''キリスト教では臨終の際に聖職者に来てもらって「罪のゆるしの告解」と「終油の秘跡」の2つをすることで罪人も天国に行けるらしい。 #ミュージカルSIX きっかけで読んだ #セシルの女王 にそのシーンがあり。''
鬼滅の鬼は別に改心してる訳ではないので最初の問い自体が無意味では…
まぁ宗教なんて生きてる人のためのものなんで真っ当な教えではあるな。
別に日本でも、善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をやって考えもあるわけで、単に鬼滅はそういう死後の世界観ってだけなんでね
鬼滅の鬼で『最後に改心した』のって誰だ?というかまずその「改心」自体の定義が相当に異なっていそう。もしかして「過去の悪行を思い出した」だけで欧米人にとっては改心した扱いになってたりして?
改心して地獄に行くわけじゃないからな別に。 上弦は特に改心したわけじゃない。
猗窩座は改心ではなく、思い出した、のだよな。
「神の前で懺悔したら、全て赦される」ってことになっているが、それは誰が保証してくれるのかね。神の考えが人間ごときにわかるわけないだろうに。
transmigration って言葉はあるけど
んな事はない。洋画ノワールもの登場人物。悪人が劇中で改心したとしても、物語の根幹部分が勧善懲悪なので、悪魔が魂の取立へやってきてキチンと地獄へ落としている。悪人が報われないからこそ美しいのだ
キリスト教の罪は人間の不完全性を意味していて、行いにより背負う業を意味しないもんね。罪は常に神との関係性の話であり、他の人間との間に生ずるものではないから。鬼滅は虐げられた人々の想いの話だから違うよな
宗教観的にはなくても、欧米でも生まれ変わりの奇跡的なストーリーなかったっけ?
自分の行いが悪い事だったと気がついたので改心なんかね。この辺り、世界名作劇場の『フランダースの犬』のラストに我々が納得いかないようなもんで、納得したかったら色々勉強してねとしか。
「煉獄」なんて名前のキャラが出てくる時点でキリスト教の概念は通用しないと思ってほしいものです
色々と文化の違いがあるだろうけど調べて知ってくれたら嬉しいな。猗窩座の刺青とか日本でタトゥーが嫌がられる理由の歴史だし、所払いとか狛犬って何?とか
まぁ宗教的に信者増やすのに犯罪者も救われますよってしないと数がね。日本の場合はお家の関係があるので犯罪者は省いていく。犯罪者ごろごろしてたりして。
あれ改心してたの?はまぁ置いておいて、改心したら地獄に行かないで済むって、改心する事ない生活してた人が努力して改心する事ない生活をしてたんなら、その努力はやり損なんじゃないかってのが前から気になってる
改心だとは思わなかったな
キリシタンになると天国へ行けると布教しようとして「先祖は天国に行ってないの?そんな神様なら信じない」と返したらしい、昔の日本人あっぱれ。最後に心を入れ替えたら許されるなんて思うなよ。
悪人正機
死後に天国に行けるように思想合わない人を現世で火あぶりにする人々がなんか言ってる
]
id:mojimojikun そこはピンポイントの例え話が聖書に書かれてる https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E8%95%A9%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%88%E8%A9%B1
今の創作って地獄はよく出てくるんだけど、天国はあんまり出てこないんだよね、宗教っぽくなるからかなあ?
多分都合の良いように解釈している薄っぺらい宗教というか文化比較
改心したんじゃなく思い出しただけ、だろうか?100%の改心をしたとは思わないけど。記憶を取り戻した結果として少しでも自らの行いを悔いる心、改心の要素がなければ、自害という選択には至らないでしょう。
悪人正機説は日本でもポピュラーではないということか。
キリスト教にもカルヴァン派の予定説があるから(悔い改めても救われるとは限らない。すべて神が前もって決めてる)/仏教は火の鳥鳳凰編とか悪人正機/鬼が地獄にいくのは鬼滅世界の吾峠ルール
鬼が悪人正機の浄土宗なら極楽浄土にいけたかもね、南無阿弥陀仏と唱えてさえいれば。西日本は浄土宗が強いけど鬼滅の舞台は東日本だしな
こち亀の不良が更生した話を思い出した。
そもそも改心した鬼、いたっけ?
英国の短編作家サキには輪廻転生をテーマにした小品 https://www.eastoftheweb.com/short-stories/UBooks/Laur797.shtml もあったりするので、一筋縄ではいかない。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」悪人は生きている間に地獄を味わう。だから死後は極楽浄土しか行くところがない。恐ろしい話だよなぁ。
細かいところは色々違うけど、浄土真宗とキリスト教と似ているところがある。主流ではないが中国の景教の影響があるとの説もあったきがする
私も仏教の方を知らなかった。「地獄へ堕ちろ」の意味が永遠の責め苦に閉じ込められろという意味になるか、償いが終われば出所し転生出来る刑務所へ行けという意味なのか。重みが全然違った。
悪人正機における悪人とはそういう意味ではない
キリスト教はいつも権力者の道具だったからじゃない?
“そもそも輪廻転生の輪の一部である仏教の地獄と、神の国に至る資格のない者を永久に押し込めるキリスト教の地獄では、地獄堕ちの重みがだいぶ違いますわな。” 確かに
改心したからと言ってやらかしたことは変わらんのだが
鬼が死ぬときに思い出すのは「事情があったのはわかるがだとしても酷いことをしていいことにはならない」という話であって改心はしていない。むしろ酷いことをしたのを理解するために地獄へ行く。地獄は更生の場。
そもそも日本人でもそのような感想を持つ者は居るだろう。
キリスト教の設定だと信者じゃないと天国には行けなかったような。
ダンテ「悪魔は地獄最下層のコキュートスに封じるっていう設定を作ってやったろ!」
鬼は悔い改めてないし童磨は異教徒だし天国に行ける要素満たして無いだろ
セブンというキリスト教の映画で「地獄から光へと至る道は長く険しい」という言葉があったから、それを欧米人に教えてあげればいいような
「まして悪人もや」なので、仏教がそうじゃないとは思わないんだよな。輪廻転生で地獄に刑期があるので結構意味が違う。西洋の地獄は単に異教徒が行くところなんだと思う。
セシルの女王はいいぞ
仏教でも蜘蛛の糸的なやつで会心したらOKはあったきがする。負けた(死んだ)ときに後悔するのって要はダメだったから反省って話で自分の行動を後悔しているのか?って感じはする。あとあれ改心っていうか走馬灯よな
能は加害トラウマの認知療法なのか
罪を悔いてもそれだけで赦されるわけではないからこそ地獄で濾過される必要がある。念仏を唱えるだけで救われる浄土真宗と同じく、ちょっと簡単になりすぎている気もする。
たとえ改心したとしても犯した罪は償わねばならない。日本の地獄は償いの場なのかも
死へ旅立ったあとで、人生の評価を神がする宗教観だから
カトリック的にも、教会と関係ないところで改心しても地獄行きは変わらないのでは。
「絶対に許さない」は日本のヒーローがよく口にする決め台詞だけど、欧米のヒーローが口にする事は殆どない。東洋と西洋で「許し」の概念が根本的に違う
そもそも『地獄』の考え方が違うっていうのはたしかに。
いやいや、いつ免罪符を購入したよ!?
猗窩座は元々人間時代にも善人ではなかったし、可哀相ではあるが悪い事をした事実はなくならない。だから善人だった父親や師範や恋雪と同じ天国には行けない、というだけ。獪岳に至っては改心すらしてない
気持ちよく地獄へ行くために改心するんやで
うっせーな。鬼舞辻無惨がイエスと出会っていたら、触れられただけで鬼から人間に戻ってんだろ?福音書読み直せ
日本では罪は穢だからなぁ
聖職者に告解していないからでしょ。
死後の世界は、生者の都合で存在する。仏教の地獄もキリスト教の地獄もそれぞれの目的を達成するために発明され、悪人正機などの解釈も時代に応じた都合で発明された。鬼滅の刃の地獄は読者の心を動かすためにある。
「赦す」とは何かって差よ。改心し善人になれば赦すのか、自分は悪人ですって認めて自ら地獄に行けば赦すのかって(それ赦してない。。w)/ウチラには赦しの基準が無く、赦す方法が見当たらないのよ。
むしろ鬼で居続ける間は輪廻に戻れないためその状態こそがキリスト教の地獄に近く、鬼が死んで地獄に落ちることで罰を受けた後に輪廻転生することが出来るようになり救われていると見ることも出来るのかもしれない。
既に言われまくってるが仏教だって善人なおもて往生すなわけで割と根幹は変わらんよ。仏教も異教徒の神を調伏して改心させまくってる。転生がある鬼滅で鬼が地獄へ行くのは改心を受け入れる過程そのものっぽいと思う
妓夫太郎が妹に明るい方に行けって場面で、梅は鬼になる前の姿に戻ってたけど、よく考えたら梅は人間の時に人を殺してないな。なら鬼での殺人は肉食動物の狩りと同じで、人間の罪じゃないから天国にも行けたのかな。
炭治郎が「赦します」って言ったんか?むしろ「お前を絶対に許さない」ってスタンスだったと思うけど。
言われてみれば、アメコミヒーローが赦したヴィランは、割とがっつり活躍して恩赦になるよな。そら刑務所には入ったりするが、内面描写で心から反省してることが判る創作では「その後は善行を積みました」で終わる
“「なぜ鬼は最後に改心したのに地獄に行くの?」 みたいなコメントがあって、あーなるほどキリスト教だと改心して懺悔したら罪が許されて天国にいけるのか。と思った”
阿弥陀如来の救済を信じれば地獄の苦しみから解放されます
アポリネールの短編では、生涯にわたり盗みや強姦などの悪事を重ねるユダヤ人が「洗礼は一度で全ての罪を清める」という教義を逆手に取り、死の間際にキリスト教に改宗して洗礼を受けることで天国に入ろうと企てる。
どんな事情や悲しい過去があろうと意味もなくワンパンで殺されたモブ犠牲者にとって許せるわけないだろ。ってのがこの手の「許し」への回答
天国って天道のことで極楽浄土じゃないと思うんだよな転生してるし。浄土真宗だと天国=極楽浄土なんかね?
id:rosaline 煉獄(purgatory/purgatorium)はキリスト教(カトリック)の概念ですよ。むしろ日本(仏教・神道)には存在しません。
輪廻転生がないって教えは脅しな気がするね 逆にそのせいで異世界転生を楽な逃げにしてしまってる考えもよくはないが
なんか「地獄に落ちたら永久に地獄にいる」という設定の話が最近多いが、仏教ベースだと地獄は通過地点でしかないので刑罰が終わったら次の輪廻に向かうんだよね。既に改心していると刑期が短くなる。お得。
累は改心してる描写だと思うけどなー
欧米でも鬼滅の刃の映画が公開され始めたが『なぜ鬼は最後に改心したのに地獄に行くの?』というコメントがあり“文化と宗教観の違い”を感じた
''キリスト教では臨終の際に聖職者に来てもらって「罪のゆるしの告解」と「終油の秘跡」の2つをすることで罪人も天国に行けるらしい。 #ミュージカルSIX きっかけで読んだ #セシルの女王 にそのシーンがあり。''
鬼滅の鬼は別に改心してる訳ではないので最初の問い自体が無意味では…
まぁ宗教なんて生きてる人のためのものなんで真っ当な教えではあるな。
別に日本でも、善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をやって考えもあるわけで、単に鬼滅はそういう死後の世界観ってだけなんでね
鬼滅の鬼で『最後に改心した』のって誰だ?というかまずその「改心」自体の定義が相当に異なっていそう。もしかして「過去の悪行を思い出した」だけで欧米人にとっては改心した扱いになってたりして?
改心して地獄に行くわけじゃないからな別に。 上弦は特に改心したわけじゃない。
猗窩座は改心ではなく、思い出した、のだよな。
「神の前で懺悔したら、全て赦される」ってことになっているが、それは誰が保証してくれるのかね。神の考えが人間ごときにわかるわけないだろうに。
transmigration って言葉はあるけど
んな事はない。洋画ノワールもの登場人物。悪人が劇中で改心したとしても、物語の根幹部分が勧善懲悪なので、悪魔が魂の取立へやってきてキチンと地獄へ落としている。悪人が報われないからこそ美しいのだ
キリスト教の罪は人間の不完全性を意味していて、行いにより背負う業を意味しないもんね。罪は常に神との関係性の話であり、他の人間との間に生ずるものではないから。鬼滅は虐げられた人々の想いの話だから違うよな
宗教観的にはなくても、欧米でも生まれ変わりの奇跡的なストーリーなかったっけ?
自分の行いが悪い事だったと気がついたので改心なんかね。この辺り、世界名作劇場の『フランダースの犬』のラストに我々が納得いかないようなもんで、納得したかったら色々勉強してねとしか。
「煉獄」なんて名前のキャラが出てくる時点でキリスト教の概念は通用しないと思ってほしいものです
色々と文化の違いがあるだろうけど調べて知ってくれたら嬉しいな。猗窩座の刺青とか日本でタトゥーが嫌がられる理由の歴史だし、所払いとか狛犬って何?とか
まぁ宗教的に信者増やすのに犯罪者も救われますよってしないと数がね。日本の場合はお家の関係があるので犯罪者は省いていく。犯罪者ごろごろしてたりして。
あれ改心してたの?はまぁ置いておいて、改心したら地獄に行かないで済むって、改心する事ない生活してた人が努力して改心する事ない生活をしてたんなら、その努力はやり損なんじゃないかってのが前から気になってる
改心だとは思わなかったな
キリシタンになると天国へ行けると布教しようとして「先祖は天国に行ってないの?そんな神様なら信じない」と返したらしい、昔の日本人あっぱれ。最後に心を入れ替えたら許されるなんて思うなよ。
悪人正機
死後に天国に行けるように思想合わない人を現世で火あぶりにする人々がなんか言ってる
]
id:mojimojikun そこはピンポイントの例え話が聖書に書かれてる https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E8%95%A9%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%88%E8%A9%B1
今の創作って地獄はよく出てくるんだけど、天国はあんまり出てこないんだよね、宗教っぽくなるからかなあ?
多分都合の良いように解釈している薄っぺらい宗教というか文化比較
改心したんじゃなく思い出しただけ、だろうか?100%の改心をしたとは思わないけど。記憶を取り戻した結果として少しでも自らの行いを悔いる心、改心の要素がなければ、自害という選択には至らないでしょう。
悪人正機説は日本でもポピュラーではないということか。
キリスト教にもカルヴァン派の予定説があるから(悔い改めても救われるとは限らない。すべて神が前もって決めてる)/仏教は火の鳥鳳凰編とか悪人正機/鬼が地獄にいくのは鬼滅世界の吾峠ルール
鬼が悪人正機の浄土宗なら極楽浄土にいけたかもね、南無阿弥陀仏と唱えてさえいれば。西日本は浄土宗が強いけど鬼滅の舞台は東日本だしな
こち亀の不良が更生した話を思い出した。
そもそも改心した鬼、いたっけ?
英国の短編作家サキには輪廻転生をテーマにした小品 https://www.eastoftheweb.com/short-stories/UBooks/Laur797.shtml もあったりするので、一筋縄ではいかない。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」悪人は生きている間に地獄を味わう。だから死後は極楽浄土しか行くところがない。恐ろしい話だよなぁ。
細かいところは色々違うけど、浄土真宗とキリスト教と似ているところがある。主流ではないが中国の景教の影響があるとの説もあったきがする
私も仏教の方を知らなかった。「地獄へ堕ちろ」の意味が永遠の責め苦に閉じ込められろという意味になるか、償いが終われば出所し転生出来る刑務所へ行けという意味なのか。重みが全然違った。
悪人正機における悪人とはそういう意味ではない
キリスト教はいつも権力者の道具だったからじゃない?
“そもそも輪廻転生の輪の一部である仏教の地獄と、神の国に至る資格のない者を永久に押し込めるキリスト教の地獄では、地獄堕ちの重みがだいぶ違いますわな。” 確かに
改心したからと言ってやらかしたことは変わらんのだが
鬼が死ぬときに思い出すのは「事情があったのはわかるがだとしても酷いことをしていいことにはならない」という話であって改心はしていない。むしろ酷いことをしたのを理解するために地獄へ行く。地獄は更生の場。
そもそも日本人でもそのような感想を持つ者は居るだろう。
キリスト教の設定だと信者じゃないと天国には行けなかったような。
ダンテ「悪魔は地獄最下層のコキュートスに封じるっていう設定を作ってやったろ!」
鬼は悔い改めてないし童磨は異教徒だし天国に行ける要素満たして無いだろ
セブンというキリスト教の映画で「地獄から光へと至る道は長く険しい」という言葉があったから、それを欧米人に教えてあげればいいような
「まして悪人もや」なので、仏教がそうじゃないとは思わないんだよな。輪廻転生で地獄に刑期があるので結構意味が違う。西洋の地獄は単に異教徒が行くところなんだと思う。
セシルの女王はいいぞ
仏教でも蜘蛛の糸的なやつで会心したらOKはあったきがする。負けた(死んだ)ときに後悔するのって要はダメだったから反省って話で自分の行動を後悔しているのか?って感じはする。あとあれ改心っていうか走馬灯よな
能は加害トラウマの認知療法なのか
罪を悔いてもそれだけで赦されるわけではないからこそ地獄で濾過される必要がある。念仏を唱えるだけで救われる浄土真宗と同じく、ちょっと簡単になりすぎている気もする。
たとえ改心したとしても犯した罪は償わねばならない。日本の地獄は償いの場なのかも
死へ旅立ったあとで、人生の評価を神がする宗教観だから
カトリック的にも、教会と関係ないところで改心しても地獄行きは変わらないのでは。
「絶対に許さない」は日本のヒーローがよく口にする決め台詞だけど、欧米のヒーローが口にする事は殆どない。東洋と西洋で「許し」の概念が根本的に違う
そもそも『地獄』の考え方が違うっていうのはたしかに。
いやいや、いつ免罪符を購入したよ!?
猗窩座は元々人間時代にも善人ではなかったし、可哀相ではあるが悪い事をした事実はなくならない。だから善人だった父親や師範や恋雪と同じ天国には行けない、というだけ。獪岳に至っては改心すらしてない
気持ちよく地獄へ行くために改心するんやで
うっせーな。鬼舞辻無惨がイエスと出会っていたら、触れられただけで鬼から人間に戻ってんだろ?福音書読み直せ
日本では罪は穢だからなぁ
聖職者に告解していないからでしょ。
死後の世界は、生者の都合で存在する。仏教の地獄もキリスト教の地獄もそれぞれの目的を達成するために発明され、悪人正機などの解釈も時代に応じた都合で発明された。鬼滅の刃の地獄は読者の心を動かすためにある。
「赦す」とは何かって差よ。改心し善人になれば赦すのか、自分は悪人ですって認めて自ら地獄に行けば赦すのかって(それ赦してない。。w)/ウチラには赦しの基準が無く、赦す方法が見当たらないのよ。
むしろ鬼で居続ける間は輪廻に戻れないためその状態こそがキリスト教の地獄に近く、鬼が死んで地獄に落ちることで罰を受けた後に輪廻転生することが出来るようになり救われていると見ることも出来るのかもしれない。
既に言われまくってるが仏教だって善人なおもて往生すなわけで割と根幹は変わらんよ。仏教も異教徒の神を調伏して改心させまくってる。転生がある鬼滅で鬼が地獄へ行くのは改心を受け入れる過程そのものっぽいと思う
妓夫太郎が妹に明るい方に行けって場面で、梅は鬼になる前の姿に戻ってたけど、よく考えたら梅は人間の時に人を殺してないな。なら鬼での殺人は肉食動物の狩りと同じで、人間の罪じゃないから天国にも行けたのかな。
炭治郎が「赦します」って言ったんか?むしろ「お前を絶対に許さない」ってスタンスだったと思うけど。
言われてみれば、アメコミヒーローが赦したヴィランは、割とがっつり活躍して恩赦になるよな。そら刑務所には入ったりするが、内面描写で心から反省してることが判る創作では「その後は善行を積みました」で終わる
“「なぜ鬼は最後に改心したのに地獄に行くの?」 みたいなコメントがあって、あーなるほどキリスト教だと改心して懺悔したら罪が許されて天国にいけるのか。と思った”
阿弥陀如来の救済を信じれば地獄の苦しみから解放されます
アポリネールの短編では、生涯にわたり盗みや強姦などの悪事を重ねるユダヤ人が「洗礼は一度で全ての罪を清める」という教義を逆手に取り、死の間際にキリスト教に改宗して洗礼を受けることで天国に入ろうと企てる。
どんな事情や悲しい過去があろうと意味もなくワンパンで殺されたモブ犠牲者にとって許せるわけないだろ。ってのがこの手の「許し」への回答
天国って天道のことで極楽浄土じゃないと思うんだよな転生してるし。浄土真宗だと天国=極楽浄土なんかね?
id:rosaline 煉獄(purgatory/purgatorium)はキリスト教(カトリック)の概念ですよ。むしろ日本(仏教・神道)には存在しません。
輪廻転生がないって教えは脅しな気がするね 逆にそのせいで異世界転生を楽な逃げにしてしまってる考えもよくはないが
なんか「地獄に落ちたら永久に地獄にいる」という設定の話が最近多いが、仏教ベースだと地獄は通過地点でしかないので刑罰が終わったら次の輪廻に向かうんだよね。既に改心していると刑期が短くなる。お得。
累は改心してる描写だと思うけどなー