「(反動)保守」のやる事ってどこでも一緒なんだな/Death of a Nationは国民の創生のパロディ/オマージュか
なんかよくわからんかった経緯がちょっとだけスッキリした。私がこの「政治的に正しい」を初めて聞いたのも、そういえば90年代の「政治的に正しいおとぎ話」だったな。読まなかったけど、よく書店で見かけた
反ポリコレ先にありき。日本でも反ポリコレが先に出てきた感あったものな。俺はあえて穏当なポリコレを推すわ。蛮夷戎狄だの賊だのが平然と出てくる史料を読み慣れていると、とてもそのままの表現で使えないし。
興味深い記事なんだけど…なんちゅう字の細さだ。読みにくすぎる。
昨今喧しいが、このくらいは前提知識になってほしいところですな「ポリティカル・コレクトネスからどこへ」(2022有斐閣)とかおすすめ
5・7・5だ……
最近だと『言論の自由を守れ!』だな。保守派はトンチキな魔法を使うし30年同じ戦略で湧いたり潰れたりする。トランプの無法は一部の保守派も腰抜かしてんじゃないかと思うけどお前達の望んだ物語だ
インターネットとエディトリアルデザインは相性良くないなぁ。普段、平凡なレイアウトのWebサイトを読みつけ続けると、ほんのわずかでも「凝った」デザインの長文はもう全然読めなくなってしまった。
線が細いフォントで、読みにくい。
反ポリコレやフェミ、反保守に支持される文って何でこんなに延々と長いんだろう。もっと単純明快にやらないと一般人に受けないんだけど。だから、参政党にコテンパンにやられる。
ポリコレは、保守が左派を攻撃するための「反ポリコレ」という武器として作られたのに、左派がそのままそのフレームに乗っかって先鋭化して、見事に国が分断した、って地獄みたいな状況ってこと?
ネオナチもかつてアウシュビッツはなかったっていい出した。限界がきた運動はだいたいこうなる。ポリコレはなかった。
”1990年代の初頭に起きた「ポリティカル・コレクトネス」の運動は、《リベラリズム》の浸透を食い止めるために、アメリカの保守派によって捏造、操作されたものだというのは、よく言われることである”
起源は1917年マルクス レーニン主義まで遡る話を1990年代から始めるのは作為的では?それまでにも色々あった https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8D%E3%82%B9
大学内の議論に閉じ込めておけば、建設的な議論が出来た可能性もあったかもしれない。社会に残されたのは狂気のみ。知性はない。
あとで読まないかもしれない
保守派の陰謀論そのままの姿を自ら体現してるんじゃ言うことないな。
さすがに頭が悪すぎる。一連の現象に「ポリコレ」と名付けられただけで、保守の反動から始まった話ではない。「差別」と名付けられていなかったからといって差別がなかったことにはならないのと同じ。
ウヨミソのパターンって世界的に共通する所あるよな。恐らくだが彼らの共通の根幹は「自他反転・真偽反転・中央境界反転」で結果として出て来るものもまた収束していくんだと思う。
既視感がすごい。先日、レイシズムの歴史を軽く学んだのだが、この分野では見事にアメリカの出来事が周回遅れで日本にやってくる。
「アメリカンマインドの終焉」出るだろと思ってたらその通りw前にも書いたけど当時話題になってみすず書房から出たからマトモな本かと読んだらあまりの下らなさに呆れた
“「ポリティカル・コレクトネス」の運動は、《リベラリズム》の浸透を食い止めるために、アメリカの保守派によって捏造(...)2020年代には「ウォーク」「キャンセル・カルチャー」という、またおかしな表現に変貌”
こういうの米国内だけでやってもらえないですか?
ポリティカル・コレクトネスのポリティクス
「(反動)保守」のやる事ってどこでも一緒なんだな/Death of a Nationは国民の創生のパロディ/オマージュか
なんかよくわからんかった経緯がちょっとだけスッキリした。私がこの「政治的に正しい」を初めて聞いたのも、そういえば90年代の「政治的に正しいおとぎ話」だったな。読まなかったけど、よく書店で見かけた
反ポリコレ先にありき。日本でも反ポリコレが先に出てきた感あったものな。俺はあえて穏当なポリコレを推すわ。蛮夷戎狄だの賊だのが平然と出てくる史料を読み慣れていると、とてもそのままの表現で使えないし。
興味深い記事なんだけど…なんちゅう字の細さだ。読みにくすぎる。
昨今喧しいが、このくらいは前提知識になってほしいところですな「ポリティカル・コレクトネスからどこへ」(2022有斐閣)とかおすすめ
5・7・5だ……
最近だと『言論の自由を守れ!』だな。保守派はトンチキな魔法を使うし30年同じ戦略で湧いたり潰れたりする。トランプの無法は一部の保守派も腰抜かしてんじゃないかと思うけどお前達の望んだ物語だ
インターネットとエディトリアルデザインは相性良くないなぁ。普段、平凡なレイアウトのWebサイトを読みつけ続けると、ほんのわずかでも「凝った」デザインの長文はもう全然読めなくなってしまった。
線が細いフォントで、読みにくい。
反ポリコレやフェミ、反保守に支持される文って何でこんなに延々と長いんだろう。もっと単純明快にやらないと一般人に受けないんだけど。だから、参政党にコテンパンにやられる。
ポリコレは、保守が左派を攻撃するための「反ポリコレ」という武器として作られたのに、左派がそのままそのフレームに乗っかって先鋭化して、見事に国が分断した、って地獄みたいな状況ってこと?
ネオナチもかつてアウシュビッツはなかったっていい出した。限界がきた運動はだいたいこうなる。ポリコレはなかった。
”1990年代の初頭に起きた「ポリティカル・コレクトネス」の運動は、《リベラリズム》の浸透を食い止めるために、アメリカの保守派によって捏造、操作されたものだというのは、よく言われることである”
起源は1917年マルクス レーニン主義まで遡る話を1990年代から始めるのは作為的では?それまでにも色々あった https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8D%E3%82%B9
大学内の議論に閉じ込めておけば、建設的な議論が出来た可能性もあったかもしれない。社会に残されたのは狂気のみ。知性はない。
あとで読まないかもしれない
保守派の陰謀論そのままの姿を自ら体現してるんじゃ言うことないな。
さすがに頭が悪すぎる。一連の現象に「ポリコレ」と名付けられただけで、保守の反動から始まった話ではない。「差別」と名付けられていなかったからといって差別がなかったことにはならないのと同じ。
ウヨミソのパターンって世界的に共通する所あるよな。恐らくだが彼らの共通の根幹は「自他反転・真偽反転・中央境界反転」で結果として出て来るものもまた収束していくんだと思う。
既視感がすごい。先日、レイシズムの歴史を軽く学んだのだが、この分野では見事にアメリカの出来事が周回遅れで日本にやってくる。
「アメリカンマインドの終焉」出るだろと思ってたらその通りw前にも書いたけど当時話題になってみすず書房から出たからマトモな本かと読んだらあまりの下らなさに呆れた
“「ポリティカル・コレクトネス」の運動は、《リベラリズム》の浸透を食い止めるために、アメリカの保守派によって捏造(...)2020年代には「ウォーク」「キャンセル・カルチャー」という、またおかしな表現に変貌”
こういうの米国内だけでやってもらえないですか?