人生のゲーム化は、上手く社会でやっていくために必要なスキルだと思う。昔『チーズはどこに消えた?』という名作自己啓発があったが、それも(続https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2025/03/26/175402
平尾昌宏 『人生はゲームなのだろうか?』はシロクマ先生に刺さりそう。タイトル通り人生をゲームと評していいのかを哲学的に考察してる一冊です。/追記:既に感想記事書かれてらっしゃったのですね。失礼しました…
『人生はゲームなのだろうか?』は、今どきのゲームをあまりフォローしていないので、今どきのゲームに馴染んでいる人には不向きだと思いました。故に私に刺さらなかった https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220408/1649383200
ログインボーナスがもらえません バグですか
スマホのアプリメーカーたちは、限りあるユーザーたちの可処分時間の取り合いをしてるのだから、日々の生活時間を削りにくるのは全くもって妥当な戦略なんです
シムシティもシビライゼーションもゲームが人生を模そうとして作られてるのでわ
進展を感じさせない、「終わりに向かって進んでる感」のないゲームはどれも長続きしなかった。無心になって日々の作業を繰り返すだけなゲームなんてゲームじゃない。人生にも目的のようなものは欲しい
個々人の価値観の違いは、生まれつき各プレイヤーの勝利点獲得条件が違うから。と気づいてから、自分と異なる考え方の存在に腹落ちした。皆同じ世界に存在するが、異なる勝利条件のゲームをしている。
「信仰」とかとどう違うのかまでは説明する能力は期待しないよ!
ほんとこれ。だから「晴れ舞台」が理不尽な難易度だと放り投げたくなるw 艦これも人生も、ほんと愛すべき糞ゲー〉「艦これも、日常業務をどれだけ丁寧に積み上げてきたのかが、晴れの舞台の命運を左右する」
艦これもFGOもアイマスシリーズも長々と続いてるが基本はあまり変わらん。今や現実というゲームの方が、ルールの変更もキーとなるキャラクターの変動も、敵味方の関係の入れ替わりもずっと激しい(国内も海外も)
誰も自分を愛しているだけの悲しいゲームさ
「現代人の考える『人生』概念」よりゲームははるかに古く、普遍的で、生き残っていて、ヒトという生物そのものと深く結びついている。だから「人生はゲームみたい」あるいは「ゲーム脳」なんて言い方は本末転倒
人が作ったものをして人に似てるとは滑稽な。自分の子供はまるで人のようで自分に似ているようにも見えるみたいな。もしかして子供こそが私であり神は同様に私の形をしているのではと思うのか。
あえて自虐的に書いておられるが、本当に楽しさが微塵も伝わって来なくて恐ろしい。可処分時間の奪い合いの行き着く先はそりゃあ生活との密着化だよな。
寺山修司に倣うなら「ゲームが人生の比喩なのではない,人生がゲームの比喩なのだ」 / 生物は遺した子孫の数をスコアとして争うゲームを40億年続けているが,最近人類は遺したミームもスコアに入れる謎ルールを採用
最近流行りのローグライト、ランダムで配られる選択肢の中から最終的な完成系をイメージしつつ現状も切り抜けられる手札を選ばなければいけないというまさに人生の縮図
俺のゲームはバグだらけで他者と比較してどこがおかしいのか常にデバッグだわ。それに普通のゲームとは成長条件もクリア要件も全く違うようでそれを探すのにも時間かかってる。何ならまだわからないもん。まじクソゲ
シレンをやっていると人生って感じがする。飯が無ければ死ぬ。武器の強化や壺杖巻物の知識が無ければ死ぬ。レベルも上げなければ死ぬ。ラッキーもあれば簡単な罠(事故)でも死ぬ。留まっていると追い出される。人生。
“しかし……コスパに追われて、惰性に流されて、環境の変化に一喜一憂し、変化についていける自分をまんざらでもないと思ってしまうような昨今のゲーム体験は、じつに人生のようだと思いませんか。”
地域共同体や血縁共同体が弱体化し、終身雇用年功序列定期昇給の大企業も家族経営(w)の中小企業も過去とは異なる様相を呈するイマ、人生は客体化しそれをゲーム化と看做す人も出るだろう。投資で2億貯めるとか。
「どういうゲームが好きですか?」て言われた時に「キャラじゃなくて俺がレベルアップするゲームが好きです」と答えるが伝わる人と全く伝わらない人がいる。
人生の麻雀化と、麻雀の人生化について
ゲームが日常になって終わらなくなり、人生そのものになってきたとは感じます。イベントゲージを破壊し終わっても、次の瞬間には備蓄が始まる。FGOの終わりは来るんだろうか
人生のゲーム化は(既に選んだ)自分の人生や生活を効率良く生きる為の「手段」であるけどアジコ氏の話は「消費のために脚色され理想化された物語を予め選ばされる」ことの話なので何かズレているなぁという感想
勝利条件とか、ハックとか、気にしだしたらしんどくないか?だから勝つ人は勝つんだろうけど。
「配られたカードで勝負するっきゃないのさ…」を現代風に言ったのかな?
とりあえず艦これ2025春イベはE3攻略迄完遂しました
「ゲームチェンジ」が起こった(と信じるしかない)ときに新ルールと旧ルールのどちらに従うべきか迷う。「失われた30年」の日本のように、国内限定、短・中期限定で旧ルールに従って勝ち組になるというパターンも…
“いまどきのゲームは、ゲームのなかにも生活がある。私は『艦これ』10年以上。デイリーなど日常業務の積み上げが、晴れのイベント舞台の命運を左右する。”
自由度の高すぎるゲームが苦手で、スマホゲーのデイリー消化が大好きなのだが、最近仕事でも上からひたすらタスクを振られてそれを解決し続けるようなものの方が性に合ってることがわかってきた。
マイクラで例えるなら、立派な建造物を建てることを夢見て実際は何も考えずに整地ばかりしているような人生だった。
弱キャラ友崎くんのOP好き、内容はふつう
自分の人生をゲームに例えられるようならまだ穏やか。想像を絶する出来事に遭遇した時、人生がゲームだとは言い切れやしないのさ
“人生のゲーム化と、ゲームの人生化” ‘8bit機で遊んでたころ、ゲームって人生のなんらかのシミュレーションだと気づいたので、いずれはそうなると思ってた
ローグライクが好きな人間は何なんだろうか。ゴルフ好きもそうだけど。同じことをゼロからやって最後には元の木阿弥になるゲーム。デジタル情報とはいえ積み重ねていくものの楽しさもあるということか。
そこまで自分に感情移入してないわ
人生がつまらなくなったらゲームを楽しんで、ゲームがつまらなくなったら人生を楽しめばいい
ゲームによく例えるけど本当は俺は人生を進めたい
人生のゲーム化と、ゲームの人生化について - シロクマの屑籠
人生のゲーム化は、上手く社会でやっていくために必要なスキルだと思う。昔『チーズはどこに消えた?』という名作自己啓発があったが、それも(続https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2025/03/26/175402
平尾昌宏 『人生はゲームなのだろうか?』はシロクマ先生に刺さりそう。タイトル通り人生をゲームと評していいのかを哲学的に考察してる一冊です。/追記:既に感想記事書かれてらっしゃったのですね。失礼しました…
『人生はゲームなのだろうか?』は、今どきのゲームをあまりフォローしていないので、今どきのゲームに馴染んでいる人には不向きだと思いました。故に私に刺さらなかった https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220408/1649383200
ログインボーナスがもらえません バグですか
スマホのアプリメーカーたちは、限りあるユーザーたちの可処分時間の取り合いをしてるのだから、日々の生活時間を削りにくるのは全くもって妥当な戦略なんです
シムシティもシビライゼーションもゲームが人生を模そうとして作られてるのでわ
進展を感じさせない、「終わりに向かって進んでる感」のないゲームはどれも長続きしなかった。無心になって日々の作業を繰り返すだけなゲームなんてゲームじゃない。人生にも目的のようなものは欲しい
個々人の価値観の違いは、生まれつき各プレイヤーの勝利点獲得条件が違うから。と気づいてから、自分と異なる考え方の存在に腹落ちした。皆同じ世界に存在するが、異なる勝利条件のゲームをしている。
「信仰」とかとどう違うのかまでは説明する能力は期待しないよ!
ほんとこれ。だから「晴れ舞台」が理不尽な難易度だと放り投げたくなるw 艦これも人生も、ほんと愛すべき糞ゲー〉「艦これも、日常業務をどれだけ丁寧に積み上げてきたのかが、晴れの舞台の命運を左右する」
艦これもFGOもアイマスシリーズも長々と続いてるが基本はあまり変わらん。今や現実というゲームの方が、ルールの変更もキーとなるキャラクターの変動も、敵味方の関係の入れ替わりもずっと激しい(国内も海外も)
誰も自分を愛しているだけの悲しいゲームさ
「現代人の考える『人生』概念」よりゲームははるかに古く、普遍的で、生き残っていて、ヒトという生物そのものと深く結びついている。だから「人生はゲームみたい」あるいは「ゲーム脳」なんて言い方は本末転倒
人が作ったものをして人に似てるとは滑稽な。自分の子供はまるで人のようで自分に似ているようにも見えるみたいな。もしかして子供こそが私であり神は同様に私の形をしているのではと思うのか。
あえて自虐的に書いておられるが、本当に楽しさが微塵も伝わって来なくて恐ろしい。可処分時間の奪い合いの行き着く先はそりゃあ生活との密着化だよな。
寺山修司に倣うなら「ゲームが人生の比喩なのではない,人生がゲームの比喩なのだ」 / 生物は遺した子孫の数をスコアとして争うゲームを40億年続けているが,最近人類は遺したミームもスコアに入れる謎ルールを採用
最近流行りのローグライト、ランダムで配られる選択肢の中から最終的な完成系をイメージしつつ現状も切り抜けられる手札を選ばなければいけないというまさに人生の縮図
俺のゲームはバグだらけで他者と比較してどこがおかしいのか常にデバッグだわ。それに普通のゲームとは成長条件もクリア要件も全く違うようでそれを探すのにも時間かかってる。何ならまだわからないもん。まじクソゲ
シレンをやっていると人生って感じがする。飯が無ければ死ぬ。武器の強化や壺杖巻物の知識が無ければ死ぬ。レベルも上げなければ死ぬ。ラッキーもあれば簡単な罠(事故)でも死ぬ。留まっていると追い出される。人生。
“しかし……コスパに追われて、惰性に流されて、環境の変化に一喜一憂し、変化についていける自分をまんざらでもないと思ってしまうような昨今のゲーム体験は、じつに人生のようだと思いませんか。”
地域共同体や血縁共同体が弱体化し、終身雇用年功序列定期昇給の大企業も家族経営(w)の中小企業も過去とは異なる様相を呈するイマ、人生は客体化しそれをゲーム化と看做す人も出るだろう。投資で2億貯めるとか。
「どういうゲームが好きですか?」て言われた時に「キャラじゃなくて俺がレベルアップするゲームが好きです」と答えるが伝わる人と全く伝わらない人がいる。
人生の麻雀化と、麻雀の人生化について
ゲームが日常になって終わらなくなり、人生そのものになってきたとは感じます。イベントゲージを破壊し終わっても、次の瞬間には備蓄が始まる。FGOの終わりは来るんだろうか
人生のゲーム化は(既に選んだ)自分の人生や生活を効率良く生きる為の「手段」であるけどアジコ氏の話は「消費のために脚色され理想化された物語を予め選ばされる」ことの話なので何かズレているなぁという感想
勝利条件とか、ハックとか、気にしだしたらしんどくないか?だから勝つ人は勝つんだろうけど。
「配られたカードで勝負するっきゃないのさ…」を現代風に言ったのかな?
とりあえず艦これ2025春イベはE3攻略迄完遂しました
「ゲームチェンジ」が起こった(と信じるしかない)ときに新ルールと旧ルールのどちらに従うべきか迷う。「失われた30年」の日本のように、国内限定、短・中期限定で旧ルールに従って勝ち組になるというパターンも…
“いまどきのゲームは、ゲームのなかにも生活がある。私は『艦これ』10年以上。デイリーなど日常業務の積み上げが、晴れのイベント舞台の命運を左右する。”
自由度の高すぎるゲームが苦手で、スマホゲーのデイリー消化が大好きなのだが、最近仕事でも上からひたすらタスクを振られてそれを解決し続けるようなものの方が性に合ってることがわかってきた。
マイクラで例えるなら、立派な建造物を建てることを夢見て実際は何も考えずに整地ばかりしているような人生だった。
弱キャラ友崎くんのOP好き、内容はふつう
自分の人生をゲームに例えられるようならまだ穏やか。想像を絶する出来事に遭遇した時、人生がゲームだとは言い切れやしないのさ
“人生のゲーム化と、ゲームの人生化” ‘8bit機で遊んでたころ、ゲームって人生のなんらかのシミュレーションだと気づいたので、いずれはそうなると思ってた
ローグライクが好きな人間は何なんだろうか。ゴルフ好きもそうだけど。同じことをゼロからやって最後には元の木阿弥になるゲーム。デジタル情報とはいえ積み重ねていくものの楽しさもあるということか。
そこまで自分に感情移入してないわ
人生がつまらなくなったらゲームを楽しんで、ゲームがつまらなくなったら人生を楽しめばいい
ゲームによく例えるけど本当は俺は人生を進めたい