俺が今気になることを補完できそうな意味でスーパーマン見たほうが良さそうだ。ファンタスティック4と見るタイミング被って見れてないんだよなぁ。
いい映画だよね。ガンの性根の真っ当さ。いやヒーローってそういうもんだよねってのを馬鹿正直に描いてた。コレがアメリカでヒットしててDCのトップのガンが脚本重視で作品作るの頼もしく感じる。
逆やろ。強いから優しく振るまえるというだけの話。スーパーマンがもし反対に超絶虚弱体質だった場合、周囲に同じだけの施しを与える事など不可能であろう
強くても弱者に優しくなくていい、みたいな感じになってるもんな。世界規模で
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」フィリップ・マーロウ
「苦しんで困ってる人」が同時に「憎悪を振りまいて弱者を攻撃している人」だったりするのが厄介なんだけどね。そんな人にも優しくなれるほど強くなるのはなかなか難しい。
優しいというのがどういうことを言ってるのかわからないので定義してほしい
“空を飛べるからでも、怪力の持ち主だからでもない。わけへだてなく人に優しく親切だからこそ、彼はスーパーマンなのだ。”
これは、また揉めそうな視点。超武力主義者と平和憲法論者の話に行き着く。そんな事を思って映画なんて作って無いはず。
撃ち殺された屋台の人も、優しく強い人
クラーク・ケントが優しいのは超人であるクリプトン星人だからではなく、育ててくれた両親のおかげと映画内でも描かれている。同じく超絶虚弱体質だったキャプテン・アメリカも高潔な精神の持ち主
あんずちゃんは母親の扱いが酷い(強制労働から救い出すと思いきやさらに悪化させ、元凶の借金夫は責任もとらずハッピーエンド風に終わる)ので、高評価してる人の感性は自分とは合わないな。
化け猫あんずちゃんはマジでオススメ。脚本が素晴らしい。小学3年せと見たけど、子供も超気に入ってた。了解まんにゃ〜
誰かに親切にするのは嬉しい。優しくすることにはよろこびがある。他者に対して思いやりを持たないまま生きていくのは、暗く孤独で退屈だから、私は嫌いだ
「相手を論破するためだけに考え出された虚無的な理屈、激しい罵倒や品のないいやがらせ、弱者やよそ者を排除する冷徹な考え方こそが、頭のいい人間の取る合理的な戦略」の対比としての優しさか。それでもなお。
とは言え汚れ仕事を周り(ホークガールとか)がしてくれるから手を汚さずにいられてる面もある
日本では40年前から「心に愛がなければスーパーヒーローじゃないのさ」と歌われていたけどな
宇多丸の批評出るまで待って書いたんか?と思ってしまった(笑)
カンザスの田舎の養父母に愛情深く育てられた純朴な若者なんだよね。それこそグレートなアメリカなんだと本来は思うのだが
「陰湿で攻撃的」「皮肉や冷笑、揚げ足取り」「相手を論破するためだけに考え出された虚無的な理屈」「激しい罵倒」「こそが、頭のいい人間の取る合理的な戦略なのだという論理」見たことある
「心温かきは万能なり」桜井章一
一匹の雑魚としてインターネットをやってる以上、相手に効かせられる行動って「いやな言葉でいやな気持ちを植え付ける」しか無いんよな。善の側・悪の側関係なく、採れる手段がそれしか無い。コイキングの「はねる」
あるキャラが「彼がかわいそうだ」と泣き出し敵側に徹せなくなるとこが良かった。優しさとは同情心だと思う。ネットは画面の向こうの人間への認識を阻み、敵への同情心は消えただ打ちのめすだけの言葉を吐ける。
強さがあるから優しくなれてるだけだろってのにコメント付けてる人らはまずは見てから付けろよな。少なくとも作中では強くない人が優しさを見せてヒーローになる。
まあ現実は「優しい人がいちばん(がまん)強い」よなあw。やさしい世界ならええけど実際はオラオラかます知的障害者が面倒くさいんやで。
一回りしてキリスト教みたいな結論に落ち着いてしまうのと、みんな何度聞かされた話だ?と思いつつも、それに納得するくらいには福音の古典って人間の心に真実として刻まれてるよね。さすが西暦の始まりの出来事
NHKの経済特番観てても『経済に道徳を』という話が専門家から毎年出てくるんよな https://www.nhk.jp/p/bssp/ts/6NMMPMNK5K/episode/te/JWQ5NPG9WW/ /同時に俺は悪役ルーサーの悪の動機にも正直共感できて、本当に現代の寓話的だなと
この映画とは違うけど、中には自分の顔食わせてくれるやつまでいるからなあ。なかなかおらんぞ、自分の顔まで食わせてくれるやつなんて。
昔は自分と同質の人にさえ優しくすれば良かったのが、最近は異質な人にも優しくしなくてはいけなくなったと感じる。だから優しくすることが難しくなってきたのかなー
「神のように公平でやさしいのは神のように強い人だけ」という意味のことを「宇宙家族ノベヤマ」では描いてたな、スーパーマンから見たら地球人なんて愛玩動物ほどの脅威もないからね、そりゃ優しくもなる。
強いから優しく出来るのかも知れない
スーパーマンの理想主義に賛歌を捧げつつ、博愛主義で解決できん問題には汚れ仕事も厭わぬ別ヒーローたちが対処(そして両者の思想的衝突は巨悪の登場で有耶無耶にされる)という物語構成は巧み(ズルいともいう)だった
作品だから受け入れられる思想であって、リアルで受け入れようとすると物議を醸しだしそうな話しではある。
https://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/43232.pdf
映画スーパーマン、「大丈夫!クソみたいな現実はお前の頑張りと俺達の頑張りで全っ然変えられるから安心して笑って歩いて行け!」という心から頼れる親みたいな暖かさに満ちててめちゃよかった〜〜オススメ!
マイケル・サンデル「スーパーマンに友人はいない。身近にいる大切な人達を放っておいて地球の裏側の他人を助けに行くから。」
だけど現実は、優しいだけでは強いものに蹂躙される。スーパーマンは強いからこそ、優しくいられる。強く、そして優しい人間でありたい。
そもそもスーパーマンとかww いつまで全身タイツ使うねん
山田玲司だったかが、鬼滅の刃が流行った要因の1つに、強い人は優しくあるべき、優しい人は強いという性善説を真正面、と語っていたのを思い出す。自分さえよければ良い、という利己主義に飽き始めてる、と。
付け加えるなら愛が与えられる人が最強です。
「優しい⇒いちばん強い」のか「いちばん強い⇒優しい」のか、分からなかった
グリーン・ランタンが、建物に遮蔽物を塗ってスーパーマンへのヤジを遮ったり、中指を立てて軍隊を攻撃するシーンが好きだった。一見捻くれ者の彼にもまた、優しさと親切心があった。
彼が善良な市民で居られないのもその過剰な力によるのだが。あの世界のヒーローは誰も彼もが善良であろうとするが、それができないならヴィランになるだけの話で何ら特別な話でもない気はする。あとあの犬は善良か?
現実世界には優しい人や思いやりのある人もまだまだ居るよ。悪意増幅装置であるネットに入り込みすぎないほうがいいよー
そういう流れが来れば良い。さらに言えば優しい人がかっこいいという風潮までに発展してほしい。個人的には優しさは他人へ興味がないからそうなると思っているが。
この映画はその裏で個人の憎悪というもののどうしようもなさも描かれていてすごいなと思った。その憎悪をネットに拡散しているのがアレだという所は皮肉が効いてて爆笑だったけど。
“わけへだてなく人をたいせつにすることが、無知や愚かしさの象徴のように扱われてしまう”
少林寺拳法では、力愛不二って考え方なんだよね。
優しいヒーローというなら『セーラームーン』とか『鬼滅の刃』でお腹がいっぱいである。
化け猫あんずちゃんさっき観たわ。令和のトトロやなあと思った。かりんちゃんがさつきでありメイであり。猫バスの代わりにあんずちゃんが50ccを無免許でぶっ飛ばす。あと俳優鈴木慶一氏の代表作か。いい演技してたわ
ジョーカーも親思いの優しい子だったよ。
“なぜクラーク・ケントはスーパーマンと呼ばれるのか。それは彼が空を飛べるからでも、怪力の持ち主だからでもない。わけへだてなく人に優しく親切だからこそ、彼はスーパーマンなのだ。”
「強いから優しくできる」わかる。でも「優しさの中にある強さ」っていうのもあるんですよね・・・強いだけでは悪人と変わらない。正しいだけでは無く、優しくなければ意味が無い。
映画見てないが何を今更というくらい優しいってことは尊敬に値する価値あることだと思うよ。強くなくても優しさを発揮できる場面なんかいくらでもある。優秀な人でも優しくなかったらどこか下げて見てしまうな自分は
優しい人がいちばん強い|伊藤聡
俺が今気になることを補完できそうな意味でスーパーマン見たほうが良さそうだ。ファンタスティック4と見るタイミング被って見れてないんだよなぁ。
いい映画だよね。ガンの性根の真っ当さ。いやヒーローってそういうもんだよねってのを馬鹿正直に描いてた。コレがアメリカでヒットしててDCのトップのガンが脚本重視で作品作るの頼もしく感じる。
逆やろ。強いから優しく振るまえるというだけの話。スーパーマンがもし反対に超絶虚弱体質だった場合、周囲に同じだけの施しを与える事など不可能であろう
強くても弱者に優しくなくていい、みたいな感じになってるもんな。世界規模で
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」フィリップ・マーロウ
「苦しんで困ってる人」が同時に「憎悪を振りまいて弱者を攻撃している人」だったりするのが厄介なんだけどね。そんな人にも優しくなれるほど強くなるのはなかなか難しい。
優しいというのがどういうことを言ってるのかわからないので定義してほしい
“空を飛べるからでも、怪力の持ち主だからでもない。わけへだてなく人に優しく親切だからこそ、彼はスーパーマンなのだ。”
これは、また揉めそうな視点。超武力主義者と平和憲法論者の話に行き着く。そんな事を思って映画なんて作って無いはず。
撃ち殺された屋台の人も、優しく強い人
クラーク・ケントが優しいのは超人であるクリプトン星人だからではなく、育ててくれた両親のおかげと映画内でも描かれている。同じく超絶虚弱体質だったキャプテン・アメリカも高潔な精神の持ち主
あんずちゃんは母親の扱いが酷い(強制労働から救い出すと思いきやさらに悪化させ、元凶の借金夫は責任もとらずハッピーエンド風に終わる)ので、高評価してる人の感性は自分とは合わないな。
化け猫あんずちゃんはマジでオススメ。脚本が素晴らしい。小学3年せと見たけど、子供も超気に入ってた。了解まんにゃ〜
誰かに親切にするのは嬉しい。優しくすることにはよろこびがある。他者に対して思いやりを持たないまま生きていくのは、暗く孤独で退屈だから、私は嫌いだ
「相手を論破するためだけに考え出された虚無的な理屈、激しい罵倒や品のないいやがらせ、弱者やよそ者を排除する冷徹な考え方こそが、頭のいい人間の取る合理的な戦略」の対比としての優しさか。それでもなお。
とは言え汚れ仕事を周り(ホークガールとか)がしてくれるから手を汚さずにいられてる面もある
日本では40年前から「心に愛がなければスーパーヒーローじゃないのさ」と歌われていたけどな
宇多丸の批評出るまで待って書いたんか?と思ってしまった(笑)
カンザスの田舎の養父母に愛情深く育てられた純朴な若者なんだよね。それこそグレートなアメリカなんだと本来は思うのだが
「陰湿で攻撃的」「皮肉や冷笑、揚げ足取り」「相手を論破するためだけに考え出された虚無的な理屈」「激しい罵倒」「こそが、頭のいい人間の取る合理的な戦略なのだという論理」見たことある
「心温かきは万能なり」桜井章一
一匹の雑魚としてインターネットをやってる以上、相手に効かせられる行動って「いやな言葉でいやな気持ちを植え付ける」しか無いんよな。善の側・悪の側関係なく、採れる手段がそれしか無い。コイキングの「はねる」
あるキャラが「彼がかわいそうだ」と泣き出し敵側に徹せなくなるとこが良かった。優しさとは同情心だと思う。ネットは画面の向こうの人間への認識を阻み、敵への同情心は消えただ打ちのめすだけの言葉を吐ける。
強さがあるから優しくなれてるだけだろってのにコメント付けてる人らはまずは見てから付けろよな。少なくとも作中では強くない人が優しさを見せてヒーローになる。
まあ現実は「優しい人がいちばん(がまん)強い」よなあw。やさしい世界ならええけど実際はオラオラかます知的障害者が面倒くさいんやで。
一回りしてキリスト教みたいな結論に落ち着いてしまうのと、みんな何度聞かされた話だ?と思いつつも、それに納得するくらいには福音の古典って人間の心に真実として刻まれてるよね。さすが西暦の始まりの出来事
NHKの経済特番観てても『経済に道徳を』という話が専門家から毎年出てくるんよな https://www.nhk.jp/p/bssp/ts/6NMMPMNK5K/episode/te/JWQ5NPG9WW/ /同時に俺は悪役ルーサーの悪の動機にも正直共感できて、本当に現代の寓話的だなと
この映画とは違うけど、中には自分の顔食わせてくれるやつまでいるからなあ。なかなかおらんぞ、自分の顔まで食わせてくれるやつなんて。
昔は自分と同質の人にさえ優しくすれば良かったのが、最近は異質な人にも優しくしなくてはいけなくなったと感じる。だから優しくすることが難しくなってきたのかなー
「神のように公平でやさしいのは神のように強い人だけ」という意味のことを「宇宙家族ノベヤマ」では描いてたな、スーパーマンから見たら地球人なんて愛玩動物ほどの脅威もないからね、そりゃ優しくもなる。
強いから優しく出来るのかも知れない
スーパーマンの理想主義に賛歌を捧げつつ、博愛主義で解決できん問題には汚れ仕事も厭わぬ別ヒーローたちが対処(そして両者の思想的衝突は巨悪の登場で有耶無耶にされる)という物語構成は巧み(ズルいともいう)だった
作品だから受け入れられる思想であって、リアルで受け入れようとすると物議を醸しだしそうな話しではある。
https://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/43232.pdf
映画スーパーマン、「大丈夫!クソみたいな現実はお前の頑張りと俺達の頑張りで全っ然変えられるから安心して笑って歩いて行け!」という心から頼れる親みたいな暖かさに満ちててめちゃよかった〜〜オススメ!
マイケル・サンデル「スーパーマンに友人はいない。身近にいる大切な人達を放っておいて地球の裏側の他人を助けに行くから。」
だけど現実は、優しいだけでは強いものに蹂躙される。スーパーマンは強いからこそ、優しくいられる。強く、そして優しい人間でありたい。
そもそもスーパーマンとかww いつまで全身タイツ使うねん
山田玲司だったかが、鬼滅の刃が流行った要因の1つに、強い人は優しくあるべき、優しい人は強いという性善説を真正面、と語っていたのを思い出す。自分さえよければ良い、という利己主義に飽き始めてる、と。
付け加えるなら愛が与えられる人が最強です。
「優しい⇒いちばん強い」のか「いちばん強い⇒優しい」のか、分からなかった
グリーン・ランタンが、建物に遮蔽物を塗ってスーパーマンへのヤジを遮ったり、中指を立てて軍隊を攻撃するシーンが好きだった。一見捻くれ者の彼にもまた、優しさと親切心があった。
彼が善良な市民で居られないのもその過剰な力によるのだが。あの世界のヒーローは誰も彼もが善良であろうとするが、それができないならヴィランになるだけの話で何ら特別な話でもない気はする。あとあの犬は善良か?
現実世界には優しい人や思いやりのある人もまだまだ居るよ。悪意増幅装置であるネットに入り込みすぎないほうがいいよー
そういう流れが来れば良い。さらに言えば優しい人がかっこいいという風潮までに発展してほしい。個人的には優しさは他人へ興味がないからそうなると思っているが。
この映画はその裏で個人の憎悪というもののどうしようもなさも描かれていてすごいなと思った。その憎悪をネットに拡散しているのがアレだという所は皮肉が効いてて爆笑だったけど。
“わけへだてなく人をたいせつにすることが、無知や愚かしさの象徴のように扱われてしまう”
少林寺拳法では、力愛不二って考え方なんだよね。
優しいヒーローというなら『セーラームーン』とか『鬼滅の刃』でお腹がいっぱいである。
化け猫あんずちゃんさっき観たわ。令和のトトロやなあと思った。かりんちゃんがさつきでありメイであり。猫バスの代わりにあんずちゃんが50ccを無免許でぶっ飛ばす。あと俳優鈴木慶一氏の代表作か。いい演技してたわ
ジョーカーも親思いの優しい子だったよ。
“なぜクラーク・ケントはスーパーマンと呼ばれるのか。それは彼が空を飛べるからでも、怪力の持ち主だからでもない。わけへだてなく人に優しく親切だからこそ、彼はスーパーマンなのだ。”
「強いから優しくできる」わかる。でも「優しさの中にある強さ」っていうのもあるんですよね・・・強いだけでは悪人と変わらない。正しいだけでは無く、優しくなければ意味が無い。
映画見てないが何を今更というくらい優しいってことは尊敬に値する価値あることだと思うよ。強くなくても優しさを発揮できる場面なんかいくらでもある。優秀な人でも優しくなかったらどこか下げて見てしまうな自分は