映画見てきた。映画の感想と中村とうようへの感想が同じだ笑。他の兄弟のエピソードないのは寂しかったがいい映画だった。
聖飢魔IIと和解したBurrn!との違い
「公の文章で実名を出して評論やレビューを書いたことのある人はそういう覚悟をもっていたはず」。安全圏から発言していたのは中村とうようも同じだ。外国のミュージシャンをどう罵倒しても訴えられる心配ないからね
評論は勝手に好きなことを言うものなので、そう表明してやるのは一貫性がある。ただ、対象だって評論されるために作ってるわけじゃない。好きにやるだろう。匿名と顕名はあんまり関係ないかなって思う
IMAXはiMaxではない
同じくマイケルジャクソンをはじめとした、いわゆるMTVミュージックを80年代の主流の音楽だとする歴史修正主義には辟易してる。
まあ件のレビューは評論でもなんでもないイタいだけの逆張り悪口にしか見えなかったけどね。評論というならちゃんと評論してくださいとしか。
保守的な評論家は新しい価値に対応できないとも読める。保守的なリスナーにとっては参考になるだろうけど
「あるべき黒人(音楽)の姿」←今でも、音楽以外で無意識にこういう考え残ってると思うわ。
甥っ子が憧れたマイケルの作品としてみたらいいと思う。ルーツを解明するドラマではないだろう。
“昔言ってたことと全然違うじゃないか」と問い詰められても「昔はそう思ってたけど、今は違う」と返すしかない”
https://www.youtube.com/watch?v=sPycdWqtV8k 映画『マイケル』2回目以降を観るなら、この日本一のマイケルオタもとい研究家の西寺先生の動画を観た方がいいです。自分はAtmosとIMAXと西寺先生の副音声解説付きの三回は行く予定。
レビュアーには「確固たる信念」を持ってもらったほうが有り難い。 基本的にはこの人が褒めてるから聞いてみようなんだけど、この人がけなしてるから俺には刺さるはず、ってのもある。
ひー!「たとえば彼はヒップホップをほぼ全否定してて、5年後10年後には跡形もなく消え去っている、と断言した。結果論から言えば完全にそれは間違いだった」「失望した彼は……積極的に発言することをやめてしまった
ミュージシャンからは評判悪かったとしても(石野卓球はやめろと何度か言っていた)、いちリスナーとしては、結構参考になったのよあれ。少なくともロッキンオンの名盤だらけレビューよりもよっぽど役に立った。
自分の意見に責任を持ち尖ってハッキリ意見を言うこと、になっていないよ。お気持ち。売れる分析も無く否定理由も感情的で批評ではない。好みの外側にあるのが批評。とにかく若手を腐す演歌好きのおじいちゃんと同じ
それは評論家ではなく狂信者。
批評全般についてのいい文章だと思ったが、くだんの中村とうようはじめ四人のクロスレビューはアーティストへのリスペクトもクソもない駄文で、プロの仕事の水準に達していない
"少なくとも今のノーリスクな匿名SNSで、当時の状況も、書いた人がどんな評論活動をしてきたか知りもせず、ただ表面的な文面だけで44年前の文章をあげつらうような連中の10000倍は立派"→ブコメがすでにこれのひとがいて
保守的というか「原理主義的」よね。ただその種の「原理」なしに評論などする意味もない。売上・ストリーミングランキングでいいじゃんってなるし、現に今はそうなってる。
ちゃんと芯食った批判が出来てるなら0点でもいいとは思うけど、あんなん批評のレベルとして見ても下の下では
大衆は70年代が求めた賢さに辟易して80年代は米国がバカ(オジー、D.L.ロス等)、英国が奇人を求めた。マイケルも賢いWallからThrillerではバカに振ってきた。そこをとうよう等、70年代の評論家は分からなかった。
ScreenXで見た。音響もだけど270度投影は映像の切れ目があっても面白い。本編は「あれを1980年代初頭からやってたなら革新的」とは思ったし、今のライブパフォーマンスの原点とも思った
“彼には「音楽はこうあるべきだ」という確固たる信念があった。ヒップホップを全否定してて、10年後には跡形もなく消え去っている、と断言した。間違いだった。失望した彼は晩年、積極的に発言することをやめた”
私たちは差別主義者の中村とうようとミュージックマガジンを絶対に許さない
iMaxで草。ネタなのか判断がつかない。アイなんとかイコールApple製品というコンテクストが身についているのか
結果的に雑誌は廃れ音楽評論家は力を失い、マイケルは不動の人気を得て映画化されてるのも皮肉なものですね。
「とうようがズレたのは『85年を境にロック(モータウンや黒人音楽を含む)が音楽から見世物になった』が認識できなかったから」と書いたとおり。プラットフォームそのものが替わり「参加型(素人芸に逆戻り」になった
“「アフリカン・アメリカンの音楽はこうあるべきだ」という確固たる信念があったから”それは一介の東洋人が勝手に決めて、そこから外れたら微塵の敬意も払うことなく酷評していい類のことではないのでは。
“「音楽に点数をつけるなんてケシカラン」という意見”個人の批評を嫌って、結局売上が支配するようになった
評論家のポジショントークも含むけれど、とうよう氏のやつは、外野がブラックミュージックの定義をしちゃう危うさが今となってはあるよな。それこそ文化盗用みたいな
個人的な批評としては尊重するけど、プリンスは黒人音楽の文脈で何かを語るべきポジションではないと思うし、ヒップホップはそれまでの黒人音楽のファンクの部分を凝縮したものと捉えてるので全く共感はできない。
点数評価等は「主観」(自分は好きだ/嫌いだ)と「客観」(皆にとって価値がある/価値が無い)のどちらの立場で言っているのかハッキリしていれば良いとは思います。後者は皆を代弁しようとした責任と引き換えなので
iMaxって何だよ、Apple製品か?
“点数をつけることで意見や態度をはっきりさせる、ということ。”
映画『マイケル』の感想と、ミュージックマガジンのクロスレビュー「中村とうよう0点」について思うこと、個人的な思い出。|小野島 大
映画見てきた。映画の感想と中村とうようへの感想が同じだ笑。他の兄弟のエピソードないのは寂しかったがいい映画だった。
聖飢魔IIと和解したBurrn!との違い
「公の文章で実名を出して評論やレビューを書いたことのある人はそういう覚悟をもっていたはず」。安全圏から発言していたのは中村とうようも同じだ。外国のミュージシャンをどう罵倒しても訴えられる心配ないからね
評論は勝手に好きなことを言うものなので、そう表明してやるのは一貫性がある。ただ、対象だって評論されるために作ってるわけじゃない。好きにやるだろう。匿名と顕名はあんまり関係ないかなって思う
IMAXはiMaxではない
同じくマイケルジャクソンをはじめとした、いわゆるMTVミュージックを80年代の主流の音楽だとする歴史修正主義には辟易してる。
まあ件のレビューは評論でもなんでもないイタいだけの逆張り悪口にしか見えなかったけどね。評論というならちゃんと評論してくださいとしか。
保守的な評論家は新しい価値に対応できないとも読める。保守的なリスナーにとっては参考になるだろうけど
「あるべき黒人(音楽)の姿」←今でも、音楽以外で無意識にこういう考え残ってると思うわ。
甥っ子が憧れたマイケルの作品としてみたらいいと思う。ルーツを解明するドラマではないだろう。
“昔言ってたことと全然違うじゃないか」と問い詰められても「昔はそう思ってたけど、今は違う」と返すしかない”
https://www.youtube.com/watch?v=sPycdWqtV8k 映画『マイケル』2回目以降を観るなら、この日本一のマイケルオタもとい研究家の西寺先生の動画を観た方がいいです。自分はAtmosとIMAXと西寺先生の副音声解説付きの三回は行く予定。
レビュアーには「確固たる信念」を持ってもらったほうが有り難い。 基本的にはこの人が褒めてるから聞いてみようなんだけど、この人がけなしてるから俺には刺さるはず、ってのもある。
ひー!「たとえば彼はヒップホップをほぼ全否定してて、5年後10年後には跡形もなく消え去っている、と断言した。結果論から言えば完全にそれは間違いだった」「失望した彼は……積極的に発言することをやめてしまった
ミュージシャンからは評判悪かったとしても(石野卓球はやめろと何度か言っていた)、いちリスナーとしては、結構参考になったのよあれ。少なくともロッキンオンの名盤だらけレビューよりもよっぽど役に立った。
自分の意見に責任を持ち尖ってハッキリ意見を言うこと、になっていないよ。お気持ち。売れる分析も無く否定理由も感情的で批評ではない。好みの外側にあるのが批評。とにかく若手を腐す演歌好きのおじいちゃんと同じ
それは評論家ではなく狂信者。
批評全般についてのいい文章だと思ったが、くだんの中村とうようはじめ四人のクロスレビューはアーティストへのリスペクトもクソもない駄文で、プロの仕事の水準に達していない
"少なくとも今のノーリスクな匿名SNSで、当時の状況も、書いた人がどんな評論活動をしてきたか知りもせず、ただ表面的な文面だけで44年前の文章をあげつらうような連中の10000倍は立派"→ブコメがすでにこれのひとがいて
保守的というか「原理主義的」よね。ただその種の「原理」なしに評論などする意味もない。売上・ストリーミングランキングでいいじゃんってなるし、現に今はそうなってる。
ちゃんと芯食った批判が出来てるなら0点でもいいとは思うけど、あんなん批評のレベルとして見ても下の下では
大衆は70年代が求めた賢さに辟易して80年代は米国がバカ(オジー、D.L.ロス等)、英国が奇人を求めた。マイケルも賢いWallからThrillerではバカに振ってきた。そこをとうよう等、70年代の評論家は分からなかった。
ScreenXで見た。音響もだけど270度投影は映像の切れ目があっても面白い。本編は「あれを1980年代初頭からやってたなら革新的」とは思ったし、今のライブパフォーマンスの原点とも思った
“彼には「音楽はこうあるべきだ」という確固たる信念があった。ヒップホップを全否定してて、10年後には跡形もなく消え去っている、と断言した。間違いだった。失望した彼は晩年、積極的に発言することをやめた”
私たちは差別主義者の中村とうようとミュージックマガジンを絶対に許さない
iMaxで草。ネタなのか判断がつかない。アイなんとかイコールApple製品というコンテクストが身についているのか
結果的に雑誌は廃れ音楽評論家は力を失い、マイケルは不動の人気を得て映画化されてるのも皮肉なものですね。
「とうようがズレたのは『85年を境にロック(モータウンや黒人音楽を含む)が音楽から見世物になった』が認識できなかったから」と書いたとおり。プラットフォームそのものが替わり「参加型(素人芸に逆戻り」になった
“「アフリカン・アメリカンの音楽はこうあるべきだ」という確固たる信念があったから”それは一介の東洋人が勝手に決めて、そこから外れたら微塵の敬意も払うことなく酷評していい類のことではないのでは。
“「音楽に点数をつけるなんてケシカラン」という意見”個人の批評を嫌って、結局売上が支配するようになった
評論家のポジショントークも含むけれど、とうよう氏のやつは、外野がブラックミュージックの定義をしちゃう危うさが今となってはあるよな。それこそ文化盗用みたいな
個人的な批評としては尊重するけど、プリンスは黒人音楽の文脈で何かを語るべきポジションではないと思うし、ヒップホップはそれまでの黒人音楽のファンクの部分を凝縮したものと捉えてるので全く共感はできない。
点数評価等は「主観」(自分は好きだ/嫌いだ)と「客観」(皆にとって価値がある/価値が無い)のどちらの立場で言っているのかハッキリしていれば良いとは思います。後者は皆を代弁しようとした責任と引き換えなので
iMaxって何だよ、Apple製品か?
“点数をつけることで意見や態度をはっきりさせる、ということ。”