まだ(どころか、噛めば噛むほど)味がするのがすごい。
面白い/でもやっぱり、単純に弾丸から子供を守ったためなんじゃないだろうか。この時点でミギーは、「何だこの波長は」って感じただけで、田村玲子の子供を守りたいという欲求を知らないわけで
むむむ?シンイチは後藤を殺してるよね。最初のプロットでは見逃す予定だったらしいけども。
青島食堂はいいぞ
寄生獣をサピア=ウォーフ仮説やアレントで読み解くとか、はてな民が大好物な深読みの極み。田村玲子の変容を言語による認識の変容とする視点は再読したくなる
赤ちゃんに「黙れ」って言うとこの文字通りぶりが好き 人間から見ると全く子を慈しむ態度ではないのだが本人的には割とそのつもりに近そうで
夢のようで、実践推奨は精神疾患者の病が進むって事だよな。
寄生獣は高い知能を持ちながら自分が何者かってのが全く分からないまま放り出されてる存在なんだよな。人間とは何かを問うとともに自分とは何かを問う話でもある。田村玲子の子供も自分が何者なのか問う日が来る。
個人的にはドゥールーズ=ガタリのアンチ・オイディプスで語られる器官なき身体と社会の代理人としての親子関係で整理した方がわかりやすい
「この種を食い殺せ」、地球は泣きも笑いもしないし非人肉食で生きるパラサイトは増えるしではっきり間違いだったと結論づけられてるんだけど、広川のような人間にもときたま聞こえる風の囁きなのかな。地球ではなく
"シンイチが後藤を殺さなかった理由" えええ?シンイチが泣きながら「ごめんよ」と言って「後藤」にナタを振り上げた場面を「殺さなかった」と解釈してるの???
人間の鏡としての異形様式は普遍的。近い年代だと遠藤浩輝EDENにおける異形の方が鏡像として好みかな。寄生獣の表象は指向としてヒューマンフレンドリーで進撃と近い
ちょうど読んだところだったから助かる! パラたちは非生殖ゆえに有言語なのに交換やトークンの概念がないのが怖さの根源だったね。切断、刺突、分断という接触のあり方も非人間的だ
漫画を好きになり始めた頃の何とも言えない感想を思い出すな。後藤の強さにも驚愕したけれど。
「rainで済ませている」は違うんじゃないかな。例えばheavy rainというタイトルのゲームがあるし。
青島ラーメン美味しいよね。あの行列さえなければ週一で行きたい。
統治できず増やせないことが明らかになった寄生獣は、食い散らかすしかない。本能の指示は実に正しい
生物としての限界を感じつつも、自分が見つけた人間性に満足したんじゃないかな。知りたかった事は分かった、ただし他の仲間には伝えられるないだろう、みたいな。
寄生獣は哲学
田村玲子は、ミギーがそうであるように、彼らの本質として徹底した観察者(自らの死や種そのものの運命についてすら)であったのではないか。「ただ観る」ということは実は悟りに最も近い。今思いついたけど。
寄生獣の学習能力ってAIっぽい。AIに臓器を与えると感情が芽生える説ってあるよね。
サピア=ウォーフ仮説 本当はそんなつもりがなくても、対外的に優しい言葉を使ったり優しいふるまいをしてると内面もそれに影響されてくる気がしてたんだけど、概念・考え方としてすでに存在してたんだなー
ミギーとジョーの性格獲得のくだりに首肯しちゃうな。パラサイト側、人間側とは倫理観が異なるだけで、後藤も三木もみんなそれぞれ違う個性を持っている(あるいは個性的に振る舞おうとしている)。
正確には「作者がそうあって欲しかったのは何か」を考えるべきだけどな。あのエピソードは「私がそうあって欲しいもの」と重なるので割と好きな方だ。
個は存続できる(田宮良子→田村玲子)が種は存続できないことが出産によって判明し、そのうえで子供を殺さなかった時点で選択肢はけっこう限られていたのでは。あえて明確な死を選んだ解釈もありかなと
こうやって哲学的視点で読んでも面白いし、単純に異能力バディバトル漫画として読んでも面白いのが寄生獣のいいところ。正直バトル描写だけとってもそんじょそこらのバトル漫画以上の面白さがあると思っている。
広川の生い立ちと、広川と寄生獣たちとの出会いと、広川が寄生獣たちにどう受け入れられていったのか、とかを描いたスピンオフが読みたい。あと寄生獣って人間のことじゃなかったっけ?
なぜ田村玲子は逃走も反撃しなかったのか?哲学から読む『寄生獣』読書会
まだ(どころか、噛めば噛むほど)味がするのがすごい。
面白い/でもやっぱり、単純に弾丸から子供を守ったためなんじゃないだろうか。この時点でミギーは、「何だこの波長は」って感じただけで、田村玲子の子供を守りたいという欲求を知らないわけで
むむむ?シンイチは後藤を殺してるよね。最初のプロットでは見逃す予定だったらしいけども。
青島食堂はいいぞ
寄生獣をサピア=ウォーフ仮説やアレントで読み解くとか、はてな民が大好物な深読みの極み。田村玲子の変容を言語による認識の変容とする視点は再読したくなる
赤ちゃんに「黙れ」って言うとこの文字通りぶりが好き 人間から見ると全く子を慈しむ態度ではないのだが本人的には割とそのつもりに近そうで
夢のようで、実践推奨は精神疾患者の病が進むって事だよな。
寄生獣は高い知能を持ちながら自分が何者かってのが全く分からないまま放り出されてる存在なんだよな。人間とは何かを問うとともに自分とは何かを問う話でもある。田村玲子の子供も自分が何者なのか問う日が来る。
個人的にはドゥールーズ=ガタリのアンチ・オイディプスで語られる器官なき身体と社会の代理人としての親子関係で整理した方がわかりやすい
「この種を食い殺せ」、地球は泣きも笑いもしないし非人肉食で生きるパラサイトは増えるしではっきり間違いだったと結論づけられてるんだけど、広川のような人間にもときたま聞こえる風の囁きなのかな。地球ではなく
"シンイチが後藤を殺さなかった理由" えええ?シンイチが泣きながら「ごめんよ」と言って「後藤」にナタを振り上げた場面を「殺さなかった」と解釈してるの???
人間の鏡としての異形様式は普遍的。近い年代だと遠藤浩輝EDENにおける異形の方が鏡像として好みかな。寄生獣の表象は指向としてヒューマンフレンドリーで進撃と近い
ちょうど読んだところだったから助かる! パラたちは非生殖ゆえに有言語なのに交換やトークンの概念がないのが怖さの根源だったね。切断、刺突、分断という接触のあり方も非人間的だ
漫画を好きになり始めた頃の何とも言えない感想を思い出すな。後藤の強さにも驚愕したけれど。
「rainで済ませている」は違うんじゃないかな。例えばheavy rainというタイトルのゲームがあるし。
青島ラーメン美味しいよね。あの行列さえなければ週一で行きたい。
統治できず増やせないことが明らかになった寄生獣は、食い散らかすしかない。本能の指示は実に正しい
生物としての限界を感じつつも、自分が見つけた人間性に満足したんじゃないかな。知りたかった事は分かった、ただし他の仲間には伝えられるないだろう、みたいな。
寄生獣は哲学
田村玲子は、ミギーがそうであるように、彼らの本質として徹底した観察者(自らの死や種そのものの運命についてすら)であったのではないか。「ただ観る」ということは実は悟りに最も近い。今思いついたけど。
寄生獣の学習能力ってAIっぽい。AIに臓器を与えると感情が芽生える説ってあるよね。
サピア=ウォーフ仮説 本当はそんなつもりがなくても、対外的に優しい言葉を使ったり優しいふるまいをしてると内面もそれに影響されてくる気がしてたんだけど、概念・考え方としてすでに存在してたんだなー
ミギーとジョーの性格獲得のくだりに首肯しちゃうな。パラサイト側、人間側とは倫理観が異なるだけで、後藤も三木もみんなそれぞれ違う個性を持っている(あるいは個性的に振る舞おうとしている)。
正確には「作者がそうあって欲しかったのは何か」を考えるべきだけどな。あのエピソードは「私がそうあって欲しいもの」と重なるので割と好きな方だ。
個は存続できる(田宮良子→田村玲子)が種は存続できないことが出産によって判明し、そのうえで子供を殺さなかった時点で選択肢はけっこう限られていたのでは。あえて明確な死を選んだ解釈もありかなと
こうやって哲学的視点で読んでも面白いし、単純に異能力バディバトル漫画として読んでも面白いのが寄生獣のいいところ。正直バトル描写だけとってもそんじょそこらのバトル漫画以上の面白さがあると思っている。
広川の生い立ちと、広川と寄生獣たちとの出会いと、広川が寄生獣たちにどう受け入れられていったのか、とかを描いたスピンオフが読みたい。あと寄生獣って人間のことじゃなかったっけ?