…で?/AIに書かせると見出しでネタバレしがちで中身がスカスカになりがち
文字はオカルトかもしれないが「ロゴス」はオカルトではない。例えば、正三角形を描く手順で正三角形以外のもの、例えば正方形を描けるか?モノが何かを決めるのはモノと操作であり文字はそれを表す記号にすぎない。
なぜオカルトという言葉を使ったのか全くわからなかった。
物理の理解が間違っているかもだが、単語自体は原子みたいなもので不確定な部分があるけど、文脈をという分子や原子の塊を作ることで自分が伝えたい意味が確定していくのかなと思う。そこに文字形が加わるみたいな
文字禍(中島敦)
???
可読性や視認性の追求、選択だって合理ではないか?文字にかかわるオカルト性をとりあげるなら、力や意味を持つ文字、ヒエログリフ、甲骨文字、楔形文字、ゲマトリア、神代文字、ルーン文字など、いくらでもあるよ
文字の情緒的機能も、意味のグランディングが出来ないことも理解できるけど、それが現在のAIが確率的推論していることと何がどう繋がるのがわからなかったし、全体で何を言いたいのかもわからなかった。
全く関係ないですけど、ニュースで「クマが馬乗り」って言ってましたけど、外国人はクマとウマが両方乗ってきたって勘違いしませんかね?
文字という媒体そのものが言語への先入観であるみたいな切り口を期待したらなんか違った
一文一文の辞書的な意味は取れるが、全体として何が言いたいのか、それぞれのパートが全体の論旨の中でどういう機能を持っているのかがぜんぜん読み取れなかった。
デザインではフォントに凝るのは当たり前。それを「オカルト」と大袈裟に呼んで釣りタイトルにしている。「ぼざろ」脚本家炎上も釣りタイトルのせいだ。ネット民はいつまでから騒ぎをするつもりだ。
人間の思考の曖昧さとAIの思考(と呼ばれる処理)は似てるよな〜って最近よく思う。
デザインの重要性を語る時に、“フォントが持つ「情緒的価値」”について説明すると、デザインにうとい人にも理解してもらいやすい。タイポグラフィは楽しい。
フォントについては声優を引き合いにしたら理解してもらえることが何回かあった。要は声色なので
人間の経験や文脈に基づく意味理解とAIの確率的単語選択は異なる。似て非なるものを似ているという理由で並置するのは自由だ。詩的なお気持ち表明であり、その姿勢がオカルトだという自己言及がタイトルで概して妥当
よくわからないがこの人は、ギリシャ哲学とかソシュールとかフッサールとかフーコーとかに漠然とかぶれてるのではないか。知らんけど
「文字」のところは、もっと広く「言語」と置き換えても良くて、「会話の0.2秒を言語学する」を読むと、言語が如何に多くの情報を捨てているか分かる。LLM を「偶然の成功」と表現するのはうまいなぁ。
“なぜ、世の中に「フォント」は無数に存在するのか?文字が単なる情報の入れ物(機能)ではなく、それ自体がメッセージ(情緒)を発しているから。”
「文字」というオカルト - Qiita
…で?/AIに書かせると見出しでネタバレしがちで中身がスカスカになりがち
文字はオカルトかもしれないが「ロゴス」はオカルトではない。例えば、正三角形を描く手順で正三角形以外のもの、例えば正方形を描けるか?モノが何かを決めるのはモノと操作であり文字はそれを表す記号にすぎない。
なぜオカルトという言葉を使ったのか全くわからなかった。
物理の理解が間違っているかもだが、単語自体は原子みたいなもので不確定な部分があるけど、文脈をという分子や原子の塊を作ることで自分が伝えたい意味が確定していくのかなと思う。そこに文字形が加わるみたいな
文字禍(中島敦)
???
可読性や視認性の追求、選択だって合理ではないか?文字にかかわるオカルト性をとりあげるなら、力や意味を持つ文字、ヒエログリフ、甲骨文字、楔形文字、ゲマトリア、神代文字、ルーン文字など、いくらでもあるよ
文字の情緒的機能も、意味のグランディングが出来ないことも理解できるけど、それが現在のAIが確率的推論していることと何がどう繋がるのがわからなかったし、全体で何を言いたいのかもわからなかった。
全く関係ないですけど、ニュースで「クマが馬乗り」って言ってましたけど、外国人はクマとウマが両方乗ってきたって勘違いしませんかね?
文字という媒体そのものが言語への先入観であるみたいな切り口を期待したらなんか違った
一文一文の辞書的な意味は取れるが、全体として何が言いたいのか、それぞれのパートが全体の論旨の中でどういう機能を持っているのかがぜんぜん読み取れなかった。
デザインではフォントに凝るのは当たり前。それを「オカルト」と大袈裟に呼んで釣りタイトルにしている。「ぼざろ」脚本家炎上も釣りタイトルのせいだ。ネット民はいつまでから騒ぎをするつもりだ。
人間の思考の曖昧さとAIの思考(と呼ばれる処理)は似てるよな〜って最近よく思う。
デザインの重要性を語る時に、“フォントが持つ「情緒的価値」”について説明すると、デザインにうとい人にも理解してもらいやすい。タイポグラフィは楽しい。
フォントについては声優を引き合いにしたら理解してもらえることが何回かあった。要は声色なので
人間の経験や文脈に基づく意味理解とAIの確率的単語選択は異なる。似て非なるものを似ているという理由で並置するのは自由だ。詩的なお気持ち表明であり、その姿勢がオカルトだという自己言及がタイトルで概して妥当
よくわからないがこの人は、ギリシャ哲学とかソシュールとかフッサールとかフーコーとかに漠然とかぶれてるのではないか。知らんけど
「文字」のところは、もっと広く「言語」と置き換えても良くて、「会話の0.2秒を言語学する」を読むと、言語が如何に多くの情報を捨てているか分かる。LLM を「偶然の成功」と表現するのはうまいなぁ。
“なぜ、世の中に「フォント」は無数に存在するのか?文字が単なる情報の入れ物(機能)ではなく、それ自体がメッセージ(情緒)を発しているから。”