視覚聴覚に関わる情報については好きとか嫌いを極端に深堀りしておかないほうが生きやすくなるってことかな。普通に生きてたら勝手に目や耳に入ってくる情報でいちいち不快になってたら生きづらすぎる
初めて見る嫌悪感の無いアナウンサーとかタレントなのに声がいやで動画閉じたりチャンネル変えたりしちゃうことあるんだけど、あれって声を音と考えたときに自分にとって苦手な音なんだと思ってる
笑わかる。まぁ同時に不快への許容枠を広げるのも大事なのかも/昔、職場の気の合う人たちと「各々がただ自分の好きな歌を歌うカラオケ会」を定期開催してて、「嫌いな音楽も好きな人が歌うと楽しい」に進化した
成長しろ
100円ショップの曲が辛い。
だんだん好きの幅が広がってきたから逆だなぁ。イマイチな演奏はどこがイマイチなのかが聴き分けられるようになると同時に、良い部分もわかるようになってきたから苦痛ということはないな。(偉そう)
あるあるやね
自分は最近好きな音楽のストライクゾーンがガバガバなことに気づいてむしろ色々楽しくなってきた。基本形がだいぶ好き
増田が嫌いな音を好きな人もいて、だからこそ世界には様々な音楽があるという事実に気付くのが大切。自分の好きなものしか許容できない人は、本質的に自他の区別なく独善性の抜け切れない幼児そのものなんよ。
自分は逆だなあ。どんどんストライクゾーンが広くなって許容度が上がってゆく感じがある。昔よりはるかに聴くジャンルが広くなったし、かっこいいと思う音楽も多様になった。
わかる。ゴルフの練習場で流れてる適当な古い歌謡曲がつらくてイヤホンしてる。インパクトの音が聞こえないので困るけど仕方ない。スキー場では我慢できる。
良い音楽、カッコいいと思う音楽、好きな音楽、など、今増田が言っている「好きな音楽」を細かくカテゴライズして持っておくと、嫌いな音だけどカッコよさはわかるとか、ダサいけど愛せるとか、許容度上がるよ。
若い頃はディスコとパンクを憎むほど嫌ってたけど(歌謡曲とかは論外)、「このリズムのここが変態!」とか「このギターのここの歪みがこだわってるわ」とか、細部に気がつくようになってきたら楽しくなってきたよ
聴いて好きなのと自分でやって好きなのが分かれていたりする
よくわからなかったけどブコメの声で感じるパターンはすごくわかる。YouTuberの変な抑揚の喋り方とかゆっくり音声とかすごい不快でブロックする。これは舞台役者で喋り方を追求してきた弊害なのか?
自分の場合は構成に興味を持つようになってからは、ベースラインだけ、リズムパターンだけに聴くようにすると苦手な曲でも面白がれる事が多いと分かった。元々コード進行に関心があったからかもしれないけど。
“困ったことに、CMや店やらで流れる音に対して、生理的にムカつくみたいなことが起こる” その現象、大昔から有名な諺として残されてますよ。つ【坊主憎けりゃ袈裟まで憎い】
私は構造や背景等を考察するようになって歪さや拙さ、軽率さなんかも受容できるようになった。人の営みだから動機を想像した。翻ってAIが普及して人の意思が極小化していく状況に今後どう楽しめば良いか逡巡している
結局、クラシック音楽に行き着く場合が多いように感じる。
かわいそ
好きじゃない音楽も興味を持って歴史や背景を文字情報とかで吸収すると、「好きな音楽」と「好きではないけどやりたいことは理解できる音楽」になるのでおすすめ。
たしかにそういう時期もありました。たとえば変拍子ポリリズム原理主義に染まると、世の中のほとんどの音楽が4 or 3単一拍子&モノリズムだから大変なことになるよね。モノリズムの中にもよい音楽はあるって気づきをえ
↓音のストライクゾーンが明確になる、ということは音楽のジャンル?幅?が狭くなることを意味しないのでは
好き嫌いと良(善)し悪しが分別出来ていない事に早く気付け、違うもんだからそれ
劇伴音楽がその登場人物の言動への印象を変える事はよくある(クリエイターはその心理を利用する)のだから、逆に曲に引っ張られて人の印象付けになる事もあるだろう。音楽の力ではある
お、グルメな人が食べ物に文句を言うのと同じ構図だな。こだわるというのはそういう事かと思っているので仕方がない事なのかもしれない。
あーこれ好きな人がいるのもわかるけど個人的に苦手なやつ!と思ったら、そのままスルーするのが大事だよなと思っている。
好きな音楽を深堀りしていくと、それのルーツ、そしてそのまたルーツって辿っていけるから、好きな音楽の幅を広げられるよね。増田の感覚は分からんわ
美味しんぼの美食の人っていちいち素材の臭みだなんだ言ってて人生しんどそうだなと思うよね
たしかに好みを突き詰めていくと世界が狭くなり、背景・文脈を知っていくと世界が広くなった経験はある
なので、不快とか嫌いとかをいちいち口に出さないのも大事よね。気が変わることもあるし、コンディションによって違う時もあるし
こうなってきて嫌いに関することが肥大化していき拒絶するのがしんどくなったので、好き・嫌いではなく、(自分にとって)良い・悪いで判断するようにしてる。心地良いとか、耳に良いみたいなふんわりがちょうどいい
「格好悪い奴全部敵」だったけど、だんだん格好悪って何?になってきた。何でも良さがあるのでそれを楽しまないのは勿体無い。M!LKの「イイじゃん」は、本体のアイドル部分をフリに使うメタさを嗜んでる。旬は大事。
好きな方にどんどん広がってゆくんだよね。苦手なものは聞かされ続けたらミュートしてしまうけど、拒絶まではいかなくなった
案外その「好きじゃない音楽」を作る人のバックグラウンドで好きな音楽が一緒、またはそれを作ってる人が繋がってて興味持てたりはする。エンジニアとか裏方引っくるめて深掘りするとどこかで繋がってたりするから
音楽に限らずだけど、どんどん狭く鋭角的の嗜好になっていくよね。コレはもう全員そうじゃないかな?ただ、長い目で考えると損になるから新しいものも取り入れる「努力」はしてる。カッコ付きの「努力」ね。
応援歌で選手を嫌いになりたくないから深堀りはやめておこうと思いました。
積極的に嫌いなものを増やして自分の気分を損ねるのね笑
お前ら音楽ですら自分の嫌いなものの話で盛り上がれるのか凄いな。嫌いなものなんてないほうが良いし嫌いなものはどうだっていいだろ…。
誰にでもひとつくらいいいところがあるってのと同じで、どんな音楽にも面白いところはあると思えるようになるよ。年取ると。
辛かった時期に聞いていた音楽は二度と聞きたくなくなってる
もっと音楽聴いたほうがいいよ。それは入り口でしかない。もっともっと沢山音楽聴くとストライクゾーン広がる
狭くなるのわかるなあ。好きなものが明確になって他に一切興味がわかない状態、憎むまで行かないけど。次第に興味がないので客観的に聞けるようにもなったかも。集中しつつ視野も広がる的な。
自分もどんどん狭くなったな。Spotifyは延々同じ雰囲気の曲を出してくれるので狭くても飽きることがない。アニメのOPとかも聴けないので飛ばすようになった。邦のリズム感が受け付けなくなってしまった
共感覚
海外で生活した時に日本の街中で強制的に聴かされるJ-POPから解放されて、大嫌いなJ-POPから解放されるだけでこんなにもストレスが減るものなのかと実感したことがある
好きな食べ物でもそれだけ食べ続けたら体を壊すし、最後のは「坊主憎けりゃ」でしかないからなー。「自分は純化している」という感覚は、単に「偏見や無遠慮、攻撃性を純化させている」場合もあるのでね。
好きに「本当の」なんてありますかね。例えば好きな人から教えてもらって好きになった曲が別れたら聴けなくなったらそれは偽物の好きだったんすかね。世界のすべてを愛せない自分も世界の愛せないものも許容したい
私もライブに通ううちに好きな音楽や音と苦手なものは明確になってきたけど、なぜ苦手なのか、どの部分が世間から評価されているのか考えながら聞くようになって、音楽に対する理解度と幅が広がってきたよ
においの比喩だと、解像度上がって昔よりぜんぜん臭いものを許容できるんだが??増田は昔より食べられるもの減ってるってこと??音楽も好きなものどんどん増えてる印象あるしなんもわからん
好きな音は明確になっていくが、音楽のジャンルは問わなくなってきている。
なんか音の好みって別の感覚と連動してる、というか直接に起因って気がしないでもない。個人的にシャリシャリカスカスよりマットな音が好きなんだが、これって水分のないパサパサ菓子が嫌いな感覚に由来するのではと
美的感覚とは嫌悪の集積である、って、伊丹十三が言ってたね。
広がりもするし偏狭にもなるな。両方ある。両方わかる。
今まさに自我を確立しようとしている思春期の少年じみた言い分。自己と好きな音との関係性が安定してきたら、今度は他の関係性もあり得ることを理解できるようになってくる。寛容は成熟の証だよ。
しばらく能動的に音楽を聴かないでみるとかすると考え変わるかも。
妻が車内で流すジャニーズ音楽が苦痛で仕方がない。アイドルなんだから当たり前なんだけど、曲と歌声の乖離が…
いやむしろどうでもよくなるしだいたい聞かなくなる
解像度が上がって音の構造や演奏技術が聞き分けられるようになるとジャンル関係なく聞けるようになるし楽しめるようになるよ。勿論その中で好みの傾向はあるけれど嫌いというのは無くなったな。
自分の好きな音楽、音を深掘りしていくと、どんどん本当の好きに近づける..
視覚聴覚に関わる情報については好きとか嫌いを極端に深堀りしておかないほうが生きやすくなるってことかな。普通に生きてたら勝手に目や耳に入ってくる情報でいちいち不快になってたら生きづらすぎる
初めて見る嫌悪感の無いアナウンサーとかタレントなのに声がいやで動画閉じたりチャンネル変えたりしちゃうことあるんだけど、あれって声を音と考えたときに自分にとって苦手な音なんだと思ってる
笑わかる。まぁ同時に不快への許容枠を広げるのも大事なのかも/昔、職場の気の合う人たちと「各々がただ自分の好きな歌を歌うカラオケ会」を定期開催してて、「嫌いな音楽も好きな人が歌うと楽しい」に進化した
成長しろ
100円ショップの曲が辛い。
だんだん好きの幅が広がってきたから逆だなぁ。イマイチな演奏はどこがイマイチなのかが聴き分けられるようになると同時に、良い部分もわかるようになってきたから苦痛ということはないな。(偉そう)
あるあるやね
自分は最近好きな音楽のストライクゾーンがガバガバなことに気づいてむしろ色々楽しくなってきた。基本形がだいぶ好き
増田が嫌いな音を好きな人もいて、だからこそ世界には様々な音楽があるという事実に気付くのが大切。自分の好きなものしか許容できない人は、本質的に自他の区別なく独善性の抜け切れない幼児そのものなんよ。
自分は逆だなあ。どんどんストライクゾーンが広くなって許容度が上がってゆく感じがある。昔よりはるかに聴くジャンルが広くなったし、かっこいいと思う音楽も多様になった。
わかる。ゴルフの練習場で流れてる適当な古い歌謡曲がつらくてイヤホンしてる。インパクトの音が聞こえないので困るけど仕方ない。スキー場では我慢できる。
良い音楽、カッコいいと思う音楽、好きな音楽、など、今増田が言っている「好きな音楽」を細かくカテゴライズして持っておくと、嫌いな音だけどカッコよさはわかるとか、ダサいけど愛せるとか、許容度上がるよ。
若い頃はディスコとパンクを憎むほど嫌ってたけど(歌謡曲とかは論外)、「このリズムのここが変態!」とか「このギターのここの歪みがこだわってるわ」とか、細部に気がつくようになってきたら楽しくなってきたよ
聴いて好きなのと自分でやって好きなのが分かれていたりする
よくわからなかったけどブコメの声で感じるパターンはすごくわかる。YouTuberの変な抑揚の喋り方とかゆっくり音声とかすごい不快でブロックする。これは舞台役者で喋り方を追求してきた弊害なのか?
自分の場合は構成に興味を持つようになってからは、ベースラインだけ、リズムパターンだけに聴くようにすると苦手な曲でも面白がれる事が多いと分かった。元々コード進行に関心があったからかもしれないけど。
“困ったことに、CMや店やらで流れる音に対して、生理的にムカつくみたいなことが起こる” その現象、大昔から有名な諺として残されてますよ。つ【坊主憎けりゃ袈裟まで憎い】
私は構造や背景等を考察するようになって歪さや拙さ、軽率さなんかも受容できるようになった。人の営みだから動機を想像した。翻ってAIが普及して人の意思が極小化していく状況に今後どう楽しめば良いか逡巡している
結局、クラシック音楽に行き着く場合が多いように感じる。
かわいそ
好きじゃない音楽も興味を持って歴史や背景を文字情報とかで吸収すると、「好きな音楽」と「好きではないけどやりたいことは理解できる音楽」になるのでおすすめ。
たしかにそういう時期もありました。たとえば変拍子ポリリズム原理主義に染まると、世の中のほとんどの音楽が4 or 3単一拍子&モノリズムだから大変なことになるよね。モノリズムの中にもよい音楽はあるって気づきをえ
↓音のストライクゾーンが明確になる、ということは音楽のジャンル?幅?が狭くなることを意味しないのでは
好き嫌いと良(善)し悪しが分別出来ていない事に早く気付け、違うもんだからそれ
劇伴音楽がその登場人物の言動への印象を変える事はよくある(クリエイターはその心理を利用する)のだから、逆に曲に引っ張られて人の印象付けになる事もあるだろう。音楽の力ではある
お、グルメな人が食べ物に文句を言うのと同じ構図だな。こだわるというのはそういう事かと思っているので仕方がない事なのかもしれない。
あーこれ好きな人がいるのもわかるけど個人的に苦手なやつ!と思ったら、そのままスルーするのが大事だよなと思っている。
好きな音楽を深堀りしていくと、それのルーツ、そしてそのまたルーツって辿っていけるから、好きな音楽の幅を広げられるよね。増田の感覚は分からんわ
美味しんぼの美食の人っていちいち素材の臭みだなんだ言ってて人生しんどそうだなと思うよね
たしかに好みを突き詰めていくと世界が狭くなり、背景・文脈を知っていくと世界が広くなった経験はある
なので、不快とか嫌いとかをいちいち口に出さないのも大事よね。気が変わることもあるし、コンディションによって違う時もあるし
こうなってきて嫌いに関することが肥大化していき拒絶するのがしんどくなったので、好き・嫌いではなく、(自分にとって)良い・悪いで判断するようにしてる。心地良いとか、耳に良いみたいなふんわりがちょうどいい
「格好悪い奴全部敵」だったけど、だんだん格好悪って何?になってきた。何でも良さがあるのでそれを楽しまないのは勿体無い。M!LKの「イイじゃん」は、本体のアイドル部分をフリに使うメタさを嗜んでる。旬は大事。
好きな方にどんどん広がってゆくんだよね。苦手なものは聞かされ続けたらミュートしてしまうけど、拒絶まではいかなくなった
案外その「好きじゃない音楽」を作る人のバックグラウンドで好きな音楽が一緒、またはそれを作ってる人が繋がってて興味持てたりはする。エンジニアとか裏方引っくるめて深掘りするとどこかで繋がってたりするから
音楽に限らずだけど、どんどん狭く鋭角的の嗜好になっていくよね。コレはもう全員そうじゃないかな?ただ、長い目で考えると損になるから新しいものも取り入れる「努力」はしてる。カッコ付きの「努力」ね。
応援歌で選手を嫌いになりたくないから深堀りはやめておこうと思いました。
積極的に嫌いなものを増やして自分の気分を損ねるのね笑
お前ら音楽ですら自分の嫌いなものの話で盛り上がれるのか凄いな。嫌いなものなんてないほうが良いし嫌いなものはどうだっていいだろ…。
誰にでもひとつくらいいいところがあるってのと同じで、どんな音楽にも面白いところはあると思えるようになるよ。年取ると。
辛かった時期に聞いていた音楽は二度と聞きたくなくなってる
もっと音楽聴いたほうがいいよ。それは入り口でしかない。もっともっと沢山音楽聴くとストライクゾーン広がる
狭くなるのわかるなあ。好きなものが明確になって他に一切興味がわかない状態、憎むまで行かないけど。次第に興味がないので客観的に聞けるようにもなったかも。集中しつつ視野も広がる的な。
自分もどんどん狭くなったな。Spotifyは延々同じ雰囲気の曲を出してくれるので狭くても飽きることがない。アニメのOPとかも聴けないので飛ばすようになった。邦のリズム感が受け付けなくなってしまった
共感覚
海外で生活した時に日本の街中で強制的に聴かされるJ-POPから解放されて、大嫌いなJ-POPから解放されるだけでこんなにもストレスが減るものなのかと実感したことがある
好きな食べ物でもそれだけ食べ続けたら体を壊すし、最後のは「坊主憎けりゃ」でしかないからなー。「自分は純化している」という感覚は、単に「偏見や無遠慮、攻撃性を純化させている」場合もあるのでね。
好きに「本当の」なんてありますかね。例えば好きな人から教えてもらって好きになった曲が別れたら聴けなくなったらそれは偽物の好きだったんすかね。世界のすべてを愛せない自分も世界の愛せないものも許容したい
私もライブに通ううちに好きな音楽や音と苦手なものは明確になってきたけど、なぜ苦手なのか、どの部分が世間から評価されているのか考えながら聞くようになって、音楽に対する理解度と幅が広がってきたよ
においの比喩だと、解像度上がって昔よりぜんぜん臭いものを許容できるんだが??増田は昔より食べられるもの減ってるってこと??音楽も好きなものどんどん増えてる印象あるしなんもわからん
好きな音は明確になっていくが、音楽のジャンルは問わなくなってきている。
なんか音の好みって別の感覚と連動してる、というか直接に起因って気がしないでもない。個人的にシャリシャリカスカスよりマットな音が好きなんだが、これって水分のないパサパサ菓子が嫌いな感覚に由来するのではと
美的感覚とは嫌悪の集積である、って、伊丹十三が言ってたね。
広がりもするし偏狭にもなるな。両方ある。両方わかる。
今まさに自我を確立しようとしている思春期の少年じみた言い分。自己と好きな音との関係性が安定してきたら、今度は他の関係性もあり得ることを理解できるようになってくる。寛容は成熟の証だよ。
しばらく能動的に音楽を聴かないでみるとかすると考え変わるかも。
妻が車内で流すジャニーズ音楽が苦痛で仕方がない。アイドルなんだから当たり前なんだけど、曲と歌声の乖離が…
いやむしろどうでもよくなるしだいたい聞かなくなる
解像度が上がって音の構造や演奏技術が聞き分けられるようになるとジャンル関係なく聞けるようになるし楽しめるようになるよ。勿論その中で好みの傾向はあるけれど嫌いというのは無くなったな。