「構造」を問題にするとテック右派とかMAGAの連中はWOKE的として忌み嫌うんだけど、みい山の件でウシジマくんを引き合いに出すネット民も「構造」を見ずに表層だけしか見えてない感じ。
なる。わかりやすい
ウシジマくんとの構造の違いを言語化してて納得感ある。見世物消費の危うさだな
ウシジマくんでも次作の九条の大罪でも、現実と乖離しているという評価は一定ある。取材はあくまで取材であり、しっかりやったからといって特定の領域を完全にリアルに描ける訳ではない。その意味では大差ないのでは
図書館にゴルゴ13の公式解説本があって、それが初めて見た漫画のエロシーンだった。ウシジマくんはゴルゴの系譜につながる劇画作品だけれど、図書館に収まっているのを見たことがない。みい山も言わずもなが。
みい山も歌舞伎町だけの出来事として変わった子が転落を描いたら同じかも(人気にはならなそう)
つうか、スルメロックに毛が生えたような激浅マンガがよくもここまで話題を攫ったもんだよなw
みい山とちいかわの比較だとどうだろうか
"みいちゃんにはそれがない。搾取されているという認識自体が成立しない人間だ。自分が何をされているか分からないまま利用されて壊されて殺される。これは構造を巧みにすれば解決する問題か?しねえだろ"
規制しろと言い出さないなら特に異論はない。悪趣味で反道徳的な表現すらも、それが加害とまで言えないなら表現自体は守られる。そうしたスタンスを保つことでしか、マイノリティの表現の自由を守ることはできない
別コメでも書いたけど、ウシジマくんなどは何も言い訳してないんよ。だから「そういう作品」として受け入れられた。ウシジマくんを善悪の屑(外道の歌)に入れ替えても通用する。
「みいちゃんは歌舞伎町にいて借金の描写がない。窃盗はやる、売春もやる、立ちんぼもやる。なのに金貸しだけは出てこない。金を貸す側の論理が入った瞬間に社会の構造が見えちまうからな。」
そもそもウシジマくんのドラマ化の時は、女はソープに沈められるという描写そのものが流石にコンプラ考慮して削られたので、これはそのままブーメランとしてみい山批判に帰ってくる。
id:y-mat2006 「表現者にも責任はある」のであれば、日本のリベラル様は、自分たちの「憲法を守ろう」という表現・言論によって発生した「自衛官への差別」に責任取るのか? https://note.com/nathankirinoha/n/nb964d55aa8f0
俺はウシジマくんも社会の底辺を見世物にしてると感じたけどな
なんでいかんのか、全然わからないわ。
みいちゃんが障害者で責任能力ないからダメって言うんならウシジマが金貸してるパチンカス老人たちはダメじゃないのか?そもそも知的障害のキャラは九条の大罪に出てたよな?見たいとこだけ見て話してるだろこの人
ウシジマは因果応報で丑嶋最後殺されてるやろ擁護者はどうせ実写しか見てないんだろうけど。擁護者はAとAを比較するならまだわかるが構造が違うABを比較するのは違うぞと言うかマンガワン騒動で差し替えられてるぞ
表自論争名物「表自云々じゃなくてレピュテーションリスクと商売の問題なんよ」になりつつありこの話題もそろそろ終わりか、と感じている。みなさんお元気ですか。
例の編集が言ったみいちゃんには堕ちる才能があるという言葉の残酷さは、生まれ持った特性による 周囲からの搾取や悪意に抗う能力や意思の無さ、どうしようもない主体性の無さを才能扱いしている事なんだよな。
ウシジマ君は社会の底辺の博覧会であって、だからこそ見たいという需要もあるし見せる意義があると思うけどなあ。それに社会のために描いてるわけでもないと思うよ。
「状況を理解する能力を持たない人間〜の破滅を商品にして売ってるんだから。売り方の問題」社会悪によって破滅させられる姿は、健常者なら許されて、障がいや境界知能の人では許されないのだろか
(文句を言われる人は)大変だなぁ,と言う以上の感想が出てこない.. お疲れ様です。
むしろヤニねこがセーフな理由と比較してみてくれ(更なる混沌
何巻もかけてやることではねえな〜と読みながら思ったな。
みい山は小山田圭吾と比べた方がいいと思う・・
ウシジマくんを視界に入れずに生きてきたので助かる。あれ苦手、平成特有の偏見の強さとご都合主義がきつい/違いは「時代」「主人公か」もデカいと思う。「金貸しvs偏見」にしてるでしょ、みいは「読者vs偏見」なの
うーん、変わらなくね?
みい山まだ半分までしか読んでないけど、ウシジマくんと同じで良い注意喚起になってると思う「こうはなるなよ」って感じで。もちろんどちらもそれで稼いでる(本の売上)のは間違いないけど。Win-Winなんじゃね。
ウシジマくんにも所謂底辺の見世物要素はあったというか、初期は大差ないレベルだと思う。宇津井君辺りから意図的に路線を変更してる/倫理面での判断ではなく見世物だけでは長く(全46巻)続かんという商業的判断だろう
「(みいちゃんは)搾取されてる自覚がない。これは構造を巧みにすれば解決する問題か?」←解決しようと様々な人(新宿区議とか)が動いているでしょうが。解決してない?闇金問題だって解決してないでしょ
『初恋ざらり』との比較ってだれかやってる?
こいつらは、とにかく何としてでも自分の感情を正当化して、嫌いな物を「差別」の枠に押し込めるために屁理屈こねるんだよ。でも馬鹿だから、「アンフェ」とかジャーゴンを疑問なく放ち差別心を隠す事すらできないの
なんか大して意味がない場所に線を引いて『ほら違いがある』と言ってるように見えるなあ。違いがある事と、映像化が非難されるべき事かの間には相当な距離があると思うが。
実写見てないからよく分からないけど、ウシジマくんが忠実にアニメ化されて地上波で流れたらしっかり炎上するのではw
ウシジマくんは因果応報についてかなり真面目に取り組んだ結果の長期連載だとは思う。みい山はそれに見せかけた何かを描いてて、そこに因果応報を見出して良いのか?を問いかけてる構造に結果的になってる漫画と思う
同じに見える奴にはメガネかけろとしか言いようがないしそれでメガネの定義とかけない理由を語りだしたら自己紹介はカウンセリングに行けとしか言えないわな 目のかわりにいろんな比較をしろとねだられるだけだぞ
“みいちゃんはミームになった。一人だからだ。名前と顔と特徴的な言動が一人に集約されていて、そして殴り返さない。安全だから笑える。反撃が来ないから消費できる。”
ウシジマは知らなかったけど、みい山は目につくからやめてほしいって言えばいいのに。
ある意味、みいちゃんは”女”の結晶体やね、純度100%の。マンガで見るのもいやですか?
「みいちゃんという一枚のフィルターを通して」まずここの理解が自分と違うなあ。「みいちゃんと山田さん」は大部分が山田さんのフィルターを通して語られており、時おりみいちゃんの視点や作者の神の視点が入る。
日本人は見たくないものに蓋をするの大好きだよな。ウシジマくんを見て嫌な気分になったとしたらそれで抑止力になってる。事実を知らんから強盗とかに引き込まれるんだろ。それが現実。
“ウシジマくんが出て気づいたんだが、歌舞伎町にいて借金の描写がない。あの街にいて金貸しと無縁ってのも不自然な話だが、まあ描いたら物語の交通整理が面倒になるんだろう。”
多分、ウシジマくんの方が優れてる。ただ、教祖女とか「エンタメ」だし、「理屈と膏薬はどこにでも付く」中で、分析と詭弁とを区別できるほど俺らは賢くないので、明確に線引きできる、というと無理を感じてしまう。
別の視点なんだけど、ミームになりつつある呼称が現実に実在する子供の名前やニックネームなんだよね。 同じ名前の子が学校や地域で生活してるんだよ。 蔑称が人の名前の時点で完全に一線を超えてるんだわ。
宇津井くんとか一話の女も若干ミーム化しかけて「…やめとこっか」となった印象はある。その奥にあるリアルにひるむ感じ。そこは真鍋先生の取材と筆力のたまもの。
ウシジマくんも善悪の屑も社会の最悪の部分を覗き見る悪趣味漫画ではあるけど登場人物の苦悩とか自分がその理不尽に巻き込まれる可能性とかを想像できるところとかあるよね。みい山は未見だけどそのへんどうだろう?
みい山は実体験で友人がモデルだと自ら明かしてしまい、更に過去名義でスカウトと関与疑惑&夜職プロパガンダ漫画執筆疑惑が。1000人取材したというウシジマ作者と立場が違う https://mainichi.jp/articles/20250221/k00/00m/040/165000c
ウシジマ君を描いた真鍋氏は、自分が露悪的な作品を描いてると自覚して作品を作ってる。この差はデカいよ。
こうだからみぃちゃんはダメ、と簡単に言い切れる事はないと思う/ 個人的には見た人が自己責任(または親が悪い)だと思いそうなところは嫌だなと思う
ウシジマくんとの最大の違いは「絵柄」だと思うけどなあ。みい山はエッセイ漫画風の絵柄だから、かえってウシジマくんよりリアルに受け止められた。もしウシジマくんみたいな作画だったら問題になってないと思う。
最後のミームのくだりはちょっと筆が滑ったかな。読み手の個人的経験で反例を出せてしまうので削除した方が論が強くなりそう。たとえば最近もネトフリ版九条の大罪で曽我部くんが話題になったりしたね
肉欲企画って文字列から、ナニワ金融道の話もあるんですか、と思ったら無かった
作者の過去名義がガチの反社の女衒と繋がりがあったってのは何処まで本当なんだろう…倫理的な話よりもそっちの方がアウトなんじゃないのか。本当だとすればだが
キャラが入れ替わるからいい、ミームになるからダメとかそれはなんの話をしているんだかわからんて
“みいちゃんはミームになった。一人だからだ。名前と顔と特徴的な言動が一人に集約されていて、そして殴り返さない。安全だから笑える。反撃が来ないから消費できる”
そんな大層な差があるか?/フィルタはみいちゃんやなくて山田さんやろ
ウシジマくんは、特定の弱者ではなくて様々な弱者、様々な人間を描いている。
ミームにしたり馬鹿にして笑いを取るような部分に境界線があるのでは
どんな理由や理屈をつけたところで、結局は好きか嫌いかでしかないのだけどね。
なるほどー。と思ったけども、アングラなもんを見たいだけの読者も多分けっこういてて、そういう差異を気にしない人も多いと思うな
上位ブコメ「女はソープに沈められるという描写そのものが流石にコンプラ考慮し削られた」←男がタコ部屋に送られる描写は問題なくて、女がソープに送られる描写は「コンプラ違反」て、えらく偏ったコンプラだよなぁ
思うに騒がなければ認知は広がらない訳で何故、アングラ的な作品を、例えるなら石の下にいるダンゴムシを掘り起こして汚い!って騒ぎ出すのかが分からん。
そりゃウシジマくんはウシジマくんが主役だから相手は毎回変わるけど、その中にある「〇〇くんみたい」といった揶揄発言はそれなりに見かけた記憶がある。あと、取材してるからってのも、言って限界あるしなあ。
アングラ漫画なんかいくらでもある中で、中途半端にターゲット層が広がってエンタメの文脈以外で捉える人にまで届いちゃったことが違いでしょう。ウシジマくんをエンタメ以外の文脈で解釈するひと居なさそうだし
免罪符が足りないからみい山は罪ってのは乱暴な論理だ。
ウシジマ君に比べてみい山は距離感が近い。みいちゃんの方じゃなくても、その周りで食い物にしたり無視したりしている登場人物は自分に近いところにいると考えるとなんとも言えない味わいの悪さがある。
ウシジマくんも見せ物。あのタイトルのフォントが「見せ物・笑」を表してる。だれも「社会的意義」とか語ってなかった点がよかった/ヤンキーが「地獄絵図」のかわりによく読んでる漫画。
ゾーニングじゃないかな。ウシジマは青年誌でリアルなタッチで読者を選んでいて、みい山は可愛い絵柄で大衆受けをねらってる。露悪さはたいして変わらないと思う
「歪んでいても意思がある。自分の人生の主語が自分にある。みいちゃんにはそれがない」へー、みいちゃんという知的障害者には意思も主語もないんだ。
みいやまは絵がキャラっぽすぎてネタにしたりイジる形で消費することにフランクになれるよね。うしじまくんは漫画好きじゃないと原作は読まないんじゃないか。映画はAKBゴリ押しで残念という記憶しかない
なるほど。だいたい一緒ですね。
債務者は自分で金を借りてるからというけど、そういう人達の中には認知機能に課題を抱える人が少なくないのではって問題提起が広がる流れの中で「みい山」が出てきたんだと思う。それが差別に繋がるかは別検討として
ちょっと何言ってるかわからない
物語の中身に差はなくて、絵柄と売り方の問題だと思ってる。
みい山で考えることなんてないだろ。ただのポルノなんだから。ウシジマくんはテレビドラマくらいの強度はあるんじゃないの
どっちもただの娯楽作品。ウシジマくんを「真実」と捉える人間は笑われる、いわんやみい山。愚か者の愚かな末路なんて昔ばなしでもおとぎ話でもある、でも漫画はあまりやらん。話が続かないから。短編ならよくある事
なんか色んな界隈の人達がいっちょかみしてる印象しか無いなぁ
俺は距離感を感じるかな。ウシジマくんは別世界だが、みい山は近くにある気まずさを感じる。似た世界だけどフォーカスの仕方が異なるんだと思う。その近くのきまずさをインスタントに消費してるようで気持ち悪い
別に『みいちゃんと山田さん』を全否定する必要は無いんだよ。アニメ化するには色々足りてないんじゃない? というだけで。なんならブラッシュアップで名作アニメになる可能性だってある。
確かにその2作は違うし「みいちゃん」の方が偏見を生むリスクが高いが、この文の主張には全て不同意。これだと「知障の女が題材だと可哀想に感じるが他の題材だと感じられない」を正当化する屁理屈に見える。
みい山とウシジマくんの比較|肉欲 肉欲企画
「構造」を問題にするとテック右派とかMAGAの連中はWOKE的として忌み嫌うんだけど、みい山の件でウシジマくんを引き合いに出すネット民も「構造」を見ずに表層だけしか見えてない感じ。
なる。わかりやすい
ウシジマくんとの構造の違いを言語化してて納得感ある。見世物消費の危うさだな
ウシジマくんでも次作の九条の大罪でも、現実と乖離しているという評価は一定ある。取材はあくまで取材であり、しっかりやったからといって特定の領域を完全にリアルに描ける訳ではない。その意味では大差ないのでは
図書館にゴルゴ13の公式解説本があって、それが初めて見た漫画のエロシーンだった。ウシジマくんはゴルゴの系譜につながる劇画作品だけれど、図書館に収まっているのを見たことがない。みい山も言わずもなが。
みい山も歌舞伎町だけの出来事として変わった子が転落を描いたら同じかも(人気にはならなそう)
つうか、スルメロックに毛が生えたような激浅マンガがよくもここまで話題を攫ったもんだよなw
みい山とちいかわの比較だとどうだろうか
"みいちゃんにはそれがない。搾取されているという認識自体が成立しない人間だ。自分が何をされているか分からないまま利用されて壊されて殺される。これは構造を巧みにすれば解決する問題か?しねえだろ"
規制しろと言い出さないなら特に異論はない。悪趣味で反道徳的な表現すらも、それが加害とまで言えないなら表現自体は守られる。そうしたスタンスを保つことでしか、マイノリティの表現の自由を守ることはできない
別コメでも書いたけど、ウシジマくんなどは何も言い訳してないんよ。だから「そういう作品」として受け入れられた。ウシジマくんを善悪の屑(外道の歌)に入れ替えても通用する。
「みいちゃんは歌舞伎町にいて借金の描写がない。窃盗はやる、売春もやる、立ちんぼもやる。なのに金貸しだけは出てこない。金を貸す側の論理が入った瞬間に社会の構造が見えちまうからな。」
そもそもウシジマくんのドラマ化の時は、女はソープに沈められるという描写そのものが流石にコンプラ考慮して削られたので、これはそのままブーメランとしてみい山批判に帰ってくる。
id:y-mat2006 「表現者にも責任はある」のであれば、日本のリベラル様は、自分たちの「憲法を守ろう」という表現・言論によって発生した「自衛官への差別」に責任取るのか? https://note.com/nathankirinoha/n/nb964d55aa8f0
俺はウシジマくんも社会の底辺を見世物にしてると感じたけどな
なんでいかんのか、全然わからないわ。
みいちゃんが障害者で責任能力ないからダメって言うんならウシジマが金貸してるパチンカス老人たちはダメじゃないのか?そもそも知的障害のキャラは九条の大罪に出てたよな?見たいとこだけ見て話してるだろこの人
ウシジマは因果応報で丑嶋最後殺されてるやろ擁護者はどうせ実写しか見てないんだろうけど。擁護者はAとAを比較するならまだわかるが構造が違うABを比較するのは違うぞと言うかマンガワン騒動で差し替えられてるぞ
表自論争名物「表自云々じゃなくてレピュテーションリスクと商売の問題なんよ」になりつつありこの話題もそろそろ終わりか、と感じている。みなさんお元気ですか。
例の編集が言ったみいちゃんには堕ちる才能があるという言葉の残酷さは、生まれ持った特性による 周囲からの搾取や悪意に抗う能力や意思の無さ、どうしようもない主体性の無さを才能扱いしている事なんだよな。
ウシジマ君は社会の底辺の博覧会であって、だからこそ見たいという需要もあるし見せる意義があると思うけどなあ。それに社会のために描いてるわけでもないと思うよ。
「状況を理解する能力を持たない人間〜の破滅を商品にして売ってるんだから。売り方の問題」社会悪によって破滅させられる姿は、健常者なら許されて、障がいや境界知能の人では許されないのだろか
(文句を言われる人は)大変だなぁ,と言う以上の感想が出てこない.. お疲れ様です。
むしろヤニねこがセーフな理由と比較してみてくれ(更なる混沌
何巻もかけてやることではねえな〜と読みながら思ったな。
みい山は小山田圭吾と比べた方がいいと思う・・
ウシジマくんを視界に入れずに生きてきたので助かる。あれ苦手、平成特有の偏見の強さとご都合主義がきつい/違いは「時代」「主人公か」もデカいと思う。「金貸しvs偏見」にしてるでしょ、みいは「読者vs偏見」なの
うーん、変わらなくね?
みい山まだ半分までしか読んでないけど、ウシジマくんと同じで良い注意喚起になってると思う「こうはなるなよ」って感じで。もちろんどちらもそれで稼いでる(本の売上)のは間違いないけど。Win-Winなんじゃね。
ウシジマくんにも所謂底辺の見世物要素はあったというか、初期は大差ないレベルだと思う。宇津井君辺りから意図的に路線を変更してる/倫理面での判断ではなく見世物だけでは長く(全46巻)続かんという商業的判断だろう
「(みいちゃんは)搾取されてる自覚がない。これは構造を巧みにすれば解決する問題か?」←解決しようと様々な人(新宿区議とか)が動いているでしょうが。解決してない?闇金問題だって解決してないでしょ
『初恋ざらり』との比較ってだれかやってる?
こいつらは、とにかく何としてでも自分の感情を正当化して、嫌いな物を「差別」の枠に押し込めるために屁理屈こねるんだよ。でも馬鹿だから、「アンフェ」とかジャーゴンを疑問なく放ち差別心を隠す事すらできないの
なんか大して意味がない場所に線を引いて『ほら違いがある』と言ってるように見えるなあ。違いがある事と、映像化が非難されるべき事かの間には相当な距離があると思うが。
実写見てないからよく分からないけど、ウシジマくんが忠実にアニメ化されて地上波で流れたらしっかり炎上するのではw
ウシジマくんは因果応報についてかなり真面目に取り組んだ結果の長期連載だとは思う。みい山はそれに見せかけた何かを描いてて、そこに因果応報を見出して良いのか?を問いかけてる構造に結果的になってる漫画と思う
同じに見える奴にはメガネかけろとしか言いようがないしそれでメガネの定義とかけない理由を語りだしたら自己紹介はカウンセリングに行けとしか言えないわな 目のかわりにいろんな比較をしろとねだられるだけだぞ
“みいちゃんはミームになった。一人だからだ。名前と顔と特徴的な言動が一人に集約されていて、そして殴り返さない。安全だから笑える。反撃が来ないから消費できる。”
ウシジマは知らなかったけど、みい山は目につくからやめてほしいって言えばいいのに。
ある意味、みいちゃんは”女”の結晶体やね、純度100%の。マンガで見るのもいやですか?
「みいちゃんという一枚のフィルターを通して」まずここの理解が自分と違うなあ。「みいちゃんと山田さん」は大部分が山田さんのフィルターを通して語られており、時おりみいちゃんの視点や作者の神の視点が入る。
日本人は見たくないものに蓋をするの大好きだよな。ウシジマくんを見て嫌な気分になったとしたらそれで抑止力になってる。事実を知らんから強盗とかに引き込まれるんだろ。それが現実。
“ウシジマくんが出て気づいたんだが、歌舞伎町にいて借金の描写がない。あの街にいて金貸しと無縁ってのも不自然な話だが、まあ描いたら物語の交通整理が面倒になるんだろう。”
多分、ウシジマくんの方が優れてる。ただ、教祖女とか「エンタメ」だし、「理屈と膏薬はどこにでも付く」中で、分析と詭弁とを区別できるほど俺らは賢くないので、明確に線引きできる、というと無理を感じてしまう。
別の視点なんだけど、ミームになりつつある呼称が現実に実在する子供の名前やニックネームなんだよね。 同じ名前の子が学校や地域で生活してるんだよ。 蔑称が人の名前の時点で完全に一線を超えてるんだわ。
宇津井くんとか一話の女も若干ミーム化しかけて「…やめとこっか」となった印象はある。その奥にあるリアルにひるむ感じ。そこは真鍋先生の取材と筆力のたまもの。
ウシジマくんも善悪の屑も社会の最悪の部分を覗き見る悪趣味漫画ではあるけど登場人物の苦悩とか自分がその理不尽に巻き込まれる可能性とかを想像できるところとかあるよね。みい山は未見だけどそのへんどうだろう?
みい山は実体験で友人がモデルだと自ら明かしてしまい、更に過去名義でスカウトと関与疑惑&夜職プロパガンダ漫画執筆疑惑が。1000人取材したというウシジマ作者と立場が違う https://mainichi.jp/articles/20250221/k00/00m/040/165000c
ウシジマ君を描いた真鍋氏は、自分が露悪的な作品を描いてると自覚して作品を作ってる。この差はデカいよ。
こうだからみぃちゃんはダメ、と簡単に言い切れる事はないと思う/ 個人的には見た人が自己責任(または親が悪い)だと思いそうなところは嫌だなと思う
ウシジマくんとの最大の違いは「絵柄」だと思うけどなあ。みい山はエッセイ漫画風の絵柄だから、かえってウシジマくんよりリアルに受け止められた。もしウシジマくんみたいな作画だったら問題になってないと思う。
最後のミームのくだりはちょっと筆が滑ったかな。読み手の個人的経験で反例を出せてしまうので削除した方が論が強くなりそう。たとえば最近もネトフリ版九条の大罪で曽我部くんが話題になったりしたね
肉欲企画って文字列から、ナニワ金融道の話もあるんですか、と思ったら無かった
作者の過去名義がガチの反社の女衒と繋がりがあったってのは何処まで本当なんだろう…倫理的な話よりもそっちの方がアウトなんじゃないのか。本当だとすればだが
キャラが入れ替わるからいい、ミームになるからダメとかそれはなんの話をしているんだかわからんて
“みいちゃんはミームになった。一人だからだ。名前と顔と特徴的な言動が一人に集約されていて、そして殴り返さない。安全だから笑える。反撃が来ないから消費できる”
そんな大層な差があるか?/フィルタはみいちゃんやなくて山田さんやろ
ウシジマくんは、特定の弱者ではなくて様々な弱者、様々な人間を描いている。
ミームにしたり馬鹿にして笑いを取るような部分に境界線があるのでは
どんな理由や理屈をつけたところで、結局は好きか嫌いかでしかないのだけどね。
なるほどー。と思ったけども、アングラなもんを見たいだけの読者も多分けっこういてて、そういう差異を気にしない人も多いと思うな
上位ブコメ「女はソープに沈められるという描写そのものが流石にコンプラ考慮し削られた」←男がタコ部屋に送られる描写は問題なくて、女がソープに送られる描写は「コンプラ違反」て、えらく偏ったコンプラだよなぁ
思うに騒がなければ認知は広がらない訳で何故、アングラ的な作品を、例えるなら石の下にいるダンゴムシを掘り起こして汚い!って騒ぎ出すのかが分からん。
そりゃウシジマくんはウシジマくんが主役だから相手は毎回変わるけど、その中にある「〇〇くんみたい」といった揶揄発言はそれなりに見かけた記憶がある。あと、取材してるからってのも、言って限界あるしなあ。
アングラ漫画なんかいくらでもある中で、中途半端にターゲット層が広がってエンタメの文脈以外で捉える人にまで届いちゃったことが違いでしょう。ウシジマくんをエンタメ以外の文脈で解釈するひと居なさそうだし
免罪符が足りないからみい山は罪ってのは乱暴な論理だ。
ウシジマ君に比べてみい山は距離感が近い。みいちゃんの方じゃなくても、その周りで食い物にしたり無視したりしている登場人物は自分に近いところにいると考えるとなんとも言えない味わいの悪さがある。
ウシジマくんも見せ物。あのタイトルのフォントが「見せ物・笑」を表してる。だれも「社会的意義」とか語ってなかった点がよかった/ヤンキーが「地獄絵図」のかわりによく読んでる漫画。
ゾーニングじゃないかな。ウシジマは青年誌でリアルなタッチで読者を選んでいて、みい山は可愛い絵柄で大衆受けをねらってる。露悪さはたいして変わらないと思う
「歪んでいても意思がある。自分の人生の主語が自分にある。みいちゃんにはそれがない」へー、みいちゃんという知的障害者には意思も主語もないんだ。
みいやまは絵がキャラっぽすぎてネタにしたりイジる形で消費することにフランクになれるよね。うしじまくんは漫画好きじゃないと原作は読まないんじゃないか。映画はAKBゴリ押しで残念という記憶しかない
なるほど。だいたい一緒ですね。
債務者は自分で金を借りてるからというけど、そういう人達の中には認知機能に課題を抱える人が少なくないのではって問題提起が広がる流れの中で「みい山」が出てきたんだと思う。それが差別に繋がるかは別検討として
ちょっと何言ってるかわからない
物語の中身に差はなくて、絵柄と売り方の問題だと思ってる。
みい山で考えることなんてないだろ。ただのポルノなんだから。ウシジマくんはテレビドラマくらいの強度はあるんじゃないの
どっちもただの娯楽作品。ウシジマくんを「真実」と捉える人間は笑われる、いわんやみい山。愚か者の愚かな末路なんて昔ばなしでもおとぎ話でもある、でも漫画はあまりやらん。話が続かないから。短編ならよくある事
なんか色んな界隈の人達がいっちょかみしてる印象しか無いなぁ
俺は距離感を感じるかな。ウシジマくんは別世界だが、みい山は近くにある気まずさを感じる。似た世界だけどフォーカスの仕方が異なるんだと思う。その近くのきまずさをインスタントに消費してるようで気持ち悪い
別に『みいちゃんと山田さん』を全否定する必要は無いんだよ。アニメ化するには色々足りてないんじゃない? というだけで。なんならブラッシュアップで名作アニメになる可能性だってある。
確かにその2作は違うし「みいちゃん」の方が偏見を生むリスクが高いが、この文の主張には全て不同意。これだと「知障の女が題材だと可哀想に感じるが他の題材だと感じられない」を正当化する屁理屈に見える。