『考察する若者たち』(三宅香帆)(未読)ではここらへんどうまとめられているんだろうか
考察と批評はそれぞれ独立しているので対立する意味がわからないが、実際対立してるのおもろいな/最後の部分、一度受け入れられなかった設定を考察できるのか興味ある。無理なのでは無いかと予想してるが、どうなる
安っぽい意味で「批判」を使うな怒りテイストのコメント素晴らしい。
オチに笑った。ぜひやり通してほしい……。
批評は幸福を生み出さない、かあ。まあ「改善」に寄与できると考えること自体が傲慢なんじゃないのかなあ。改善されたものを提示できるのはクリエイターだけじゃん?
世間での受け取られ方『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』とかに近いのかもね。
考察って、直接的には描かれてない制作者の意図を推測することじゃないの?認識がかなり違う。
作りもしないやつが作品の改善に資するというのもいまいちピンと来ないわ。作品の改善ってのは製作者が消費者を分析して行うものであり、その逆には決してなり得ないんでは
批評というか情報整理は考察の下準備だと思うのだが、まあケーキにうんこがはいっていても、うんこをうんことして認識しなければ美味しく食べられるよな。
うまく言語化できないけど「それって考察するに値する?」という作品の考察が盛り上がっている時は萎える。ジークアクスとか。ボルダリング施設で「登山した!」と叫ぶ人を見てるみたいな気分
『かぐや姫』『シンエヴァ』で自分(批評)と息子(考察)に生じた相違がまさにこれで笑ってしまった。なおジークアクスは二人とも好きで、考察と批評で盛り上がった。まあ、そういうこともある。
なつかしいワードであるとともに、最近、SNSでチラチラ見かけるワードでもある
最近の動画方面の「考察」は、むかしからある二次創作方面の「解釈」に近い感じがする。翻案になるのを避けようとするかどうかの違い?
批評の定義が間違っている。そして、批評家気取りのクソ記事も批評ではない。スタンフォード哲学辞典を引いてください。批評は白紙の紙に売値をつけられる技術でもある。
「私は」こう受け取った、「私は」こういう気持ちになった、でいいと思うのですよね(「感想」と呼んでいます)自分は「考察」「批評」等の言葉は「こう受け取るのが正しい選手権」になりがちなので避けています
大変それっぽい論だけど超かぐや姫の批評ってほとんど見たことないし対立してるというのも初耳。(狙ってやっている)説明不足や負の面の排除、あるいはファン層が受け入れられないという人がいるのは知ってる。
繊細な信者的消費者が否定的(或いはフラット)な意見に過剰反応してるだけじゃないの
いわゆる「考察」動画なんて自分勝手な解釈で話を再構築していて、批評より傲慢じゃないかと思ってる
興味深い
線が引かれている箇所が不思議というか、考察ってそんなんだったけというか。推し活的な「考察」以外を「批評」に無理やり押し込んでない? (この人がというより世間がなんだろうけれど。「批判なき政治」と相似で。)
考察は妄想だし批評は難癖。結局はオタクが早口で語りたいだけの趣味だよなこれ
今の社会は考察が尊ばれます。
例示とは言えタワマンの件は本当に酷い。終盤でも彩葉は自分に分不相応だと思ってる。母親の呪縛のせいで他人を頼れなかった彩葉が,兄に頼って「かぐやのため」にタワマンに,という判りやすい成長譚なのに。
『超かぐや姫!』アニメ考察と批評が対立する根本的理由|Ralu | 東雲
『考察する若者たち』(三宅香帆)(未読)ではここらへんどうまとめられているんだろうか
考察と批評はそれぞれ独立しているので対立する意味がわからないが、実際対立してるのおもろいな/最後の部分、一度受け入れられなかった設定を考察できるのか興味ある。無理なのでは無いかと予想してるが、どうなる
安っぽい意味で「批判」を使うな怒りテイストのコメント素晴らしい。
オチに笑った。ぜひやり通してほしい……。
批評は幸福を生み出さない、かあ。まあ「改善」に寄与できると考えること自体が傲慢なんじゃないのかなあ。改善されたものを提示できるのはクリエイターだけじゃん?
世間での受け取られ方『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』とかに近いのかもね。
考察って、直接的には描かれてない制作者の意図を推測することじゃないの?認識がかなり違う。
作りもしないやつが作品の改善に資するというのもいまいちピンと来ないわ。作品の改善ってのは製作者が消費者を分析して行うものであり、その逆には決してなり得ないんでは
批評というか情報整理は考察の下準備だと思うのだが、まあケーキにうんこがはいっていても、うんこをうんことして認識しなければ美味しく食べられるよな。
うまく言語化できないけど「それって考察するに値する?」という作品の考察が盛り上がっている時は萎える。ジークアクスとか。ボルダリング施設で「登山した!」と叫ぶ人を見てるみたいな気分
『かぐや姫』『シンエヴァ』で自分(批評)と息子(考察)に生じた相違がまさにこれで笑ってしまった。なおジークアクスは二人とも好きで、考察と批評で盛り上がった。まあ、そういうこともある。
なつかしいワードであるとともに、最近、SNSでチラチラ見かけるワードでもある
最近の動画方面の「考察」は、むかしからある二次創作方面の「解釈」に近い感じがする。翻案になるのを避けようとするかどうかの違い?
批評の定義が間違っている。そして、批評家気取りのクソ記事も批評ではない。スタンフォード哲学辞典を引いてください。批評は白紙の紙に売値をつけられる技術でもある。
「私は」こう受け取った、「私は」こういう気持ちになった、でいいと思うのですよね(「感想」と呼んでいます)自分は「考察」「批評」等の言葉は「こう受け取るのが正しい選手権」になりがちなので避けています
大変それっぽい論だけど超かぐや姫の批評ってほとんど見たことないし対立してるというのも初耳。(狙ってやっている)説明不足や負の面の排除、あるいはファン層が受け入れられないという人がいるのは知ってる。
繊細な信者的消費者が否定的(或いはフラット)な意見に過剰反応してるだけじゃないの
いわゆる「考察」動画なんて自分勝手な解釈で話を再構築していて、批評より傲慢じゃないかと思ってる
興味深い
線が引かれている箇所が不思議というか、考察ってそんなんだったけというか。推し活的な「考察」以外を「批評」に無理やり押し込んでない? (この人がというより世間がなんだろうけれど。「批判なき政治」と相似で。)
考察は妄想だし批評は難癖。結局はオタクが早口で語りたいだけの趣味だよなこれ
今の社会は考察が尊ばれます。
例示とは言えタワマンの件は本当に酷い。終盤でも彩葉は自分に分不相応だと思ってる。母親の呪縛のせいで他人を頼れなかった彩葉が,兄に頼って「かぐやのため」にタワマンに,という判りやすい成長譚なのに。