吉田はよそのモンが先生って付けんかったぐらいで表情硬くするような小人物は嫌いやけどな。
千葉でジャガー氏をさん付けで呼ばない人は居ないみたいな話かな
萩での松陰先生呼びは有名だけど、空気読んで即座に軌道修正できるコミュ力の高さは素直に感心するわ
きのこる
こないだ夜ふかしでも仙台では伊達政宗公呼びってインタビューしてたなー
国家転覆を企てたテロリストでも、後に成功したらこうなるという事
下田で吉田松陰とその弟子の足跡をたどる。下田市民が松陰のものすごい好奇心に好意を示しつつも無鉄砲な行動にあきれてる様子が伝わってくる(´・ω・`)
松陰死んでるのに
誰か「晋作くん」について解説を頼む…
地元の名士あるある。
シンガポールを恋しがる先生でしたっけ?
いずれ大明神となる。
"平成11年10月に、一般公募によるバスの愛称を決定" "東回りを「松陰先生」、西回りを「晋作くん」と命名" ハイコンテクストだなあ https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/soukou/soukou-magazine/1611hagi.pdf
墓地に送ると手札から多数の優秀な弟子が幕府に攻撃表示で召喚されるコンボデッキの起点みたいな人。
佐幕派
萩でひこにゃんグッズとか身に着けてると物売ってくれなさそう
当人に対する、またそれを信奉する社会に対する敬意か。(子孫在住か。著名人は敬称略が一般的だけれど。TV番組で存命の著述家が呼び捨てだと怒ったり。ラジオへ投書ならさん付けか。本名屋号の個人商店なども
福島で吉田松陰の名前を出したら別の意味で表情が硬くなりそう。というか福島の老人と飲んだときに出身地を訪ねられて「さ、佐賀です」と答えたら、一瞬空気が凍った
『「信玄公由来の」というべきところを「謙信公由来の」と言い間違えて比喩でない吊し上げにされた話は後世に伝えていきたい。』ふふふ
高校の同級生で中島みゆきファンの男が「昨日の中島みゆきのオールナイトニッポンが」とか雑談してると「様! 様! みゆき様! 様を付けろ」と必ず言ってたなあ、皆も面白がって何度も同じ事をやってた記憶。
良いなぁぼくもそういうの欲しい
こんな地元で敬愛されてる偉人をよくド下ネタの歌にしたもんよな、つボイノリオ氏…時代とはいえ
観光客「田中義武さんが大好きで彼の地元の北海道に遊びに来ました」道民「………」
吉田松陰、地域の宝ですわね。先生の呼称、文化の織りなす美しいハーモニーですの。
「あのー、京都御所はこっち方向で…」「“御所”どすか?」
むかし創価学会員相手に日蓮聖人が〜って話をしたら日蓮大聖人です!!って訂正された思い出
そういえば、大阪ですが、豊臣秀吉のことを太閤さんと呼ぶお年寄りは何人か見たことある気がしますね
ちなみに会津では、吉田松陰や靖国神社は、、、なんだけどね。なんなら、俗論党の家系だって萩にはいる。黒船で密航を実行して捕まった松蔭は、まだ明朗快活だが、それに目くじら立てた井伊直弼は陰湿
まあ海外やら少数民族、宗教でもそういう感覚は普通にあるだろうね、これを「日本右派」や「田舎」と馬鹿にしてる人はどうするのだろう?
まあ崇敬の対象が誰かにもよるけど、めんどくさいし気持ち悪いな。吉田松陰だと特に、精神論の悪いところの方がよく継承されている。萩焼の方がはるかに良い文化だよ
嘘松鑑定士「これは嘘松陰」
ボトルネック殺せばワンチャンなんとかなれー!の人
地元での呼び方はともかく、他所から来た観光客にそれを強いるのはただの偏狭
敬称をつける方が「近しい」んで、過去の偉人は基本呼び捨ての方が敬意があるらしいが…地元ではまだ「生きてる」のかもね
吉田松陰と言えば、つボイノリオの歌がありましたわよねえ。(下ネタだから歌詞は書かない)
( 萩の記憶が夏ミカンゴロゴロしかないワシはなんてアレな旅人だろう )
先生と言われるほどの馬鹿でなし
慶應義塾に行って、福沢諭吉と呼び捨てにするくらいやばいことなのか
元コメにもあったが、萩では田中義一(元首相)も顕彰されていてびっくり。政治家としてはさほど評価されていない人だと思っていたが、地元では違うんだなあ。
萩どころか彼の地で吉田松陰を呼び捨てにするとは命知らずめ。なお熊本県では清正公さん、と公にさん付けが基本
高杉晋作は「くん」付けなのか。
吉田松陰シンガポール恋しがる〜
誰にでも逆鱗はあるんだよ、と韓非子も言ってた
甲斐の武田信玄公みたいなネタだよね。在住している地域により敬称付きになるやつ。吉田松陰はなぜかジオン・ダイクンのイメージがあるのよね
松下村塾で教えていたのだし、吉田松陰に「先生」の敬称はありでしょう。
例えば広島で「お好み焼き」を「広島焼き」と言ったり京都で「大文字(五山送り火)」を「大文字焼き」言うたりしたら地元の人は違和感を感じるし訂正したくなるのと同じなんじゃないかな。ノリとしては。
よいなー、こういう縁(ゆかり)を知る体験は旅の醍醐味だよ。
萩で通行人のお爺さんに吉田松陰の実家への道を尋ねたら表情が硬くなり、とっさにニュアンスを汲んで話したら笑顔になってくれた「うちの地域のこの方か」
吉田はよそのモンが先生って付けんかったぐらいで表情硬くするような小人物は嫌いやけどな。
千葉でジャガー氏をさん付けで呼ばない人は居ないみたいな話かな
萩での松陰先生呼びは有名だけど、空気読んで即座に軌道修正できるコミュ力の高さは素直に感心するわ
きのこる
こないだ夜ふかしでも仙台では伊達政宗公呼びってインタビューしてたなー
国家転覆を企てたテロリストでも、後に成功したらこうなるという事
下田で吉田松陰とその弟子の足跡をたどる。下田市民が松陰のものすごい好奇心に好意を示しつつも無鉄砲な行動にあきれてる様子が伝わってくる(´・ω・`)
松陰死んでるのに
誰か「晋作くん」について解説を頼む…
地元の名士あるある。
シンガポールを恋しがる先生でしたっけ?
いずれ大明神となる。
"平成11年10月に、一般公募によるバスの愛称を決定" "東回りを「松陰先生」、西回りを「晋作くん」と命名" ハイコンテクストだなあ https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/soukou/soukou-magazine/1611hagi.pdf
墓地に送ると手札から多数の優秀な弟子が幕府に攻撃表示で召喚されるコンボデッキの起点みたいな人。
佐幕派
萩でひこにゃんグッズとか身に着けてると物売ってくれなさそう
当人に対する、またそれを信奉する社会に対する敬意か。(子孫在住か。著名人は敬称略が一般的だけれど。TV番組で存命の著述家が呼び捨てだと怒ったり。ラジオへ投書ならさん付けか。本名屋号の個人商店なども
福島で吉田松陰の名前を出したら別の意味で表情が硬くなりそう。というか福島の老人と飲んだときに出身地を訪ねられて「さ、佐賀です」と答えたら、一瞬空気が凍った
『「信玄公由来の」というべきところを「謙信公由来の」と言い間違えて比喩でない吊し上げにされた話は後世に伝えていきたい。』ふふふ
高校の同級生で中島みゆきファンの男が「昨日の中島みゆきのオールナイトニッポンが」とか雑談してると「様! 様! みゆき様! 様を付けろ」と必ず言ってたなあ、皆も面白がって何度も同じ事をやってた記憶。
良いなぁぼくもそういうの欲しい
こんな地元で敬愛されてる偉人をよくド下ネタの歌にしたもんよな、つボイノリオ氏…時代とはいえ
観光客「田中義武さんが大好きで彼の地元の北海道に遊びに来ました」道民「………」
吉田松陰、地域の宝ですわね。先生の呼称、文化の織りなす美しいハーモニーですの。
「あのー、京都御所はこっち方向で…」「“御所”どすか?」
むかし創価学会員相手に日蓮聖人が〜って話をしたら日蓮大聖人です!!って訂正された思い出
そういえば、大阪ですが、豊臣秀吉のことを太閤さんと呼ぶお年寄りは何人か見たことある気がしますね
ちなみに会津では、吉田松陰や靖国神社は、、、なんだけどね。なんなら、俗論党の家系だって萩にはいる。黒船で密航を実行して捕まった松蔭は、まだ明朗快活だが、それに目くじら立てた井伊直弼は陰湿
まあ海外やら少数民族、宗教でもそういう感覚は普通にあるだろうね、これを「日本右派」や「田舎」と馬鹿にしてる人はどうするのだろう?
まあ崇敬の対象が誰かにもよるけど、めんどくさいし気持ち悪いな。吉田松陰だと特に、精神論の悪いところの方がよく継承されている。萩焼の方がはるかに良い文化だよ
嘘松鑑定士「これは嘘松陰」
ボトルネック殺せばワンチャンなんとかなれー!の人
地元での呼び方はともかく、他所から来た観光客にそれを強いるのはただの偏狭
敬称をつける方が「近しい」んで、過去の偉人は基本呼び捨ての方が敬意があるらしいが…地元ではまだ「生きてる」のかもね
吉田松陰と言えば、つボイノリオの歌がありましたわよねえ。(下ネタだから歌詞は書かない)
( 萩の記憶が夏ミカンゴロゴロしかないワシはなんてアレな旅人だろう )
先生と言われるほどの馬鹿でなし
慶應義塾に行って、福沢諭吉と呼び捨てにするくらいやばいことなのか
元コメにもあったが、萩では田中義一(元首相)も顕彰されていてびっくり。政治家としてはさほど評価されていない人だと思っていたが、地元では違うんだなあ。
萩どころか彼の地で吉田松陰を呼び捨てにするとは命知らずめ。なお熊本県では清正公さん、と公にさん付けが基本
高杉晋作は「くん」付けなのか。
吉田松陰シンガポール恋しがる〜
誰にでも逆鱗はあるんだよ、と韓非子も言ってた
甲斐の武田信玄公みたいなネタだよね。在住している地域により敬称付きになるやつ。吉田松陰はなぜかジオン・ダイクンのイメージがあるのよね
松下村塾で教えていたのだし、吉田松陰に「先生」の敬称はありでしょう。
例えば広島で「お好み焼き」を「広島焼き」と言ったり京都で「大文字(五山送り火)」を「大文字焼き」言うたりしたら地元の人は違和感を感じるし訂正したくなるのと同じなんじゃないかな。ノリとしては。
よいなー、こういう縁(ゆかり)を知る体験は旅の醍醐味だよ。