“できないことを残酷だと感じてしまうのは大人の主観であって、下手でも機嫌よく続けられる気質の差も本人にとっては大事だと思いますけどね”
最初からできる子は長続きしない、できない子ができるようになっていくことのほうが大事って昔言われたっけな。才能は大きく影響するけど長く続けたほうがちゃんと伸びていくというのはあるんだよなあ
知能の差の方が残酷やろ、って思ったらちゃんと言及されてた。運動能力はごく限られたトップ中のトップ中しか稼ぎに影響しないが、知能の方はグラデーションで大抵の労働に効いてくるからな。
健康な肉体づくりを目的にしてたら他と比べる必要もない。当人がそれとは違う結果を求めているのならまだしもね。
最近はこういう論調を多く見る気がするが、そう考えると昔の方が個性重視だったね。個性に対して能力という基準を無意味にあてがっているだけのように感じることが多い。
現代において運動神経が良いことがスポーツ選手などのごく一部の職業以外では大したアドバンテージにならないように、AI社会では知力についてもごく一部の研究者やエンジニア以外には重要でないものになるのかな。
ドンくさい奴は事故・ケガで命に直結するから、身体能力底上げする意味でも親が子の特性を把握する意味でも運動させてみるのは大事だよね。
できないことをできるようにするのが教育なのだが、日本の体育ってその観点がないように思う
スポーツ分野でエリートを志すのは悪手だからやめておけ。
“同じようにい実感しているご家庭” タイプミスに気づくかどうかも持って生まれた能力なのだろうか
子どもたちが体操教室に通っているが、持って生まれた身体能力と運動神経の差は本当に残酷だと感じる「幼児期から明らかに違うもんな」→共感の声が続々…やはり才能なのか
“できないことを残酷だと感じてしまうのは大人の主観であって、下手でも機嫌よく続けられる気質の差も本人にとっては大事だと思いますけどね”
最初からできる子は長続きしない、できない子ができるようになっていくことのほうが大事って昔言われたっけな。才能は大きく影響するけど長く続けたほうがちゃんと伸びていくというのはあるんだよなあ
知能の差の方が残酷やろ、って思ったらちゃんと言及されてた。運動能力はごく限られたトップ中のトップ中しか稼ぎに影響しないが、知能の方はグラデーションで大抵の労働に効いてくるからな。
健康な肉体づくりを目的にしてたら他と比べる必要もない。当人がそれとは違う結果を求めているのならまだしもね。
最近はこういう論調を多く見る気がするが、そう考えると昔の方が個性重視だったね。個性に対して能力という基準を無意味にあてがっているだけのように感じることが多い。
現代において運動神経が良いことがスポーツ選手などのごく一部の職業以外では大したアドバンテージにならないように、AI社会では知力についてもごく一部の研究者やエンジニア以外には重要でないものになるのかな。
ドンくさい奴は事故・ケガで命に直結するから、身体能力底上げする意味でも親が子の特性を把握する意味でも運動させてみるのは大事だよね。
できないことをできるようにするのが教育なのだが、日本の体育ってその観点がないように思う
スポーツ分野でエリートを志すのは悪手だからやめておけ。
“同じようにい実感しているご家庭” タイプミスに気づくかどうかも持って生まれた能力なのだろうか