キャシャーン⁈
世の中には週一月一で観に行く人ばかりではないのよ、それでいてメガヒットに繋がる作品はそんな足繁く観に来る人以外を呼び込むくらいじゃないと数字は取れないのよ、そんな人に初体験が失敗であってほしくはないよ
そうかそうか。最近は駄作がいろいろそろってると聞くぞ。実写白雪姫とかウィキっ度とか。知らんけど。
「他者の評価を耳に入れる前に自分の頭で評価する」という体験は有益で、それをすると駄作に遭遇することは避けられない、というのはあるかも
昔みたいに公衆概念がクソ以下で上映も総入れ替え制じゃない頃はそれでいいけど、個人至上主義が極まった現代でランチ1回分以上の金払ってウンコ見せられたらダメージは深い
クソだからこそ、楽しく悪口が言えて盛り上がるのに
誰かにとって駄作でも、別の誰かにとっては傑作かもしれない。万人にとっての駄作や傑作は(時々あるけど基本的には)無い。食わず嫌いはもったいない。
話題にあがらない映画は思い出にもならずに忘れたな。でも、その時楽しければいいんじゃないか?
悪い思い出、要る?
ファイブスター観るため三度映画館に通い、最後は同時上映の宇宙皇子の上映中ずっと上着を頭から被って画像シャットアウトし(当時は席指定じゃないので良い席は朝一で並んで確保する)記憶からも消した。思い出とは
スキップもできない劇場で、この先、最後に面白くなる可能性に賭けて「わざわざ休みの日に、お金払って、映画以外何も目に入らない環境で拘束されてみるからこそ、真に退屈だと感じられるし、真に怒りを感じられる」
ペンギンドキュメンタリーだと思ったらナレーターがペンギンにアテレコして思ってたのと違うから出たことはいまだに覚えてる。
見終わったあとすぐ感想言うやつとかTwitterで映画のことマンガする奴がクズなこと以外はどうでもよい。
映画館で映画を見るなんて時計仕掛けのオレンジじゃないんだから
子供向けの映画が無くて仕方なく入った動物映画が小学生の眼にも超駄作だった。何十年経っても誰かがそれに言及するたび家族全員でdisりまくって大笑いしたな。
どマイナー映画を俺一人しかいない映画館で独り占めで見た時は何とも贅沢な気分にはなったな。あれこそまさに映画館でしかできない体験だわ。
「楽しみに見に行った映画が実は駄作だった」の機会ってもう失われている気がする。調べた時点で評判が飛び込んできて、失敗は未然に防がれる。
映画以外することない人生なのかな
新宿26時の回に「やった!一人だ!」と入るも、しばらくして中年カップルが後方席に入ってきて吐息とクチュクチュ音が聞こえてきたルックバックはとても複雑な感情で受け止めました。原画集は買った。
ユアストーリーとかハリウッドドラゴンボールとか見えてる地雷しか踏んだことないんで良くも悪くもダメージはないな
駄作の方が上映期間短いから封切りで見た自慢ができる
だから基本的に俺はひとりで映画みるんだけど、なんというか2000円とか払わせてるの考えてよねと思うのはないではない。
良し悪し問わずでいえばそれはそう | TVなどだと駄作はまず見続けられないけど映画館でみると没入してとりあえずみちゃうというのはあって、作品の印象多少下駄はかされる気がする
“「映画館で駄作を観る。」これもいつか思い出になるんだよ。” ならない。観たことを忘れてしまうから。
まあ、自分が細田守の新作を必ず映画館に見に行くのは似たような体験を求めてるんだろうな。
駄作ではないけど、『イノセンス』を公開初日付近に他県まで観に行ったら、他に客が二人くらいしかいなかった。だからタイトルに『攻殻機動隊』を付けろと……。まあ、良い思い出。
具体例を挙げてくれ!
中学の時、1つ上の彼女と「スローなブギにしてくれ」観に行ったが話は微塵も記憶に残ってない。「うる星」の同時上映「ションベン・ライダー」「すかんぴんウォーク」、「009超銀河伝説」も然り。駄作かは知らん。
何故か毎年父と行ってたドラえもんの映画。どの映画を観たかは覚えてないし映画の内容はその後テレビで繰り返し観て覚えてる感じなんだけど、お父さんと行ってたなーってのは覚えてる。そーゆー感じでいいよね。
ほとんどの駄作はさっさと忘れるだけだけど、ドラゴンクエスト ユア・ストーリーや大怪獣のあとしまつは金と時間の無駄だったと恨みが勝っていつまでも覚えてるがいい思い出ではない。
祇園会館で入れ替えなしの二本立て映画とか見てたら駄作とか慣れてもう全然気にならなくなった。/最近はスクリーン数多い映画館が多くて封切り日でもレイトショーなら客が自分一人とか普通にある。
思い出というか語れるネタが増えると言うか。
大分ハードルは低いんだけどnetflixの映画を前評判見ずに見るようにしてる。つまらないと感じたらその場で切る。純粋な視点で作品を観れる気がしている
高校生のとき「ブラック・ライダー」というトミー・リー・ジョーンズがまだ無名の頃の映画を観た。水を電気分解して水素で加速するという車が登場してとても面白かった。お客さん少なかったよ。
中途半端な作品よりも印象に刻まれているのは確か。Dragon ball evolution、見に行ったことは未だに自慢(?)
経験であり思い出であることは間違いないが、積極的に経験すべきかと問われたら必要ないだろうとは思う。
見る前から傑作か駄作かなんて分からないので、いくつか駄作にぶち当たるのは仕方ないでしょう。
途中退場したのは手持ちカメラのやつだけ。酔うので視聴すらできない駄作中の駄作。手持ちカメラはポスターに大きく表示を義務付けるべき。
実際記憶に残ってるのって普通に面白かった映画よりとんでもなくつまんなかった映画だもんなぁ
ビートたけしの『みんな〜やってるか!』を横浜の劇場で見た。静まり返った館内、ぞろぞろ出ていく観客、俺はわかってるとでも言いたそうに無理やり笑う観客、地獄のような体験だった。内容は覚えていない
何をもって駄作というかだな
北京原人、映画館で見た(自慢)
事前に情報仕入れて出向いても駄作にまぁまぁ当たるしやってしまったという思い出では残る
シンエヴァで過ごした虚無の時間は永遠にいい思い出になることはなさそうだ…
「映画館で映画を観る」という娯楽のコストが経済的にも精神的にもどんどん高くなる一方で、駄作情報は公開直後には出回るので、積極的に "ハズレ" を掴みに行こうという余裕を持てずにいる。
こないだトワイライトウォリアーズ見に行って「いつになったらキョンシーが出てくるのか」と思いながら見てた。駄作じゃないけど勘違いしてた。
白雪姫見なきゃ良かったと思ったがそれもまた思い出ということになるのか
アップルシードとかショートピースとか記憶に残ってますよええ、「バイオロイドは人をコロさないわ!」
合わない映画は見ないだけだけど、ダメな映画は見て批判したい。/「カメラを止めるな」や「クローバーフィールド」は配信だったら序盤で脱落してたかもしれない。ああいう“終わるまで出ない場所”は必要だと思う。
rotten tomatoesやら口コミ重視で映画を観るので、駄作を観る回数は減ったけど、それでもたまに自分に合わない作品がある。それは確かに記憶に残るなぁ・・・
ならんよ、駄作なんて普通は忘れる。
“あえて火中の栗を拾う”はしない。偶に残念な作品に遭遇しても普通は忘れてる。マダム・ウェブもきれいサッパリ忘れてたがゴールデンラズベリー賞取ったので思い出に。ジョーカー2も見たし当たり年だったな。
デビルマンを映画館で観た経験があるけど、観た経験よりも後で2ちゃんで騒いだ経験の方が思い出になっとるな。「アレも酷かった!」「コレも酷かった!」って感じで盛り上がったわ、もう20年以上前の話だ。
賽の河原で石を積んでても思い出の一つにはなると思うのでわざわざ人生を嫌な感情で埋めたいと思う人はよっぽど余裕のある生き方をしてるんだなぁと思う次第。
Prime Videoでうっかりひでえの見始めると使命感みたいなのが湧いてくる
覚えてる映画なんて1つもない 内容によらず記憶が残るなんてことがない 思い出になんてならんわ
たまに行くくらいの頻度ならそう思うかもね。
前情報なしでどうしようもない文化的「事故」にあう経験はものすごく贅沢のような気がする。他人の言う駄作ではなく自分で「駄作」を実感するのは大事。
映画好きの人が興奮して語る作品を観に行って、よかったけどそれ程でもないなぁって思うのは、映画館で駄作を観る経験が少ないせいだと思う。良いものを楽しむには、酷い体験も必要。
つまんなかったらすぐ出てくるのか金払ったから最後まで見るのか。損切りのセンスを試す試験に使われてた某漫画
レビューサイトとかで星の数が多くても見たらつまらないことはあるがその逆はほぼない。大勢がつまらないと評価する映画は大抵つまらない。つまらなさに関しては集合知の正しさを感じる。
昔は配信はもちろんなく、レンタルビデオも充実してないので映画は二番館、三番館や名画座で、何本もまとめて見るものだった。映画館で駄作に当たる確率ももっと高かったが、別にいい思い出ではない
ギャラクシー街道は死ぬまで擦り続けると思う
祖母と一緒にドラえもん映画を見に行った思い出は強く残ってる。
映画館で駄作を観ることもいつか思い出になるんだよというポストに賛成意見や駄作こそ映画館で見ろ派も
キャシャーン⁈
世の中には週一月一で観に行く人ばかりではないのよ、それでいてメガヒットに繋がる作品はそんな足繁く観に来る人以外を呼び込むくらいじゃないと数字は取れないのよ、そんな人に初体験が失敗であってほしくはないよ
そうかそうか。最近は駄作がいろいろそろってると聞くぞ。実写白雪姫とかウィキっ度とか。知らんけど。
「他者の評価を耳に入れる前に自分の頭で評価する」という体験は有益で、それをすると駄作に遭遇することは避けられない、というのはあるかも
昔みたいに公衆概念がクソ以下で上映も総入れ替え制じゃない頃はそれでいいけど、個人至上主義が極まった現代でランチ1回分以上の金払ってウンコ見せられたらダメージは深い
クソだからこそ、楽しく悪口が言えて盛り上がるのに
誰かにとって駄作でも、別の誰かにとっては傑作かもしれない。万人にとっての駄作や傑作は(時々あるけど基本的には)無い。食わず嫌いはもったいない。
話題にあがらない映画は思い出にもならずに忘れたな。でも、その時楽しければいいんじゃないか?
悪い思い出、要る?
ファイブスター観るため三度映画館に通い、最後は同時上映の宇宙皇子の上映中ずっと上着を頭から被って画像シャットアウトし(当時は席指定じゃないので良い席は朝一で並んで確保する)記憶からも消した。思い出とは
スキップもできない劇場で、この先、最後に面白くなる可能性に賭けて「わざわざ休みの日に、お金払って、映画以外何も目に入らない環境で拘束されてみるからこそ、真に退屈だと感じられるし、真に怒りを感じられる」
ペンギンドキュメンタリーだと思ったらナレーターがペンギンにアテレコして思ってたのと違うから出たことはいまだに覚えてる。
見終わったあとすぐ感想言うやつとかTwitterで映画のことマンガする奴がクズなこと以外はどうでもよい。
映画館で映画を見るなんて時計仕掛けのオレンジじゃないんだから
子供向けの映画が無くて仕方なく入った動物映画が小学生の眼にも超駄作だった。何十年経っても誰かがそれに言及するたび家族全員でdisりまくって大笑いしたな。
どマイナー映画を俺一人しかいない映画館で独り占めで見た時は何とも贅沢な気分にはなったな。あれこそまさに映画館でしかできない体験だわ。
「楽しみに見に行った映画が実は駄作だった」の機会ってもう失われている気がする。調べた時点で評判が飛び込んできて、失敗は未然に防がれる。
映画以外することない人生なのかな
新宿26時の回に「やった!一人だ!」と入るも、しばらくして中年カップルが後方席に入ってきて吐息とクチュクチュ音が聞こえてきたルックバックはとても複雑な感情で受け止めました。原画集は買った。
ユアストーリーとかハリウッドドラゴンボールとか見えてる地雷しか踏んだことないんで良くも悪くもダメージはないな
駄作の方が上映期間短いから封切りで見た自慢ができる
だから基本的に俺はひとりで映画みるんだけど、なんというか2000円とか払わせてるの考えてよねと思うのはないではない。
良し悪し問わずでいえばそれはそう | TVなどだと駄作はまず見続けられないけど映画館でみると没入してとりあえずみちゃうというのはあって、作品の印象多少下駄はかされる気がする
“「映画館で駄作を観る。」これもいつか思い出になるんだよ。” ならない。観たことを忘れてしまうから。
まあ、自分が細田守の新作を必ず映画館に見に行くのは似たような体験を求めてるんだろうな。
駄作ではないけど、『イノセンス』を公開初日付近に他県まで観に行ったら、他に客が二人くらいしかいなかった。だからタイトルに『攻殻機動隊』を付けろと……。まあ、良い思い出。
具体例を挙げてくれ!
中学の時、1つ上の彼女と「スローなブギにしてくれ」観に行ったが話は微塵も記憶に残ってない。「うる星」の同時上映「ションベン・ライダー」「すかんぴんウォーク」、「009超銀河伝説」も然り。駄作かは知らん。
何故か毎年父と行ってたドラえもんの映画。どの映画を観たかは覚えてないし映画の内容はその後テレビで繰り返し観て覚えてる感じなんだけど、お父さんと行ってたなーってのは覚えてる。そーゆー感じでいいよね。
ほとんどの駄作はさっさと忘れるだけだけど、ドラゴンクエスト ユア・ストーリーや大怪獣のあとしまつは金と時間の無駄だったと恨みが勝っていつまでも覚えてるがいい思い出ではない。
祇園会館で入れ替えなしの二本立て映画とか見てたら駄作とか慣れてもう全然気にならなくなった。/最近はスクリーン数多い映画館が多くて封切り日でもレイトショーなら客が自分一人とか普通にある。
思い出というか語れるネタが増えると言うか。
大分ハードルは低いんだけどnetflixの映画を前評判見ずに見るようにしてる。つまらないと感じたらその場で切る。純粋な視点で作品を観れる気がしている
高校生のとき「ブラック・ライダー」というトミー・リー・ジョーンズがまだ無名の頃の映画を観た。水を電気分解して水素で加速するという車が登場してとても面白かった。お客さん少なかったよ。
中途半端な作品よりも印象に刻まれているのは確か。Dragon ball evolution、見に行ったことは未だに自慢(?)
経験であり思い出であることは間違いないが、積極的に経験すべきかと問われたら必要ないだろうとは思う。
見る前から傑作か駄作かなんて分からないので、いくつか駄作にぶち当たるのは仕方ないでしょう。
途中退場したのは手持ちカメラのやつだけ。酔うので視聴すらできない駄作中の駄作。手持ちカメラはポスターに大きく表示を義務付けるべき。
実際記憶に残ってるのって普通に面白かった映画よりとんでもなくつまんなかった映画だもんなぁ
ビートたけしの『みんな〜やってるか!』を横浜の劇場で見た。静まり返った館内、ぞろぞろ出ていく観客、俺はわかってるとでも言いたそうに無理やり笑う観客、地獄のような体験だった。内容は覚えていない
何をもって駄作というかだな
北京原人、映画館で見た(自慢)
事前に情報仕入れて出向いても駄作にまぁまぁ当たるしやってしまったという思い出では残る
シンエヴァで過ごした虚無の時間は永遠にいい思い出になることはなさそうだ…
「映画館で映画を観る」という娯楽のコストが経済的にも精神的にもどんどん高くなる一方で、駄作情報は公開直後には出回るので、積極的に "ハズレ" を掴みに行こうという余裕を持てずにいる。
こないだトワイライトウォリアーズ見に行って「いつになったらキョンシーが出てくるのか」と思いながら見てた。駄作じゃないけど勘違いしてた。
白雪姫見なきゃ良かったと思ったがそれもまた思い出ということになるのか
アップルシードとかショートピースとか記憶に残ってますよええ、「バイオロイドは人をコロさないわ!」
合わない映画は見ないだけだけど、ダメな映画は見て批判したい。/「カメラを止めるな」や「クローバーフィールド」は配信だったら序盤で脱落してたかもしれない。ああいう“終わるまで出ない場所”は必要だと思う。
rotten tomatoesやら口コミ重視で映画を観るので、駄作を観る回数は減ったけど、それでもたまに自分に合わない作品がある。それは確かに記憶に残るなぁ・・・
ならんよ、駄作なんて普通は忘れる。
“あえて火中の栗を拾う”はしない。偶に残念な作品に遭遇しても普通は忘れてる。マダム・ウェブもきれいサッパリ忘れてたがゴールデンラズベリー賞取ったので思い出に。ジョーカー2も見たし当たり年だったな。
デビルマンを映画館で観た経験があるけど、観た経験よりも後で2ちゃんで騒いだ経験の方が思い出になっとるな。「アレも酷かった!」「コレも酷かった!」って感じで盛り上がったわ、もう20年以上前の話だ。
賽の河原で石を積んでても思い出の一つにはなると思うのでわざわざ人生を嫌な感情で埋めたいと思う人はよっぽど余裕のある生き方をしてるんだなぁと思う次第。
Prime Videoでうっかりひでえの見始めると使命感みたいなのが湧いてくる
覚えてる映画なんて1つもない 内容によらず記憶が残るなんてことがない 思い出になんてならんわ
たまに行くくらいの頻度ならそう思うかもね。
前情報なしでどうしようもない文化的「事故」にあう経験はものすごく贅沢のような気がする。他人の言う駄作ではなく自分で「駄作」を実感するのは大事。
映画好きの人が興奮して語る作品を観に行って、よかったけどそれ程でもないなぁって思うのは、映画館で駄作を観る経験が少ないせいだと思う。良いものを楽しむには、酷い体験も必要。
つまんなかったらすぐ出てくるのか金払ったから最後まで見るのか。損切りのセンスを試す試験に使われてた某漫画
レビューサイトとかで星の数が多くても見たらつまらないことはあるがその逆はほぼない。大勢がつまらないと評価する映画は大抵つまらない。つまらなさに関しては集合知の正しさを感じる。
昔は配信はもちろんなく、レンタルビデオも充実してないので映画は二番館、三番館や名画座で、何本もまとめて見るものだった。映画館で駄作に当たる確率ももっと高かったが、別にいい思い出ではない
ギャラクシー街道は死ぬまで擦り続けると思う
祖母と一緒にドラえもん映画を見に行った思い出は強く残ってる。