エヴァの方がよっぽど酷かったのにエヴァではこういう話にならないよね/「後追いの癖に知識人面」とかいうのも痛いなぁ。原作でやった俺たちは尊いみたいな感覚なんだろうか。他人の創作の感想に上も下もないでしょ
批評とかいわずに「ない頭で考えました」というところは素直でいいと思っている。夏休みの自由研究の最後に書くやつ、というイメージ
10年前の自分に、尻丸出しのオッサンキャラクターが日本で人気になるとか言ったら、コイツ何に騙されてるんだろうかと考察を始めると思う
最新流行は解説やぞ
人の“考察”を有難がって聞いてる奴はヤバい。
どっちでもいいじゃねえか。
こじつけた解釈で真実に目覚めちゃう人たちも同じ延長線上にいる気がする。選挙が近くなると湧いてくる人たち。
質があまりに酷いと。(感想・考察・二次創作。どうあるべきかはともかく区分と棲み分けはあった方がいいのか。複合的なものでも論旨は踏まえたほうが?(ただ、受け手が思い考えること自体は否定したくない
twitterでの『ラッスンゴレライ』叩き思い出す
でも、H×H連載中や、ガンダム新作(水星とかGQuuuuuuXとか)放映中などに流れてくる「考察」はついつい見てしまうし、何なら「へー、なるほどなー」くらいには感心してしまうんだ…。
考察や伏線はドパガキと同類で、その手の刺激がないとエンタメを楽しめない体質なんだろう。作る方も彼らのドーパミンが出てくるような作品を供給するし、需要と供給が成り立ってるんだからそれでいいんじゃないかな
ちいかわは既に原作でガチ勢は考察しきった後、なので今のちいかわ考察は映画しか見てない人たちが後追いの癖に知識人面してやってる連中ばっかりでキツいな〜となる
個人的には現在進行系の作品の考察は意味ないと思ってる。だって話が進めば謎が解けるんだもん。終わったあとに「あれは一体何だったのか」を探っていくのが考察だと思う。だから今のやつはただの“予想”です。
競馬のサイン理論を予想って言ってるようなものかな
作品自体が考察を煽るように作られてるからね。
一ついい方法がある。SNSをやめればいいんだよ。自分から無法地帯に足を踏み入れてることに気づけ
伏線回収とかいう、悪い言い方をすると繰り返して視聴するだけで特に知識もなく思考もしない消費者にも「すごい作品だ」と思わせる技術が一般化したからだろうな。出てくる情報すべてが回収前提で受け取られてしまう
狭量だと思うが、呼びかけるのは自由。私は、既にこれほど多くの人が「考察」という言葉を使用しているなら、新しい語義として認めたい派。従来の語義に収まらない言葉の需要が、確かにあったと思う。
感じた想いと察し考えたで、想いと考えの違いはあれど似たようなものだものね。考えの方は論理が必要だけど想いは感受したものだけでよいけど。考察は答えみたいに押し付け感が出るとなんか嫌だよね。
考察なんてのは作品を妄想的に楽しむ味わい方のひとつなんだし、それはそれでいいんだけど自家中毒起こして暴れている人とか、他人の妄想をありがたがる人ってなんなん? とは思う。まあ昔からそういう人いるけど。
トトロの都市伝説みたいな感じ、陰謀論めいている。
「作者はそんなこと考えてないと思うよ」的なものだけど、こういうこじつけを勝手にやるのはオタクの楽しみ方として昔からあるのでは。確定的事実とかされるとうざいのはわかるが、いちいち考察って言葉狩りせんでも
それだけ見てる人の母数が多いって事だよな
すきにしたらいいと思うけど、やたらと声がでかい人が多いので、正直うっとうしいなとも思っている。
昔からやられてることではあるけど、昔は見えなかった。クローズド。今はみんなが見えるところにかけるし見られるように取り上げられるしで鬱陶しさは増えたかもね。
ビラまでばら撒いて大々的に助けを求めていたやつらの歌に「たすけて」が隠れてた、って「何がしたいねん」でしかないよな
こじつけや妄想を「考察」と自分で言ってしまう人は、「大丈夫かな」って思ってしまう。自分で「妄想してしまった」と言及するなら遊び感が感じられるのだが「考察」言っている人ほどそういう"遊び"が感じられない。
わかるおれも「考察」好きじゃない
昨日のRehacQでおじさんが、島民はガザ、セイレーンはイスラエルを暗喩している。人魚(住民)を襲ったヒトハ(ハマス)を探すために島民(ガザ)を手当たり次第に襲ってるから。とか語ってて、なんかスゲーなと思った
考察が妄想じゃないことある?気取ってんじゃねえぞ妄想って言えってならわかるけど
ヤバい!
まあ中にはそれ考察やない、単なるネタバレや、的なのも多いけどそういうのも含めて外野でワイワイやるのも映画の楽しみ方の一つだと思う。
これも集合知ってやつよ。一億総白痴化に習うのなら、集合痴かも知れんが。踊らにゃSONSON!
正解じゃなきゃ考察じゃないってことか?暴論だろ。
自分も「それは考察じゃなくて妄想だろw」と思うことはたまにある。一方で、別にやめて欲しいとは思わないかなぁ。枯れ木も山の賑わい的な?
物語に絡まないのであれば小ネタとか隠し要素とかの類
妄想を土台に楼閣を築かれると胸焼けする時もあるが基本は自分で取捨選択すべきもの 自分の胸先一つで他人の行動をどうこうしたいなどと傲慢だと思わないのかな
感想の範囲だと思う。行き過ぎた自家中毒の人が目立ってるだけで、昔から居たのに気付いてないだけ。そもそもこの手の感想は原作出るたんびに見かけてたので今更・・・
枕詞に国語センター試験の点数とかつけてほしいよね。本編から読み取れない情報が根拠ならそれはもう二次創作なのよ。腐女子のCPと同じ。
エヴァンゲリオンから考察・考察本が増えたかね。あれは作者側がそれを望んでいたと感じるが。
やってる本人も荒唐無稽なことはわかりつつも、瓢箪から駒があると思ってやってるよね
根拠のない妄想を「考察」「説」と言って憚らない連中が嫌いだが、歴史認識や政治等に沸かれるよりはちいかわは無害ではある
シャンクスの正体はビートマニア
わざわざ八百比丘尼伝説を使っておきながら考察するなは無理がある。逆に文化の盗用の例として八百比丘尼伝説の故地の人間はナガノを非難する声明を出す道義的理由があるくらいに思って欲しい。盗っ人猛々しいぞ。
MMRみたい
amābamレベルまで達してからヤバいとか言ってくれ
VIVANTみたいなドラマはSNSで話題になるようなことを詰め込ん作品なので、考察するような対象ではないと思うの。優しく言うと。
これらを考察呼びしても通用したのを許したこれまでの論壇の有責度は大きいのである!!!!!(泡を飛ばしたり吹いたりしながら)
仮名手本忠臣蔵かよ。まあ好きに楽しめば良いけど、あんま広めると後で黒歴史になるぞ。
「雑な考察はやめろ それは感想だ」て言ってる人の名前がKANSOUなの気が効いてるな
自由なのは分かってるけどあまりにも考察じゃない「考察」を観るとうんざりするのも確か。「黄色い服を着てる人間は裏切り者だ!」「うさぎはヒトハフタハの正体に気づいていた!」←(こういうの物語的な意味が無い)
どこにも結構いるのでいるなーと思ってスルーするだけだしたすけてはわざとだろうけどだからなんだと言われたら助けてって言いたかったんだろ以上に特に言うことなくないか
シンプルに面白かったらそれでよしだし、人に押し付けたくないね。
花言葉と神話を持ち出してきて「これは○○だから○○に違いない」というのを…最近?では水星と呪術で死ぬほど見た。嫌になってその手の場所から離れたからちょい古い話。それを持ってくる必然性がないんだよ…
見なきゃええやん
中学の時、理科の教師に、実験をした後に考察を書けといきなり言われて戸惑ったこと思い出した。それまでは言われるがまま実験してただけだったのにいきなりそう言われたから。考察ってなんだろう(隙自語
なぜアナグラムや神話や古典と結びつける事に人は魅了されるのか? でもセイレーンや人魚使っておいて元ネタに遡らないのは無理だよな。
いいとは思うけどね。だって、「楽しい」し。突拍子のない思いつきも、厳密にセリフや描画を追って客観的に述べた考察も、「仮説」だから(そもそも物語に真実とか合ってないようなもの)。仮説を作るのは楽しい。
考えて察しようとしてるんだから考察でいいだろうと思ってる。エヴァとかFGAINAXはいわゆる考察だらけだったよ
悪い物言いと理解しつつ。誰もが中高の国語で高得点を取れたわけではない。皆が自由に情報発信できるということは、表現の誤りや情報のスロップも発生しうるということ。わかるんだけど、モヤっとするよね…。
当たり前の話を伏線だなんだ言い出すのってコミュニティの一生における「面白くない人が面白くないものを書き始める」そのものだなって思ってる
自分の作ったもので他人にこれをやられると「お、おう…」ってなるよね。
お前が気に入らないだけだろw
まあわかるけど自分の言葉で楽しんでるぶんにはいいと思う。他人から聞きかじった考察もどきばかりだと「それで、あなたの感想は?」とは聞きたくなるかも(個人の感想が本丸だと思っているので)
ちいかわだけじゃなくドラマ等で深読みしたり伏線追わなきゃならない、普通に観てどう思ったか言いづらくなるのは嫌だな、と思う。
おすすめ的なタイムラインを開かなければ良い。もしくはミュートにして意図的に避ければ良い。「考察」への問題提起自体も同じ渦の中にいる。ノイズが鬱陶しいなら作品とだけ向き合うことも出来るはず
読まなきゃいい
新規・古参問題、それともライブ“参戦”問題?「考察」はアカデミックな響きだから使うな?感想?妄想?
たとえ話をしたら考察で溢れるのは当然だけどな。精神分析ではなくて社会学とか政治に置き換えるけど。
話は聞かせてもらった! 人類は滅亡する!
エヴァンゲリオンの後継コンテンツだから我慢してね
シャンクスは本当は何人もいて、本当の名前はシャンクでシャンクスは団体名みたいな話が本当に好きで、シャンクスのことシャンクって言ってる。
妄想100件分の中からまともな考察が1件生まれてたら十分じゃないすか/今後は自虐的に考察のことを妄想って言う場面がありそう
こういうのは妄想度次第だと思うが、「たすけて」に関しては解決して帰る時に歌詞が変わってるっていう明確な違いがあるしなあ。本編から読み取れる範囲だと思う。
うるせぇ〜/考察なんて二次創作同様楽しみ方の一つでしかないのに、「やめませんか」と人の反応を矯正しようとするお前は何様なんだよ
「読書感想文」も「読書考察文」に呼び方変えれば、子供達も喜んで書くようになるかもな。
考察勢の中で序列つけようとしてんの?キモ…
宗教観出る。俺は「いま明確に正解が存在しそう(膨らます余地がある、は×)」かつ「正解でも作品の意味合いが変わらない」ならあり。喰種は楽しかった例。ワンピとかドラクエ(◯◯=△△説)とかは無理筋多すぎ。
野獣先輩新説series
FF8の保健室の先生=アルティミシア説とかそういうのが大好きだから妄想、深読みを考察と呼ぶのは肯定派。
スピッツ(バンド)ファンたちがよくブログなどで、数々の曲について「ここで登場する“キミ”はおそらく既に亡くなっていて……」などやたらめったらどの曲も「死」に結び付けてるの思い出した
妄想を考察と呼んでもいいけど、考察と言うからにはお前の思う根拠を持ってこいよ!とは思う。こうなんじゃないでしょうか(ただしそうであることを示唆・暗示する描写は一つもない)みたいなの不毛すぎる
うんうん。そうだね。デッカードはレプリカントだよね(なお、後から公式設定になった模様)
育つと陰謀論になっていくよね
映画の邪推くらいは好きにすればいいけど、そこから闇の政府のとか言いはじめたりするからなぁ。陰謀論の入り口になってるというのは、わからんでもない。
深読みされ待ち?が原則になってて、もう少しシンプルに見たいなぁと思うことはこのところ多い。
「ちいかわのミュージカルやりたい」と言っただけの平原綾香を燃やしてた一部のちいかわ界隈、かなりヤバいなと思う。羽生結弦界隈みたいになってきてる。
考察って言葉が変化していると思えばいいんじゃないかと考察しました。
考察の域を超えてこじつけになってるものもよく見るようになった気がする~。
こう「ちいかわ」で呆れる人でも、例えば先月に「平将門の首塚(本来は古墳で関係ない)」で罰だ祟りだと同様に「考察」祭りでキャッキャしてた人多いでしょ。/内輪的と客観的のような人間の性みたいなもんだよ。
ええい、おれの誰も読まないニッチ考察を読め! https://note.com/eiki_okuma/n/nb01f6d38f6ee
「言語化してみた」人たちも気になってる。
そういう人居るよね。伏線でも何でもないストーリーが展開してるのに、凄い伏線だと言ったり、あれは何とかのシンボルだとか。それは考察ではなく、ただの妄想だ。新海誠作品のファンに多く居る。
どこからどこまでが考察で妄想なんだろう?私が仕事でやってる分析と将来の課題形成は考察ではなく妄想なのだろうか?
わかるのだけど、押し付けられているのでない限り「やめません?」「大概にしてほしい」みたいな他者の自由への干渉・逆押しつけではなく自分の考え(不快感)の表明に留めておいた方がいいんじゃないの、とは思う。
少なくともはてブに上がってくるネット仕草ではA and Bが矛盾しない時にA→B、もしくはB→Aを含意することになって久しい。ここで言われてるような個人の妄想を考察と称するのも大概だが、こういうのはもっと酷いと思う
エヴァ見てた人らはMMRで耐性付いてると考察するぜ!
エルデンリング考察勢がな。脳のシナプスが変な所に繋がってる人が多くてついていけない
ちいかわに関してはほんとそれ
「かんそう」vs「考察」
言いたいことはわかるが、ちいかわに関しては、特にリアルタイムで更新を追ってる勢には「ナガノは絶対に""やってる""」というコンセンサスが強固にあると思う。あまりにも状況証拠が積み重なりすぎているので……。
昔からあって内輪でキャッキャしてたやつが全世界に垂れ流しちゃっててあーあ、のやーつのひとつだ
考察って「カテゴリとして遠いところにあるはずモノに共通の要素を見出すと気持ちいい」ということで、要するにオヤジギャグと似たようなものだろう。一方的に開陳されるとつらいが、お互い言い合えると楽しいね
お話の伏線を創作して遊ぶのもいいけど、ナガノ先生の可愛い論を掘っていく方が楽しそう
ちいかわは本当に酷い。まともに読んでたらそうはならんやろって考察ばっかでビビるで。
いいじゃん、どんどんやって妄想をSNSに垂れ流そうよ。そういう作品世界にズッポリハマって見当違いに頓珍漢なこと書き散らして、いつしか飽きてああ面白かったって記憶になれば。
エヴァンゲリオンを潜り抜けてきた我々には、陰謀論初級みたいな光景だね。平たく言うとぬるい。エヴァ考察勢は解雇寸前の社会不適応者が、いかに綾波やアスカと結婚できるか、言葉だけでしのぎを削る地獄だったよ
アホな考察もどきにうんざりする気持ちは分かるが、それでも気軽に「やめませんか」と他人の行動を制限しようとする方がずっと害悪だと思う
自分でそういうのが流れてこないようなタイムライン作りをするのが一番早いと思う
深堀りが足りないし描かれていないし語られていないし共感と感情移入できないし伏線回収しないしカタルシスがないし長すぎるし考察班がまとめない映画はヤバい
まぁ感想や妄想のことを考察って呼んでも別にいい気はするな
“ワケわかんないものをワケわかんないまま受容する”とか“言葉じゃ説明できないものそのまま味わう”とかできない人が増えたのかな?と感じることはある。分かりやすく説明できないと気がすまない、というか。
自分は言葉へのこだわりがあって書き物はいちいち辞書調べて書くタイプだから、こういう本来の意味と違う使われ方してる文章はモヤるけど、変な日本語とすら感じない人たちの方が多いのかな〜ってよく思う。
「本を読んで考えないのは、食事をして消化しないようなもの」「読者なしで本は完成しない」とは言うものの、考察が「あたまの良さの指標」のように扱われているのはちょっとね
結論としては岡田斗司夫はうざいと
メタファー使うやつはウザい判定してる
ちいさくてかわいい脳みそしかないのだろう。
オカルトだなー
「こっちが正解」なので「そっちは間違い」ですよ、とかやらないならまあ好きにすればの類で。逆にファンアートを描いたら「公式に無い衣装は捏造ですよ」とか言われて「※衣装捏造注意」とか要る糾弾界隈もあり
それよりも人の感想に勝手にぶつかりにいって考察扱いして批判するのはやめた方が良いと思います
SNSなんてそんなもん。逆にSNSに何を求めてんのよ。崇高な発言しか認めないなら何様なのよ。
考察したくても映画がまだ来ない
自分もネタというか「こういう事かも」みたいな想像(妄想)はする。勿論、コレ(自分の考え)が正しい!とは思わない。楽しみ方の一つ程度。作者が想定しているかどうか迄は考えては居ないかな…
「特にちいかわはヤバい」SNSは『考察』で溢れかえっているけど、感想や妄想のことを考察って言うのもうやめません?→『伏線』も大概にしてほしい…
エヴァの方がよっぽど酷かったのにエヴァではこういう話にならないよね/「後追いの癖に知識人面」とかいうのも痛いなぁ。原作でやった俺たちは尊いみたいな感覚なんだろうか。他人の創作の感想に上も下もないでしょ
批評とかいわずに「ない頭で考えました」というところは素直でいいと思っている。夏休みの自由研究の最後に書くやつ、というイメージ
10年前の自分に、尻丸出しのオッサンキャラクターが日本で人気になるとか言ったら、コイツ何に騙されてるんだろうかと考察を始めると思う
最新流行は解説やぞ
人の“考察”を有難がって聞いてる奴はヤバい。
どっちでもいいじゃねえか。
こじつけた解釈で真実に目覚めちゃう人たちも同じ延長線上にいる気がする。選挙が近くなると湧いてくる人たち。
質があまりに酷いと。(感想・考察・二次創作。どうあるべきかはともかく区分と棲み分けはあった方がいいのか。複合的なものでも論旨は踏まえたほうが?(ただ、受け手が思い考えること自体は否定したくない
twitterでの『ラッスンゴレライ』叩き思い出す
でも、H×H連載中や、ガンダム新作(水星とかGQuuuuuuXとか)放映中などに流れてくる「考察」はついつい見てしまうし、何なら「へー、なるほどなー」くらいには感心してしまうんだ…。
考察や伏線はドパガキと同類で、その手の刺激がないとエンタメを楽しめない体質なんだろう。作る方も彼らのドーパミンが出てくるような作品を供給するし、需要と供給が成り立ってるんだからそれでいいんじゃないかな
ちいかわは既に原作でガチ勢は考察しきった後、なので今のちいかわ考察は映画しか見てない人たちが後追いの癖に知識人面してやってる連中ばっかりでキツいな〜となる
個人的には現在進行系の作品の考察は意味ないと思ってる。だって話が進めば謎が解けるんだもん。終わったあとに「あれは一体何だったのか」を探っていくのが考察だと思う。だから今のやつはただの“予想”です。
競馬のサイン理論を予想って言ってるようなものかな
作品自体が考察を煽るように作られてるからね。
一ついい方法がある。SNSをやめればいいんだよ。自分から無法地帯に足を踏み入れてることに気づけ
伏線回収とかいう、悪い言い方をすると繰り返して視聴するだけで特に知識もなく思考もしない消費者にも「すごい作品だ」と思わせる技術が一般化したからだろうな。出てくる情報すべてが回収前提で受け取られてしまう
狭量だと思うが、呼びかけるのは自由。私は、既にこれほど多くの人が「考察」という言葉を使用しているなら、新しい語義として認めたい派。従来の語義に収まらない言葉の需要が、確かにあったと思う。
感じた想いと察し考えたで、想いと考えの違いはあれど似たようなものだものね。考えの方は論理が必要だけど想いは感受したものだけでよいけど。考察は答えみたいに押し付け感が出るとなんか嫌だよね。
考察なんてのは作品を妄想的に楽しむ味わい方のひとつなんだし、それはそれでいいんだけど自家中毒起こして暴れている人とか、他人の妄想をありがたがる人ってなんなん? とは思う。まあ昔からそういう人いるけど。
トトロの都市伝説みたいな感じ、陰謀論めいている。
「作者はそんなこと考えてないと思うよ」的なものだけど、こういうこじつけを勝手にやるのはオタクの楽しみ方として昔からあるのでは。確定的事実とかされるとうざいのはわかるが、いちいち考察って言葉狩りせんでも
それだけ見てる人の母数が多いって事だよな
すきにしたらいいと思うけど、やたらと声がでかい人が多いので、正直うっとうしいなとも思っている。
昔からやられてることではあるけど、昔は見えなかった。クローズド。今はみんなが見えるところにかけるし見られるように取り上げられるしで鬱陶しさは増えたかもね。
ビラまでばら撒いて大々的に助けを求めていたやつらの歌に「たすけて」が隠れてた、って「何がしたいねん」でしかないよな
こじつけや妄想を「考察」と自分で言ってしまう人は、「大丈夫かな」って思ってしまう。自分で「妄想してしまった」と言及するなら遊び感が感じられるのだが「考察」言っている人ほどそういう"遊び"が感じられない。
わかるおれも「考察」好きじゃない
昨日のRehacQでおじさんが、島民はガザ、セイレーンはイスラエルを暗喩している。人魚(住民)を襲ったヒトハ(ハマス)を探すために島民(ガザ)を手当たり次第に襲ってるから。とか語ってて、なんかスゲーなと思った
考察が妄想じゃないことある?気取ってんじゃねえぞ妄想って言えってならわかるけど
ヤバい!
まあ中にはそれ考察やない、単なるネタバレや、的なのも多いけどそういうのも含めて外野でワイワイやるのも映画の楽しみ方の一つだと思う。
これも集合知ってやつよ。一億総白痴化に習うのなら、集合痴かも知れんが。踊らにゃSONSON!
正解じゃなきゃ考察じゃないってことか?暴論だろ。
自分も「それは考察じゃなくて妄想だろw」と思うことはたまにある。一方で、別にやめて欲しいとは思わないかなぁ。枯れ木も山の賑わい的な?
物語に絡まないのであれば小ネタとか隠し要素とかの類
妄想を土台に楼閣を築かれると胸焼けする時もあるが基本は自分で取捨選択すべきもの 自分の胸先一つで他人の行動をどうこうしたいなどと傲慢だと思わないのかな
感想の範囲だと思う。行き過ぎた自家中毒の人が目立ってるだけで、昔から居たのに気付いてないだけ。そもそもこの手の感想は原作出るたんびに見かけてたので今更・・・
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エヴァンゲリオンから考察・考察本が増えたかね。あれは作者側がそれを望んでいたと感じるが。
やってる本人も荒唐無稽なことはわかりつつも、瓢箪から駒があると思ってやってるよね
根拠のない妄想を「考察」「説」と言って憚らない連中が嫌いだが、歴史認識や政治等に沸かれるよりはちいかわは無害ではある
シャンクスの正体はビートマニア
わざわざ八百比丘尼伝説を使っておきながら考察するなは無理がある。逆に文化の盗用の例として八百比丘尼伝説の故地の人間はナガノを非難する声明を出す道義的理由があるくらいに思って欲しい。盗っ人猛々しいぞ。
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これらを考察呼びしても通用したのを許したこれまでの論壇の有責度は大きいのである!!!!!(泡を飛ばしたり吹いたりしながら)
仮名手本忠臣蔵かよ。まあ好きに楽しめば良いけど、あんま広めると後で黒歴史になるぞ。
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自由なのは分かってるけどあまりにも考察じゃない「考察」を観るとうんざりするのも確か。「黄色い服を着てる人間は裏切り者だ!」「うさぎはヒトハフタハの正体に気づいていた!」←(こういうの物語的な意味が無い)
どこにも結構いるのでいるなーと思ってスルーするだけだしたすけてはわざとだろうけどだからなんだと言われたら助けてって言いたかったんだろ以上に特に言うことなくないか
シンプルに面白かったらそれでよしだし、人に押し付けたくないね。
花言葉と神話を持ち出してきて「これは○○だから○○に違いない」というのを…最近?では水星と呪術で死ぬほど見た。嫌になってその手の場所から離れたからちょい古い話。それを持ってくる必然性がないんだよ…
見なきゃええやん
中学の時、理科の教師に、実験をした後に考察を書けといきなり言われて戸惑ったこと思い出した。それまでは言われるがまま実験してただけだったのにいきなりそう言われたから。考察ってなんだろう(隙自語
なぜアナグラムや神話や古典と結びつける事に人は魅了されるのか? でもセイレーンや人魚使っておいて元ネタに遡らないのは無理だよな。
いいとは思うけどね。だって、「楽しい」し。突拍子のない思いつきも、厳密にセリフや描画を追って客観的に述べた考察も、「仮説」だから(そもそも物語に真実とか合ってないようなもの)。仮説を作るのは楽しい。
考えて察しようとしてるんだから考察でいいだろうと思ってる。エヴァとかFGAINAXはいわゆる考察だらけだったよ
悪い物言いと理解しつつ。誰もが中高の国語で高得点を取れたわけではない。皆が自由に情報発信できるということは、表現の誤りや情報のスロップも発生しうるということ。わかるんだけど、モヤっとするよね…。
当たり前の話を伏線だなんだ言い出すのってコミュニティの一生における「面白くない人が面白くないものを書き始める」そのものだなって思ってる
自分の作ったもので他人にこれをやられると「お、おう…」ってなるよね。
お前が気に入らないだけだろw
まあわかるけど自分の言葉で楽しんでるぶんにはいいと思う。他人から聞きかじった考察もどきばかりだと「それで、あなたの感想は?」とは聞きたくなるかも(個人の感想が本丸だと思っているので)
ちいかわだけじゃなくドラマ等で深読みしたり伏線追わなきゃならない、普通に観てどう思ったか言いづらくなるのは嫌だな、と思う。
おすすめ的なタイムラインを開かなければ良い。もしくはミュートにして意図的に避ければ良い。「考察」への問題提起自体も同じ渦の中にいる。ノイズが鬱陶しいなら作品とだけ向き合うことも出来るはず
読まなきゃいい
新規・古参問題、それともライブ“参戦”問題?「考察」はアカデミックな響きだから使うな?感想?妄想?
たとえ話をしたら考察で溢れるのは当然だけどな。精神分析ではなくて社会学とか政治に置き換えるけど。
話は聞かせてもらった! 人類は滅亡する!
エヴァンゲリオンの後継コンテンツだから我慢してね
シャンクスは本当は何人もいて、本当の名前はシャンクでシャンクスは団体名みたいな話が本当に好きで、シャンクスのことシャンクって言ってる。
妄想100件分の中からまともな考察が1件生まれてたら十分じゃないすか/今後は自虐的に考察のことを妄想って言う場面がありそう
こういうのは妄想度次第だと思うが、「たすけて」に関しては解決して帰る時に歌詞が変わってるっていう明確な違いがあるしなあ。本編から読み取れる範囲だと思う。
うるせぇ〜/考察なんて二次創作同様楽しみ方の一つでしかないのに、「やめませんか」と人の反応を矯正しようとするお前は何様なんだよ
「読書感想文」も「読書考察文」に呼び方変えれば、子供達も喜んで書くようになるかもな。
考察勢の中で序列つけようとしてんの?キモ…
宗教観出る。俺は「いま明確に正解が存在しそう(膨らます余地がある、は×)」かつ「正解でも作品の意味合いが変わらない」ならあり。喰種は楽しかった例。ワンピとかドラクエ(◯◯=△△説)とかは無理筋多すぎ。
野獣先輩新説series
FF8の保健室の先生=アルティミシア説とかそういうのが大好きだから妄想、深読みを考察と呼ぶのは肯定派。
スピッツ(バンド)ファンたちがよくブログなどで、数々の曲について「ここで登場する“キミ”はおそらく既に亡くなっていて……」などやたらめったらどの曲も「死」に結び付けてるの思い出した
妄想を考察と呼んでもいいけど、考察と言うからにはお前の思う根拠を持ってこいよ!とは思う。こうなんじゃないでしょうか(ただしそうであることを示唆・暗示する描写は一つもない)みたいなの不毛すぎる
うんうん。そうだね。デッカードはレプリカントだよね(なお、後から公式設定になった模様)
育つと陰謀論になっていくよね
映画の邪推くらいは好きにすればいいけど、そこから闇の政府のとか言いはじめたりするからなぁ。陰謀論の入り口になってるというのは、わからんでもない。
深読みされ待ち?が原則になってて、もう少しシンプルに見たいなぁと思うことはこのところ多い。
「ちいかわのミュージカルやりたい」と言っただけの平原綾香を燃やしてた一部のちいかわ界隈、かなりヤバいなと思う。羽生結弦界隈みたいになってきてる。
考察って言葉が変化していると思えばいいんじゃないかと考察しました。
考察の域を超えてこじつけになってるものもよく見るようになった気がする~。
こう「ちいかわ」で呆れる人でも、例えば先月に「平将門の首塚(本来は古墳で関係ない)」で罰だ祟りだと同様に「考察」祭りでキャッキャしてた人多いでしょ。/内輪的と客観的のような人間の性みたいなもんだよ。
ええい、おれの誰も読まないニッチ考察を読め! https://note.com/eiki_okuma/n/nb01f6d38f6ee
「言語化してみた」人たちも気になってる。
そういう人居るよね。伏線でも何でもないストーリーが展開してるのに、凄い伏線だと言ったり、あれは何とかのシンボルだとか。それは考察ではなく、ただの妄想だ。新海誠作品のファンに多く居る。
どこからどこまでが考察で妄想なんだろう?私が仕事でやってる分析と将来の課題形成は考察ではなく妄想なのだろうか?
わかるのだけど、押し付けられているのでない限り「やめません?」「大概にしてほしい」みたいな他者の自由への干渉・逆押しつけではなく自分の考え(不快感)の表明に留めておいた方がいいんじゃないの、とは思う。
少なくともはてブに上がってくるネット仕草ではA and Bが矛盾しない時にA→B、もしくはB→Aを含意することになって久しい。ここで言われてるような個人の妄想を考察と称するのも大概だが、こういうのはもっと酷いと思う
エヴァ見てた人らはMMRで耐性付いてると考察するぜ!
エルデンリング考察勢がな。脳のシナプスが変な所に繋がってる人が多くてついていけない
ちいかわに関してはほんとそれ
「かんそう」vs「考察」
言いたいことはわかるが、ちいかわに関しては、特にリアルタイムで更新を追ってる勢には「ナガノは絶対に""やってる""」というコンセンサスが強固にあると思う。あまりにも状況証拠が積み重なりすぎているので……。
昔からあって内輪でキャッキャしてたやつが全世界に垂れ流しちゃっててあーあ、のやーつのひとつだ
考察って「カテゴリとして遠いところにあるはずモノに共通の要素を見出すと気持ちいい」ということで、要するにオヤジギャグと似たようなものだろう。一方的に開陳されるとつらいが、お互い言い合えると楽しいね
お話の伏線を創作して遊ぶのもいいけど、ナガノ先生の可愛い論を掘っていく方が楽しそう
ちいかわは本当に酷い。まともに読んでたらそうはならんやろって考察ばっかでビビるで。
いいじゃん、どんどんやって妄想をSNSに垂れ流そうよ。そういう作品世界にズッポリハマって見当違いに頓珍漢なこと書き散らして、いつしか飽きてああ面白かったって記憶になれば。
エヴァンゲリオンを潜り抜けてきた我々には、陰謀論初級みたいな光景だね。平たく言うとぬるい。エヴァ考察勢は解雇寸前の社会不適応者が、いかに綾波やアスカと結婚できるか、言葉だけでしのぎを削る地獄だったよ
アホな考察もどきにうんざりする気持ちは分かるが、それでも気軽に「やめませんか」と他人の行動を制限しようとする方がずっと害悪だと思う
自分でそういうのが流れてこないようなタイムライン作りをするのが一番早いと思う
深堀りが足りないし描かれていないし語られていないし共感と感情移入できないし伏線回収しないしカタルシスがないし長すぎるし考察班がまとめない映画はヤバい
まぁ感想や妄想のことを考察って呼んでも別にいい気はするな
“ワケわかんないものをワケわかんないまま受容する”とか“言葉じゃ説明できないものそのまま味わう”とかできない人が増えたのかな?と感じることはある。分かりやすく説明できないと気がすまない、というか。
自分は言葉へのこだわりがあって書き物はいちいち辞書調べて書くタイプだから、こういう本来の意味と違う使われ方してる文章はモヤるけど、変な日本語とすら感じない人たちの方が多いのかな〜ってよく思う。
「本を読んで考えないのは、食事をして消化しないようなもの」「読者なしで本は完成しない」とは言うものの、考察が「あたまの良さの指標」のように扱われているのはちょっとね
結論としては岡田斗司夫はうざいと
メタファー使うやつはウザい判定してる
ちいさくてかわいい脳みそしかないのだろう。
オカルトだなー
「こっちが正解」なので「そっちは間違い」ですよ、とかやらないならまあ好きにすればの類で。逆にファンアートを描いたら「公式に無い衣装は捏造ですよ」とか言われて「※衣装捏造注意」とか要る糾弾界隈もあり
それよりも人の感想に勝手にぶつかりにいって考察扱いして批判するのはやめた方が良いと思います
SNSなんてそんなもん。逆にSNSに何を求めてんのよ。崇高な発言しか認めないなら何様なのよ。
考察したくても映画がまだ来ない
自分もネタというか「こういう事かも」みたいな想像(妄想)はする。勿論、コレ(自分の考え)が正しい!とは思わない。楽しみ方の一つ程度。作者が想定しているかどうか迄は考えては居ないかな…