JR東日本企画(jeki)社、アニメ化の時から関係あったのかー。電車広告でなんでポケモンなんだろう?って気になってた。
ずっと誰かが頑張ってたわけじゃなくて、その時々で「ここを推進する」っていう強い意志を持った人にタイミングよく出会い続けてるのがすごい奇跡だなー
任天堂らしい経営方法。
鬼滅とかもそうだけど、ヒットした理由は「実力」と「人事」で説明できても、メガヒットした理由は「時流」以外のはっきりとした答えって難しい気が。
岩田さんのリバースエンジニアリング伝説は何度擦られても面白い。15兆円はもはや国家予算
勝てると思ったら投げ出さずに逆風期も耐えてIPを生き延びさせる→長期に渡り浸透させ続けたIPを技術革新やトレンドに乗って拡大させ大勝ち、のループよね。 SONYやMicrosoftが単年度会計にひるんで踏み込めなかった戦略。
小学館のコロコロ久保さんはアニメだけでなく、起爆剤の一つになったミュウ配布企画やポケモン青販売にも関わってる。初回出荷23万5千本のポケモンが最終的に世界で3000万本売れたのは久保さんの寄与も小さくない。
仕様書なしのリバースエンジニアリングで開発…というのは、部外者が勝手にコピー品を作る場合と同じやり方という情報を添えると、状況の無茶苦茶さがよく分かる。岩田氏の話はどこで聞いても規格外。
岩田さんのエピソードはいつも人間離れしているなw “そこで岩田さんは、日本語版の仕様書なしに、外部から解析して英語版を作り上げる「リバースエンジニアリング」という手法で開発を進めたのです”
どう見てもパッと見は死にかけてるゲームボーイの末期に出た子供向けRPGなのに、売れるかわからん第一作から、努力値だとか個体値だとかの隠しパラまで入れ尽くしてるあたり、凄すぎると思うの。
人生ポケモンのようでありたいなと思うくらいにはいいストーリーだ
初代世代だが当時ゲームボーイを持っておらず友達の家でやらせてもらったポケモンが面白過ぎてお年玉はたいて本体とソフト買った思い出。今初代世代が親子で狙い撃ちされており、まんまと親子でプレイしている。
赤緑の2バージョンのアイディアは宮本茂。通信交換は田尻氏のアイディアが元だと思うが。
友人がかつて、ゲームボーイの最期を看取るためにポケットモンスターというゲームを手向けとして買うのだと言ってたのがいまだに記憶にのこってる。まさかこんな超絶ゲームになるとは
それはパルワールドも含みますか。
あら、自社制作のポッドキャストもサイトで記事にするのですね。私は今回はじめて気がついた。
ピカチュウとトロ、どうして差がついたのか・・・慢心、環境の違い
ソニーだってPS3時代に、少なく見積もっても(ゲーム事業のセグメントを変更したので、ゲーム事業単独での利益が非開示の年度がある)累計営業損失が3000億円を超えたが、それでもPSを見捨てなかったぞ
任天堂は64が売れずPSがバカ売れしゲームボーイは過去の物で終了間際だった時にポケモンが爆発し改めて自分達は子供相手に商売してるんだなという思いが強くなったのか経営方針がそちらに超傾いて行った感がある。
失意泰然得意冷然の会社。…しかしまぁ自分の系列で出したタイトルをリバースエンジニアリングとか、岩田さんは逸話に事欠かないね…ゲームボーイの時代じゃアセンブラでしょ…
わたくしのぽけっともんすたーと勝負しない?からよくここまできたよな。
俺はカードヒーローだったから悲しんでます。競合強すぎるから仕方ないけどね…/子供向けだろうと年月経てば家族向けになる…ファミリーコンピュータだこれ
他のゲーム機ではほぼあり得ない、年ごとの売れ行きグラフに2つの山があるからなGB(GBP,GBC含む)|JR東企画は今JekiだがポケモンだけはJRkikakuのままで今もアニメのコピーライトに名を連ねているんだよな
ゲームボーイ(初代)の発売が大学に入った年の4月。ポケモン(初代)が発売された時は、「面白そうなゲームが出た!」と即座に買ったものの、すでに社会人だったので一緒に遊ぶような友人がいなかった…
大昔、故岩田さんのリバースエンジニアリングをきっかけに、米国の子供たちの間で一世を風靡した過去があり、それが下地でポケモンGoという企画が成立し、親子でお金を落とすグローバルなIPに育った流れも感慨深いな
ポケモン解析の話と株式会社ポケモンの担当・掌握デザインは4gamerでも。 https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20151225009/ おおよそ社長が訊くと同じ証言
そもそもソースコードを渡しとけば良かったのでは?スーパープログラマーに無駄な労力を使わせただけにしか見えないが、これは美談なのか
“ゲームでのピカチュウは151種類のポケモンのうちの1種類に過ぎず、特別な存在ではありませんでした。”先日ピカチュウはキャラクター性を仕込んであるという話をみたところだ
あの頃のゲームフリークの評価は業界内でもユーザー間でも高かった。任天堂と組んでGBでRPG出すってこれは何かあると思った人は多かったはず。そして杉森建のデザイン力が世界レベルと感じていた人は多かったはずだ!
"ポケモンを最初に作ったゲームフリークは、発売当時9人ほどの会社だったようですね。" これ有名なサークラ騒動でプログラマー激減した(そこで頭角表わしたのが増田さん)という話で、開発中はもうちょい人がいた
株ポケ設立でIPビジネスをうまく回せるように権利関係を調整したのも岩田さんの偉業。普通はここで躓く。更に岩田さん亡き後我慢の時を経てここまで育て上げたのは石原さんの偉業と言えると思う。
リバースエンジニアリング
オタクの市民権とリンクしている気がする。俺らが高校生の時、クラスの隅っこでポケモンやってるギークは蛇蝎の如く嫌われてたから。世代が変わるのを気長に待って侵食して行った感じ。
またこんな微妙なコト言ってる。/曖昧コトでも「任天堂あげ」だとハテナ〜は検証しないからな。
ポケモンの復活はポケGoのおかげ、ということは、俺たちIngressエージェントがポータルネットワークを無償で構築してあげたおかげだな!
コロコロの久保さんの事をポケモンのマンガ描いてた穴久保幸作さんのことかと空目してた。あのマンガそんなに影響力あったんだ…と。SDクラブで連載してたムサシロードが好きでした。
ポケモン青は1500円で応募者全員サービスは子供心に安い!これは応募せにゃ!ってなってた記憶がある。
ゲームボーイは落ち目だったけど結構みんな持ってたんだよな
ミュウツーの元である「ミュウ」が没データから発見された話が好き。
岩田氏、社長を訊くによると一応赤緑のソースコードはもらってた模様。ただ当時のGB開発はアセンブリ言語。そして同時期に64ポケモンスタジアムも開発してたらしい。異次元 https://www.nintendo.co.jp/ds/interview/ipkj/vol1/index3.html
成長した理由というより経緯を追っている話に読める。
宮本茂や岩田聡の名前に隠れがちだけど、田尻智も十分凄すぎるというか、彼の常人離れしたコミットが無ければそもそもポケモン自体生まれてない。ここ数年だと株ポケの宇都宮崇人も相当のやり手だなぁと
子供もサブスクのポケモンアニメをずっと見てて、そこからゲームやりたいカード欲しいぬいぐるみと広がっていった。アニメは親としてはほぼ一話完結&内容安心して見せられる&長いので切れない所がいい。
田尻智氏の人生はいつか大河ドラマになると思うくらいドラマチックだと思う
ここまで成長したのはアニメ漫画のクロスメディア戦略のおかげかと思うが、特に最近は「忘れられないために何がなんでもコンスタントにゲームを出す」のが功を奏している気がする。
ポケモン初期の話はポケモンストーリーってビジネス書に詳しく書いてあって面白かった。赤緑+青の由来とかアニメ化を嫌がっていた理由とか。 https://www.yodobashi.com/product/100000009000078232/
2010年代前半中盤に他に吸われて勢いが落ちたと挙げているがそんなに下降傾向だったっけ? / クロスメディア戦略がどんなにあっても中心にある本編新作の発売ペースの維持が大きいと思う
「なぜ」を回答するには答えがデカすぎる/ポケモンが出なかったら携帯ゲーム機自体が途絶えてた可能性すらあるからな。
やっぱ岩田さんが初代ポケモンをリバースエンジニアリングで英語化したの意味わからん天才ぶりではある
子供ネットワークの口コミが勝手にうまく言ったという認識だし、たまたま個人ゲーム機のゲームボーイは一人一つの時代だった上、トレカが一般化し始めたことがヒットしたので時代がにあった良いゲームだったが答え
子供の頃、田尻さんは憧れの人だったなー。たしか高専生だったんだよね。
アニメ版権窓口を小プロに集約したこと(久保さん)、アメリカ上陸時はゲーム・アニメ・カードをセットで持っていったこと(NOA社長)、それぞれに責任感を持って大きな決断をしたことも大事
昔呑み会の後同僚の家に泊まったとき同僚息子(当時4歳)が白黒画面のポケモンの説明を延々としてくれたなあ、父親(同僚)が「おにいちゃんはわかんないよ」と繰り返し諭してたが。その子も今や30代、3児の父だ。
トロはまあ日常系だから……ソニックはcoolに振っててkawaiiが低めだったんだよなぁ。ポケモンは実質主従関係なのに友情を抽出してみせる構造も強かった。Goリリース日の帰り道は歩行者がいつもの数倍は居て異様だったな
一流の素材を一流の仕事人が交代々々30年に渡って絶妙なアプデを繰り返すことでここまで来た感。
低迷期なんてあったんだな
ポケモンミニとかいう、誰が買ってるのかわからないハードでしかポケモンのゲームを売ってなかった頃(2000年代前半)が一番の低迷期だった気がする
むしろ岩田聡のいるHAL研を捨てる判断をしたらそっちの方が異常。バルーンファイトのファミコン移植からずっと業界で名前を知られてた訳だから。
いつも奇妙に思うのはエヴァンゲリオンの放送が1995.10~1996.03でポケモンの発売日が1996.02.27。30年以上続くロングランのシリーズがまったくの同時期に出発しているというのが面白い。
ボク、ポケモンが15兆円だなんてすごいにゃ!任天堂さん、偉いニャ!
ポケモン愛してるよ
初代のピカチュウでさえちょっと太ましくて生物としてみんななんかややキモいドット絵のグラが好きすぎて未だに可愛い子達に馴染めないっすね。赤緑から金銀までブランク空きすぎて大人になっちゃったんだよ⋯⋯
ちょっと前に見た海外系チャンネルのファン解説ではジムバッチや対戦で俺のポケモンが最強かつ俺がアッシュ(サトシ)になれる体験が強いのと成長しても子どものコンテンツにならない商品展開が成功の要素と語ってた。
コードが仕様書だ!
プラコロは大流行しなかったけどポケカは流行ったし、コンテンツの強さでアニメや周辺グッズも人気になったの凄い。ポケカや遊戯王はTCGを子供に広めた所あるよな。
IPは増やすのではなく育てるもの。ポケモンは構想6年、リリース後30年で最近三年が最も成長しているとのこと。世代を超えた証明。
緑しかやったことないけど、小学生でブームになっていると聞きつけて買ってみたらめちゃくちゃ面白かったし、周りにゲームボーイポケットとセットで買うやつが続出した。ピカチュウもめちゃくちゃかわいかった。
JR東日本企画 「モジャ公」の次に「ポケモン」だっけ?
ポケモンGOが中興の祖なのか。知らなかった
そもそも、もうめぼしい新作がなくなってきたゲームボーイ末期なのに初回出荷23万は普通に凄いと思う。
今のゲームフリークはIP屋であり開発力は微妙で初期作の延長線上のゲームしか作れない会社という印象。Niantic製のポケモンGOやコーエーテクモ製のぽこポケはゲームとしての面白さも付随してるから、他社製に期待してる
ピカチュウといえば大谷育江さんの功績もデカいよね
「一度低迷しても諦めず、『ポケモンGO』のような新しい挑戦で時代と寝食を共にした」
すごいなあ
『ポケモンGO』がそんなに効いていたとは。今はNianticが助けられてそうだが。ポケカも売れてなかったのか。
初代ポケモンのアセンブリコードをリバースエンジニアリングで解析、英語版にローカライズを進めた岩田さんすげえ…。プログラマーとしての伝説がいくつあるんだ
ポケモンについてはいくらでも語れるけど、カードの紆余曲折っぷりや変化はものすごいぞマジで。手を変え品を変えの連続。常に新しい血を取り入れてる。もはや原作ゲームよりカードやアパレルの方で儲けてる作品
とにかく70点ぐらいの新作ゲームを定期的に出して、メディア関連(アニメ・マンガ・カードゲーム・グッツ)を続けるのが強い。テコ入れを続けてる
モンハンや妖怪ウォッチに押されて下火になってた時期もあるのにすごいよ。
圧倒的に愛がある。なによりクリエーターの愛がすごい。初期の開発期間支援もそうだがポケカとかもライバル企業にどうやったら売れますかとか愛がなかったら相談できん。だからユーザーも愛したくなる
凄いと思うがビジネスでの結果論は好きじゃないんよな。その間に捨てたIPも山ほどあるわけで、それが成長しなかったかどうかなんてifの世界線。
サトシの決め台詞をゲットだぜ!に決めた人は自慢してもよい
“『ポケモンGO』でポケモン熱が再燃した人々が、昔遊んだポケモンカードを引っ張り出す動きがありました。そしてコロナ禍で生まれた余暇時間や、ある種の投資対象としての側面も相まって、ポケモンカード市場は爆発
山内溥はヒットを出すには数打つしかないって経験則的に知ってて種を蒔くことに積極的だったからでしょう。岩田聡まではそこを踏襲したけど今の任天堂は株主に屈する典型例な大企業になってしまってつまらない。
ポケモンはなぜ15兆円経済圏に成長した?小さなゲーム会社を見捨てなかった任天堂の慧眼 | TBSラジオ
JR東日本企画(jeki)社、アニメ化の時から関係あったのかー。電車広告でなんでポケモンなんだろう?って気になってた。
ずっと誰かが頑張ってたわけじゃなくて、その時々で「ここを推進する」っていう強い意志を持った人にタイミングよく出会い続けてるのがすごい奇跡だなー
任天堂らしい経営方法。
鬼滅とかもそうだけど、ヒットした理由は「実力」と「人事」で説明できても、メガヒットした理由は「時流」以外のはっきりとした答えって難しい気が。
岩田さんのリバースエンジニアリング伝説は何度擦られても面白い。15兆円はもはや国家予算
勝てると思ったら投げ出さずに逆風期も耐えてIPを生き延びさせる→長期に渡り浸透させ続けたIPを技術革新やトレンドに乗って拡大させ大勝ち、のループよね。 SONYやMicrosoftが単年度会計にひるんで踏み込めなかった戦略。
小学館のコロコロ久保さんはアニメだけでなく、起爆剤の一つになったミュウ配布企画やポケモン青販売にも関わってる。初回出荷23万5千本のポケモンが最終的に世界で3000万本売れたのは久保さんの寄与も小さくない。
仕様書なしのリバースエンジニアリングで開発…というのは、部外者が勝手にコピー品を作る場合と同じやり方という情報を添えると、状況の無茶苦茶さがよく分かる。岩田氏の話はどこで聞いても規格外。
岩田さんのエピソードはいつも人間離れしているなw “そこで岩田さんは、日本語版の仕様書なしに、外部から解析して英語版を作り上げる「リバースエンジニアリング」という手法で開発を進めたのです”
どう見てもパッと見は死にかけてるゲームボーイの末期に出た子供向けRPGなのに、売れるかわからん第一作から、努力値だとか個体値だとかの隠しパラまで入れ尽くしてるあたり、凄すぎると思うの。
人生ポケモンのようでありたいなと思うくらいにはいいストーリーだ
初代世代だが当時ゲームボーイを持っておらず友達の家でやらせてもらったポケモンが面白過ぎてお年玉はたいて本体とソフト買った思い出。今初代世代が親子で狙い撃ちされており、まんまと親子でプレイしている。
赤緑の2バージョンのアイディアは宮本茂。通信交換は田尻氏のアイディアが元だと思うが。
友人がかつて、ゲームボーイの最期を看取るためにポケットモンスターというゲームを手向けとして買うのだと言ってたのがいまだに記憶にのこってる。まさかこんな超絶ゲームになるとは
それはパルワールドも含みますか。
あら、自社制作のポッドキャストもサイトで記事にするのですね。私は今回はじめて気がついた。
ピカチュウとトロ、どうして差がついたのか・・・慢心、環境の違い
ソニーだってPS3時代に、少なく見積もっても(ゲーム事業のセグメントを変更したので、ゲーム事業単独での利益が非開示の年度がある)累計営業損失が3000億円を超えたが、それでもPSを見捨てなかったぞ
任天堂は64が売れずPSがバカ売れしゲームボーイは過去の物で終了間際だった時にポケモンが爆発し改めて自分達は子供相手に商売してるんだなという思いが強くなったのか経営方針がそちらに超傾いて行った感がある。
失意泰然得意冷然の会社。…しかしまぁ自分の系列で出したタイトルをリバースエンジニアリングとか、岩田さんは逸話に事欠かないね…ゲームボーイの時代じゃアセンブラでしょ…
わたくしのぽけっともんすたーと勝負しない?からよくここまできたよな。
俺はカードヒーローだったから悲しんでます。競合強すぎるから仕方ないけどね…/子供向けだろうと年月経てば家族向けになる…ファミリーコンピュータだこれ
他のゲーム機ではほぼあり得ない、年ごとの売れ行きグラフに2つの山があるからなGB(GBP,GBC含む)|JR東企画は今JekiだがポケモンだけはJRkikakuのままで今もアニメのコピーライトに名を連ねているんだよな
ゲームボーイ(初代)の発売が大学に入った年の4月。ポケモン(初代)が発売された時は、「面白そうなゲームが出た!」と即座に買ったものの、すでに社会人だったので一緒に遊ぶような友人がいなかった…
大昔、故岩田さんのリバースエンジニアリングをきっかけに、米国の子供たちの間で一世を風靡した過去があり、それが下地でポケモンGoという企画が成立し、親子でお金を落とすグローバルなIPに育った流れも感慨深いな
ポケモン解析の話と株式会社ポケモンの担当・掌握デザインは4gamerでも。 https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20151225009/ おおよそ社長が訊くと同じ証言
そもそもソースコードを渡しとけば良かったのでは?スーパープログラマーに無駄な労力を使わせただけにしか見えないが、これは美談なのか
“ゲームでのピカチュウは151種類のポケモンのうちの1種類に過ぎず、特別な存在ではありませんでした。”先日ピカチュウはキャラクター性を仕込んであるという話をみたところだ
あの頃のゲームフリークの評価は業界内でもユーザー間でも高かった。任天堂と組んでGBでRPG出すってこれは何かあると思った人は多かったはず。そして杉森建のデザイン力が世界レベルと感じていた人は多かったはずだ!
"ポケモンを最初に作ったゲームフリークは、発売当時9人ほどの会社だったようですね。" これ有名なサークラ騒動でプログラマー激減した(そこで頭角表わしたのが増田さん)という話で、開発中はもうちょい人がいた
株ポケ設立でIPビジネスをうまく回せるように権利関係を調整したのも岩田さんの偉業。普通はここで躓く。更に岩田さん亡き後我慢の時を経てここまで育て上げたのは石原さんの偉業と言えると思う。
リバースエンジニアリング
オタクの市民権とリンクしている気がする。俺らが高校生の時、クラスの隅っこでポケモンやってるギークは蛇蝎の如く嫌われてたから。世代が変わるのを気長に待って侵食して行った感じ。
またこんな微妙なコト言ってる。/曖昧コトでも「任天堂あげ」だとハテナ〜は検証しないからな。
ポケモンの復活はポケGoのおかげ、ということは、俺たちIngressエージェントがポータルネットワークを無償で構築してあげたおかげだな!
コロコロの久保さんの事をポケモンのマンガ描いてた穴久保幸作さんのことかと空目してた。あのマンガそんなに影響力あったんだ…と。SDクラブで連載してたムサシロードが好きでした。
ポケモン青は1500円で応募者全員サービスは子供心に安い!これは応募せにゃ!ってなってた記憶がある。
ゲームボーイは落ち目だったけど結構みんな持ってたんだよな
ミュウツーの元である「ミュウ」が没データから発見された話が好き。
岩田氏、社長を訊くによると一応赤緑のソースコードはもらってた模様。ただ当時のGB開発はアセンブリ言語。そして同時期に64ポケモンスタジアムも開発してたらしい。異次元 https://www.nintendo.co.jp/ds/interview/ipkj/vol1/index3.html
成長した理由というより経緯を追っている話に読める。
宮本茂や岩田聡の名前に隠れがちだけど、田尻智も十分凄すぎるというか、彼の常人離れしたコミットが無ければそもそもポケモン自体生まれてない。ここ数年だと株ポケの宇都宮崇人も相当のやり手だなぁと
子供もサブスクのポケモンアニメをずっと見てて、そこからゲームやりたいカード欲しいぬいぐるみと広がっていった。アニメは親としてはほぼ一話完結&内容安心して見せられる&長いので切れない所がいい。
田尻智氏の人生はいつか大河ドラマになると思うくらいドラマチックだと思う
ここまで成長したのはアニメ漫画のクロスメディア戦略のおかげかと思うが、特に最近は「忘れられないために何がなんでもコンスタントにゲームを出す」のが功を奏している気がする。
ポケモン初期の話はポケモンストーリーってビジネス書に詳しく書いてあって面白かった。赤緑+青の由来とかアニメ化を嫌がっていた理由とか。 https://www.yodobashi.com/product/100000009000078232/
2010年代前半中盤に他に吸われて勢いが落ちたと挙げているがそんなに下降傾向だったっけ? / クロスメディア戦略がどんなにあっても中心にある本編新作の発売ペースの維持が大きいと思う
「なぜ」を回答するには答えがデカすぎる/ポケモンが出なかったら携帯ゲーム機自体が途絶えてた可能性すらあるからな。
やっぱ岩田さんが初代ポケモンをリバースエンジニアリングで英語化したの意味わからん天才ぶりではある
子供ネットワークの口コミが勝手にうまく言ったという認識だし、たまたま個人ゲーム機のゲームボーイは一人一つの時代だった上、トレカが一般化し始めたことがヒットしたので時代がにあった良いゲームだったが答え
子供の頃、田尻さんは憧れの人だったなー。たしか高専生だったんだよね。
アニメ版権窓口を小プロに集約したこと(久保さん)、アメリカ上陸時はゲーム・アニメ・カードをセットで持っていったこと(NOA社長)、それぞれに責任感を持って大きな決断をしたことも大事
昔呑み会の後同僚の家に泊まったとき同僚息子(当時4歳)が白黒画面のポケモンの説明を延々としてくれたなあ、父親(同僚)が「おにいちゃんはわかんないよ」と繰り返し諭してたが。その子も今や30代、3児の父だ。
トロはまあ日常系だから……ソニックはcoolに振っててkawaiiが低めだったんだよなぁ。ポケモンは実質主従関係なのに友情を抽出してみせる構造も強かった。Goリリース日の帰り道は歩行者がいつもの数倍は居て異様だったな
一流の素材を一流の仕事人が交代々々30年に渡って絶妙なアプデを繰り返すことでここまで来た感。
低迷期なんてあったんだな
ポケモンミニとかいう、誰が買ってるのかわからないハードでしかポケモンのゲームを売ってなかった頃(2000年代前半)が一番の低迷期だった気がする
むしろ岩田聡のいるHAL研を捨てる判断をしたらそっちの方が異常。バルーンファイトのファミコン移植からずっと業界で名前を知られてた訳だから。
いつも奇妙に思うのはエヴァンゲリオンの放送が1995.10~1996.03でポケモンの発売日が1996.02.27。30年以上続くロングランのシリーズがまったくの同時期に出発しているというのが面白い。
ボク、ポケモンが15兆円だなんてすごいにゃ!任天堂さん、偉いニャ!
ポケモン愛してるよ
初代のピカチュウでさえちょっと太ましくて生物としてみんななんかややキモいドット絵のグラが好きすぎて未だに可愛い子達に馴染めないっすね。赤緑から金銀までブランク空きすぎて大人になっちゃったんだよ⋯⋯
ちょっと前に見た海外系チャンネルのファン解説ではジムバッチや対戦で俺のポケモンが最強かつ俺がアッシュ(サトシ)になれる体験が強いのと成長しても子どものコンテンツにならない商品展開が成功の要素と語ってた。
コードが仕様書だ!
プラコロは大流行しなかったけどポケカは流行ったし、コンテンツの強さでアニメや周辺グッズも人気になったの凄い。ポケカや遊戯王はTCGを子供に広めた所あるよな。
IPは増やすのではなく育てるもの。ポケモンは構想6年、リリース後30年で最近三年が最も成長しているとのこと。世代を超えた証明。
緑しかやったことないけど、小学生でブームになっていると聞きつけて買ってみたらめちゃくちゃ面白かったし、周りにゲームボーイポケットとセットで買うやつが続出した。ピカチュウもめちゃくちゃかわいかった。
JR東日本企画 「モジャ公」の次に「ポケモン」だっけ?
ポケモンGOが中興の祖なのか。知らなかった
そもそも、もうめぼしい新作がなくなってきたゲームボーイ末期なのに初回出荷23万は普通に凄いと思う。
今のゲームフリークはIP屋であり開発力は微妙で初期作の延長線上のゲームしか作れない会社という印象。Niantic製のポケモンGOやコーエーテクモ製のぽこポケはゲームとしての面白さも付随してるから、他社製に期待してる
ピカチュウといえば大谷育江さんの功績もデカいよね
「一度低迷しても諦めず、『ポケモンGO』のような新しい挑戦で時代と寝食を共にした」
すごいなあ
『ポケモンGO』がそんなに効いていたとは。今はNianticが助けられてそうだが。ポケカも売れてなかったのか。
初代ポケモンのアセンブリコードをリバースエンジニアリングで解析、英語版にローカライズを進めた岩田さんすげえ…。プログラマーとしての伝説がいくつあるんだ
ポケモンについてはいくらでも語れるけど、カードの紆余曲折っぷりや変化はものすごいぞマジで。手を変え品を変えの連続。常に新しい血を取り入れてる。もはや原作ゲームよりカードやアパレルの方で儲けてる作品
とにかく70点ぐらいの新作ゲームを定期的に出して、メディア関連(アニメ・マンガ・カードゲーム・グッツ)を続けるのが強い。テコ入れを続けてる
モンハンや妖怪ウォッチに押されて下火になってた時期もあるのにすごいよ。
圧倒的に愛がある。なによりクリエーターの愛がすごい。初期の開発期間支援もそうだがポケカとかもライバル企業にどうやったら売れますかとか愛がなかったら相談できん。だからユーザーも愛したくなる
凄いと思うがビジネスでの結果論は好きじゃないんよな。その間に捨てたIPも山ほどあるわけで、それが成長しなかったかどうかなんてifの世界線。
サトシの決め台詞をゲットだぜ!に決めた人は自慢してもよい
“『ポケモンGO』でポケモン熱が再燃した人々が、昔遊んだポケモンカードを引っ張り出す動きがありました。そしてコロナ禍で生まれた余暇時間や、ある種の投資対象としての側面も相まって、ポケモンカード市場は爆発
山内溥はヒットを出すには数打つしかないって経験則的に知ってて種を蒔くことに積極的だったからでしょう。岩田聡まではそこを踏襲したけど今の任天堂は株主に屈する典型例な大企業になってしまってつまらない。