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「一緒に帰ろう。お母さんが待ってる」戦闘機で飛び立った弟は墜落死していた 現場が判明したのは約50年後、近くでB29も墜落…きっかけは山中で偶然見つかった金属片 | NEWSjp

1: c_shiika 2026/04/07 03:42

80年代から90年代だったからまだ遺族との連絡もついたんだろうな

2: sakahashi 2026/04/07 11:22

“ 1995年8月26日。平和祈念碑の除幕式・完成披露式典に、墜落したB29に乗っていた伍長の弟と、別の伍長の妻、それに徳軍曹の姉光枝さんら姉妹が参加。あいさつした光枝さんはこう語った。  「遺族にと

3: semimaru 2026/04/07 11:56

英霊、安らかに

4: ashigaru 2026/04/07 12:40

私の上司のアメリカ人に陸軍航空隊の祖父がいる人がいるけど、その人がもう60代なので、下手したら米軍遺族も参列したのは曾孫レベルだろうな

5: ckis 2026/04/07 12:43

とてもよく追跡された、良い記事。遺族には戦争の終わりがない。見つかって本当に良かった。

6: chinu48cm 2026/04/07 13:00

うーん、心に響くものがあるな

7: dominion525 2026/04/07 13:44

「今思えばかわいそうだった。日本まで来て、山の中で死ぬなんて」

8: pikopikopan 2026/04/07 13:53

よく記録が残ってたな・・遺族へ繋がってよかった。/平和への道を作るのはこういう行動だと思うわ・・

9: oktnzm 2026/04/07 14:01

“傍らで聞いていた工藤さんは、光枝さんの言葉を思い出した。最初の訪問時に「一緒に帰ろう」と言っていた。日米双方の遺族が、同じ意味の言葉を口にする。戦争に関わって家族を失った悲しみは共通なのだと感じた。

10: kaeru-no-tsura 2026/04/07 14:13

県職員という職業柄もあろうけど、最初の動きがなければここに至ってない。よくぞここまで調べてくださった

11: zakkicho 2026/04/07 14:21

ご友人やNHKなどの力を借りつつ、ここまでなさったのすごいなあ…

12: takeishi 2026/04/07 14:22

残骸を拾いにいった記憶が地元の人に残っているうちにやらないと、本当にわからなくなるからな

13: sirobu 2026/04/07 14:24

遺族の年齢を考えるとギリギリ間に合ってよかった

14: preciar 2026/04/07 14:27

軍の記録が戦死になってたのは、事故死だと弔慰金が減るとかそんな感じのあれなんだろうか?

15: makou 2026/04/07 14:35

「アメリカ軍は詳細な報告書を開示」VS「防衛庁の記録では、朝鮮海峡で死亡したことになっていた。」

16: yasagure_Polaris 2026/04/07 14:36

亡くなった一人一人に家族がいて、モヤったままの子孫もいたりするんだと改めて思う。狂人が権力を振りかざして攻撃を司令したりする前世紀の悪習をこのまま続けさせていいんかと思ったよ

17: kamezo 2026/04/07 14:44

2つの事故が1945年、破片発見が1987年、平和祈念碑の建立が95年。それからさえすでに30年。墜落跡や残骸の写真が2025年。気が遠くなるような話だ。終戦当時の事故で日本に記録が残っていたのも奇跡的なんかな。

18: t_f_m 2026/04/07 15:14

"そして、兄に呼びかけるように続けた。  「ゴー・ホーム」  傍らで聞いていた工藤さんは、光枝さんの言葉を思い出した。最初の訪問時に「一緒に帰ろう」と言っていた。日米双方の遺族が、同じ意味の言葉を口にす"