「作者が明確な作為を忍ばせたのは、両親が発達障害らしく近親相姦で生まれた”世を憚る子”(祖母目線)」 とまで書いておいてみいちゃんは自分だと思えるならマジでどうかしてると思う。
“特定の相手を侮蔑する目的で「みいちゃん」という言葉を使うとしたら、それは読み手の人格かマンガの読み方が著しく歪んでいる” これはそう。作品がおかしいのではなく読者がおかしい
随分ゴン太実家の呼延灼で草。
蔑称で人を「みいちゃん」呼びするのってもちろん使う人が悪いんだけど、描かれ方が関係ないわけない。映画ジョーカーのときは生きづらさを抱えた自認ジョーカーがいたが自認みいちゃんはいない
露悪的ではなく現実の戯画化ですよね。みいちゃんは純度100%の女の子、ほとんど天使。第36話の作劇は神がかっていた。#「市民ケーン」「フォレストガンプ」「カポーティ」「冬の旅」やアメリカンニューシネマ思い出す
エヴァが世に出てきたころ「よくこんな空っぽの作品で自分語りをするものだ」という文章が驚くほど世間を席捲していたが、同じ空気を感じる文章。
“誰もが納得できるリアリティや高いクオリティを、全37話の尺で新人作家に求めるのは、かなり高い要求ではないだろうか” 手に負えないなら扱うな、という批判も元々ある。消費物にしたのは正しかったのだろうか。
良い感想だと感じた。見解に共感できる。
みいちゃんは負の要素の魔合体キメラだけど、それらの要素一つ一つ(あるいはみいちゃん以外の登場人物の負の部分)のどれかしらは多くの人の〈私〉に引っかかるところがある。だからこんなにも人気が出た気がする。
作者が侮蔑的な意味でみいちゃんみたいなのって使ってるのがバレてるので、歪んでるのは読者だって言ったところで、2週間遅れの感想だよ。
作品から読み取れること、理解できることが、自分のなかの図書館に取り込まれて自分から見える現実世界を形作っていく---俺が斬月だ
細部までよく読み込んでいて妥当な読解だと思ったが、大野さんだったか。気がつかなかった。
作品以外の場所から拾ってきた文脈を勝手に取り付けて、批判する理由を探しながらワーワー騒いでいた人が多いという印象。
いい批評だとは思うが、作者の言動は下記のような穏当なものではなかったと思う "一緒に飲んだ人々を「みいちゃんみたいなの」と形容した絵では、「能天気にワーワー騒ぐだけの人」という意味で使っており"
マジか。RIP。
「みいちゃん、お前だったのか…」大造じいさんはそう呟くと散弾銃を口にくわえ
作者によると、みいちゃんのモデルは軽度の知的障害を持った手帳持ち。あと作者は「手術して目が覚めたら一時的に頭みいちゃんになってた」「魚界のみいちゃん」「特殊学級!」などと言ってるが…
創作の中のキャラに対して「これ自分だ」って思ったことは無いけど人のそういう文章を読むのは好き/でも読み返してみると自分が読み違えてるのかな…「〈私〉そのものを生きているみいちゃん」とか。
過不足なく素晴らしい評。私には作品を排除しようとする連中の差別意識がひどく醜く思えたが、彼らもまた「少しずつ悪い」うちの一人に過ぎないのだろう(私もな)/ せめて〈私〉の意味を理解する努力くらいしようぜ
優れた作品は多くの人からこれは自分のことだと思わせるチカラがあると聞いたことがあったな
良きレビューだなぁ。私も(作者のそれまでの言動も含めて批判が起きるのは、まぁ致し方ないとして)作品自体に見るべきところが全くないとは思わない。最終回の終わらせ方はどうなのかなとは思う。
「物語は偶然性を取り入れながらも、基本的には必然に従って動いていくように設計されていると私は感じた」
まさか大野さんに刺さるとはなあ…。世の中いろいろだねえ。
何を表現したかよりどのように表現したかが批判の対象。私はこの作品は表現技法からも作者や周辺の言動からも批判を免れ得ないと思うし、批判を規制や排除に摩り替えて被害者ぶる論法はすごく卑怯だと思っている。
大野左紀子さんの骨太な評論。題字で山田さんが明朝体みいちゃんが手書き風なのは社会規範に馴致されてるか否か。この馴致されない異物こそ私の中にいる〈私〉。共同体の罪を背負い死ぬみいちゃんの圧倒的な「生」。
作者と作品は別だし、共感に全てが同じ属性である必要はない。
叩くほどの作品ではないと思ってるけど、この作品における思ったより穏当な部分は作者がマスを狙うために必要だから入れてるだけなので乗っかってる言葉はすべて空疎に感じる
あの最終回は余りにも唐突に投げやりに終わったな、と思ったが、2人のみいちゃんにとっての救いはこの世の中で「死」以外に無かったのだろう。そして作品自体が救われるのも社会的な死しか無かったのかもしれない。
何を求めてフィクションを手に取るのか?クソな現実や自分を追認したり憐れんだりする為じゃ無いんだよね。自分の趣味では無いが、まあ、それを好む人もいるというだけの話
ちゃんとした批評家の仕事だと思うが。
「みいちゃんみたいなの」は冷めているとは思うが別に差別でも侮辱でもないだろう。障害者が出てくる作品と言えば「深い愛情と理解が伴って当然」と言いたいのかもしれないが、それは理想論であってリアルではない
とても丁寧な読み解き。「物語として不完全」的な批判をする人は、表現を単なるエンタメとして消費することに慣れすぎでは。作者自身にも説明できない、だから作品にした、ということだってある。
「みいちゃんを一つのリトマス試験紙として、人々の本音や人間性が浮かび上がってくる群像劇だが、しかし「こいつ一人に罪を被せればOK」という構造にはなっていない。だから救いがなく、カタルシスもない。」せやね
ディフォルメの漫画を突然リアルタッチにすると面白いというよくあるネタを初めて見たようなみい山感動人をXでも見たなと思ったら同じ人で良かった。
やっぱりみんなエヴァが終わって暇なんだよ。あれくらいインパクトがあって意味分からない作品をもう一度作ろう。新たな隔離施設を作ろう
カシコイ人はじぶんもみいちゃんだと言いどこか汚れた蔑みを含む表現もそれも自由だと咀嚼できるんだけども世の中の大衆にそれを求めるのは酷。
みいちゃんという固有性が際立つからこそ、読者はそこにそれぞれの普遍性や問題を見出すのだろうね。読者の感性は自由だけれど、差別性を作品の性質として問題にするのなら作品そのものに即して考えるべきだと思う。
みいちゃんがこんな長文書くかな🤔
みいちゃんなんかについて考えるより、ちいかわ映画観に行きましょう大野さん!
「みいちゃんの生が一番きらめいた」のは何時なんだろうとはずっと思ってて 真っ当な福祉関係者は作中のストーリーには無いと言うのだろうけど 私はあると思うけど、そう思うこと自体が質の低い祈りなのでしょうね
みいちゃん、ボクとそっくりにゃ!飼い主さんのこと、たくさん甘やかしてあげてほしいにゃ!
批評のスキルがあればここまで読み込める、でも「先入観を捨て虚心に読み進めれば、まずそんな感想や反応は出てこない」は、一般には言えない。一般人の読解力は恐ろしく低いうえに、まとめサイトに頭が毒されている
どこからでも被害者ポジを取りに行くのスゲえよ
根本的な話として、作者の行動はそれはそれで批判してもいいが、作品の批評に作者の行動への批判を混ぜるのは違うとおれはおもう
先生は「「みいちゃんみたいな」と書いたと批判されているが、これは侮蔑目的とは違うだろう」って解釈なのでトップブコメの指摘はどうだろう…(私は侮蔑目的に見えたけど切り抜きしか知らないのでノーコメント)
ご自身のジャンルが表に出る希少な契機だからですね。これはもう新作の二次創作と言っても良さそう。
興味深く読み終わって大野左紀子氏の評か、なるほど骨太/『〜「こいつ一人に罪を被せればOK」という構造にはなっていない』自分の中でぼんやり「みいちゃんは社会に殺された」と感じてたのを的確に言語化された感覚
今のご時世でこの作品を書くってかなりストレスフルだろうし、作者が逃げたり、露悪的になってしまったりするのは仕方がないと思うのですよね。
90年代末に見た光景、再びか?
そう、私であったかもしれないと思って見てる。FX戦士くるみちゃんとかもね。
人によって読み方は違うんだなぁと。個人的には弱者のタワマン文学と言っていた人に非常に共感した。それぞれの階層の従ってその振る舞いを正当化されたキャラを覗き見る読者。だから露悪的な作品だと感じる。
大野さん久しぶり。骨太の評論、面白かった。
蔑称以外の意味でみいちゃん呼びをするのは作者の意図と異なるので、タイトルへの使用に反対だ。
こんなにきれいな「これ私のことだ……」あるんだ
“ドラマ性を持たせた現実の「反映」で終わるフィクションではなく、現実を参照しつつも普遍的なテーマに「還元」して伝えようしていると捉えるべきだと思う”『知的障害者の話』にして切捨てた感じが自分もあった.
自分はみぃちゃんの作者はほんとうに反社会的でほんとうにマンガの才能があるのがいいと思っているのであまり賛同できない
“徹底して「共同体から弾かれる者」として” こんな書かれ方だと健常者のためのポルノとしか思えなくなる。ボインヒロインと何が違うんや。ポルノもバッドエンドはまあまああるし
作者自らがカジュアルに「みいちゃん」「特殊学級」を使うことの暴力性に無頓着すぎるがこいつ本当に作家か?
みいちゃんを肯定的に扱うものは敵、という認識になっている人からしたら、非難する相手が次から次に出てきてドーパミンが止まらない数日間かもしれない。
我々はあしたのジョーだ、言ってた頃から大して変わってねー
「作者が「みいちゃん」と言っていた」みたいな「証拠」で一発逆転的に意味を確定して語れると思っている人は、随分シンプルな世界観の人なんだなと思う。文学、いや世界はもうちょっと複雑ですよ
割と納得。違和感①侮蔑語としてみいちゃんを使うのはちゃんと読めてないと言った所でそれが多数派かも②幼い愚者に仕立てるための意図的設定が普遍と取られるのは大きな瑕疵では③みい≒≪私≫論が唐突、説明不足感
「みいちゃん」という名前はありふれているけど、発達障害と場面緘黙症をオープンにして活動してる女性の愛称と同じなんだよね。偶然だとしても酷い
みい山は凄い作品だとは思うが、新人ゆえかあまりにも思想的・技術的あらが多いし、問題も大きい。作品に対する批判はもっともだと思う。もっと経験を積んで描き直した作品を読んでみたい。
菩薩とか如来に自己投影の対象はあるんだけどな。関西だったら発達障害はお寺に出されるんだけど。
“みいちゃんを一つのリトマス試験紙として、人々の本音や人間性が浮かび上がってくる群像劇だが、しかし「こいつ一人に罪を被せればOK」という構造にはなっていない”
読み応えがあると思ったらプロなのね。
良い論評。/この作品(作者)について「知障を侮蔑的に描いている」という批判が多いし一理あるんだが、正にそういう他者への単純化によってみいちゃん(非社会的存在)が弾かれ殺される話だと読んだので倒錯的に感じる。
“みいちゃんを一つのリトマス試験紙として、人々の本音や人間性が浮かび上がってくる群像劇”
みいちゃんは原初の人間性の表象のような人物だ。読んでいてヒリヒリする。批判に応えて波風立たない無難な表現に改めたら作品は力を失うだろう。馴致されたはずの一般人も皆歪で醜い。みんなみいちゃんだ。私も。
この漫画の第三の主人公は弱者を見下し搾取する小悪党共であり、それはクソ田舎にも東京にも存在する。私はみいちゃんであり、山田であり、小悪党である。
久しぶりに大野先生の評論を読んだけどやはりいいな。女性が主題の作品を評論させたら右に出るものがいないと思う
自分にとってつまんねえ作品をつまんねえと言うだけで「読みが浅い」とか「そういう態度しか取れないところがまさに」とかの文句が飛んできそうなところがこういうテーマの作品のダルいところというか現実の鏡よね
なんつーか頑張ったな
新しい切り口が存在しない読書感想って綺麗な便所の落書きみたいだな、という感想です。ただ、AIが長文を書く時代だと、手書きであることだけでも価値があるみたいなので今でもブログを書く人にとっては良い時代だね
「アルジャーノンに花束を」の後にもチャーリーは私だという感想が出てきたりしてたので、分からんでもない現象
評論としては真っ当だけど、それでもこうゆう私小説的な作品でなんで障がい者人権という知識もスキルもないとコンプラや法対策が難しい要素を扱うリスクを取ったかなあとは思う。
作品の障害者の描き方についてはその通りだけど、だとしたら普通は連載できない。できたのはこの作品の根っこが少女漫画でなくコミックエッセイだし、夜職がテーマだからでしょ。
無視してブクマしてる場合じゃねーだろ。お前だよお前。晒屋のドぐされ外道クズ。人のこと無邪気に晒してるならお前のこと晒されても文句ないよな
いろいろ言うなら最低限これぐらいの批評能力は必要な作品だと思う。売れすぎて馬鹿に見つかったのが良くなかったかな……
なげえ
ポルノ漫画なので、そういう文学性を持っていることを前提に語るような作品ではない。
あいつはみいちゃん!というやつは決して、自分をみいちゃんだとは言わないんですよね。
みいちゃんてそこまで突拍子もないことしてないよね。パートナーの物壊しちゃう人もセックス依存の人もたくさんいて、ただそれは建前にそぐわない異物としてみんな扱ってるだけで
ブコメは「作者が侮蔑の意味を込めてみぃちゃんを使っているので悪」という論調が人気コメ欄に多いが、このせいで作者は最終回で果ててしまった。作者もみぃちゃんと作中で言及あり、ブコメは批判でなく攻撃に近い
いい論評だが「知的障害者の転落を露悪的に描く」点を売りにし、その倫理性が批判されていた作品に対し「フィクションは取捨選択やデフォルメを前提としているもの」という反論は幾ら何でも一般化しすぎで無理筋だよ
ちゃんと読んでる。指摘する点としては、障害・福祉をテーマではなくモチーフだと位置づけ直そうとしているが、実際には障害と福祉をかなり強く軸にした作品論に寄ってる
最終話のネタばれ怖くて、9月9日のコミック発売まで読めないのが残念//「露悪表現を売りにしてるのに…」←その読み方が間違いと筆者は言っているのでは
人気コメのような、あまりに偏った見方ばかりで辟易としていたが、丁寧な分析を踏まえた興味深い評で良い
人はアリの行列や焚火の揺らぎ、海の満ち引き、単純に見える事象からも深く意味を見出そうとすれば見いだせてしまうものなのでそんな感じ。
みんな最終話わざわざ金払って読んだんだ。無料公開までまと
「作者の気持ちを答えなさい」という読み方が好きな人が多いんだなあというブコメの印象/最終回で「逃げたな」は私もちょっと思った
みい山、無料部分だけ読んだが。作品以上に作者や編集者の不用意な言動が炎上に輪をかけた感があって、作品がちゃんと語られてないのは不幸だなぁと。作者が自作を貶めてどうするんだと。/なのでこの評はよい。
叩くために作品を読み込み、作品外の作者の言動も踏まえる。これもう冷笑系というより熱心なファンやろ
同時に自分のみいちゃん性(みいちゃん性とは??)を認めるとつらい人間がみいちゃんを否定するのも分かる。みいちゃん性は傷ついた人間の特徴のように思えるので。あと被害者性に石もて追う人のさがみたいなもんも
最終回で一番ヤバいなぁと思った「私もみいちゃん」のくだりは、やっぱこういう風に結実した。吐き気がする感じ。みいちゃん概念もドス黒いままで、山田さんも感想で「頭みいちゃんだったか」とか言われちゃってる
まだ最終話読んでないから途中まで読んだ。最初のセンテンスでこれは信頼できそうだ感があった。
みい山批判の多くは「私は善良側の傍観者だ」って意思表明を攻撃性でもって表現してるだけ。どう返答しても防衛本能で発狂されるだけなのだから公式も反応しなければ良いのにと思う。
非常に力のある作家であるにも関らず、腐す為に集まって来る人ばかりになってしまった。まともに向き合った批評を見たのは初めてかも。今回の炎上が無くても続け方の難しいスタイルの人だが、今後も書き続けて欲しい
”やがて『みいちゃんと山田さん』を描くことを決意し、職業漫画家として一皮向けた再スタートを期す、といった展開” 作者はみいちゃんを山田さんの成長の材料にしたくなかったのかな、と。
作者は誰よりも作品について考えていると思う。こういう風に読んでもらえたのは、「良かった」と個人的には思う。
みいちゃんは〈私〉だ ───『みいちゃんと山田さん』を読んで - ohnosakiko’s blog
「作者が明確な作為を忍ばせたのは、両親が発達障害らしく近親相姦で生まれた”世を憚る子”(祖母目線)」 とまで書いておいてみいちゃんは自分だと思えるならマジでどうかしてると思う。
“特定の相手を侮蔑する目的で「みいちゃん」という言葉を使うとしたら、それは読み手の人格かマンガの読み方が著しく歪んでいる” これはそう。作品がおかしいのではなく読者がおかしい
随分ゴン太実家の呼延灼で草。
蔑称で人を「みいちゃん」呼びするのってもちろん使う人が悪いんだけど、描かれ方が関係ないわけない。映画ジョーカーのときは生きづらさを抱えた自認ジョーカーがいたが自認みいちゃんはいない
露悪的ではなく現実の戯画化ですよね。みいちゃんは純度100%の女の子、ほとんど天使。第36話の作劇は神がかっていた。#「市民ケーン」「フォレストガンプ」「カポーティ」「冬の旅」やアメリカンニューシネマ思い出す
エヴァが世に出てきたころ「よくこんな空っぽの作品で自分語りをするものだ」という文章が驚くほど世間を席捲していたが、同じ空気を感じる文章。
“誰もが納得できるリアリティや高いクオリティを、全37話の尺で新人作家に求めるのは、かなり高い要求ではないだろうか” 手に負えないなら扱うな、という批判も元々ある。消費物にしたのは正しかったのだろうか。
良い感想だと感じた。見解に共感できる。
みいちゃんは負の要素の魔合体キメラだけど、それらの要素一つ一つ(あるいはみいちゃん以外の登場人物の負の部分)のどれかしらは多くの人の〈私〉に引っかかるところがある。だからこんなにも人気が出た気がする。
作者が侮蔑的な意味でみいちゃんみたいなのって使ってるのがバレてるので、歪んでるのは読者だって言ったところで、2週間遅れの感想だよ。
作品から読み取れること、理解できることが、自分のなかの図書館に取り込まれて自分から見える現実世界を形作っていく---俺が斬月だ
細部までよく読み込んでいて妥当な読解だと思ったが、大野さんだったか。気がつかなかった。
作品以外の場所から拾ってきた文脈を勝手に取り付けて、批判する理由を探しながらワーワー騒いでいた人が多いという印象。
いい批評だとは思うが、作者の言動は下記のような穏当なものではなかったと思う "一緒に飲んだ人々を「みいちゃんみたいなの」と形容した絵では、「能天気にワーワー騒ぐだけの人」という意味で使っており"
マジか。RIP。
「みいちゃん、お前だったのか…」大造じいさんはそう呟くと散弾銃を口にくわえ
作者によると、みいちゃんのモデルは軽度の知的障害を持った手帳持ち。あと作者は「手術して目が覚めたら一時的に頭みいちゃんになってた」「魚界のみいちゃん」「特殊学級!」などと言ってるが…
創作の中のキャラに対して「これ自分だ」って思ったことは無いけど人のそういう文章を読むのは好き/でも読み返してみると自分が読み違えてるのかな…「〈私〉そのものを生きているみいちゃん」とか。
過不足なく素晴らしい評。私には作品を排除しようとする連中の差別意識がひどく醜く思えたが、彼らもまた「少しずつ悪い」うちの一人に過ぎないのだろう(私もな)/ せめて〈私〉の意味を理解する努力くらいしようぜ
優れた作品は多くの人からこれは自分のことだと思わせるチカラがあると聞いたことがあったな
良きレビューだなぁ。私も(作者のそれまでの言動も含めて批判が起きるのは、まぁ致し方ないとして)作品自体に見るべきところが全くないとは思わない。最終回の終わらせ方はどうなのかなとは思う。
「物語は偶然性を取り入れながらも、基本的には必然に従って動いていくように設計されていると私は感じた」
まさか大野さんに刺さるとはなあ…。世の中いろいろだねえ。
何を表現したかよりどのように表現したかが批判の対象。私はこの作品は表現技法からも作者や周辺の言動からも批判を免れ得ないと思うし、批判を規制や排除に摩り替えて被害者ぶる論法はすごく卑怯だと思っている。
大野左紀子さんの骨太な評論。題字で山田さんが明朝体みいちゃんが手書き風なのは社会規範に馴致されてるか否か。この馴致されない異物こそ私の中にいる〈私〉。共同体の罪を背負い死ぬみいちゃんの圧倒的な「生」。
作者と作品は別だし、共感に全てが同じ属性である必要はない。
叩くほどの作品ではないと思ってるけど、この作品における思ったより穏当な部分は作者がマスを狙うために必要だから入れてるだけなので乗っかってる言葉はすべて空疎に感じる
あの最終回は余りにも唐突に投げやりに終わったな、と思ったが、2人のみいちゃんにとっての救いはこの世の中で「死」以外に無かったのだろう。そして作品自体が救われるのも社会的な死しか無かったのかもしれない。
何を求めてフィクションを手に取るのか?クソな現実や自分を追認したり憐れんだりする為じゃ無いんだよね。自分の趣味では無いが、まあ、それを好む人もいるというだけの話
ちゃんとした批評家の仕事だと思うが。
「みいちゃんみたいなの」は冷めているとは思うが別に差別でも侮辱でもないだろう。障害者が出てくる作品と言えば「深い愛情と理解が伴って当然」と言いたいのかもしれないが、それは理想論であってリアルではない
とても丁寧な読み解き。「物語として不完全」的な批判をする人は、表現を単なるエンタメとして消費することに慣れすぎでは。作者自身にも説明できない、だから作品にした、ということだってある。
「みいちゃんを一つのリトマス試験紙として、人々の本音や人間性が浮かび上がってくる群像劇だが、しかし「こいつ一人に罪を被せればOK」という構造にはなっていない。だから救いがなく、カタルシスもない。」せやね
ディフォルメの漫画を突然リアルタッチにすると面白いというよくあるネタを初めて見たようなみい山感動人をXでも見たなと思ったら同じ人で良かった。
やっぱりみんなエヴァが終わって暇なんだよ。あれくらいインパクトがあって意味分からない作品をもう一度作ろう。新たな隔離施設を作ろう
カシコイ人はじぶんもみいちゃんだと言いどこか汚れた蔑みを含む表現もそれも自由だと咀嚼できるんだけども世の中の大衆にそれを求めるのは酷。
みいちゃんという固有性が際立つからこそ、読者はそこにそれぞれの普遍性や問題を見出すのだろうね。読者の感性は自由だけれど、差別性を作品の性質として問題にするのなら作品そのものに即して考えるべきだと思う。
みいちゃんがこんな長文書くかな🤔
みいちゃんなんかについて考えるより、ちいかわ映画観に行きましょう大野さん!
「みいちゃんの生が一番きらめいた」のは何時なんだろうとはずっと思ってて 真っ当な福祉関係者は作中のストーリーには無いと言うのだろうけど 私はあると思うけど、そう思うこと自体が質の低い祈りなのでしょうね
みいちゃん、ボクとそっくりにゃ!飼い主さんのこと、たくさん甘やかしてあげてほしいにゃ!
批評のスキルがあればここまで読み込める、でも「先入観を捨て虚心に読み進めれば、まずそんな感想や反応は出てこない」は、一般には言えない。一般人の読解力は恐ろしく低いうえに、まとめサイトに頭が毒されている
どこからでも被害者ポジを取りに行くのスゲえよ
根本的な話として、作者の行動はそれはそれで批判してもいいが、作品の批評に作者の行動への批判を混ぜるのは違うとおれはおもう
先生は「「みいちゃんみたいな」と書いたと批判されているが、これは侮蔑目的とは違うだろう」って解釈なのでトップブコメの指摘はどうだろう…(私は侮蔑目的に見えたけど切り抜きしか知らないのでノーコメント)
ご自身のジャンルが表に出る希少な契機だからですね。これはもう新作の二次創作と言っても良さそう。
興味深く読み終わって大野左紀子氏の評か、なるほど骨太/『〜「こいつ一人に罪を被せればOK」という構造にはなっていない』自分の中でぼんやり「みいちゃんは社会に殺された」と感じてたのを的確に言語化された感覚
今のご時世でこの作品を書くってかなりストレスフルだろうし、作者が逃げたり、露悪的になってしまったりするのは仕方がないと思うのですよね。
90年代末に見た光景、再びか?
そう、私であったかもしれないと思って見てる。FX戦士くるみちゃんとかもね。
人によって読み方は違うんだなぁと。個人的には弱者のタワマン文学と言っていた人に非常に共感した。それぞれの階層の従ってその振る舞いを正当化されたキャラを覗き見る読者。だから露悪的な作品だと感じる。
大野さん久しぶり。骨太の評論、面白かった。
蔑称以外の意味でみいちゃん呼びをするのは作者の意図と異なるので、タイトルへの使用に反対だ。
こんなにきれいな「これ私のことだ……」あるんだ
“ドラマ性を持たせた現実の「反映」で終わるフィクションではなく、現実を参照しつつも普遍的なテーマに「還元」して伝えようしていると捉えるべきだと思う”『知的障害者の話』にして切捨てた感じが自分もあった.
自分はみぃちゃんの作者はほんとうに反社会的でほんとうにマンガの才能があるのがいいと思っているのであまり賛同できない
“徹底して「共同体から弾かれる者」として” こんな書かれ方だと健常者のためのポルノとしか思えなくなる。ボインヒロインと何が違うんや。ポルノもバッドエンドはまあまああるし
作者自らがカジュアルに「みいちゃん」「特殊学級」を使うことの暴力性に無頓着すぎるがこいつ本当に作家か?
みいちゃんを肯定的に扱うものは敵、という認識になっている人からしたら、非難する相手が次から次に出てきてドーパミンが止まらない数日間かもしれない。
我々はあしたのジョーだ、言ってた頃から大して変わってねー
「作者が「みいちゃん」と言っていた」みたいな「証拠」で一発逆転的に意味を確定して語れると思っている人は、随分シンプルな世界観の人なんだなと思う。文学、いや世界はもうちょっと複雑ですよ
割と納得。違和感①侮蔑語としてみいちゃんを使うのはちゃんと読めてないと言った所でそれが多数派かも②幼い愚者に仕立てるための意図的設定が普遍と取られるのは大きな瑕疵では③みい≒≪私≫論が唐突、説明不足感
「みいちゃん」という名前はありふれているけど、発達障害と場面緘黙症をオープンにして活動してる女性の愛称と同じなんだよね。偶然だとしても酷い
みい山は凄い作品だとは思うが、新人ゆえかあまりにも思想的・技術的あらが多いし、問題も大きい。作品に対する批判はもっともだと思う。もっと経験を積んで描き直した作品を読んでみたい。
菩薩とか如来に自己投影の対象はあるんだけどな。関西だったら発達障害はお寺に出されるんだけど。
“みいちゃんを一つのリトマス試験紙として、人々の本音や人間性が浮かび上がってくる群像劇だが、しかし「こいつ一人に罪を被せればOK」という構造にはなっていない”
読み応えがあると思ったらプロなのね。
良い論評。/この作品(作者)について「知障を侮蔑的に描いている」という批判が多いし一理あるんだが、正にそういう他者への単純化によってみいちゃん(非社会的存在)が弾かれ殺される話だと読んだので倒錯的に感じる。
“みいちゃんを一つのリトマス試験紙として、人々の本音や人間性が浮かび上がってくる群像劇”
みいちゃんは原初の人間性の表象のような人物だ。読んでいてヒリヒリする。批判に応えて波風立たない無難な表現に改めたら作品は力を失うだろう。馴致されたはずの一般人も皆歪で醜い。みんなみいちゃんだ。私も。
この漫画の第三の主人公は弱者を見下し搾取する小悪党共であり、それはクソ田舎にも東京にも存在する。私はみいちゃんであり、山田であり、小悪党である。
久しぶりに大野先生の評論を読んだけどやはりいいな。女性が主題の作品を評論させたら右に出るものがいないと思う
自分にとってつまんねえ作品をつまんねえと言うだけで「読みが浅い」とか「そういう態度しか取れないところがまさに」とかの文句が飛んできそうなところがこういうテーマの作品のダルいところというか現実の鏡よね
なんつーか頑張ったな
新しい切り口が存在しない読書感想って綺麗な便所の落書きみたいだな、という感想です。ただ、AIが長文を書く時代だと、手書きであることだけでも価値があるみたいなので今でもブログを書く人にとっては良い時代だね
「アルジャーノンに花束を」の後にもチャーリーは私だという感想が出てきたりしてたので、分からんでもない現象
評論としては真っ当だけど、それでもこうゆう私小説的な作品でなんで障がい者人権という知識もスキルもないとコンプラや法対策が難しい要素を扱うリスクを取ったかなあとは思う。
作品の障害者の描き方についてはその通りだけど、だとしたら普通は連載できない。できたのはこの作品の根っこが少女漫画でなくコミックエッセイだし、夜職がテーマだからでしょ。
無視してブクマしてる場合じゃねーだろ。お前だよお前。晒屋のドぐされ外道クズ。人のこと無邪気に晒してるならお前のこと晒されても文句ないよな
いろいろ言うなら最低限これぐらいの批評能力は必要な作品だと思う。売れすぎて馬鹿に見つかったのが良くなかったかな……
なげえ
ポルノ漫画なので、そういう文学性を持っていることを前提に語るような作品ではない。
あいつはみいちゃん!というやつは決して、自分をみいちゃんだとは言わないんですよね。
みいちゃんてそこまで突拍子もないことしてないよね。パートナーの物壊しちゃう人もセックス依存の人もたくさんいて、ただそれは建前にそぐわない異物としてみんな扱ってるだけで
ブコメは「作者が侮蔑の意味を込めてみぃちゃんを使っているので悪」という論調が人気コメ欄に多いが、このせいで作者は最終回で果ててしまった。作者もみぃちゃんと作中で言及あり、ブコメは批判でなく攻撃に近い
いい論評だが「知的障害者の転落を露悪的に描く」点を売りにし、その倫理性が批判されていた作品に対し「フィクションは取捨選択やデフォルメを前提としているもの」という反論は幾ら何でも一般化しすぎで無理筋だよ
ちゃんと読んでる。指摘する点としては、障害・福祉をテーマではなくモチーフだと位置づけ直そうとしているが、実際には障害と福祉をかなり強く軸にした作品論に寄ってる
最終話のネタばれ怖くて、9月9日のコミック発売まで読めないのが残念//「露悪表現を売りにしてるのに…」←その読み方が間違いと筆者は言っているのでは
人気コメのような、あまりに偏った見方ばかりで辟易としていたが、丁寧な分析を踏まえた興味深い評で良い
人はアリの行列や焚火の揺らぎ、海の満ち引き、単純に見える事象からも深く意味を見出そうとすれば見いだせてしまうものなのでそんな感じ。
みんな最終話わざわざ金払って読んだんだ。無料公開までまと
「作者の気持ちを答えなさい」という読み方が好きな人が多いんだなあというブコメの印象/最終回で「逃げたな」は私もちょっと思った
みい山、無料部分だけ読んだが。作品以上に作者や編集者の不用意な言動が炎上に輪をかけた感があって、作品がちゃんと語られてないのは不幸だなぁと。作者が自作を貶めてどうするんだと。/なのでこの評はよい。
叩くために作品を読み込み、作品外の作者の言動も踏まえる。これもう冷笑系というより熱心なファンやろ
同時に自分のみいちゃん性(みいちゃん性とは??)を認めるとつらい人間がみいちゃんを否定するのも分かる。みいちゃん性は傷ついた人間の特徴のように思えるので。あと被害者性に石もて追う人のさがみたいなもんも
最終回で一番ヤバいなぁと思った「私もみいちゃん」のくだりは、やっぱこういう風に結実した。吐き気がする感じ。みいちゃん概念もドス黒いままで、山田さんも感想で「頭みいちゃんだったか」とか言われちゃってる
まだ最終話読んでないから途中まで読んだ。最初のセンテンスでこれは信頼できそうだ感があった。
みい山批判の多くは「私は善良側の傍観者だ」って意思表明を攻撃性でもって表現してるだけ。どう返答しても防衛本能で発狂されるだけなのだから公式も反応しなければ良いのにと思う。
非常に力のある作家であるにも関らず、腐す為に集まって来る人ばかりになってしまった。まともに向き合った批評を見たのは初めてかも。今回の炎上が無くても続け方の難しいスタイルの人だが、今後も書き続けて欲しい
”やがて『みいちゃんと山田さん』を描くことを決意し、職業漫画家として一皮向けた再スタートを期す、といった展開” 作者はみいちゃんを山田さんの成長の材料にしたくなかったのかな、と。
作者は誰よりも作品について考えていると思う。こういう風に読んでもらえたのは、「良かった」と個人的には思う。