実際、火葬するのってグローバルには例外的な文化・社会よね(ゾンビがいないのは助かる) チベットなんかそんなに燃料ないし
大往生って事を大人は理解してるからだよね。そもそも大往生の自分の葬式でみんなに泣き悲しんで欲しいと思ってる人もいないと思うし。
100歳ならそんなもんやろなぁ。↓火葬は別に例外的じゃないんじゃないかな。土葬は土地的に贅沢な文化だし、今やアメリカですら火葬の方が多かったはず…(キリスト教も今は正教会や保守系以外は火葬容認らしい)
40年前ぐらいのウチの周辺ではお骨上げは中学生以下禁止だった。大人たちが「昔は女も禁止だった」と言いながら淡々と骨を骨壷に収めていた。60年前ぐらいまでまだ土葬が残っていた地域だけど。
優しい甥御さんでいいと思うけど、別に大人達が冷たいというわけじゃ無いと思います。
身内がなくなって火葬場で骨を見たとき、悲しいと同時に「長期にわたる苦しみが終わってよかったね」と思った。重い病気でずっと苦しんでいたので。遺族の思いはいろいろだよ。
プルトニウム電池のペースメーカーを火葬したらどうなるのか気になる件(たぶんどうもならない)
最初のツイート小並感すぎんだろ
この年代の人って骨が太いんですよねーと言われああそうなのってしか思わんかった
遠い親戚から近い親族まで、お葬式は何度か出たけど、骨を見られてあれこれコメントされるのは何かなぁ。自分は人の形を留めないほど、灰になるまで焼いてほしい。日本ではそれが可能な火葬場がまだ少ないようだけど
暑すぎてそれどころじゃなかった。
“火葬の完了を待つ間、故人の思い出話などをしつつ寿司食ったりするのも含めて、死を受け入れる儀式。 子どもが泣くのは現実を認識する能力がまだ未熟で、骨になってようやく受け入れるから。 どっちの反応も正常”
なんだかわかる。祖母の葬式で、途中までは別れを惜しむ気持ちで覚悟はできてるつもりだったのに、お骨あげのときに急に怖さと強い悲しみを感じました。生前のすがたをとどめているときと、お骨のときは違う気がする
そうかな、この世の悲しみ、苦しみから解き放たれてよかったねとしか思わなかった。近親者は全員闘病しての死なので
土葬で腐ってゾンビみたいになるほうが嫌だな
日本ではほぼ無いのですが東アジア葬儀の場で“職業として”泣き、嘆き、声を上げる女性がいて中国では「哭丧女(くさんにょ)」韓国では「곡녀(コンニョ)」などと呼ばれます。悲しみの表現は文化制度化されます
幼い子供の態度も正常だし、大人たちの態度も正常。
俺堆肥葬してもらいたいと思ってるんよね。土になりたい。どうにか合法化しないかな。
どちらもごく普通の火葬場の出来事だ/初めて火葬場まで行ったの祖父の時で、私は大学入試の二次試験の3日前だった。悲しいのと骨なのと二次試験なのとで、なんか感情がぐちゃぐちゃになって火葬場で号泣した18歳
火葬の直前に最後のお別れがある。そこでは感慨深かったが、骨上げは何ともないな。
骨は嫌で腐肉はいいのか
今はよくコントロールされてると思う。綺麗に灰になるし。祖父の時代は薪とかで、その、、、かなりグロかったらしい。
子供からしたらトラウマなんだよな…人の形をしていた家族が骨だけになって「生き返ることはない」て事実を突きつけられるから
甥に九相図巻を見せてあげれば https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/538108
1月に父が急死して骨上げしたけど、昨年8月にクリッピング術受けたばかりだったから頭部付近にクリップが焼け残って出てきてた。骨になってもそういう生きてた時の証みたいなのが残っててなんとも言えんかったな。
どっちも正常。子供って純粋だなあと思うツイ主も正常。
悲しいというのとは別に本物の骨はそれ自体が子ども心にキツいものではあったな
若い頃、出てきた骨を思った以上に激しくガンガン砕いて骨壺に入れるのを見て、そーゆーもんなの?って気持ちにはなった
祖父の頭骨の骨壷に入らない大きなパーツを私の伯父が箸で突ついて崩して入れてた時、人生経験積んできたんだなと尊敬した。
あえていうなら、そういうのに正常とか異常とかある種の「尺度」みたいなのを持ちたがる事のを正常とは言いたくない派です
うちの子が小1のときは親戚の収骨後しめやかな空気の中「骨おもしろかったねー!」って言ってめちゃくちゃ気まずかったぞ。人による。
客観的に考えると最近まで生きてた人間の骨を箸で拾うって中々に異様な光景だよな。生まれたときからそうだからと受け入れてるのが文化とか宗教ってものだけど。/昔から鳥葬ならそれも普通に受け入れるんだろうなあ
そのガチ泣きしていた感受性豊かな小学生も、これから何度も火葬現場を見ていくうちに、「これペースメーカーや」と言う大人になっていく。それが哀しいことなのか、大人になるということなのか、よく分からない
個人的には、ホネホネロックは可愛げがあるけどゾンビはガチで嫌だから、焼き文化で良かった〜と思っている。今は骨壷もおしゃれなのあるし
そうか?そもそも葬儀なんて残されたものの気持ちの整理のためにやるもんなんだからそうやって受け入れるほうが正しいと思うが。
母は「年長者から死んでいくのは自然の摂理で何も悲しむことはない」と自分の父(俺から見たら祖父)が死んだときに話してた(と言っても俺3歳、母20代後半の時に母方祖母が死んだときには母は大泣きしてたけどね)。
何を根拠に異常と。歳を経ることで死への認識が深まっていくことはふつうにある。
うちの地域では、火葬後シャッフルされた骨を見せられるのだが、地域によっては人の形のまま見せられるらしい。それはさすがに堪えてしまう。
子供の反応も大人の反応もそんなもんだとしか。
“「骨壺に全部入るの?」と思ったんだけど実際ギリギリだったらしく、火葬場の職員さんが一生懸命に上から押し込んで入れていた。”自分が見た事例は全部骨壺に入れずに残りは火葬場で処分してもらっていた記憶が…
お互い、まだ「かわいそう」としか言えない子供の「かわいそう」にもうちょっと多めのバックグラウンドみたいなものを見て取れる大人になりましょうね、てきな教訓として持ち帰るってのはどうですか。
( 「火葬場の残骨灰〔というらしい〕から貴金属回収」の記事あったからたぶん骨壺にいれるのは一部… )
もう面倒くさいし生命が終わったあとの肉体なんて水35L炭素20kg以下略でしかないんだから、生ゴミとまとめて燃やして埋め立てといて欲しいと思う派としてはどっちも異常。
棺桶に入っていた時は悲しかったけど、火葬場から出てきた時はそれらほどでもなかったな。スタッフの人が淡々と部位を説明しながら骨壷に入れていたからというのもあるかも
お葬式にもだんだん慣れていっちゃうのかな…。
泣くタイミングはそこじゃないと思うよ
かわいそうなのはどの部分だろう?
「正常」が1パターンだけで当てはらまらないのは「異常」という考え方には同意しかねるな。どちらも年齢相応の反応だと思う。
どんな反応も正常。通夜、初七日…十三回忌を経て、川の流れのように、自分の番が来るのです。
「あれ?まだ結構骨残ってるけどそれは拾わなくていいんだ」と思ったことはあるな
骨になっちまったときの不可逆な感じがね、踏ん切りがつくんよ/京都で葬式を挙げたときは、ざっくり主要な骨を入れてたけど、東京の叔父の葬式のときは灰も残らず入れてたな。でけえ骨壺やった。納骨の時大変やった
「正常」とはなんだろうね?
なかなか聞く機会のないことなので、自分以外の人の話がきけて参考になった。合掌🙏
正常/異常という判断を下す姿勢に疑問符
火葬、私は6歳の頃、弟は14歳頃が初めて。弟がショックを受けてるのを見てそんな歳になるまで(人の営みとして自然なことを)知らなかったのかと思った。同時に高齢な親類が次代にしてあげられる学びの機会なのかとも
ひいばあちゃんの葬式とじいちゃんの葬式しか火葬まで立ち会ったことないがこの時点で泣いてる人は見たことないな
何度か経験して大人になっていくんでしょ。
大人ほど何人もの葬式体験するからな
皆まあ歳取ってすっかり火葬もわかった気になっているかもしれませんけど、東日本と西日本で骨壷の大きさ全然違うので、骨上げの常識の半分しか知らない人が多いと思いますよ。引っ越したらびっくりしたもん。
ペースメーカー、爆発しそうだなと思ったら、やっぱり申告必要なんだな
斎場の職員が淡々と喉仏の名前の由来について説明するのがなんか面白かった記憶
弔い方はそれぞれであり、受け止め方もそれぞれだからな。まだ子供は「死」を実感する、受け入れるには経験も日も浅く、大人は酸いも甘いもいつかの喪失も噛み締めてその場にいることができる。
感受性。人間が死んだ後物体感丸出しの乾いた骨になってしまう身も蓋も無い現実に直面したわけですね。
そういえば骨壺って陶磁器しかないのかな? 桐箱とか石・貴石(花崗岩とかネフライトとか)のはあるのだろうか? 岩石系を生業としてた人(岩石額の学者とか石屋さんとか)は石でつくりたいのかな?
昨年祖母を見送った お骨上げのとき70代の母とおじが「しっかりした骨や〜」「さすがばあちゃんや」などしみじみ言っていて、ほんまに分かるんかいなと何かおもしろかったけど堪えて厳粛に努めた
骨を拾うのが、人生で初めてか、何十回目かで印象が変わってくる
最近祖母の葬儀をしたけど、男性は泣かない人多かったな。子供の頃からよく会っていた自分も全く泣けなかった。家庭にもよりそう
ひとそれぞれの話
「かわいそう」な姿を初めて見る甥と違って周りの大人は前々からこの姿を予見してるでなぁ。いきなり事故死とか見たら大人でも泣く
残された者が受け入れられるように整然とした儀式が発達していったんだろうな
そんなことないでしょ。骨に可哀想とか思う方が異常だよ。
怖いとか言ってたな
日本製少年の「私が死んだら、燃えないゴミの日に出してね」を思い出した
小学生になる前に親族の葬式に出たら火葬の時に自分が燃やされる恐怖感を覚えている。それからなのかわからないけど、小学生の間は魂が肉体に定着してない感覚と死の恐怖だけ残ったな
関係ないけど、お骨の焼き加減は地方によって違うそうだ。埼玉育ちの母が名古屋の父方のお骨は残る量も多く、大きくて驚いたそう。ブコメにあるけど、自分の感覚を「正常」と言い、他者を否定するのはおかしいと思う
お骨上げは本人の希望が無い限り未成年はさせない方がいい
小一と大人の死生観が同じなわけないだろう。小一に参加させるのはどうかと思う。
大人は人前では泣かん文化だからそんなんもんでは。その場で泣いてもいいがつつが無く終わらせて後で泣いても構わないし責められる事では無い。葬式に参列しているぐらいなら悼み機会は自由で余計なお世話だ。
大往生だと焼き場の担当の人も、これは歯の詰め物が焼けたあと、お年にしては沢山残ってますね、とか色々楽しそうに説明してくれて和気あいあいとするもの。若い子だと悲しいだろうな。
まあ受け入れ方に個人差はあると思うが、身内の死を受け入れるために考えられた儀式なんだから子供でも参加させるべきと思う。
死に対する解像度の違いだねー
火葬するときって連絡や調整や通夜や葬儀とかイベントごとがひととおり済んで終わりが見える頃なので一周回ってリラックスした気持ちになる。ようやく段取りとか会計とか気にせず悼むことができる。
ペースメーカーは取り出さないと!/旅立った祖母は交通事故で怪我を負い大腿骨を金属で固定していたので、灰とプレートを遺していった。
亡くなったということをはっきり見せるための儀式だと思ってる。人やペットの死が分からない子供が増えているという話を聞いていた親はことあるごとにこれは死んでるということをよく説明してくれていた
小1の時焼いた出てきたの見たのはカルチャーショックみたいな衝撃があったけど、より怖かったのは棺の釘打ちだったな⋯⋯閉じ込める感というか、今無くなったのは子供のみならず忌避感があったからなんだろうな
あえて重くしないように振る舞ってると思うよ。少なくとも私はそうだった。
喉仏の説明はテンプレなのかな?連発で行くと遺族ですらさすがに作業ムーブになってしまう。
土葬してる人からしたら狂人なのかな
火葬場に行くのってほんまに最後の最後やしなあ。喪主とかの近い人なんか忙しくて泣いてる暇ないし……
「お爺ちゃんもう焼けたかな?もう焼けたかな?」とパンの焼き上がりを待つようなテンションで親御さんに尋ねていた親戚の坊やを思い出す
これが正常あれが異常と安易に決めつけることの方が異常というか不合理なのである
法事に正常も異常もない
かわいそうって意味わからん。そんな事思った事ないな
経験的には、お骨を拾う段階になると悲しみより「お疲れさまでした」という気持ちの方が強くなってくる。納棺のときが一番つらい
火葬よりも遺体を見た時のほうがショックだった。魂入ってないとこうなるんだって
生前数回ほどしか会っていない祖母が亡くなったとき、300km移動して葬儀に参加して、お骨上げの時にブワァって泣きだしたら周りも泣き出す。年齢的には大往生でも、人をおくる時はやっぱり哀しいもの。母の母ですし
死の認識って加齢やそれの回数で変わるじゃん
ペースメーカーは火葬で爆発して炉を破壊するから、死後エンゼルケアの際に、在宅なら訪問診療医が取り出す。なお祖母の火葬ではチタンの人工関節がでてきて、「すべすべだね~」と盛り上がり骨壺に入れた。
個人の感情に正常も異常もないだろよ。
わたしも子供の頃祖母が亡くなったときは葬儀で号泣してたけど大人になって両親が亡くなったときはウルッとはしたもののなんか不思議なくらい冷静だったっけ。
祖母の葬儀、火葬してお骨上げするとき周囲の大人は「これペースメーカーや」と興味津々で収骨していたが、甥は「かわいそう」とガチ泣きしていた
実際、火葬するのってグローバルには例外的な文化・社会よね(ゾンビがいないのは助かる) チベットなんかそんなに燃料ないし
大往生って事を大人は理解してるからだよね。そもそも大往生の自分の葬式でみんなに泣き悲しんで欲しいと思ってる人もいないと思うし。
100歳ならそんなもんやろなぁ。↓火葬は別に例外的じゃないんじゃないかな。土葬は土地的に贅沢な文化だし、今やアメリカですら火葬の方が多かったはず…(キリスト教も今は正教会や保守系以外は火葬容認らしい)
40年前ぐらいのウチの周辺ではお骨上げは中学生以下禁止だった。大人たちが「昔は女も禁止だった」と言いながら淡々と骨を骨壷に収めていた。60年前ぐらいまでまだ土葬が残っていた地域だけど。
優しい甥御さんでいいと思うけど、別に大人達が冷たいというわけじゃ無いと思います。
身内がなくなって火葬場で骨を見たとき、悲しいと同時に「長期にわたる苦しみが終わってよかったね」と思った。重い病気でずっと苦しんでいたので。遺族の思いはいろいろだよ。
プルトニウム電池のペースメーカーを火葬したらどうなるのか気になる件(たぶんどうもならない)
最初のツイート小並感すぎんだろ
この年代の人って骨が太いんですよねーと言われああそうなのってしか思わんかった
遠い親戚から近い親族まで、お葬式は何度か出たけど、骨を見られてあれこれコメントされるのは何かなぁ。自分は人の形を留めないほど、灰になるまで焼いてほしい。日本ではそれが可能な火葬場がまだ少ないようだけど
暑すぎてそれどころじゃなかった。
“火葬の完了を待つ間、故人の思い出話などをしつつ寿司食ったりするのも含めて、死を受け入れる儀式。 子どもが泣くのは現実を認識する能力がまだ未熟で、骨になってようやく受け入れるから。 どっちの反応も正常”
なんだかわかる。祖母の葬式で、途中までは別れを惜しむ気持ちで覚悟はできてるつもりだったのに、お骨あげのときに急に怖さと強い悲しみを感じました。生前のすがたをとどめているときと、お骨のときは違う気がする
そうかな、この世の悲しみ、苦しみから解き放たれてよかったねとしか思わなかった。近親者は全員闘病しての死なので
土葬で腐ってゾンビみたいになるほうが嫌だな
日本ではほぼ無いのですが東アジア葬儀の場で“職業として”泣き、嘆き、声を上げる女性がいて中国では「哭丧女(くさんにょ)」韓国では「곡녀(コンニョ)」などと呼ばれます。悲しみの表現は文化制度化されます
幼い子供の態度も正常だし、大人たちの態度も正常。
俺堆肥葬してもらいたいと思ってるんよね。土になりたい。どうにか合法化しないかな。
どちらもごく普通の火葬場の出来事だ/初めて火葬場まで行ったの祖父の時で、私は大学入試の二次試験の3日前だった。悲しいのと骨なのと二次試験なのとで、なんか感情がぐちゃぐちゃになって火葬場で号泣した18歳
火葬の直前に最後のお別れがある。そこでは感慨深かったが、骨上げは何ともないな。
骨は嫌で腐肉はいいのか
今はよくコントロールされてると思う。綺麗に灰になるし。祖父の時代は薪とかで、その、、、かなりグロかったらしい。
子供からしたらトラウマなんだよな…人の形をしていた家族が骨だけになって「生き返ることはない」て事実を突きつけられるから
甥に九相図巻を見せてあげれば https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/538108
1月に父が急死して骨上げしたけど、昨年8月にクリッピング術受けたばかりだったから頭部付近にクリップが焼け残って出てきてた。骨になってもそういう生きてた時の証みたいなのが残っててなんとも言えんかったな。
どっちも正常。子供って純粋だなあと思うツイ主も正常。
悲しいというのとは別に本物の骨はそれ自体が子ども心にキツいものではあったな
若い頃、出てきた骨を思った以上に激しくガンガン砕いて骨壺に入れるのを見て、そーゆーもんなの?って気持ちにはなった
祖父の頭骨の骨壷に入らない大きなパーツを私の伯父が箸で突ついて崩して入れてた時、人生経験積んできたんだなと尊敬した。
あえていうなら、そういうのに正常とか異常とかある種の「尺度」みたいなのを持ちたがる事のを正常とは言いたくない派です
うちの子が小1のときは親戚の収骨後しめやかな空気の中「骨おもしろかったねー!」って言ってめちゃくちゃ気まずかったぞ。人による。
客観的に考えると最近まで生きてた人間の骨を箸で拾うって中々に異様な光景だよな。生まれたときからそうだからと受け入れてるのが文化とか宗教ってものだけど。/昔から鳥葬ならそれも普通に受け入れるんだろうなあ
そのガチ泣きしていた感受性豊かな小学生も、これから何度も火葬現場を見ていくうちに、「これペースメーカーや」と言う大人になっていく。それが哀しいことなのか、大人になるということなのか、よく分からない
個人的には、ホネホネロックは可愛げがあるけどゾンビはガチで嫌だから、焼き文化で良かった〜と思っている。今は骨壷もおしゃれなのあるし
そうか?そもそも葬儀なんて残されたものの気持ちの整理のためにやるもんなんだからそうやって受け入れるほうが正しいと思うが。
母は「年長者から死んでいくのは自然の摂理で何も悲しむことはない」と自分の父(俺から見たら祖父)が死んだときに話してた(と言っても俺3歳、母20代後半の時に母方祖母が死んだときには母は大泣きしてたけどね)。
何を根拠に異常と。歳を経ることで死への認識が深まっていくことはふつうにある。
うちの地域では、火葬後シャッフルされた骨を見せられるのだが、地域によっては人の形のまま見せられるらしい。それはさすがに堪えてしまう。
子供の反応も大人の反応もそんなもんだとしか。
“「骨壺に全部入るの?」と思ったんだけど実際ギリギリだったらしく、火葬場の職員さんが一生懸命に上から押し込んで入れていた。”自分が見た事例は全部骨壺に入れずに残りは火葬場で処分してもらっていた記憶が…
お互い、まだ「かわいそう」としか言えない子供の「かわいそう」にもうちょっと多めのバックグラウンドみたいなものを見て取れる大人になりましょうね、てきな教訓として持ち帰るってのはどうですか。
( 「火葬場の残骨灰〔というらしい〕から貴金属回収」の記事あったからたぶん骨壺にいれるのは一部… )
もう面倒くさいし生命が終わったあとの肉体なんて水35L炭素20kg以下略でしかないんだから、生ゴミとまとめて燃やして埋め立てといて欲しいと思う派としてはどっちも異常。
棺桶に入っていた時は悲しかったけど、火葬場から出てきた時はそれらほどでもなかったな。スタッフの人が淡々と部位を説明しながら骨壷に入れていたからというのもあるかも
お葬式にもだんだん慣れていっちゃうのかな…。
泣くタイミングはそこじゃないと思うよ
かわいそうなのはどの部分だろう?
「正常」が1パターンだけで当てはらまらないのは「異常」という考え方には同意しかねるな。どちらも年齢相応の反応だと思う。
どんな反応も正常。通夜、初七日…十三回忌を経て、川の流れのように、自分の番が来るのです。
「あれ?まだ結構骨残ってるけどそれは拾わなくていいんだ」と思ったことはあるな
骨になっちまったときの不可逆な感じがね、踏ん切りがつくんよ/京都で葬式を挙げたときは、ざっくり主要な骨を入れてたけど、東京の叔父の葬式のときは灰も残らず入れてたな。でけえ骨壺やった。納骨の時大変やった
「正常」とはなんだろうね?
なかなか聞く機会のないことなので、自分以外の人の話がきけて参考になった。合掌🙏
正常/異常という判断を下す姿勢に疑問符
火葬、私は6歳の頃、弟は14歳頃が初めて。弟がショックを受けてるのを見てそんな歳になるまで(人の営みとして自然なことを)知らなかったのかと思った。同時に高齢な親類が次代にしてあげられる学びの機会なのかとも
ひいばあちゃんの葬式とじいちゃんの葬式しか火葬まで立ち会ったことないがこの時点で泣いてる人は見たことないな
何度か経験して大人になっていくんでしょ。
大人ほど何人もの葬式体験するからな
皆まあ歳取ってすっかり火葬もわかった気になっているかもしれませんけど、東日本と西日本で骨壷の大きさ全然違うので、骨上げの常識の半分しか知らない人が多いと思いますよ。引っ越したらびっくりしたもん。
ペースメーカー、爆発しそうだなと思ったら、やっぱり申告必要なんだな
斎場の職員が淡々と喉仏の名前の由来について説明するのがなんか面白かった記憶
弔い方はそれぞれであり、受け止め方もそれぞれだからな。まだ子供は「死」を実感する、受け入れるには経験も日も浅く、大人は酸いも甘いもいつかの喪失も噛み締めてその場にいることができる。
感受性。人間が死んだ後物体感丸出しの乾いた骨になってしまう身も蓋も無い現実に直面したわけですね。
そういえば骨壺って陶磁器しかないのかな? 桐箱とか石・貴石(花崗岩とかネフライトとか)のはあるのだろうか? 岩石系を生業としてた人(岩石額の学者とか石屋さんとか)は石でつくりたいのかな?
昨年祖母を見送った お骨上げのとき70代の母とおじが「しっかりした骨や〜」「さすがばあちゃんや」などしみじみ言っていて、ほんまに分かるんかいなと何かおもしろかったけど堪えて厳粛に努めた
骨を拾うのが、人生で初めてか、何十回目かで印象が変わってくる
最近祖母の葬儀をしたけど、男性は泣かない人多かったな。子供の頃からよく会っていた自分も全く泣けなかった。家庭にもよりそう
ひとそれぞれの話
「かわいそう」な姿を初めて見る甥と違って周りの大人は前々からこの姿を予見してるでなぁ。いきなり事故死とか見たら大人でも泣く
残された者が受け入れられるように整然とした儀式が発達していったんだろうな
そんなことないでしょ。骨に可哀想とか思う方が異常だよ。
怖いとか言ってたな
日本製少年の「私が死んだら、燃えないゴミの日に出してね」を思い出した
小学生になる前に親族の葬式に出たら火葬の時に自分が燃やされる恐怖感を覚えている。それからなのかわからないけど、小学生の間は魂が肉体に定着してない感覚と死の恐怖だけ残ったな
関係ないけど、お骨の焼き加減は地方によって違うそうだ。埼玉育ちの母が名古屋の父方のお骨は残る量も多く、大きくて驚いたそう。ブコメにあるけど、自分の感覚を「正常」と言い、他者を否定するのはおかしいと思う
お骨上げは本人の希望が無い限り未成年はさせない方がいい
小一と大人の死生観が同じなわけないだろう。小一に参加させるのはどうかと思う。
大人は人前では泣かん文化だからそんなんもんでは。その場で泣いてもいいがつつが無く終わらせて後で泣いても構わないし責められる事では無い。葬式に参列しているぐらいなら悼み機会は自由で余計なお世話だ。
大往生だと焼き場の担当の人も、これは歯の詰め物が焼けたあと、お年にしては沢山残ってますね、とか色々楽しそうに説明してくれて和気あいあいとするもの。若い子だと悲しいだろうな。
まあ受け入れ方に個人差はあると思うが、身内の死を受け入れるために考えられた儀式なんだから子供でも参加させるべきと思う。
死に対する解像度の違いだねー
火葬するときって連絡や調整や通夜や葬儀とかイベントごとがひととおり済んで終わりが見える頃なので一周回ってリラックスした気持ちになる。ようやく段取りとか会計とか気にせず悼むことができる。
ペースメーカーは取り出さないと!/旅立った祖母は交通事故で怪我を負い大腿骨を金属で固定していたので、灰とプレートを遺していった。
亡くなったということをはっきり見せるための儀式だと思ってる。人やペットの死が分からない子供が増えているという話を聞いていた親はことあるごとにこれは死んでるということをよく説明してくれていた
小1の時焼いた出てきたの見たのはカルチャーショックみたいな衝撃があったけど、より怖かったのは棺の釘打ちだったな⋯⋯閉じ込める感というか、今無くなったのは子供のみならず忌避感があったからなんだろうな
あえて重くしないように振る舞ってると思うよ。少なくとも私はそうだった。
喉仏の説明はテンプレなのかな?連発で行くと遺族ですらさすがに作業ムーブになってしまう。
土葬してる人からしたら狂人なのかな
火葬場に行くのってほんまに最後の最後やしなあ。喪主とかの近い人なんか忙しくて泣いてる暇ないし……
「お爺ちゃんもう焼けたかな?もう焼けたかな?」とパンの焼き上がりを待つようなテンションで親御さんに尋ねていた親戚の坊やを思い出す
これが正常あれが異常と安易に決めつけることの方が異常というか不合理なのである
法事に正常も異常もない
かわいそうって意味わからん。そんな事思った事ないな
経験的には、お骨を拾う段階になると悲しみより「お疲れさまでした」という気持ちの方が強くなってくる。納棺のときが一番つらい
火葬よりも遺体を見た時のほうがショックだった。魂入ってないとこうなるんだって
生前数回ほどしか会っていない祖母が亡くなったとき、300km移動して葬儀に参加して、お骨上げの時にブワァって泣きだしたら周りも泣き出す。年齢的には大往生でも、人をおくる時はやっぱり哀しいもの。母の母ですし
死の認識って加齢やそれの回数で変わるじゃん
ペースメーカーは火葬で爆発して炉を破壊するから、死後エンゼルケアの際に、在宅なら訪問診療医が取り出す。なお祖母の火葬ではチタンの人工関節がでてきて、「すべすべだね~」と盛り上がり骨壺に入れた。
個人の感情に正常も異常もないだろよ。
わたしも子供の頃祖母が亡くなったときは葬儀で号泣してたけど大人になって両親が亡くなったときはウルッとはしたもののなんか不思議なくらい冷静だったっけ。