昔サンデーはある変化球で業界に一石を投じた。あだち充だ。いま同誌に再び魔球が舞う。山本だ。あだち野球漫画が『タッチ』以後それを軸に硬直した一方、山本はあだち以上にあだち的に軽やかで……という批評でした
あだち充は今こそ評価されるべきだと思って書きました
要約すると、あだち充の「あだち充性」(人間関係の最重視)を形式化したのが山本崇一朗だということ(人間関係はそれ自体で存在するもので、形式化は自己言及的なため)を歴史的に実証している。
最後まで読んで、結局、ヴェーバーとは何の関係もないのがいいと思いました(小並感)/映画で浅倉南を演じた長澤まさみが、自らの役柄を評して「ヤな女ですよね」と言ったというのは実に象徴的(妻の記憶による)。
面白かった。横だけど、理想の女子マネージャー像として批判されがちなタッチだけど、あの像は女子自身が作り上げていったものではないかと思っていたりもする。現代的価値観で読まれすぎる作品群だよなとも。
むふ♡
面白かったけどめぞん一刻のこと考えると留美子イズムは人間関係の機微ではないというのは疑問が残るし達也にかかっていた呪いは「和也を差し置いて優秀さを発揮してはならない」だったと思うよ
“南が達也に「甲子園つれてって」と言った”“達也から自分を力づけてほしいというリクエストに応える形ででてきた言葉なのだ。甲子園にいくことが本当に必要で求めていたのは、南ではなく達也だ。”
AKIRAっぽい絵柄の山本氏のまんが、読んでみたい
90年代サンデーのラブコメ路線は停滞気味、その通りだけど冒険活劇は『YAIBA』だったし不良マンガは『今日から俺は!!』で、ちゃんとサンデーとしての味がするのがスゴイ。
“一九八三年、サンデーの黄金期はラブコメによってもたらされた。ラブコメマンガの歴史。あだち充は、劇画漫画は人気が伸びず、サンデーから見放されて少女マンガでの下積みを経て、少年誌にラブコメを持ち込んだ”
全然関係ないけどプロ野球選手がオーナーの競走馬「サンデーアダチ」が本日デビューですよ https://x.com/netkeiba/status/2106157286767095846
俺はあだち充だと「ナイン」だけが好きな爺だから…。タッチもナインの引き延ばしに見えてたなあ…
80年代後半から90年代の少年サンデーは克・亜樹がラブコメ、リアルよりは北崎拓が担っていたイメージかな。萌え文化の萌芽がなく、遅れている感じはあった。(畑先生で一気に盛り返した)
不意打ちの阿川先生
個人的にはサンデーのラブコメと言うと「人類ネコ科」、「八神くんの家庭の事情」等のサンデー増刊号時代の連載陣の方が印象深い そのあたりの直撃世代という理由もあるが
面白いけど長いから中座/若木民喜ってラブコメ作家なの?/読んだ素晴らしい。山本ってあだちの後継者ってけどあだちにはあんまフェチ感じない初めてみたときに思い出したのはあさりよしとお
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神みたいに言うな
サンデーラブコメ、「人類ネコ科」が好きだったなぁ
サンデーはスカしてる感じがあるんだよなぁ、馬鹿っぽい作品でもなんか知的な雰囲気を少し出してきてて…いやそれが好きなんだけど
あだち充論、タッチ論はかなり昔だけど本田透氏の「タッチは「熱血」を破壊したか?あだち充トラウマ作家論」も秀逸だった。氏のサイト「しろはた」はもうないけどウェブアーカイブには残ってる
以前のスポ根の汗臭いのを排除していくと軽やかな野球部になっただけでそれでも甲子園行かせるためには柏葉みたいなのを登場させなきゃみたいな。
サンデーがラブコメ路線に舵を切ったのは、アオイホノオによると編集長が業界の飲み会に行って、サンデーにはラブコメが無さ過ぎると痛感させられたからみたい。
途中で阿川先生の幻影を見たが…なんだったんだ。
あだち充はガキの頃から合わなかったなぁ 自分には何が面白いのか全く理解できなかった
マネマネにちにちは恋愛方面は決着つけず、女マネの友情話のまま終わらせそうな気もする。
『マネマネにちにち』は面白いけどもなんか今ひとつ入り込めない不穏さのようなものがある
ブコメの『あの像は女子自身が作り上げていったものではないかと思っていたり』は違うんでは?確か話の中に、南が色々出来すぎて女友達からも引かれるシーンがあったような。子供心に「非実在…」と思ってたよ
高杉勇作>若松真人なので「終わらすなら『みゆき』だろ」と思ってました。だって「ムフ♡」ばっかり/「陽あたり良好!」は氏の少女漫画の完成形。野球部員じゃないのに関わる等ヒーローの造形が上杉達也に一部類似
なんだふたりバスの話は出てこないのか
『マネマネにちにち』じたいの語りが少なすぎて尻切れトンボじゃね?と感じてしまった。せめて主役3人のキャラクターがそれぞれあだち作品とはどう違うかくらいは語ってもよかったのでは、、、、、、
あひるの空が部活漫画であるのと同じ意味で、タッチは恋愛漫画なのであって。/主人公たちが情熱を傾ける対象としてスポーツやその試合の描写も丁寧にやるけれど、それはあくまで登場人物の心象を写す鏡である。
誤植はまあ直してもらうとして。横書きの漢数字は気持ち悪くて嫌だなあ。
面白かった。うる星やつらはどちらかと言うとラブコメ系譜ではなく連載が始まる前の世代で流行ったマカロニほうれん荘(サンデーではないが)などの1話完結ギャグの方の系譜かなぁと思ってます
あだち充のごく一部を切り取ってあだち的と定義した論評に読める。また、人間関係の機微とコメディは対立する要素だし、あだち充作品の男同士の関係性についても捨象されてる。
なぜそこでサンキューピッチを出した(そっちに意識を全部持っていかれた)
【同人誌再録】サンデーラブコメの倫理と高校野球の精神 あだち充から山本崇一朗まで - 今は亡しわが村
昔サンデーはある変化球で業界に一石を投じた。あだち充だ。いま同誌に再び魔球が舞う。山本だ。あだち野球漫画が『タッチ』以後それを軸に硬直した一方、山本はあだち以上にあだち的に軽やかで……という批評でした
あだち充は今こそ評価されるべきだと思って書きました
要約すると、あだち充の「あだち充性」(人間関係の最重視)を形式化したのが山本崇一朗だということ(人間関係はそれ自体で存在するもので、形式化は自己言及的なため)を歴史的に実証している。
最後まで読んで、結局、ヴェーバーとは何の関係もないのがいいと思いました(小並感)/映画で浅倉南を演じた長澤まさみが、自らの役柄を評して「ヤな女ですよね」と言ったというのは実に象徴的(妻の記憶による)。
面白かった。横だけど、理想の女子マネージャー像として批判されがちなタッチだけど、あの像は女子自身が作り上げていったものではないかと思っていたりもする。現代的価値観で読まれすぎる作品群だよなとも。
むふ♡
面白かったけどめぞん一刻のこと考えると留美子イズムは人間関係の機微ではないというのは疑問が残るし達也にかかっていた呪いは「和也を差し置いて優秀さを発揮してはならない」だったと思うよ
“南が達也に「甲子園つれてって」と言った”“達也から自分を力づけてほしいというリクエストに応える形ででてきた言葉なのだ。甲子園にいくことが本当に必要で求めていたのは、南ではなく達也だ。”
AKIRAっぽい絵柄の山本氏のまんが、読んでみたい
90年代サンデーのラブコメ路線は停滞気味、その通りだけど冒険活劇は『YAIBA』だったし不良マンガは『今日から俺は!!』で、ちゃんとサンデーとしての味がするのがスゴイ。
“一九八三年、サンデーの黄金期はラブコメによってもたらされた。ラブコメマンガの歴史。あだち充は、劇画漫画は人気が伸びず、サンデーから見放されて少女マンガでの下積みを経て、少年誌にラブコメを持ち込んだ”
全然関係ないけどプロ野球選手がオーナーの競走馬「サンデーアダチ」が本日デビューですよ https://x.com/netkeiba/status/2106157286767095846
俺はあだち充だと「ナイン」だけが好きな爺だから…。タッチもナインの引き延ばしに見えてたなあ…
80年代後半から90年代の少年サンデーは克・亜樹がラブコメ、リアルよりは北崎拓が担っていたイメージかな。萌え文化の萌芽がなく、遅れている感じはあった。(畑先生で一気に盛り返した)
不意打ちの阿川先生
個人的にはサンデーのラブコメと言うと「人類ネコ科」、「八神くんの家庭の事情」等のサンデー増刊号時代の連載陣の方が印象深い そのあたりの直撃世代という理由もあるが
面白いけど長いから中座/若木民喜ってラブコメ作家なの?/読んだ素晴らしい。山本ってあだちの後継者ってけどあだちにはあんまフェチ感じない初めてみたときに思い出したのはあさりよしとお
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神みたいに言うな
サンデーラブコメ、「人類ネコ科」が好きだったなぁ
サンデーはスカしてる感じがあるんだよなぁ、馬鹿っぽい作品でもなんか知的な雰囲気を少し出してきてて…いやそれが好きなんだけど
あだち充論、タッチ論はかなり昔だけど本田透氏の「タッチは「熱血」を破壊したか?あだち充トラウマ作家論」も秀逸だった。氏のサイト「しろはた」はもうないけどウェブアーカイブには残ってる
以前のスポ根の汗臭いのを排除していくと軽やかな野球部になっただけでそれでも甲子園行かせるためには柏葉みたいなのを登場させなきゃみたいな。
サンデーがラブコメ路線に舵を切ったのは、アオイホノオによると編集長が業界の飲み会に行って、サンデーにはラブコメが無さ過ぎると痛感させられたからみたい。
途中で阿川先生の幻影を見たが…なんだったんだ。
あだち充はガキの頃から合わなかったなぁ 自分には何が面白いのか全く理解できなかった
マネマネにちにちは恋愛方面は決着つけず、女マネの友情話のまま終わらせそうな気もする。
『マネマネにちにち』は面白いけどもなんか今ひとつ入り込めない不穏さのようなものがある
ブコメの『あの像は女子自身が作り上げていったものではないかと思っていたり』は違うんでは?確か話の中に、南が色々出来すぎて女友達からも引かれるシーンがあったような。子供心に「非実在…」と思ってたよ
高杉勇作>若松真人なので「終わらすなら『みゆき』だろ」と思ってました。だって「ムフ♡」ばっかり/「陽あたり良好!」は氏の少女漫画の完成形。野球部員じゃないのに関わる等ヒーローの造形が上杉達也に一部類似
なんだふたりバスの話は出てこないのか
『マネマネにちにち』じたいの語りが少なすぎて尻切れトンボじゃね?と感じてしまった。せめて主役3人のキャラクターがそれぞれあだち作品とはどう違うかくらいは語ってもよかったのでは、、、、、、
あひるの空が部活漫画であるのと同じ意味で、タッチは恋愛漫画なのであって。/主人公たちが情熱を傾ける対象としてスポーツやその試合の描写も丁寧にやるけれど、それはあくまで登場人物の心象を写す鏡である。
誤植はまあ直してもらうとして。横書きの漢数字は気持ち悪くて嫌だなあ。
面白かった。うる星やつらはどちらかと言うとラブコメ系譜ではなく連載が始まる前の世代で流行ったマカロニほうれん荘(サンデーではないが)などの1話完結ギャグの方の系譜かなぁと思ってます
あだち充のごく一部を切り取ってあだち的と定義した論評に読める。また、人間関係の機微とコメディは対立する要素だし、あだち充作品の男同士の関係性についても捨象されてる。
なぜそこでサンキューピッチを出した(そっちに意識を全部持っていかれた)