『中国の歴史を学ぶなら中国本土へ行く必要はない。 もし唐代を学びたいのなら日本へ、宋なら韓国、元はモンゴル、 明はミャンマー、清なら香港、民国時代は台湾、文化大革命を学びたいなら北朝鮮に行けばよい』
"中国人恩師曰く「隋,唐を体験したければ日本で,宋,元を体感したければ韓国で,明,清を体験したければ台湾で」と"
クイーンズイングリッシュみたいなもんか
マスメディアのない時代って言葉の変化は緩やかだと勝手に思ってたんだけど、300年だと結構変わるのかな
(オランダじゃないけど)逆に日葡辞書に当時の日本語の発音がアーカイブされていたりするのも面白い
密輸していた薩摩のほうが言語堪能だったという。
後半の奈良に中国の歴史ノスタルジーを求める話も面白いし、文革頃の中国の雰囲気が北朝鮮というオチもワロタ。「北朝鮮のホテルで麻雀やるとエモい」
方言周圏論か
「とつくにとうか 幕末通訳 森山栄之助」は面白かったなー。外国人を穢れ扱いしたり、当時の庶民の考え方とか興味深かった
幕末の200年前はオランダ国家が成立して共通語のオランダ語という概念が確立しだして浅い頃だから、長崎あたりで覚えた日本語を受け継いだ清の商人の子孫の「日本語ば喋りよるけんが…」くらいの感じかも
ベトナムもいつかの王朝文化が残っていると言われていなかった?
鎖国中もオランダ人普通に居たよねえ。なのに日本軍は1942年にオランダ領東インドを占領し、多くのオランダ人捕虜や民間人を抑留しました。この期間に慰安婦問題など、人権侵害に関する出来事も発生したという。
日本のオタク文化を輸出した先でも似たようなことが起きてそう
現代の日本の学校で教わる「英語」も古いってよく皮肉られるよね。もともと海外の文献を和訳するためのものだったので。かといって半端に「生きた英語」をやると単に「頭悪そうな英語」になりがちで難しい
ロマ人はエジプトではなくインドからやって来たので、話す言葉はサンスクリットが元になっている。インドのサンスクリットは古いままなので、バラモン僧とロマ人はカタコトながら会話できるそうな。
外部の方が古い文化残るのは割と普遍的現象。将来的には、今の日本のサブカルについても、日本ですたれたのが外国に残っていて懐かしく思う日が来るのだろう。(一部はすでにそうなってる?
棘の表題より面白い話があってよかった
オーストラリア英語は18世紀末ロンドン訛りが保存されてるのとかと同じ。そういや中国本土は今じゃ簡体字だから、漢文の古典を原文で読むのは日本・台湾の人の方が楽にできそうなんだよな
清国から明治の日本に来た留学生は、中国古代の国の名を冠した店「呉服屋」で、これまた当時はすでに廃れていた漢民族伝統の衣装「和服」(そう見えたらしい)が買えることに驚いた。と、確か陳舜臣の本にあったな。
方言周圏論を思い出す。近い場所ほど変化しやすく、遠い場所ほど古いかたちが残りがち。
これ既に中国では春秋の時代から「古礼は辺境にて保存される」とか言われてるんだよねえ、そら平城京平安京はあっちから見りゃ辺境だわなあ
https://mexicotravelhelpdeskagent.zohodesk.com/portal/en/kb/articles/delta-tel%C3%A9fono-c%C3%B3mo-llamar-a-delta-airlines-en-m%C3%A9xico-5
キリシタンとかもその一種かな。切り離されて隠蔽され、歴史が止まったまま400年経って異端扱いされる哀しい文化にも見える。
江戸幕府の通訳は常に三人行動。一人は蘭語を書くことができ、一人は蘭語を話すことができる、もう一人はこの二人のインテリを監視している。
幕末のオランダ人が感激したことは、日本人が200年前のオランダ語を流暢に話していたことだった「後に遣欧使節団で通詞の家系だった者たちも感動」
『中国の歴史を学ぶなら中国本土へ行く必要はない。 もし唐代を学びたいのなら日本へ、宋なら韓国、元はモンゴル、 明はミャンマー、清なら香港、民国時代は台湾、文化大革命を学びたいなら北朝鮮に行けばよい』
"中国人恩師曰く「隋,唐を体験したければ日本で,宋,元を体感したければ韓国で,明,清を体験したければ台湾で」と"
クイーンズイングリッシュみたいなもんか
マスメディアのない時代って言葉の変化は緩やかだと勝手に思ってたんだけど、300年だと結構変わるのかな
(オランダじゃないけど)逆に日葡辞書に当時の日本語の発音がアーカイブされていたりするのも面白い
密輸していた薩摩のほうが言語堪能だったという。
後半の奈良に中国の歴史ノスタルジーを求める話も面白いし、文革頃の中国の雰囲気が北朝鮮というオチもワロタ。「北朝鮮のホテルで麻雀やるとエモい」
方言周圏論か
「とつくにとうか 幕末通訳 森山栄之助」は面白かったなー。外国人を穢れ扱いしたり、当時の庶民の考え方とか興味深かった
幕末の200年前はオランダ国家が成立して共通語のオランダ語という概念が確立しだして浅い頃だから、長崎あたりで覚えた日本語を受け継いだ清の商人の子孫の「日本語ば喋りよるけんが…」くらいの感じかも
ベトナムもいつかの王朝文化が残っていると言われていなかった?
鎖国中もオランダ人普通に居たよねえ。なのに日本軍は1942年にオランダ領東インドを占領し、多くのオランダ人捕虜や民間人を抑留しました。この期間に慰安婦問題など、人権侵害に関する出来事も発生したという。
日本のオタク文化を輸出した先でも似たようなことが起きてそう
現代の日本の学校で教わる「英語」も古いってよく皮肉られるよね。もともと海外の文献を和訳するためのものだったので。かといって半端に「生きた英語」をやると単に「頭悪そうな英語」になりがちで難しい
ロマ人はエジプトではなくインドからやって来たので、話す言葉はサンスクリットが元になっている。インドのサンスクリットは古いままなので、バラモン僧とロマ人はカタコトながら会話できるそうな。
外部の方が古い文化残るのは割と普遍的現象。将来的には、今の日本のサブカルについても、日本ですたれたのが外国に残っていて懐かしく思う日が来るのだろう。(一部はすでにそうなってる?
棘の表題より面白い話があってよかった
オーストラリア英語は18世紀末ロンドン訛りが保存されてるのとかと同じ。そういや中国本土は今じゃ簡体字だから、漢文の古典を原文で読むのは日本・台湾の人の方が楽にできそうなんだよな
清国から明治の日本に来た留学生は、中国古代の国の名を冠した店「呉服屋」で、これまた当時はすでに廃れていた漢民族伝統の衣装「和服」(そう見えたらしい)が買えることに驚いた。と、確か陳舜臣の本にあったな。
方言周圏論を思い出す。近い場所ほど変化しやすく、遠い場所ほど古いかたちが残りがち。
これ既に中国では春秋の時代から「古礼は辺境にて保存される」とか言われてるんだよねえ、そら平城京平安京はあっちから見りゃ辺境だわなあ
https://mexicotravelhelpdeskagent.zohodesk.com/portal/en/kb/articles/delta-tel%C3%A9fono-c%C3%B3mo-llamar-a-delta-airlines-en-m%C3%A9xico-5
キリシタンとかもその一種かな。切り離されて隠蔽され、歴史が止まったまま400年経って異端扱いされる哀しい文化にも見える。
江戸幕府の通訳は常に三人行動。一人は蘭語を書くことができ、一人は蘭語を話すことができる、もう一人はこの二人のインテリを監視している。