ウメハラも「ゲームに飽きた」という感情は、ゲーム自体ではなく「成長しない自分」に飽きているだけだと言っていたな
すぐってどれくらいなんだろう
シロクマ先生が好きそうな話題。
趣味に飽きたことない。新しい楽しそうなものを見つけてそれに時間を多く使うようになったせいで泣く泣く切ったものが大半。時間が無限なら今まで通った趣味全部やりたい。仕事は辞めたい。
ですますのところが著者が書いた特に主張したいところで、前半のですますじゃないところがAIに下書きしてもらった所っぽい
趣味が長続きすることと依存とはどう違うんかな。
ある趣味に飽きる飽きないというより、飽きない何かを趣味と捉えてるなあ。a→b→cと変遷するけど通底する何かの別表現という感じ / 世間的なラベルで縛らず適当に遊べばいいと思う。趣味なんだから
適度に飽きて、適度に戻ってくるくらいの距離感が良いかな。何度だって始めていい。
別に長続きしなければいけない理由も無い。金持ちが云々とかはかなりどうでもいい
一つのことをあまり長続きさせると、他のテーマを開拓する余裕をなくすから、適度に他のものに移るように心がけてる。また何年もしてから再開すると、違う面白さがある
深掘りするから続くのではなく、掘り自体を楽しいと思えるから続く趣味になるじゃないかなぁ。そしてどこが刺さって楽しいと思えるかはそれは人それぞれ。
たいていの趣味は飽きるように設計されているというのはその通りだな。
ワイの場合、無能だからほとんどのことが上手くなるまでに時間がかかる=なかなか飽きないってのがあるなぁ。
"趣味があったのに中年になって急に虚しくなってしまった、というのは、年齢そのものの問題ではなく、それまでの趣味との関わり方の問題" ←これまでの生き方の否定って呪いだよね、後で自分にも返ってくる
500時間やったモンハンもいつしかやらなくなり、新発売のタイトルに移ることも多々ある。熱中とはこのことだとおもった。熱はいづれ冷めるのだ。
なんか凄い広さの総論みたいなこといってないか…
「飽きる人」と「飽きない人」てのが選民的なニュアンスがあって嫌やな。ある趣味に接した時の気分、体調、環境、相性で続くか否かはかわるし、飽きて他に移るのもいいよな
中学生からオバハンのいまにいたるまでずーっと着物が好き。昔はわからなかったけど、昔の着物の柄の謎解きをするのが楽しい。和歌とか平安時代からの物語、雅楽、舞楽etc.日本文化が詰まってるのはすごい
10代に読んだ本を読むとまた別の面白さがあるように、一度離れてもまたやると楽しかったりする。やめても終わりではない
「テニスボールを追いかける犬」のジョブズの話を思い出した。合う合わない、友達、両親など色々と影響はあるのかなぁ。
何を根拠に言ってるのか全然分からなかった
飽きる人はどんな趣味でも飽きなくて、飽きる人はどんな趣味でも飽きるの?俺は飽きない趣味と飽きた趣味があるけど、どっちの分類かな。
趣味にすぐ飽きたことはないな。仕事にはすぐに飽きて苦痛に変わって辞めたくなるけど。
趣味って縦横二方向があり、1つを深堀りし極めてく方向性と、近接するジャンルや関係性に惹かれ横に広げる方向性がある。何事にも縦横があるので両方あるが、横傾向の強い人は「すぐ飽きる人」と思われやすい
ADHD的な趣味の飽きやすさの話じゃなかった
理由は多種多様で根本的なものはない。何かの理由が根本的な1つに由来するというのは早計
趣味が続くかどうかは、コミュニティに繋がっているかどうかが非常に大きいと思う。
異世界系作品を乱読しているけど、ファクトフルネスから知ったサピエンスの認知を確認しながら読んでいる自分がいる。
別にめっちゃ探求心あるわけでもないしクリエイティブでもないが、趣味をいくつか持ってローテーションしてるだけかな。読書、音楽、動画、ゲーム、散歩、サウナぐらいをぐるぐる回してる感じ。
趣味のつもりでやるものは長続きせず現実逃避としてやるものは長続きしている
そうだねえ、割と楽しく生きてるかな。
自分の場合、数年単位で切り替わるかな。 飽きるというよりかは、環境の変化だったり、趣味のハマっている対象が少しづつ変化していて、気づいたら別の趣味になっていたみたいなのが多いかも。
趣味はお金にしないと気が済まない派。まぁ私の場合、趣味を仕事にするってよりも仕事を趣味にすべく生きてる感はある。
他の人がずっと飽きてないかウォッチするのがそもそも無理。
教養趣味的でいやな感じの文章。たとえばおれは長年続いて飽きることのない趣味(競馬やカープ)と、飽きてしまう趣味(自転車とか)が同居しているが、人として根本的にどちらに分類されるというのか?
こういう趣味を持つ事が豊かな人生である、という無意識に生じる圧力が苦手になった。今は生きているだけで十分かな。
「飽きる人」と「飽きない人」の有意な理由を特定できるほどにきちんと調べているとは思えないし、適当に思いついたことを言ってるだけじゃないかな。
皆が趣味に飽きずに同じこと続けてたら新しいものが生まれないから、これでいい
無理なく休憩入れながら細く長く続けるのが趣味と勉強のコツだと思う。色んな意味で自分のリミットを知ること
普通に生活環境だよ、いっぺんこっち側に来い。
趣味に飽きないことと、知識が枝葉で広がっていくことは根本的に別モノだと思うが……。例えば、走ることが趣味で飽きない人とかはコレに当てはまるの?
善し悪しはさて置き、嗜癖制御というかなんというか、ある種の依存なんだと思う(´-`)人に本来備わった形質というか、それがシームレスに移行するか飛ぶかは人や場合による、みたいな
周辺の知識に関心が向くのは多少なりともコンテンツ自体に馴化(飽きとも言う)したからという場合もあるので、あまりピンとこない分析だな。
その都度興味ある事をやってるな〜別の事に熱中して一旦離れてまた戻ってくるとかもザラにある。
自分はこれで生きてると思うが逆に趣味として成立させるのは難しい。歌川広重は好きだが浮世絵は嫌い的なのがあらゆる分野で起きそれが自分の内部では繋がってるが外的には意味不明で公言できる趣味の形にならない
趣味を深堀りしていくと自分しか知らない知見が自分の中にたくさん貯まっていくんだけど、そうした知見や物の見方が構成する世界が趣味が作りだす豊かさではあるよね。SNS等で少しシェアしても基本的には秘すれば花。
趣味って真面目な人でないとできない。情報をチェックしたり、予算を考えたり、練習したり。喜びを報酬とした仕事だし、好きな時に辞めれるのがメリット。
こういうある意味で教養主義というか合理主義な人が例えば美空ひばりとか知るとちょっとした恐慌状態になるんだよな。理解の埒外に天才がいると結構萎えるもの。
“趣味を通して、自分なりの在り方や価値観、美意識を少しずつ形成しているから、飽きるという概念がそもそも起きにくい” 体感的にはわかる。あとは余暇の消費経験値も関係ある /はてブが白米
♫ 新しい 趣味を 始めて辞める それが鶴ちゃん それが鶴ちゃん ♬
『お金がいくらあることよりも、何を面白がれるか、どう面白がれるかのほうがずっと重要』
20年くらい続けてちょっと飽きて来た趣味もある。
長年探求している割にはさっぱり理解してないお方もいるのでなんともいえない
飽きたっていいじゃねえか、消費だっていいじゃねえか、人生は短い。自分が楽しく生きるのに貴賤はないよ。
どっちも良い。
基本的には飽きないものを趣味だと思っている。すぐ飽きるものは、流行に乗るという行為でしょう。|趣味の白米化という小論文だった。まあ頑張れ。
自分はすぐ飽きるタイプだからと、気を落とす必要はない。すぐ飽きる人と、ずっと飽きない人の間には、様々な趣味との関わり方がある。趣味を楽しみたければ、他人の趣味に意見してくる、こういう人から離れること。
なんかわからん捉え方だな、飽きる飽きないはモノによるし価値観の根底というか前提が違いすぎるし言葉遣いも揺れてる
すぐってどれくらい期間を想定してるんだ……
関係ない話。ですます調は読者に語りかけるための文体でそれ以外の文体は自分自身と向き合うための文体という構成だと思う。(私はこうだ。私はこのように考える)→「自問自答からこのように私は主張します」みたいな
飽きるとかじゃなくて続けられるか、みたいな感覚がある
新しい要素をいかに入れ続けるか、だよ。それ以外には何もない、とすら言える
録画して観ずに削除する趣味だけは続いています。
今の趣味は今年で10年目。夫とは趣味のサークルで出会い結婚。片方が一時的にやる気をなくしても、もう片方が一緒にやろ〜って誘うから、途切れず続いてる。夫婦で趣味ライフ楽しい!
飽きる飽きないより人様に迷惑をかけない趣味が大事だと思うな。迷惑鉄オタとか山野草盗掘は悪趣味だ(あ。ダジャレになってしまったw)
それって読書や音楽が趣味と言うより、調べるのが趣味なんじゃないかな。ある本に関する情報を調べまくってて、それに飽きたら次の本に移っているだけだよね。結局、飽きているんだよ。
趣味は続けることが目的ではなく、楽しいから結果的に続いていて、自身で課題を立てるのも楽しむ方法の一つです。楽しくなければ止めてもよいし、その時その時でハマるものが変わっても良いかなと。楽しむのが一番。
内発的欲求が大事だという趣旨だと思うが、それを維持するには外発的欲求に切り替えない事が大事。つまりいいね欲しさにSNSにアップしない。
上手いこといいたとえているように見えるが具体的な事例がほぼ無いのに、〇〇が多い、とか、うわっペリをなぞつているだけの文章で、そのくせやけに文量は多くて、、、AI?
猫じゃらしにじゃれる猫のように、単純に対象にどっぶりハマることも有る。 記事の件は、知的な深化によってハマる一例。賢い系?
本当に生まれてこの方ハマったと言えるものが無くてたまに寂しくなる、が、仕事柄それで得してるのでなんとも
ディアゴスティーニ等の分冊百科の創刊号コレクターという人が昔テレビで紹介されていた。趣味の解釈は無限大だなと思った。
趣味に飽きるほど時間や資本を投下できたことがない
「ずっと飽きない人は、趣味をコンテンツとして消費しておらず、趣味を通して、自分なりの在り方や価値観、美意識を少しずつ形成して~自分の世界の見え方を変えていく入口になって~生活や感覚の一部になっている」
趣味に飽きたことない!って言う人は、飽きたものは趣味と言わないだけでは。
この「飽きない人」をデータベース消費と呼ぶのは、まあ露悪的に過ぎるよな。
結局のところ興味や好奇心がどれだけあるかってことで、それは他者に対してどれだけ敬意を持っているかってとこが根っこだと思う。教養ある人ってだいたいそういう人。
執着心が強いので脱したくてもふとやりたくなる依存症にもなってる。これはこれで辛い
とりま、探究心によって趣味が移り変わる人もいるけど、そもそも何かに強い興味をもたない人は趣味の内容そのものに対しては受動的で内容も消化できてないオモ
趣味の中身によるなぁ。例えば同じアニメを延々と見続けてとかは本当に数本しかないけど聖地巡礼だの背景だのは追うことはない。ゲームも。おそらく飽きない人というのはかつてのマニアと呼ばれる種類の人種だろうね
特性ですよ。
他人が作った情報・コンテンツ・文脈を食って消費してるだけなら、ほんと意味ない。自分の価値観や心の機微をよく分かっていれば、流行り廃りに惑わされず、自分側の生産的な活動になってくのよ。
ずっと同じ趣味続けてる人の方が深いみたいなこと書いてるけどそんなことない。勝間和代を見ろ、めちゃくちゃマニアックだけどものすごく飽きっぽいぞ
村上春樹のユニクロのTシャツ売れてるんかねー。サンドウィッチとかレコード買って聴いてる人そんなにいなさそうやけどなー。
いや人間は慣れるし飽きるよ。延々続けてるのは他に拠り所がないかそれしかメリットがないからだろう。障害的にそうなってる人間もいるだろうが
創作系は自分の中に熱を生み出す機関が働いてる限り何かしら刺激が燃料になって続く感じで消費・鑑賞系は記事にあるようにインプットした物が蓄積されてって自身の中に地図や織物のように展開してく感じと想像
ずっとはてなブックマークという趣味を続けて15年以上の皆さん!
良いまとめでした。全く、その通り、素晴らしいです。
私自身、今まで続かなかった料理に目覚めたり、本も読んだり読まなかったり、状況次第と思いました
骨子はちゃんと書いてあるけどAIに清書させてるなこれ
続けられるのは理解してより楽しくなるから。要するに成長を伴えば飽きないんだよ。消費してるだけじゃ成長はないから飽きる。受動的な趣味でもそこから学ぶことがあれば続く。
続く・続かない人という軸もあるけど、その趣味のロードマップを見通して意識的に中断させる選択ができる・できない人の軸ってあるよね。
むしろ、現代は興味深い面白い物事が多すぎて何を諦めるかみたいな感じだと思うんだけど、そうじゃない人もいるんだろうなあ。
自分は色んなものに手を出すという趣味をしているのだ
何の広がりもなく生産性もないが毎日はてなやXを見てしまうコンテンツ消費型もある意味飽きない趣味では。結局行動の習慣化だけだと思う。
「飽きる人」を軽んじていて、いい気はしない
趣味は娯楽か禅か。
色んな軸がとっちらかってて、自分でも何を言いたいのか分からなくなってきたけど、とりあえず書いたし、投稿しておくか、という印象。ただ、俺もこのテーマはずっと追いかけてて、考えてる事でもある。
鉄とか
同じ趣味がキッカケで結婚する人は多いと思うけど片方が飽きる人で片方が飽きない人だと悲惨だよね…
飽きると表現するか広がると表現するかの違いだけでは?音楽からジャケット、デザインワークと興味が広がるのと同様に、スポーツ観戦から電子工作まで世の中全て繋がってる。
n=1だけど自分には全く当てはまらない。流行りや周囲との関係性でなく、自分の興味で何かにハマるがだいたい1,2年で心が離れる。
ずっと合唱やってるけど、熱中はしてないな…。熱中するのは例えば今ならプヘメとか、数年前になろうを読みまくったり、最近はブコメよりTwitter中心とか。何が違うんだろ
ADHDか、ASDかの違い?何らかの刺激から何度でも同じようにドーパミンが出れば続けられるし、ドーパミンが出ないものを続けるのは苦痛になる。ゴールド帯で急速に飽きる現象。あと急な成金批判で笑ってしまった。
“ずっと飽きない人は、趣味をコンテンツとして消費しておらず、趣味を通して、自分なりの在り方や価値観、美意識を少しずつ形成しているから、飽きるという概念がそもそも起きにくい。”
趣味にすぐ飽きる人が悪い、と書いているように読めるが、そういう人にとって飽きない趣味に相当するのが仕事だったりするので、そちらの方が余程立派ではないかと。
バイク乗りでも乗ってる時間より座り込んで喋っている時間のほうが長い輩は多い。お前らは何がしたいんだよ。
『趣味が長く続くかどうかは・・その対象が自分の内側で問いや美意識や生活感覚と結びついているかどうかにあり、・・自分の在り方に関わってしまったものは、もう単純には飽きられない。』
和牛マフィア炎上の件を想起させた。
仕事じゃなくて趣味ならすぐ飽きるのは全然悪いことではない。ずっと飽きない人は時代の流れに置いてかれてしまう。その時その時でやりたいことに取り付けば良い。そういう人が大半だ。
趣味が出来なくなったら死にますよもう。俺にとっての錨であり人生そのものになってしまった。多趣味だから辛うじて死んでない。普通に働いて飯食ってればいい人間だったらもう少しマシな人生を送れたと思う。
ここで書かれているような要素がまさに「ミーハー」の対極にある「オタク」気質そのものよね。良い悪いの話ではなく、気質の違いを説明してるだけだろうし、物を売る側にとって「ミーハー」は良いお客さんではある。
趣味にすぐ飽きる人だな。すまんね。だが ここまで見下されることかねぇ?
能動的、積極的、深掘りでもすぐ満足して飽きるけどな
ずっと飽きずにできる趣味は仕事に出来るやつだな
この人、「不健康は生い立ちや気持ちがどうこう」みたいなことつぶやいてたような記憶。なんていうか、決めつけや全体化が突然顔を表す人なのかな、と
結局知りたい欲があるかないかくらいの話で、ストック型フロー型の関係に近いように思う。自分は3歳から続く趣味があるくらい飽きない性格だが、ぽんぽん乗り換えられる人を若干うらやましく思っている。
酷く選民的。偏執的な人が関係ない作者の兄弟構成や親の出身で妄想で人間性を作り論を講じるのを何度も見た。只の詮索癖と趣味と専門性を深める品性を切り分けて論じる必要があるけどそうは読めなかった。自己肯定。
ずっと飽きない人は趣味を作ろうとして作ったわけではなく、気づいたらそこに引っかかり、勝手に深まり、生活や感覚の一部になっている。
趣味にすぐ飽きる人と、ずっと飽きない人の根本的な違い|かぽ
ウメハラも「ゲームに飽きた」という感情は、ゲーム自体ではなく「成長しない自分」に飽きているだけだと言っていたな
すぐってどれくらいなんだろう
シロクマ先生が好きそうな話題。
趣味に飽きたことない。新しい楽しそうなものを見つけてそれに時間を多く使うようになったせいで泣く泣く切ったものが大半。時間が無限なら今まで通った趣味全部やりたい。仕事は辞めたい。
ですますのところが著者が書いた特に主張したいところで、前半のですますじゃないところがAIに下書きしてもらった所っぽい
趣味が長続きすることと依存とはどう違うんかな。
ある趣味に飽きる飽きないというより、飽きない何かを趣味と捉えてるなあ。a→b→cと変遷するけど通底する何かの別表現という感じ / 世間的なラベルで縛らず適当に遊べばいいと思う。趣味なんだから
適度に飽きて、適度に戻ってくるくらいの距離感が良いかな。何度だって始めていい。
別に長続きしなければいけない理由も無い。金持ちが云々とかはかなりどうでもいい
一つのことをあまり長続きさせると、他のテーマを開拓する余裕をなくすから、適度に他のものに移るように心がけてる。また何年もしてから再開すると、違う面白さがある
深掘りするから続くのではなく、掘り自体を楽しいと思えるから続く趣味になるじゃないかなぁ。そしてどこが刺さって楽しいと思えるかはそれは人それぞれ。
たいていの趣味は飽きるように設計されているというのはその通りだな。
ワイの場合、無能だからほとんどのことが上手くなるまでに時間がかかる=なかなか飽きないってのがあるなぁ。
"趣味があったのに中年になって急に虚しくなってしまった、というのは、年齢そのものの問題ではなく、それまでの趣味との関わり方の問題" ←これまでの生き方の否定って呪いだよね、後で自分にも返ってくる
500時間やったモンハンもいつしかやらなくなり、新発売のタイトルに移ることも多々ある。熱中とはこのことだとおもった。熱はいづれ冷めるのだ。
なんか凄い広さの総論みたいなこといってないか…
「飽きる人」と「飽きない人」てのが選民的なニュアンスがあって嫌やな。ある趣味に接した時の気分、体調、環境、相性で続くか否かはかわるし、飽きて他に移るのもいいよな
中学生からオバハンのいまにいたるまでずーっと着物が好き。昔はわからなかったけど、昔の着物の柄の謎解きをするのが楽しい。和歌とか平安時代からの物語、雅楽、舞楽etc.日本文化が詰まってるのはすごい
10代に読んだ本を読むとまた別の面白さがあるように、一度離れてもまたやると楽しかったりする。やめても終わりではない
「テニスボールを追いかける犬」のジョブズの話を思い出した。合う合わない、友達、両親など色々と影響はあるのかなぁ。
何を根拠に言ってるのか全然分からなかった
飽きる人はどんな趣味でも飽きなくて、飽きる人はどんな趣味でも飽きるの?俺は飽きない趣味と飽きた趣味があるけど、どっちの分類かな。
趣味にすぐ飽きたことはないな。仕事にはすぐに飽きて苦痛に変わって辞めたくなるけど。
趣味って縦横二方向があり、1つを深堀りし極めてく方向性と、近接するジャンルや関係性に惹かれ横に広げる方向性がある。何事にも縦横があるので両方あるが、横傾向の強い人は「すぐ飽きる人」と思われやすい
ADHD的な趣味の飽きやすさの話じゃなかった
理由は多種多様で根本的なものはない。何かの理由が根本的な1つに由来するというのは早計
趣味が続くかどうかは、コミュニティに繋がっているかどうかが非常に大きいと思う。
異世界系作品を乱読しているけど、ファクトフルネスから知ったサピエンスの認知を確認しながら読んでいる自分がいる。
別にめっちゃ探求心あるわけでもないしクリエイティブでもないが、趣味をいくつか持ってローテーションしてるだけかな。読書、音楽、動画、ゲーム、散歩、サウナぐらいをぐるぐる回してる感じ。
趣味のつもりでやるものは長続きせず現実逃避としてやるものは長続きしている
そうだねえ、割と楽しく生きてるかな。
自分の場合、数年単位で切り替わるかな。 飽きるというよりかは、環境の変化だったり、趣味のハマっている対象が少しづつ変化していて、気づいたら別の趣味になっていたみたいなのが多いかも。
趣味はお金にしないと気が済まない派。まぁ私の場合、趣味を仕事にするってよりも仕事を趣味にすべく生きてる感はある。
他の人がずっと飽きてないかウォッチするのがそもそも無理。
教養趣味的でいやな感じの文章。たとえばおれは長年続いて飽きることのない趣味(競馬やカープ)と、飽きてしまう趣味(自転車とか)が同居しているが、人として根本的にどちらに分類されるというのか?
こういう趣味を持つ事が豊かな人生である、という無意識に生じる圧力が苦手になった。今は生きているだけで十分かな。
「飽きる人」と「飽きない人」の有意な理由を特定できるほどにきちんと調べているとは思えないし、適当に思いついたことを言ってるだけじゃないかな。
皆が趣味に飽きずに同じこと続けてたら新しいものが生まれないから、これでいい
無理なく休憩入れながら細く長く続けるのが趣味と勉強のコツだと思う。色んな意味で自分のリミットを知ること
普通に生活環境だよ、いっぺんこっち側に来い。
趣味に飽きないことと、知識が枝葉で広がっていくことは根本的に別モノだと思うが……。例えば、走ることが趣味で飽きない人とかはコレに当てはまるの?
善し悪しはさて置き、嗜癖制御というかなんというか、ある種の依存なんだと思う(´-`)人に本来備わった形質というか、それがシームレスに移行するか飛ぶかは人や場合による、みたいな
周辺の知識に関心が向くのは多少なりともコンテンツ自体に馴化(飽きとも言う)したからという場合もあるので、あまりピンとこない分析だな。
その都度興味ある事をやってるな〜別の事に熱中して一旦離れてまた戻ってくるとかもザラにある。
自分はこれで生きてると思うが逆に趣味として成立させるのは難しい。歌川広重は好きだが浮世絵は嫌い的なのがあらゆる分野で起きそれが自分の内部では繋がってるが外的には意味不明で公言できる趣味の形にならない
趣味を深堀りしていくと自分しか知らない知見が自分の中にたくさん貯まっていくんだけど、そうした知見や物の見方が構成する世界が趣味が作りだす豊かさではあるよね。SNS等で少しシェアしても基本的には秘すれば花。
趣味って真面目な人でないとできない。情報をチェックしたり、予算を考えたり、練習したり。喜びを報酬とした仕事だし、好きな時に辞めれるのがメリット。
こういうある意味で教養主義というか合理主義な人が例えば美空ひばりとか知るとちょっとした恐慌状態になるんだよな。理解の埒外に天才がいると結構萎えるもの。
“趣味を通して、自分なりの在り方や価値観、美意識を少しずつ形成しているから、飽きるという概念がそもそも起きにくい” 体感的にはわかる。あとは余暇の消費経験値も関係ある /はてブが白米
♫ 新しい 趣味を 始めて辞める それが鶴ちゃん それが鶴ちゃん ♬
『お金がいくらあることよりも、何を面白がれるか、どう面白がれるかのほうがずっと重要』
20年くらい続けてちょっと飽きて来た趣味もある。
長年探求している割にはさっぱり理解してないお方もいるのでなんともいえない
飽きたっていいじゃねえか、消費だっていいじゃねえか、人生は短い。自分が楽しく生きるのに貴賤はないよ。
どっちも良い。
基本的には飽きないものを趣味だと思っている。すぐ飽きるものは、流行に乗るという行為でしょう。|趣味の白米化という小論文だった。まあ頑張れ。
自分はすぐ飽きるタイプだからと、気を落とす必要はない。すぐ飽きる人と、ずっと飽きない人の間には、様々な趣味との関わり方がある。趣味を楽しみたければ、他人の趣味に意見してくる、こういう人から離れること。
なんかわからん捉え方だな、飽きる飽きないはモノによるし価値観の根底というか前提が違いすぎるし言葉遣いも揺れてる
すぐってどれくらい期間を想定してるんだ……
関係ない話。ですます調は読者に語りかけるための文体でそれ以外の文体は自分自身と向き合うための文体という構成だと思う。(私はこうだ。私はこのように考える)→「自問自答からこのように私は主張します」みたいな
飽きるとかじゃなくて続けられるか、みたいな感覚がある
新しい要素をいかに入れ続けるか、だよ。それ以外には何もない、とすら言える
録画して観ずに削除する趣味だけは続いています。
今の趣味は今年で10年目。夫とは趣味のサークルで出会い結婚。片方が一時的にやる気をなくしても、もう片方が一緒にやろ〜って誘うから、途切れず続いてる。夫婦で趣味ライフ楽しい!
飽きる飽きないより人様に迷惑をかけない趣味が大事だと思うな。迷惑鉄オタとか山野草盗掘は悪趣味だ(あ。ダジャレになってしまったw)
それって読書や音楽が趣味と言うより、調べるのが趣味なんじゃないかな。ある本に関する情報を調べまくってて、それに飽きたら次の本に移っているだけだよね。結局、飽きているんだよ。
趣味は続けることが目的ではなく、楽しいから結果的に続いていて、自身で課題を立てるのも楽しむ方法の一つです。楽しくなければ止めてもよいし、その時その時でハマるものが変わっても良いかなと。楽しむのが一番。
内発的欲求が大事だという趣旨だと思うが、それを維持するには外発的欲求に切り替えない事が大事。つまりいいね欲しさにSNSにアップしない。
上手いこといいたとえているように見えるが具体的な事例がほぼ無いのに、〇〇が多い、とか、うわっペリをなぞつているだけの文章で、そのくせやけに文量は多くて、、、AI?
猫じゃらしにじゃれる猫のように、単純に対象にどっぶりハマることも有る。 記事の件は、知的な深化によってハマる一例。賢い系?
本当に生まれてこの方ハマったと言えるものが無くてたまに寂しくなる、が、仕事柄それで得してるのでなんとも
ディアゴスティーニ等の分冊百科の創刊号コレクターという人が昔テレビで紹介されていた。趣味の解釈は無限大だなと思った。
趣味に飽きるほど時間や資本を投下できたことがない
「ずっと飽きない人は、趣味をコンテンツとして消費しておらず、趣味を通して、自分なりの在り方や価値観、美意識を少しずつ形成して~自分の世界の見え方を変えていく入口になって~生活や感覚の一部になっている」
趣味に飽きたことない!って言う人は、飽きたものは趣味と言わないだけでは。
この「飽きない人」をデータベース消費と呼ぶのは、まあ露悪的に過ぎるよな。
結局のところ興味や好奇心がどれだけあるかってことで、それは他者に対してどれだけ敬意を持っているかってとこが根っこだと思う。教養ある人ってだいたいそういう人。
執着心が強いので脱したくてもふとやりたくなる依存症にもなってる。これはこれで辛い
とりま、探究心によって趣味が移り変わる人もいるけど、そもそも何かに強い興味をもたない人は趣味の内容そのものに対しては受動的で内容も消化できてないオモ
趣味の中身によるなぁ。例えば同じアニメを延々と見続けてとかは本当に数本しかないけど聖地巡礼だの背景だのは追うことはない。ゲームも。おそらく飽きない人というのはかつてのマニアと呼ばれる種類の人種だろうね
特性ですよ。
他人が作った情報・コンテンツ・文脈を食って消費してるだけなら、ほんと意味ない。自分の価値観や心の機微をよく分かっていれば、流行り廃りに惑わされず、自分側の生産的な活動になってくのよ。
ずっと同じ趣味続けてる人の方が深いみたいなこと書いてるけどそんなことない。勝間和代を見ろ、めちゃくちゃマニアックだけどものすごく飽きっぽいぞ
村上春樹のユニクロのTシャツ売れてるんかねー。サンドウィッチとかレコード買って聴いてる人そんなにいなさそうやけどなー。
いや人間は慣れるし飽きるよ。延々続けてるのは他に拠り所がないかそれしかメリットがないからだろう。障害的にそうなってる人間もいるだろうが
創作系は自分の中に熱を生み出す機関が働いてる限り何かしら刺激が燃料になって続く感じで消費・鑑賞系は記事にあるようにインプットした物が蓄積されてって自身の中に地図や織物のように展開してく感じと想像
ずっとはてなブックマークという趣味を続けて15年以上の皆さん!
良いまとめでした。全く、その通り、素晴らしいです。
私自身、今まで続かなかった料理に目覚めたり、本も読んだり読まなかったり、状況次第と思いました
骨子はちゃんと書いてあるけどAIに清書させてるなこれ
続けられるのは理解してより楽しくなるから。要するに成長を伴えば飽きないんだよ。消費してるだけじゃ成長はないから飽きる。受動的な趣味でもそこから学ぶことがあれば続く。
続く・続かない人という軸もあるけど、その趣味のロードマップを見通して意識的に中断させる選択ができる・できない人の軸ってあるよね。
むしろ、現代は興味深い面白い物事が多すぎて何を諦めるかみたいな感じだと思うんだけど、そうじゃない人もいるんだろうなあ。
自分は色んなものに手を出すという趣味をしているのだ
何の広がりもなく生産性もないが毎日はてなやXを見てしまうコンテンツ消費型もある意味飽きない趣味では。結局行動の習慣化だけだと思う。
「飽きる人」を軽んじていて、いい気はしない
趣味は娯楽か禅か。
色んな軸がとっちらかってて、自分でも何を言いたいのか分からなくなってきたけど、とりあえず書いたし、投稿しておくか、という印象。ただ、俺もこのテーマはずっと追いかけてて、考えてる事でもある。
鉄とか
同じ趣味がキッカケで結婚する人は多いと思うけど片方が飽きる人で片方が飽きない人だと悲惨だよね…
飽きると表現するか広がると表現するかの違いだけでは?音楽からジャケット、デザインワークと興味が広がるのと同様に、スポーツ観戦から電子工作まで世の中全て繋がってる。
n=1だけど自分には全く当てはまらない。流行りや周囲との関係性でなく、自分の興味で何かにハマるがだいたい1,2年で心が離れる。
ずっと合唱やってるけど、熱中はしてないな…。熱中するのは例えば今ならプヘメとか、数年前になろうを読みまくったり、最近はブコメよりTwitter中心とか。何が違うんだろ
ADHDか、ASDかの違い?何らかの刺激から何度でも同じようにドーパミンが出れば続けられるし、ドーパミンが出ないものを続けるのは苦痛になる。ゴールド帯で急速に飽きる現象。あと急な成金批判で笑ってしまった。
“ずっと飽きない人は、趣味をコンテンツとして消費しておらず、趣味を通して、自分なりの在り方や価値観、美意識を少しずつ形成しているから、飽きるという概念がそもそも起きにくい。”
趣味にすぐ飽きる人が悪い、と書いているように読めるが、そういう人にとって飽きない趣味に相当するのが仕事だったりするので、そちらの方が余程立派ではないかと。
バイク乗りでも乗ってる時間より座り込んで喋っている時間のほうが長い輩は多い。お前らは何がしたいんだよ。
『趣味が長く続くかどうかは・・その対象が自分の内側で問いや美意識や生活感覚と結びついているかどうかにあり、・・自分の在り方に関わってしまったものは、もう単純には飽きられない。』
和牛マフィア炎上の件を想起させた。
仕事じゃなくて趣味ならすぐ飽きるのは全然悪いことではない。ずっと飽きない人は時代の流れに置いてかれてしまう。その時その時でやりたいことに取り付けば良い。そういう人が大半だ。
趣味が出来なくなったら死にますよもう。俺にとっての錨であり人生そのものになってしまった。多趣味だから辛うじて死んでない。普通に働いて飯食ってればいい人間だったらもう少しマシな人生を送れたと思う。
ここで書かれているような要素がまさに「ミーハー」の対極にある「オタク」気質そのものよね。良い悪いの話ではなく、気質の違いを説明してるだけだろうし、物を売る側にとって「ミーハー」は良いお客さんではある。
趣味にすぐ飽きる人だな。すまんね。だが ここまで見下されることかねぇ?
能動的、積極的、深掘りでもすぐ満足して飽きるけどな
ずっと飽きずにできる趣味は仕事に出来るやつだな
この人、「不健康は生い立ちや気持ちがどうこう」みたいなことつぶやいてたような記憶。なんていうか、決めつけや全体化が突然顔を表す人なのかな、と
結局知りたい欲があるかないかくらいの話で、ストック型フロー型の関係に近いように思う。自分は3歳から続く趣味があるくらい飽きない性格だが、ぽんぽん乗り換えられる人を若干うらやましく思っている。
酷く選民的。偏執的な人が関係ない作者の兄弟構成や親の出身で妄想で人間性を作り論を講じるのを何度も見た。只の詮索癖と趣味と専門性を深める品性を切り分けて論じる必要があるけどそうは読めなかった。自己肯定。
ずっと飽きない人は趣味を作ろうとして作ったわけではなく、気づいたらそこに引っかかり、勝手に深まり、生活や感覚の一部になっている。