80年代から90年代だったからまだ遺族との連絡もついたんだろうな
“ 1995年8月26日。平和祈念碑の除幕式・完成披露式典に、墜落したB29に乗っていた伍長の弟と、別の伍長の妻、それに徳軍曹の姉光枝さんら姉妹が参加。あいさつした光枝さんはこう語った。 「遺族にと
英霊、安らかに
私の上司のアメリカ人に陸軍航空隊の祖父がいる人がいるけど、その人がもう60代なので、下手したら米軍遺族も参列したのは曾孫レベルだろうな
とてもよく追跡された、良い記事。遺族には戦争の終わりがない。見つかって本当に良かった。
うーん、心に響くものがあるな
「今思えばかわいそうだった。日本まで来て、山の中で死ぬなんて」
よく記録が残ってたな・・遺族へ繋がってよかった。/平和への道を作るのはこういう行動だと思うわ・・
“傍らで聞いていた工藤さんは、光枝さんの言葉を思い出した。最初の訪問時に「一緒に帰ろう」と言っていた。日米双方の遺族が、同じ意味の言葉を口にする。戦争に関わって家族を失った悲しみは共通なのだと感じた。
県職員という職業柄もあろうけど、最初の動きがなければここに至ってない。よくぞここまで調べてくださった
ご友人やNHKなどの力を借りつつ、ここまでなさったのすごいなあ…
残骸を拾いにいった記憶が地元の人に残っているうちにやらないと、本当にわからなくなるからな
遺族の年齢を考えるとギリギリ間に合ってよかった
軍の記録が戦死になってたのは、事故死だと弔慰金が減るとかそんな感じのあれなんだろうか?
「アメリカ軍は詳細な報告書を開示」VS「防衛庁の記録では、朝鮮海峡で死亡したことになっていた。」
亡くなった一人一人に家族がいて、モヤったままの子孫もいたりするんだと改めて思う。狂人が権力を振りかざして攻撃を司令したりする前世紀の悪習をこのまま続けさせていいんかと思ったよ
2つの事故が1945年、破片発見が1987年、平和祈念碑の建立が95年。それからさえすでに30年。墜落跡や残骸の写真が2025年。気が遠くなるような話だ。終戦当時の事故で日本に記録が残っていたのも奇跡的なんかな。
"そして、兄に呼びかけるように続けた。 「ゴー・ホーム」 傍らで聞いていた工藤さんは、光枝さんの言葉を思い出した。最初の訪問時に「一緒に帰ろう」と言っていた。日米双方の遺族が、同じ意味の言葉を口にす"
拾ったこと、調査したこと、つながったことなど全てがすごい
遺族が存命のうちに間に合って良かった。彼らが揃って口にしたのが「家に帰ろう」なら“何処で死んだか”は遺族にとってとても大事で現地での弔いは双方の癒しであり儀礼なんだ。あと地面の抉れを見るに相当な事故だ
戦後◯◯周年に意味があったのは50周年の1995年がギリギリだったという印象がある。あの時期までは遺族の非戦の意思が世論の底流に強くあった。
戦争を繰り返さないために1番大切なことは体験を語り継ぐこと。改憲でも護憲でもない。
立派な行いだな 読めて良かった 遠い地で亡くなるのは本人も遺族もさみしいだろうね いまも帰れない魂は世界のあちこちにいるんだよね
うん
死を認識して初めて次に進める。行方不明のままの遺族がどうやって心の折り合いを時間をかけてつけて行ったのか察するに余りある。東日本大震災然り
8月30日は9月2日の降伏文書調印前なので正式な終戦前。8月28日から占領開始なのでその任務の一環で墜落したのだろう。何が起こったのか、は知らないといけない
文章の都合上、さらっと書いてあるけど、ここまでくるまで相当尽力されたはず。ご苦労様でした。
>「今思えばかわいそうだった。日本まで来て、山の中で死ぬなんて」 本当にその通りですね…戦争なんてない方が絶対に良い。時間が経っても弔われてよかった。御冥福をお祈りすると共に、ご遺族も心休まらかるよう
いい記事だった「平和な日々に生きていると戦争がどれだけ酷いものだったか忘れることは簡単だ。私たちのほとんどはその時代のことを知らない。平和を守っていくためにより強く働いていかなければならない」
戦争のリアルってのはこういうのを含めて言うんだと思うよ。死んだ人間は絶対に戻ってこない。
みんな系図を調べよう。何か物語があるよ。
何度も言うが、こう言う無駄死にをやめさせなくてはならないんだよ。
この令和でこの記事のような「手記と出会える古本屋」はどこだろうね。勿論図書館関係諸氏は頑張ってくれてると思うが、
日本軍の航空特攻の死亡者数は3000人。米軍B29搭乗員の死亡者数は3000人(´・ω・`)
“「ありがとう。こんな静かな山の中に兄の魂が眠っているかと思うと、ありがたいよ」 そして、兄に呼びかけるように続けた。 「ゴー・ホーム」”
平和なときに、親族の誰かが行方不明、知らない人から死んだって報告を突然もらうってとても異常なことなのに、戦争になると一気に人々の感覚が狂ってよくあるよねってなる。そんな日常より優先すべき国益はない。
帰ろうって悲しいけど残された人を救ういい言葉だなあ。震災の時も、まだ帰れてない人もいるだろうけど、帰ろうってのは何万回呟かれたのだろう
“私の世代は戦争を知らないけど、語り継いでいくことができる世代かなと。具体的な資料も集めることができたけれど、同じことを今しようとしても難しいだろうし、語り継ぐ役割が私にはあるんじゃないかと”
遺族は亡くなったのも知らないのではないかと気が付いた事、ダメ元でも連絡を取ろうとした事。凄いと思う。混乱のさなか、行方のわからない人は多かっただろう。遺族の人とつながれて本当に良かった。
涙が出るいい話。日米合作で映画化希望。「GO HOME」
80年経っても残骸が処分されずに放置されてるものなのね
シベリア抑留のイベントにちょっとだけ寄ったことあるけど、遺族というものは何十年たっても待ち続けているんだなと感心したことある。
「一緒に帰ろう。お母さんが待ってる」戦闘機で飛び立った弟は墜落死していた 現場が判明したのは約50年後、近くでB29も墜落…きっかけは山中で偶然見つかった金属片 | NEWSjp
80年代から90年代だったからまだ遺族との連絡もついたんだろうな
“ 1995年8月26日。平和祈念碑の除幕式・完成披露式典に、墜落したB29に乗っていた伍長の弟と、別の伍長の妻、それに徳軍曹の姉光枝さんら姉妹が参加。あいさつした光枝さんはこう語った。 「遺族にと
英霊、安らかに
私の上司のアメリカ人に陸軍航空隊の祖父がいる人がいるけど、その人がもう60代なので、下手したら米軍遺族も参列したのは曾孫レベルだろうな
とてもよく追跡された、良い記事。遺族には戦争の終わりがない。見つかって本当に良かった。
うーん、心に響くものがあるな
「今思えばかわいそうだった。日本まで来て、山の中で死ぬなんて」
よく記録が残ってたな・・遺族へ繋がってよかった。/平和への道を作るのはこういう行動だと思うわ・・
“傍らで聞いていた工藤さんは、光枝さんの言葉を思い出した。最初の訪問時に「一緒に帰ろう」と言っていた。日米双方の遺族が、同じ意味の言葉を口にする。戦争に関わって家族を失った悲しみは共通なのだと感じた。
県職員という職業柄もあろうけど、最初の動きがなければここに至ってない。よくぞここまで調べてくださった
ご友人やNHKなどの力を借りつつ、ここまでなさったのすごいなあ…
残骸を拾いにいった記憶が地元の人に残っているうちにやらないと、本当にわからなくなるからな
遺族の年齢を考えるとギリギリ間に合ってよかった
軍の記録が戦死になってたのは、事故死だと弔慰金が減るとかそんな感じのあれなんだろうか?
「アメリカ軍は詳細な報告書を開示」VS「防衛庁の記録では、朝鮮海峡で死亡したことになっていた。」
亡くなった一人一人に家族がいて、モヤったままの子孫もいたりするんだと改めて思う。狂人が権力を振りかざして攻撃を司令したりする前世紀の悪習をこのまま続けさせていいんかと思ったよ
2つの事故が1945年、破片発見が1987年、平和祈念碑の建立が95年。それからさえすでに30年。墜落跡や残骸の写真が2025年。気が遠くなるような話だ。終戦当時の事故で日本に記録が残っていたのも奇跡的なんかな。
"そして、兄に呼びかけるように続けた。 「ゴー・ホーム」 傍らで聞いていた工藤さんは、光枝さんの言葉を思い出した。最初の訪問時に「一緒に帰ろう」と言っていた。日米双方の遺族が、同じ意味の言葉を口にす"
拾ったこと、調査したこと、つながったことなど全てがすごい
遺族が存命のうちに間に合って良かった。彼らが揃って口にしたのが「家に帰ろう」なら“何処で死んだか”は遺族にとってとても大事で現地での弔いは双方の癒しであり儀礼なんだ。あと地面の抉れを見るに相当な事故だ
戦後◯◯周年に意味があったのは50周年の1995年がギリギリだったという印象がある。あの時期までは遺族の非戦の意思が世論の底流に強くあった。
戦争を繰り返さないために1番大切なことは体験を語り継ぐこと。改憲でも護憲でもない。
立派な行いだな 読めて良かった 遠い地で亡くなるのは本人も遺族もさみしいだろうね いまも帰れない魂は世界のあちこちにいるんだよね
うん
死を認識して初めて次に進める。行方不明のままの遺族がどうやって心の折り合いを時間をかけてつけて行ったのか察するに余りある。東日本大震災然り
8月30日は9月2日の降伏文書調印前なので正式な終戦前。8月28日から占領開始なのでその任務の一環で墜落したのだろう。何が起こったのか、は知らないといけない
文章の都合上、さらっと書いてあるけど、ここまでくるまで相当尽力されたはず。ご苦労様でした。
>「今思えばかわいそうだった。日本まで来て、山の中で死ぬなんて」 本当にその通りですね…戦争なんてない方が絶対に良い。時間が経っても弔われてよかった。御冥福をお祈りすると共に、ご遺族も心休まらかるよう
いい記事だった「平和な日々に生きていると戦争がどれだけ酷いものだったか忘れることは簡単だ。私たちのほとんどはその時代のことを知らない。平和を守っていくためにより強く働いていかなければならない」
戦争のリアルってのはこういうのを含めて言うんだと思うよ。死んだ人間は絶対に戻ってこない。
みんな系図を調べよう。何か物語があるよ。
何度も言うが、こう言う無駄死にをやめさせなくてはならないんだよ。
この令和でこの記事のような「手記と出会える古本屋」はどこだろうね。勿論図書館関係諸氏は頑張ってくれてると思うが、
日本軍の航空特攻の死亡者数は3000人。米軍B29搭乗員の死亡者数は3000人(´・ω・`)
“「ありがとう。こんな静かな山の中に兄の魂が眠っているかと思うと、ありがたいよ」 そして、兄に呼びかけるように続けた。 「ゴー・ホーム」”
平和なときに、親族の誰かが行方不明、知らない人から死んだって報告を突然もらうってとても異常なことなのに、戦争になると一気に人々の感覚が狂ってよくあるよねってなる。そんな日常より優先すべき国益はない。
帰ろうって悲しいけど残された人を救ういい言葉だなあ。震災の時も、まだ帰れてない人もいるだろうけど、帰ろうってのは何万回呟かれたのだろう
“私の世代は戦争を知らないけど、語り継いでいくことができる世代かなと。具体的な資料も集めることができたけれど、同じことを今しようとしても難しいだろうし、語り継ぐ役割が私にはあるんじゃないかと”
遺族は亡くなったのも知らないのではないかと気が付いた事、ダメ元でも連絡を取ろうとした事。凄いと思う。混乱のさなか、行方のわからない人は多かっただろう。遺族の人とつながれて本当に良かった。
涙が出るいい話。日米合作で映画化希望。「GO HOME」
80年経っても残骸が処分されずに放置されてるものなのね
シベリア抑留のイベントにちょっとだけ寄ったことあるけど、遺族というものは何十年たっても待ち続けているんだなと感心したことある。