教師が話す時、基本は「教育的に許容される語彙」の中から「眼の前の生徒に伝えるべき言葉」を選択するわけで。少年漫画のセリフは基本マッチョになるし、全て作者の本心と見るのはナイーブ過ぎる。
もっとシンプルだと思うけどな。それより最初の切り抜きの絵の数々よ。たぶんデッサンとか絵の上手下手でいうとそれほどでもない気はするけど、狂気の情熱がにじみ出てるのをいまだに感じられるな。原画展とか見たい
責任に対する負の割合が大きい社会になったので強くなる利点が消えたのよな。とはいえ弱者が損であるような仕組みにはできないから分断が起きてる。ただ、自認はあるから弱者を見る目に過剰反応してしまうというね。
オタクの「全ての創作物は作者から自分への個人的メッセージと信じる」という行動に名前つけてほしい
弱者に甘んじて、それを免罪符に、なにも与えず、もらってばかりの人間は嫌われてもしゃあないやろ。それと「弱者だから踏みつけていい」という考えにあらがうことは両立する ( ˘ω˘ )
無受想行識。
利他的とか自己犠牲とか嫌ってそうな人の意見だな。
作品には作者の思想が反映されてるって考えるの国語のテストで「この時の作者の気持ちは?」みたいな問題やらせてたからだろ
まとめの中でニーチェに言及しているものがあるけど、「超人」的であると思う。少年マンガ自体そういった傾向があるけど。ニーチェの方は弱者批判という点でキリスト教批判もあるし。
鬼滅の作者の考えなんてわからないけど、じゃああなた、力の弱さから鬼に殺されるのも、心の弱さから鬼になるのも仕方ないね、本当に僕たち人間は駄目だね可愛そうだね、みたいな漫画が読みたいですか?とは思う。
嫌っているかどうかまでは分からないが、あんまり好んではいないんだろうなとは思う。だって好きだと思えるキャラは欠損させてる。猗窩座とか頭までいってる。
「現実とフィクションの区別がつかず、現実の社会問題として作品を糾弾する」奇矯な振る舞いをされる方を、よく最近のXで見かけますが、これも変奏曲のひとつなのかな?/ ニュースになる前に、ケアされると良いですね
作者、毎日何をしているのかのほうが気になる。若くて連載短くて巨万の富を得て。
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」と「追い詰められたときに出るのは追い詰められた姿だ」と「本当にその人間の人格や本性が試されるのは、自由や権力を手にした時である」の3つ。
これ言ってるの弱者の自覚が薄らあるけど、受け入れられないタイプの人間?
まず商業出版の現場で、作家が自分の思想をどれだけ反映できるのかという問題があるので、この件に回答を出すには関係者への取材が必要
弱者も強くなれというのを極端な解釈で否定するなら、絶対強者(そんなものは居ない)以外は弱者に奉仕しなくて良いという極端な解釈も罷り通ってしまうが良いのかと。
このタイトル、そもそも根本的に「善くあれる人」っていうのは強者である。対面の良い綺麗事を吐き続けられる人ってのは立場も生活も確固としてある人、例えば政治的に正しい綺麗事を言うエリート富裕層のように
それはそれとして、治安を維持するには、普通の暴力を上回る暴力装置が必要だからノブレスオブリーシュな面はあるよな。
×:作者が〇〇だと考えている、〇:作品ではキャラクターが〇〇のように描かれている、って表現すべきじゃね?/作者を主体にする必要性がないような…(個人攻撃したい?)
鬼滅、ある種の「支援Tierの低い」弱者が救われない話だとは思うけど、それを社会戯評的に斬りたがる人が往々にして己の実生活では「かわいそうランキングの低い弱者」には冷淡そうという霊感もあり…。
この手の解釈ごっこ、物語構造(主人公という個人を軸に物事をまとめる)に全く目が行かないの何故。古典的なヒーロー活躍は何をどうしようと強者の話になるよ(なので神話や英雄譚のアンチとして「文学」がある
日本には村社会ではない中間共同体の再興が必要。個人の自由で生きる時代は終わった。/マンガはイデオロギー、ドグマを広めるツールとして効果的。日本的価値観を世界へ広めている。ドラゴンボール、ナルトなど
こんな風に極端に作品解釈されて誰かの自己顕示欲に利用される創作者が気の毒。もはや誹謗中傷。
相克とか葛藤とか二律背反とか、多義性とか矛盾とか止揚とかを認識できず、浅くて単面的で極端な見方しかできないなら、鬼滅に限らず世の中の作品を楽しめるものなんだろうか。エロ本とかしか楽しめないのではないか
わざわざマッチョイズムの体現者である少年漫画に救いたくなる形をしてない系弱者目線で難癖つける仕草が救いたくなる形をしてない弱者故だなと思った 鬼滅の刃は少年漫画として描かれてる事忘れないで
ここ数十年の漫画界最大最高のヒット作を生み出したジャンプの柱という圧倒的強者に、たとえ弱者に対する理解がなかったとしても、そうでしょうねとしか。
ネット無惨様が多すぎる
ネットの自称弱者男性は半天狗みたいに「弱くて可哀想な俺」自認をカードにして他者への加害を正当化したり責任逃れするから、正面からエセ弱者男性の有害さを描いた吾峠先生を逆恨みしてそう…的自己紹介だった。
「『鬼滅の刃』は Not for me だった」を、「作者は弱者(=自分)を嫌っている」へ変換してしまう認識の枠組みに問題があります。作者は個々の読者に宛てて書いてはいないので、読者が向き合うべきは自分の内面ですね。
鬼滅を使って自己主張?
人間誰しも何らかの側面では弱者たり得るので、弱者叩きには本質的に自虐の後ろ暗い快感が付きまとう。しかしそれを悦ぶのは「誰でも・いつも」とはいかない。だから弱者嫌い思想が作品から滲んでたら人気出ないよ。
弱者を憎んでいるなら鬼よりも弱い人間が勝つ結末にはしなくないか?なぜそう捉えたのか本当に謎。
鬼が跋扈する恐ろしい世界を描こうとすれば自然とそうなる。現実世界と比べても意味ない。
いい名言がある「作者なんも考えてないと思うよ」 / エヴァの時もそうだけどこういうところがオタクの気持ち悪いところと自意識過剰だなと実感するw まぁ裏を読むのが楽しいのはいいけど個人だけにしとけw
“弱者でいることを肯定した人間を鬼として退治”( 鬼滅ド素人がみても鬼舞辻無惨は弱者からいっとう遠いヒトですぜ )
棘読んでないけど、作品の登場人物の意見と作者の意見を同一視しているなら危険だな。
アメリカの共和党支持者の老夫婦を思い出した.貧しくても助けあって生き続けた人たちだからこそただ乗りする弱者を毛嫌いする.だからトランプであれ小さい政府を望み共和党を支持する/日本人にもある考え方.
むしろ敵サイドの弱者としての悲劇にフォーカスして同情を誘っている点が少年漫画としては特徴的という印象
義務教育課程の読者感想文の弊害だな。作品と自己の相対化から抜け出せないでいる。
精神的に強くあれるものが正義ってのは少年漫画の土台だしなあ
「弱者は死ね」ではなく「他害者は死ね」でしょ。「弱者は強くならねばいけない」ではなく「なにか(禰豆子を戻すとか)を成すには強くなければいけない」でしょ。鬼殺隊は普通に弱者助けているでしょ
ほかの作品は出さないのかな。1作品目にして世界的にもメガヒットを飛ばした若い漫画家の人生の方が気になるよ
作品の分析じゃなくて、なんで作者の思想にすぐ方向が向かって行くのか、なんか闇が深い人たちだなと思う。しかも今更やってんの!?
この議論で作品やキャラに深みは生まれないしインプレッション目的の炎上なので相手にしない。
ひねくれ者がいるな。
少年誌、ましてやジャンプなんだから、弱者は弱者のままでいいなんて、「努力」を否定するようなこと言わんでしょ。
こういうの見ると、届かない人には届かないんだと思い知らされる。
作者じゃ無くて猗窩座
鬼滅の刃はこれから成長しかない少年向けの漫画なので成長(強くなること)を全肯定している、もはや成長なんて望めない大人への慰めとしては描かれてないというだけの話
あれだけ虐げられた者たちに寄り添う描写あるのにそんな曲解する奴…いや、コレよくあるそんな奴居らんやろで持論に我田引水するメソッドだ俺は詳しいんだ
社会に踏みつけにされた弱者だから何の罪もない人々に復讐してしまう人は自身より遥かに悪く強い鬼に「利用される」というメッセージはある.これを不愉快に感じる人は弱者を利用しようとしてるのではないか?
ジャンプの漫画は多くが結果としての現実(力や能力)において弱者であっても精神的に弱いままで良いのかと言う問いかけがある。ワンピジョジョヒロアカ等々「弱い」サブキャラも皆その弱さに甘んじていない
どちらかというと力を持つことへの強烈な忌避感を感じる。アザ出たら寿命縮む
己を弱いと考えることができている者は強者である
艱難辛苦に際して、絶望しながらも運命に立ち向かうもの(鬼殺隊)と、安易な逃げ道を選んだり他者を憎むことで目をそらすもの(鬼)、という対比がよくできていると感じていたんだが。
弱者が嫌いならそもそもこういう物語は思いつかないし描かないと思う。弱者はいくらでも出てくるけど、存在を否定していないし責める描写もしてない(こだわっている側の猗窩座は敵だし)
作者の人そこまで考えてないと思うよ
人の心は弱い。を基本理念に持っておくことだよね。貧弱、女性、外国人、強者、どの属性にいる人間も等しく心に弱いところはある。大いなる悪的な物語にとらわれず、当たり前の心の弱さを直視する必要がある。
なんでだよ、長男じゃなかったら耐えれなかったって書いてあるだろ?次男以下は弱くても別に嫌われてるわけじゃない
感じ方は人それぞれだけど、最近の鬼滅の別騒動も昨日一昨日の「ワンピ作者は鬼滅に冷たく女嫌い」の謎主張も、どれも一部分切り取りで作者を語るなってか、一介の読者が妄想だけで作者を知った気になるなというか。
鬼滅とフリーレンを混ぜたら魔族以外の全員が精神崩壊しそうでウケる。
神崎アオイは鬼殺隊士なのに恐怖から前線に出られなくなったが、裏方として隊を支えていた。「やれることをやれ」というのが『鬼滅の刃』のメッセージだろう。
なるほどなあ、どの意見も納得感はある
鬼滅は近年珍しい、このへんの、救済やら断罪やらって欺瞞だらけだよねってやつから逃げないで描いて大ヒットしたすげえ作品って言えると思うよ。最近の流行りはもっと別の目的が優先の主人公みたいなのになると思う
鬼滅ぐらい全部言葉で言ってる漫画でさえ、こうして自分の中で星座バチバチ描くやつもいる。「悪影響があるから規制しろ、ゾーニングしろ」というのがどんなにばかばかしいかわかりそうなもんじゃないですか
なんの努力もせずただ弱いままでいたい、強いお前らはひたすら俺を助けろって? 図々しい
作者が好き嫌いというのは全くわからんけど、漫画やアニメの多くは強い人を中心として描かれるし弱い人が弱いまま評価されるというのはそれを狙って描いたものくらいしかない気がする
マッチョじゃない物語なんて少年漫画でありえるのかと思ってたら近年わりと成立してきているのでそういうのを読めば良い
弱者が弱者のまま成長すること無く、それでも生を楽しむ事を肯定する作品ってなると意外とヤニねこ辺り←メンタル強くない?しらんけど
こんな極端なことをいう他人を説得しようとする時間マジで無駄だと思うけどな。まぁ、説得というかいいタイミングなので自説述べたいだけなんだろうけど。
善い=強い、悪い=弱い。みたいな誤解してるの怖すぎるんだよね
そんなこと言われても 少年漫画で「弱者であっても別に存在していいし悪いままでいいし努力もしなくていい仕方がない」てメッセージを送るのは問題あるだろ
もちろん作者が弱者を嫌ってるなんてことは絶対に無いと思う。ただ現代漫画っぽくないちょっと古典的な「正しさ」の打ち出し方が鬼滅の味だなーとも思う。それが Not for me な人もいるのはわかる。
弱者の扱いにデリケートな考えを持つなら、バトルものの作品は見ない方が良いと思います。勝ちに執着する場が描かれるなら、誰かが負けて悔しい思いをするのは当然かと。
鬼滅に限らず、旧来の漫画がこうして話題になるのは作家性なんだろうな。マーケティングとAI全振りのやり方では生まれてこなそう。
切り取り我田引水の餌食
鬼殺隊に仕方なく入った人もいるのは同意するけど、後方支援もめっちゃいるので強くあれを強制されるわけじゃないでしょ。雑用もできないなら鬼殺隊じゃなくても通用しないから本人の問題だしそれくらいは強くあれよ
読む人それぞれで、感じ方は違うのかもしれないね。
人間は動物なんだから究極的には強者が正義よ。そこを「善くあることは強いこと」にして強者と弱者の接近を図るのは倫理によるシステムハックだと捉えることもできる。そう考えると鬼滅はロジカルかつ誠実だよ
同人でも物語上必要であるからで話は左右されていくのに、商業作品なら尚更である。つか画面構成ほんと上手ぇな。
『オタクの「全ての創作物は作者から自分への個人的メッセージと信じる」という行動に名前つけてほしい』 → はがない(僕は友達が少ない)
この世に悪い人などいなくてただ弱い人だけがいるのだと思う。勧善懲悪を見て断罪された気持ちになるなら、一般的には悪に分類されるタイプの弱者ということなのかもしれない。
鬼滅の刃の映画がめちゃくちゃ観客が来た時期にハフポストとか左派系の人が鬼滅の刃に価値観が素晴らしいとか言い出す人が出始めて何を言っているんだと思ったが、作品の見方なんて人それぞれ
3人ぐらいしかいなくてもまとめ方次第でそれなりにボリュームがいそうに見えるだけの話
鬼なんて弱者をまさに食い物にする存在として描かれてるじゃんね。鬼になる、される段階での構造も複雑に描かれてるからそんな簡単な弱者が憎いとか薄っぺらい考えではないと思うよ。
所詮創作物なのである種の非整合があるのは避けられない。ヒメジマさんの当初思想は客観的に言っても変だし、彼ら内部的にはマッチョだ。ただ人に押し付けてるわけでもない部分もあり、端的評価は難しい
心を燃やすんだよ
作家のメッセージ性というのはこういうもので、自分の信条をキャラに代弁させることであり願望でもある。鬼滅の刃ってそこがウザイ、って人もいて当然だろうし。なお、作者が実践するかは別のこと。
言うはずがないだろう 吾峠先生が!
作品と作者は分けて考えるべき。自分も、クリエイターの端くれとして、別に作品が面白くなるなら自分の考えと違うキャラクターなんていくらでも出すけどね。人によるだろうけど。
タイパ文化の成れの果てがこれだよ。
鬼滅に関しては炭治郎が嗅覚で良悪判断してることがあるのがちょいちょい気になったかな。根拠とかグダグダやってると時間がかかるからショートカットのためだとは思うけど。
読解力の墓場
頑張る人を声高に非難する人が現れる世の中になってきたな。
弱者を嫌ってるわけではないだろうが、昭和以前のマッチョイズムは感じるなあと思ったらこれ大正時代の話やった
こういうひねた人昔からたまにいるよね/ジャンプ掲載じゃこれが限界だしそれでいいと思う
「正しいから強い」と「強いから正しい」を同じ意味だと思っていた時期もありました…
商業作品である以上、公正世界仮説からは逃れられない
アンパンマンの善性にすら噛みつく人間がいるわけで、丸い玉にすら角を見て取れる人間はいるよね
きっと筋を通せない人間を嫌っているのだと思う。自己欺瞞の確信犯や真性を鬼と称して叩っ切る。鬼滅の刃って読んで無いから分からんけど。
ある種のメリトクラシーなのかと思うが基礎スペック高くても清廉でいることを常に求められるのはなかなかにつらいことでもあると思う。
凡人の人生は物語にならない。少年漫画的な生死の境を彷徨う実戦を何度も経験して全てに生き残る時点でもう普通から大きく外れてる。大半は1-2回体験したらもう戦士として使い物にならなくなる
認知が…
物語は悪役を必要とするが、現実には悪人は発生しない方が良い。「悪落ちが弱者にはお似合い」ではいけない。
半天狗とお奉行比べたら、半天狗はどんなに肉体的な強さを持っていても弱者でお奉行の方が遥かに強者。 作者はそういう心の強さのことを言ってると思うが。 さすがに半天狗的な弱さを肯定したくない。
フィクションのストーリー内の人物の価値観と作者の価値観が一致すると思ってる人はなんなのだろう 無論意識的無意識的に描くことはあるだろうけどそれぞれ登場人物の価値観を設定してるだけってのが原則だろう
「作者の思想」などというから差し障るので、「作品に表れた思想」とでも言えばよく、それはテーマそのものよ。まあこの手の少年漫画で弱い者を肯定することは難しいのは確か。せいぜい劣等者として描くのが限界。
鬼滅という作品の読解として、ある種陳腐でひねているかもしれないがこれはこれでありな意見だと思ったぞ。つまるところ共同善に奉仕しない人間は鬼として排除されてるじゃんというのはまぁそうだし
「ウェルフェアクイーンみたいな危険な思想だ」初めて聞いた言葉だったけど、思想どうこうでなく、そのレッテルを偏見で貼るのが悪いだけで、実在するフリーライダーそのものの排除は順当では?
別に解釈くらい好きにさせたれよ。ただ「キャラがこう言った」から「作者はそう考えている」を導出するには慎重であるべきだし、テクスト単体の解釈と比べて作者を推定する行為が「上」なわけでもない。
自認半天狗とかすげぇな!と思った。自由で平等な社会なんて、みんな大なり小なり我慢しなきゃ実現せんのだよ。
弱者を助けてる
犯罪行為+不衛生でありえないとパンどろぼうを叩いてる人を見かけて笑った。いつの時代もいますね、創作物と現実の区別がつかない人。
みんなで頑張ってデバッグしてるかのような
強いとか弱いとか関係なく、みんなボクが甘えさせてあげるにゃ!カリカリを食べて仲良くしようよ。悪い心にはボクの猫パンチをお見舞いするにゃ!
最後らへんで言われてる通り、少年漫画というバトルヒーロージャンルである以上、どうしても「弱者を踏みにじるマチズモ肯定」を消しきれない問題がある罠。これはもうジャンル自体が抱えている宿痾。
このメッセージははてサの皆さんの心の奥底に容赦なくグサグサと刺さるはずなんだけどな
弱者を嫌ってるんじゃなくて半天狗を嫌ってるんだよと言われて違いがわからない人たちがいます/とはいえ「努力!友情!勝利!」という話がメンタルのエネルギー不足で受け付けないという事例は何十年前からある話よ
水戸黄門のとある回を思い出した。黒幕を追い詰めた光圀公が仇を討つための刀を差しだすのだけど、遺族は「斬ってももはや意味はない」と歯噛みしながら復讐心を押し込めたシーン。
荒木飛呂彦はこの辺りを三部で既に意識しててンドゥールにDIOを「悪(善に向かう心を持てない者、このまとめでいう弱者)には悪の救世主が必要」と評させたのだと思うが、そのうえでンドゥールもDIOも倒される。
ところで鬼滅ってどういった層に刺さったのだろうか?/子どもにつられて奥さん達にも人気あったみたいだけど/俺はストーリーも造形も全部無理だったな(コンセプトは悪くない)/
弱いままであることや逃げることを肯定する価値観も、結局は自分の代わりに逃げずに戦ってくれるどこかの誰かが存在することを暗黙の前提にしていて、つまり単独で持続可能でない搾取的・寄生的な思想なんだよなぁ
作者は作者で作品は作品。作者が下劣なカスみたいなやつでも名作は生まれる。歴史を見ろ
サンプルとして妓夫太郎と堕姫とか累を持ってくるならわからなくもない、まあそれを言い出すと手鬼もそうなんだが、それはそれとして「弱者だったからと言って力をもったら他人を蹂躙していいのかい?」だね
弱者に厳しいというより、弱さを理由に他人を傷つけたり、努力や善意を放棄することには厳しい作品なんだと思う。そこを混同した解釈は違う気がする。
「弱者を弱者のまま、醜く惨めで攻撃性が高く怠惰なまま肯定する」のは、エンタメ作品全般で難しい。「肯定」といっても称賛ではなく「世界からの完全な排除を希求しない」程度だが、なかなか難題である。
人は人の間に生きるのだ、ってことを徹頭徹尾言い続けている作品で、独りよがりで生きている鬼に対して人の間にいたことを思い出させて成仏させる物語だよ
エンタメをエンタメとして割り切らず、作者の作家性を許容するのが日本のポップカルチャーの特徴なので、作品から作家の価値観を読み取ろうとするのは間違ってないと思う
テイカー否定なだけであって弱者嫌悪は見当たらない気がする。ゲーム理論でいうところのしっぺ返し戦略じゃね。互恵的な自己家畜化をすすめていこうぜってとこで。
私は鬼滅が大好きだけど、鬼滅は、根本に、人間を信じる陽の気みたいなのが流れてるから、陰の自覚あると疎外感を覚えるのもわかる気がする 無理解釈で作者批判につなげる気質がもう陰だもん
時代柄では/“少年誌漫画”に真実をそんなに期待するかね。でもなんかいい話合いだよ、「自分はこう思う」「いやそれはこうだ」と、それぞれ荒れるでもなく、いい話合いだ
善くあれない者には厳しいというが、吉原兄妹や猗窩座のような環境から悪になったタイプには最期に一抹の精神的救いを与えてるしなぁ。背景なく性根が悪いタイプには容赦ないが、それはまあ一般的な書き方では?
弱者も弱いままに甘んじていてはいけない、強くならなければならないというメッセージを「弱者を嫌っている」と読むのは曲解だろう。弱者に対する優しさだけではないが厳しさだけでもない。
胡蝶しのぶが分かりやすい、雑魚ポリコレ作家なら絶対しのぶ勝たせてる。でもワニはそこで贔屓しない。正しいけどよえーから。童磨は勝つ、最悪だけどつえーから。
勝手な作者像を考察して創作していく ナマモノコンテンツ
「要介助者や反社会的な性分の持ち主と言い換えてもよい」←これが在野半天狗の思想としてわかりやすい。「反社会的な性分」に障害の社会モデルを牽強付会し、義足や車椅子のような自身の側の適応すら拒む。
大抵のマンガアニメって「頑張らないやつも生きる権利があるんだよ」って話じゃないよな
作者が憎んでいるのは弱者ではなく(弱さを盾に奪おうとする)鬼だろ。一貫してると思うがな。
俺は鬼の心情に共感する事が多い、だから鬼が成敗された時に俺の心の鬼も一緒に成敗されて「やっぱ良くないな」と、真っ当に生活しようと思い直したりする。鬼滅の刃が好きだ。
まあ、「非武装中立」とか「お酒を飲み交わして話し合えばわかる」的な考えではないだろうとは思うが。
あの作風はどう見ても弱者側なので、こうした意見が出ることに驚いた。作者本人が足掻いた結果売れたので最初から強者であったように思われるのかなぁ
鬼滅の刃は色々な事情から人を食う鬼となってしまった者を救う方法が「殺す」しかない、という点で無情なのだが、殺すしか無いことを悲しみとして描いているのを無視して作者を糾弾するのは頭がおかしい。
「お前がそう思うのは自由」と、「だったら何が問題?」の2点が主要な論点/そもそも、強者同士が戦うバトル物において、弱者には足手まとい程度の役割しか与えられないのは当たり前
少年漫画ってそういう傾向なんじゃないの?読む層がそういう話を好んでる説
弱者なことを免罪符に、テイカーとして踏ん反りかえってる奴が嫌いなだけやん。性格悪い奴が嫌いというの同じ至極当然な反応。
無理やり難癖つけるの楽しい?
読解力の無駄遣い/「このシーンは編集者からの意見もあってクソ野郎に映るように描いたんです」などの内実あると議論は途端に空転するのに自説展開するオタク何なの。作者も「へ…?触らんとこ」となり得るレベル
これは歴史ファンタジーの限界じゃね? 舞台背景は大正なのにキャラの内面は平成だから突き詰めると生臭さは出るよ。 鬼殺隊は私兵でどう考えてもヤバいけど。それを言い出したら漫画を読めないし……
面白いのは弱者の立場から作者を批判するこの人が、現実については「男は強くなる以外何もない。」という有害な男らしさに脳が浸食されていること。現実認識のいびつさの表れ https://x.com/3A7chinchin/status/2117952676856254968
売れてる女性漫画家が、自分が腕一本で成り上がったところがベースにあるから、自身のマッチョ思想を作品から隠せないなんて、一条ゆかりや荒川弘の昔から言われてることで何を今更感。
どうして作品を作者の人格として捉えるのだろうか。大きな隔たりがあるように思うがね。高橋留美子があんな浮気者を好きになるとでも?あんまりソワソワしすぎじゃないかな。
欠損萌え以外分からない…リーマン経験があるとかないとか
詳しくないけど、鬼舞辻無惨とか敵キャラを残虐サイコパスでかっこよく描くみたいなのはレクター博士とか洋の東西を問わずよくある嗜好なのでは?煉獄さんのエピソードはヤマトみたいな特攻美化なんじゃ?と思った。
Xてほんまこういう“自分は気づいた系考察”を開陳すゆの好きよな、一つのフィクション漫画から作者の思考を読み取れるのほんますごいんよ
反新自由主義やケアの倫理の普及したせいか、責任からは逃げるは主体性がなくなるは包摂しろやら言う奴らが増えすぎ。少なくても、超えてはいけない行為についてケアしてくれは都合が良すぎるのでは?
道徳の本じゃねえぞ……
救いたくない弱者は皆嫌いだし、救いたくない弱者は鬼の素質ありそうよね。
獪岳と同レベルの野生の繊細チンピラは似非フェミ界隈で多数見られるけど、野生の半天狗は大分珍しいな。というか、あれと同レベルの存在が実在している恐怖よ。おおテリブル!
作品は作者の思想を反映するとは限らないと思うけど、弱者否定はしてないよね。「鬼殺隊の戦闘員は弱くあってはならない」と言っているだけでは?(戦闘員がお荷物になるのは当然ダメ)
ブコメでトゥギャッターのまとめよりも低レベルな議論が繰り広げられている。一度読め。
よりつらい状況にあっても強者でいられる登場人物が、弱者に寄り添う励ましの言葉が正論パンチと伝わることもあると。この作品のトーンとしては仕方ないんじゃないかな。作者が嫌うには飛躍を感じるけど
『鬼滅の刃』の作者は弱者を嫌っているのではないかという意見に賛否両論が集まるが、弱者ではなく善くあれない者には厳しいメッセージ性を感じるのではないか
教師が話す時、基本は「教育的に許容される語彙」の中から「眼の前の生徒に伝えるべき言葉」を選択するわけで。少年漫画のセリフは基本マッチョになるし、全て作者の本心と見るのはナイーブ過ぎる。
もっとシンプルだと思うけどな。それより最初の切り抜きの絵の数々よ。たぶんデッサンとか絵の上手下手でいうとそれほどでもない気はするけど、狂気の情熱がにじみ出てるのをいまだに感じられるな。原画展とか見たい
責任に対する負の割合が大きい社会になったので強くなる利点が消えたのよな。とはいえ弱者が損であるような仕組みにはできないから分断が起きてる。ただ、自認はあるから弱者を見る目に過剰反応してしまうというね。
オタクの「全ての創作物は作者から自分への個人的メッセージと信じる」という行動に名前つけてほしい
弱者に甘んじて、それを免罪符に、なにも与えず、もらってばかりの人間は嫌われてもしゃあないやろ。それと「弱者だから踏みつけていい」という考えにあらがうことは両立する ( ˘ω˘ )
無受想行識。
利他的とか自己犠牲とか嫌ってそうな人の意見だな。
作品には作者の思想が反映されてるって考えるの国語のテストで「この時の作者の気持ちは?」みたいな問題やらせてたからだろ
まとめの中でニーチェに言及しているものがあるけど、「超人」的であると思う。少年マンガ自体そういった傾向があるけど。ニーチェの方は弱者批判という点でキリスト教批判もあるし。
鬼滅の作者の考えなんてわからないけど、じゃああなた、力の弱さから鬼に殺されるのも、心の弱さから鬼になるのも仕方ないね、本当に僕たち人間は駄目だね可愛そうだね、みたいな漫画が読みたいですか?とは思う。
嫌っているかどうかまでは分からないが、あんまり好んではいないんだろうなとは思う。だって好きだと思えるキャラは欠損させてる。猗窩座とか頭までいってる。
「現実とフィクションの区別がつかず、現実の社会問題として作品を糾弾する」奇矯な振る舞いをされる方を、よく最近のXで見かけますが、これも変奏曲のひとつなのかな?/ ニュースになる前に、ケアされると良いですね
作者、毎日何をしているのかのほうが気になる。若くて連載短くて巨万の富を得て。
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」と「追い詰められたときに出るのは追い詰められた姿だ」と「本当にその人間の人格や本性が試されるのは、自由や権力を手にした時である」の3つ。
これ言ってるの弱者の自覚が薄らあるけど、受け入れられないタイプの人間?
まず商業出版の現場で、作家が自分の思想をどれだけ反映できるのかという問題があるので、この件に回答を出すには関係者への取材が必要
弱者も強くなれというのを極端な解釈で否定するなら、絶対強者(そんなものは居ない)以外は弱者に奉仕しなくて良いという極端な解釈も罷り通ってしまうが良いのかと。
このタイトル、そもそも根本的に「善くあれる人」っていうのは強者である。対面の良い綺麗事を吐き続けられる人ってのは立場も生活も確固としてある人、例えば政治的に正しい綺麗事を言うエリート富裕層のように
それはそれとして、治安を維持するには、普通の暴力を上回る暴力装置が必要だからノブレスオブリーシュな面はあるよな。
×:作者が〇〇だと考えている、〇:作品ではキャラクターが〇〇のように描かれている、って表現すべきじゃね?/作者を主体にする必要性がないような…(個人攻撃したい?)
鬼滅、ある種の「支援Tierの低い」弱者が救われない話だとは思うけど、それを社会戯評的に斬りたがる人が往々にして己の実生活では「かわいそうランキングの低い弱者」には冷淡そうという霊感もあり…。
この手の解釈ごっこ、物語構造(主人公という個人を軸に物事をまとめる)に全く目が行かないの何故。古典的なヒーロー活躍は何をどうしようと強者の話になるよ(なので神話や英雄譚のアンチとして「文学」がある
日本には村社会ではない中間共同体の再興が必要。個人の自由で生きる時代は終わった。/マンガはイデオロギー、ドグマを広めるツールとして効果的。日本的価値観を世界へ広めている。ドラゴンボール、ナルトなど
こんな風に極端に作品解釈されて誰かの自己顕示欲に利用される創作者が気の毒。もはや誹謗中傷。
相克とか葛藤とか二律背反とか、多義性とか矛盾とか止揚とかを認識できず、浅くて単面的で極端な見方しかできないなら、鬼滅に限らず世の中の作品を楽しめるものなんだろうか。エロ本とかしか楽しめないのではないか
わざわざマッチョイズムの体現者である少年漫画に救いたくなる形をしてない系弱者目線で難癖つける仕草が救いたくなる形をしてない弱者故だなと思った 鬼滅の刃は少年漫画として描かれてる事忘れないで
ここ数十年の漫画界最大最高のヒット作を生み出したジャンプの柱という圧倒的強者に、たとえ弱者に対する理解がなかったとしても、そうでしょうねとしか。
ネット無惨様が多すぎる
ネットの自称弱者男性は半天狗みたいに「弱くて可哀想な俺」自認をカードにして他者への加害を正当化したり責任逃れするから、正面からエセ弱者男性の有害さを描いた吾峠先生を逆恨みしてそう…的自己紹介だった。
「『鬼滅の刃』は Not for me だった」を、「作者は弱者(=自分)を嫌っている」へ変換してしまう認識の枠組みに問題があります。作者は個々の読者に宛てて書いてはいないので、読者が向き合うべきは自分の内面ですね。
鬼滅を使って自己主張?
人間誰しも何らかの側面では弱者たり得るので、弱者叩きには本質的に自虐の後ろ暗い快感が付きまとう。しかしそれを悦ぶのは「誰でも・いつも」とはいかない。だから弱者嫌い思想が作品から滲んでたら人気出ないよ。
弱者を憎んでいるなら鬼よりも弱い人間が勝つ結末にはしなくないか?なぜそう捉えたのか本当に謎。
鬼が跋扈する恐ろしい世界を描こうとすれば自然とそうなる。現実世界と比べても意味ない。
いい名言がある「作者なんも考えてないと思うよ」 / エヴァの時もそうだけどこういうところがオタクの気持ち悪いところと自意識過剰だなと実感するw まぁ裏を読むのが楽しいのはいいけど個人だけにしとけw
“弱者でいることを肯定した人間を鬼として退治”( 鬼滅ド素人がみても鬼舞辻無惨は弱者からいっとう遠いヒトですぜ )
棘読んでないけど、作品の登場人物の意見と作者の意見を同一視しているなら危険だな。
アメリカの共和党支持者の老夫婦を思い出した.貧しくても助けあって生き続けた人たちだからこそただ乗りする弱者を毛嫌いする.だからトランプであれ小さい政府を望み共和党を支持する/日本人にもある考え方.
むしろ敵サイドの弱者としての悲劇にフォーカスして同情を誘っている点が少年漫画としては特徴的という印象
義務教育課程の読者感想文の弊害だな。作品と自己の相対化から抜け出せないでいる。
精神的に強くあれるものが正義ってのは少年漫画の土台だしなあ
「弱者は死ね」ではなく「他害者は死ね」でしょ。「弱者は強くならねばいけない」ではなく「なにか(禰豆子を戻すとか)を成すには強くなければいけない」でしょ。鬼殺隊は普通に弱者助けているでしょ
ほかの作品は出さないのかな。1作品目にして世界的にもメガヒットを飛ばした若い漫画家の人生の方が気になるよ
作品の分析じゃなくて、なんで作者の思想にすぐ方向が向かって行くのか、なんか闇が深い人たちだなと思う。しかも今更やってんの!?
この議論で作品やキャラに深みは生まれないしインプレッション目的の炎上なので相手にしない。
ひねくれ者がいるな。
少年誌、ましてやジャンプなんだから、弱者は弱者のままでいいなんて、「努力」を否定するようなこと言わんでしょ。
こういうの見ると、届かない人には届かないんだと思い知らされる。
作者じゃ無くて猗窩座
鬼滅の刃はこれから成長しかない少年向けの漫画なので成長(強くなること)を全肯定している、もはや成長なんて望めない大人への慰めとしては描かれてないというだけの話
あれだけ虐げられた者たちに寄り添う描写あるのにそんな曲解する奴…いや、コレよくあるそんな奴居らんやろで持論に我田引水するメソッドだ俺は詳しいんだ
社会に踏みつけにされた弱者だから何の罪もない人々に復讐してしまう人は自身より遥かに悪く強い鬼に「利用される」というメッセージはある.これを不愉快に感じる人は弱者を利用しようとしてるのではないか?
ジャンプの漫画は多くが結果としての現実(力や能力)において弱者であっても精神的に弱いままで良いのかと言う問いかけがある。ワンピジョジョヒロアカ等々「弱い」サブキャラも皆その弱さに甘んじていない
どちらかというと力を持つことへの強烈な忌避感を感じる。アザ出たら寿命縮む
己を弱いと考えることができている者は強者である
艱難辛苦に際して、絶望しながらも運命に立ち向かうもの(鬼殺隊)と、安易な逃げ道を選んだり他者を憎むことで目をそらすもの(鬼)、という対比がよくできていると感じていたんだが。
弱者が嫌いならそもそもこういう物語は思いつかないし描かないと思う。弱者はいくらでも出てくるけど、存在を否定していないし責める描写もしてない(こだわっている側の猗窩座は敵だし)
作者の人そこまで考えてないと思うよ
人の心は弱い。を基本理念に持っておくことだよね。貧弱、女性、外国人、強者、どの属性にいる人間も等しく心に弱いところはある。大いなる悪的な物語にとらわれず、当たり前の心の弱さを直視する必要がある。
なんでだよ、長男じゃなかったら耐えれなかったって書いてあるだろ?次男以下は弱くても別に嫌われてるわけじゃない
感じ方は人それぞれだけど、最近の鬼滅の別騒動も昨日一昨日の「ワンピ作者は鬼滅に冷たく女嫌い」の謎主張も、どれも一部分切り取りで作者を語るなってか、一介の読者が妄想だけで作者を知った気になるなというか。
鬼滅とフリーレンを混ぜたら魔族以外の全員が精神崩壊しそうでウケる。
神崎アオイは鬼殺隊士なのに恐怖から前線に出られなくなったが、裏方として隊を支えていた。「やれることをやれ」というのが『鬼滅の刃』のメッセージだろう。
なるほどなあ、どの意見も納得感はある
鬼滅は近年珍しい、このへんの、救済やら断罪やらって欺瞞だらけだよねってやつから逃げないで描いて大ヒットしたすげえ作品って言えると思うよ。最近の流行りはもっと別の目的が優先の主人公みたいなのになると思う
鬼滅ぐらい全部言葉で言ってる漫画でさえ、こうして自分の中で星座バチバチ描くやつもいる。「悪影響があるから規制しろ、ゾーニングしろ」というのがどんなにばかばかしいかわかりそうなもんじゃないですか
なんの努力もせずただ弱いままでいたい、強いお前らはひたすら俺を助けろって? 図々しい
作者が好き嫌いというのは全くわからんけど、漫画やアニメの多くは強い人を中心として描かれるし弱い人が弱いまま評価されるというのはそれを狙って描いたものくらいしかない気がする
マッチョじゃない物語なんて少年漫画でありえるのかと思ってたら近年わりと成立してきているのでそういうのを読めば良い
弱者が弱者のまま成長すること無く、それでも生を楽しむ事を肯定する作品ってなると意外とヤニねこ辺り←メンタル強くない?しらんけど
こんな極端なことをいう他人を説得しようとする時間マジで無駄だと思うけどな。まぁ、説得というかいいタイミングなので自説述べたいだけなんだろうけど。
善い=強い、悪い=弱い。みたいな誤解してるの怖すぎるんだよね
そんなこと言われても 少年漫画で「弱者であっても別に存在していいし悪いままでいいし努力もしなくていい仕方がない」てメッセージを送るのは問題あるだろ
もちろん作者が弱者を嫌ってるなんてことは絶対に無いと思う。ただ現代漫画っぽくないちょっと古典的な「正しさ」の打ち出し方が鬼滅の味だなーとも思う。それが Not for me な人もいるのはわかる。
弱者の扱いにデリケートな考えを持つなら、バトルものの作品は見ない方が良いと思います。勝ちに執着する場が描かれるなら、誰かが負けて悔しい思いをするのは当然かと。
鬼滅に限らず、旧来の漫画がこうして話題になるのは作家性なんだろうな。マーケティングとAI全振りのやり方では生まれてこなそう。
切り取り我田引水の餌食
鬼殺隊に仕方なく入った人もいるのは同意するけど、後方支援もめっちゃいるので強くあれを強制されるわけじゃないでしょ。雑用もできないなら鬼殺隊じゃなくても通用しないから本人の問題だしそれくらいは強くあれよ
読む人それぞれで、感じ方は違うのかもしれないね。
人間は動物なんだから究極的には強者が正義よ。そこを「善くあることは強いこと」にして強者と弱者の接近を図るのは倫理によるシステムハックだと捉えることもできる。そう考えると鬼滅はロジカルかつ誠実だよ
同人でも物語上必要であるからで話は左右されていくのに、商業作品なら尚更である。つか画面構成ほんと上手ぇな。
『オタクの「全ての創作物は作者から自分への個人的メッセージと信じる」という行動に名前つけてほしい』 → はがない(僕は友達が少ない)
この世に悪い人などいなくてただ弱い人だけがいるのだと思う。勧善懲悪を見て断罪された気持ちになるなら、一般的には悪に分類されるタイプの弱者ということなのかもしれない。
鬼滅の刃の映画がめちゃくちゃ観客が来た時期にハフポストとか左派系の人が鬼滅の刃に価値観が素晴らしいとか言い出す人が出始めて何を言っているんだと思ったが、作品の見方なんて人それぞれ
3人ぐらいしかいなくてもまとめ方次第でそれなりにボリュームがいそうに見えるだけの話
鬼なんて弱者をまさに食い物にする存在として描かれてるじゃんね。鬼になる、される段階での構造も複雑に描かれてるからそんな簡単な弱者が憎いとか薄っぺらい考えではないと思うよ。
所詮創作物なのである種の非整合があるのは避けられない。ヒメジマさんの当初思想は客観的に言っても変だし、彼ら内部的にはマッチョだ。ただ人に押し付けてるわけでもない部分もあり、端的評価は難しい
心を燃やすんだよ
作家のメッセージ性というのはこういうもので、自分の信条をキャラに代弁させることであり願望でもある。鬼滅の刃ってそこがウザイ、って人もいて当然だろうし。なお、作者が実践するかは別のこと。
言うはずがないだろう 吾峠先生が!
作品と作者は分けて考えるべき。自分も、クリエイターの端くれとして、別に作品が面白くなるなら自分の考えと違うキャラクターなんていくらでも出すけどね。人によるだろうけど。
タイパ文化の成れの果てがこれだよ。
鬼滅に関しては炭治郎が嗅覚で良悪判断してることがあるのがちょいちょい気になったかな。根拠とかグダグダやってると時間がかかるからショートカットのためだとは思うけど。
読解力の墓場
頑張る人を声高に非難する人が現れる世の中になってきたな。
弱者を嫌ってるわけではないだろうが、昭和以前のマッチョイズムは感じるなあと思ったらこれ大正時代の話やった
こういうひねた人昔からたまにいるよね/ジャンプ掲載じゃこれが限界だしそれでいいと思う
「正しいから強い」と「強いから正しい」を同じ意味だと思っていた時期もありました…
商業作品である以上、公正世界仮説からは逃れられない
アンパンマンの善性にすら噛みつく人間がいるわけで、丸い玉にすら角を見て取れる人間はいるよね
きっと筋を通せない人間を嫌っているのだと思う。自己欺瞞の確信犯や真性を鬼と称して叩っ切る。鬼滅の刃って読んで無いから分からんけど。
ある種のメリトクラシーなのかと思うが基礎スペック高くても清廉でいることを常に求められるのはなかなかにつらいことでもあると思う。
凡人の人生は物語にならない。少年漫画的な生死の境を彷徨う実戦を何度も経験して全てに生き残る時点でもう普通から大きく外れてる。大半は1-2回体験したらもう戦士として使い物にならなくなる
認知が…
物語は悪役を必要とするが、現実には悪人は発生しない方が良い。「悪落ちが弱者にはお似合い」ではいけない。
半天狗とお奉行比べたら、半天狗はどんなに肉体的な強さを持っていても弱者でお奉行の方が遥かに強者。 作者はそういう心の強さのことを言ってると思うが。 さすがに半天狗的な弱さを肯定したくない。
フィクションのストーリー内の人物の価値観と作者の価値観が一致すると思ってる人はなんなのだろう 無論意識的無意識的に描くことはあるだろうけどそれぞれ登場人物の価値観を設定してるだけってのが原則だろう
「作者の思想」などというから差し障るので、「作品に表れた思想」とでも言えばよく、それはテーマそのものよ。まあこの手の少年漫画で弱い者を肯定することは難しいのは確か。せいぜい劣等者として描くのが限界。
鬼滅という作品の読解として、ある種陳腐でひねているかもしれないがこれはこれでありな意見だと思ったぞ。つまるところ共同善に奉仕しない人間は鬼として排除されてるじゃんというのはまぁそうだし
「ウェルフェアクイーンみたいな危険な思想だ」初めて聞いた言葉だったけど、思想どうこうでなく、そのレッテルを偏見で貼るのが悪いだけで、実在するフリーライダーそのものの排除は順当では?
別に解釈くらい好きにさせたれよ。ただ「キャラがこう言った」から「作者はそう考えている」を導出するには慎重であるべきだし、テクスト単体の解釈と比べて作者を推定する行為が「上」なわけでもない。
自認半天狗とかすげぇな!と思った。自由で平等な社会なんて、みんな大なり小なり我慢しなきゃ実現せんのだよ。
弱者を助けてる
犯罪行為+不衛生でありえないとパンどろぼうを叩いてる人を見かけて笑った。いつの時代もいますね、創作物と現実の区別がつかない人。
みんなで頑張ってデバッグしてるかのような
強いとか弱いとか関係なく、みんなボクが甘えさせてあげるにゃ!カリカリを食べて仲良くしようよ。悪い心にはボクの猫パンチをお見舞いするにゃ!
最後らへんで言われてる通り、少年漫画というバトルヒーロージャンルである以上、どうしても「弱者を踏みにじるマチズモ肯定」を消しきれない問題がある罠。これはもうジャンル自体が抱えている宿痾。
このメッセージははてサの皆さんの心の奥底に容赦なくグサグサと刺さるはずなんだけどな
弱者を嫌ってるんじゃなくて半天狗を嫌ってるんだよと言われて違いがわからない人たちがいます/とはいえ「努力!友情!勝利!」という話がメンタルのエネルギー不足で受け付けないという事例は何十年前からある話よ
水戸黄門のとある回を思い出した。黒幕を追い詰めた光圀公が仇を討つための刀を差しだすのだけど、遺族は「斬ってももはや意味はない」と歯噛みしながら復讐心を押し込めたシーン。
荒木飛呂彦はこの辺りを三部で既に意識しててンドゥールにDIOを「悪(善に向かう心を持てない者、このまとめでいう弱者)には悪の救世主が必要」と評させたのだと思うが、そのうえでンドゥールもDIOも倒される。
ところで鬼滅ってどういった層に刺さったのだろうか?/子どもにつられて奥さん達にも人気あったみたいだけど/俺はストーリーも造形も全部無理だったな(コンセプトは悪くない)/
弱いままであることや逃げることを肯定する価値観も、結局は自分の代わりに逃げずに戦ってくれるどこかの誰かが存在することを暗黙の前提にしていて、つまり単独で持続可能でない搾取的・寄生的な思想なんだよなぁ
作者は作者で作品は作品。作者が下劣なカスみたいなやつでも名作は生まれる。歴史を見ろ
サンプルとして妓夫太郎と堕姫とか累を持ってくるならわからなくもない、まあそれを言い出すと手鬼もそうなんだが、それはそれとして「弱者だったからと言って力をもったら他人を蹂躙していいのかい?」だね
弱者に厳しいというより、弱さを理由に他人を傷つけたり、努力や善意を放棄することには厳しい作品なんだと思う。そこを混同した解釈は違う気がする。
「弱者を弱者のまま、醜く惨めで攻撃性が高く怠惰なまま肯定する」のは、エンタメ作品全般で難しい。「肯定」といっても称賛ではなく「世界からの完全な排除を希求しない」程度だが、なかなか難題である。
人は人の間に生きるのだ、ってことを徹頭徹尾言い続けている作品で、独りよがりで生きている鬼に対して人の間にいたことを思い出させて成仏させる物語だよ
エンタメをエンタメとして割り切らず、作者の作家性を許容するのが日本のポップカルチャーの特徴なので、作品から作家の価値観を読み取ろうとするのは間違ってないと思う
テイカー否定なだけであって弱者嫌悪は見当たらない気がする。ゲーム理論でいうところのしっぺ返し戦略じゃね。互恵的な自己家畜化をすすめていこうぜってとこで。
私は鬼滅が大好きだけど、鬼滅は、根本に、人間を信じる陽の気みたいなのが流れてるから、陰の自覚あると疎外感を覚えるのもわかる気がする 無理解釈で作者批判につなげる気質がもう陰だもん
時代柄では/“少年誌漫画”に真実をそんなに期待するかね。でもなんかいい話合いだよ、「自分はこう思う」「いやそれはこうだ」と、それぞれ荒れるでもなく、いい話合いだ
善くあれない者には厳しいというが、吉原兄妹や猗窩座のような環境から悪になったタイプには最期に一抹の精神的救いを与えてるしなぁ。背景なく性根が悪いタイプには容赦ないが、それはまあ一般的な書き方では?
弱者も弱いままに甘んじていてはいけない、強くならなければならないというメッセージを「弱者を嫌っている」と読むのは曲解だろう。弱者に対する優しさだけではないが厳しさだけでもない。
胡蝶しのぶが分かりやすい、雑魚ポリコレ作家なら絶対しのぶ勝たせてる。でもワニはそこで贔屓しない。正しいけどよえーから。童磨は勝つ、最悪だけどつえーから。
勝手な作者像を考察して創作していく ナマモノコンテンツ
「要介助者や反社会的な性分の持ち主と言い換えてもよい」←これが在野半天狗の思想としてわかりやすい。「反社会的な性分」に障害の社会モデルを牽強付会し、義足や車椅子のような自身の側の適応すら拒む。
大抵のマンガアニメって「頑張らないやつも生きる権利があるんだよ」って話じゃないよな
作者が憎んでいるのは弱者ではなく(弱さを盾に奪おうとする)鬼だろ。一貫してると思うがな。
俺は鬼の心情に共感する事が多い、だから鬼が成敗された時に俺の心の鬼も一緒に成敗されて「やっぱ良くないな」と、真っ当に生活しようと思い直したりする。鬼滅の刃が好きだ。
まあ、「非武装中立」とか「お酒を飲み交わして話し合えばわかる」的な考えではないだろうとは思うが。
あの作風はどう見ても弱者側なので、こうした意見が出ることに驚いた。作者本人が足掻いた結果売れたので最初から強者であったように思われるのかなぁ
鬼滅の刃は色々な事情から人を食う鬼となってしまった者を救う方法が「殺す」しかない、という点で無情なのだが、殺すしか無いことを悲しみとして描いているのを無視して作者を糾弾するのは頭がおかしい。
「お前がそう思うのは自由」と、「だったら何が問題?」の2点が主要な論点/そもそも、強者同士が戦うバトル物において、弱者には足手まとい程度の役割しか与えられないのは当たり前
少年漫画ってそういう傾向なんじゃないの?読む層がそういう話を好んでる説
弱者なことを免罪符に、テイカーとして踏ん反りかえってる奴が嫌いなだけやん。性格悪い奴が嫌いというの同じ至極当然な反応。
無理やり難癖つけるの楽しい?
読解力の無駄遣い/「このシーンは編集者からの意見もあってクソ野郎に映るように描いたんです」などの内実あると議論は途端に空転するのに自説展開するオタク何なの。作者も「へ…?触らんとこ」となり得るレベル
これは歴史ファンタジーの限界じゃね? 舞台背景は大正なのにキャラの内面は平成だから突き詰めると生臭さは出るよ。 鬼殺隊は私兵でどう考えてもヤバいけど。それを言い出したら漫画を読めないし……
面白いのは弱者の立場から作者を批判するこの人が、現実については「男は強くなる以外何もない。」という有害な男らしさに脳が浸食されていること。現実認識のいびつさの表れ https://x.com/3A7chinchin/status/2117952676856254968
売れてる女性漫画家が、自分が腕一本で成り上がったところがベースにあるから、自身のマッチョ思想を作品から隠せないなんて、一条ゆかりや荒川弘の昔から言われてることで何を今更感。
どうして作品を作者の人格として捉えるのだろうか。大きな隔たりがあるように思うがね。高橋留美子があんな浮気者を好きになるとでも?あんまりソワソワしすぎじゃないかな。
欠損萌え以外分からない…リーマン経験があるとかないとか
詳しくないけど、鬼舞辻無惨とか敵キャラを残虐サイコパスでかっこよく描くみたいなのはレクター博士とか洋の東西を問わずよくある嗜好なのでは?煉獄さんのエピソードはヤマトみたいな特攻美化なんじゃ?と思った。
Xてほんまこういう“自分は気づいた系考察”を開陳すゆの好きよな、一つのフィクション漫画から作者の思考を読み取れるのほんますごいんよ
反新自由主義やケアの倫理の普及したせいか、責任からは逃げるは主体性がなくなるは包摂しろやら言う奴らが増えすぎ。少なくても、超えてはいけない行為についてケアしてくれは都合が良すぎるのでは?
道徳の本じゃねえぞ……
救いたくない弱者は皆嫌いだし、救いたくない弱者は鬼の素質ありそうよね。
獪岳と同レベルの野生の繊細チンピラは似非フェミ界隈で多数見られるけど、野生の半天狗は大分珍しいな。というか、あれと同レベルの存在が実在している恐怖よ。おおテリブル!
作品は作者の思想を反映するとは限らないと思うけど、弱者否定はしてないよね。「鬼殺隊の戦闘員は弱くあってはならない」と言っているだけでは?(戦闘員がお荷物になるのは当然ダメ)
ブコメでトゥギャッターのまとめよりも低レベルな議論が繰り広げられている。一度読め。
よりつらい状況にあっても強者でいられる登場人物が、弱者に寄り添う励ましの言葉が正論パンチと伝わることもあると。この作品のトーンとしては仕方ないんじゃないかな。作者が嫌うには飛躍を感じるけど