“「慈善を受ける者は、必ずと言っていいほど、与えてくれる人間を憎むものだ───それが人間性の抜きがたい性質なのである。そこで、味方が五十人なる百人なりいるとなれば、その憎しみをあらわにするのだ」(『パ
マンガの「風雲児たち」にも同じようなことが描かれてた。まあそういう傾向はあるとしても、誰もがそうなるわけでもないような。
弱者、虐げられた者は自分を虐めた見捨てた者より、自分を中途半端に救ったり救いの手を途中で止めてしまった者の方を強く憎悪するという。その話にも通じることだと思った。
集団じゃなくて一人であっても、苦しんでいるのを見て見ぬふりした大勢よりも、助けようとした人を恨む、追い詰められた人間はそんなものだと思う
金を貸すと恨まれるという例も
漱石の「こころ」にも、「かつてはその人の膝(ひざ)の前に跪(ひざまず)いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載(の)せさせようとするのです。」とあったなあ
西村賢太の私小説の登場人物(ほぼ著者そのもの)はこんなやつばっかり。借金を頼みに行って一万円くれた相手を「一万円ぽっちでえらそうにすんな。泣かせるぞ」と怒鳴りつけたりする。
感謝すると自分の自尊心が潰れる云々で葛藤を経て憎むのはまだ綺麗な方で、施す側の自尊心を満たしてやったのだからそもそも感謝は不要だろう、というロジックを聞いたとき、世界は広いなと思ったことを思い出した。
世の中の人が自尊心をいかに重要視して自分を束縛してるかもっと自覚的になったほうがいいよね
水をワインに変えたなどというホラ吹きを信じている聖職者は無条件にバカにして良いです
天才
態度が悪い訳でもない支援者に対して、罵倒や攻撃的な行動にまで発展するするのはなあ。健全な自尊心というレベルを超えていると思う。/そんな自分が情けなくていたたまれない、までは分かるのだけど。
オランダの心理実験「この心情は本人の性格・個性の問題ではなく、自尊心が傷ついている状態だと誰にでも起こる現象」https://youtu.be/cPAP7FTM9N0?t=1583
犬ですら3日飯をもらったら恩を忘れないと言うのに人間ときたら。人間が憎い。人間滅ぼそう。
一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと
人の気高さとかプライドって種の保存的な遺伝子ムーブとしてどういう役割なんだろ?
貧すれば鈍する。心の余裕がなく荒廃すると感謝をできなくなる。だから福祉は大変。
一昔前は英語のリーダーの教材はオーウエルのエッセイだったが、今もそうなの?
ホームレス支援をしていた弁護士がホームレスに刺されて亡くなったとある。極端な例だろうが https://x.com/Kedoin_Sayaka/status/1899057389569212422
これどうするのがいいの?助けないのが合理的ではあるんだろうけど、そういう世の中でいいとは思えないんだよなぁ。
施しを与えることはその人の自尊心を傷つけると言うのは、対人援助を行うときに常に気をつけなければならない視点だろう。
優しさを素直に受け取るのって簡単そうで意外と難しいんだよね。
ホームレスが多数ではなくボランティアが多数の場面においては被施者はどのように振る舞うだろうか
若い頃は自尊心に従って美意識に殉じるのに憧れていたけど、おっさんになるにつれ恥も外聞も捨てて人を頼るほうがよっぽど大切だなと思うようになった。それが難しいんだけど
出所後に良くしてくれた後見人を殺したり、メンタルクリニックで親身になってくれた医師を殺したり、辛い時に自分を救ってくれた作品を作った制作会社を襲撃したり。自分の周辺でも辛い境遇の人が支援者を恨んだり
いわゆる慈善には偽善の匂いがするからだよね。施しを受ける側ではなく施しをする側の都合で行われているものだから。人は苦境にあるほどその手の匂いに敏感になるのだよ。それでもしない善行よりする偽善だけどな。
だから、「個人同士の助け合い」ではなく「システムとしての社会福祉」が大事だって話。人が人を救うとか無理なんだから、システムとして適当に生きていけるようにするべきなの
あの時メシ行こうぜってご馳走したあの人とかはみんな俺を恨んでるのか……
マザーテレサのカルカッタ孤児の家の壁に書かれてた「助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう、気にすることなく助け続けなさい」とか最近は聞かなくなったな。感謝できるのは余裕のある人だけ。
低所得者層の社会保障やリベラル憎しの半分くらいはこれなんじゃないの?払ってる金と受けてるサービス額のバランスで言ったら、完全に奢られる側の人間だから。偽善って概念も負け犬の自尊心を担保するに便利だよね
恨まれるから、下手に人を助けるなとよく言われたな。
ここで取り上げられてるイギリス編もいいんだけど、前半のパリ編もまた全然違う面白さがあるんだよな。1920年代ワーキングプア体験手記的な状況なんだけど(自暴自棄的ではあれ)一種の明るさがある。
ふむ、朝鮮半島の人間が未だに日本に憎しみを向け、時には蔑みの見下した態度を取るのはこれか。惨めな古代同然の生活、人口の8割が奴卑だったのを日本が徹底的に救った、それ故に恨み憎んでるのか。腑に落ちたわ。
“誤読されてるんだけど貧困や憎しみや苦痛が如何に人格やアウトプットを歪めてしまうのかって話だと思う”“それが現在の世界中の人々の状況なのでは”
人間はかくも愚かだなあという思いと、オーウェルこええという思いが両方湧き上がってくる
助ける方が下心なく純粋な慈悲でやっていればそれは伝わるよ。本当は見下しているのにそれを隠して善行為をすると見抜かれる。
放浪記を書く前に、オーウェルは植民地ビルマで警察官をしていた。施しを与える側だった。「慈善を受ける者は、必ずと言っていいほど、与えてくれる人間を憎むものだ」これ、植民地の反英感情
俺は見て見ぬふりしたクソカスどもを一番憎んでいる
〈価値観が「取引」に支配されている人にとって〉ってトランプを想起させる表現だな(オーウェルは大多数の人の心理を語ったものと思うので、この読み解き自体は支持しない)。
階級社会だからなあ。カーストに居直れば「単なる茶番」だし、そうでなければ「お為ごかし」に映るし。/でも当の英国人であるオーウェルがそこに着目していないとすると、これは筋違いなんだろうか?
↓正解はないですけどこういう文句言われるのが嫌な人は他人助けるのしない方がいいですよ。介護の仕事でも一番最初に言いますので「この仕事あまり感謝されません。文句の方が多いです」って
なんかわかる気がしますわね。わが身を振り返っても、また他人の行動を思っても理解できる気がするね。いろんなパターンがあるけど全部かなしーという感情から抜け出せないがゆえなのかもね
うーむ/逆に紅茶屋さんをさせればいいのかな
情事を植える
id:WildWideWeb氏、憎むより感謝ゼロで受け取る方がよほど合理的で施し側にも楽なんですが。感謝を尊ぶ倫理が人恨む気持ちに繋がり結果誰も助けてくれなくなるとか救いようがない。
( 金配りのときの気遣いが天才的だった故田中角栄氏と対決させたい )
分かるような分からないような話なのでとりあえずブクマして覚えておこう
これがサヨク的心性そのものやで
現象を頭で理解しても共感できなかったけど、旦那に文句いう専業主婦は成程、自分も経済的にはるか上の人と付き合っててしんどかったことあるけど、自分に自由度がなくて依存している状態なんだよね。
人間は誰しもがそういう心情に囚われる可能性があると言いたいんだろうけど、率直に言ってクズだなと思うし、慈悲や親切心で誰かを助ける時はその相手から理不尽に憎まれる覚悟が必要というのも面倒くせぇなと思った
小学生の頃に苛められていた作家のエッセイ。優等生の女子生徒が「弱いもの苛めをするな!」と庇ってくれたが、その人は「弱いもの」という言葉に酷く自尊心を傷つけられ、怒りを覚えたという。人の心は難しい。
それが人間にとって自然なことである以上は、その反応が間違っていると言うよりも、逆に「慈善事業をしたら相手に感謝される」という認識の方が間違っているとも言えるのではないだろうか。
“「なぜ無職の父、夫はあんなにも偉そうなのか」「なぜ初対面のおじさんに食事をご馳走してもらっている彼女たちは『おじ』を小馬鹿にするのか」「なぜ専業主婦の母はいつも父の悪口を言っていたのか」の答え”
"タダ飯を食わせるという侮辱に対する復讐"
「慈善を受ける者は、必ずと言っていいほど、与えてくれる人間を憎むものだ───それが人間性の抜きがたい性質なのである」(『パリ・ロンドン放浪記』岩波文庫 ジョージ・オーウェル作 小野寺健訳) 業ですなあ
支援してくれた相手を恨むって身の回りでもよく見かけるもんね。 恩返ししたくない。借りを作ってるって感じるからだっけ?人助けなんてするもんじゃないなー。
ものを貰う(施し)→それがモテだと自尊心アップ。普通状態で返礼考える。弱ってると自尊心ダウンってことか。
なので、仕事で無い限り弱者に手を差し伸べたりしちゃいけません/ちゃんと感謝してくれる人はいるので「こういう人達だけ助けりゃ良いじゃん」という気分になるのよ
リベラルを憎む弱者問題だ
『パリ・ロンドン放浪記』
これ親子関係でもあると思ってるよ。自尊心の問題であるとすれば、それを育めない環境を作ったのも親なのでまあアレだけど/支援時に心理教育もセットに出来たら面白いかもね。恨むのは当然の心の動きです、みたいな
にゃん!難しいお話しにゃ…ボクには紅茶より、お魚とミルクが嬉しいにゃ!でも、つらい気持ちはわかるにゃ。みんな、もっと優しくしてあげようね!にゃ♡
インドの乞食は偉そう(徳を積む機会を与える側だから)てのはまたちょっと違う話かな。それとも人間の本性に宗教が寄せていった結果か。人間に凸凹があるから世界が上手く回るのなら凹側は居直りたくもなるな。
誰しも「施し」を望んではいない。人として本来受け取るべき正当な権利を求めている。これは、貧困などにまつわるスティグマをどう解き放つかと言う問題だと思う。
メンヘラが中途半端に助けた相手を憎むのもこのせいだろうな
今でこそ福祉に携わる人はこうした人の心理を知っているけど、そうでない時代はお前なんか誰が助けるかと見捨てられて、より困窮に陥ってしまいそう。人間の心理の弱点というかバグというか
貧しさが人を歪ませるという話
「他人を助けない人間こそが賢い」は定番のはてなポルノ。まず社会とか法律とかでなんとかしろは、かのAED騒動の「言い訳」にも似てて流石に合い通じるものがある
昔はそういった(当然起こりうる)逆恨みを回避するためのシステムとして「無償の愛を与える『神』という存在」をでっち上げそれがまがりなりにも機能してたのだが産業革命と帝国主義(合理主義)で上手くいかなくなった
今まさに貸した金の1/3返済時点から連絡が取れなくなった相手に逆恨みされてるんだろうなあという状況なので、大変勉強になりました。人間が小さいので二度と助けないよう心に刻みます。
最初から救ってくれないより、期待を与えた分だけ損失感があるんだろうね。人の感情は難しい。コントロール不能だし。
石川啄木「一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと」
だから中途半端な援助はしない、と割り切りたくはない。助ける側にどこまで覚悟があるか
薄皮一枚の自尊心でギリギリ立っている人の心情は、一般的には想像し難いだろう。
「下層階級には悪臭がする」(『ウィガン波止場への道』)は率直な事実ではなく、イギリスのミドルクラスが幼少期から刷り込まれるステレオタイプとして登場したフレーズのはず。
鍵なくした漫画の感想でも居たよな。パン恵んで貰ってたのを見て、それを素直に受け取るのが信じられない、自分ならキレるとか言ってた奴。肥大した自尊心の持ち主が多いよな日本にも
“睚眥”
giveばかりしている人は恨まれる。takeも考えないといけないのか。簡単なtakeはなんだろ。
『パリ・ロンドン放浪記』岩波文庫 ジョージ・オーウェル作 小野寺健訳
トイレに置いてあるのでうんこしながらたまに読んでる。料理店で働いてたころの話が好きだな。
心に余裕がないときには、物質的な施しでさえ自分を蔑むための道具に見えてしまう。一方的に何かを与えるのではなく、相手と対話して何に困ってて相手自身でできることは何かをまず探るといい
街で親切にされたときいちいち感謝させるんじゃねえつって炎上する障害者が定期的に出るよね
やっぱり太古の昔から そうなんやね。ワイが弱者だったら、どうやって利用しようか考えるだろうし。
茅ヶ崎の大家が刺されたのも似たような理由。滞納を認めて積み上がったら逆に恨まれる。対価は命。 サッサと追い出すのが双方にとって得策。
だからこそ伝統的な宗教には貧乏人にも仕組みで「喜捨」をさせるのよね。施しを与えるは尊厳なので。子供食堂も無料よりは50円とか払わせる方が予後がいいらしいし。
介護してくれてる子供を憎んで何もしない子供を謎に評価するのもあるある
弱者の何割がそういうやつかわからないから他人に助力できるかもしれない個人の生き方としては弱者には関わらず早く死んでくれるのを願うのが最善なのですね。子供にはそういう危険を教えておくべきでしたね
棘米に啄木先生いるかなーと思ったらちゃんといた / 一度でも 我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと(石川啄木)
無駄な自尊心で落ちぶれた自分に納得してないだけ。そんな複雑なことじゃない。
“「我々は今、集団でいるから気が大きくなって善意の方々にパン屑を投げつけたり罵倒したりしているのだ。一人だったら卑屈な態度で感謝しているだろう」”
これミソジニーの根幹だと思うよ。母親のケアを受けて育たない者は少ない。社会に出て社会が母親の様に接してはくれないと分かってストレスを受け、母親に似た女性を憎む。無償の奉仕者である専業主婦を叩くのもコレ
母をたずねて三千里で、見た
あたりまえ体操。恵んでやれるほど恵まれてるのに憎まれないわけがない。まあ憎しみを引き受けるのも強者の務めよ。
群れると知能が下がる問題ていつの世もあるのね。『我々は今、集団でいるから気が大きくなって善意の方々にパン屑を投げつけたり罵倒したりしているのだ。一人だったら卑屈な態度で感謝しているだろう」』
実際に被援助者を馬鹿にする援助者もいるからね
いろんな事件のニュースを見ても「人は施しを受けた相手を殺す」習性があるなあと感じる
貧困層と接するとき用のAIがほしいな。普通の人間では地雷が多すぎて不向きでは。
「真の弱者は助けたくなるような姿をしていない」医療・福祉で聞くこの言葉にも通じるものがある。
「施し」よりも「割りの良い取引」を持ちかけるのが良い
イスラム教徒は人に感謝しないという記述を見たことがあるけど、こうなのかも?
慈善を受けた時にも自分の素直なお気持ちを言えるのすごい!ってバカじゃねーの。本に書いてるだけだろうが。女の子が可愛くなくても「カワイイね」って言う奴が普通なんだぞ。
“慈善を受ける者は、必ずと言っていいほど、与えてくれる人間を憎むものだ───それが人間性の抜きがたい性質なのである” 人間は最後のプライドを捨てられない、という話と読んだ
なので人ではなく社会で、情ではなく機械的に貧困層を救う必要があるのだけど、偉い人は自身の自尊心を満たそうと自らの手を差し伸べるので解決しない。真の弱者は助けたくなるような姿をしていない問題
介護の現場でもこういう問題起こるよねと思った。「個人同士の助け合い」ではなく「システムとしての社会福祉」が大事っていうのはよく分かる
社会福祉の最前線では人が人を相手にしているのだけれど…(もちろん個人の財布から直接施しているわけではないとはいえ)/これが私の仕事でしてすいませんね、という姿勢も福祉職には時には大事かもしれない
後ろの方の漫画にある『頭を下げねばならない』ってのが理由に入っているやつ、こういうのを解像度が低い理解というのであろうな。そんな"理由"なんてなく、もっと施しと屈辱は直結しているものなんよね。
認知症入った父がわたしが身の回りの世話してることに対してたまに爆発してもうめし作らんでいい!自分でどうにかする!施設に入る!とか騒ぎ出すのもこれかなあ 単なる迷惑なんよな
現場にいると、弱ってたり、弱い立場を強いられているなら当然なような気がするのだが、それを理解し辛い福祉職員も多い。余裕がないんだろうなとは思うんだけど、正直しんどい。
感謝なぞいらん。
恨まれるなんて個人の施しとか怖くてできなくなるが、システムとしての福祉を受けるのにはハードルが高すぎる人たちが大勢いる事が「貧困と脳」に書かれていて、現状アウトリーチがなさすぎると強く感じてる
「それは、食わせることによって我々を侮辱した人間にたいする復讐だったのである」自尊心を傷つけられた相手を憎む。施しであっても
共助って誰かが誰かを助けきるようなもんでなく、コミュニティとか地域とかで協力してやっていくベース的なもので、そこでもだめな人が公助何じゃないの?0か100かで何でも公助じゃそれこそ継続できないでしょ。
試されるとき
だから古来共助や慈善は宗教によるもの以外成立しなかった
例に上がっているのは男性だけだけど、女性の場合はどうなのだろう。(無いと言いたい訳ではなくて現れ方の違いを知りたい)
米民主党が弱者に施す一方で、トランプ氏は「稼げる米国」で大統領選で勝利したんだよな(できるかどうか知らんけど)。施すより稼がせる方が大事よな、特に女性(男性はクズが多いのよ)。
トップブコメに同意。違うなにかの記事にも書いたけど、こういう福祉のやり取りは現場でもそれこそAIやドローンとかを介して無機質に施し・施されるようになるべき
施される弱者として扱われるより、一人前の人間として扱われる方が自尊心は保てるのは確か。仕事している方が精神的に安定するのもそういう事だと思う。心が内側から支えられるというか。
これが、デビュー作なんですね。興味深い。ありがとうございます。
これ https://togetter.com/li/2442641 の時はお礼言えない奴ヤバいだろ論調のが多かった気がする 全員が勝者にはなれない社会で幸せに生きるにはどうしたらいいのか追求してくしかないよなぁ
逆説的だが、そもそも施しを受けた相手に感謝できる人なら極貧の境遇に陥り難いはず。現代日本に限った話ではあるが。
“正常なアウトプット”これを言ってる人がいちばんわかってない感じがする。正常異常なんてないんだよ。あるときある立場である事柄にある感情を抱く、それに正義や理屈はないが、洗浄前の人間がある。
心はままならない
これのスケールの小さいバージョンは職場でよく経験し、決して誰にも何も施すまいと決心するきっかけになった ITワカラナイ団塊は尊大な乞食
自分でコントロールできない嫌な心理の動き。人間の発達はなぜそういう仕組みにしたんだろう。なぜ損得よりも自尊心が勝つようになってしまったのか。
"1984読んでるんですが、リアリティがすごい「来てほしくない未来」" …いや、もう来てるよね。オーウェルの予想よりは40年くらい遅れたけれども。
ゆえにウクライナはアメリカを憎むのである。
人助けをする時は見返りを期待しちゃダメなんだな。なかなかその境地に至れない
文学インフルエンサーのジョージ・オーウェルが根性ひん曲がってるだけだよ ”他意のない”善意なら反感の持ちようが無いって 情緒が複雑であればあるほど高等という間違った価値観は捨てたほうが人生ラクだぞ
そもそも喜捨や十分の一税といったシステムはその心理も入れて「おれが施しを受けてやってることでお前らは天国に行けるんだ、ありがたく思え」と考える余地を作ってるのでは
オーウェルのホームレス体験、紅茶への罵倒で人間って複雑だと?そんなの、ただ単に恩を仇で返すクズ野郎の生態観察記なのだ!
施したり助けつつ、見下して時に痛めつけてくる人もいるのでまぁ色々ですね…
『カラマーゾフの兄弟』第四篇のことをオーウェルは思い出したのだろう。https://s3731127306973.hatenablog.com/entry/2025/03/12/051743?_gl=1*q5lkao*_gcl_au*MjA2MzA5NTE5Ni4xNzQxNTU2MDU3
ただより高いものはない(誤用)
この手の話は枚挙にいとまが無いから、普遍的な真理なんでしょね。一時的な手助けと分かってれば純粋に感謝できるけど、そうでない人はね。
トップコメは正論だと思うけど、社会福祉をシステムに任せると単純に金がすごくかかって今の日本の現役世代だけじゃそれ維持できないよって悲鳴が出てるのが現状だから回答にはならんのだよ。
人間のバグなんだね。
ネットで乞食するとプライドを持てなんていうのはこの感情に裏付けされてるんだろうなあ。僕はそういうのないからゲーミングPC奢ってくださいとか養ってくださいとかいえるのでエライんだなあ(エラくはない)。
これ最近みんな「助けると恨まれる」方向で語るようになったのが不気味なんだよな。一昔前まではそれは常識で「それでも助ける時は助ける」方向じゃなかったか?テレサのもだし「金貸す時はあげるつもりで」とかでも
ビッグイシュー買うときに1000円出しておつりとっといてくださいって伝えることがあるけど、それあんまりよくないことだったのかな
オーウェルはジャーナリズム目線だったかもしれないが、皿洗いやウェイター、物乞いについての心理分析は生半可なものではない。慈善者を憎むのは、自尊心を壊滅させる優越者の顔を見せるからだろうな。
システムによる福祉は公平性の為に人も金も余分に消費するから、成長期には社会の安定に寄与するが衰退期の先進国では莫大なインフラのレガシーコストで衰退の一因になるわ、遅くて間に合わないで踏んだり蹴ったりに
だから社会の仕組みで助けるほうが大事。ついでに雇用も生まれるからコスパもよい。個人に任せると助ける人の側もダメージくらうので、結局助けが必要な人がどんどん増えてしまう
支援し金品を与えるというのは嫌が応にも与える側を上に立たせる(「贈与の一撃」)。だから贈与される方はさせてやってるとみなす。托鉢僧侶はお布施をもらってもお礼を言わない事が多いのはそういう智慧(喜捨)
そういう状況になれば他に接点を持つ人もそういないだろうし、そこしか怒りをぶつける先がなくなるのだろうな
人として優しく接していたら勝手に恋心をいだかれてお断りしたら殺されるほど憎まれたりするのもこれに近い?
社会福祉のシステム化は大事だけどさ。そのシステムの最先端で実際に貧困層の相手をしているのはやっぱり生身の人間であり心をすり減らされているのが現実なんだよね https://anond.hatelabo.jp/20240309090256
そうそう、なので福祉ってわりと強権的にやってしまった方が受益者にとってもいいんじゃないかって思うけど、そうすると今度は使役者側が「権力を持っている」って思ってしまって難しいのよね…
他者を助けるって支配だからな だからアメリカはあちこち助けてきてたし でもそれを短期的視野でやめたから もうお前の顔色伺わなくていいんだね、に世界が傾いてく。
「衣食足りて礼節を知る」と言うし生活に余裕が無いと礼節はなくなるからな。また、返報性の原理により恩を負債に感じるんだろう。恩着せがましいと。
貧困がいかに人の心を蝕む社会的病理であるか、福祉というものがそのような病理に対していかに弱いものであるかがよくまとめられてる。ヒルビリーエレジーにシンパシーを感じた貧困層はこの点で救われないよ
“我々は今、集団でいるから気が大きくなって善意の方々にパン屑を投げつけたり罵倒したり/それは、食わせることによって我々を侮辱した人間にたいする復讐だったのである」”
ジョージ・オーウェルがホームレスだったとき、紅茶を恵んでくれる教会の聖職者を口汚く罵らずにはいられない心情をつぶさに書いててこの人すげーなーと思った→「人間って複雑やね 」「辛い時に素直に助けてもらうのも才能だと思う」
“「慈善を受ける者は、必ずと言っていいほど、与えてくれる人間を憎むものだ───それが人間性の抜きがたい性質なのである。そこで、味方が五十人なる百人なりいるとなれば、その憎しみをあらわにするのだ」(『パ
マンガの「風雲児たち」にも同じようなことが描かれてた。まあそういう傾向はあるとしても、誰もがそうなるわけでもないような。
弱者、虐げられた者は自分を虐めた見捨てた者より、自分を中途半端に救ったり救いの手を途中で止めてしまった者の方を強く憎悪するという。その話にも通じることだと思った。
集団じゃなくて一人であっても、苦しんでいるのを見て見ぬふりした大勢よりも、助けようとした人を恨む、追い詰められた人間はそんなものだと思う
金を貸すと恨まれるという例も
漱石の「こころ」にも、「かつてはその人の膝(ひざ)の前に跪(ひざまず)いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載(の)せさせようとするのです。」とあったなあ
西村賢太の私小説の登場人物(ほぼ著者そのもの)はこんなやつばっかり。借金を頼みに行って一万円くれた相手を「一万円ぽっちでえらそうにすんな。泣かせるぞ」と怒鳴りつけたりする。
感謝すると自分の自尊心が潰れる云々で葛藤を経て憎むのはまだ綺麗な方で、施す側の自尊心を満たしてやったのだからそもそも感謝は不要だろう、というロジックを聞いたとき、世界は広いなと思ったことを思い出した。
世の中の人が自尊心をいかに重要視して自分を束縛してるかもっと自覚的になったほうがいいよね
水をワインに変えたなどというホラ吹きを信じている聖職者は無条件にバカにして良いです
天才
態度が悪い訳でもない支援者に対して、罵倒や攻撃的な行動にまで発展するするのはなあ。健全な自尊心というレベルを超えていると思う。/そんな自分が情けなくていたたまれない、までは分かるのだけど。
オランダの心理実験「この心情は本人の性格・個性の問題ではなく、自尊心が傷ついている状態だと誰にでも起こる現象」https://youtu.be/cPAP7FTM9N0?t=1583
犬ですら3日飯をもらったら恩を忘れないと言うのに人間ときたら。人間が憎い。人間滅ぼそう。
一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと
人の気高さとかプライドって種の保存的な遺伝子ムーブとしてどういう役割なんだろ?
貧すれば鈍する。心の余裕がなく荒廃すると感謝をできなくなる。だから福祉は大変。
一昔前は英語のリーダーの教材はオーウエルのエッセイだったが、今もそうなの?
ホームレス支援をしていた弁護士がホームレスに刺されて亡くなったとある。極端な例だろうが https://x.com/Kedoin_Sayaka/status/1899057389569212422
これどうするのがいいの?助けないのが合理的ではあるんだろうけど、そういう世の中でいいとは思えないんだよなぁ。
施しを与えることはその人の自尊心を傷つけると言うのは、対人援助を行うときに常に気をつけなければならない視点だろう。
優しさを素直に受け取るのって簡単そうで意外と難しいんだよね。
ホームレスが多数ではなくボランティアが多数の場面においては被施者はどのように振る舞うだろうか
若い頃は自尊心に従って美意識に殉じるのに憧れていたけど、おっさんになるにつれ恥も外聞も捨てて人を頼るほうがよっぽど大切だなと思うようになった。それが難しいんだけど
出所後に良くしてくれた後見人を殺したり、メンタルクリニックで親身になってくれた医師を殺したり、辛い時に自分を救ってくれた作品を作った制作会社を襲撃したり。自分の周辺でも辛い境遇の人が支援者を恨んだり
いわゆる慈善には偽善の匂いがするからだよね。施しを受ける側ではなく施しをする側の都合で行われているものだから。人は苦境にあるほどその手の匂いに敏感になるのだよ。それでもしない善行よりする偽善だけどな。
だから、「個人同士の助け合い」ではなく「システムとしての社会福祉」が大事だって話。人が人を救うとか無理なんだから、システムとして適当に生きていけるようにするべきなの
あの時メシ行こうぜってご馳走したあの人とかはみんな俺を恨んでるのか……
マザーテレサのカルカッタ孤児の家の壁に書かれてた「助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう、気にすることなく助け続けなさい」とか最近は聞かなくなったな。感謝できるのは余裕のある人だけ。
低所得者層の社会保障やリベラル憎しの半分くらいはこれなんじゃないの?払ってる金と受けてるサービス額のバランスで言ったら、完全に奢られる側の人間だから。偽善って概念も負け犬の自尊心を担保するに便利だよね
恨まれるから、下手に人を助けるなとよく言われたな。
ここで取り上げられてるイギリス編もいいんだけど、前半のパリ編もまた全然違う面白さがあるんだよな。1920年代ワーキングプア体験手記的な状況なんだけど(自暴自棄的ではあれ)一種の明るさがある。
ふむ、朝鮮半島の人間が未だに日本に憎しみを向け、時には蔑みの見下した態度を取るのはこれか。惨めな古代同然の生活、人口の8割が奴卑だったのを日本が徹底的に救った、それ故に恨み憎んでるのか。腑に落ちたわ。
“誤読されてるんだけど貧困や憎しみや苦痛が如何に人格やアウトプットを歪めてしまうのかって話だと思う”“それが現在の世界中の人々の状況なのでは”
人間はかくも愚かだなあという思いと、オーウェルこええという思いが両方湧き上がってくる
助ける方が下心なく純粋な慈悲でやっていればそれは伝わるよ。本当は見下しているのにそれを隠して善行為をすると見抜かれる。
放浪記を書く前に、オーウェルは植民地ビルマで警察官をしていた。施しを与える側だった。「慈善を受ける者は、必ずと言っていいほど、与えてくれる人間を憎むものだ」これ、植民地の反英感情
俺は見て見ぬふりしたクソカスどもを一番憎んでいる
〈価値観が「取引」に支配されている人にとって〉ってトランプを想起させる表現だな(オーウェルは大多数の人の心理を語ったものと思うので、この読み解き自体は支持しない)。
階級社会だからなあ。カーストに居直れば「単なる茶番」だし、そうでなければ「お為ごかし」に映るし。/でも当の英国人であるオーウェルがそこに着目していないとすると、これは筋違いなんだろうか?
↓正解はないですけどこういう文句言われるのが嫌な人は他人助けるのしない方がいいですよ。介護の仕事でも一番最初に言いますので「この仕事あまり感謝されません。文句の方が多いです」って
なんかわかる気がしますわね。わが身を振り返っても、また他人の行動を思っても理解できる気がするね。いろんなパターンがあるけど全部かなしーという感情から抜け出せないがゆえなのかもね
うーむ/逆に紅茶屋さんをさせればいいのかな
情事を植える
id:WildWideWeb氏、憎むより感謝ゼロで受け取る方がよほど合理的で施し側にも楽なんですが。感謝を尊ぶ倫理が人恨む気持ちに繋がり結果誰も助けてくれなくなるとか救いようがない。
( 金配りのときの気遣いが天才的だった故田中角栄氏と対決させたい )
分かるような分からないような話なのでとりあえずブクマして覚えておこう
これがサヨク的心性そのものやで
現象を頭で理解しても共感できなかったけど、旦那に文句いう専業主婦は成程、自分も経済的にはるか上の人と付き合っててしんどかったことあるけど、自分に自由度がなくて依存している状態なんだよね。
人間は誰しもがそういう心情に囚われる可能性があると言いたいんだろうけど、率直に言ってクズだなと思うし、慈悲や親切心で誰かを助ける時はその相手から理不尽に憎まれる覚悟が必要というのも面倒くせぇなと思った
小学生の頃に苛められていた作家のエッセイ。優等生の女子生徒が「弱いもの苛めをするな!」と庇ってくれたが、その人は「弱いもの」という言葉に酷く自尊心を傷つけられ、怒りを覚えたという。人の心は難しい。
それが人間にとって自然なことである以上は、その反応が間違っていると言うよりも、逆に「慈善事業をしたら相手に感謝される」という認識の方が間違っているとも言えるのではないだろうか。
“「なぜ無職の父、夫はあんなにも偉そうなのか」「なぜ初対面のおじさんに食事をご馳走してもらっている彼女たちは『おじ』を小馬鹿にするのか」「なぜ専業主婦の母はいつも父の悪口を言っていたのか」の答え”
"タダ飯を食わせるという侮辱に対する復讐"
「慈善を受ける者は、必ずと言っていいほど、与えてくれる人間を憎むものだ───それが人間性の抜きがたい性質なのである」(『パリ・ロンドン放浪記』岩波文庫 ジョージ・オーウェル作 小野寺健訳) 業ですなあ
支援してくれた相手を恨むって身の回りでもよく見かけるもんね。 恩返ししたくない。借りを作ってるって感じるからだっけ?人助けなんてするもんじゃないなー。
ものを貰う(施し)→それがモテだと自尊心アップ。普通状態で返礼考える。弱ってると自尊心ダウンってことか。
なので、仕事で無い限り弱者に手を差し伸べたりしちゃいけません/ちゃんと感謝してくれる人はいるので「こういう人達だけ助けりゃ良いじゃん」という気分になるのよ
リベラルを憎む弱者問題だ
『パリ・ロンドン放浪記』
これ親子関係でもあると思ってるよ。自尊心の問題であるとすれば、それを育めない環境を作ったのも親なのでまあアレだけど/支援時に心理教育もセットに出来たら面白いかもね。恨むのは当然の心の動きです、みたいな
にゃん!難しいお話しにゃ…ボクには紅茶より、お魚とミルクが嬉しいにゃ!でも、つらい気持ちはわかるにゃ。みんな、もっと優しくしてあげようね!にゃ♡
インドの乞食は偉そう(徳を積む機会を与える側だから)てのはまたちょっと違う話かな。それとも人間の本性に宗教が寄せていった結果か。人間に凸凹があるから世界が上手く回るのなら凹側は居直りたくもなるな。
誰しも「施し」を望んではいない。人として本来受け取るべき正当な権利を求めている。これは、貧困などにまつわるスティグマをどう解き放つかと言う問題だと思う。
メンヘラが中途半端に助けた相手を憎むのもこのせいだろうな
今でこそ福祉に携わる人はこうした人の心理を知っているけど、そうでない時代はお前なんか誰が助けるかと見捨てられて、より困窮に陥ってしまいそう。人間の心理の弱点というかバグというか
貧しさが人を歪ませるという話
「他人を助けない人間こそが賢い」は定番のはてなポルノ。まず社会とか法律とかでなんとかしろは、かのAED騒動の「言い訳」にも似てて流石に合い通じるものがある
昔はそういった(当然起こりうる)逆恨みを回避するためのシステムとして「無償の愛を与える『神』という存在」をでっち上げそれがまがりなりにも機能してたのだが産業革命と帝国主義(合理主義)で上手くいかなくなった
今まさに貸した金の1/3返済時点から連絡が取れなくなった相手に逆恨みされてるんだろうなあという状況なので、大変勉強になりました。人間が小さいので二度と助けないよう心に刻みます。
最初から救ってくれないより、期待を与えた分だけ損失感があるんだろうね。人の感情は難しい。コントロール不能だし。
石川啄木「一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと」
だから中途半端な援助はしない、と割り切りたくはない。助ける側にどこまで覚悟があるか
薄皮一枚の自尊心でギリギリ立っている人の心情は、一般的には想像し難いだろう。
「下層階級には悪臭がする」(『ウィガン波止場への道』)は率直な事実ではなく、イギリスのミドルクラスが幼少期から刷り込まれるステレオタイプとして登場したフレーズのはず。
鍵なくした漫画の感想でも居たよな。パン恵んで貰ってたのを見て、それを素直に受け取るのが信じられない、自分ならキレるとか言ってた奴。肥大した自尊心の持ち主が多いよな日本にも
“睚眥”
giveばかりしている人は恨まれる。takeも考えないといけないのか。簡単なtakeはなんだろ。
『パリ・ロンドン放浪記』岩波文庫 ジョージ・オーウェル作 小野寺健訳
トイレに置いてあるのでうんこしながらたまに読んでる。料理店で働いてたころの話が好きだな。
心に余裕がないときには、物質的な施しでさえ自分を蔑むための道具に見えてしまう。一方的に何かを与えるのではなく、相手と対話して何に困ってて相手自身でできることは何かをまず探るといい
街で親切にされたときいちいち感謝させるんじゃねえつって炎上する障害者が定期的に出るよね
やっぱり太古の昔から そうなんやね。ワイが弱者だったら、どうやって利用しようか考えるだろうし。
茅ヶ崎の大家が刺されたのも似たような理由。滞納を認めて積み上がったら逆に恨まれる。対価は命。 サッサと追い出すのが双方にとって得策。
だからこそ伝統的な宗教には貧乏人にも仕組みで「喜捨」をさせるのよね。施しを与えるは尊厳なので。子供食堂も無料よりは50円とか払わせる方が予後がいいらしいし。
介護してくれてる子供を憎んで何もしない子供を謎に評価するのもあるある
弱者の何割がそういうやつかわからないから他人に助力できるかもしれない個人の生き方としては弱者には関わらず早く死んでくれるのを願うのが最善なのですね。子供にはそういう危険を教えておくべきでしたね
棘米に啄木先生いるかなーと思ったらちゃんといた / 一度でも 我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと(石川啄木)
無駄な自尊心で落ちぶれた自分に納得してないだけ。そんな複雑なことじゃない。
“「我々は今、集団でいるから気が大きくなって善意の方々にパン屑を投げつけたり罵倒したりしているのだ。一人だったら卑屈な態度で感謝しているだろう」”
これミソジニーの根幹だと思うよ。母親のケアを受けて育たない者は少ない。社会に出て社会が母親の様に接してはくれないと分かってストレスを受け、母親に似た女性を憎む。無償の奉仕者である専業主婦を叩くのもコレ
母をたずねて三千里で、見た
あたりまえ体操。恵んでやれるほど恵まれてるのに憎まれないわけがない。まあ憎しみを引き受けるのも強者の務めよ。
群れると知能が下がる問題ていつの世もあるのね。『我々は今、集団でいるから気が大きくなって善意の方々にパン屑を投げつけたり罵倒したりしているのだ。一人だったら卑屈な態度で感謝しているだろう」』
実際に被援助者を馬鹿にする援助者もいるからね
いろんな事件のニュースを見ても「人は施しを受けた相手を殺す」習性があるなあと感じる
貧困層と接するとき用のAIがほしいな。普通の人間では地雷が多すぎて不向きでは。
「真の弱者は助けたくなるような姿をしていない」医療・福祉で聞くこの言葉にも通じるものがある。
「施し」よりも「割りの良い取引」を持ちかけるのが良い
イスラム教徒は人に感謝しないという記述を見たことがあるけど、こうなのかも?
慈善を受けた時にも自分の素直なお気持ちを言えるのすごい!ってバカじゃねーの。本に書いてるだけだろうが。女の子が可愛くなくても「カワイイね」って言う奴が普通なんだぞ。
“慈善を受ける者は、必ずと言っていいほど、与えてくれる人間を憎むものだ───それが人間性の抜きがたい性質なのである” 人間は最後のプライドを捨てられない、という話と読んだ
なので人ではなく社会で、情ではなく機械的に貧困層を救う必要があるのだけど、偉い人は自身の自尊心を満たそうと自らの手を差し伸べるので解決しない。真の弱者は助けたくなるような姿をしていない問題
介護の現場でもこういう問題起こるよねと思った。「個人同士の助け合い」ではなく「システムとしての社会福祉」が大事っていうのはよく分かる
社会福祉の最前線では人が人を相手にしているのだけれど…(もちろん個人の財布から直接施しているわけではないとはいえ)/これが私の仕事でしてすいませんね、という姿勢も福祉職には時には大事かもしれない
後ろの方の漫画にある『頭を下げねばならない』ってのが理由に入っているやつ、こういうのを解像度が低い理解というのであろうな。そんな"理由"なんてなく、もっと施しと屈辱は直結しているものなんよね。
認知症入った父がわたしが身の回りの世話してることに対してたまに爆発してもうめし作らんでいい!自分でどうにかする!施設に入る!とか騒ぎ出すのもこれかなあ 単なる迷惑なんよな
現場にいると、弱ってたり、弱い立場を強いられているなら当然なような気がするのだが、それを理解し辛い福祉職員も多い。余裕がないんだろうなとは思うんだけど、正直しんどい。
感謝なぞいらん。
恨まれるなんて個人の施しとか怖くてできなくなるが、システムとしての福祉を受けるのにはハードルが高すぎる人たちが大勢いる事が「貧困と脳」に書かれていて、現状アウトリーチがなさすぎると強く感じてる
「それは、食わせることによって我々を侮辱した人間にたいする復讐だったのである」自尊心を傷つけられた相手を憎む。施しであっても
共助って誰かが誰かを助けきるようなもんでなく、コミュニティとか地域とかで協力してやっていくベース的なもので、そこでもだめな人が公助何じゃないの?0か100かで何でも公助じゃそれこそ継続できないでしょ。
試されるとき
だから古来共助や慈善は宗教によるもの以外成立しなかった
例に上がっているのは男性だけだけど、女性の場合はどうなのだろう。(無いと言いたい訳ではなくて現れ方の違いを知りたい)
米民主党が弱者に施す一方で、トランプ氏は「稼げる米国」で大統領選で勝利したんだよな(できるかどうか知らんけど)。施すより稼がせる方が大事よな、特に女性(男性はクズが多いのよ)。
トップブコメに同意。違うなにかの記事にも書いたけど、こういう福祉のやり取りは現場でもそれこそAIやドローンとかを介して無機質に施し・施されるようになるべき
施される弱者として扱われるより、一人前の人間として扱われる方が自尊心は保てるのは確か。仕事している方が精神的に安定するのもそういう事だと思う。心が内側から支えられるというか。
これが、デビュー作なんですね。興味深い。ありがとうございます。
これ https://togetter.com/li/2442641 の時はお礼言えない奴ヤバいだろ論調のが多かった気がする 全員が勝者にはなれない社会で幸せに生きるにはどうしたらいいのか追求してくしかないよなぁ
逆説的だが、そもそも施しを受けた相手に感謝できる人なら極貧の境遇に陥り難いはず。現代日本に限った話ではあるが。
“正常なアウトプット”これを言ってる人がいちばんわかってない感じがする。正常異常なんてないんだよ。あるときある立場である事柄にある感情を抱く、それに正義や理屈はないが、洗浄前の人間がある。
心はままならない
これのスケールの小さいバージョンは職場でよく経験し、決して誰にも何も施すまいと決心するきっかけになった ITワカラナイ団塊は尊大な乞食
自分でコントロールできない嫌な心理の動き。人間の発達はなぜそういう仕組みにしたんだろう。なぜ損得よりも自尊心が勝つようになってしまったのか。
"1984読んでるんですが、リアリティがすごい「来てほしくない未来」" …いや、もう来てるよね。オーウェルの予想よりは40年くらい遅れたけれども。
ゆえにウクライナはアメリカを憎むのである。
人助けをする時は見返りを期待しちゃダメなんだな。なかなかその境地に至れない
文学インフルエンサーのジョージ・オーウェルが根性ひん曲がってるだけだよ ”他意のない”善意なら反感の持ちようが無いって 情緒が複雑であればあるほど高等という間違った価値観は捨てたほうが人生ラクだぞ
そもそも喜捨や十分の一税といったシステムはその心理も入れて「おれが施しを受けてやってることでお前らは天国に行けるんだ、ありがたく思え」と考える余地を作ってるのでは
オーウェルのホームレス体験、紅茶への罵倒で人間って複雑だと?そんなの、ただ単に恩を仇で返すクズ野郎の生態観察記なのだ!
施したり助けつつ、見下して時に痛めつけてくる人もいるのでまぁ色々ですね…
『カラマーゾフの兄弟』第四篇のことをオーウェルは思い出したのだろう。https://s3731127306973.hatenablog.com/entry/2025/03/12/051743?_gl=1*q5lkao*_gcl_au*MjA2MzA5NTE5Ni4xNzQxNTU2MDU3
ただより高いものはない(誤用)
この手の話は枚挙にいとまが無いから、普遍的な真理なんでしょね。一時的な手助けと分かってれば純粋に感謝できるけど、そうでない人はね。
トップコメは正論だと思うけど、社会福祉をシステムに任せると単純に金がすごくかかって今の日本の現役世代だけじゃそれ維持できないよって悲鳴が出てるのが現状だから回答にはならんのだよ。
人間のバグなんだね。
ネットで乞食するとプライドを持てなんていうのはこの感情に裏付けされてるんだろうなあ。僕はそういうのないからゲーミングPC奢ってくださいとか養ってくださいとかいえるのでエライんだなあ(エラくはない)。
これ最近みんな「助けると恨まれる」方向で語るようになったのが不気味なんだよな。一昔前まではそれは常識で「それでも助ける時は助ける」方向じゃなかったか?テレサのもだし「金貸す時はあげるつもりで」とかでも
ビッグイシュー買うときに1000円出しておつりとっといてくださいって伝えることがあるけど、それあんまりよくないことだったのかな
オーウェルはジャーナリズム目線だったかもしれないが、皿洗いやウェイター、物乞いについての心理分析は生半可なものではない。慈善者を憎むのは、自尊心を壊滅させる優越者の顔を見せるからだろうな。
システムによる福祉は公平性の為に人も金も余分に消費するから、成長期には社会の安定に寄与するが衰退期の先進国では莫大なインフラのレガシーコストで衰退の一因になるわ、遅くて間に合わないで踏んだり蹴ったりに
だから社会の仕組みで助けるほうが大事。ついでに雇用も生まれるからコスパもよい。個人に任せると助ける人の側もダメージくらうので、結局助けが必要な人がどんどん増えてしまう
支援し金品を与えるというのは嫌が応にも与える側を上に立たせる(「贈与の一撃」)。だから贈与される方はさせてやってるとみなす。托鉢僧侶はお布施をもらってもお礼を言わない事が多いのはそういう智慧(喜捨)
そういう状況になれば他に接点を持つ人もそういないだろうし、そこしか怒りをぶつける先がなくなるのだろうな
人として優しく接していたら勝手に恋心をいだかれてお断りしたら殺されるほど憎まれたりするのもこれに近い?
社会福祉のシステム化は大事だけどさ。そのシステムの最先端で実際に貧困層の相手をしているのはやっぱり生身の人間であり心をすり減らされているのが現実なんだよね https://anond.hatelabo.jp/20240309090256
そうそう、なので福祉ってわりと強権的にやってしまった方が受益者にとってもいいんじゃないかって思うけど、そうすると今度は使役者側が「権力を持っている」って思ってしまって難しいのよね…
他者を助けるって支配だからな だからアメリカはあちこち助けてきてたし でもそれを短期的視野でやめたから もうお前の顔色伺わなくていいんだね、に世界が傾いてく。
「衣食足りて礼節を知る」と言うし生活に余裕が無いと礼節はなくなるからな。また、返報性の原理により恩を負債に感じるんだろう。恩着せがましいと。
貧困がいかに人の心を蝕む社会的病理であるか、福祉というものがそのような病理に対していかに弱いものであるかがよくまとめられてる。ヒルビリーエレジーにシンパシーを感じた貧困層はこの点で救われないよ
“我々は今、集団でいるから気が大きくなって善意の方々にパン屑を投げつけたり罵倒したり/それは、食わせることによって我々を侮辱した人間にたいする復讐だったのである」”