私は細田守バージョンの「劇場版ちいかわ」が観たいンダヨ🤔他にも観たい人いる?
ここ数作の作品を見たあとだと、細田版ハウルの結末も、なるべくしてなったように見えてくるなあ
監督自ら「果てしなきスカーレット」を失敗・爆死と発言。完成したハウルの動く城を観ていないことは少し驚いた。
時をかける少女1作品が良かっただけで長年オリジナルアニメ監督を続けられるところが凄いよな… そんな人なかなかいない / 国宝見たけど脚本がTheアニメって感じで、時かけ・サマウォのトリオで作り続ければまだいける
“僕は宮﨑さんの『ハウル』を見ていないので、その答えを知らないんです。でも、違ったんだろうなと思います。”観てしまったら答え合わせしてしまうだろうし
細田さんは自我を捨てないと。最近の作品がいまいちなのは「自分のやりたいこと」を優先させてるから。客の求めてることを優先させないと。
展覧会やってることすらしらなかった…
「僕は自分が経験したことを、どうしようもなく作品に投影してしまう」この年でこんなこと言ってるようじゃアカンな……
めちゃくちゃ好意的に言えば、駿の後釜に据えるには向かない作家性ということ。いや駿も鈴木Pが居なかったらどうなってたか分からんか。ということはハンドリングできるPの有無が駿との差なのかもね
ハウル降板という特大の挫折から時かけで奇跡の復活遂げるの、本物の映画監督のドラマだよな
時かけだけじゃなくサマーウォーズも面白かったんだけど(それ以外は見てない)
えーー、そこで決別?> >「自分に子どもが生まれたこともあって、家族のことがより色濃く作品に入ってくるようになった。家族観って、人それぞれ違うじゃないですか。そこまで奥寺さんに背負ってもらうのは」
ファンも業界人も、みんな宮﨑駿をアニメ原作脚本監督のロールモデルにし過ぎ。あれは外れ値だよ。/細田守は十分優秀な監督。自我を強く出す作風だから、時代性とマッチしなかったり、万人受けしないだけ。
今まで考えたことなかったがアニメ監督には共産主義的な思想が必要なのかも
「家族観って、人それぞれ違うじゃないですか。そこまで奥寺さんに背負ってもらうのは、申し訳ない」細田さんの単独脚本のほうがよほど観客に対して申し訳ないという発想はなかったんですね…
『──映画『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵〜』(2005年)では、ハウルの経験が投影されたと』『自分が集めたチームへの未練が、そのまま出た作品〜ファンの方々には、面食らわせてしまったと』これ言って良いんだ
ハウルに戦争要素ぶっこまれてキレてる原作厨なのですが、細田版あったと聞いて別方向で困惑する可能性があったのか……となってる
インタビュー読むと、本人がやりたいことは押井守的な映画で、客が求めてるのは宮崎駿的な映画で、そのギャップで叩かれてる気がするな。見てないけど、スカーレットを押井守が作ったら別に叩かれはしないだろう。
興行に徹することでいい具合に作家性が出るタイプの監督もいるけど、細田守は明らかに違うでしょ。果てしなきスカーレットはむしろやりたいことをやりきれなかったんじゃないかと思う(達成可能だったかはさておき)
“『ハウル』の後には、運送業のバイトをしながら、『おジャ魔女どれみ』やCGの仕事でなんとか生活して、本気で業界を去ろうと思っていた時に、「引きずるな、前へ進むんだ」と言ってもらった。”
「ネットの言葉で傷つく若い世代も多いと思いますけれど、怒りに身を任せない向き合い方がある」いい言葉だな~
男の趣味はいいので脚本を別の人に投げて男性とけもキャラの担当になればいい方だとは前々から思っている。自分の向いてることと需要が一致する方面を認めてしまえばいいのにというか。
「家族観って、人それぞれ違うじゃないですか。そこまで奥寺さんに背負ってもらうのは、申し訳ない。だから、しばらくは自分で書こうと思ったんです」
“僕は宮﨑さんの『ハウル』を見ていない”
ワンピースのアニメ映画としてオマツリ男爵を作る方にコンスタントな娯楽大作製作を期待する、というのがもう結構なすれ違いのようには感じる。なまじ座組とご本人の割り切りがあればできちゃいそうなところも含めて
スポンサーのお金を使って自分の作りたい作品を作れるのは、実力を認められたクリエイターの特権。実力を認められていないクリエイターは自分を殺して観客の観たい作品を作る。細田監督はどっち側かな?
「今回展覧会をするにあたって」だから、インタビュー記事が2つも上がってるのね。描きたい事があっても、巨額を投資したら、興行は成功しないと次の資金が集まらなそう。
“僕は自分が経験したことを、どうしようもなく作品に投影してしまう” ひとつ腑に落ちた。作り続けてほしい。
“自分の失敗としては『果てしなきスカーレット』(2025年)の爆死について思い浮かべる人も多そうですが、あれは完成しているからまだいい。自分の『ハウル』は完成しなかった。人生で一番の挫折です。”
まあ、細田さんの作品として初期案のままでは、興行的に無理かも…という懸念もあったのではないか?それでも宮崎監督が横取りして、自分の趣味全開色になっても、ネームバリューだけで名作になってしまうのもね。
↓『時かけ』じゃなくて『デジモン』がよかったんだよ!w/個人的には初心に戻って「東映アニメ的な低予算劇場アニメ」を作るといいんじゃないかなーとは思ってる(それなら興収も期待されないだろうし)
渋谷で3時間踊り続ける映画ならヒットしたと思う(´・ω・`)
「再起不能だと思った」細田守が語る“完成しなかった幻の『ハウルの動く城』”…バイト生活を経て、『時をかける少女』で再起するまで | 集英社オンライン
私は細田守バージョンの「劇場版ちいかわ」が観たいンダヨ🤔他にも観たい人いる?
ここ数作の作品を見たあとだと、細田版ハウルの結末も、なるべくしてなったように見えてくるなあ
監督自ら「果てしなきスカーレット」を失敗・爆死と発言。完成したハウルの動く城を観ていないことは少し驚いた。
時をかける少女1作品が良かっただけで長年オリジナルアニメ監督を続けられるところが凄いよな… そんな人なかなかいない / 国宝見たけど脚本がTheアニメって感じで、時かけ・サマウォのトリオで作り続ければまだいける
“僕は宮﨑さんの『ハウル』を見ていないので、その答えを知らないんです。でも、違ったんだろうなと思います。”観てしまったら答え合わせしてしまうだろうし
細田さんは自我を捨てないと。最近の作品がいまいちなのは「自分のやりたいこと」を優先させてるから。客の求めてることを優先させないと。
展覧会やってることすらしらなかった…
「僕は自分が経験したことを、どうしようもなく作品に投影してしまう」この年でこんなこと言ってるようじゃアカンな……
めちゃくちゃ好意的に言えば、駿の後釜に据えるには向かない作家性ということ。いや駿も鈴木Pが居なかったらどうなってたか分からんか。ということはハンドリングできるPの有無が駿との差なのかもね
ハウル降板という特大の挫折から時かけで奇跡の復活遂げるの、本物の映画監督のドラマだよな
時かけだけじゃなくサマーウォーズも面白かったんだけど(それ以外は見てない)
えーー、そこで決別?> >「自分に子どもが生まれたこともあって、家族のことがより色濃く作品に入ってくるようになった。家族観って、人それぞれ違うじゃないですか。そこまで奥寺さんに背負ってもらうのは」
ファンも業界人も、みんな宮﨑駿をアニメ原作脚本監督のロールモデルにし過ぎ。あれは外れ値だよ。/細田守は十分優秀な監督。自我を強く出す作風だから、時代性とマッチしなかったり、万人受けしないだけ。
今まで考えたことなかったがアニメ監督には共産主義的な思想が必要なのかも
「家族観って、人それぞれ違うじゃないですか。そこまで奥寺さんに背負ってもらうのは、申し訳ない」細田さんの単独脚本のほうがよほど観客に対して申し訳ないという発想はなかったんですね…
『──映画『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵〜』(2005年)では、ハウルの経験が投影されたと』『自分が集めたチームへの未練が、そのまま出た作品〜ファンの方々には、面食らわせてしまったと』これ言って良いんだ
ハウルに戦争要素ぶっこまれてキレてる原作厨なのですが、細田版あったと聞いて別方向で困惑する可能性があったのか……となってる
インタビュー読むと、本人がやりたいことは押井守的な映画で、客が求めてるのは宮崎駿的な映画で、そのギャップで叩かれてる気がするな。見てないけど、スカーレットを押井守が作ったら別に叩かれはしないだろう。
興行に徹することでいい具合に作家性が出るタイプの監督もいるけど、細田守は明らかに違うでしょ。果てしなきスカーレットはむしろやりたいことをやりきれなかったんじゃないかと思う(達成可能だったかはさておき)
“『ハウル』の後には、運送業のバイトをしながら、『おジャ魔女どれみ』やCGの仕事でなんとか生活して、本気で業界を去ろうと思っていた時に、「引きずるな、前へ進むんだ」と言ってもらった。”
「ネットの言葉で傷つく若い世代も多いと思いますけれど、怒りに身を任せない向き合い方がある」いい言葉だな~
男の趣味はいいので脚本を別の人に投げて男性とけもキャラの担当になればいい方だとは前々から思っている。自分の向いてることと需要が一致する方面を認めてしまえばいいのにというか。
「家族観って、人それぞれ違うじゃないですか。そこまで奥寺さんに背負ってもらうのは、申し訳ない。だから、しばらくは自分で書こうと思ったんです」
“僕は宮﨑さんの『ハウル』を見ていない”
ワンピースのアニメ映画としてオマツリ男爵を作る方にコンスタントな娯楽大作製作を期待する、というのがもう結構なすれ違いのようには感じる。なまじ座組とご本人の割り切りがあればできちゃいそうなところも含めて
スポンサーのお金を使って自分の作りたい作品を作れるのは、実力を認められたクリエイターの特権。実力を認められていないクリエイターは自分を殺して観客の観たい作品を作る。細田監督はどっち側かな?
「今回展覧会をするにあたって」だから、インタビュー記事が2つも上がってるのね。描きたい事があっても、巨額を投資したら、興行は成功しないと次の資金が集まらなそう。
“僕は自分が経験したことを、どうしようもなく作品に投影してしまう” ひとつ腑に落ちた。作り続けてほしい。
“自分の失敗としては『果てしなきスカーレット』(2025年)の爆死について思い浮かべる人も多そうですが、あれは完成しているからまだいい。自分の『ハウル』は完成しなかった。人生で一番の挫折です。”
まあ、細田さんの作品として初期案のままでは、興行的に無理かも…という懸念もあったのではないか?それでも宮崎監督が横取りして、自分の趣味全開色になっても、ネームバリューだけで名作になってしまうのもね。
↓『時かけ』じゃなくて『デジモン』がよかったんだよ!w/個人的には初心に戻って「東映アニメ的な低予算劇場アニメ」を作るといいんじゃないかなーとは思ってる(それなら興収も期待されないだろうし)
渋谷で3時間踊り続ける映画ならヒットしたと思う(´・ω・`)