政治と経済

第27回・いったいどこの誰が、選挙における「投票」と呼ばれる「儀式」の不気味さに耐えられるというのか|webちくま(筑摩書房の読みものサイト)

1: kiku72 2025/09/26 23:40

“蓮實重彦さんの「些事にこだわり」第27回を「ちくま」9月号より転載します。”

2: ichise 2025/09/27 07:45

SNS時代になると、ここら辺の感覚は大きく変わっていくと思うのだけど、それが良いことなのかどうなんだろう

3: tacticsogresuki 2025/09/27 07:50

この方のような他責思考が日本の政官財学のエリート層に蔓延していることがわかる記事。自分とは意見を異にする者達と議論を重ねて、その有り様を国民に示す事を放棄していてはこの方の求める事は到底無理かと思う。

4: cj3029412 2025/09/27 08:40

《「日本人の一塁手」を意味する英語を片仮名で標榜するさる政党の不気味な躍進》(さすが草野進と思しき人物)(僕も王貞治を想起して、まずいかな、駒田徳広かなと、いや、どうんなんだろうと。バースが帰化…それも)

5: inatax 2025/09/27 08:48

「日本人の一塁手」なんかに端的に表れているが、全体的にうまいこと洒落た感じに言ってやろう感が迸ってて好きになれない文章だ

6: coluli 2025/09/27 09:08

平和で豊かだった国で冷笑し続けてきた年寄り。

7: crimson_diamond 2025/09/27 09:34

話したこともない人の名前を紙に書いて全権委任するの、普通に頭おかしいでしょ。当たり前だと思ってるのおかしい。権力者側の理屈を自分の常識だと思ってる奴隷根性どうにかして。

8: WildWideWeb 2025/09/27 09:40

知的孤塁を守る、あの懐かしい蓮見節だと感じる人もいれば、何言ってんの?な人もいるんだろうなと思った。あと、知的世界においてフランス語が英語の上位互換風だった時代もあった記憶も蘇る。

9: cl-gaku 2025/09/27 09:55

地元の選挙だと知り合いの名前であることもままあるが

10: gimonfu_usr 2025/09/27 09:57

( 失礼極まりないけど、まず御存命だったのが嬉しい )

11: Yagokoro 2025/09/27 10:05

馬鹿じゃねえのかw

12: dmekaricomposite 2025/09/27 10:19

「「日本人の一塁手」を意味する英語を片仮名で標榜するさる政党の不気味な躍進」ばくわら。表層批評宣言2025をやり自分の学長としての責任を軽く見せつつ自著の宣伝につなげるぬかりなさ。ハスミンやな奴楽しい奴。

13: minboo 2025/09/27 10:23

「自分が選挙に行かない理由」を小難しいレトリックを駆使してつらつらと並び立てる老人(ついでに近著の宣伝も)

14: hatama 2025/09/27 10:31

高踏的

15: mirakux 2025/09/27 10:36

選挙で世界は変わる、参政党がそれを見せてくれた。投票に行こう!

16: yamamototarou46542 2025/09/27 10:46

本当しょうもない文章/直接民主政によっても、政策を執行するのは、他人に任せるしかないわけだが、それに対しても一々不気味さを感じて怯えるのかな。結局責任から逃避したいだけじゃないのか

17: nuara 2025/09/27 11:01

これは暗に、票は操作されている、という告発なんでないか。

18: milano4121 2025/09/27 11:08

あまり本文とは関係なくて恐縮だが、「日本人の一塁手」に対応するのって何だろう?「浦和じゃない方のレッズ」とか?

19: aceraceae 2025/09/27 11:35

慢性厨二病感

20: sunny-spot-sketch 2025/09/27 11:38

不気味という発想はなかったので勉強になった。これからは不気味に耐えながら投票するわ

21: friedhead 2025/09/27 11:39

実際のところ、政治のことも政治家のこともよくわからない。大学を出てるかどうかすらうやむやになる。

22: mugi-yama 2025/09/27 11:42

ああ懐かしの『反=日本語論』であることだなあ/癇に障った方々が大勢いるらしいのも、蓮實先生の健在を示しているようでめでたい

23: titaron 2025/09/27 11:47

サピエンス全史みたいな文章だ

24: shoh8 2025/09/27 11:54

“「新」であろうが「旧」であろうが、メディアと呼ばれるものなど所詮は媒介装置でしかない”