春画展は文化だ教養だとかを考えずに、いやらしい目で鑑賞したぞ。よかった
文化は高尚なものから低俗なもんまでなんでもありやろ、美術館=高尚てことは全然ないわ。雰囲気に酔って楽しめるのもいいね
モンハンブースにくそでかいリオレウスの模型居たら嬉しいじゃん。世界観で引き込むのよ。
インドアなアトラクションなのでは、と思った。でもいいな、知識があるほど楽しめる量が増えて。面白い解説日記で良かったです。
馬の骨みがある
当時ありふれた浮世絵が丁寧に飾られるように、数百年には我々のスマホだって立派な遺物になってケースに飾られるやもしれん
葛飾北斎の有名な版画もネット上や雑誌など目にする機会は多いけど、美術館に飾ってあったら文脈含めて鑑賞モードになるので、「飾ってある」ことが意味を持つ大事なことだと思う。詳しくて羨ましい
この文章自体がスノッブすぎるわ
おしゃれ空間を楽しむ娯楽、これも非常に文化的な行為だと思ったり/文化に関して規定する考え方は何かの文化を否定することに繋がりそうなので、私は避けたい
「娯楽だからなんでもいいじゃん」というコメがあるけど、元々はどのように見られたか、どのような展示方法が適切かと考えるのは大切な事かと。そのうちスフィンクスがなんで作られたか誰もわからないみたいになるぞ
今はそういう展示の仕方が流行ってる、くらいに解釈すればけっこう文化的じゃね?
そういう疑問は各々で消化すれば良くない?みんなで考えてみんなで一つの答え出すことじゃないような
昔のものだったらうんこでも文化を感じられるもんよ。
言いたいことはわかるけど、企画展はウケ狙いだけでなく、作品への敬意を示すことでもそうなりやすいよね。話は変わるが地中美術館での作品と空間が混然一体となってる様子は、空間自体が額縁となるんだなぁと思った
多分因果が逆で、蔦屋重三郎がプロデュースしてるってこと自体が箔がついてるってことだと思うよ より良い版元の良い彫師、摺師使って、見せ方も考えてさ より庶民的な浮世絵は蚤の市とかで今も買えるよ多分
言い出したら美術館で鑑賞する襖絵とか屏風絵とか天井画とかも本来あるべき見方じゃなくなるからねえ。「展示のテクニックで美しく見せる」ということ自体、美術であり文化であるいう解釈もできると思うけど。
許してやってくれ、彼らには美術館しか「文化的なもの」の想像がつかないんだ
「文化的」を何か高尚なものとして扱いすぎでは?ただしゆとりがあるからこそ触れられるモノだとは思う。日々の生活に困窮してたら美術館に行っても飯の種にならんからね。
日本の美術品の展示には、それ用の和風建築が欲しいとは思う。
漫画の原画だってそのまま見て楽しむものじゃないのに原画展をする。当初の想定と違うスタイルで楽しんでもいい。展示の仕方は美術館のブランディング、合う美術館を探そう
後世の美術館が所蔵するのはあらいずみるいだろう “うまい例えができないが、90年代アニメの特集でセイバーマリオネットやスレイヤーズの存在を意図的に隠して、エヴァを前面に推すような感じである。”
日本社会に広く深く根付く「文化」を知るという意味ならばパチンコをやるのもソープランドに行くのもデッカいちんこの御神体を撫で撫でするのも文化的かも知れないねぇ
結局 消費しているだけなんだよね それなら同人誌書いている方が文化的
千利休が庭の朝顔を全部刈り取って、一番綺麗な朝顔を一輪挿しにして茶室に飾って秀吉をもてなしたみたいに、作品の魅せ方というのは時に本来の姿を壊すように野蛮で、かつ演出の妙に溢れるものなのかもしれない
ハイソな文化と、そうじゃない土着文化と、あとサブカルがあると思うんだけど、増田はその高尚化されたハイソな文化が嫌なんでしょ。それは多くの人が同意してる。でもそれも文化の範疇なのは確か。
鑑賞の仕方まで当時を求めるのは、文化的なものを通り越した贅沢だろう。
娯楽だから文化(文化的)じゃないという発想がよくわからん
少なくとも不倫よりは。
“うまい例えができないが、90年代アニメの特集でセイバーマリオネットやスレイヤーズの存在を意図的に隠して、エヴァを前面に推すような感じ”/なんとなく、この議論 http://b.hatena.ne.jp/entry/22491725 を思い出した。
美術館に行くのは文化的だし、せんべろに行くのも文化的。今更ハイブロウな文化だけを文化と呼ぶ必要ある?
おしゃれ空間を楽しむ娯楽が文化では。
ニューヨーク近代美術館にあるスガキヤのラーメンフォークに若干の違和感を覚えるので、この感覚は分からなくもない。まぁ美術館的な消費の仕方もそれはそれで一つの視点だとは思うけど
こうしてどんどん先鋭化していくばかり
クラシック、絵画、演劇や歌舞伎も当時の技術水準でできる当時の人にとっての最大の娯楽なだけだし、それが文化でしょ。それで人々に好かれたものが残っただけで、高尚かどうかなんて単なる後付け。サブカルと同じ。
巧いこと言うねえ。しかしまあ、それも「文化」ではあるやろね。
なんだか小難しげなこと書いてるから読まないけど、サブスク会社とアニメ会社はもっとちゃんとセイバーマリオネットJを広く配信しろ!ってちゃんと書いておいてくれ
面白い指摘。特別展は往々にしてそうなりがち。通常展は違うのかもね。
関係ないけど美術館で仏像を見るのは何か罰当たりな気分になってしまって仏像の展示は避けるようになってしまった。魂抜かれてるとはいえ誰も手を合わせず鑑賞されるばかりの仏像。
この手の疑問は芸術系の学生ならば一度は抱くものだよねぇ。そもそも美術って何を以て美たりうるのかという、ね。
「それをわざわざ吉原をイメージした空間を作って展示となると、教養や文化というより、それを楽しむ娯楽だ。」全ての文化は娯楽だろ
未来で紙の漫画本がガラスケースに展示されたらそんな感じかね
万能文化猫娘
100年後に昭和のマンガを美術館に展示するとしたらどうするか。ラーメン屋や喫茶店を再現して当時の扱いを体感できる展示にするのが正しいか。とか考えると面白いよね。サブカルチャーのハイカルチャー化の話でもある
増田も分かってるだろうけど、保存のため壁にかけてガラス越しで見るんだよ。大勢で見るためには縛りがある。手に取ったり、自室の壁に飾る想像するのが楽しいよ
分かる分かる、ネットに疎い人が「SNSを使うのは本当に人間の進歩なんだろうか?」って言う感じね。古の人がまずは慣れてからだって意味で「半年ROMれ」って言ってたのが理解できるかできないかで全然違う。
大衆芸術とみればそうなのだろうが、たった二百年とは言えすでに貴重な文化財なのだから、展示の仕方が大仰になるのは当然では(ギャラリーフェイクでも読んだのかな?)
浮世絵は手に持って鑑賞すべきという点は同意。絵が小さいので、壁に掛かっているのを鑑賞するのは見にくくて疲れる。 https://artscape.jp/report/review/10024308_1735.html
娯楽は文化じゃないのかな?と思いつつも、小綺麗なものを選んで見せてるだけの展示に持つ違和感はわからんでもない。
美術館だけで文化として完結する必要はないからそれで良いんだよ。民俗資料として展示するなら歴史民俗博物館でも良いし、神保町でフェアを開いてもいい。それぞれが見せたいものを見せるから多様性に意味がある。
そこから何を感じるかは各人に委ねられてるし特に問題ないと思う
師事した先生にはゲルニカは展示室含めてアートと言われた
増田の言う通り手に持って読んだにせよ、作者が想像してた見方、読まれ方なんか当時の背景や物理的環境違う現代の専門研究者でもない 自分にはとても無理だなあ。文化とか美学とか美術芸術鑑賞ってそう言うのなん?
江戸時代の技法やモノで作ったものはできる限り後世に史料として残すため厳重な扱いを受ける展示品にならざるを得ない。でも、レプリカ作って当時の文化を楽しむ経験の提供は面白そう。
生きるという行為が既に文化的なので、あとは自由に好きに楽しめばいいと思う。楽しまないというのもいい
ハイカルチャーのお作法。何でもいつの間にやら教養になっていく。映画なんて私が子供の頃は、中で弁当食べたり主題歌一緒に歌ってたりした。
カフェバーのピアノ弾きとして生計を立てていた時期のエリック・サティが、その喧騒の中で演奏する為に作った『ジュ・トゥ・ヴ』をコンサートホールで無言着席で聴くのが本当に正しいのだろうか、と思った事はある
その近くの表慶館でちょっと前に凱蒂猫展をやっていた。そのへんのショップで売られていたものがガラスケースの中で「手を触れないでください」と陳列されるのが文化というものであろう。
美術館については、メインカルチャーのサブカル化は、もう十分すすんでると思うが
貴族の館にあった絵画を美術館に移して展示するのも、本来の環境とは違うから鑑賞の阻害になるみたいな意見もあるかもしれん。壁画は動かせないけどウフィッツィ美術館みたいに建物の目的が変わるとあかんのかな
「文化的」を適切に定義しないと議論が成り立たない
文化的って何 「文化的」だから行くのではなく、見たい絵があるから行く オシャレ空間にしちゃうと別に絵が好きなわけじゃない人が来て混むしべちゃべちゃうるさく話すしでかなり迷惑
版を重ねるごとに摺りが悪くなるんじゃなかったっけ
そういうおしゃれ展示テクニックも勉強になりますわよ
東京国立博物館の展示は、美術館と同じかどうか。21世紀の現在において、生活に密着した史料として貴重な研究対象になった事を、博物館的には表してるのと、企画展という性格との、最大公約数かなと思った。
これは額縁に飾るにふさわしい文化的な増田だ
士郎正宗の世界展に行ったが生原稿や下書きを、”漫画をよむ”とは違って、ある種、工芸作品や美術品を鑑賞するような文脈で見た.展示とはそういうものなのだろう.
不倫も文化だからな。
「おしゃれ空間を楽しむ」のもそれはそれで十分文化的な遊びだと思う。/増田のいうこともわかるけど、やたら凝ってる展示や解説は、企画準備してる時の学芸員さんのウキウキ顔が想像できてそれもまた楽しい派
気持ちはなんかわかる。しかし文化は全て高尚なものってわけでもないのでそれはそれで文化なはず。一方で高尚なものでもないはずの文化を高尚なもののようにもてはやすのはなんだかなとは思う。
博物館なら風俗研究として当時の姿、用法で鑑賞するのはあると思うけど、美術館で展示されてるならそれは美術品だから。便器だって意図をもって展示すれば芸術品だし。
主語も述語もデカすぎる。さすが5年以上美術館に行ってないだけの事はある。
便器も美術館に飾れば芸術。批判するのも、批判を見るのも芸術だ。批判するのは良いが、他人を尊重することをお忘れなく!それが大人のマナーだ。
この増田はすごく美術館を楽しめる素質を備えてるなぁと思う。楽しそう。自分も見にいきたくなった。
東博は日本最高峰の文化財保存修復研究施設なので、下手な展示はできない場所なんよ。浮世絵なんて年間で当てて良い光量すらきっちり決められてる。展示作品チョイスは学芸員さんのお考えがあるだろうけど
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」憲法二十五条
文化的でありましょう、と思って行くとそんなに楽しくなさそう
ガンダム展でファースト・ガンダムの安彦良和画キャラクター原案原画を見たが線がすごく綺麗で40年以上前のものとは思えなかった。これとは決めつけずいろんな角度から見て楽しんだらいいよ。
大事に飾った江戸の娯楽を令和で鑑賞できるなんて文化的っすよ
そりゃあ作品展示にもよそ行きと普段着の違いはあるだろうさ。not for meじゃ不服?
え、そう思えることこそが文化的なんだよ
ブチギレる前の夏油傑感
なんで娯楽として楽しんだら文化や教養じゃないのだろうか?
美術館は「こういうふうに鑑賞してくださいね」という、展示を作り上げた人の意志が介入すると思います。そこがノイズになったりしそう。でも、そこまで受け取れる人は上澄みですよ
はてブでは一人でも楽しめるインドア系趣味や娯楽が支持される傾向がある。美術館や博物館もその属性じゃないかと思っている。
へぇ~、お洒落な美術館行ったんだにゃ!ニャンとも素敵な浮世絵、見てみたいにゃ!でも、壁掛けはちょっと寂しいにゃ…もっと自由に触れ合いたいにゃ!
招待されるに相応しい文化的素養。/今日4/22からだが2000円超えるので行かない。/ 埼玉/本庄市の塙保己一記念館は群書類従のレプリカを手に取って見れる。無料。
博物館的骨董物件とか大衆文化だったものを芸術として楽しむのは民藝運動と似たような感じなんで、おしゃれ空間で鑑賞することに違和感があるのは解るけど貴重なものとして扱うとしかたがないんじゃないかとは思う。
この展示が?美術館に行くことが?/浮世絵が壁に貼ってあるのと平面に置いてあるのとで、見え方の変化が私に感じ取れる気がしない。/ハイセンスに見せるって、この文章ではアカデミックではなくスノッブなのか。
月一くらいで美術館やギャラリーに足を運んでから語ってくれないか?そもそも内覧会だろ。そりゃゆっくり観られて変な客もいないでしょ。もっと混み合ってざわざわした中で鑑賞したら感想も変わるかもよ。
文化的事業と娯楽興行は両立します。浅草演芸ホールで寄席を楽しむのは娯楽だけど、元禄からこっちの町人文化への知的アクセスの機会でもある。祭りは娯楽と祭祀だしうんぬん
いろいろなコンセプトの展示方法があるだろうからいろいろ見てみたらいいのでは?
問として意味をなしてない
そういう専門業者が入ってるのかもしれないが、学芸員さんが魅力的な展示会にしようと頑張ってるんだろうなぁとこれ読んで思った。そういう視点もあるので何を思うかは人それぞれだよね。
浮世絵の現代版であるマンガを読むことだってコミケで同人誌を買うことだって文化的だし、師走の翁の絵がのちに美術館で飾られていたとしてもおかしくないと思う
感じ方は人それぞれ。増田のように批判的な考えになるのも作品として訴追力があった証左で、美術館、博物館として意味有ったのでは?展示の仕方は、現代の展示会社(イベント企画)なので賛否あって良いと思うよ。
それはそれ。博物館の常設展示で昔の小道具や手紙の一部など見ている方が自分は落ち着くのでそのように動くだけである。
最近の企画展が異常に意識が高くなったのは(いまやもう誰も言わないが)DJがレコード盤回してるだけ(楽器なんか演奏してない)なのに音楽なのと同じ。キュレーターや学芸員の選別(企画)イコール芸術(アーカイブ文化だから
「セイバーマリオネットやスレイヤーズの存在を意図的に隠して、エヴァを前面に推すような感じ」分る。日本映画全盛期の1954年は七人の侍と二十四の瞳と初代ゴジラが公開された年だけど配給収入1位は君の名は第三部。
この人ブコメに汚染されたのかもな。。
美術館で会った人だろ そうさあんた 間違いないさ♪
茶道だって言ってしまえば「おしゃれ空間を楽しむ娯楽」だからな。
昔の娯楽だったものを、ハイカルチャーぶって高尚に展示しているものを、現代娯楽らしく美しく飾り立てて、文化と文化と文化がひしめき合ってるんだが?
現代の大ヒット週間少年漫画の原画展だって、粗悪な紙に印刷されて読む用に描かれた漫画を綺麗に額装して一番映えるように展示するんだから一緒一緒。
この絵欲しいなー、くらいの感じで観てる。
太田記念美術館に行くといいですよ。原宿のど真ん中なのになんかいつも展示が少しモサいぞ!いい浮世絵出てる時あるよ/オシャレなことにケチつける必要もないと思うが私は別の理由でべらぼう周りの展覧会に懐疑的
鯖の文化干しって何で文化干しなんだろうな。あれも文化なのかな。じゃあ文化干しされた鯖食べてたら私も文化的なのでは?って考えながら鯖食べてる私くらい何でも良さを感じる。心動く何かあったらいーじゃん。
名画は後の世に影響をもたらしてる作品。一方、現代アートは九割がペテン行為。詭弁を見抜き審美眼を養うには最適。美術館へ行くことは権威性のある高尚な文化的行為。
その娯楽化する展示展の在り方は文化的ではないかもしれんが、今後文化になるものだし、その変容も楽しめばいいのではないか(適当)。まあ特別展は形には残らないが。
うんうん、それもまたアイカツだね
例えば、パルテノン神殿の彫像を大英博物館で見ることは果たして文化的と言えるかどうか。簡単に答えは出なくて、作品を通じてそういう考えるきっかけを与えてくれるのが美術館や展覧会の意義なのだと思う。
「娯楽」と「文化的」は別に対立する概念ではないでしょ
“おしゃれ空間を楽しむ娯楽”
例えを自分が理解できないのが面白いので理解できるよう努力したい:「> うまい例えができないが、90年代アニメの特集でセイバーマリオネットやスレイヤーズの存在を意図的に隠して、エヴァを前面に推すような感じ」
自分の知らない世界に価値がある。日本人にとって当たり前の「くら寿司」だって、外国人からしたら驚きの体験。浮世絵も当時は当たり前でも今の我々からしたら新発見でしょ。
美術館に行くと言いながら博物館に行くのはいいんだろうか。浮世絵という絵を見るから間違いではないのか。英語の様のミュージアムの様に同じ言葉なら問題ないのか。面倒くさい。
作品は作られた意図のとおりに鑑賞したほうがいいと言う人、美術だけでなく映画でも音楽でも漫画でもなんでもいるよな〜
元々庶民向けの娯楽なんだから、それに相応しい形で展示すべきってことかな。まあ動物の骨や糞だって何万年も経てばショーケースに飾られるのである。
昨年、上野で埴輪展を見た。部屋の入口が古墳に入るようになっていたり、キャプションに副題が付いていたり工夫があって、とても楽しめた。色々と見てみればいいし、頭でっかちで楽しめてなさそう。美術は娯楽で文化
フランダースの犬のように、やっと、やっと見られたんだ。と言うような何かに出会いたいが、なかなか出会えない
展示されてるものを見たくて行くだけでしょ。文化的かどうかなんてどうでもよくない???
そういう不満とか批評を考えて、ちっ次また来てやるからな、って最後に言う場だよ
あー、どっかの間違った考えのママが「楽しかったら勉強じゃない」と言って子供の可能性を潰してるのを昔なんかで見たな。増田には同じ匂いを感じる。
美術館なので作品単体で楽しむのが主なので悪くは無い。博物館的側面を出したので粗が見えただけ。展示方法にノイズ多めだったのが難なのかな?芸術品は芸術性だけでがツンと来ないと勝負になりません。
大人になってから行く美術館は見たいものありきなので、行くこと自体の意味合いを考えたことがなかった。いい視点。有名特別展以外は閑散としているので、理由はなんでもいいから来場者増えるといいな
“おしゃれ空間を楽しむ娯楽” / 対象そのものより映えや他人の目を気にするいやらしさへの違和感ってのはよくわかる。でも間口広げるのも大事
東京の展示はその辺りかなり楽しくて羨ましい。地方の美術館を巡ると演出に金かけられないけどかなり価値のある面白い作品が近い距離で見れるように展示されてたりするので、片田舎の美術館がしっくり来るかも。
「浮世絵というのは、手に持って鑑賞するものだったので、多くの場合、壁に飾られることは想定していない」 いや、当時のポスターだから普通に壁に飾られてたでしょ。柱に貼る「柱絵」ってジャンルがあったぐらい。
文化だろうと娯楽だろうと各々の感性で好きに楽しめば良いとは思うが、そうした態度が許されない背景を持つ場や作品もあるらしい事はことは度々目にしている。私には切り分けできない。
文化に触れるのって、「私たちは昔から人間だったんだな」という確認をする行為なんじゃないかとふと思った。
その展示に限って言えば「美術はわからんけど大河ドラマ見てるから蔦重の展覧会なら行こうかな」って人が多そう。たぶんそういう人の中では蔦重=横浜流星なので。
そうやってゴニョゴニョ考えながら、もしくは見たあとでゴニョゴニョ反芻するのも十分文化的だと思う
企画してるとこより増田の方が上手(うわて)ってだけでしょ
ビル・エバンスのWaltz for Debbyが名演奏であるのは周りの私語までちゃんと録っているからであり、後ろから店員がつついて黙らせてる今のVillage Vanguardには違和感を感じるようなもん。/とはいえ東博だから仕方ない気も。
そんな事言ってたら、食後に捨てた貝が歴史的発見とかあり得なくなるじゃないですか。
仏像に照明バリバリ当ててるのは気に入らんな あれは寺に行って暗がりで見てナンボだ 晴れた夏の午後に見る根来寺(和歌山)の大日如来は時間が止まるくらい最高だった
バルテュス展に夏場の半袖アロハ半ズボンで汗かきながら来場して、他の客が上品で教養深そうなおばさま方や、洒落た美大生っぽい人ばかりだったときは、なにかこう梶井基次郎の『檸檬』のような気分になった想い出
久々ヘタ文体を読んでゾクゾクした。AIに読ませる前のプロットだけみたいな文章にイライラしながらも引き寄せられてしまう。冒頭から無駄だらけで好み。内容は「学芸員が前に出過ぎて嫌なハコあるよね」で納得したよ
ちょっと違う話だけど、大人の教養講座はタイトルが高尚なのに中身が低俗というか生活レベルで楽しむところが気楽でいいんだよなあ。五郎さん元気そうです何よりです。
通常展はガラガラでも特別展、企画展だけ異様な大行列大混雑なのはオシャレ空間イベントというレジャー化してるのはあるかも。でも娯楽化してでも入場料やグッズ売上稼げば作品保存や研究費の充実に回るからなあ
歌川国芳が壁に描いためっちゃ適当な落書きを美術館で見た時、国芳さんはこんな恥ずかしい落書きを後世尤もらしい顔で鑑賞されるとは思ってなかっただろうなぁと想像してニヤニヤしちゃったことある。
大半の人間はただの消費活動に終始してる、風俗に行くことと大差ない。何も生み出せない消費者が、ただ金を払って展示物を見聞きしただけなのに、高尚な人間になったと誤解し、自尊心を充足させる。オ◯ニーに近いね
自分は美術館に通っているが、知識はゼロで完全に好き嫌いのフィーリングで楽しんでいる
コンテンツビジネスの風雲児なんだからおしゃれ空間を楽しむ娯楽という側面が強くて当たり前じゃないかと思いました
平和ではあるな
立派な建物と洒落たレストラン、これが文化でいいじゃん ぼくはホキ美術館のレストランへランチだけ食べにゆきたい
大英博物館やナショナルギャラリーの入館料を無料にしているのは、人類史上重要かつ文化的な前提があったような。企画展はコンセプトと現実的な事情次第
増田がこのくらいのことを考えるということが文化だよ
大英博物館でマンガ展を見た時のような感じかな。
まぁ、わかる.. 美術館に行く私いけてる的な.. 元を辿れば風俗誌というのもなるほど..
ミュシャ展を見に行った。触れられなかったけど、100年近く経ってる精細な作品を間近で見られたのは良かった。帰りに図録を買ってしまうほど。
美術館は 上手い絵や造形を見に行く場所でしかない。ネットでもいいけど、真面目に観たい人にとってカメラやディスプレイの性能がネックになる。生を見たい!と思ってコミケに行くか美術館に行く って感じなのでは。
街中とかに潜んでるさり気ない造形を発見するのが好きなので、美術館だとかしこまった感じがして見え方が違う
美術館がそうというよりは、その展示が無理やり美術館という文法に合わせた結果そのような違和感が生まれた、という方が適切じゃないかな。わりと美術館に通う人間としてはそう感じた
浮世絵は手に持って観賞するものだったというのは興味深い視点。個人的には文化だなんだと余計なことは考えずに展示物を鑑賞していたいと思うなど
浮世絵はB4カラーグラビア印刷みたいな。日本にも表装文化はあったので、お気に入りを飾るのは良いんでないかと思う
というか、手に取って多数の人に鑑賞してもらうのは無理だし、そのうえで最大限美しく展示してあるならそれでええやん。
たいていが美術館に行って鑑賞してる私って光ってるって思ってるだけ。 歴史、技法、背景を前もって調べて、その検証に行くまでが本当の文化的な行動。
民藝系もね。飾られてるものより実際手に取れる所有できるミュージアムショップで売られてるグッズの方がよっぽど民藝的ちゃうんかという気持ちになる
文化レベルがどうのこうの的なヒエラルキー。マジでバカみたい。勝手にコンプ拗らせる奴が再生産されて話がややこしくなるし。そういう価値観の界隈には出来るだけ近寄りたくない。QOLが著しく下がる。
増田も美術館も文化というものを高尚に捉え過ぎているように思う。増田の批判には共感するし、増田の提案する展示こそ歴史的背景という文脈でより文化的かもしれない。/漫画を読むのも文化的な行為です。
行くこと自体はさほどって感じ
わりと本質的な話かもしれん。
なるほどねえ。作品がどのように受容されていたかを伝えるのも大事なことだよね。色々なコンセプトの展覧会があっていいと思うけど、あまり漂白されているのはイヤだね。
そもそも文化とか、文化的とはなんなのか?運動部以外の部活を全て文化部と呼んだりするくらいにはあやふやで、ピンとこない概念。
村祭りやウィンドーショッピングやライブハウスや野球場や握手会や行列のできる飲食店に行ったり結婚式や葬式に行くぐらいは、文化的でしょうね
文化的だよ。サブカルクソ野郎のミニコミ誌も女目当てのバンドマンがかき鳴らす騒音やロリエロ同人も文化なのと同様にね/北条司展で当時読み捨てていたジャンプがガラスケースに飾られているのを観て謎の涙が出た
上澄みを知ってからその底に沈んでいるものを知る。何もおかしくないし、文化ってそういうことじゃないかな。博物館・美術館だけで終わらず、その先に自分が何を学ぶかにある
美術館をおしゃれ空間と思ったこと一度もないな。浮世絵で言えば額縁じゃなくケースに入れて上からのぞき込むように観るよう展示方法まで含めて工夫したら良かったのでは
オーディオマニアがピアニストが入場したときの足音で、「この席ハズレだな」的なことを感じてコンサートを楽しめなかったって話を思い出した。オシャレ空間に流されたほうが勝ち。
そういう疑問を持つこともまた文化的だろうし、文化的な気持ちになりたい文化的でない層を取り入れて多少ミーハーにやってお金落としてもらわないと、という事情もあるよね。硬派に徹せないのは美術館も商売
山田五郎「美術品に立ちションするなよ」酔っ払いの親父「俺たちはこんなもん、なんぼでも作れる」山田五郎「岡本太郎と同じだ」岡本太郎「子供が触って壊れたっていいんだ、俺が作り直す!」https://youtu.be/3GWOKzqLGO8?t=57
むしろ、絵を見るだけならネットでも図録でも何の問題もないわけで。美術館も博物館も、そこでしかできない体験ができるからこそ行く意味がある。
大河原邦夫を美術館で見ることになるとは当時思わなかった
そこまで考えたなら、自分にとって「文化的とは何か」、なぜ「何かが文化的であるべきと考えるのか」ってことを深堀りして考えるといいと思う
生口島にいて、平山郁夫美術館に行くと真新しさそんなねえな…ってなるけど、木場に住んでMOT行くと毎回館内の世界がガラリと変わる様な面白さがあるので金があるのは強いなと感じる
これだけ読み取れる増田がどうして文化と娯楽を対立的に捉えてるのかなあ/それでも国立博物館で「吉原を再現」なんて、昔なら考えられなかったろうね。
美術館に行くということは、文化的なのだろうか?
春画展は文化だ教養だとかを考えずに、いやらしい目で鑑賞したぞ。よかった
文化は高尚なものから低俗なもんまでなんでもありやろ、美術館=高尚てことは全然ないわ。雰囲気に酔って楽しめるのもいいね
モンハンブースにくそでかいリオレウスの模型居たら嬉しいじゃん。世界観で引き込むのよ。
インドアなアトラクションなのでは、と思った。でもいいな、知識があるほど楽しめる量が増えて。面白い解説日記で良かったです。
馬の骨みがある
当時ありふれた浮世絵が丁寧に飾られるように、数百年には我々のスマホだって立派な遺物になってケースに飾られるやもしれん
葛飾北斎の有名な版画もネット上や雑誌など目にする機会は多いけど、美術館に飾ってあったら文脈含めて鑑賞モードになるので、「飾ってある」ことが意味を持つ大事なことだと思う。詳しくて羨ましい
この文章自体がスノッブすぎるわ
おしゃれ空間を楽しむ娯楽、これも非常に文化的な行為だと思ったり/文化に関して規定する考え方は何かの文化を否定することに繋がりそうなので、私は避けたい
「娯楽だからなんでもいいじゃん」というコメがあるけど、元々はどのように見られたか、どのような展示方法が適切かと考えるのは大切な事かと。そのうちスフィンクスがなんで作られたか誰もわからないみたいになるぞ
今はそういう展示の仕方が流行ってる、くらいに解釈すればけっこう文化的じゃね?
そういう疑問は各々で消化すれば良くない?みんなで考えてみんなで一つの答え出すことじゃないような
昔のものだったらうんこでも文化を感じられるもんよ。
言いたいことはわかるけど、企画展はウケ狙いだけでなく、作品への敬意を示すことでもそうなりやすいよね。話は変わるが地中美術館での作品と空間が混然一体となってる様子は、空間自体が額縁となるんだなぁと思った
多分因果が逆で、蔦屋重三郎がプロデュースしてるってこと自体が箔がついてるってことだと思うよ より良い版元の良い彫師、摺師使って、見せ方も考えてさ より庶民的な浮世絵は蚤の市とかで今も買えるよ多分
言い出したら美術館で鑑賞する襖絵とか屏風絵とか天井画とかも本来あるべき見方じゃなくなるからねえ。「展示のテクニックで美しく見せる」ということ自体、美術であり文化であるいう解釈もできると思うけど。
許してやってくれ、彼らには美術館しか「文化的なもの」の想像がつかないんだ
「文化的」を何か高尚なものとして扱いすぎでは?ただしゆとりがあるからこそ触れられるモノだとは思う。日々の生活に困窮してたら美術館に行っても飯の種にならんからね。
日本の美術品の展示には、それ用の和風建築が欲しいとは思う。
漫画の原画だってそのまま見て楽しむものじゃないのに原画展をする。当初の想定と違うスタイルで楽しんでもいい。展示の仕方は美術館のブランディング、合う美術館を探そう
後世の美術館が所蔵するのはあらいずみるいだろう “うまい例えができないが、90年代アニメの特集でセイバーマリオネットやスレイヤーズの存在を意図的に隠して、エヴァを前面に推すような感じである。”
日本社会に広く深く根付く「文化」を知るという意味ならばパチンコをやるのもソープランドに行くのもデッカいちんこの御神体を撫で撫でするのも文化的かも知れないねぇ
結局 消費しているだけなんだよね それなら同人誌書いている方が文化的
千利休が庭の朝顔を全部刈り取って、一番綺麗な朝顔を一輪挿しにして茶室に飾って秀吉をもてなしたみたいに、作品の魅せ方というのは時に本来の姿を壊すように野蛮で、かつ演出の妙に溢れるものなのかもしれない
ハイソな文化と、そうじゃない土着文化と、あとサブカルがあると思うんだけど、増田はその高尚化されたハイソな文化が嫌なんでしょ。それは多くの人が同意してる。でもそれも文化の範疇なのは確か。
鑑賞の仕方まで当時を求めるのは、文化的なものを通り越した贅沢だろう。
娯楽だから文化(文化的)じゃないという発想がよくわからん
少なくとも不倫よりは。
“うまい例えができないが、90年代アニメの特集でセイバーマリオネットやスレイヤーズの存在を意図的に隠して、エヴァを前面に推すような感じ”/なんとなく、この議論 http://b.hatena.ne.jp/entry/22491725 を思い出した。
美術館に行くのは文化的だし、せんべろに行くのも文化的。今更ハイブロウな文化だけを文化と呼ぶ必要ある?
おしゃれ空間を楽しむ娯楽が文化では。
ニューヨーク近代美術館にあるスガキヤのラーメンフォークに若干の違和感を覚えるので、この感覚は分からなくもない。まぁ美術館的な消費の仕方もそれはそれで一つの視点だとは思うけど
こうしてどんどん先鋭化していくばかり
クラシック、絵画、演劇や歌舞伎も当時の技術水準でできる当時の人にとっての最大の娯楽なだけだし、それが文化でしょ。それで人々に好かれたものが残っただけで、高尚かどうかなんて単なる後付け。サブカルと同じ。
巧いこと言うねえ。しかしまあ、それも「文化」ではあるやろね。
なんだか小難しげなこと書いてるから読まないけど、サブスク会社とアニメ会社はもっとちゃんとセイバーマリオネットJを広く配信しろ!ってちゃんと書いておいてくれ
面白い指摘。特別展は往々にしてそうなりがち。通常展は違うのかもね。
関係ないけど美術館で仏像を見るのは何か罰当たりな気分になってしまって仏像の展示は避けるようになってしまった。魂抜かれてるとはいえ誰も手を合わせず鑑賞されるばかりの仏像。
この手の疑問は芸術系の学生ならば一度は抱くものだよねぇ。そもそも美術って何を以て美たりうるのかという、ね。
「それをわざわざ吉原をイメージした空間を作って展示となると、教養や文化というより、それを楽しむ娯楽だ。」全ての文化は娯楽だろ
未来で紙の漫画本がガラスケースに展示されたらそんな感じかね
万能文化猫娘
100年後に昭和のマンガを美術館に展示するとしたらどうするか。ラーメン屋や喫茶店を再現して当時の扱いを体感できる展示にするのが正しいか。とか考えると面白いよね。サブカルチャーのハイカルチャー化の話でもある
増田も分かってるだろうけど、保存のため壁にかけてガラス越しで見るんだよ。大勢で見るためには縛りがある。手に取ったり、自室の壁に飾る想像するのが楽しいよ
分かる分かる、ネットに疎い人が「SNSを使うのは本当に人間の進歩なんだろうか?」って言う感じね。古の人がまずは慣れてからだって意味で「半年ROMれ」って言ってたのが理解できるかできないかで全然違う。
大衆芸術とみればそうなのだろうが、たった二百年とは言えすでに貴重な文化財なのだから、展示の仕方が大仰になるのは当然では(ギャラリーフェイクでも読んだのかな?)
浮世絵は手に持って鑑賞すべきという点は同意。絵が小さいので、壁に掛かっているのを鑑賞するのは見にくくて疲れる。 https://artscape.jp/report/review/10024308_1735.html
娯楽は文化じゃないのかな?と思いつつも、小綺麗なものを選んで見せてるだけの展示に持つ違和感はわからんでもない。
美術館だけで文化として完結する必要はないからそれで良いんだよ。民俗資料として展示するなら歴史民俗博物館でも良いし、神保町でフェアを開いてもいい。それぞれが見せたいものを見せるから多様性に意味がある。
そこから何を感じるかは各人に委ねられてるし特に問題ないと思う
師事した先生にはゲルニカは展示室含めてアートと言われた
増田の言う通り手に持って読んだにせよ、作者が想像してた見方、読まれ方なんか当時の背景や物理的環境違う現代の専門研究者でもない 自分にはとても無理だなあ。文化とか美学とか美術芸術鑑賞ってそう言うのなん?
江戸時代の技法やモノで作ったものはできる限り後世に史料として残すため厳重な扱いを受ける展示品にならざるを得ない。でも、レプリカ作って当時の文化を楽しむ経験の提供は面白そう。
生きるという行為が既に文化的なので、あとは自由に好きに楽しめばいいと思う。楽しまないというのもいい
ハイカルチャーのお作法。何でもいつの間にやら教養になっていく。映画なんて私が子供の頃は、中で弁当食べたり主題歌一緒に歌ってたりした。
カフェバーのピアノ弾きとして生計を立てていた時期のエリック・サティが、その喧騒の中で演奏する為に作った『ジュ・トゥ・ヴ』をコンサートホールで無言着席で聴くのが本当に正しいのだろうか、と思った事はある
その近くの表慶館でちょっと前に凱蒂猫展をやっていた。そのへんのショップで売られていたものがガラスケースの中で「手を触れないでください」と陳列されるのが文化というものであろう。
美術館については、メインカルチャーのサブカル化は、もう十分すすんでると思うが
貴族の館にあった絵画を美術館に移して展示するのも、本来の環境とは違うから鑑賞の阻害になるみたいな意見もあるかもしれん。壁画は動かせないけどウフィッツィ美術館みたいに建物の目的が変わるとあかんのかな
「文化的」を適切に定義しないと議論が成り立たない
文化的って何 「文化的」だから行くのではなく、見たい絵があるから行く オシャレ空間にしちゃうと別に絵が好きなわけじゃない人が来て混むしべちゃべちゃうるさく話すしでかなり迷惑
版を重ねるごとに摺りが悪くなるんじゃなかったっけ
そういうおしゃれ展示テクニックも勉強になりますわよ
東京国立博物館の展示は、美術館と同じかどうか。21世紀の現在において、生活に密着した史料として貴重な研究対象になった事を、博物館的には表してるのと、企画展という性格との、最大公約数かなと思った。
これは額縁に飾るにふさわしい文化的な増田だ
士郎正宗の世界展に行ったが生原稿や下書きを、”漫画をよむ”とは違って、ある種、工芸作品や美術品を鑑賞するような文脈で見た.展示とはそういうものなのだろう.
不倫も文化だからな。
「おしゃれ空間を楽しむ」のもそれはそれで十分文化的な遊びだと思う。/増田のいうこともわかるけど、やたら凝ってる展示や解説は、企画準備してる時の学芸員さんのウキウキ顔が想像できてそれもまた楽しい派
気持ちはなんかわかる。しかし文化は全て高尚なものってわけでもないのでそれはそれで文化なはず。一方で高尚なものでもないはずの文化を高尚なもののようにもてはやすのはなんだかなとは思う。
博物館なら風俗研究として当時の姿、用法で鑑賞するのはあると思うけど、美術館で展示されてるならそれは美術品だから。便器だって意図をもって展示すれば芸術品だし。
主語も述語もデカすぎる。さすが5年以上美術館に行ってないだけの事はある。
便器も美術館に飾れば芸術。批判するのも、批判を見るのも芸術だ。批判するのは良いが、他人を尊重することをお忘れなく!それが大人のマナーだ。
この増田はすごく美術館を楽しめる素質を備えてるなぁと思う。楽しそう。自分も見にいきたくなった。
東博は日本最高峰の文化財保存修復研究施設なので、下手な展示はできない場所なんよ。浮世絵なんて年間で当てて良い光量すらきっちり決められてる。展示作品チョイスは学芸員さんのお考えがあるだろうけど
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」憲法二十五条
文化的でありましょう、と思って行くとそんなに楽しくなさそう
ガンダム展でファースト・ガンダムの安彦良和画キャラクター原案原画を見たが線がすごく綺麗で40年以上前のものとは思えなかった。これとは決めつけずいろんな角度から見て楽しんだらいいよ。
大事に飾った江戸の娯楽を令和で鑑賞できるなんて文化的っすよ
そりゃあ作品展示にもよそ行きと普段着の違いはあるだろうさ。not for meじゃ不服?
え、そう思えることこそが文化的なんだよ
ブチギレる前の夏油傑感
なんで娯楽として楽しんだら文化や教養じゃないのだろうか?
美術館は「こういうふうに鑑賞してくださいね」という、展示を作り上げた人の意志が介入すると思います。そこがノイズになったりしそう。でも、そこまで受け取れる人は上澄みですよ
はてブでは一人でも楽しめるインドア系趣味や娯楽が支持される傾向がある。美術館や博物館もその属性じゃないかと思っている。
へぇ~、お洒落な美術館行ったんだにゃ!ニャンとも素敵な浮世絵、見てみたいにゃ!でも、壁掛けはちょっと寂しいにゃ…もっと自由に触れ合いたいにゃ!
招待されるに相応しい文化的素養。/今日4/22からだが2000円超えるので行かない。/ 埼玉/本庄市の塙保己一記念館は群書類従のレプリカを手に取って見れる。無料。
博物館的骨董物件とか大衆文化だったものを芸術として楽しむのは民藝運動と似たような感じなんで、おしゃれ空間で鑑賞することに違和感があるのは解るけど貴重なものとして扱うとしかたがないんじゃないかとは思う。
この展示が?美術館に行くことが?/浮世絵が壁に貼ってあるのと平面に置いてあるのとで、見え方の変化が私に感じ取れる気がしない。/ハイセンスに見せるって、この文章ではアカデミックではなくスノッブなのか。
月一くらいで美術館やギャラリーに足を運んでから語ってくれないか?そもそも内覧会だろ。そりゃゆっくり観られて変な客もいないでしょ。もっと混み合ってざわざわした中で鑑賞したら感想も変わるかもよ。
文化的事業と娯楽興行は両立します。浅草演芸ホールで寄席を楽しむのは娯楽だけど、元禄からこっちの町人文化への知的アクセスの機会でもある。祭りは娯楽と祭祀だしうんぬん
いろいろなコンセプトの展示方法があるだろうからいろいろ見てみたらいいのでは?
問として意味をなしてない
そういう専門業者が入ってるのかもしれないが、学芸員さんが魅力的な展示会にしようと頑張ってるんだろうなぁとこれ読んで思った。そういう視点もあるので何を思うかは人それぞれだよね。
浮世絵の現代版であるマンガを読むことだってコミケで同人誌を買うことだって文化的だし、師走の翁の絵がのちに美術館で飾られていたとしてもおかしくないと思う
感じ方は人それぞれ。増田のように批判的な考えになるのも作品として訴追力があった証左で、美術館、博物館として意味有ったのでは?展示の仕方は、現代の展示会社(イベント企画)なので賛否あって良いと思うよ。
それはそれ。博物館の常設展示で昔の小道具や手紙の一部など見ている方が自分は落ち着くのでそのように動くだけである。
最近の企画展が異常に意識が高くなったのは(いまやもう誰も言わないが)DJがレコード盤回してるだけ(楽器なんか演奏してない)なのに音楽なのと同じ。キュレーターや学芸員の選別(企画)イコール芸術(アーカイブ文化だから
「セイバーマリオネットやスレイヤーズの存在を意図的に隠して、エヴァを前面に推すような感じ」分る。日本映画全盛期の1954年は七人の侍と二十四の瞳と初代ゴジラが公開された年だけど配給収入1位は君の名は第三部。
この人ブコメに汚染されたのかもな。。
美術館で会った人だろ そうさあんた 間違いないさ♪
茶道だって言ってしまえば「おしゃれ空間を楽しむ娯楽」だからな。
昔の娯楽だったものを、ハイカルチャーぶって高尚に展示しているものを、現代娯楽らしく美しく飾り立てて、文化と文化と文化がひしめき合ってるんだが?
現代の大ヒット週間少年漫画の原画展だって、粗悪な紙に印刷されて読む用に描かれた漫画を綺麗に額装して一番映えるように展示するんだから一緒一緒。
この絵欲しいなー、くらいの感じで観てる。
太田記念美術館に行くといいですよ。原宿のど真ん中なのになんかいつも展示が少しモサいぞ!いい浮世絵出てる時あるよ/オシャレなことにケチつける必要もないと思うが私は別の理由でべらぼう周りの展覧会に懐疑的
鯖の文化干しって何で文化干しなんだろうな。あれも文化なのかな。じゃあ文化干しされた鯖食べてたら私も文化的なのでは?って考えながら鯖食べてる私くらい何でも良さを感じる。心動く何かあったらいーじゃん。
名画は後の世に影響をもたらしてる作品。一方、現代アートは九割がペテン行為。詭弁を見抜き審美眼を養うには最適。美術館へ行くことは権威性のある高尚な文化的行為。
その娯楽化する展示展の在り方は文化的ではないかもしれんが、今後文化になるものだし、その変容も楽しめばいいのではないか(適当)。まあ特別展は形には残らないが。
うんうん、それもまたアイカツだね
例えば、パルテノン神殿の彫像を大英博物館で見ることは果たして文化的と言えるかどうか。簡単に答えは出なくて、作品を通じてそういう考えるきっかけを与えてくれるのが美術館や展覧会の意義なのだと思う。
「娯楽」と「文化的」は別に対立する概念ではないでしょ
“おしゃれ空間を楽しむ娯楽”
例えを自分が理解できないのが面白いので理解できるよう努力したい:「> うまい例えができないが、90年代アニメの特集でセイバーマリオネットやスレイヤーズの存在を意図的に隠して、エヴァを前面に推すような感じ」
自分の知らない世界に価値がある。日本人にとって当たり前の「くら寿司」だって、外国人からしたら驚きの体験。浮世絵も当時は当たり前でも今の我々からしたら新発見でしょ。
美術館に行くと言いながら博物館に行くのはいいんだろうか。浮世絵という絵を見るから間違いではないのか。英語の様のミュージアムの様に同じ言葉なら問題ないのか。面倒くさい。
作品は作られた意図のとおりに鑑賞したほうがいいと言う人、美術だけでなく映画でも音楽でも漫画でもなんでもいるよな〜
元々庶民向けの娯楽なんだから、それに相応しい形で展示すべきってことかな。まあ動物の骨や糞だって何万年も経てばショーケースに飾られるのである。
昨年、上野で埴輪展を見た。部屋の入口が古墳に入るようになっていたり、キャプションに副題が付いていたり工夫があって、とても楽しめた。色々と見てみればいいし、頭でっかちで楽しめてなさそう。美術は娯楽で文化
フランダースの犬のように、やっと、やっと見られたんだ。と言うような何かに出会いたいが、なかなか出会えない
展示されてるものを見たくて行くだけでしょ。文化的かどうかなんてどうでもよくない???
そういう不満とか批評を考えて、ちっ次また来てやるからな、って最後に言う場だよ
あー、どっかの間違った考えのママが「楽しかったら勉強じゃない」と言って子供の可能性を潰してるのを昔なんかで見たな。増田には同じ匂いを感じる。
美術館なので作品単体で楽しむのが主なので悪くは無い。博物館的側面を出したので粗が見えただけ。展示方法にノイズ多めだったのが難なのかな?芸術品は芸術性だけでがツンと来ないと勝負になりません。
大人になってから行く美術館は見たいものありきなので、行くこと自体の意味合いを考えたことがなかった。いい視点。有名特別展以外は閑散としているので、理由はなんでもいいから来場者増えるといいな
“おしゃれ空間を楽しむ娯楽” / 対象そのものより映えや他人の目を気にするいやらしさへの違和感ってのはよくわかる。でも間口広げるのも大事
東京の展示はその辺りかなり楽しくて羨ましい。地方の美術館を巡ると演出に金かけられないけどかなり価値のある面白い作品が近い距離で見れるように展示されてたりするので、片田舎の美術館がしっくり来るかも。
「浮世絵というのは、手に持って鑑賞するものだったので、多くの場合、壁に飾られることは想定していない」 いや、当時のポスターだから普通に壁に飾られてたでしょ。柱に貼る「柱絵」ってジャンルがあったぐらい。
文化だろうと娯楽だろうと各々の感性で好きに楽しめば良いとは思うが、そうした態度が許されない背景を持つ場や作品もあるらしい事はことは度々目にしている。私には切り分けできない。
文化に触れるのって、「私たちは昔から人間だったんだな」という確認をする行為なんじゃないかとふと思った。
その展示に限って言えば「美術はわからんけど大河ドラマ見てるから蔦重の展覧会なら行こうかな」って人が多そう。たぶんそういう人の中では蔦重=横浜流星なので。
そうやってゴニョゴニョ考えながら、もしくは見たあとでゴニョゴニョ反芻するのも十分文化的だと思う
企画してるとこより増田の方が上手(うわて)ってだけでしょ
ビル・エバンスのWaltz for Debbyが名演奏であるのは周りの私語までちゃんと録っているからであり、後ろから店員がつついて黙らせてる今のVillage Vanguardには違和感を感じるようなもん。/とはいえ東博だから仕方ない気も。
そんな事言ってたら、食後に捨てた貝が歴史的発見とかあり得なくなるじゃないですか。
仏像に照明バリバリ当ててるのは気に入らんな あれは寺に行って暗がりで見てナンボだ 晴れた夏の午後に見る根来寺(和歌山)の大日如来は時間が止まるくらい最高だった
バルテュス展に夏場の半袖アロハ半ズボンで汗かきながら来場して、他の客が上品で教養深そうなおばさま方や、洒落た美大生っぽい人ばかりだったときは、なにかこう梶井基次郎の『檸檬』のような気分になった想い出
久々ヘタ文体を読んでゾクゾクした。AIに読ませる前のプロットだけみたいな文章にイライラしながらも引き寄せられてしまう。冒頭から無駄だらけで好み。内容は「学芸員が前に出過ぎて嫌なハコあるよね」で納得したよ
ちょっと違う話だけど、大人の教養講座はタイトルが高尚なのに中身が低俗というか生活レベルで楽しむところが気楽でいいんだよなあ。五郎さん元気そうです何よりです。
通常展はガラガラでも特別展、企画展だけ異様な大行列大混雑なのはオシャレ空間イベントというレジャー化してるのはあるかも。でも娯楽化してでも入場料やグッズ売上稼げば作品保存や研究費の充実に回るからなあ
歌川国芳が壁に描いためっちゃ適当な落書きを美術館で見た時、国芳さんはこんな恥ずかしい落書きを後世尤もらしい顔で鑑賞されるとは思ってなかっただろうなぁと想像してニヤニヤしちゃったことある。
大半の人間はただの消費活動に終始してる、風俗に行くことと大差ない。何も生み出せない消費者が、ただ金を払って展示物を見聞きしただけなのに、高尚な人間になったと誤解し、自尊心を充足させる。オ◯ニーに近いね
自分は美術館に通っているが、知識はゼロで完全に好き嫌いのフィーリングで楽しんでいる
コンテンツビジネスの風雲児なんだからおしゃれ空間を楽しむ娯楽という側面が強くて当たり前じゃないかと思いました
平和ではあるな
立派な建物と洒落たレストラン、これが文化でいいじゃん ぼくはホキ美術館のレストランへランチだけ食べにゆきたい
大英博物館やナショナルギャラリーの入館料を無料にしているのは、人類史上重要かつ文化的な前提があったような。企画展はコンセプトと現実的な事情次第
増田がこのくらいのことを考えるということが文化だよ
大英博物館でマンガ展を見た時のような感じかな。
まぁ、わかる.. 美術館に行く私いけてる的な.. 元を辿れば風俗誌というのもなるほど..
ミュシャ展を見に行った。触れられなかったけど、100年近く経ってる精細な作品を間近で見られたのは良かった。帰りに図録を買ってしまうほど。
美術館は 上手い絵や造形を見に行く場所でしかない。ネットでもいいけど、真面目に観たい人にとってカメラやディスプレイの性能がネックになる。生を見たい!と思ってコミケに行くか美術館に行く って感じなのでは。
街中とかに潜んでるさり気ない造形を発見するのが好きなので、美術館だとかしこまった感じがして見え方が違う
美術館がそうというよりは、その展示が無理やり美術館という文法に合わせた結果そのような違和感が生まれた、という方が適切じゃないかな。わりと美術館に通う人間としてはそう感じた
浮世絵は手に持って観賞するものだったというのは興味深い視点。個人的には文化だなんだと余計なことは考えずに展示物を鑑賞していたいと思うなど
浮世絵はB4カラーグラビア印刷みたいな。日本にも表装文化はあったので、お気に入りを飾るのは良いんでないかと思う
というか、手に取って多数の人に鑑賞してもらうのは無理だし、そのうえで最大限美しく展示してあるならそれでええやん。
たいていが美術館に行って鑑賞してる私って光ってるって思ってるだけ。 歴史、技法、背景を前もって調べて、その検証に行くまでが本当の文化的な行動。
民藝系もね。飾られてるものより実際手に取れる所有できるミュージアムショップで売られてるグッズの方がよっぽど民藝的ちゃうんかという気持ちになる
文化レベルがどうのこうの的なヒエラルキー。マジでバカみたい。勝手にコンプ拗らせる奴が再生産されて話がややこしくなるし。そういう価値観の界隈には出来るだけ近寄りたくない。QOLが著しく下がる。
増田も美術館も文化というものを高尚に捉え過ぎているように思う。増田の批判には共感するし、増田の提案する展示こそ歴史的背景という文脈でより文化的かもしれない。/漫画を読むのも文化的な行為です。
行くこと自体はさほどって感じ
わりと本質的な話かもしれん。
なるほどねえ。作品がどのように受容されていたかを伝えるのも大事なことだよね。色々なコンセプトの展覧会があっていいと思うけど、あまり漂白されているのはイヤだね。
そもそも文化とか、文化的とはなんなのか?運動部以外の部活を全て文化部と呼んだりするくらいにはあやふやで、ピンとこない概念。
村祭りやウィンドーショッピングやライブハウスや野球場や握手会や行列のできる飲食店に行ったり結婚式や葬式に行くぐらいは、文化的でしょうね
文化的だよ。サブカルクソ野郎のミニコミ誌も女目当てのバンドマンがかき鳴らす騒音やロリエロ同人も文化なのと同様にね/北条司展で当時読み捨てていたジャンプがガラスケースに飾られているのを観て謎の涙が出た
上澄みを知ってからその底に沈んでいるものを知る。何もおかしくないし、文化ってそういうことじゃないかな。博物館・美術館だけで終わらず、その先に自分が何を学ぶかにある
美術館をおしゃれ空間と思ったこと一度もないな。浮世絵で言えば額縁じゃなくケースに入れて上からのぞき込むように観るよう展示方法まで含めて工夫したら良かったのでは
オーディオマニアがピアニストが入場したときの足音で、「この席ハズレだな」的なことを感じてコンサートを楽しめなかったって話を思い出した。オシャレ空間に流されたほうが勝ち。
そういう疑問を持つこともまた文化的だろうし、文化的な気持ちになりたい文化的でない層を取り入れて多少ミーハーにやってお金落としてもらわないと、という事情もあるよね。硬派に徹せないのは美術館も商売
山田五郎「美術品に立ちションするなよ」酔っ払いの親父「俺たちはこんなもん、なんぼでも作れる」山田五郎「岡本太郎と同じだ」岡本太郎「子供が触って壊れたっていいんだ、俺が作り直す!」https://youtu.be/3GWOKzqLGO8?t=57
むしろ、絵を見るだけならネットでも図録でも何の問題もないわけで。美術館も博物館も、そこでしかできない体験ができるからこそ行く意味がある。
大河原邦夫を美術館で見ることになるとは当時思わなかった
そこまで考えたなら、自分にとって「文化的とは何か」、なぜ「何かが文化的であるべきと考えるのか」ってことを深堀りして考えるといいと思う
生口島にいて、平山郁夫美術館に行くと真新しさそんなねえな…ってなるけど、木場に住んでMOT行くと毎回館内の世界がガラリと変わる様な面白さがあるので金があるのは強いなと感じる
これだけ読み取れる増田がどうして文化と娯楽を対立的に捉えてるのかなあ/それでも国立博物館で「吉原を再現」なんて、昔なら考えられなかったろうね。