梅仕事、都会のお金持ち(やお金持ち希望者)がやったら自由趣味で卓越性のディスプレイになるけど、田舎の庶民がやったら必要趣味でぜんぜんそんなことはありません。ブルデュー的に、意味がまったく違ってきます
高級梅干しが手土産で喜ばれるんですね。丁寧な暮らしをしたいけど時間が無い都会人にぴったりな土産物になるんですわ
ていねいな暮らしというのは手段を目的化した営みということなのかな 一方で目的を達成するための合理的な活動だとていねいというよりは生活になる そう考えると、家政婦を雇わず自分で家事をする富裕層はすでに丁寧
AIにやらせらば5分でできてしまうプログラムをわざわざ手で書く貴族趣味もそのうち生まれるか。もうあるかな。
民芸品評価批判にもつながる話で、個人的にはとても好きだし身近なものでありながら、都会生まれのために、その部分に自覚的であろうとしないと、いいものだと受け取るだけになりやすいものだと自制的に思っている。
ワグナス!! 評議会は我らの術を異端術法と決定したぞ!
梅の木が生えていない団地住まいのブルーカラー家庭が買ってきた梅で梅干し仕込むのはどう考えれば良いのか。俺も1kg500円の梅で梅シロップを大量に仕込んだけど、全然丁寧な暮らしじゃない
とはいえ家で仕込むのは味のレイヤーが好みも含めてダンチではある。味噌とか天地ほど違う
本筋とも意図ともまったく関係ないけど、塩分18%のでかくて高いのが好きな梅干し狂なので、ほんとに美味しい梅干しは梅干し専門店で買う。どでかくて皮薄くて実がたっぷりの南高梅塩漬け以外ありえない。
やはりどことなく田舎=貧乏みたいな括りを感じる
元暴れ小川の扇状地だったこの一帯のスーパーで紀州産南高梅の頒布会があるので、80年代終盤を経て一旦は都市なら地方も水準上がったんだろう。なお戦前のブルジョワはこんなことしないで茶室で鄙趣味気取ってたろう
みりんに(後略)
記事は無関係に売ってる梅干しは「梅漬け」だったり「甘い」ってのがあって、「売ってる梅」で塩っぱい梅干し作ってる。/ベーコンも本当に燻してるのはなかなか売ってない。
ネットもない昭和田舎と90年代から2000年代の都会との比較にみえる。ネット普及からインフレやインバウンド等で、従来の都会らしさという記号への憧れは崩れている。余裕がある人は二拠点で差別化しているのでは
田舎は貧乏で梅漬けてるんだな。豊かだからだと思ってたわ。庭に梅の木があって梅がとれちゃって仕方ないから漬けとくかという時間もなくはないのは豊かさではないのか
必要「趣味」じゃない、単なる家事労働。父親が山菜採りしたらその始末は母親の仕事だったので、母はずっと愚痴文句行ってた(共働き)。 私も嫌々ながらたまに手伝ってた。
自由趣味と必要趣味の間もグラデーションよね。金持ちは世帯人数が多いから作った方が割安だったりも。うちのベランダバジルシソもほぼほぼ放置で育つ割に香りが段違い。趣味枠で語るより文化資本の方が納得感ある
前からこんなに社会学の話する人だっけ?
毎年律儀に実ってくれる梅を粗末にしたくない気持ちも大きいと思う。/梅干し漬けたりパンを焼いたり、編みものや刺繍をしたり、純粋な手仕事の愉しさが「丁寧」の根底にあるんじゃないかなぁ?階級論に傾きすぎでは
文化資本/「丁寧な暮らし」の最もスノッブな(鼻持ちならない)部分は、それが「素朴でお金のかからない生活」を装いながら、実際には膨大な「経済資本」と「時間資本」を前提としている点を隠蔽していること
私がしばしば主張する「個人主義ユートピア」( https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2023/12/23/044701 )は、まさしくここでいう「自由趣味」だけやってけばいい生活がすべての人々に開かれた社会状態のことをいっています。
田舎と都会の間がまるっきりすっぽ抜けてないか
今年は庭の梅が全くならなかった。
港区にも都営住宅は結構ありますよ。一方で成城石井はあまりないとおもう
そこそこ豊かに暮らしている上京民が実家/親族から送られてくる梅で行う梅仕事はどこに入りますか
実家も田舎だけど、近所付き合いで梅くれる人がいて、しゃーないから梅シロップ作ったりしてる、みたいな感じだったな
「梅仕事」という言葉がなんか鼻につくな。最近テレビでも流れてたけど。丁寧な暮らしは勝手にやってくれていいし、田舎での梅干し作りも勝手にやってくれていい。よかれと思っておすそ分けとかされると戸惑うかも
長年にわたり家族が裏庭にある梅の実で、塩分控えめ+酸っぱい梅干しを作ってた。しかし家族も梅の木も年老いた上に自分も忙しく、我が家の梅仕事は潰えてしまいそう/これが自由趣味か必要趣味かはわからない。
道楽や運動でやる趣味の畑仕事はマイペースにやれて楽しいけど、生計を立てるレベルになると途端に莫大な設備投資が必要になる上に運動強度も上がるからなあ。
欧州や米国の金持ちのワイナリー所有みたいな話に繋がってる世界に思う
何やねん梅仕事って。田舎者だけど、梅酒も梅干しもどうでもいいよ。趣味なんてどれも他人からすると意味ないんだよ。多分昔からそうでしょう? 梅が本題でないことはわかってる。
違うよ。ウサギ小屋で鎖自慢するための必要趣味。その必要趣味は肩肘張るために必要な俗物。孫が喜ぶから祖母が作る蜂蜜漬けは嗜好品作りで自由趣味。梅干し作りは無駄な出費を削る家事だから趣味ではない。
まあ俺の要件定義は自由趣味だしな
長々書いてるけど要は「旦那の手習い」でしょう。江戸時代の商家の旦那や隠居が芸事や芸術で無聊を慰めてたアレ。カントとかブルデューとかなんか衒学的な印象を受ける文章だ。
Brutusとかに出てくるのって世田谷区ではなく地方都市の落ち着いた家だったりするけどね。それこそ喧騒とは無縁の丁寧な暮らし。
(関係ないけど、フランスのインテリの文章ひでーな)
自分のことは自分でやる「修身」、丁寧な暮らしは人間性でのマウントの話だと思っていたのだがブルデューは日本人ではないので修身ではなく趣味、階級や格差の話になるのか。
自分で漬けた梅干しがいちばん好きだ。ふんわり感とかないけどさー。だから漬けてる。
三越とイオンと家で漬けた梅干しを食べ比べたことがあるか。私は三越のは食ったことがないが、スーパーで売ってるやつは自分で漬けたのとは別物だ。自家製の梅干しを食べるのが必要以上の卓越性なの?
ていないな暮らしを提唱する者は都会で梅仕事するようないけ好かない連中だ!ムキーッ!と、勝手に定義して勝手に憤っている奴らキモ過ぎる。気に入らないからと藁人形こしらえることに必死なキモい連中。
ディスタンクシオンを初めて読んだとき、「ああ、この人は右翼なんだな」と思った。実際はバリバリの左翼。そのぐらい抑制の聞いた精巧な分析やったんや。こういうのが学問なんやと、ずいぶんと教えられた気がした
最低賃金の1,023円でも、梅干しを自分で漬けるよりも買ってきた方が経済面で合理的だとおもうが。ただ「ていねいな暮らし」はただの趣味なのは間違いない。
ハリオのガラス容器でつけてたら丁寧な暮らし。古めかしい瓶でつけてたら田舎暮らし。ね、簡単でしょ?
趣味なのか、都会でスレきった心にふるさとを何とか繋ぎ止めるための儀式なのか。
“世田谷区や港区に住んでいるお金持ちの人にとって、6月に梅干しを漬けるのはやってもやらなくても本当は構わないことです”差別的な見解だな。幼少期からずっとやってる人もいるかもしれない。漬物だってそう
作り置きの料理を小分けにして冷凍パックするのが私の必要趣味だよ。全然やせないけど運動やめたらすぐ太るのでジムに行くのも必要趣味だよ。必要じゃない趣味…少ないな
低レイヤーな暮らし/休日にお金払って芋掘り体験するのも🍠
「ディスタンクシオン」は超面白かったが、文章が難しいというより不親切で難儀した。ブルデュー曰く「平易にすると(当時は)ナメられるから敢えて」らしく、読む際は解説本などで先に論旨を把握する方が楽かと思う。
“世田谷区に住むお金持ちがやったら卓越性ディスプレイ”世田谷の金持ちの中にはそこそこ「元農家金持ち」がいて日常の営為として梅干しつけたり筍取ったりしてる。もう少しステレオタイプの解像度上げた方が
「梅干しが必要なだけなら、イオンやまいばすけっとに行って来れば済む」これ燻製、麺、パン、果ては菓子の手作り等も該当しちゃうけど「自由趣味」でやってると全員プチブルになるの? プチブルの範囲広すぎない?
「梅仕事」という何か風流な響きの言葉はコロナ禍の頃にながら観していたNHK『やまと尼寺精進日記』という奈良・音羽山観音寺の「丁寧な暮らし」映像を流す番組で初めて知った。
たとえばバルミューダのジャンクレンジをわざわざ買ってきて修理して使うのは自由趣味なのか必要趣味なのか。そんなの考えるだけ無駄じゃねーかな。区分する「必要」がない
「あいつらの梅仕事は自由趣味、おれらの梅仕事は必要趣味」 - シロクマの屑籠
梅仕事、都会のお金持ち(やお金持ち希望者)がやったら自由趣味で卓越性のディスプレイになるけど、田舎の庶民がやったら必要趣味でぜんぜんそんなことはありません。ブルデュー的に、意味がまったく違ってきます
高級梅干しが手土産で喜ばれるんですね。丁寧な暮らしをしたいけど時間が無い都会人にぴったりな土産物になるんですわ
ていねいな暮らしというのは手段を目的化した営みということなのかな 一方で目的を達成するための合理的な活動だとていねいというよりは生活になる そう考えると、家政婦を雇わず自分で家事をする富裕層はすでに丁寧
AIにやらせらば5分でできてしまうプログラムをわざわざ手で書く貴族趣味もそのうち生まれるか。もうあるかな。
民芸品評価批判にもつながる話で、個人的にはとても好きだし身近なものでありながら、都会生まれのために、その部分に自覚的であろうとしないと、いいものだと受け取るだけになりやすいものだと自制的に思っている。
ワグナス!! 評議会は我らの術を異端術法と決定したぞ!
梅の木が生えていない団地住まいのブルーカラー家庭が買ってきた梅で梅干し仕込むのはどう考えれば良いのか。俺も1kg500円の梅で梅シロップを大量に仕込んだけど、全然丁寧な暮らしじゃない
とはいえ家で仕込むのは味のレイヤーが好みも含めてダンチではある。味噌とか天地ほど違う
本筋とも意図ともまったく関係ないけど、塩分18%のでかくて高いのが好きな梅干し狂なので、ほんとに美味しい梅干しは梅干し専門店で買う。どでかくて皮薄くて実がたっぷりの南高梅塩漬け以外ありえない。
やはりどことなく田舎=貧乏みたいな括りを感じる
元暴れ小川の扇状地だったこの一帯のスーパーで紀州産南高梅の頒布会があるので、80年代終盤を経て一旦は都市なら地方も水準上がったんだろう。なお戦前のブルジョワはこんなことしないで茶室で鄙趣味気取ってたろう
みりんに(後略)
記事は無関係に売ってる梅干しは「梅漬け」だったり「甘い」ってのがあって、「売ってる梅」で塩っぱい梅干し作ってる。/ベーコンも本当に燻してるのはなかなか売ってない。
ネットもない昭和田舎と90年代から2000年代の都会との比較にみえる。ネット普及からインフレやインバウンド等で、従来の都会らしさという記号への憧れは崩れている。余裕がある人は二拠点で差別化しているのでは
田舎は貧乏で梅漬けてるんだな。豊かだからだと思ってたわ。庭に梅の木があって梅がとれちゃって仕方ないから漬けとくかという時間もなくはないのは豊かさではないのか
必要「趣味」じゃない、単なる家事労働。父親が山菜採りしたらその始末は母親の仕事だったので、母はずっと愚痴文句行ってた(共働き)。 私も嫌々ながらたまに手伝ってた。
自由趣味と必要趣味の間もグラデーションよね。金持ちは世帯人数が多いから作った方が割安だったりも。うちのベランダバジルシソもほぼほぼ放置で育つ割に香りが段違い。趣味枠で語るより文化資本の方が納得感ある
前からこんなに社会学の話する人だっけ?
毎年律儀に実ってくれる梅を粗末にしたくない気持ちも大きいと思う。/梅干し漬けたりパンを焼いたり、編みものや刺繍をしたり、純粋な手仕事の愉しさが「丁寧」の根底にあるんじゃないかなぁ?階級論に傾きすぎでは
文化資本/「丁寧な暮らし」の最もスノッブな(鼻持ちならない)部分は、それが「素朴でお金のかからない生活」を装いながら、実際には膨大な「経済資本」と「時間資本」を前提としている点を隠蔽していること
私がしばしば主張する「個人主義ユートピア」( https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2023/12/23/044701 )は、まさしくここでいう「自由趣味」だけやってけばいい生活がすべての人々に開かれた社会状態のことをいっています。
田舎と都会の間がまるっきりすっぽ抜けてないか
今年は庭の梅が全くならなかった。
港区にも都営住宅は結構ありますよ。一方で成城石井はあまりないとおもう
そこそこ豊かに暮らしている上京民が実家/親族から送られてくる梅で行う梅仕事はどこに入りますか
実家も田舎だけど、近所付き合いで梅くれる人がいて、しゃーないから梅シロップ作ったりしてる、みたいな感じだったな
「梅仕事」という言葉がなんか鼻につくな。最近テレビでも流れてたけど。丁寧な暮らしは勝手にやってくれていいし、田舎での梅干し作りも勝手にやってくれていい。よかれと思っておすそ分けとかされると戸惑うかも
長年にわたり家族が裏庭にある梅の実で、塩分控えめ+酸っぱい梅干しを作ってた。しかし家族も梅の木も年老いた上に自分も忙しく、我が家の梅仕事は潰えてしまいそう/これが自由趣味か必要趣味かはわからない。
道楽や運動でやる趣味の畑仕事はマイペースにやれて楽しいけど、生計を立てるレベルになると途端に莫大な設備投資が必要になる上に運動強度も上がるからなあ。
欧州や米国の金持ちのワイナリー所有みたいな話に繋がってる世界に思う
何やねん梅仕事って。田舎者だけど、梅酒も梅干しもどうでもいいよ。趣味なんてどれも他人からすると意味ないんだよ。多分昔からそうでしょう? 梅が本題でないことはわかってる。
違うよ。ウサギ小屋で鎖自慢するための必要趣味。その必要趣味は肩肘張るために必要な俗物。孫が喜ぶから祖母が作る蜂蜜漬けは嗜好品作りで自由趣味。梅干し作りは無駄な出費を削る家事だから趣味ではない。
まあ俺の要件定義は自由趣味だしな
長々書いてるけど要は「旦那の手習い」でしょう。江戸時代の商家の旦那や隠居が芸事や芸術で無聊を慰めてたアレ。カントとかブルデューとかなんか衒学的な印象を受ける文章だ。
Brutusとかに出てくるのって世田谷区ではなく地方都市の落ち着いた家だったりするけどね。それこそ喧騒とは無縁の丁寧な暮らし。
(関係ないけど、フランスのインテリの文章ひでーな)
自分のことは自分でやる「修身」、丁寧な暮らしは人間性でのマウントの話だと思っていたのだがブルデューは日本人ではないので修身ではなく趣味、階級や格差の話になるのか。
自分で漬けた梅干しがいちばん好きだ。ふんわり感とかないけどさー。だから漬けてる。
三越とイオンと家で漬けた梅干しを食べ比べたことがあるか。私は三越のは食ったことがないが、スーパーで売ってるやつは自分で漬けたのとは別物だ。自家製の梅干しを食べるのが必要以上の卓越性なの?
ていないな暮らしを提唱する者は都会で梅仕事するようないけ好かない連中だ!ムキーッ!と、勝手に定義して勝手に憤っている奴らキモ過ぎる。気に入らないからと藁人形こしらえることに必死なキモい連中。
ディスタンクシオンを初めて読んだとき、「ああ、この人は右翼なんだな」と思った。実際はバリバリの左翼。そのぐらい抑制の聞いた精巧な分析やったんや。こういうのが学問なんやと、ずいぶんと教えられた気がした
最低賃金の1,023円でも、梅干しを自分で漬けるよりも買ってきた方が経済面で合理的だとおもうが。ただ「ていねいな暮らし」はただの趣味なのは間違いない。
ハリオのガラス容器でつけてたら丁寧な暮らし。古めかしい瓶でつけてたら田舎暮らし。ね、簡単でしょ?
趣味なのか、都会でスレきった心にふるさとを何とか繋ぎ止めるための儀式なのか。
“世田谷区や港区に住んでいるお金持ちの人にとって、6月に梅干しを漬けるのはやってもやらなくても本当は構わないことです”差別的な見解だな。幼少期からずっとやってる人もいるかもしれない。漬物だってそう
作り置きの料理を小分けにして冷凍パックするのが私の必要趣味だよ。全然やせないけど運動やめたらすぐ太るのでジムに行くのも必要趣味だよ。必要じゃない趣味…少ないな
低レイヤーな暮らし/休日にお金払って芋掘り体験するのも🍠
「ディスタンクシオン」は超面白かったが、文章が難しいというより不親切で難儀した。ブルデュー曰く「平易にすると(当時は)ナメられるから敢えて」らしく、読む際は解説本などで先に論旨を把握する方が楽かと思う。
“世田谷区に住むお金持ちがやったら卓越性ディスプレイ”世田谷の金持ちの中にはそこそこ「元農家金持ち」がいて日常の営為として梅干しつけたり筍取ったりしてる。もう少しステレオタイプの解像度上げた方が
「梅干しが必要なだけなら、イオンやまいばすけっとに行って来れば済む」これ燻製、麺、パン、果ては菓子の手作り等も該当しちゃうけど「自由趣味」でやってると全員プチブルになるの? プチブルの範囲広すぎない?
「梅仕事」という何か風流な響きの言葉はコロナ禍の頃にながら観していたNHK『やまと尼寺精進日記』という奈良・音羽山観音寺の「丁寧な暮らし」映像を流す番組で初めて知った。
たとえばバルミューダのジャンクレンジをわざわざ買ってきて修理して使うのは自由趣味なのか必要趣味なのか。そんなの考えるだけ無駄じゃねーかな。区分する「必要」がない