以前、基本読書さんで紹介されてた『WORLD WITHOUT WORK』と同じ著者さんのようですね。あれも良書だったので期待。GDPという指標の限界の指摘と、それへの執着から(緩やかに)離脱すべしというメッセージは全く同感。
この話を敷衍していくと、バブル後の本朝が「周回遅れだと思っていたらフロントランナーだった」的なお話に着地して行きそうにも(その上で、それが国民にとって幸せなのかという問いまで含めて)
センセーショナルだったり分かりやすかったりはしないけど、中庸で納得できる論。あまり人気は出ないかもしれないが誰かが言わねばならない話だと思う。
『植民地の数』に変わる新たな指標が『GDP』だったのかもね。
ヒトが暮らす地球環境は事実上の閉鎖系なので、まぁいつかは資源的な限界が来るよね……。とは言え「赤の女王仮説」的にも止まっていると生存できないし、中庸ぐあいが難しいところ。
少なくとも「必ず成長することを前提に行動する」のを止め、「成長できなかったときも怪我が少なくて済むように行動する」べき
なんかもうこういう話は眉に唾つけて聞く態勢が身についてしまったなあ。
一国単位で経済成長を縮小すれば当然他国に競争で負けて経済的に不利になっていく気がするが、全世界で一斉に成長をやめようという話なのかな
正直社会ってそんなコントローラブルなものじゃないと思ってる。もういつか大怪我するのは前提として、「怪我するに決まってるやん。あのころの俺アホすぎ」って思い返せる身体づくりを考えたらどうか
日本も平和だった江戸時代に戻したらどうだろう。みんなチョンマゲにするの流行りそう
この方針で相対的に(経済・科学・軍事・文化の分野で)「強国」になれるかどうかなのでは。主要国、特にアメリカは、他国より劣後することに我慢できないと思う。
さすがブリカスといったところ。資本主義を取り続ける限り搾取無しでの経済成長はフロンティア(成長余地)がないと無理(それでも格差拡大は止められない)なので第三の道でも何でもない。良くてせいぜい修正資本主義。
成長を目的としない非成長社会は既得権益が物を言う階級格差社会だよ(江戸時代みたいな)成長できない時代に生きた底辺の若者には希望を捨てろと言えるの?
GDPや経済成長に関するそもそもの理解が浅そう
GDP一強時代からGDP以外の指標も並行して扱うことで持続的社会を達成しようという話に見えるが、じゃあどのような指標をどのような重み付けで、という話は見えなかった
『GDPを稼ぐことの重要性』を軽視しすぎ。AIで、働く側のGDPの寄与度が下がっていく未来が見え始めてる。先進国の『都市圏ごとの不動産内需GDP』が全ての未来に、片足つっこみ始めてるので都市政策人口政策がより重要に
ミクロ経済学しか見ていないやつが「ミクロ経済学を馬鹿にするな」って言っても説得力が無いんだよな。それと似たような側面がある。
一個の指標でこだわるのは戦略を見誤るよね。スポーツでも今までの指標以外で評価する動きで選手やチームを評価する動きなので一般人の経済認識も更新する必要があるよね。
スタハノフ運動みたいに定量化するとハックされるのはあるよな。インフレ率2%を維持してるからといって、国民が豊かになってるか別みたいな話で。資本主義という合法ネズミ講の限界。
GDPは家庭内労働や無償サービスを評価できないし、環境破壊すら「経済活動」として加点されると。そうそう。まずは腐った指標を手放すべき。令和の米騒動の教訓w
近代以前の世界なら失敗も歴史で済むけど、グローバル化した現代で不可逆な環境破壊は命とり。メソポタミア文明が豊かなレバノン杉切り過ぎて衰退して、跡地が現在も砂漠みたいな事が世界規模で起きたら人類が滅ぶ
新成長論とか言ってるけど環境経済学の議論知らないだけでは。環境問題への投資はちゃんとGDPになりますよ。問題は、いろいろ理由をつけて(主にインフレ)環境問題への投資を惜しんでることなんですよ
少子化も経済成長の副産物。自家の子を働かせていた農村社会を脱して高学歴が必要な第三次産業中心社会になればどの国も少数の子に教育費をかけるようになる。経済が横這いの点も含めて日本は最先端(悪い意味でも)
Ch.グッドハート「ある指標が目標になると、それは良い指標でなくなる(When a measure becomes a target, it ceases to be a good measure.)」改竄や曲解を含め、あらゆる本末転倒が始まって80年か。人類の歴史からすれば一瞬だな。
資本主義を無視すればGDP以外の好きな指標で幸せの尺度を測っていいよ。現実には国内では貨幣を使って取引し、国家間では貨幣を交換して交易するつごう、貨幣ベースの経済規模指標は最重要。適度なGDP成長を大前提とs
ノア・スミスって賢いなあ(それはそう/id:id:gabill<「脱成長:いらないよそんなの」(2023年5月24日) https://note.com/econ101_/n/n63a848d4a447 で『#脱植民地化なき #脱成長はありえない』って謎演説が紹介(吊るし上げ?)されてますな
ちゃんと読んでないけど本読んでもふわっとした結論になってそうな雰囲気が伝わってきた。数字を追及してもダメだしちょうどいい成長も無いし脱成長もダメ?で?ってなってそう
経済成長しないってことは希望がない社会になるんじゃないだろうか。今日より明日が良くなるって実感がないのは、若い人にとっては耐え難いんじゃないかと。
脱成長でも経済成長推進でもない、第三の道について──『GROWTH | 「脱」でも「親」でもない新成長論』
いろんな指標で見ていこう、そして指標は入れ替えて改善していこう。そういうことかなと思った 読んでみよーかな
万人を動かすモチベーションとして身分や生存・安全の欲求が機能しない以上、『何もせずだらけたい』人を動かす方法は他人との比較であり、そのためのカネであるということからは、容易に逃れられそうにない
面白そう。と思ったがなかなかいいお値段するな。でも読んでみたい。
まあGDPなんて人口動態次第な部分多いからな
そのために考えられたのがSDGsでは
GDPってのはホントにグッドハートの法則(「ある指標が目標になると、その時点でその指標は“良い指標”ではなくなる」(When a measure becomes a target, it ceases to be a good measure.))にあてはまってるよな
ガソリン減税なんてもってのほか ってのに同意。環境悪化を促進してどうする。
脱成長でも経済成長推進でもない、第三の道について──『GROWTH | 「脱」でも「親」でもない新成長論』 - 基本読書
以前、基本読書さんで紹介されてた『WORLD WITHOUT WORK』と同じ著者さんのようですね。あれも良書だったので期待。GDPという指標の限界の指摘と、それへの執着から(緩やかに)離脱すべしというメッセージは全く同感。
この話を敷衍していくと、バブル後の本朝が「周回遅れだと思っていたらフロントランナーだった」的なお話に着地して行きそうにも(その上で、それが国民にとって幸せなのかという問いまで含めて)
センセーショナルだったり分かりやすかったりはしないけど、中庸で納得できる論。あまり人気は出ないかもしれないが誰かが言わねばならない話だと思う。
『植民地の数』に変わる新たな指標が『GDP』だったのかもね。
ヒトが暮らす地球環境は事実上の閉鎖系なので、まぁいつかは資源的な限界が来るよね……。とは言え「赤の女王仮説」的にも止まっていると生存できないし、中庸ぐあいが難しいところ。
少なくとも「必ず成長することを前提に行動する」のを止め、「成長できなかったときも怪我が少なくて済むように行動する」べき
なんかもうこういう話は眉に唾つけて聞く態勢が身についてしまったなあ。
一国単位で経済成長を縮小すれば当然他国に競争で負けて経済的に不利になっていく気がするが、全世界で一斉に成長をやめようという話なのかな
正直社会ってそんなコントローラブルなものじゃないと思ってる。もういつか大怪我するのは前提として、「怪我するに決まってるやん。あのころの俺アホすぎ」って思い返せる身体づくりを考えたらどうか
日本も平和だった江戸時代に戻したらどうだろう。みんなチョンマゲにするの流行りそう
この方針で相対的に(経済・科学・軍事・文化の分野で)「強国」になれるかどうかなのでは。主要国、特にアメリカは、他国より劣後することに我慢できないと思う。
さすがブリカスといったところ。資本主義を取り続ける限り搾取無しでの経済成長はフロンティア(成長余地)がないと無理(それでも格差拡大は止められない)なので第三の道でも何でもない。良くてせいぜい修正資本主義。
成長を目的としない非成長社会は既得権益が物を言う階級格差社会だよ(江戸時代みたいな)成長できない時代に生きた底辺の若者には希望を捨てろと言えるの?
GDPや経済成長に関するそもそもの理解が浅そう
GDP一強時代からGDP以外の指標も並行して扱うことで持続的社会を達成しようという話に見えるが、じゃあどのような指標をどのような重み付けで、という話は見えなかった
『GDPを稼ぐことの重要性』を軽視しすぎ。AIで、働く側のGDPの寄与度が下がっていく未来が見え始めてる。先進国の『都市圏ごとの不動産内需GDP』が全ての未来に、片足つっこみ始めてるので都市政策人口政策がより重要に
ミクロ経済学しか見ていないやつが「ミクロ経済学を馬鹿にするな」って言っても説得力が無いんだよな。それと似たような側面がある。
一個の指標でこだわるのは戦略を見誤るよね。スポーツでも今までの指標以外で評価する動きで選手やチームを評価する動きなので一般人の経済認識も更新する必要があるよね。
スタハノフ運動みたいに定量化するとハックされるのはあるよな。インフレ率2%を維持してるからといって、国民が豊かになってるか別みたいな話で。資本主義という合法ネズミ講の限界。
GDPは家庭内労働や無償サービスを評価できないし、環境破壊すら「経済活動」として加点されると。そうそう。まずは腐った指標を手放すべき。令和の米騒動の教訓w
近代以前の世界なら失敗も歴史で済むけど、グローバル化した現代で不可逆な環境破壊は命とり。メソポタミア文明が豊かなレバノン杉切り過ぎて衰退して、跡地が現在も砂漠みたいな事が世界規模で起きたら人類が滅ぶ
新成長論とか言ってるけど環境経済学の議論知らないだけでは。環境問題への投資はちゃんとGDPになりますよ。問題は、いろいろ理由をつけて(主にインフレ)環境問題への投資を惜しんでることなんですよ
少子化も経済成長の副産物。自家の子を働かせていた農村社会を脱して高学歴が必要な第三次産業中心社会になればどの国も少数の子に教育費をかけるようになる。経済が横這いの点も含めて日本は最先端(悪い意味でも)
Ch.グッドハート「ある指標が目標になると、それは良い指標でなくなる(When a measure becomes a target, it ceases to be a good measure.)」改竄や曲解を含め、あらゆる本末転倒が始まって80年か。人類の歴史からすれば一瞬だな。
資本主義を無視すればGDP以外の好きな指標で幸せの尺度を測っていいよ。現実には国内では貨幣を使って取引し、国家間では貨幣を交換して交易するつごう、貨幣ベースの経済規模指標は最重要。適度なGDP成長を大前提とs
ノア・スミスって賢いなあ(それはそう/id:id:gabill<「脱成長:いらないよそんなの」(2023年5月24日) https://note.com/econ101_/n/n63a848d4a447 で『#脱植民地化なき #脱成長はありえない』って謎演説が紹介(吊るし上げ?)されてますな
ちゃんと読んでないけど本読んでもふわっとした結論になってそうな雰囲気が伝わってきた。数字を追及してもダメだしちょうどいい成長も無いし脱成長もダメ?で?ってなってそう
経済成長しないってことは希望がない社会になるんじゃないだろうか。今日より明日が良くなるって実感がないのは、若い人にとっては耐え難いんじゃないかと。
脱成長でも経済成長推進でもない、第三の道について──『GROWTH | 「脱」でも「親」でもない新成長論』
いろんな指標で見ていこう、そして指標は入れ替えて改善していこう。そういうことかなと思った 読んでみよーかな
万人を動かすモチベーションとして身分や生存・安全の欲求が機能しない以上、『何もせずだらけたい』人を動かす方法は他人との比較であり、そのためのカネであるということからは、容易に逃れられそうにない
面白そう。と思ったがなかなかいいお値段するな。でも読んでみたい。
まあGDPなんて人口動態次第な部分多いからな
そのために考えられたのがSDGsでは
GDPってのはホントにグッドハートの法則(「ある指標が目標になると、その時点でその指標は“良い指標”ではなくなる」(When a measure becomes a target, it ceases to be a good measure.))にあてはまってるよな
ガソリン減税なんてもってのほか ってのに同意。環境悪化を促進してどうする。