人生の急カーブを曲がるたび荒いハンドリングでブログが放置されたり消えたりを繰り返す自分からすると、一貫してブログを書き続けているシロクマ先生みたいな人には道を走り続けて欲しいね、ガンダム高齢者施設まで
公式からの供給が完全に途絶えて、味がしなくなったガムを如何に味わうか?がテーマだった一時期のヤマトファンが、現在のリメイクシリーズを支えていることを考える(YAMATOmechanics玉盛順一朗、むらかわみちお)
まーた「加齢・成熟ネタ」と、粗雑な「オタク論」か。
年食った研究者の話かと思った。研究者は一線を下りたらそれまでともいえるし、政治屋や名誉職やご意見番になる道が整備されているともいえる
シロクマ先生にとってはとても切実な問題なんだろうねこれ
皆様はなぜそんなにもオタクという状態を誇らしいものと感じていらっしゃるのでしょう?ただの消費活動に誇りなぞ何もないように感じるのですが…
今も漫画アニメゲームは好きだけど若い頃程の情熱は持てず、細々と楽しんでる。若かったら今なら痛バッグ作ったり動画作ってるんだろうな。今はアニメ見て絵を描いてたまに気に入ったグッズを買うくらいが丁度いい。
「私の人生」の話をしているのになんで与格が「オタクにも」になるのか
"青年期までのライフスタイルを強引に引っ張り続けてきた人が、ついに継続困難になった時、そのときの人生のコーナリングは相当な急カーブになる"
オタクに限らず自分を特定の言葉で定義・執着せずにはおれないのって何故なんだろうね / 昆虫とかみてると奴ら何の自意識もないのに種ごとに強烈な個性を放っている。ヒトが言葉と引き換えに失った何かがある
別に求道から降りるのはかまわないし、おそらくシロクマさんはそれで上手くできるんだろうけど、次の世代が必要なら道を空けてあげるのを忘れないでほしい。ほらそこのガンプラ片付けてやれよ通れないだろ。
別にオタク趣味を続けなくてもいいんじゃない?感はある。別にゲームをやらなくなった訳では無いが、「身体的体験」を伴う趣味は大変良いね。視覚だけで完結する趣味ばっかりだと摩耗する
オタクであるのは単なる状態で別にいつなっても、いつやめても、あとで復帰してもだれに断る必要はないし後ろめたさも誇らしさもない。単に食べ物の好き嫌いと同じよ。むしろ趣味が何もない方が危ない
人生の曲がり角、曲がれなかったら中年危機、コースアウトか、クラッシュだから。その有名なところが中年危機。 ほかにも、クオーターライフクライシスとか色々言ったりするみたいだけど
いや~男オタク!という感じ/女オタクは中年前にオタク人生の曲がり角が来るからねぇ
シロクマセンセと同世代だけど、この世代の女は趣味に全振りとかいう生き方は許されなかった人が多い。ストイックに趣味追求とか途中で諦めざるを得なかったわけで。何を今更感がある。
オタクである自分は他人と違うんだ、という呪いを自らにかけてるように見える。赤の他人に対する消費活動をアイデンティティの拠り所にするからおかしくなるのでは
マウント取り合いをオタク活動と勘違いしている人の意見という気がする(それはそれで楽しいがおたくの本懐はそこではないと思)。おたくは老成できると思ってるんだが。
最近、「東島丹三郎〜」見たから余計に終活を始めた方が良いかと考えている。
オタクに限らず趣味を持ち続けるのは忙しい時期は難しいと思う。家事育児介護運動睡眠瞑想やったらもう仕事の時間だ。
若い頃の時のように生き続けるのは難しく、どこかで折れるので、それまでに意図的に減速しておいた方が良いという話。個人的にも最近減速することを意識し始めていて同意できる部分はある
求道的なる概念でもってオタクを語ると、不幸になる。オタクは好きを目的とすべきで、好きの度合いを誰かと比べてはいけない。好きな作品を承認すべきであって、作品を好きな自分の承認を求めてはいけない。
仕事生活健康という求道すべきトピックの増大に対して、自身のリソースの最大値はどんどん低減するのでね。フィジカルもメンタルも。
俺もそろそろ身の振り方を考えないとなと思ってちょっとだけお酒の趣味に走ってみたけど、知り合う人物がみんな痛風持ちだったからお酒は辞めることにしました。ありのままでいいんだ。
シロクマ先生、ここ数年ずっと中年オタクの闇について書き続けているけど内容はちょっとずつ変わっている。最近のメッセージは「若いうちから軌道修正しろ」かな……
今まで曲がり角しかないが
推しに投下するお金も時間もなく、オタクになりきれなかったおっさんには、別の意味で辛い話題。憧れの場所が気がつくと誰もいなくなっている。
最後の一文。変わることを肯定的に説くシロクマさんだけど、はてなブログへの執着は変わらない。
シロクマ先生の中高年オタク論みたいなシリーズ、全然よくわからないのだけど本人にとっては切実な問題意識があるんだろうなという気持ち。
ブログを読み返すと前回の中年オタク論は12/11、その前の中年論が11/27、その前が動ポモオタク論が10/27、大体月1くらいのペースで物申したくなるんですね
楽しければどんな会話したっていいんじゃない
ワークライフバランスと同じで、はじめから生活を犠牲にしない程度に嗜むのでは駄目なの?って思う。趣味の域を出て求道になっちゃうと疲れるだろうにね
日常的にガードレール擦りレベルの小さな積み重ねをしていれば、廃車レベルの大クラッシュを避けられるかというと、震度3を100回起こしても震度7が軽減されたりはしない的な
もうほとんど呪いじゃん
今まで情熱を注げていたものに昔ほど入れ込めなくなった時の悲しさはあるよね
楽しいと思うことを余暇の中でマイペースに楽しめばいいだけなのに、オタクだの中年危機だの囚われすぎていて痛々しく思う…
オタクは、自分の肌の色とか国籍とか民族よりも、オタクであることのほうがアイデンティティとして上にくるからね。
特撮オタクの端くれです。スーパー戦隊はゴレンジャーからリアタイしてた世代ですが、まさか生きてるうちにシリーズが終わると思っていませんでした。
最近、妻に、あなたみたいなテキトーな人は病んだりしないと言われて、若干病みました
オタク云々は置いといても「趣味の持続可能性」は結構大事だなーと思ってます 体力的にも、精神的にも、金銭的にも、持続するには上手く程々のところを見極める必要があるなーと
>ずっと求道的なオタクを続けるのは並大抵ではない
あまり本文とは関係ないけど、服好きってオタクの自覚がない割にこの辺りを拗らせている人は多い気がする。
オタクやオタク趣味が白眼視されてた時代の世間の目を気にしてた世代。なのでオタクにズッポリともいかず、ヒッキー気味の自分は、緩く自分の好きを追っていただけだった。器質がオタクなので、降りることもなく
オタクが迫害されてた時代でも堂々とオタクを名乗る事で同士を見つけつつ、めんどくさい連中は様々な手段で片付けてきたわい氏、未だにTF玩具でガチャガチャブンドドして楽しめてるのは稀有なんだろうか。
オタクにも人生の曲がり角はやってくる - シロクマの屑籠
人生の急カーブを曲がるたび荒いハンドリングでブログが放置されたり消えたりを繰り返す自分からすると、一貫してブログを書き続けているシロクマ先生みたいな人には道を走り続けて欲しいね、ガンダム高齢者施設まで
公式からの供給が完全に途絶えて、味がしなくなったガムを如何に味わうか?がテーマだった一時期のヤマトファンが、現在のリメイクシリーズを支えていることを考える(YAMATOmechanics玉盛順一朗、むらかわみちお)
まーた「加齢・成熟ネタ」と、粗雑な「オタク論」か。
年食った研究者の話かと思った。研究者は一線を下りたらそれまでともいえるし、政治屋や名誉職やご意見番になる道が整備されているともいえる
シロクマ先生にとってはとても切実な問題なんだろうねこれ
皆様はなぜそんなにもオタクという状態を誇らしいものと感じていらっしゃるのでしょう?ただの消費活動に誇りなぞ何もないように感じるのですが…
今も漫画アニメゲームは好きだけど若い頃程の情熱は持てず、細々と楽しんでる。若かったら今なら痛バッグ作ったり動画作ってるんだろうな。今はアニメ見て絵を描いてたまに気に入ったグッズを買うくらいが丁度いい。
「私の人生」の話をしているのになんで与格が「オタクにも」になるのか
"青年期までのライフスタイルを強引に引っ張り続けてきた人が、ついに継続困難になった時、そのときの人生のコーナリングは相当な急カーブになる"
オタクに限らず自分を特定の言葉で定義・執着せずにはおれないのって何故なんだろうね / 昆虫とかみてると奴ら何の自意識もないのに種ごとに強烈な個性を放っている。ヒトが言葉と引き換えに失った何かがある
別に求道から降りるのはかまわないし、おそらくシロクマさんはそれで上手くできるんだろうけど、次の世代が必要なら道を空けてあげるのを忘れないでほしい。ほらそこのガンプラ片付けてやれよ通れないだろ。
別にオタク趣味を続けなくてもいいんじゃない?感はある。別にゲームをやらなくなった訳では無いが、「身体的体験」を伴う趣味は大変良いね。視覚だけで完結する趣味ばっかりだと摩耗する
オタクであるのは単なる状態で別にいつなっても、いつやめても、あとで復帰してもだれに断る必要はないし後ろめたさも誇らしさもない。単に食べ物の好き嫌いと同じよ。むしろ趣味が何もない方が危ない
人生の曲がり角、曲がれなかったら中年危機、コースアウトか、クラッシュだから。その有名なところが中年危機。 ほかにも、クオーターライフクライシスとか色々言ったりするみたいだけど
いや~男オタク!という感じ/女オタクは中年前にオタク人生の曲がり角が来るからねぇ
シロクマセンセと同世代だけど、この世代の女は趣味に全振りとかいう生き方は許されなかった人が多い。ストイックに趣味追求とか途中で諦めざるを得なかったわけで。何を今更感がある。
オタクである自分は他人と違うんだ、という呪いを自らにかけてるように見える。赤の他人に対する消費活動をアイデンティティの拠り所にするからおかしくなるのでは
マウント取り合いをオタク活動と勘違いしている人の意見という気がする(それはそれで楽しいがおたくの本懐はそこではないと思)。おたくは老成できると思ってるんだが。
最近、「東島丹三郎〜」見たから余計に終活を始めた方が良いかと考えている。
オタクに限らず趣味を持ち続けるのは忙しい時期は難しいと思う。家事育児介護運動睡眠瞑想やったらもう仕事の時間だ。
若い頃の時のように生き続けるのは難しく、どこかで折れるので、それまでに意図的に減速しておいた方が良いという話。個人的にも最近減速することを意識し始めていて同意できる部分はある
求道的なる概念でもってオタクを語ると、不幸になる。オタクは好きを目的とすべきで、好きの度合いを誰かと比べてはいけない。好きな作品を承認すべきであって、作品を好きな自分の承認を求めてはいけない。
仕事生活健康という求道すべきトピックの増大に対して、自身のリソースの最大値はどんどん低減するのでね。フィジカルもメンタルも。
俺もそろそろ身の振り方を考えないとなと思ってちょっとだけお酒の趣味に走ってみたけど、知り合う人物がみんな痛風持ちだったからお酒は辞めることにしました。ありのままでいいんだ。
シロクマ先生、ここ数年ずっと中年オタクの闇について書き続けているけど内容はちょっとずつ変わっている。最近のメッセージは「若いうちから軌道修正しろ」かな……
今まで曲がり角しかないが
推しに投下するお金も時間もなく、オタクになりきれなかったおっさんには、別の意味で辛い話題。憧れの場所が気がつくと誰もいなくなっている。
最後の一文。変わることを肯定的に説くシロクマさんだけど、はてなブログへの執着は変わらない。
シロクマ先生の中高年オタク論みたいなシリーズ、全然よくわからないのだけど本人にとっては切実な問題意識があるんだろうなという気持ち。
ブログを読み返すと前回の中年オタク論は12/11、その前の中年論が11/27、その前が動ポモオタク論が10/27、大体月1くらいのペースで物申したくなるんですね
楽しければどんな会話したっていいんじゃない
ワークライフバランスと同じで、はじめから生活を犠牲にしない程度に嗜むのでは駄目なの?って思う。趣味の域を出て求道になっちゃうと疲れるだろうにね
日常的にガードレール擦りレベルの小さな積み重ねをしていれば、廃車レベルの大クラッシュを避けられるかというと、震度3を100回起こしても震度7が軽減されたりはしない的な
もうほとんど呪いじゃん
今まで情熱を注げていたものに昔ほど入れ込めなくなった時の悲しさはあるよね
楽しいと思うことを余暇の中でマイペースに楽しめばいいだけなのに、オタクだの中年危機だの囚われすぎていて痛々しく思う…
オタクは、自分の肌の色とか国籍とか民族よりも、オタクであることのほうがアイデンティティとして上にくるからね。
特撮オタクの端くれです。スーパー戦隊はゴレンジャーからリアタイしてた世代ですが、まさか生きてるうちにシリーズが終わると思っていませんでした。
最近、妻に、あなたみたいなテキトーな人は病んだりしないと言われて、若干病みました
オタク云々は置いといても「趣味の持続可能性」は結構大事だなーと思ってます 体力的にも、精神的にも、金銭的にも、持続するには上手く程々のところを見極める必要があるなーと
>ずっと求道的なオタクを続けるのは並大抵ではない
あまり本文とは関係ないけど、服好きってオタクの自覚がない割にこの辺りを拗らせている人は多い気がする。
オタクやオタク趣味が白眼視されてた時代の世間の目を気にしてた世代。なのでオタクにズッポリともいかず、ヒッキー気味の自分は、緩く自分の好きを追っていただけだった。器質がオタクなので、降りることもなく
オタクが迫害されてた時代でも堂々とオタクを名乗る事で同士を見つけつつ、めんどくさい連中は様々な手段で片付けてきたわい氏、未だにTF玩具でガチャガチャブンドドして楽しめてるのは稀有なんだろうか。