手だった。/税務職員が詐欺を働いた件もそうだが欲に任せて失う物は大きい。
〇〇を理解したかの様に書くな…実在の個人に対してなら指摘も正しいのだろうが、実在しない創作されたキャラについて「書くな」「アニメ化するな」が異様に映るのは当然だろ。
表現の自由と内心の自由は間違いやすい。アートだというのなら、アニメ化して美術館でのみ公開すればいいのではないか。
(本題ではないが)何かを発表する際は、過去のその日に発生した出来事を把握しておく必要がある時代なのだな、と思った。Wikipediaあたりを見ておくのかな。
以前から自分に向けられた非難はガン無視しながら、相変わらずネットの炎上した話題に一丁噛みする仕事を続けているロマン優光であった
『漫画として読めるからアニメ化を止めても表現の自由の問題ではない』という理屈はおかしい。アニメ化も独立した表現行為。もちろん批判してもいいが、ゾーニング前提なら、不快・配慮不足という理由は明らかに弱い
アニメ化擁護派だったんだけど亜月のN枚舌見てたら全部パーになってしまえと思うようになりましたね。それくらい人間性が腐っている
割と深夜なら平気でしょっていう意見の方々の時間帯に対する信頼感が高すぎる気がします。ネフリのような配信サイトで回るなら、時間帯は意味をなさないし、昔以上に若い子達は夜更かししてる
「社会的意義」だの「目を背けてきた現実」だのそういう作品のお題目が消えて、定番の表現の自由煽りのネタに収束してるは何かなと思う
これがアウトならウシジマくんもアウトだろ。批判の声があまりにも多すぎて、これからはグロいシーンや心をえぐるような内容は規制されるようになったりして。チェンソーマンがモザイクだらけになったら地獄だぞ。
まだやってんの?っていうくらい食傷気味。もうメディアの都合なんだろうなぁ
コイツがイッチョ噛みしてきたら話題も終盤
この理屈で国旗損壊罪も擁護できるな。「自由民主主義社会における自由というのは際限のない自由ではなく、他社との利害の調整(公共の福祉)のもと一定の制限を受けるもの」
既にネットは「亜月ねね氏がどこまで落ちていくかを見たいゲスな欲求」に傾いていそう。
制作側の行動が悪手過ぎるのは同意。公開するなではなくゾーニングの問題、悪影響への懸念というのもわかる。概ね同意できる
「作者の意図されない方向で見られる」←小学生のころ「はだしのゲン」を「ピカや!ピカや!」ってゲラゲラ笑いながら読んでたからわかる。だからといって、アニメ化制限されるべきと思う
そもそも表現の自由的観点の話なんかじゃない。その下のレイヤーの商売としてこれは果たして得なのかの話。立ち消えがあるなら、未来の商売をする際に必要な信用を毀損してまでやる意味ある?とかそういうとこから。
みい山くらい露悪として消費される(もしくは露悪的な)作品はいくらでもあるのに、みい山だけ色々言われるの、単純に元夜職の作者をいじめたいだけにしか思えねえんだよな
そもそも何一つおもしろいことなんかない作品について、ちやほやしてるのがよろしくないと思うけど、それさえもどうでもいいので、人が死なない範囲でおもちゃにしてたらいいのでは
みいちゃん=隆太一味、山田さん=ゲンとして社会的立場や倫理観との関係性で考えると物語の構造ははだしのゲンとも類似してると思ってるんだけど、ゆえに安易にキャンセルしようとする態度の危うさを感じてしまう。
テーマは「バカにしていい奴、いじめていい奴を徹底的に痛めつける」だよ
私は『漫画として読めるからアニメ化を止めても表現の自由の問題ではない』という理屈はありえるのでは?と思ってるので、それを説明するブログ書いたよ https://esbee.hatenablog.com/entry/2026/08/04/222925
今となっては反対派は上げた拳を下げられないだけなので、論点をどんどんズラしてて議論する価値が無くなっている。
"本人が矢面に立たされているだけで『マガポケ』編集部は表でアクションを起こすわけでもなく、一連の流れの中で『マガポケ』編集部が作者を守ろうとしている様子は一切自分には感じられない"
嫌だから嫌なら私ジュラシックパークがやだよ…恐竜を貶めてるよ。恐竜好きの子が恐竜嫌いになった。悲しい。 余命系氏に待ち映画も同じ病気の人は傷つくし嫌だろうし。 嫌なものも表現の自由だと認めてるよ。
みいちゃんが堕ちていくのを観たい、を肯定するならば、講談社の編集者が堕ちていく、亜月ねねが堕ちていく、アニメ制作スタッフが堕ちていく、、、のも観たい人が増えるわな、と思ったよ。底が抜けていく
みい山を読んだことがキッカケで障害者を「みいちゃん」呼ばわりして差別を楽しむ人が沢山いるのは事実。負の感情はエコーチェンバーで広がりやすいのだろう。
フィクションの人間が堕ちていくのが見たいと言っただけで炎上する感覚が俺にはわからん。現実の人間に対して言ったらそりゃあ問題だけど、フィクションやで?フィクションの意味分かってるのか?
他人の声という都合良い逃げにした雑なオレオレゾーニング。不要なもの。同じトーンで同業の「GEZANのマヒトゥについて思うこと」を書く方が先でそれで気付けない?根性なしだねえ。
「どこまで落ちていくかを見たい欲求」を刺激する作品を作ってた側が下手打ってそういう欲求の標的にされて燃やされるのは寓話的だな。
"本人が矢面に立たされているだけで『マガポケ』編集部は表でアクションを起こすわけでもなく、一連の流れの中で『マガポケ』編集部が作者を守ろうとしている様子は一切自分には感じられない。”出版社は本当にクズ
きれいごとで障害者をゾーニングしようとする連中には反感を覚える。作者も相当に脇が甘いが、それを責め立てている連中は "みいちゃん" にも同じ態度をとるのだろう。
アニメ化するなとは思ってないけど今や配信サイトは当たり前のように存在する中でどれほどゾーニングが可能なのかとは思う。作中でも「これ可愛い〜」で飛びついて悲惨な目にあうエピソードがあったような。
いつものルーティンでアニメ枠の次のネタ(人気原作)を探していたら、たまたま『みいちゃん~』に出会ってしまった…くらいの意識でやってそうなのが『セクシー田中さん』と同じ構図に見えて嫌な予感しかしない
エロと同じだと考えたらいい。そんな欲求誰もみてない所で満たせとしか言えない。
ちょっとロマン優光ちょうしわるいな
それは現実に行われているから、という理由で表現規制の正当化はできません。その理屈が通るなら、差別はやめなくて良い。現にそれは行われているのだから。/ただの現実から価値や道徳、あるべき姿は導出できません
表現が自由である、という前提の中で作品を発表したあとのリスクを回避するのはひとつひとつの発信を「うまくやれるか」でしかなくて、それは現状のもろもろを見ていると不安、ということだと思っている
結局初手でテレビアニメと書いたのが失敗だったと思うんだよね。揉めそうだったタコピーの原罪とか配信のみと言って誤魔化しに成功したし
前回から(良い方に)印象変わったな。
「インターネットの皆様に認められたアニメ」が不可能なだけで表現の自由の侵害とか言いだすのやめて欲しい
過激な設定や内容のAVが作られ続ける中で何を言っても白々しく思う。風俗に"堕ちる"女性を楽しみにする芸人もいたね。
未成年へのゾーニングで日本より明確に緩い国はない(つまり日本が世界一レベルで緩い)ので、そこをキチンとしただけであらゆる表現に飛び火してしまう…なんて事は、他の先進国を見てても無いんじゃないか?
“確かに言えることは、これを読んだからといって知的障害者について理解したように何かを語ったりするのは違うのではないかということだ” 俺もそう思うんだけど、マジで問題意識芽生えちゃう人居るんだよね
黒人が演じてるのが気に食わないからなどと散々お気持ちMAXで表現を燃やしてきた放火魔がみい山擁護してるが、でもお前常習的放火魔だろとしかならんだろ
劇中の悪役キャラに批判者をなぞらえるブコメに、彼らが否認する「現実とフィクションの区別がついてないオタク」の実在を見る。人身売買シンジケートで闇バイトやってた漫画家という時点で商用アニメ無理なのでは
やまゆり園の事件10年目と発表が一致してしまった件については10年目ということでマスコミが取り上げるまで7月26日がそういう日だという認知は無かったし、あの事件の日は外さなきゃと事前に調べろというのも無茶振り
永野が監督した映画は映倫で引っかかってシネコンでの上映は拒否されていた。
すくなくとも地上波では深夜枠であっても改変しないと無理じゃない?フジのスポンサー全下りの悪夢があるし。海外のプラットフォームも性的虐待や覚せい剤には厳しい 原作ファンはそれでいいんですかね
id:Listlessness その記述だとまるで「公共の福祉」が上位概念みたいになるからよろしくない 実際その筋で論陣張ってるやついるし
勝手に書くけど私もあれ人間や社会がそこまで拾えてない、テンプレ的だと感じたんだけど、それこそ作者自身が主体的に生きてこられなかったのかもとも
表現が不快=存在が不快まで一直線なんだけど無自覚よね。ラディフェミがおっぱい広告を批判した流れだとアカデミアの援護射撃があったけど、今回それもなくゲリラ的な印象。オピニオンリーダー無き散発的な闘争
#みいちゃんと山田さん 「地上波アニメではなくNetflixのような配信サービスで製作されるのではないか」←最初は“TVアニメ”って宣伝されてたんだよね。/“専門家”として名前が出る人、大変なことになりそうな予感。
はい。倫理観は持つべきだし持つ人が多数派だから今潜めて熱り冷ますまで待っても商業的には失敗する。表現の自由は批判やその結果生じる賠償責任等を免責するものではないのでそこは覚悟してやれ、だと思います。
みい山がどうこう以前にSNSが巨大な害悪増幅装置なのでね。そして俺らがその歯車なんや。
クリティカルなところに触れずに周辺の議論だけしている腰の引けた文章。状況知らない人向けの情報提供としてはよい。
“「人が堕ちていく様を見たい」という部分が赤字で強調されている部分を見ると、文脈込みで考えても発言者の作品内容のセンシティブな部分に対する無思慮・無配慮な感じ” 下品な姿をよく全世界に発信したな講談社
なんか表現の自由は便利に何でも使えるものではなくて作品や世情に合わせて常に考え続ける必要がある扱いの難しい物だと思う。性表現のゾーニングと障害者等弱者を扱った表現のそれはまたちがう。
“作者の体験をベースに軽度知的障害の人や取材などで得た水商売や風俗、パパ活等に従事する人や客の極端で不快なエピソードを過剰に積み込み、体裁程度の障害者福祉についての情報が付け加えられたような作品”
制作サイドがあのアクスタを作ったり、動画で障害特徴の描かれたキャラを「底まで堕ちる才能、天才的」と笑ったりしたノリのまま「下劣何が悪い」って態度でアニメ化の話してたら、バナー消さずに済んだ話だよな。
問題点が並んだ今更読む所はないかと。刺激の強い娯楽はジャンクフードみたく一旦注意しなけば消費者も市場も壊す視点がないと。昨日許可されて今日ジャンクにしない理由がない、の声に疑問があってほしいだけで。
ロマン優光氏にはいつか、有名な福田恆存の評論「一匹と九十九匹と」を読んで論じてほしい【引用 https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20121211/p8】。批判とかでなく、けっこう純粋にどんな反応になるか興味がある。
もし『みいちゃんと山田さん』が実写映画化、"時には懺悔を"の監督:中島哲也、主人公の二人を新進気鋭の若手女優にしたら"社会問題に切り込む話題作!"、"迫真の演技!二人から目が離せない"となりそう。
公共の福祉の代表例が現行犯逮捕だとか珍説言ってる人がいてたまげた。公共の福祉ってのは、権力が国民の行動を法で制限できる根拠の話(合憲性ジャッジ)現行犯逮捕は手続きの話なんで、だいぶ遠い。
「表現の自由」を盾にしてる人の99.9%の人たちが求めてるのは「消費の自由」でしょう。
深夜枠放送で配信はPGつけときゃえーんちゃう?
事実整理をして意見を少し付け加えているだけだが、文章のように事実整理をしていることにより、こんなの言わなくても悪辣だとわかるでしょという内容になっている。きれいごとは追わないとですよ。
アニメ化は好きにせい派だが(どうせネトフリとかだろうし)、炎上自体はそういう可燃性込みで商業化したんだろうし、自業自得というか、あんまり擁護できない。可燃性を加味しないマーケ自体が稚拙じゃね?
色々な立場からの切り口が多数出てくること自体は歓迎したい。二者択一の論点設定しか受け付けない雰囲気だった、あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」の頃を思うと世の中は進歩した。
もう『最終回がちゃんと公開されりゃいいよ』としか思ってない。
深夜放送は昔だとゾーニングだったけど、親のネトフリや アマプラで子供が何でも観れる現代だと実質、機能してない。そっちでみる方が多いし。ペアコンも意識高い親くらいだし、市場の変化が万人を不幸にしてる状態
「消費の自由」は表現の自由の土台だよ。「売るのはいいけど買うのはダメ」じゃ意味ないでしょ。 >「表現の自由」を盾にしてる人の99.9%の人たちが求めてるのは「消費の自由」でしょう。
上位コメントを見てゲンナリ。差別表現が漫画やアニメになった途端、守られるんだからよくわからないね。市井の人たちの批判に耐えられずアニメ化できないのであれば、自然な淘汰としか言いようがない。
題材、作風、商業化前の状況等から可燃性が高い作者・作品であることは想像つきそうなものなのに、これほど無為無策に見えるのはどうかとは思う(作品は個人的に not for me だったけどそういう話ではなく)
アニメの時間帯にゾーニング的意味合いなんて今はもうないに等しい。ショート切り抜きにされて更なる無垢な悪意に晒されるのはわかりきってる。
法や暗黙のルールは、社会を良く運営していくためにある。字を自ら読まなくてはいけないマンガと浴びるだけのアニメでは鑑賞者の対象が違うが故に、その内容にはより慎重になるべき。
公共の福祉の範囲を広げていった結果が国旗毀損罪なので規制には常に慎重な立場を取った方が良いだろう。
一意見として理解はできるが、個人的には、あまり同意できない。私は燃やしている側に正義を認め難く、難癖をつけている側を批判すべきところ、被害者側の対応ばかり批判する理不尽な意見だと思う。
どんなアニメを作って個人配信しようが自由だが、地上波放送は自由ではない。政治的中立報道や放送コードといった表現規制を受け入れている人たちが文句を言ってるのはおかしい。それらも全廃すべきという意見はアリ
表自戦士「因果関係が証明されるまで規制すべきではない!」 社会的影響の因果関係の証明が困難であることや自分が被害を受けない安全地帯にいることを知ったうえでこういうこと言ってんのよな。ホンマ悪質
割と同感。グロ画像とかついつい見ちゃうけど、実際には見たくないって感覚を大事にしたい。
そもそも漫画はよくてアニメはダメという理屈が自分にはよくわからないところではある。
"一部の極論を除けば反対派の意見はゾーニングの話だと解釈" それは無いと思うがな。本当に一部がゾーニングの話で、大半はいつもの私が気に食わないんだもん!を正義のラップで包んでるだけだろ
同意。「障害者がケアを受けられず破滅していく様をエンタメとして描く作品を、アニメという形で世間に広く発信すること」を批判されている。それはむしろ、表現の自由あるからこそ身から出た錆なんです。
バズりやすそうなら何でも切り抜きショートで使っちゃうのに、無料放送が時間帯ずらす程度でゾーニングといえる時代なのかはやや疑問。絵が可愛くて各コマもシンプルで分かりやすいので、優秀な素材感はある
フィクションとして「みいちゃんには底まで落ちていく才能がある」キャラクター造形がされてるんだからあの発言は当然だと思うんだが。悪書追放運動か?
ふむ。見世物的という点では、10月開始のFX戦士くるみちゃんを心配している。あとゾーニング派はクソ。ラディカルフェミニズムよりもクソ。
“FunBox”
『みいちゃんと山田さん』についてアニメ化公表と炎上で思うこと:ロマン優光連載404
まあねえ>人間には「どこまで落ちていくかを見たい欲求」がどこかしらにある人が多いのではないかと思う
『「ゾーニング」は表現規制である』という事すら理解できていない時点でダメすぎるし、“責任”とかいう雑概念を持ち出してるあたりもダメすぎる。何の問題もないヤンマガ編集発言や、公開日についても無理筋難癖。
みいちゃんという言葉が既に蔑称として使われる現状も鑑みれば、アニメ化しないという選択こそがギリ許容できるゾーニングである
"原作の持つテーマ性"てなんなんだろね?ヤンマガ編集の動画で言ってたようなことかな
やはり知的障害の要素をなくすのが最善
そもそも、どんな内容のマンガ、アニメも一切の配慮無く完全自由に表現されてるわけもなく、常にレーティング、ゾーニングされており、「表現の自由」は規制されている。特に配慮が必要な場合は個別に配慮された対応
そもそも一般に自由民主主義社会における自由というのは際限のない自由ではなく、他社との利害の調整(公共の福祉)のもと一定の制限を受けるものであるので、制限に厳格さは求められるが表現の自由もその例外ではない
深夜枠ならアニメいいんじゃない? 炎上してるのもへんなミーム流行らせてるのもXの一部だけ。Xに毒されていない人に観てもらえるほうがよくないか
経緯と見解についてはよくまとまっていると思う。ところで一歩引いて見ると「冒頭で主役の死が確定する」のは相当強力なギミックらしい。火垂るの墓、100ワニ、みい山。いずれも観客から強い反応を引き出す力を得た。
『みい山』排除派の言うことも一理くらいはあるが、ふんわりした悪影響や責任論は一度許せばあらゆる表現・言論に飛び火するぞという意識の方が俺は強い。//ゾーニングなら深夜放送にする程度で十分としか思えんね。
TV放映無しで配信オンリーになるんじゃないかな、地元最高もそうだし
どんなに悪趣味な内容だろうが適切にゾーニングされていれば問題ないだろ。そもそも全ての創作物が品行方正で公明正大でなければ叩かれる世界の方が怖いしそんなのディストピアだろ。
放火マーケティングを仕掛けたら逆に火達磨になったというくだらないネットの日常というだけのはなし。
お、前回みい山について書いた時は「みいちゃんとむうちゃんを混同にしてる」とか「文章に熱量がない」とかつっこまれてたロマン優光さん、またいっちょ噛みしたいんですねhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunkaonline.jp/archives/8012
なーにが「エクスプロイテーション作品」だっつうの。意識高い奴らが大好きな障害者、しかも女性がメインだから不快感に耐えられず弾圧する屁理屈こねてるだけじゃねえか/娯楽なんてのは、馬鹿や白痴が出てなんぼ
公共の福祉とは「他者の人権を侵害する者の人権は制限される」で、判り易い例が現行犯逮捕だが、逆説的にその位でないと「無闇に制限されるべきではない」って法理なのに、勘違いしてる人ほど表現の自由を軽んじる。
ロマン優光の冷静な分析だな 確かに専門家監修入れて慎重に描いたら作品の根幹が崩れそう
"インパクトを出していくことしか動画制作の担当が考えていない感じが出ていて、それは燃えるだろう"
こういう作品を世に出して物議を醸した場合は「政治利用」が避けられないものだが、作者はともかく、版元と編集部は多少ともその可能性を懸念しなかったのか?という点は不可解。
「憲法第21条第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する。22 条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」公共の福祉とは、社会全体の幸福と利益
公権力による表現規制と私人間の利害調整は分けて考えないと。何で前者に該当する国旗損壊処罰法には賛成して、後者であるレーティング、ゾーニングには反対するの
多分DMMやニコ動あたりで放映されて1年後くらいには誰も関心を持ってなさそうな気がする
社会の底辺というのは自然と敬意を持つんだけどな。フェリーニとかボブ・ディランでもそれに憧れるような年代だけど。
編集部が売り出し方を露悪に誘導して炎上ってのは作品内で弱者であるみいちゃんを利用した風俗店やその客と全く同じ構造なんだよね。それはみい山に限らず作家と出版社、テレビ局などで見られた問題と同じだよね。
アニメ化の是非についてではなく、作者や版元の倫理的な問題や、インシデント対応のまずさについてまとめられた文章。ほぼ同感
みいちゃん本番シーン付け加えるといいよ
TVは放送法4条で「善良な風俗を害しない」「意見対立のある問題は多角的に論点を明らかにする」などが定められている。 Netflix等は公衆放送ではないので公共の福祉を害さない範囲なら問題ないと思う(そこが怪しいが)
「タテマエ」や「きれいごと」がないと社会全体への信用が失われて社会が機能しなくなる。この場合、出版大手の講談社であったことも悪手だった。/税務職員が詐欺を働いた件もそうだが欲に任せて失う物は大きい。
〇〇を理解したかの様に書くな…実在の個人に対してなら指摘も正しいのだろうが、実在しない創作されたキャラについて「書くな」「アニメ化するな」が異様に映るのは当然だろ。
表現の自由と内心の自由は間違いやすい。アートだというのなら、アニメ化して美術館でのみ公開すればいいのではないか。
(本題ではないが)何かを発表する際は、過去のその日に発生した出来事を把握しておく必要がある時代なのだな、と思った。Wikipediaあたりを見ておくのかな。
以前から自分に向けられた非難はガン無視しながら、相変わらずネットの炎上した話題に一丁噛みする仕事を続けているロマン優光であった
『漫画として読めるからアニメ化を止めても表現の自由の問題ではない』という理屈はおかしい。アニメ化も独立した表現行為。もちろん批判してもいいが、ゾーニング前提なら、不快・配慮不足という理由は明らかに弱い
アニメ化擁護派だったんだけど亜月のN枚舌見てたら全部パーになってしまえと思うようになりましたね。それくらい人間性が腐っている
割と深夜なら平気でしょっていう意見の方々の時間帯に対する信頼感が高すぎる気がします。ネフリのような配信サイトで回るなら、時間帯は意味をなさないし、昔以上に若い子達は夜更かししてる
「社会的意義」だの「目を背けてきた現実」だのそういう作品のお題目が消えて、定番の表現の自由煽りのネタに収束してるは何かなと思う
これがアウトならウシジマくんもアウトだろ。批判の声があまりにも多すぎて、これからはグロいシーンや心をえぐるような内容は規制されるようになったりして。チェンソーマンがモザイクだらけになったら地獄だぞ。
まだやってんの?っていうくらい食傷気味。もうメディアの都合なんだろうなぁ
コイツがイッチョ噛みしてきたら話題も終盤
この理屈で国旗損壊罪も擁護できるな。「自由民主主義社会における自由というのは際限のない自由ではなく、他社との利害の調整(公共の福祉)のもと一定の制限を受けるもの」
既にネットは「亜月ねね氏がどこまで落ちていくかを見たいゲスな欲求」に傾いていそう。
制作側の行動が悪手過ぎるのは同意。公開するなではなくゾーニングの問題、悪影響への懸念というのもわかる。概ね同意できる
「作者の意図されない方向で見られる」←小学生のころ「はだしのゲン」を「ピカや!ピカや!」ってゲラゲラ笑いながら読んでたからわかる。だからといって、アニメ化制限されるべきと思う
そもそも表現の自由的観点の話なんかじゃない。その下のレイヤーの商売としてこれは果たして得なのかの話。立ち消えがあるなら、未来の商売をする際に必要な信用を毀損してまでやる意味ある?とかそういうとこから。
みい山くらい露悪として消費される(もしくは露悪的な)作品はいくらでもあるのに、みい山だけ色々言われるの、単純に元夜職の作者をいじめたいだけにしか思えねえんだよな
そもそも何一つおもしろいことなんかない作品について、ちやほやしてるのがよろしくないと思うけど、それさえもどうでもいいので、人が死なない範囲でおもちゃにしてたらいいのでは
みいちゃん=隆太一味、山田さん=ゲンとして社会的立場や倫理観との関係性で考えると物語の構造ははだしのゲンとも類似してると思ってるんだけど、ゆえに安易にキャンセルしようとする態度の危うさを感じてしまう。
テーマは「バカにしていい奴、いじめていい奴を徹底的に痛めつける」だよ
私は『漫画として読めるからアニメ化を止めても表現の自由の問題ではない』という理屈はありえるのでは?と思ってるので、それを説明するブログ書いたよ https://esbee.hatenablog.com/entry/2026/08/04/222925
今となっては反対派は上げた拳を下げられないだけなので、論点をどんどんズラしてて議論する価値が無くなっている。
"本人が矢面に立たされているだけで『マガポケ』編集部は表でアクションを起こすわけでもなく、一連の流れの中で『マガポケ』編集部が作者を守ろうとしている様子は一切自分には感じられない"
嫌だから嫌なら私ジュラシックパークがやだよ…恐竜を貶めてるよ。恐竜好きの子が恐竜嫌いになった。悲しい。 余命系氏に待ち映画も同じ病気の人は傷つくし嫌だろうし。 嫌なものも表現の自由だと認めてるよ。
みいちゃんが堕ちていくのを観たい、を肯定するならば、講談社の編集者が堕ちていく、亜月ねねが堕ちていく、アニメ制作スタッフが堕ちていく、、、のも観たい人が増えるわな、と思ったよ。底が抜けていく
みい山を読んだことがキッカケで障害者を「みいちゃん」呼ばわりして差別を楽しむ人が沢山いるのは事実。負の感情はエコーチェンバーで広がりやすいのだろう。
フィクションの人間が堕ちていくのが見たいと言っただけで炎上する感覚が俺にはわからん。現実の人間に対して言ったらそりゃあ問題だけど、フィクションやで?フィクションの意味分かってるのか?
他人の声という都合良い逃げにした雑なオレオレゾーニング。不要なもの。同じトーンで同業の「GEZANのマヒトゥについて思うこと」を書く方が先でそれで気付けない?根性なしだねえ。
「どこまで落ちていくかを見たい欲求」を刺激する作品を作ってた側が下手打ってそういう欲求の標的にされて燃やされるのは寓話的だな。
"本人が矢面に立たされているだけで『マガポケ』編集部は表でアクションを起こすわけでもなく、一連の流れの中で『マガポケ』編集部が作者を守ろうとしている様子は一切自分には感じられない。”出版社は本当にクズ
きれいごとで障害者をゾーニングしようとする連中には反感を覚える。作者も相当に脇が甘いが、それを責め立てている連中は "みいちゃん" にも同じ態度をとるのだろう。
アニメ化するなとは思ってないけど今や配信サイトは当たり前のように存在する中でどれほどゾーニングが可能なのかとは思う。作中でも「これ可愛い〜」で飛びついて悲惨な目にあうエピソードがあったような。
いつものルーティンでアニメ枠の次のネタ(人気原作)を探していたら、たまたま『みいちゃん~』に出会ってしまった…くらいの意識でやってそうなのが『セクシー田中さん』と同じ構図に見えて嫌な予感しかしない
エロと同じだと考えたらいい。そんな欲求誰もみてない所で満たせとしか言えない。
ちょっとロマン優光ちょうしわるいな
それは現実に行われているから、という理由で表現規制の正当化はできません。その理屈が通るなら、差別はやめなくて良い。現にそれは行われているのだから。/ただの現実から価値や道徳、あるべき姿は導出できません
表現が自由である、という前提の中で作品を発表したあとのリスクを回避するのはひとつひとつの発信を「うまくやれるか」でしかなくて、それは現状のもろもろを見ていると不安、ということだと思っている
結局初手でテレビアニメと書いたのが失敗だったと思うんだよね。揉めそうだったタコピーの原罪とか配信のみと言って誤魔化しに成功したし
前回から(良い方に)印象変わったな。
「インターネットの皆様に認められたアニメ」が不可能なだけで表現の自由の侵害とか言いだすのやめて欲しい
過激な設定や内容のAVが作られ続ける中で何を言っても白々しく思う。風俗に"堕ちる"女性を楽しみにする芸人もいたね。
未成年へのゾーニングで日本より明確に緩い国はない(つまり日本が世界一レベルで緩い)ので、そこをキチンとしただけであらゆる表現に飛び火してしまう…なんて事は、他の先進国を見てても無いんじゃないか?
“確かに言えることは、これを読んだからといって知的障害者について理解したように何かを語ったりするのは違うのではないかということだ” 俺もそう思うんだけど、マジで問題意識芽生えちゃう人居るんだよね
黒人が演じてるのが気に食わないからなどと散々お気持ちMAXで表現を燃やしてきた放火魔がみい山擁護してるが、でもお前常習的放火魔だろとしかならんだろ
劇中の悪役キャラに批判者をなぞらえるブコメに、彼らが否認する「現実とフィクションの区別がついてないオタク」の実在を見る。人身売買シンジケートで闇バイトやってた漫画家という時点で商用アニメ無理なのでは
やまゆり園の事件10年目と発表が一致してしまった件については10年目ということでマスコミが取り上げるまで7月26日がそういう日だという認知は無かったし、あの事件の日は外さなきゃと事前に調べろというのも無茶振り
永野が監督した映画は映倫で引っかかってシネコンでの上映は拒否されていた。
すくなくとも地上波では深夜枠であっても改変しないと無理じゃない?フジのスポンサー全下りの悪夢があるし。海外のプラットフォームも性的虐待や覚せい剤には厳しい 原作ファンはそれでいいんですかね
id:Listlessness その記述だとまるで「公共の福祉」が上位概念みたいになるからよろしくない 実際その筋で論陣張ってるやついるし
勝手に書くけど私もあれ人間や社会がそこまで拾えてない、テンプレ的だと感じたんだけど、それこそ作者自身が主体的に生きてこられなかったのかもとも
表現が不快=存在が不快まで一直線なんだけど無自覚よね。ラディフェミがおっぱい広告を批判した流れだとアカデミアの援護射撃があったけど、今回それもなくゲリラ的な印象。オピニオンリーダー無き散発的な闘争
#みいちゃんと山田さん 「地上波アニメではなくNetflixのような配信サービスで製作されるのではないか」←最初は“TVアニメ”って宣伝されてたんだよね。/“専門家”として名前が出る人、大変なことになりそうな予感。
はい。倫理観は持つべきだし持つ人が多数派だから今潜めて熱り冷ますまで待っても商業的には失敗する。表現の自由は批判やその結果生じる賠償責任等を免責するものではないのでそこは覚悟してやれ、だと思います。
みい山がどうこう以前にSNSが巨大な害悪増幅装置なのでね。そして俺らがその歯車なんや。
クリティカルなところに触れずに周辺の議論だけしている腰の引けた文章。状況知らない人向けの情報提供としてはよい。
“「人が堕ちていく様を見たい」という部分が赤字で強調されている部分を見ると、文脈込みで考えても発言者の作品内容のセンシティブな部分に対する無思慮・無配慮な感じ” 下品な姿をよく全世界に発信したな講談社
なんか表現の自由は便利に何でも使えるものではなくて作品や世情に合わせて常に考え続ける必要がある扱いの難しい物だと思う。性表現のゾーニングと障害者等弱者を扱った表現のそれはまたちがう。
“作者の体験をベースに軽度知的障害の人や取材などで得た水商売や風俗、パパ活等に従事する人や客の極端で不快なエピソードを過剰に積み込み、体裁程度の障害者福祉についての情報が付け加えられたような作品”
制作サイドがあのアクスタを作ったり、動画で障害特徴の描かれたキャラを「底まで堕ちる才能、天才的」と笑ったりしたノリのまま「下劣何が悪い」って態度でアニメ化の話してたら、バナー消さずに済んだ話だよな。
問題点が並んだ今更読む所はないかと。刺激の強い娯楽はジャンクフードみたく一旦注意しなけば消費者も市場も壊す視点がないと。昨日許可されて今日ジャンクにしない理由がない、の声に疑問があってほしいだけで。
ロマン優光氏にはいつか、有名な福田恆存の評論「一匹と九十九匹と」を読んで論じてほしい【引用 https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20121211/p8】。批判とかでなく、けっこう純粋にどんな反応になるか興味がある。
もし『みいちゃんと山田さん』が実写映画化、"時には懺悔を"の監督:中島哲也、主人公の二人を新進気鋭の若手女優にしたら"社会問題に切り込む話題作!"、"迫真の演技!二人から目が離せない"となりそう。
公共の福祉の代表例が現行犯逮捕だとか珍説言ってる人がいてたまげた。公共の福祉ってのは、権力が国民の行動を法で制限できる根拠の話(合憲性ジャッジ)現行犯逮捕は手続きの話なんで、だいぶ遠い。
「表現の自由」を盾にしてる人の99.9%の人たちが求めてるのは「消費の自由」でしょう。
深夜枠放送で配信はPGつけときゃえーんちゃう?
事実整理をして意見を少し付け加えているだけだが、文章のように事実整理をしていることにより、こんなの言わなくても悪辣だとわかるでしょという内容になっている。きれいごとは追わないとですよ。
アニメ化は好きにせい派だが(どうせネトフリとかだろうし)、炎上自体はそういう可燃性込みで商業化したんだろうし、自業自得というか、あんまり擁護できない。可燃性を加味しないマーケ自体が稚拙じゃね?
色々な立場からの切り口が多数出てくること自体は歓迎したい。二者択一の論点設定しか受け付けない雰囲気だった、あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」の頃を思うと世の中は進歩した。
もう『最終回がちゃんと公開されりゃいいよ』としか思ってない。
深夜放送は昔だとゾーニングだったけど、親のネトフリや アマプラで子供が何でも観れる現代だと実質、機能してない。そっちでみる方が多いし。ペアコンも意識高い親くらいだし、市場の変化が万人を不幸にしてる状態
「消費の自由」は表現の自由の土台だよ。「売るのはいいけど買うのはダメ」じゃ意味ないでしょ。 >「表現の自由」を盾にしてる人の99.9%の人たちが求めてるのは「消費の自由」でしょう。
上位コメントを見てゲンナリ。差別表現が漫画やアニメになった途端、守られるんだからよくわからないね。市井の人たちの批判に耐えられずアニメ化できないのであれば、自然な淘汰としか言いようがない。
題材、作風、商業化前の状況等から可燃性が高い作者・作品であることは想像つきそうなものなのに、これほど無為無策に見えるのはどうかとは思う(作品は個人的に not for me だったけどそういう話ではなく)
アニメの時間帯にゾーニング的意味合いなんて今はもうないに等しい。ショート切り抜きにされて更なる無垢な悪意に晒されるのはわかりきってる。
法や暗黙のルールは、社会を良く運営していくためにある。字を自ら読まなくてはいけないマンガと浴びるだけのアニメでは鑑賞者の対象が違うが故に、その内容にはより慎重になるべき。
公共の福祉の範囲を広げていった結果が国旗毀損罪なので規制には常に慎重な立場を取った方が良いだろう。
一意見として理解はできるが、個人的には、あまり同意できない。私は燃やしている側に正義を認め難く、難癖をつけている側を批判すべきところ、被害者側の対応ばかり批判する理不尽な意見だと思う。
どんなアニメを作って個人配信しようが自由だが、地上波放送は自由ではない。政治的中立報道や放送コードといった表現規制を受け入れている人たちが文句を言ってるのはおかしい。それらも全廃すべきという意見はアリ
表自戦士「因果関係が証明されるまで規制すべきではない!」 社会的影響の因果関係の証明が困難であることや自分が被害を受けない安全地帯にいることを知ったうえでこういうこと言ってんのよな。ホンマ悪質
割と同感。グロ画像とかついつい見ちゃうけど、実際には見たくないって感覚を大事にしたい。
そもそも漫画はよくてアニメはダメという理屈が自分にはよくわからないところではある。
"一部の極論を除けば反対派の意見はゾーニングの話だと解釈" それは無いと思うがな。本当に一部がゾーニングの話で、大半はいつもの私が気に食わないんだもん!を正義のラップで包んでるだけだろ
同意。「障害者がケアを受けられず破滅していく様をエンタメとして描く作品を、アニメという形で世間に広く発信すること」を批判されている。それはむしろ、表現の自由あるからこそ身から出た錆なんです。
バズりやすそうなら何でも切り抜きショートで使っちゃうのに、無料放送が時間帯ずらす程度でゾーニングといえる時代なのかはやや疑問。絵が可愛くて各コマもシンプルで分かりやすいので、優秀な素材感はある
フィクションとして「みいちゃんには底まで落ちていく才能がある」キャラクター造形がされてるんだからあの発言は当然だと思うんだが。悪書追放運動か?
ふむ。見世物的という点では、10月開始のFX戦士くるみちゃんを心配している。あとゾーニング派はクソ。ラディカルフェミニズムよりもクソ。
“FunBox”