SNS映えする新海と文脈が必要な細田って分析は納得 結局今のオタクは考えるより感じたいだけなんだろうな 批評よりバズりが正義の時代は世知辛いね
作家性というより、社会のことを知らないのに臆面もなく知ったかぶりをしてるかどうかの差じゃないですかね。もっと言うと「こいつ馬鹿だな」と思われるかどうか。
案外どっちも自分で好きなもの作れているからもうそれでいいのだ 多少ビジネス的しがらみはあるにしても他よりマシ
新海は変態で細田は変人かなあ。変人の方が見るに耐える。
国宝の奥寺佐渡子さんの脚本ありきだった初期に大絶賛された細田守作品。逆に奥寺さんを追放した後はオナニー全開で全部低評価に落ち着いたのを見ると細田監督にゼロからシナリオを作るのは無理なんだよな。
多くの方が悩みながら作りあげていく。
メッセージ性の強さでも新海が圧倒的だろ。天気の子で「セカイに迷惑かけてでも己を貫いてもいい」といい、すずめで「自分を救うのは自分」といい、かなり強い一方、細田は誰に何が言いたいのかわからない。本当に。
作品をヒットさせようとしている新海監督と、作りたい作品を作っている細田監督の差という印象。「未来のミライ」なんてヒットさせる気ゼロとしか思えない。
細田は原作ありじゃないと駄目なのにオリジナルに拘ったから落ちた。デジモン映画の時がピーク
スカーレットに過去作のヒロインって出てたっけ…?ハムレットがベースにはなってたけど。/予告の話か
田舎に逃げるのが新海誠、田舎を逃げるのが細田守。動きにこだわるのが新海誠、背景にこだわるのが細田守。家族を大事にするのが新海誠、個人を大事にするのが細田守。ゴシック体が新海誠、明朝体が細田守。全然違う
作家の新海氏とあくまで演出家の細田氏という違い。演出家としては素晴らしいが本来作家性を求める人ではない。
違いは脚本だっていってなかった?
ポニョ以前の宮崎駿作品みたいにタイトルに「✕✕の✕✕」みたいに「の」を入れるヒット作の法則を細田守は止めた差が出たのでは?スカーレットも『煉獄のスカーレット』とかにすれば爆死回避できてたかもよw
細田はハヤオのヒットの法則を真似ようとして失敗している感じがする。
お二方とも、脚本・演出に金を積んで外注した方がいいのでは、と思ってしまうが、作家性はそれを阻みそう。
↓「過去作のヒロインを登場させる」は、映画本編ではなくプロモーション(予告)のことですね https://www.youtube.com/watch?v=AIsVWhu4_Hs 公開後の入場特典も「歴代ヒロインミニ色紙」だったり https://anime.eiga.com/news/125333/
そりゃ別の人だから差は出るでしょ。
本人がインタビューでも言っていたが新海は「言の葉の庭」から脚本のコツがわかったようで急激に質が良くなり「天気の子」につながった。細田は奥寺がいなくなってからまるで成長していない……
差が出たとはいっても、細田守も前までは儲かってたしな。新海誠レベルに売れてないとはいえ、採算は取れてた。まあ、最新作で大変な目にあったわけだけど。
生成AIに画風をコピーされ過ぎたのが新海誠の次回作の評判に悪影響するじゃないかとちょっと心配してる
作家性に差が出て当たり前なのでは?日本国民全員がジブリアニメが好きなわけでもないだろうし
「ほしのこえ」で原案も脚本も作画も自分でやった自主制作アニメでデビューした新海と、版権作の映画化(脚本は他の人)で人気になった細田を並べるのがそもそもおかしい。(上下ではなく種類が違う)
純文学みたいと評された新海誠にエンターテイメントの才があり、エンタメ路線で劇場デビューした細田守が文学性を高めていくのは面白いな
果てしなきスカーレットの興行成績は、新海映画よりプペルと比べられるべき水準だからな…。
いや、新海誠も「すずめの戸締まり」かなり危うげだったから。ダイジンの「自分から申し出て人柱になった子供」とかいかにも細田が好みそうなご都合設定だから。
どっちも見てない俺から言わせてもらうと、どっちも創作臭が出過ぎとるわ。ミケランジェロは『大理石の中に天使を見たので、天使を自由にするために彫った』と言ったが、100年残る作品作りたきゃ地層から掘り出せ。
一度は「才能がある」と言われた監督がどんどん枯れていくな。山崎貴といい細田守といい。まあ、映画なんて総合芸術だから、足りないところは誰かが補えば良いんだよ。宮崎駿の背中を見すぎてはダメだ。
細田は好きに作ってるんだから良いじゃん。次も果てしなきスカーレットみたいなコケかたしたらもうソニー、日テレ、東宝から脚本は他に任せろとかスクリプト・ドクター付けろって言われるだろうけど
“ファンが欲し、感想を書いたりファンアートを作りたくなるもの(生成)が最も重要で、作家の見せたいもの(計画)は二の次ということになる。実際、推し活全盛のアニメ市場で勝つのは、ユーザーの欲望に最適化”
『批評の不在』批評は同意しかねるが、両者がもし漫画家として連載してたらどちらも打ち切り作家だったとは思う。アニメ映画監督って層が薄いせいか作家性以前のところで躓いてるようにみえる。
批評は必要だが批評の機能なんて結果論だろ。お前みたいなのが一番要らねーんだよ
こんな煽り気味のタイトルからの「断っておくが〜」のエクスキューズは無いでしょう
人がちがうのだから作家性に差があるのは当たり前だろう。バカバカしい。
脚本を自分で書けるか書けないかの違いじゃないかな?
ストーリー面での作家性を比較する事に意味は無い。興行成績で比較出来るのはエンタメ性のほうだろう。
一応バイクと車を比べるような愚行ではあるよ。差とかポスト宮崎駿とか言ってんのも評論家だけ。
細田の人気作品の脚本は奥寺佐渡子である。細田自身はワンピースをホラー映画にする。
新海監督は以前から自分で脚本を書いて評価されてきたが、細田監督は自分で脚本を書くようになってから評価が下がってる。その違いかなぁ。
我を通すか、他の人に軌道修整してもらうかでないかね
“スケールある大作を求められる商業的ポジションを担うことになったのは不幸なことかもしれない” これは本当にそう。
慢心、環境の違い
テーマとかメッセージ(物語構成力)がないんだろ。「調査取材経験なし。伝えたい言いたいことがない人(アニメーター、カメラマン、CG屋)」が映画作ると詰む。物語の能力がない人は脚本はプロに任せよう。
紋切り型のメッセージ性ではなく、単に感情曲線のコンロールで結果的にメッセージ性のようなモノを勝手に見ているだけではないだろうか。細田守は「映画」を作ろうとしている。うまくいっているかは疑問だが。
新海誠も東宝が付いたとたんに200億円監督になってしまった訳で/一方の細田さんはもう少しいいプロデューサーと脚本家を付けるべきだと思う
モチーフとかテーマとか、何を下らないことを言ってるんだ?そんなもん、「面白い脚本(お話)を書けるかどうか」が全てだろう。実際の作品を見てそれが解らないなら、娯楽を見る目がないだけだ
記事は読んでないけど、「それは気持ち悪い」と言ってくれるプロデューサーの有無が大きいのかしらと思ったり。
細田守、どうもこの人は作画演出が本来いるべきところで監督には向かない人なんじゃないか感が。何を描くかで客に訴求できる能力は監督には必要だけど持ってないつーか
差が出て当たり前では
細田はショタ
プペル1 >> 果てスカ > プペル2という悲しき現実
シンカイ(性欲異常者)とホソダ(おぼこ)ではソースのボルテージが違うんよ。元より爆音のシンカイは出力を抑えに抑えれば一般向けに出来るが、一般に届けるには増圧が必要なホソダはノイズが気になりすぎる。
大衆受けから逃れられなくなった新海と好きにやってる細田ではどっちが幸せなんだろうな。
君の名は。で新海誠は作画を手放し、注文を付ける人が付き化けた。その成婚体験から、震災を扱えば感動を作れると思っている節がある。その後はテーマの筋が通ってないし、勢いもない。細田守はノットフォーミー。
SNSでの評価なんてごくごく短期の一過性のもので気にする必要はない。新海は興行的に成功してもマニアに評価されることが少なくなったし、細田はTVアニメを作らなくなって商業的な成功を放棄してるように見える。
新海は多くの人に挿さる作品を自主制作で作り続けて、星を追う子供でジブリのマネして失敗してどんぞこになったあと、脚本の作り方に誠実に向き合った。演出、撮影の名手でもあり、演出家の細田とはレベルが違う。
え?同じ作家性の人だらけがいいの?
そんな現時点での結果論で語られてもなあ、監督作はずっとリアルタイムで追ってるけど15年前とかに同じ事言えたかよって(サマーウォーズとか秒速5センチの頃)
オリジナルの壁、ボクには難しすぎて、にゃ。
俺独自の嗅覚が働いてというわけでも何でもないけど「バケモノの子」を最後に映画館には見に行ってないよw
新海さんもぜんぶうまくいったというわけでないのでそれぞれこれからだと思う。それはそれとして新海さんといえば彼女と彼女の猫、短いから見てみてほしい。 https://www.youtube.com/watch?v=8-ANtYTLMIY
スカーレットは頭がおかしくなりそうになった、これで何がOKだと思ってるのか、正気なのか、酷い学生作品を見てる気分になりたい方におすすめです
ポスト宮崎駿という幻想がこの二者比較を正当化している/すずめの戸締まりに強く心動かされた身としては、すずめに君の名は級のヒットしてほしかった気持ちはある…災害三部作の集大成なのは間違いなかったので
新海誠と細田守は、属性も作家性も何もかも違うので、比較しようとするのがそもそも的外れ。メジャー配給のアニメやってるしか共通点がないのに乱暴。それに出自見ればわかるが新海誠のほうが本来はマイナー志向だよ
川村元気がいるかいないかの差じゃん。本人の作家性なら細田の方が出せてるでしょ
新海誠は周りの意見も聞く人なんじゃないかな。初期作から天気の子まであったフェチなペド感がすずめでなくなり、家族で見に行きやすくなった。間口が広がったのでは。自分の子育て経験で学びを得たのかもだが。
新海さんは自分と同じ長野の山奥育ちの人だから応援してる
細田守は自分の脚本家のセンス、才能の無さを認めないのが不快。自己顕示欲の塊か?ビジネス、プロの世界なんだから上手いヤツに任せろよと。自分がやりたいだけなら同人アニメ・マンガ・小説とかでやれよと思う。
舞台の演劇を観ているかどうかだろうなぁ。舞台って大小の規模関係なくいい脚本がある(もちろん駄作もある)。TVやハリウッド映画しか見てない人が新海さんの舞台系の脚本に触れると度肝を抜かれるかと。
細田守の失敗って、作画担当しかしてこなかった漫画家が慢心からオリジナルに手を出して、連載打ち切りになるようなものだよな。
細田監督は美大出身の漫画家がよく言われる絵がうまいだけってやつのアニメ版。原作がついてたころはよかったけど。
このライターの若者文化叩きてえ〜〜って気持ちは新海誠の作家性と同じくらいビンビンに伝わるぜ
細田守に関して言えば、作品を作る上で煮詰まると、自分が経験した事を作品に反映させる傾向があるので、それに共感しにくいところはある。新海誠はメタ認知して作っている感じがする。
作家性の前に脚本力の差が…細田の新作は脚本諦めない限り観る気しない/新海も災害三部作は川村元気作品な気がする。「君の名は。」のラスト再会は新海作品なら絶対すれ違いだろって違和感が未だにある
「細田守は人の営みのこまやかさを描く文芸作品タイプ」って、そうか? あいつの描く人間の営為、ご都合主義で雑じゃね?
新海はプロデューサーの言う事聞いてるから
川村元気でブーストされてる新海誠と奥寺を失って迷走してる細田で、商業映画として新海誠が圧倒的なのは当然だが作家としてどっちが良いかは微妙なところだな...
細田守の作家性だと思ってたものは脚本の奥寺さんのもので、ノイズだと思っていた部分が細田守のものだった
一貫して脚本を書いているか、そうでないかの違いでは?オリジナル脚本になってからの細田作品はもう見るのもしんどい。なにより説教くさい。
細田の獣姦性癖じゃ大衆性は得られないけど、新海誠のNTR性癖は失恋としては現実性があるからギリ大衆性が得られる。そして細田はプロデューサーに勝てちゃうのでマーケティングに背いてしまいがち。
「細田守個人の問題ではなく商業的な要請と作家性のねじれであり批評が弱い現状の構造的な軋轢である」的確だと思う。ビジネスと作家性を調整をするプロデューサーが必要なんだけど機能していないように感じる
秒速5センチメートル見たプロデューサーが、新海誠に厨二病路線を辞めるように進言して路線変更したって話しじゃなかったかな。
ブコメ読んでると、みんな細田守をそんなにイジメないであげて!新海誠みたいな田舎のガチボンボンと違ってガチな苦労人なんだから!って気持ちになる。だからといって細田守作品の良さを語る気にもならない。
細田守が失敗してるのは、本質的に人間に興味がないくせに人間ドラマばかり撮るから。アニメは上手いので『時をかける少女』のように中身カラッポの可愛い記号的JKを出してガチャガチャ動かせば成功するよ
アニメ監督はいい画作りに専念してストーリーは上手で大衆向けを意識できるプロデューサーや脚本家に任せた方がいいのはあるよな。
"『果てしなきスカーレット』は、これまでとはビジュアルもガラリと変わり" (本当に粗雑な戯言なんですが、最下層ファンとしてはあのビジュアルで一部の客を逃したんじゃないかと心配してるのです。)
“作家性”なんて監督ごとに違って当然だろ、なんなら作品ごとに違うだろ、としか。面白いと思わせるプロモーションができて本当に面白ければ興収的に成功するし、どこかでうまくいかなければ失敗する。
細田監督はアニメーションは良いよ。竜とそばかすの姫のミュージックビデオ感はとても良かった。中村佳穂さんの起用も良かったし、CMだけで見に行きたいと思えた。脚本のセンスが絶望的に無いだけ。
“選ばれる世界が多彩なのでその一貫性は新海に比べて伝わりにくく、人によっては迷走に映るかもしれない。”客が馬鹿だって罵倒飛ばして悦に入ってまた大コケ作品作って日テレに大恥かかせてくれよな!頑張れ細田!
作家性に差が出なきゃおかしいし、そもそも2人の作家性を比べる意味が分かりません。
ビジネス的においしいかどうかだけで映画監督を値踏みするような記事。日本にいくらでもいる細田守より売れてないアニメ作家の立場がない
新海監督が災害×ボーイミーツガールの次をどう切り開いていくのかには関心がある
海外映画祭などで評価されてることを見るに細田は"玄人受け"ポジに座るべき人だったのだろうけどゼロ年代に売れすぎて目だってしまったのが良くなかったのかな/ポスト宮崎駿が求められた時期でもある
面白かった。冒頭にある通り商業アニメ映画の批評性の薄さ、日本のアニメ監督の作家性のフックアップの難しさに抵抗してる記事。第1回も併せて読むともくろみがわかりやすいよ⇒https://realsound.jp/movie/2026/04/post-2355693.html
> 日本の商業アニメには批評の層が薄く、本来的な意味での「作家」が成立しにくい 他者からの評価という意味で、現代は昔よりむしろより多数の批評にさらされている。批評家という権威はもう役割を終えたと思うよ
作家性とか作品のテーマに優劣のある問題じゃないし、プロデュース側と監督個人がどこまで折り合えるか・どこまで監督が我を通すかのパワーバランス次第で、通した我が軌道修正できなきゃ失敗も成功も監督の責任だろ
↓初回の前振りを読んでない人が多いんだな>https://realsound.jp/movie/2026/04/post-2355693.html /今の時代にヒットしやすい構造を計画した作品といえば『超かぐや姫!』とかね(そのうち連載で取りあげそう)
はてなで細田守と言えばこれ。https://anond.hatelabo.jp/20190713004919
細田は脚本家がいなくなったからは言いがかりだよ、奥寺さんがいた頃から現在の細田作品と同様なタイプに批判はあった
新海誠と細田守の“作家性”はなぜ差が出た? オリジナルアニメ映画がSNS時代に直面する壁
SNS映えする新海と文脈が必要な細田って分析は納得 結局今のオタクは考えるより感じたいだけなんだろうな 批評よりバズりが正義の時代は世知辛いね
作家性というより、社会のことを知らないのに臆面もなく知ったかぶりをしてるかどうかの差じゃないですかね。もっと言うと「こいつ馬鹿だな」と思われるかどうか。
案外どっちも自分で好きなもの作れているからもうそれでいいのだ 多少ビジネス的しがらみはあるにしても他よりマシ
新海は変態で細田は変人かなあ。変人の方が見るに耐える。
国宝の奥寺佐渡子さんの脚本ありきだった初期に大絶賛された細田守作品。逆に奥寺さんを追放した後はオナニー全開で全部低評価に落ち着いたのを見ると細田監督にゼロからシナリオを作るのは無理なんだよな。
多くの方が悩みながら作りあげていく。
メッセージ性の強さでも新海が圧倒的だろ。天気の子で「セカイに迷惑かけてでも己を貫いてもいい」といい、すずめで「自分を救うのは自分」といい、かなり強い一方、細田は誰に何が言いたいのかわからない。本当に。
作品をヒットさせようとしている新海監督と、作りたい作品を作っている細田監督の差という印象。「未来のミライ」なんてヒットさせる気ゼロとしか思えない。
細田は原作ありじゃないと駄目なのにオリジナルに拘ったから落ちた。デジモン映画の時がピーク
スカーレットに過去作のヒロインって出てたっけ…?ハムレットがベースにはなってたけど。/予告の話か
田舎に逃げるのが新海誠、田舎を逃げるのが細田守。動きにこだわるのが新海誠、背景にこだわるのが細田守。家族を大事にするのが新海誠、個人を大事にするのが細田守。ゴシック体が新海誠、明朝体が細田守。全然違う
作家の新海氏とあくまで演出家の細田氏という違い。演出家としては素晴らしいが本来作家性を求める人ではない。
違いは脚本だっていってなかった?
ポニョ以前の宮崎駿作品みたいにタイトルに「✕✕の✕✕」みたいに「の」を入れるヒット作の法則を細田守は止めた差が出たのでは?スカーレットも『煉獄のスカーレット』とかにすれば爆死回避できてたかもよw
細田はハヤオのヒットの法則を真似ようとして失敗している感じがする。
お二方とも、脚本・演出に金を積んで外注した方がいいのでは、と思ってしまうが、作家性はそれを阻みそう。
↓「過去作のヒロインを登場させる」は、映画本編ではなくプロモーション(予告)のことですね https://www.youtube.com/watch?v=AIsVWhu4_Hs 公開後の入場特典も「歴代ヒロインミニ色紙」だったり https://anime.eiga.com/news/125333/
そりゃ別の人だから差は出るでしょ。
本人がインタビューでも言っていたが新海は「言の葉の庭」から脚本のコツがわかったようで急激に質が良くなり「天気の子」につながった。細田は奥寺がいなくなってからまるで成長していない……
差が出たとはいっても、細田守も前までは儲かってたしな。新海誠レベルに売れてないとはいえ、採算は取れてた。まあ、最新作で大変な目にあったわけだけど。
生成AIに画風をコピーされ過ぎたのが新海誠の次回作の評判に悪影響するじゃないかとちょっと心配してる
作家性に差が出て当たり前なのでは?日本国民全員がジブリアニメが好きなわけでもないだろうし
「ほしのこえ」で原案も脚本も作画も自分でやった自主制作アニメでデビューした新海と、版権作の映画化(脚本は他の人)で人気になった細田を並べるのがそもそもおかしい。(上下ではなく種類が違う)
純文学みたいと評された新海誠にエンターテイメントの才があり、エンタメ路線で劇場デビューした細田守が文学性を高めていくのは面白いな
果てしなきスカーレットの興行成績は、新海映画よりプペルと比べられるべき水準だからな…。
いや、新海誠も「すずめの戸締まり」かなり危うげだったから。ダイジンの「自分から申し出て人柱になった子供」とかいかにも細田が好みそうなご都合設定だから。
どっちも見てない俺から言わせてもらうと、どっちも創作臭が出過ぎとるわ。ミケランジェロは『大理石の中に天使を見たので、天使を自由にするために彫った』と言ったが、100年残る作品作りたきゃ地層から掘り出せ。
一度は「才能がある」と言われた監督がどんどん枯れていくな。山崎貴といい細田守といい。まあ、映画なんて総合芸術だから、足りないところは誰かが補えば良いんだよ。宮崎駿の背中を見すぎてはダメだ。
細田は好きに作ってるんだから良いじゃん。次も果てしなきスカーレットみたいなコケかたしたらもうソニー、日テレ、東宝から脚本は他に任せろとかスクリプト・ドクター付けろって言われるだろうけど
“ファンが欲し、感想を書いたりファンアートを作りたくなるもの(生成)が最も重要で、作家の見せたいもの(計画)は二の次ということになる。実際、推し活全盛のアニメ市場で勝つのは、ユーザーの欲望に最適化”
『批評の不在』批評は同意しかねるが、両者がもし漫画家として連載してたらどちらも打ち切り作家だったとは思う。アニメ映画監督って層が薄いせいか作家性以前のところで躓いてるようにみえる。
批評は必要だが批評の機能なんて結果論だろ。お前みたいなのが一番要らねーんだよ
こんな煽り気味のタイトルからの「断っておくが〜」のエクスキューズは無いでしょう
人がちがうのだから作家性に差があるのは当たり前だろう。バカバカしい。
脚本を自分で書けるか書けないかの違いじゃないかな?
ストーリー面での作家性を比較する事に意味は無い。興行成績で比較出来るのはエンタメ性のほうだろう。
一応バイクと車を比べるような愚行ではあるよ。差とかポスト宮崎駿とか言ってんのも評論家だけ。
細田の人気作品の脚本は奥寺佐渡子である。細田自身はワンピースをホラー映画にする。
新海監督は以前から自分で脚本を書いて評価されてきたが、細田監督は自分で脚本を書くようになってから評価が下がってる。その違いかなぁ。
我を通すか、他の人に軌道修整してもらうかでないかね
“スケールある大作を求められる商業的ポジションを担うことになったのは不幸なことかもしれない” これは本当にそう。
慢心、環境の違い
テーマとかメッセージ(物語構成力)がないんだろ。「調査取材経験なし。伝えたい言いたいことがない人(アニメーター、カメラマン、CG屋)」が映画作ると詰む。物語の能力がない人は脚本はプロに任せよう。
紋切り型のメッセージ性ではなく、単に感情曲線のコンロールで結果的にメッセージ性のようなモノを勝手に見ているだけではないだろうか。細田守は「映画」を作ろうとしている。うまくいっているかは疑問だが。
新海誠も東宝が付いたとたんに200億円監督になってしまった訳で/一方の細田さんはもう少しいいプロデューサーと脚本家を付けるべきだと思う
モチーフとかテーマとか、何を下らないことを言ってるんだ?そんなもん、「面白い脚本(お話)を書けるかどうか」が全てだろう。実際の作品を見てそれが解らないなら、娯楽を見る目がないだけだ
記事は読んでないけど、「それは気持ち悪い」と言ってくれるプロデューサーの有無が大きいのかしらと思ったり。
細田守、どうもこの人は作画演出が本来いるべきところで監督には向かない人なんじゃないか感が。何を描くかで客に訴求できる能力は監督には必要だけど持ってないつーか
差が出て当たり前では
細田はショタ
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シンカイ(性欲異常者)とホソダ(おぼこ)ではソースのボルテージが違うんよ。元より爆音のシンカイは出力を抑えに抑えれば一般向けに出来るが、一般に届けるには増圧が必要なホソダはノイズが気になりすぎる。
大衆受けから逃れられなくなった新海と好きにやってる細田ではどっちが幸せなんだろうな。
君の名は。で新海誠は作画を手放し、注文を付ける人が付き化けた。その成婚体験から、震災を扱えば感動を作れると思っている節がある。その後はテーマの筋が通ってないし、勢いもない。細田守はノットフォーミー。
SNSでの評価なんてごくごく短期の一過性のもので気にする必要はない。新海は興行的に成功してもマニアに評価されることが少なくなったし、細田はTVアニメを作らなくなって商業的な成功を放棄してるように見える。
新海は多くの人に挿さる作品を自主制作で作り続けて、星を追う子供でジブリのマネして失敗してどんぞこになったあと、脚本の作り方に誠実に向き合った。演出、撮影の名手でもあり、演出家の細田とはレベルが違う。
え?同じ作家性の人だらけがいいの?
そんな現時点での結果論で語られてもなあ、監督作はずっとリアルタイムで追ってるけど15年前とかに同じ事言えたかよって(サマーウォーズとか秒速5センチの頃)
オリジナルの壁、ボクには難しすぎて、にゃ。
俺独自の嗅覚が働いてというわけでも何でもないけど「バケモノの子」を最後に映画館には見に行ってないよw
新海さんもぜんぶうまくいったというわけでないのでそれぞれこれからだと思う。それはそれとして新海さんといえば彼女と彼女の猫、短いから見てみてほしい。 https://www.youtube.com/watch?v=8-ANtYTLMIY
スカーレットは頭がおかしくなりそうになった、これで何がOKだと思ってるのか、正気なのか、酷い学生作品を見てる気分になりたい方におすすめです
ポスト宮崎駿という幻想がこの二者比較を正当化している/すずめの戸締まりに強く心動かされた身としては、すずめに君の名は級のヒットしてほしかった気持ちはある…災害三部作の集大成なのは間違いなかったので
新海誠と細田守は、属性も作家性も何もかも違うので、比較しようとするのがそもそも的外れ。メジャー配給のアニメやってるしか共通点がないのに乱暴。それに出自見ればわかるが新海誠のほうが本来はマイナー志向だよ
川村元気がいるかいないかの差じゃん。本人の作家性なら細田の方が出せてるでしょ
新海誠は周りの意見も聞く人なんじゃないかな。初期作から天気の子まであったフェチなペド感がすずめでなくなり、家族で見に行きやすくなった。間口が広がったのでは。自分の子育て経験で学びを得たのかもだが。
新海さんは自分と同じ長野の山奥育ちの人だから応援してる
細田守は自分の脚本家のセンス、才能の無さを認めないのが不快。自己顕示欲の塊か?ビジネス、プロの世界なんだから上手いヤツに任せろよと。自分がやりたいだけなら同人アニメ・マンガ・小説とかでやれよと思う。
慢心、環境の違い
舞台の演劇を観ているかどうかだろうなぁ。舞台って大小の規模関係なくいい脚本がある(もちろん駄作もある)。TVやハリウッド映画しか見てない人が新海さんの舞台系の脚本に触れると度肝を抜かれるかと。
細田守の失敗って、作画担当しかしてこなかった漫画家が慢心からオリジナルに手を出して、連載打ち切りになるようなものだよな。
細田監督は美大出身の漫画家がよく言われる絵がうまいだけってやつのアニメ版。原作がついてたころはよかったけど。
このライターの若者文化叩きてえ〜〜って気持ちは新海誠の作家性と同じくらいビンビンに伝わるぜ
細田守に関して言えば、作品を作る上で煮詰まると、自分が経験した事を作品に反映させる傾向があるので、それに共感しにくいところはある。新海誠はメタ認知して作っている感じがする。
作家性の前に脚本力の差が…細田の新作は脚本諦めない限り観る気しない/新海も災害三部作は川村元気作品な気がする。「君の名は。」のラスト再会は新海作品なら絶対すれ違いだろって違和感が未だにある
「細田守は人の営みのこまやかさを描く文芸作品タイプ」って、そうか? あいつの描く人間の営為、ご都合主義で雑じゃね?
新海はプロデューサーの言う事聞いてるから
川村元気でブーストされてる新海誠と奥寺を失って迷走してる細田で、商業映画として新海誠が圧倒的なのは当然だが作家としてどっちが良いかは微妙なところだな...
細田守の作家性だと思ってたものは脚本の奥寺さんのもので、ノイズだと思っていた部分が細田守のものだった
一貫して脚本を書いているか、そうでないかの違いでは?オリジナル脚本になってからの細田作品はもう見るのもしんどい。なにより説教くさい。
細田の獣姦性癖じゃ大衆性は得られないけど、新海誠のNTR性癖は失恋としては現実性があるからギリ大衆性が得られる。そして細田はプロデューサーに勝てちゃうのでマーケティングに背いてしまいがち。
「細田守個人の問題ではなく商業的な要請と作家性のねじれであり批評が弱い現状の構造的な軋轢である」的確だと思う。ビジネスと作家性を調整をするプロデューサーが必要なんだけど機能していないように感じる
秒速5センチメートル見たプロデューサーが、新海誠に厨二病路線を辞めるように進言して路線変更したって話しじゃなかったかな。
ブコメ読んでると、みんな細田守をそんなにイジメないであげて!新海誠みたいな田舎のガチボンボンと違ってガチな苦労人なんだから!って気持ちになる。だからといって細田守作品の良さを語る気にもならない。
細田守が失敗してるのは、本質的に人間に興味がないくせに人間ドラマばかり撮るから。アニメは上手いので『時をかける少女』のように中身カラッポの可愛い記号的JKを出してガチャガチャ動かせば成功するよ
アニメ監督はいい画作りに専念してストーリーは上手で大衆向けを意識できるプロデューサーや脚本家に任せた方がいいのはあるよな。
"『果てしなきスカーレット』は、これまでとはビジュアルもガラリと変わり" (本当に粗雑な戯言なんですが、最下層ファンとしてはあのビジュアルで一部の客を逃したんじゃないかと心配してるのです。)
“作家性”なんて監督ごとに違って当然だろ、なんなら作品ごとに違うだろ、としか。面白いと思わせるプロモーションができて本当に面白ければ興収的に成功するし、どこかでうまくいかなければ失敗する。
細田監督はアニメーションは良いよ。竜とそばかすの姫のミュージックビデオ感はとても良かった。中村佳穂さんの起用も良かったし、CMだけで見に行きたいと思えた。脚本のセンスが絶望的に無いだけ。
“選ばれる世界が多彩なのでその一貫性は新海に比べて伝わりにくく、人によっては迷走に映るかもしれない。”客が馬鹿だって罵倒飛ばして悦に入ってまた大コケ作品作って日テレに大恥かかせてくれよな!頑張れ細田!
作家性に差が出なきゃおかしいし、そもそも2人の作家性を比べる意味が分かりません。
ビジネス的においしいかどうかだけで映画監督を値踏みするような記事。日本にいくらでもいる細田守より売れてないアニメ作家の立場がない
新海監督が災害×ボーイミーツガールの次をどう切り開いていくのかには関心がある
海外映画祭などで評価されてることを見るに細田は"玄人受け"ポジに座るべき人だったのだろうけどゼロ年代に売れすぎて目だってしまったのが良くなかったのかな/ポスト宮崎駿が求められた時期でもある
面白かった。冒頭にある通り商業アニメ映画の批評性の薄さ、日本のアニメ監督の作家性のフックアップの難しさに抵抗してる記事。第1回も併せて読むともくろみがわかりやすいよ⇒https://realsound.jp/movie/2026/04/post-2355693.html
> 日本の商業アニメには批評の層が薄く、本来的な意味での「作家」が成立しにくい 他者からの評価という意味で、現代は昔よりむしろより多数の批評にさらされている。批評家という権威はもう役割を終えたと思うよ
作家性とか作品のテーマに優劣のある問題じゃないし、プロデュース側と監督個人がどこまで折り合えるか・どこまで監督が我を通すかのパワーバランス次第で、通した我が軌道修正できなきゃ失敗も成功も監督の責任だろ
↓初回の前振りを読んでない人が多いんだな>https://realsound.jp/movie/2026/04/post-2355693.html /今の時代にヒットしやすい構造を計画した作品といえば『超かぐや姫!』とかね(そのうち連載で取りあげそう)
はてなで細田守と言えばこれ。https://anond.hatelabo.jp/20190713004919
細田は脚本家がいなくなったからは言いがかりだよ、奥寺さんがいた頃から現在の細田作品と同様なタイプに批判はあった