ナショナリズムはいいぞってこと?
"「施し」の物語が欲しいだけで、別に実際に困っている人や弱い人の人生が回復することには興味がないのだと思う。だから「公助」だとイヤなのだ。自分たちが主役になって「施す」ことができないからだ"
“隣近所と良好な関係を保ち、ムラでよい位置にいないと醤油も手に入らない社会は弱者には「地獄」” / 「はいn人組作ってー」であぶれがちだった人間にはよくわかる
党派性から少し離れて論じた方が良いような…。左翼とか上級とか大組織でヌクヌクしてる人とか、左にも右にもやたら仮想敵を設定してるけど。『だから「公助」一択』なんて、それこそ左翼が過去に通った道なのも皮肉
サンデルの「共同体論」の「共同体」とは別物だな。
「「共助」の理想化に懐疑的だ。彼ら彼女らの言っていることは結局豊かな人間関係に恵まれて、豊かな関係性を築くのがよいという話で、はっきり言って社会思想として意味がない」うふふ。利益を期待しない人もいるよ
経済的新自由主義に対して社会的新自由主義という発想。これはそうだよね。
メンタル生活保護勘当とどん底まで堕ちて、這い上がってきたんだけど、なんでこれをちゃんと言える人がもっと居ないんだろうね……歯痒いよ。まだ這い上がってる途中で自分のことで手一杯だよ。
“左翼が目の敵にする「新自由主義」がメリトクラシーに基づいた経済的な「新自由主義」なら、彼ら彼女らの主張はコミュ力に基づいた人間関係的「新自由主義」だ”/元地元みたいなものなので深沢のPDFは2回読んだ
まあ支持できる。
人生ハブられなので言いたいことは分かる
「公助」には何より機能する公共とインフラが必要なので、余裕のない田舎では「共助」にならざるを得ない/皆が都市に住めるわけじゃない
都会の生活が気楽と言うのもそういうところかな。
大学のオタサーになじめずにオタクを呪詛することにキャリアをかけてきた宇野センセーが言うと、説得力が違いますなあ(笑)/社会になじめない無能な理屈屋は、すぐこういう事を言い出す
公助だけだと法という網目や隙間から落ちてしまう人がでる。パターン化できない事象は共同体が救う。どちらも在ることが重要で、お互いを対抗軸にしてはいけないし、無理にするならポジショントークだよ
リベラルを標榜する人たちの何がダメかがふわっと頭の中にあることが言語化されている。
まぁ納得はするんだけど、世の中は猛スピードで共助に向かってるので乗りこなす必要はあるんだよ。大きな物語を必要としない、ゆるい共助を成立させるみたいな実験はずっとやってる。
公助が大事、には同意しつつも共同体に依存しない公助って不可能ではないかと思う。「公助だから」という理由で、共同体を通じた接点がない人を助けるために税金を使うことに納得する人は少ないでしょ。
これは確かにそうだな。コミュニティって言葉に何か実態がない感じはする
デメリットのことよりも、メリットの大きさと深さと広さと、なにより負担感を低く見ているのではないかと思うことが最近増えた。実はそれ共同体や関係性によるものなのに、という感覚を持たせているのではと。
“左翼が目の敵にする「新自由主義」がメリトクラシーに基づいた経済的な「新自由主義」なら、彼ら彼女らの主張はコミュ力に基づいた人間関係的「新自由主義」だ。”
公開部分だけ読んだ 現状について同じ感想です
共同体は常に「村八分」を生むからね。
日本の反共同体主義は公助(制度)を理想化し正しさが前提化されることで制度全体主義的な方向に接続しうる“芽”が確かに存在する。日本の「左派リベラル」は制度を「なんとなくいいもの」として扱う脆弱性がある
“隣近所と良好な関係を保ち、ムラでよい位置にいないと醤油も手に入らない社会は弱者には「地獄」だ”
公助が大切で第一であることに異論はないが、それだけだと市民の日常視野から要支援者が消え、記号化され、「想像上の他者」を標的とした制度への反感に繋がる。そこを補完するものとして共助やケアの論理がある。
うーん、そうではなくて「共同体」のあり方、「カースト」の基準をもっと多様に、と思うのだけど。いわゆる「陰キャ」や「コミュ障」が人間関係を必要としないのかというと、必ずしもそうじゃないでしょう。
それらがゼロになるのも地獄だろ。極論。
オタクは引きこもりをやめて地元木更津で野球しろとか言ってたのは撤回したのだろうか。
よい関係性というものを構築するのが困難な側なので共同体というものを常にうっすら憎んでいるのでわかる
そんな公助オンリーの社会なんて過去に一度も存在しないし、未来でも不可能だよ。可能とすれば、個人が番号のみで生涯すべてを管理される超科学のディストピアだけだわ。そんな科学力あるなら意識を情報化してえわ。
これ自体が百万回も言われた戯言。「公」はどんな基準だろうが強者が主導し、そこで弱者への「公助」など期待できない。だから弱者こそチカラが必要で、それにはつながるしかないんだよ。弱者とは公助が届かない者だ
「醤油がなくなれば醤油を借りられる社会」では乞食ばかりになってしまうよな 貸すタイプだと思われたら群がって毟られる
社会的弱者には自助>公助>共助の順で適用し、公助にも漏れてしまうような「助けにくい人」をも助ける強い意志のある人達が行政の支援を受けて最後を守るという形が現代では効率的ではないかと考えている。
また左翼か。また公助頼みか。大きくて非効率な政府がいいのか?
公民館に醤油置いとけばいい🤔
制度的なセーフティネットまで共同体に依存するようだと良くないが、結局その福祉は極めて制限されざるを得ないだろうね。
“別に実際に困っている人や弱い人の人生が回復することには興味がないのだと思う” うんパワーワードやね。
関係性を極小化した公助って結局税金と福祉制度だったりするんだよね。でももう、私以外のほとんどの日本人はこれが嫌でしょうがない。
“カースト上位に行きやすい陽キャや金持ちや権威のある人にとって、大抵の共同体は居心地が良いだろう”内部の「法」を作る側にまわれるしね/それでも悲観的にすぎんか?
『「資本主義+再分配」(社会民主主義)』が望ましいと(´-`)コミュニタリアニズムの気持ち悪さ難しさみたいなところが自動化制度化でカバーできるならその方が楽で良いなぁ
弱者は強者とその取り巻きに批判されてもルサンチマンを決して手放すべきではない理由の一つ
これはとても正しいんだけど、少子高齢化が急速に進む現状で「公助」が今より良くなる可能性は皆無なんですよね。
まず公助が第一、に異論はないが、この人の共助のイメージは「施し」的なものしかないのか?と違和感。醤油の融通って、貧乏長屋の普段は仲良くもない近所同士がいざとなれば見かねて助けるとかそういうことでは。
誰もが自分の出身地は「何もない」と答えるようにほとんどの鎌倉市民は「自分の街には何もない」と答えるだろう。あなたは隣の住民の職業や勤め先を知っているか。公助も共助も存在しない。誰もが自助のみの時代。
(無料部分のみ読了)言いたいことはわかるしその通りだとも思うけど、何だかすごく怒ってるなー。この人こんなケンカ腰の文章書く人だったっけ。
宇野常寛さんは自分の客層が家族を持てない陰キャな独身中年男性であることを理解して、そういう人を慰めるためのストーリテリングに徹してるだけだと思う ポジション取り商人としてとても賢い人だと昔から思うよ
公助一択は、公に対する不信感を持つ人にとっては地獄なのでは。生活保護を水際作戦で止められた人、毒親からも民事不介入で守ってもらえなかった人が、公助を選択できるか
なぜ、一理あるものについて、いつもわざわざ敵を作る物言いをするのか……20年くらい、ずっとまたか!!!
意識高い市民たちの空疎な「共助ごっこ」と、公が進める共助とは少し性質が違うのでは。国や自治体は本当に公助に回すお金がなくて「なるべく皆さん同士で助け合ってください」と言っているのであって
公助のみってのもまた一種の極端で、自分が信じる教条を実現可能性無視でトップダウンに振りかざすならバラモン左翼になる。「共同体から漏れる人を一定想定した仕様」の必要性は理解するが。
夢見たいなキラキラした関係を共同体とか言ってるからおかしいんだよな。セーフティネットのために協力する関係性を共同体と考えるべきなんだと思う。
そういうサヨク的な社会は持続可能ではない
言及されてる村岡深沢地区が実際にどんなとこか知ってるひとはたぶん少ない(鎌倉へアクセスするのに同地区から長谷に至るルートを使ったら絶対にダメ。これも机上の空論(単なるジェントリフィケーション)でしかない
日本人同士もついこの間まで殺し合ってたしね。もっと小さくなるべきだね
これは鋭い指摘だし、本当によくわかる。「ソーシャル・グッド」のようなものに対して、自分も一定は肯定的に捉えつつ本質的な欺瞞も覚えてしまう。結局ハイパーメリトクラシー的な新自由主義社会には変わりない。
相変わらず宇野さんはブレないすなあ。共同体に依存しない「公助」とは究極的には「人類愛」に基づくしかないと思いますけど、それを私たち万人で保持できるかどうか、果たして。
過去の田舎の共同体がときには息苦しい関係だったかもしれないけど、今や移動の自由、職業選択の自由があるんだから、ある程度は、共同体のいいとこ取りできるだろ。あと、共同体無くなったら文化も無くなるよね。
70〜80年代のフェミニズムが議論済みの話で、社会思想としての新規性が分からない。公助で食うものにも戦争にも困らなくなったら、今度は氷河期だの、恋愛弱者などと言い出して終わりがない。
これは共助の否定という話ではなく共助とはそもそもがその程度のものと捉えるべき話でしょ。だからこそ子供食堂のように選択と集中で予算を削った行政が共助に福祉を丸投げするような事例を許しちゃいけないんだよ
公助を届ける回路として「中間団体」が重要だったんだけどね。で、これを公から直接的に配分するとなると、超監視社会と紙一重になるんじゃないかなー、とも思う。
コテンラジオかどこかで資本主義の話をしたときと似てる話。100円で100円のものを買える社会は良くて、封建社会とかだと金銭より有力者との関係性や身分が重要になって、生まれで覆せなくなったりする
まあ、この理屈はわかるんだけど、そうすると現実的には十分に強力な権力を備えた国民国家の下での全体主義という方向に行ってしまう気もするが、そのへんの危険?についてはどう思うのかな
本当に公助が存在するならいいけど、実際には醤油が手に入らない人を一箇所にあつめ国から金もらうNPOとかだから
共同体を否定批判する人に限って、自分が国や自治体といった共同体に守られてる事に無自覚なんだよな。他人が作ったハコがないと何もできないのにね。先ずは無人島で独居生活してから否定批判してもろて。
ぼっちが良いという人だからなあ.孤独はメンタルがやられるからバランスが必要だと思うが.
それでも共同体を作ることは生存戦略として強いんだよ。公助は再分配するエネルギーが十分にあればいいけど、現在の日本のような貧乏国家では難しい。またバラバラな個ではエネルギーの無駄が多くなるからな
本文とそれに反発するブコメと読んでると、共助という言葉が前提してる景色がすごくグラデーションある感じするな。まあそもそもが自と公のあいだの中間領域という曖昧な定義なんだろうからな
この方はテクノクラートによる効果的加速主義についてどう思うのだろうか
論旨には賛成だしサンダースやマムダニが一定の支持を得たように賛成者は一定数居ると思うが、「公=国=でかい共同体」だし、公助を充実させるには結局「同じ日本人」という共同体意識が根底に必要と思う。
関係性ってなんなんだよ、といいたい。本来はどう考えても関係を射に持つ圏間の関手であって関係そのものじゃないだろ。
例えば核家族化が進んだせいで祖父母に頼れなくなって子育ての難易度が上がったりとかは、共同体が破壊された結果と捉えることもできる。姑ウザいとか共同体を害悪と決めつけすぎたのが現代社会の課題だと思う。
リベラル派の理想的空論とは異なり、本来の共同体とは地縁血縁の束縛・村の行事への強制参加とか首から下の共同行動の義務とセット。コミュ障にはまじでつらいぞ。転勤族の家の子でプロよそ者だった宇野氏らしい視点
「真の弱者は助けたくなる姿をしていない」問題の話で、真の弱者は共同体に入れないし共助をメインにするとこぼれ落ちるってことだろう。日本は助け合いの道徳観が強いので、助けどころか礼儀も返せない人は入れない
“Facebookでソーシャルグッドなイベントへの参加を「報告」するのに余念がない人たち” “彼らのセルフブランディングに寄与するだけで意味がない”
宇野先生の活動の原点→"陰険な飲み会パワハラ系おじさんが権力を握るケース"
「地獄への道は善意で敷き詰められている」というやつだ
「共同体」「関係性」を「なんとなくいいもの」と思考停止すると「地獄」が待っている|宇野常寛
ナショナリズムはいいぞってこと?
"「施し」の物語が欲しいだけで、別に実際に困っている人や弱い人の人生が回復することには興味がないのだと思う。だから「公助」だとイヤなのだ。自分たちが主役になって「施す」ことができないからだ"
“隣近所と良好な関係を保ち、ムラでよい位置にいないと醤油も手に入らない社会は弱者には「地獄」” / 「はいn人組作ってー」であぶれがちだった人間にはよくわかる
党派性から少し離れて論じた方が良いような…。左翼とか上級とか大組織でヌクヌクしてる人とか、左にも右にもやたら仮想敵を設定してるけど。『だから「公助」一択』なんて、それこそ左翼が過去に通った道なのも皮肉
サンデルの「共同体論」の「共同体」とは別物だな。
「「共助」の理想化に懐疑的だ。彼ら彼女らの言っていることは結局豊かな人間関係に恵まれて、豊かな関係性を築くのがよいという話で、はっきり言って社会思想として意味がない」うふふ。利益を期待しない人もいるよ
経済的新自由主義に対して社会的新自由主義という発想。これはそうだよね。
メンタル生活保護勘当とどん底まで堕ちて、這い上がってきたんだけど、なんでこれをちゃんと言える人がもっと居ないんだろうね……歯痒いよ。まだ這い上がってる途中で自分のことで手一杯だよ。
“左翼が目の敵にする「新自由主義」がメリトクラシーに基づいた経済的な「新自由主義」なら、彼ら彼女らの主張はコミュ力に基づいた人間関係的「新自由主義」だ”/元地元みたいなものなので深沢のPDFは2回読んだ
まあ支持できる。
人生ハブられなので言いたいことは分かる
「公助」には何より機能する公共とインフラが必要なので、余裕のない田舎では「共助」にならざるを得ない/皆が都市に住めるわけじゃない
都会の生活が気楽と言うのもそういうところかな。
大学のオタサーになじめずにオタクを呪詛することにキャリアをかけてきた宇野センセーが言うと、説得力が違いますなあ(笑)/社会になじめない無能な理屈屋は、すぐこういう事を言い出す
公助だけだと法という網目や隙間から落ちてしまう人がでる。パターン化できない事象は共同体が救う。どちらも在ることが重要で、お互いを対抗軸にしてはいけないし、無理にするならポジショントークだよ
リベラルを標榜する人たちの何がダメかがふわっと頭の中にあることが言語化されている。
まぁ納得はするんだけど、世の中は猛スピードで共助に向かってるので乗りこなす必要はあるんだよ。大きな物語を必要としない、ゆるい共助を成立させるみたいな実験はずっとやってる。
公助が大事、には同意しつつも共同体に依存しない公助って不可能ではないかと思う。「公助だから」という理由で、共同体を通じた接点がない人を助けるために税金を使うことに納得する人は少ないでしょ。
これは確かにそうだな。コミュニティって言葉に何か実態がない感じはする
デメリットのことよりも、メリットの大きさと深さと広さと、なにより負担感を低く見ているのではないかと思うことが最近増えた。実はそれ共同体や関係性によるものなのに、という感覚を持たせているのではと。
“左翼が目の敵にする「新自由主義」がメリトクラシーに基づいた経済的な「新自由主義」なら、彼ら彼女らの主張はコミュ力に基づいた人間関係的「新自由主義」だ。”
公開部分だけ読んだ 現状について同じ感想です
共同体は常に「村八分」を生むからね。
日本の反共同体主義は公助(制度)を理想化し正しさが前提化されることで制度全体主義的な方向に接続しうる“芽”が確かに存在する。日本の「左派リベラル」は制度を「なんとなくいいもの」として扱う脆弱性がある
“隣近所と良好な関係を保ち、ムラでよい位置にいないと醤油も手に入らない社会は弱者には「地獄」だ”
公助が大切で第一であることに異論はないが、それだけだと市民の日常視野から要支援者が消え、記号化され、「想像上の他者」を標的とした制度への反感に繋がる。そこを補完するものとして共助やケアの論理がある。
うーん、そうではなくて「共同体」のあり方、「カースト」の基準をもっと多様に、と思うのだけど。いわゆる「陰キャ」や「コミュ障」が人間関係を必要としないのかというと、必ずしもそうじゃないでしょう。
それらがゼロになるのも地獄だろ。極論。
オタクは引きこもりをやめて地元木更津で野球しろとか言ってたのは撤回したのだろうか。
よい関係性というものを構築するのが困難な側なので共同体というものを常にうっすら憎んでいるのでわかる
そんな公助オンリーの社会なんて過去に一度も存在しないし、未来でも不可能だよ。可能とすれば、個人が番号のみで生涯すべてを管理される超科学のディストピアだけだわ。そんな科学力あるなら意識を情報化してえわ。
これ自体が百万回も言われた戯言。「公」はどんな基準だろうが強者が主導し、そこで弱者への「公助」など期待できない。だから弱者こそチカラが必要で、それにはつながるしかないんだよ。弱者とは公助が届かない者だ
「醤油がなくなれば醤油を借りられる社会」では乞食ばかりになってしまうよな 貸すタイプだと思われたら群がって毟られる
社会的弱者には自助>公助>共助の順で適用し、公助にも漏れてしまうような「助けにくい人」をも助ける強い意志のある人達が行政の支援を受けて最後を守るという形が現代では効率的ではないかと考えている。
また左翼か。また公助頼みか。大きくて非効率な政府がいいのか?
公民館に醤油置いとけばいい🤔
制度的なセーフティネットまで共同体に依存するようだと良くないが、結局その福祉は極めて制限されざるを得ないだろうね。
“別に実際に困っている人や弱い人の人生が回復することには興味がないのだと思う” うんパワーワードやね。
関係性を極小化した公助って結局税金と福祉制度だったりするんだよね。でももう、私以外のほとんどの日本人はこれが嫌でしょうがない。
“カースト上位に行きやすい陽キャや金持ちや権威のある人にとって、大抵の共同体は居心地が良いだろう”内部の「法」を作る側にまわれるしね/それでも悲観的にすぎんか?
『「資本主義+再分配」(社会民主主義)』が望ましいと(´-`)コミュニタリアニズムの気持ち悪さ難しさみたいなところが自動化制度化でカバーできるならその方が楽で良いなぁ
弱者は強者とその取り巻きに批判されてもルサンチマンを決して手放すべきではない理由の一つ
これはとても正しいんだけど、少子高齢化が急速に進む現状で「公助」が今より良くなる可能性は皆無なんですよね。
まず公助が第一、に異論はないが、この人の共助のイメージは「施し」的なものしかないのか?と違和感。醤油の融通って、貧乏長屋の普段は仲良くもない近所同士がいざとなれば見かねて助けるとかそういうことでは。
誰もが自分の出身地は「何もない」と答えるようにほとんどの鎌倉市民は「自分の街には何もない」と答えるだろう。あなたは隣の住民の職業や勤め先を知っているか。公助も共助も存在しない。誰もが自助のみの時代。
(無料部分のみ読了)言いたいことはわかるしその通りだとも思うけど、何だかすごく怒ってるなー。この人こんなケンカ腰の文章書く人だったっけ。
宇野常寛さんは自分の客層が家族を持てない陰キャな独身中年男性であることを理解して、そういう人を慰めるためのストーリテリングに徹してるだけだと思う ポジション取り商人としてとても賢い人だと昔から思うよ
公助一択は、公に対する不信感を持つ人にとっては地獄なのでは。生活保護を水際作戦で止められた人、毒親からも民事不介入で守ってもらえなかった人が、公助を選択できるか
なぜ、一理あるものについて、いつもわざわざ敵を作る物言いをするのか……20年くらい、ずっとまたか!!!
意識高い市民たちの空疎な「共助ごっこ」と、公が進める共助とは少し性質が違うのでは。国や自治体は本当に公助に回すお金がなくて「なるべく皆さん同士で助け合ってください」と言っているのであって
公助のみってのもまた一種の極端で、自分が信じる教条を実現可能性無視でトップダウンに振りかざすならバラモン左翼になる。「共同体から漏れる人を一定想定した仕様」の必要性は理解するが。
夢見たいなキラキラした関係を共同体とか言ってるからおかしいんだよな。セーフティネットのために協力する関係性を共同体と考えるべきなんだと思う。
そういうサヨク的な社会は持続可能ではない
言及されてる村岡深沢地区が実際にどんなとこか知ってるひとはたぶん少ない(鎌倉へアクセスするのに同地区から長谷に至るルートを使ったら絶対にダメ。これも机上の空論(単なるジェントリフィケーション)でしかない
日本人同士もついこの間まで殺し合ってたしね。もっと小さくなるべきだね
これは鋭い指摘だし、本当によくわかる。「ソーシャル・グッド」のようなものに対して、自分も一定は肯定的に捉えつつ本質的な欺瞞も覚えてしまう。結局ハイパーメリトクラシー的な新自由主義社会には変わりない。
相変わらず宇野さんはブレないすなあ。共同体に依存しない「公助」とは究極的には「人類愛」に基づくしかないと思いますけど、それを私たち万人で保持できるかどうか、果たして。
過去の田舎の共同体がときには息苦しい関係だったかもしれないけど、今や移動の自由、職業選択の自由があるんだから、ある程度は、共同体のいいとこ取りできるだろ。あと、共同体無くなったら文化も無くなるよね。
70〜80年代のフェミニズムが議論済みの話で、社会思想としての新規性が分からない。公助で食うものにも戦争にも困らなくなったら、今度は氷河期だの、恋愛弱者などと言い出して終わりがない。
これは共助の否定という話ではなく共助とはそもそもがその程度のものと捉えるべき話でしょ。だからこそ子供食堂のように選択と集中で予算を削った行政が共助に福祉を丸投げするような事例を許しちゃいけないんだよ
公助を届ける回路として「中間団体」が重要だったんだけどね。で、これを公から直接的に配分するとなると、超監視社会と紙一重になるんじゃないかなー、とも思う。
コテンラジオかどこかで資本主義の話をしたときと似てる話。100円で100円のものを買える社会は良くて、封建社会とかだと金銭より有力者との関係性や身分が重要になって、生まれで覆せなくなったりする
まあ、この理屈はわかるんだけど、そうすると現実的には十分に強力な権力を備えた国民国家の下での全体主義という方向に行ってしまう気もするが、そのへんの危険?についてはどう思うのかな
本当に公助が存在するならいいけど、実際には醤油が手に入らない人を一箇所にあつめ国から金もらうNPOとかだから
共同体を否定批判する人に限って、自分が国や自治体といった共同体に守られてる事に無自覚なんだよな。他人が作ったハコがないと何もできないのにね。先ずは無人島で独居生活してから否定批判してもろて。
ぼっちが良いという人だからなあ.孤独はメンタルがやられるからバランスが必要だと思うが.
それでも共同体を作ることは生存戦略として強いんだよ。公助は再分配するエネルギーが十分にあればいいけど、現在の日本のような貧乏国家では難しい。またバラバラな個ではエネルギーの無駄が多くなるからな
本文とそれに反発するブコメと読んでると、共助という言葉が前提してる景色がすごくグラデーションある感じするな。まあそもそもが自と公のあいだの中間領域という曖昧な定義なんだろうからな
この方はテクノクラートによる効果的加速主義についてどう思うのだろうか
論旨には賛成だしサンダースやマムダニが一定の支持を得たように賛成者は一定数居ると思うが、「公=国=でかい共同体」だし、公助を充実させるには結局「同じ日本人」という共同体意識が根底に必要と思う。
関係性ってなんなんだよ、といいたい。本来はどう考えても関係を射に持つ圏間の関手であって関係そのものじゃないだろ。
例えば核家族化が進んだせいで祖父母に頼れなくなって子育ての難易度が上がったりとかは、共同体が破壊された結果と捉えることもできる。姑ウザいとか共同体を害悪と決めつけすぎたのが現代社会の課題だと思う。
リベラル派の理想的空論とは異なり、本来の共同体とは地縁血縁の束縛・村の行事への強制参加とか首から下の共同行動の義務とセット。コミュ障にはまじでつらいぞ。転勤族の家の子でプロよそ者だった宇野氏らしい視点
「真の弱者は助けたくなる姿をしていない」問題の話で、真の弱者は共同体に入れないし共助をメインにするとこぼれ落ちるってことだろう。日本は助け合いの道徳観が強いので、助けどころか礼儀も返せない人は入れない
“Facebookでソーシャルグッドなイベントへの参加を「報告」するのに余念がない人たち” “彼らのセルフブランディングに寄与するだけで意味がない”
宇野先生の活動の原点→"陰険な飲み会パワハラ系おじさんが権力を握るケース"
「地獄への道は善意で敷き詰められている」というやつだ